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〇世の中には綺麗に着飾った女性が居られ、またそれなりに化粧を施して居られるゆえ、街を歩いて居ても、電車に乗っても気分が華やぎます。化粧の側面を覗いて見れば、 シュニ先ずは魏志倭人伝の太古、「朱丹をもって、その身体に塗る」とあるように、古墳の埴輪には男女ともに顔面に朱が塗りこめていました。時代は下って、紫式部がお仕えした太皇太后彰子が田植えの様子をご覧になった折の早乙女と言えば、「若くきたなげなき女ども5、60人ばかりに、裳袴というもの白く着せて、白き笠ども着せて、歯ぐろめ黒らかに、紅赤こう化粧させて続けたり」とあって、これらを命じた道長の時代には化粧は日常茶飯事のことだったようだし、平安時代の女性たちの化粧は、眉と歯がポイントだったように思われます。毛抜きでげじげじ眉の手入れを怠らず、平安末期から鎌倉時代には、額の生え際と目の間に、大きく眉を描くようになっていたようです。ここ20年ほど前にも、太い眉がファッションとして流行りましたし、今では半弧の細い眉と舞台用のつけ睫毛ばかりが電車内に大勢居られますね。
2026.04.30
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〇山と渓谷社の『鳥のことわざ うそほんと』(国松俊英著)のページをパラパラ捲ってみると、80もの諺のあることに驚いてしまいます。「雀百まで踊り忘れず」、「鳩に豆鉄砲」、「梅に鶯」、「目白押し」、「烏合の衆」、「烏の行水」、「鳶に油揚げ」 「掃き溜めに鶴」、「鶴の一声」、「おしどり夫婦」、「千鳥足」、「一富士、二鷹、三なすび」、「雉も鳴かずば撃たれまい」、「閑古鳥が鳴く」など。ところで「鶴は千年、亀は万年」という言い伝えから鶴は千年も生きるのかなと誰しも思いますよね。 内田清之助の『鳥』では、セグロカモメ:36年、ダイシャクシギ:31年、イヌワシ:25年、ガン:25年、カラス:14年、ハト:10年、スズメ:8年。そして鶴は30年~60年も生きるのだから、あながち諺は間違っているとは言えません。地球の環境は年々悪化を辿っていますが、私たち人間は身近に目にすることのできる鳥たちとも仲良く暮らして行きたいものですね。
2026.04.29
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〇明治5年と言えば、東京大阪間電信開通、僧侶の妻帯・肉食・蓄髪許可、修験宗を天台・真言の2宗に帰属、新橋・横浜間鉄道開業、太陰暦から太陽暦に変更、神武天皇即位の年を以って紀元元年(因みに、この年は紀元2532年)とした年ですが、マリア・ルーズ号が奴隷を大勢積んで日本に立ち寄りました。これが国際問題となり、寄港地の日本が意見を求められ、「人道にもとる」と公言したところ、「日本には廓という奴隷組織がある」と指摘され、止む無く発したのが”開放令”、つまり「娼妓・芸妓は一切解放せよ」というお墨付きで、娼妓・芸妓側との貸借関係もパーにせよとのお達しで、島原の”角屋”が養鶏場に、”輪違屋”が糸屋に変ろうかという正に危うき土壇場に。年季奉公ではなく本人たちの自発的な申し出による養女、親戚などの形なら元のままの鑑札を認めるという<骨抜き>の法令で元の鞘に納まりました。 *これは芸妓を解放しても、困窮している田舎の暮らしが立ち行かないので、返って心中・自殺者を増やすことこそ人道に反するという植村参事の意見が罷り通ったという次第。 *更に芸妓たちが後年手に職が持てるよう教育を施す趣旨から、養蚕・製茶・染色・裁縫・算術などの教練場、つまり明治7年には「祇園女紅場」ができました。 *<参考文献:「更訂国史研究年表」黒板勝美編(岩波書店)、「鴨川」毎日新聞社編>
2026.04.28
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〇父の転勤で2年間居た佐賀市から大阪市住吉小学校に移り、4年生から苦手なローマ字を習いました。簡略字は別として、中国で使われる漢字は5万字以上、その1割を日本で通常使うなら5千字。小学校では2千字余りを教える程度ですが、2千字にもそれぞれ音があり、訓読みがあり、音の中にも漢音や呉音があるばかりでなく、日本風な使い方や読み方が夥しいので、大変難しく、その欠点を補う為に考えられたのが仮名ですが、漢字と組み合わせて読むとまるでクイズのようになります。 そこで新たに考えられたのがローマ字で、明治初頭か重用され、更に「ローマ字日本語運動」も繰り広げられました。世界共通の表現法ですから、日本語もローマ字表記で世界に知られることになりました。しかし、今ではローマ字は余り使われていませんね。
2026.04.27
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〇テレビ等で活躍しておられる天海祐希さんの凛々しい姿、光源氏の表紙の配役一覧。平成元年五月三十日、午後六時開演とのこと。私の知らない生徒ばかり。もう一つの情報は、同年6月下旬販売と銘打って、75周年記念、「宝塚歌劇舞台写真集」のカラフルな広告。定価千二百円、申込窓口は宝塚歌劇団出版課。このパンフレットの裏側には、宝塚歌劇<月組公演>デザインカード LagareCARDその他いろいろの広告が掲載されています。
2026.04.26
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〇丁度20年前は、親元であるこの家の屋根だけ残こし、改築寸前の時期でした。 ショルダー・バッグに大切な書類等を詰め込み、手提げ袋にもいろんなものを押し込み、自転車で西向日の自宅に戻りました。前日の句会の記録ノートまで西向日に移動させたので、ここ生家では句会の模様を書き込みできません。で、自宅では息子にも手伝って貰い、家内の大きな整理ダンスを床の間へ移動させ、除けた場所に生家からの荷物(衣装ケース5本、段ボール箱30個程度)を受け入れできるように模様替えしました。居間ですから、そこそこ余裕を作っておかないと、居間=倉庫では3~4カ月間、人間的な生活ができませんから・・・。それにしても、家内はの3倍以上働いてくれるので、感謝、感謝の連日でした。また工事中、ご迷惑をかけるので、並びの左右4軒、向かい側の4軒、裏手の3軒、11軒のお宅にご挨拶。
2026.04.25
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〇生協で購入した木製のベッドはダブルとシングルの中間ほどの幅があるので落ちませんが、若き日、9カ月ほど入院していた北野病院では、女の人でもベッドから落下した話がありました。であるのに、雀や小鳥たちは枝に止まってこっくり寝入っても落ちません。仮に落ちたとしても羽があるから安心です。その不思議さを話題の達人倶楽部編の『天下無双の大人の雑学』にて解明すると、鳥がもつ足指の腱の構造が独特だから。つまり鳥の腱は足の上部の筋肉とつながっていて、それを引っ張ると指が自動的に曲がる仕組みになっているから、枝に止まって寝るとき、鳥は足を曲げてうずくまるのですが、その姿勢なら自然に腱は引っ張られ、足指はしっかりと枝をつかんで離さないようにできているようです。
2026.04.24
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〇一度facebookの記事として出したようには思いますが、広島県三次工業高等学校の河本正治さんの手になる童謡唱歌集6冊。黄色地に若葉模様をこらし「一寸法師」と題した第1巻。緑地の「茶つみ」、うす青色の「浜千鳥」、紺地の「我は海の子」、赤地の「花かげ」等6冊。ほかに思い出の歌シリーズうす茶の「ああ草枕」、黄緑の「汽笛一声」。どれも大正・昭和ロマンの図柄に歌詞を綴った愛すべき本です。
2026.04.23
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〇天正十年五月廿四日 於愛宕山威徳院 ときは今あめが下しる五月哉 光秀 水上まさる庭の夏山 行祐 花落つる池の流れをせきとめて 紹巴 風に霞を吹き送るくれ 宥源 春も猶鐘のひびきや冴えぬらん 昌叱 かたしく袖は有明の霜 心前という具合に、あの歴史的な連歌会は続いていましたが、あめが→天が下なるという風に解釈されたのは、秀吉の時代に下ってからのことでした。ここに登場する紹巴は古今伝授を受けた歌人、茶人でした。或る学者は山上憶良が古今伝授を始めた歌人としていて、足利末期、戦国期になって来ると、三条西実隆、その子公条・実枝に至ると継嗣が幼かったので「返し伝授」を約束させた上で、細川藤孝(幽斎)に伝授しました。 その藤孝も丹後田辺城において敵軍(石田)に囲まれ劣勢になりましたが、弟子八条宮智仁親王の働きで、後陽成天皇の勅命によって古今伝授が保たれました。 (参考図書・筒井紘一著『茶の湯百人一首』)
2026.04.21
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〇発祥は南フランスのリヴィェラ或いはトルコなど諸説がありますが、要はどこかの酔狂な女性がオレンジジュースにウオッカを足したのが掲題のカクテル。わが国で流行って来たのは、朝鮮戦争時代。戦線で国連の将兵たちが痛飲していた影響を受けた由。カクテルの名称などに触れますと、純心を表すホワイトレディ、華麗という意味のコスモポリタン棘ある意味のマティーニお気に入りのバレンシァ振り向いて下さいのアプリコットフィズ恋する胸の痛みのカカオフィズ心の渇きを癒してを意味するモヒート無言の愛を示すマルガリータ―等々、ちょっと大人ムードですね。
2026.04.20
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〇暇な時間のつぶし方と言えば、いろいろあるのでしょうけれど、これら回文を貴方ご自身が、あれこれ考え、創作されることも、そのひとつですね。医者暮しはよくなる。泣くよ、わしらくやしい。色、白い。<こんな長い会話風の作品もあります>「言って!知りたいなア」「よそうよ・・・」「そう!私も、つい関係した度、男の子とおびただしい喧嘩、いつもしたわ・・・嘘よ、 嘘よ!ア!泣いたりして?」 「・・・つい・・・」<以上、驚きですね。短い作品もありますよ。>意外や意外。いたちの痴態。今、ここは日本だ。田圃には古古米。伊勢の母親離婚、こりゃオババの所為?いい!若い先生可愛い。遺体が眠る、胸が痛い。<こんなんもありますえ>愛しい娘(コ)、汝(ナ)は清き花、恋い慕い。 馬ジンクスにすくんじまう。魚座を追うカナダ天体観測にニクソンが居たんで、田中、右往左往。嘘つき松野氏、国会でイーカッコ。氏の妻、きつそう。 うどん噛む。無感動。 EKI E IKE (駅え行け) 「え、恋仲?」と問うも、もう届かない。起きて!ひろみ。見ろ!秀樹を。 遅いな”こだま”は。まだ来ないぞ。 踊って歓喜!夜の駅に消え、乗るよ銀河鉄道。随分ありますね。本日はここまで。
2026.04.19
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〇日本の童謡には、日本人の原風景が詠われており、現代人が失いつつあるものが幻のように見え隠れします。佐野靖著の『心に響く童謡・唱歌』は、これらを9つのジャンルに分け、紹介しています。第1節では子供の生活感覚や素朴な心情を表したものとして 春よ来い、背くらべ、アメフリ、しゃぼん玉、夕焼小焼、あの町この町、サッちゃん、お正月、うれしいひなまつり「雨降り」は現在もわが家に残る手巻き蓄音器を巻かずに速度を緩めたり、早くしたりして遊んだ思い出があって、ランダムに乱れる雰囲気を音痴さんのように真似て歌うのが得意です。第2節のファンタジー部類では 七つの子、月の沙漠、赤い靴、青い眼の人形、ペチカ、オウマ、かなりや 「月の沙漠」は、予備校時代の思い出があってて通学時に見初めた女の子を爾来密かに慕っていました。アラビアの衣裳を纏い、顔を隠した眼の大きな彼女の夢を未だに鮮明に覚えていて、ロマンティックなこの歌が大好き。「かなりや」は混声合唱で歌った曲。いずれの想い出も素敵です。
2026.04.18
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〇未だ果たせていない夢は、宝塚歌劇の脚本と主題歌等を作ること。テーマは決まっています。それは姉たちの少女文庫にあったジョルジュ・サンドの「愛の妖精」。歌とダンスと芝居をミックスさせたショーものは観客に息も出来ないほどの強烈なパワーを投げかけることが出来ます。ミ会場いっぱいに響き渡る生演奏、赤、紫、青、黄色、緑の照明の冴え、きらびやかな衣装をまとった出演者たちの全身から繰り出すダンス・・・。 裕福な農園の双子兄弟に、罵声をあげたり悪戯を繰り返す少女ファデットは、村人から「こおろぎ」だの「鬼火娘」だのと毛嫌いされていました。それが村祭りの中で、村一番の上手なダンスを披露。その夜しくしくしのび泣く少女ファデットとランドリーの夢の時間・・・。少女の神髄に触れたランドリーが勇気をもって彼女との愛を育て、双子の兄やファデットの弟と未来を見据えて頑張る物語。
2026.04.17
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〇鈴木棠三著『日本のなぞなぞ』は万葉から江戸時代までのなぞかけが掲載されています。 *これは中国の故事や古歌を知っていないと解けないようなものが多くて困りものですが、少し引用させて貰います。 *宸翰本のなぞなぞでは1)上は上にあり下は下にあり さて何という字なンでしょう? *上という字では横一の上にあって、下という字の場合には下にある → 卜 *2)嵐は山を去って軒のへんにあり *??嵐の山を去る ふむ 風という字になりますね。軒の偏とは車 → 風車 *3)竹生島(嶋)には山鳥もなし *竹生嶋の山鳥を省き、残った竹生を一つの字にすれば → 笙(楽器) *4)道風(トウフウ)が陸奥(ミチノク)紙に山という字を置く *小野道風はとうふうともみちかぜとも。道風の道を除けて、紙=上に山を置く → 嵐 *5)泉に水無うして竜帰る *泉から水を取って、竜(りう)の逆さ読みしたら? → 白瓜 *6)廿人(ニジュウニン)木に登る *草冠=廾+人 その下に木を → 茶これらはまるで とんち教室ですね♪
2026.04.16
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〇某年某日、日記を綴っていると、家内が大月さんが写っていると洋間から呼びかけました。人気番組「よ~いドン」の放映中で、なるほど、画面には元同僚の先輩、大月透さんが歌手円広志さんのインタビュウーを受られていました。 私が千本支店の頃一緒に働いて居られたのですが突然、健康上の都合から早期退職されました。実情は、奥様に相談もせず、命よりも大事な剪画に没頭したいが為のご退職だったことを、テレビ画面を通して初めて知りました。年賀状は勿論、剪画を頂戴していました。大月さんとお弟子さんの作品展には何度となく足を運びました。また古巣の銀行のロビーにも再々出品なさっています。日本剪画協会の副会長を務められ蛸ともあり、聞き手の円さんも樹木などの絵画がお好きなようで、話が盛り上がっていました。そして「よ~いドン」の人間国宝認定証を受賞されていました。
2026.04.15
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〇某日「チコちゃんに叱られる」で採り上げられた「さようなら」。さらばに直すと解り易い、さ(そのように)あらばの詰まったかたちがさらば。 対馬ではザットヤー・オイザトナー、壱岐ではオイザト、五島ではダッチョ、甑島ではダーチーというそうで、平戸では葬式の夜、或いは数日後に親戚近隣一同が金品を出し合って、仏前にご馳走を供え、遺族を慰める行事のことをイザトウと言うようです。平戸島近くの生月島では婚礼翌日の里帰りをイザトと言い、慰里、慰座祷、或いは湯茶湯などの当て字。寝聡(いざと)くあれ、ぐっすり眠ってしまってはダメよの意味合いらしいです。これら全て思い遣りの心遣いなのです。(参考図書・『日常語語源辞典』鈴木棠三著)
2026.04.14
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〇信長公の妹お市の方ほか、戦国時代の女性は政略結婚の道具として扱われ、悲劇のヒーローだったと従来思い込んでいましたが、永井路子さんと杉本苑子さんとの対談集では、お二人とも異なった見解を持って居られて、目から鱗が落ちたような気分です。女性はその家系(一族)を代表する外交官の役割を担当していた訳で、頭脳明晰な機微に敏い者でなければ務まらなかった、言わばエリートだったと言うことのようです。それが証拠に、その域に達しない姫は家臣などに与えるのが一般的なことだったようです。但し辞世は「さらぬだに打ちぬる程も夏の夜の夢路をさそふ郭公かな」何と冷静な心境を保ちながら亡くなられたとは、ご立派な方だったとしか言えませんね。 私事ながら私の「IMAGINATION Ⅱ」という曲の歌詞は、若干、修正する必要がありそうです。2番 戦国時代に 生まれてたら お市の方のように 幸薄き女 妹は哀れ 兄は鬼 平和の為の 生け贄 さくら花影 昨日の夢と 一に覚悟の 女を演じたかもね
2026.04.13
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〇今から21年前、母も鬼籍の人になりましたので、古びた桐箪笥を整理していました。そこから夥しい数の古手紙・ハガキが出て来ました。 昭和17年”東京市”牛込区の消印にて、早稲田大学在学中の叔父から本籍地である京都市高辻通の住所あてに、 同じく祖母からの葉書(昭和18年6月)、同じ住所へ叔父からの葉書(朝鮮の軍駐屯地から)、神戸市灘区の住所あてに母の二番目の弟からの葉書(昭和18年)、 昭和21年祖父から京大病院入院中の父あてに・・・葉書の切手代は、2銭、3銭、5銭と変化していました。それでも戦後は物価が急上昇していたのでしょう、昭和25年には2円に上っていました。 葉書の中身は、二番目の姉の命名のことや、私の弟が亡くなったことへの悔みの文言、勿論記憶にないことばかりでした。また母の父が大阪市の第三助役に抜擢された内容の大阪市政ニュース(昭和10年6月)のコピーや、この祖父の葬式の刷り物が残されていました。当時の助役の方々が葬儀委員をして下さり中馬市長や大島市長、佐藤義詮知事など、錚錚たる方々が焼香して下さる段取りが印刷されていました。このように、捨てきれないものが出てきますので、整理には慎重を期さざるを得ないのです。
2026.04.12
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『江戸の道楽』の筆者・棚橋正博氏は序の部分で江戸の歴史を簡潔に書かれ、三代将軍家光公が没した辺りから水利・交通、町づくり整い始め、江戸市民の生活にゆとりが出始めたと略記しています。各章の中から解りやすい小題を列挙すると、 大江戸キク事情、大名庭園、観梅と花見 釣り指南、釣りと女、隠居の道楽 伊能忠敬の五十からの出発、狂歌の時代 品川の凪に女の釣り小舟中には釣りとの名目で深川遊里へ行く旦那も・・・。
2026.04.11
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〇これは上前淳一郎さんの『読むクスリ37巻』から拝借しています。 ジェトロに勤めておられた豊田氏がチェコ外国投資庁に赴任早々の歓迎会の席で、 「あなたは、ビールを何メートル飲めますか?」と聞かれて仰天、量を長さで聞かれるなんて・・・。 これはきっと聞き間違え、ビールを何本?と聞かれていると思い、3本指を示されたそうな。 すると今度は相手がびっくり。「すごい!おぅい、ミスター・トヨダはビール3m飲むそうだよ」 あちらでは大ジョッキを3口で飲み干すのが流儀だそうで、その豪快なこと甚だしい。 またあちらでは、大ジョッキは底の直径が約10センチ。そこで空ジョッキが10個並ぶと1メートル飲んだという按配。今や中国、アメリカ、ブラジル、メキシコ、ロシア、ドイツ・・・。日本は11位?
2026.04.10
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〇現りそな(旧大和)銀行の千本支店(現在は元協和銀行)に配属されていた頃、輪番制だったと思われますが、支店の一泊旅行の幹事だったので、担当している観光会社に候補地を頼みました。奈良方面、新薬師寺、そして掲題の吉田寺など。実施前は、平均年齢それほどでもないのに、何故ぽっくり寺なんていう年寄りめいた観光コースなのと不評でしたが、いざ、吉田寺に入ると本堂には小座布団が碁盤の目の様に敷かれ、極小の木魚と叩き棒がそれぞれきちんと置かれていました。初めは誰もが巫山戯(ふざけ)ながら叩いていましたが、その内、一つの音になって来たのが不思議。その折を見て、住職が来られ、真打の落語家に勝るとも劣らない名調子でいろいろ語られた。要は、年寄りになれば、みんなから愛される「可愛いお年寄り」を目指して下さい。そうすれば、迷惑もかけずに「ぽっくり死ね」ますよという話でした。
2026.04.09
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〇もうかれこれ半世紀以上、庭の王女に君臨している老櫻。二度にわたる降雨にも耐え、辛うじてかなりの花びらをつけ、緑の新芽とコラボする色合いを見せています。 先日触れましたように4つ年上の姉が急逝しました。今年90歳になる義兄には、正しく晴天の霹靂と言える大事件。一昨日電話しましたが、何とか寂しさを凌いでいるようで、一安心。式典では姉に因んだグッズが展示されていましたが、絵入りの日記帳を暫くお借りすることができました。住吉中学2年4組の折、夏休みの宿題代わりに記した7月21日~8月末日の記録と挿絵。この絵が懐かしい昭和の時代に戻して呉れるようで、取り敢えずコピーしました。
2026.04.08
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〇学生時代、男声合唱クラブとして当時米国の統制下にあった沖縄へ演奏旅行した折、事前に覚えた言葉は、「わんね~ うんじゅ いっぺい しちゅん」(わたしはあなたをすごく愛しています)。これなんざぁ~もう日本語の域をはみ出しているように思いました。 杉本つとむ著『方言風土記』(雄山閣)を北から順に読んでいくと通常なら怒ってしまうような言葉が、実は褒め言葉だったりしていて興味が尽きません。父の転勤で佐賀県に2年居ましたが、関西に戻るとき中学1年の姉が親友と佐賀弁を使った劇をドーナツ版に録音しました。 あんたどこさ行きよばんた。玉屋さエレベーター見にいきよばんた。あらほんにや・・・・く~えすかぁ(=凄く怖いなど)。お陰で今でも佐賀弁は忘れんばってん。この姉は先日深夜、急逝しました。大阪へ戻った住吉中学2年4組当時の夏休みの宿題「日記」ひと月分、軽いタッチの絵が描かれて居て、才能のあった人だと思い返しました。
2026.04.07
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〇初めてタコを喰ったのは、海で遭難し海岸へ漂流した人で、空腹のあまりグロテスクなタコを掴んで口に入れたのです。それを見て驚いたのは土地の人々で、「一体あれは何や?」「あれは土地の人間とは違う、他国の人や」「たこくの人」「たこ喰う人」、段々それが訛って「タコ」になっていったそうな。その内、親しみのある存在として扱われ、「タコには足が8本あると言うけど、あれは嘘で、正確には足は6本、手が2本なんや」「本当かぁ?」「本当やとも、6本の足で泳いだり、歩いたりし、2本の手で魚や獲物を掴んで食べよんねん」「ほんなら、どれが手?どれが足?どう見分けんねん」「何でもあれへん。タコの油断を見すまして、あの頭をポンと一つ殴んねん。タコはびっくりして”あっ痛っ!”言うて慌てて両手で頭を押さえよる。それが2本の手や、すぐ分る。」嘘か本当か、面白い話でっしゃろ?(参考図書:秋田実編「ユーモア辞典」)
2026.04.06
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〇「日本の老舗」第339号にある鈴木康久氏の「京都の滝めぐり」を参考に綴ってみます。京都の滝は?と聞かれて、つい、清水寺の「音羽の滝」と答えてしまいそうですが、鈴木産大教授は先ず3枚の古い絵葉書から京の滝を紹介しておられます。鴨川源流、弘法大師再興の志明院の「飛龍の滝」(大正7~昭和8年)、更に古い明治40~昭和6年に発行された月ヶ瀬梅ケ谷の「不動之滝」それに 宮津市滝馬「金引の滝」(大正7~昭和8年)は子供も伸び伸びと楽しそう。他に大原来迎院奥の「音無滝」、清滝の「空也の滝」を補足され、100年前の江戸期なら「都名水視競相撲」番付から西岩倉三段の滝、笠置千手ケ滝、若王寺那智ノ滝、山科牛尾ノ滝、鷲峯山頭光ノ滝、同都卒ノ滝、貴船龍王ケ滝、洛北音無ノ滝、嵯峨戸難瀬ノ滝、鷹峯菩提ノ滝、月ノ輪高野ノ滝、同晩ノ滝など。最後に、南丹市美山町の「洞の滝」を挙げられ、もっと他にある筈と滝探訪を奨められています。
2026.04.05
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〇井沢元彦著『逆説の日本史』別巻3の「ニッポン三大紀行」の観光・旧跡編には日本三大古湯として有馬・道後・白浜の各温泉を挙げておられます。 有馬温泉と言えば、私の場合、小林一三→宝塚歌劇という具合に思考が進みます。勿論太閤秀吉の愛した温泉、鉄分豊富な赤錆いろの湯や炭酸煎餅、毛筆の名産地でも知られていますね。 次に道後温泉と言えば、漱石の坊ちゃん→正岡子規→俳句のメッカと進み、テレビでお馴染みの夏井いつき氏の活躍される場でもありますね。 最期に白浜温泉と言えば、夏休み→家族旅行→白浜海岸及び会社の保養所。外回りだった頃はお盆直前の週から、盆に当たる週を選んで外交担当者全員が休暇を取りました。一児の母となっている長女は浅い岩礁辺りでナマコを数匹獲っていました。自分の顔が海面に写っている先を通して、小魚や小海老などの生き物を狙っていました。
2026.04.04
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〇小学館の「西洋絵画の巨匠」シリーズの第2巻「モネ」には大山崎ふるさとガイドのメンバーとしては当然知っておかなければならないモネの情報が満載されています。 大山崎町には選挙の都度持ち出される「天下分け目の天王山を初め、千利久に因む国宝の待庵、重要文化財の多い宝積寺、秘仏の山崎聖天など。このほか、風光明媚で人気のあるアサヒビール大山崎山荘美術館は加賀正太郎の手に成る瀟洒な英国調の建物と河井寛次郎を筆頭に民芸作家たちの陶器類、 そして安藤忠男が建てた「地中の宝石箱」と言う名の美術館には、このモネを中心に印象派作家の作品が展示されています。僅か580円の本ながら印象派というネーミングになったモネの作品「印象 日の出」を初め、愛妻カミーユをモデルにした作品や一連の睡蓮の画も多々あります。 陽だまりの中、裏地が緑の洋傘を持ったロングドレスのカミーユ像、あまり見たことのない少年時代の鉛筆戯画や浮世絵に心酔した彼の作品などが挙げられています。
2026.04.03
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〇京生まれの青もん(野菜)は、聖護院だいこん、中堂寺だいこん(くきだいこん)、九条ねぎ、壬生菜、すぐき菜、伏見とうがらし、聖護院きゅうり、山科なす、加茂なす、そして堀川ごぼう。 秀吉公の死後、聚楽第も次第にさびれて、お堀へは近所の人が、芥(ごもく)をほかすようになりました。ところが或る日、気がつくと、そこに、ごんぼ(牛蒡)が生えて居たんやそうな。太うて、真ん中がほんがら(空洞)のごんぼ。地名を冠して堀川ごぼう、またの名を聚楽ごぼうともいうそうな。 堀川ごぼうは、炊いて食べます。ごんぼの合いもんは、かしわ(鶏肉)。真ん中の空洞へ、かしわを詰め込んで、長いまま煮ふくめます。輪切りにすれば見栄えもええ。 (注・ここまでは大村しげさんの文章をアレンジ) 牛蒡は縄文時代から平安期にかけて日本に伝わったようで、食用になったのは江戸時代から明治にかけての頃。きんぴらや掻き揚げや煮物が主流。ポリフェノールを多く含んでいるので健康食材としても重宝されています。 根っ子部分を野菜として食べるのは日本と朝鮮半島だけのようです。牛蒡を煮炊きした茶色の液は防臭剤として効き目があります。母が亡くなる数年前、野良猫のフンの匂い消しにこの液を使いました。
2026.04.02
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〇一冊のカタログがあって、「ベルエポックの巴里展」と題して19世紀末のフランスにおけるポスター作品を集めたもので、1982年京都は高島屋の6階ホールにて、読売新聞大阪発刊30周年を記念した催し物で、カタログ製作者は株式会社アート・ライフでした。父が残した京都新聞の切り抜きでは、<パリに集まっていた芸術家たちが、産業や興業界の要請に呼応してC・M分野に独自の美を築いたものだ。・・・いかにも爛熟した甘美の情緒と装飾性を備え、ベル・エポック(最も良き時代)の雰囲気を今に伝える。ミューシャ、グラッセ、ティリらアール・ヌーボーの画家、ポスターの父とされるシェレ、ロートレック、ドニー、ボナールらナビ派の画家、ウイレットらモンマルトルに生きた画家らの作品約90点である。> 日本にも竹久夢二を初めポスターなどに秀逸な作品を残した作家が多く居て、某年、テレビの「お宝鑑定団」では、大正ロマン漂う麦酒のポスターやその他の作品が一点當り数万円の値がついていました。
2026.04.01
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