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〇藤田浩著『万葉ロマン紀行』をパラパラめくり読みしていると、万葉時代の女性の機智に富んだ歌の面白さに、ついつい惹かれてしまいます。男女の愛や嫉妬心を物に例えて、言葉という道具を使っている健気な心に、その頃の太陽の照り方が、現在よりも大らかだったのかなと思ってしまいます。 「烏とふ 大をそ鳥の まさでにも 来まさぬ君を 子ろ来とぞ鳴く」・・・万葉人には烏の鳴き声がコロクと聞こえたようで、<あのカラス、ほんとに大 うそつきなんだから…貴方が来る、あなたが来る、なんて鳴くから、ずうっと待っていたのに!!>という文意らしいのです。 嫉妬への憂さ晴らしを、ヤケ食いヤケ酒、ヤケ買い、ヤケ旅行に求める現代女性よりも、可愛らしいと著者が述べていらっしゃいます。男女は惚れたり、拗ねたり、また惚れ直したり…その繰り返しで、より近しい間柄になれるのかなと思っています。
2026.05.04
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〇牛乳の歴史はエジプト、メソポタミアなど古代文明から始まったようですが、東洋文明ではインドが一番最初だったとされ、「酪」とか「醍醐」の文字が、インドの古い仏教関係の文献に出ているんだそうな。 * お釈迦様は苦行者の集まる苦行林に入って難行苦行に耐えておられましたが、なかなか悟りを開けませんでした。今度はジョウバンザという岩の上に座して心の平和を求められました。しかし、肉体が衰弱しきっていました折、ひとりの少女が一杯の醍醐を差し上げると、お釈迦様は忽ち元気を取り戻され、世の中にこんな美味なものがあったのかと驚かれたようです。 *醍醐とは乳酸飲料、今でいうヨーグルトのようなものでのちのち、大量に摂取されたお釈迦さまは腸カタルに罹られ、お亡くなり(お釈迦)になったとも?
2026.05.03
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〇当地、乙訓の筍の季に父がこの家に、野風呂先師や十七星さんらを御招きして小句会を催した時の印象が強かったことから俳句と接し、社会人になった翌年に休職するほどの病を得たのをきっかけに、数十年、俳句から遠ざかっていましたが、父の死の翌年ごろから再び句作を始めました。ここに並べあるのは、20年前、松尾大社での吟行句会等のものです。 手触りの「陰翳礼讃」春障子 バス時刻改変ありて山笑ふ 利休忌や石見半紙の句集繰る〇利休忌や国宝茶室ただ昏き 菅公の御霊呼び寄せ薄紅梅 逃げ水や善玉悪玉おもて裏 わかさぎの銀鱗美しき数珠上ぐる 沈丁や媚薬はなべて甘きもの 少女らに妖精見ゆらし草霞〇浅床のみそそぎ川の水温む〇へばりつく二村を分かつ雪解川〇春燈や井上流の指づかひ◎女神(ニョシン)像面あげ召さる桜ごち 出番待つ駕輿丁(カヨチョウ)船や桜東風 御供樽の百ほど積まれ風光る 初花や花肆(カシ)の気(ケ)もなし酒祖の宮 花肆(カシ)=遊女などいる色里・花街
2026.05.02
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〇耶馬台国の女王・卑弥呼でも判るように、古来から巫女は尊敬されて来ましたが、時代の流れの中には幾多の例外もあるようです。東大寺の大仏建立の折、はるばる宇佐八幡から杜女が祝意と神の協力を伝えに来ました。 *孝謙天皇、聖武上皇、光明皇太后は大喜びで出迎え、宇佐八幡を昇格させましたが、その数年後、八幡宮の神主が呪詛を行った罪で、杜女は日向の国へ流刑されました。どうやら杜女=禰宜尼たちは政治的な魂胆を胸底に秘めつつ奈良に赴いたと推測されるのです。 *平安期になると怪しげな巫女が横行し、博打とも関わりを持つようになったとする文献があまた散見されています。(参考:永井路子著『歴史をさわがせた女たち』)
2026.05.01
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