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1月7日(木)に関西空港を出発し、約2週間後の1月22日に日本に帰ってきた。関空から7時間かけてシンガポールに着き、それから10時間かかって8日、ニュージーランド南島のクライストチャーチに着いた。時速800キロ以上で飛んでも、17時間かかる。(今回は、シンガポール経由でいったから。)地上より1万キロ以上を飛ぶ。外気温は、マイナス40~50度。飛行機に乗っていると地球や宇宙を感じる。(▲オタゴ大学)■1月見た映画■なし。■2015年見た映画■(▲ダニーデン駅内のカフェ)■書きのこしたネタ■*ニュージーランド紀行*ニュージーランド気候*ニュージーランド人気質*国旗*ニュージーランドの日本人*古いピアノ・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.01.31
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■1月13日~14日■ダニーデン一大産業物流拠点として栄えたダニーデンでは、事業で成功した人たちが著名な建築家に設計させた邸宅に美しいアンティークの調度品や美術品を飾り、優雅な生活を営んでいた歴史も垣間見ることができる。そのひとつが、貿易商だったデイビッド・セオミン氏が築いたオルヴェストン邸だ。邸内には、セオミン氏が世界を旅行して収集した美術工芸品が所狭しと収蔵されている。陶磁器や刀剣など日本から収集された物の多さからも、セミオン氏が日本の美術工芸品に深い関心を持っていたことが分かる。セオミン氏の娘であるドロシー嬢の死後、邸宅は遺言によりダニーデンに寄付された。現在でも、書斎や食堂、応接間、ビリヤード室などは当時のまま保存されている。邸内に入るには、案内人は、英語で説明してくれる「ツアー」に入らなければならない。写真撮影はダメだったが、美しい邸内だった。感心したのは、美しい菜園。花と野菜をうまく配置して、菜園ではないようだ。■ラーナック城■というニュージーランド唯一の城もある。大富豪であり政治家でもあったウィリアム・ラーナックが妻のエリザ・ジェーン・グイズと共に暮らすために建造した。城には43の部屋と大広間があり、46人の使用人が働いていた。ダニーデン市の中心部は、8角形に区画整備された「オクタゴン(Octagon)」と呼ばれる広場をもつ。ジョージ通りを中心に8角形に区画された広場周辺には、セント・ポール大聖堂(英国国教会大聖堂)、ダニーデン・パブリック・アートギャラリーなどがある。「オクタゴン」と聞いて、思い出したのは「ペンタゴン」。9.11のアメリカ同時テロで狙われたのは、ワールドトレードセンターと、ペンタゴン。「ペンタゴン」という意味は5角形という意味だが、オクタゴンとは・・・。そういえば、8本足のタコのことをオクトパスというな・・・。■三角形 trigon トリゴン■四角形 tetragon テトラゴン五角形 pentagon ペンタゴン六角形 hexagon ヘキサゴン七角形 heptagon ヘプタゴン八角形 octagon オクタゴン九角形 nonagon ノナゴン十角形 decagon デカゴンというらしい。 ニュージーランド銀行(BNZ)はダニーデンに拠点を構え、世界各地への送金業務を担当するなど、金脈の発見ニュージーランドの経済に繁栄をもたらした。およそ10年でゴールドラッシュは終焉するも、経済的繁栄によりダニーデン市内にはビクトリア様式、エドワード様式の建物が数多く建造され繁栄の歴史は現在でも市内各所で見ることができる。 なのに、「ことりっぷ ニュージーランド」には、ちょっとしか載っていないのは残念だ。▲オルヴェストン邸の正門すぐそばにあった郵便ポストまで可愛い。▲オルヴェストン邸のキッチンガーデンに続く裏庭。・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.01.29
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■1月13日~14日■ダニーデン■オタゴ大学や150年の歴史を誇る男子高校■、■壮麗なダニーデン駅■と町中がオアマル石と黒い石のシックなスコティッシュ建築のダニーデン。この町は、個人のヴィクトリアン建築も多い。私たちが2泊した■B&Bディーコンズ コート Deacons Court ■もビクトリアン。しかもピンクの薔薇が咲く庭付きという美しいB&Bだった。1階の3部屋が客室でトイレ、洗面、シャワーが共同だけれど、ガラス張りの美しいテラスで食べる朝食は、日本では味わえないもの。夏だと、ガラス張りは暑いだろうと思うが、ここ、ダニーデンは南極に近く、夏でも暑くて20度くらい。朝晩は肌寒く、日中も木陰に入ると肌寒いので、ここは明るく暖かいテラスは、いい。ただ、紫外線が・・・。私たちの部屋には白い暖炉がついていた。調べなかったけれど、これも■オアマル石■に違いないと思う。部屋の真裏はキッチンになっている。そのキッチンについているのがこの暖炉。木でできている素朴なもの。キッチンは、煮炊きしたりして、汚れやすいから実用本位の暖炉にしたのだろう。今は、リネンが積んである。2つの暖炉を一か所にまとめてあると、煙突が1本ですむからだろう。もちろん、今はどちらの暖炉も火を入れることはない。暖炉の側に、スケールを置いてある場所があった。この場所をよく見ると、小さな四角い穴を蓋しているのが分かる。出来上がった料理をここから出したのではないかと推測する。ゲストの使う1階とオーナーの使う2階は、入口が違うのでお互い、気を使わなくてもいいようになっている。キッチンは、いつでも使えるので私たちは、真夜中でもこのキッチンでお湯を沸かしてコーヒーや紅茶を飲んだ。キッチンは使いやすい現代的なもの。ヴィクトリアン様式の玄関は2つあって、右がゲスト用、左は家の人用。もちろん、左の玄関には入っていないが、階段があるのだろう。ゲストの使う部屋からは階段は見えない。私たちの泊まった部屋の腰板は、斜めにはってあった。玄関の左側にあるガレージを隠す扉にも同じく斜め張りだった。隣の部屋は空いていて、のぞいてみたら、パッチワーク風のかわいいベッドカバーがしてあった。ニュージーランド人の奥さんは気さくで、これまで泊まったどんな所よりも、素晴らしいB&Bでダニーデンに行くなら、■B&Bディーコンズ コート Deacons Court ■をおすすめしたい。・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.01.29
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■1月13日~14日■ダニーデン1900年代初期ニュージーランドの商業の中心都市として栄えダニーデンに、その当時の繁栄を象徴する壮麗な建築物のひとつとして1906年にダニーデン駅が完成しました。(▲ここは駅のカフェの入口)(▲美しい通路)黒色の玄武岩にオアマル産の白い石灰岩の縁取りに特徴のある、豪華な装飾が施されたフレミッシュ・ルネッサンス様式の見事な建築物としても有名で、建物には改修が加えられ、現在でも当事の壮麗さをそのままに残しています。「天井に施された繊細で美しい装飾をはじめ、建物全体が瀟洒な雰囲気に包まれています…….トイレなど衛生設備までも豪華そのものです」と、当時発行されていた新聞イブニング・スター紙では、完成したダニーデン駅の素晴らしさをこのように絶賛。これが駅?と思うくらい豪華で瀟洒なダニーデン駅は建物自体がアートだ。(▲貨車のモザイク床)チケット予約ホールのモザイク床には、英国王室御用達ロイヤル・ドルトン製の磁器タイルが75万枚も使用されています。全長1キロのプラットホームはニュージーランドで一番です。 毎年10月にこのダニーデン駅で開催される南島最大のファッション・ショーでは、この長いプラットフォームがキャットウォークになりモデルが歩きます。 現在ダニーデン駅を発着する列車は景観美しいタイエリ峡谷を訪れる観光用列車のみ。この日は、港に大きな客船が入って来ていたので賑やかだった。地上階のほとんどはレストランとして、2階はアート・ギャラリーとスポーツ関連の展示ギャラリーとして使用されています。 2階のステンドグラスに汽車が・・・。ダニーデン駅は一般公開されているので、建物外から美しい外装を眺めるのはもちろん、屋内を歩いて建物各所を飾る素晴らしい装飾を鑑賞することもできます。チケット予約ホールのモザイク床には、英国王室御用達ロイヤル・ドルトン製の磁器タイル。いずれも、鉄道に関係した模様になっている。「NZR」はニューランドレイルウェイの略。壮麗なダニーデン駅は、駅前の花屋植え込みも美しく市の名所だ。■ダニーデン駅■・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.01.28
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■1月13日~14日■ダニーデン■ガーデン都市クライストチャーチ■から■映画のセットのような町オアマル■、その次の町はダニーデンだ。1848年にスコットランド自由教会からの移民たちにより開拓されゲール語でエディンバラを意味するダニーデンと名付けられる。現在でも「南のエディンバラ」と言われるほどスコットランド文化を色濃く残す街として存在する。ダニーデン(英:Dunedin, マオリ語:Ōtepoti)は、ニュージーランド南島オタゴ地方に所在する街。人口は118,683人(2006年)。南島で二番目に大きい町で見どころが沢山あるので、日本人ガイド氏に案内してもらった。(▲オタゴ大学)オタゴ大学のある街として学園都市の機能を持つ。■オアマル石■を使った大学は、この町の名所のひとつ。オタゴ大学のベイウインドウが華やかで、美しい。学生は夏休みでいなかったが、今も使われている。1861年にダニーデン近郊ガブリエル渓谷で金脈が見つかりゴールドラッシュが起きる。アイルランド、フランス、ドイツ、イタリア、中国など、世界各地からの採掘者が訪れ、ダニーデンの人口は増加し、産業物流拠点として栄えた。現在の町並みはイングランドの面影を残すクライストチャーチとは異なり、スコットランドの面影を多く残す街として存在する。スコットランドからの移住者の子孫が現在も多く住んでいる。(▲150年の歴史を誇る男子高校)地域人口のおよそ15%は学生であり学園都市として有名な土地柄。門もすばらしい。この学校を見ていると、「ポーの一族」のエドガーとアランを思い浮かべる。オアマル石と黒い石の組み合わせがシックな建物。ここでは、高校と大学の写真だけだが、町中、ヴィクトリア時代の建物が・・・。私たちの泊まったB&Bもヴィクトリアンな建物だった。一地方都市がなぜ、こんなに立派なのかというと、実はダニーデン、ニュージーランドの首都候補だったのだそうだ。続く。・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.01.28
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私の子どもの頃、今の季節の野菜は、■白菜■大根、ニンジン、■ホウレンソウ■、春菊そして水菜を思い浮かべる。特に、みんな水菜が大好きだった。家の前の畑に霜が降りると「霜が降りたから水菜が美味しゅうなる」と喜んだ。 寒さが厳しくなって、霜が降りると、水菜は柔らかくなる。寒さの今が食べ時というわけだ。そこで、クジラの肉を買い、ナベをする。少しのクジラ肉とたっぷりの水菜に醤油、砂糖、水を加えて焚く。 畳の上に、板を乗せ、七輪を置いて、水菜の鍋を置き家族で、それを囲むのだ。妹は、小さいので、少しでも届くようにと枕に座らせたり、一升ますをひっくり返し、座らせた。大人も子どもも「霜が降りて、水菜が美味しゅうなった」と言いながら食べた。 先日、30年前に写した子どもと私たちのナベを囲む動画が見つかった。長女10歳だと思う。当時流行していた「なんてたってアイドル」を歌っていた。6歳と思われる次女は、髪の毛を自分でまとめていた。昔からあの子は、おしゃれだったのだ。30代の私たち夫婦も喋りながら、鍋を囲んでいた。この動画を見て、30年前、子どもたちが小さい頃を思い出した。60年前の私の子どもの頃は、動画がないけれど、鮮明に覚えている。どちらも、遠い昔の冬の食卓の風景・・・。・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.01.26
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ニュージーランドは、鉄道はあるにはあるが、一日1本。しかも、行く場所が限られている。今回は、1月10日にクライストチャーチでレンタカーを借り、以後それで移動した。B&Bのオーナーにお願いしてレンタカーと日本語のカーナビの手続きをお願いした。ニュージーランドは、町から町をつなぐ複数の道がない。日本のように、高速道路、バイパス、一般道路というようにない。A市からB市に行こうとする時、数十キロもまっすぐ行くことが多い。真っすぐといっても、ウネウネと曲がった道を真っすぐに行く。■カーナビ■そんな時ナビは、「この道を○○キロ道なりに行ってください」という。「ハイハイ、分かりました」とばかり進む。夫は「『道なり』という言葉、はじめて聞いた」というが、私はよく聞く。「成り行き」というように、「自然にそうなる」ということが「なり」で道をゆけば自然に着くというこどだと思う。またナビ譲は控えめで、私たちが道を間違えると「出来るだけ早目にUターンして下さい」と丁寧にいう。「出来るだけ早目」ってはじめて聞いたわと私。■ガードレールがない■ニュージーランドには、高速道路はない。一車線(対向二車線)ずつの道を田舎だと、100キロで走ってもよい。ガードレールは、見たのは数回で、ほんの数か所。ニュージーランドでは、運転の下手な人のために、車に乗らない人の税金を使うわけにはいかないというのがポリシー。 ■駐車場■駐車はほとんど、無料。<5>とか<60>、<120>など書いてある標識があり、5分以内、60分以内、2時間以内という風にすぐわかる。大きな町の通りだと、このようなコインパーキングがある。10日間で、数回使ったくらい。B&Bに「駐車場あり」とあったので、「どこに留めましょうか?」というとここに置いてと家の前に置くように言われた。(下の写真)人の邪魔にならなければいいという、おっとりした態度だ。日本のような大型の屋根のあるパーキングに留めたのは、クイーンズタウンだけ。■スピード■100キロの表示を見て走っていると、急に60キロになる。「???」と思っていると、小さな村や町が現れる。町や村はあっという間に過ぎるから、また時速100キロで走る。私たちは、2割引き、100キロなら80キロで走っていた。一車線(対向二車線)ずつで、追い越し禁止の黄色い線があったりして、後ろから来る車はイライラするだろうなという時も、「あと、2キロで追い越し車線あり」の標識があり、そこだけは、車線が増えている。■ランドアバウト■ニュージーランドの田舎は、信号機がなく交差点は■ラウンドアバウト■とよばれる。「Give Wayギブ ウエイ」という標識もあって、信号がなくても、ちゃんと車は流れていた。私は、日本に帰ってきたけれど、シルバー色のレンタカーは、まだニュージーランドを走っている。・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.01.25
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■1月12日(火)■古い建物が残るオアマル■の宿は、「B&Bチムニーズ」。広い庭と2本の煙突のあるこの家のオーナーも日本人。庭には、真っ赤な実のなる木があって、食べたら美味しかった。日本人オーナーは、10年ほど前、この古い家を手に入れたそうだ。当時、住んでいたのは、老人ただ一人だったので、使っていたのは、1階のキッチン、リビングのみ。他の部分は、使っていなかったので、ボロボロの状態だったのだという。(▲ラウンジ)1910年築のオアマルストーンとNZの素晴らしい木材で作られたオアマルらしい歴史のある建物を1年以上かけてDIYで改装したオーナー自慢の家。その結果、本の表紙に取り上げられるほど、価値のある家として生まれ変わった。家に興味を持ったオーナーは、この家の歴史が知りたくなり、調べた。この家は、医者の家だった。それもかなり、手広くやっていたらしく、この家の近くに診察室、手術室があった。▲2階の客間のひとつ。この家を設計した人もニュージーランドでは有名な人だということがわかった。このことは、ニュージーランドの新聞にも大きく報道されていた。この家についての資料も沢山あったが、あいにく英語はダメなので・・・。(ノД‘)客は1階のラウンジで、お茶をしたりテレビを見たりできる。もちろん、インターネットもできる。そのラウンジには、家の設計図が額に入れてかけてある。昔、この家で大きくなったという女性がこの家がB&Bをやっているということを知り、泊まりに来て、その時、設計図をくれたという。古い家には人の生きた歴史がある。この2階の手すりは、赤ん坊が落ちないようにとの親心だったのだろうか?オアマルがもっとも繁栄していた当時を感じるこの家は残念ながら売りに出すという。だから、あなた方が最後のお客だとオーナーは言った。売りたくないんですけどね、とも・・・。「10年でもこんな素敵な家に住めて、よかったですね」と私は言った。この家に住んだことは、本物を見たこと。本物を知るのと知らないのとでは、感じ方が違う。人が家を選ぶと思うけれど、実は家に選ばれている・・・。この家とオーナーを見ていてそう思った。▲木で出来たトイレホルダー。▲トイレの窓についている金具もいちいちかわいい。▲トイレの窓についた金具は錆びているけどかわいい。ビクトリアンやなぁ~!!▲洗面所。真似したい!!▲これは、近くで見た門。これなら真似できそう。・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.01.24
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■1月12日(火)クライストチャーチを出て、オアマルに向かった。このオアマルという名前、■マオリ語■の地名なのかもしれない。■オアマル(Oamaru)は■ニュージーランド南島オタゴ地方北部の町。クライストチャーチから南へ約350Km、車で約4時間、ワイタキ川沿いに位置し、太平洋の海岸に沿いに位置する。19世紀半ばに捕鯨基地として入植が始まった。オアマルストーンとよばれる良質の石灰岩を産し、この石材を用いたビクトリア様式の建物が多く残っている。ヨーロッパから、このオアマルに入植者が沢山のやってきた。そこで町が必要となった。石造りの建物になったのは、木材よりオアマルストーンという白い石灰石が近くでとれることで石材の方が調達しやすかったからだという。現在(2001年)の人口1万2693(2001)は少ない。ニュージーランドとしては、多いのだが・・・。かつては、もっと多くの人が住み活気に溢れていたことだろう。そのオアマルがさびれたのは、港に大型船が入れないこと。19世紀半ばから20世紀のはじめまでオアマルは栄え、その後、忘れられた。だから、新しいビルを建てる必要もなく、それだけに、完全な形で残っている。それを利用して、映画やテレビの撮影がよく行われるそうだ。今でも、車がなく、歩いている人の服装が変われば、19世紀の町になるのだ。かつては鉄道も通り賑やかな駅だっただろうが、今は通る電車もなく、カフェになっている。眠っていた町は今、古い町並みが残る町として目を覚ました。また、郊外にはブルー・ペンギンやイエロー・アイド・ペンギンなどのコロニーもあり、ペンギンの観察が簡単に出来ることでも多くの観光客が来始めている。右側に太平洋が見えるがらんとした駅のホームを見ていると、なかにし礼の作詞した■「石狩挽歌」■を思い出した。♪今じゃさびれて オンボロロ オンボロボロローロ・・・この捨てられた感がいい!!盛者必衰、諸行無常、・・・。・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.01.24
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■ガーデン都市■クライストチャーチ市内を流れるエイボン川。そこで、パンティング(ボート遊び)をした。ハグレー公園のインフォメーションセンターで、チケットを買うとき、町を回るトラムと一緒に買うとお買い得!!ボート乗り場も緑と白のストライプで清々しく、クラッシック!パンティングというと聞きなれないが■柳川掘割を下るような■舟遊び。違っているのは、舟の形と船頭さんの衣装。ちなみにこちらは、船頭さんと言わず、パンターというそうだ。パンターの衣装は、白いシャツにサスペンダーにストローハットがマストアイテム。シャツの上にベストの人もいて、イギリスのエドワード朝スタイル。舟の形も違う。映画「眺めのいい部屋」みたいに優雅だ。違うのは、乗っている私が老人で■平たい顔族■というだけ。何よりも、木の大きさにビックリし、あっという間に時間が過ぎる。乗り場は、ハグレー公園のそばにあり、カフェやランチが出来る。 パンターは若い白人だけだった。クライストチャーチ、一押しの場所。■旅の宿■MINNA House■1月10日~11日日本人オーナーの宿。日本式のシャワーで洗ってから、バスタブに入ってぬくもる。夏とはいえ、肌寒いクライストチャーチでは嬉しかった。それにオーナー夫婦の作る絶品料理は、絶品!!こちらでは、空港に送ってもらったりして、本当にお世話になりました。 デザートの盛り付けは参考になります。イカのサラダは、これまた作ってみたいと思うほど印象的だった。・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.01.23
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■2016年1月9日■■クライストチャーチ (Christchurch)■ は、ニュージーランド第三の都市であり、南島最大の都市。庭園の美しい都市として知られており、別名「ガーデン・シティ」。ガーデニングが盛んで、個人の邸宅の庭園を訪れるガーデン・ツアーもこの街ならではの楽しみの1つである。というわけで、ガーデニングツアーに参加した。泊まっていた「キーウィー・ハウス」に車で迎えに来てもらい、市内の各地を回った。最初に訪ねたのは、老婦人がひとりで住む家。去年、ご主人が亡くなり、ひとりで花の世話をしている。庭には、薔薇、アジサイ、マーガレット、マグノリア・・・。この季節は、花が競って咲く。 小さな野菜のコーナーと温室には、トマト、キュウリまで作っている。ひとりで、大変だと思うのだが、ニュージーランドは、日本のように、虫がいないので薔薇なども難なく咲くらしい。「手入れにどのくらい時間をかけているんですか?」私が質問すると、「ずーっと、毎日です」と老婦人はにこやかに答えた。この後、行ったのは、美しい町並み。どの家も競って、庭を作っている。しかも一部は道路の横に作っているので歩く人が楽しめる。クライストチャーチでは、ガーデニングコンテストがあるが、この通りは「通り部門」で賞をもらったという。最初に訪ねた家も何回も賞をもらっているそうだ。歩行者用道路には、芝生があるが、この芝生の管理は市ではなく、この芝生の前の家。日本だと、やれ枯れ葉が飛んでくるからなんとかしろと市に文句をいい挙句の果てには木を切ってしまうこともあるのとくらべれば大違いだ。工場なども庭園を持っている。ここは、パン工場。そして、市内の各地に緑地があり、美しい花が咲いている。その代表がハグレー公園 (Hagley Park) 。薔薇園があり、アジサイ、マグノリア・・・があちこちに今が盛りと咲く花は、ガーデン都市の名に恥じない。■ニュージーランドひとくちメモ■植民者を率いたジョン・ロバート・ゴッドリーらがオックスフォード大学クライストチャーチ・カレッジの出身であったことが、この街の名前の由来となっている。クライストチャーチ (Christchurch) : 「庭園都市」("The Garden City") の愛称で知られる、南島最大の都市。 ■ニュージーランド2016■■1月7日(木)関空より出発■1月8日(金)ニュージーランド(NZ)クライストチャーチ(CH)着市内散策。■1月9日(土)NZ・CH ガーデニングツアー■旅の宿■Small Kiwi House■1月8日~9日日本人スタッフがいたので頼もしかった。1泊でも 長期滞在(フラット・数ヶ月)安いドミトリールームでも可能。 ・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.01.22
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キオラ(こんにちは、はじめまして)!!ハエレマイ(ようこそ)!!アオテアロア(ニュージーランド)から帰ってきました。以上、マオリ語だそうだ。■国のタオンガ(宝)と位置づけられているマオリ語■を話すのは全人口の23%です。現在もマオリ語の復興を掲げて、いくつもの取り組みが進められています。「マオリ語週間」をはじめ、マオリ語学学校(幼稚園から高校まで)やマオリ語テレビ局が、その役割を果たしています。 日本では、アイヌの言葉や琉球の言葉が絶滅寸前。なんとか守れない物だろうかと思っていたがニュージーランドの取り組みは素晴らしいと思う。それにしても、NZ(ニュージーランド)は遠い。関空からシンガポールまで7時間。シンガポールからNZのクライストチャーチまで10時間!!おまけに帰りはひとりでシンガポール空港で6時間待ち。その時は、倒れるかと思った。・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.01.22
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「星の王子さま」砂漠に飛行機で不時着した「僕」が出会った男の子。それは、小さな小さな自分の星を後にして、いくつもの星をめぐってから七番目の星・地球にたどり着いた王子さまだった…。一度読んだら必ず宝物にしたくなる、この宝石のような物語は、刊行後六十年以上たった今も、世界中でみんなの心をつかんで離さない。最も愛らしく毅然とした王子さまを、優しい日本語でよみがえらせた、新訳。■今年は本が読みたい■と年頭に言ったが、その最初に読む本は、「星の王子さま」。先日、映画■リトルプリンス 星の王子さまと私■を見て王子さまやキツネの言葉に涙が出た。その時、この本を再読しようと決めた。■ニュージーランド■に行くが、帰りの乗り継ぎが7時間ある。その時、読もう。読んでも、また読み返そう。映画の中でキツネが言っていたが、王子さまに「なつく」には時間がかかる。■ジェイン・エア■や■赤毛のアン■■十五少年漂流記■などなど、若い頃に読んだ本は、何度も何度も読み返した。その本は、私になついている。それらの本と私には「絆」が出来ている。「星の王子さま」もそんな本になってほしいと思いながら、旅行鞄に入れた。さあ、でかけよう。・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.01.07
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■ニュージーランドに行く■用意をしているが、 海外旅行に行くたびに荷物が増えているような気がする。40年以上前に行った時は、リュック一つという身軽さだが、今回、はじめて、iPadとiPadminiを持っていく。もちろん、充電のためのケーブルやらなんやらで大変。夫は、ノートパソコンを持っていく。ケイタイは、現地で借りるつもりだけれど、使いこなせるかな・・・?もちろん、今使っているガラケーも持っていく。出発前に連絡したいことががあるかもしれないから・・・。それよりなにより、薬の多さ!!!年末年始に歯が痛くなって、それに伴い、胃も痛み出した。今日、病院で胃薬ももらってきた。薬が無くては、どうもいかないので、手荷物とトランクに入れた。もし、手荷物が無くなった時は、トランクの方を使う。日本より紫外線の量が7倍も多いニュージーランドへ行くため、日焼け止めクリームをたっぷりと帽子も忘れずに持った。 2009年9月■娘がイギリスに行った時の荷物■の多さにビックリしたが、今は私も同じくらいに多い。人間はなしですまされるものが多いほど、それに比例して生活は豊かである。 (ヘンリー・D・ソローのことば)・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.01.06
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幕末の京都に生まれ、女性参政権がなかった明治期に、炭坑事業、銀行や生命保険事業に従事し、日本で初めての女子大設立に尽力した広岡浅子の生涯、NHKの朝ドラ■「あさが来た」■を楽しみに見ている。あさは、京に生まれ、大坂に嫁ぐのだが、当時の交通は、徒歩か船。京から大坂までは、下りだと半日で行けた。多くの船が行きかっていただろう。京の鴨川の近くを流れる高瀬川をご存知だろうか?かつては、ここも荷物の運搬に使われていた。しかし、小舟が一艘しか通れないほどの川幅。すれ違うことが出来ないのだ。だったらどうするか?下り、京から出て行く舟は午前中、午後からは、上り、大坂からの舟というように決めていたそうだ。数年前■大阪あそ歩■の京都版に参加した時に聞いたトリビア。また、大坂から京に行くのは徒歩だったようで、ドラマの中で、「まぁ、まぁ、わざわざ、舟で来てくれたんでっか?」と聞いていた。京から大坂に行くのは、舟、その反対は、徒歩というのが、江戸時代の京・大坂の交通。近い方だったんだろうが、日帰りは無理。今は、JR、阪急、京阪、近鉄と選べ、JRなら30分以内。日帰りどころか、通勤距離だ。■淀川の船運■ 現在のように道路や鉄道など陸上の交通機関が整備されていない時代に、船による水上輸送は、人や馬による陸上輸送よりも安定した輸送方法でした。淀川のように比較的流れが穏やかで、豊かな水量を持つ川は、水上輸送に適していたため、最盛期の江戸時代には京―大坂間で人や荷物を運んだ*「三十石船」*や、枚方あたりで船客に飲食物の商売を行う「くらわんか舟」など1000艘以上の船が行き交いました。 ■江戸時代に淀川と並んで■京―大坂を結ぶ交通路として利用されたのは「京街道」と呼ばれる街道でした。京街道は豊臣秀吉が、慶長元 (1596) 年に淀川左岸沿いの京―大坂間に築いた「文禄堤」の上を道として利用したもので、京と大坂を直通する初めての道となりました。江戸時代になると宿駅が設置され主に大坂から京都へ向かう際に利用され、明治時代には国道となりました。京街道には伏見、淀、枚方、守口に宿駅が設けられ、大名行列の武士をはじめたくさんの旅人に利用されました。紀州藩の大名行列が通ったこともありましたが、京街道の利用は、大坂から京へ向かういわゆる「上り」の利用がほとんどでした。これは多くの人が京から大坂へは淀川の舟運を利用したためで、京街道の宿は片道だけ利用され「片宿」と呼ばれました。 **「三十石船」** 京―大坂を結んだ貨客船。江戸時代末期頃には1日平均約1500人と800トンもの貨物を運んでいたといわれています。大きさ:長さ約17m、幅約2.5m定員:船頭4人、乗客28人所要時間:上り (大坂から京) 約1日、下り (京―大坂) 約半日 ・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.01.05
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今年も■老前整理■にいそしもうと思っている。いろんなものを片づけている(まだ途中)。老前整理の道は遠し!!■ニュージーランド■に行くので、今回は、外国のお金の整理をしようと思う。昨年7月■北欧に行った時にも■持っている小銭を処分しようと▲デンマーク、スウェーデン、ノルウェイのコインを分けて持って行った。この3国はヨーロッパにありながら、ユーロを使っていないので、ここぞとばかり意気込んでいた。しかし、30年以上前のコインで使えなかった。(ノД‘)そんなことがあるのは嫌だから、外貨は、なるべく持たないでおこうと今ある外貨から使うことにした。▲30年以上前に作った米ドルのチェックが、少し残っていた。以前は、カードなど使えないし、現金を持つのは危険ということで、トラベラーズ・チェックを使った。そのお金が眠っていたのだが、今回の旅行で使おう。今後、チェックなど作ることはないだろうから、記念にパチリ。ユーロ札が数千円分。ユーロ札は、2002年に娘と3人で行ったパリ以来使っている。というのも、最近は、飛行機代、ホテル代は、日本で支払っていくし、ブランド漁りはしないのであまり使わないのだ。今、整理をしていたら、2002年5月8日、670ユーロを関空で買ったという計算書も出てきた。日本円で、74370円。当時のレートは、1ユーロが111円となっている。今のレートは130円だ。これも記録に残して清算書は処分。それにしても2002年の清算書を持ってなにになるの?と自分にツッコみたくなる。小銭が余った時は、飴などを買い、それでも残ったら前回と同じく、飛行場にある、募金箱にいれてこよう。・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.01.03
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今月、ニュージーランドに行くことになった。南半球ははじめて。ニュージーランドってどんなとこかまったく知らない。ただ知っているのは、以前、友人と見た映画「ピアノ・レッスン」の舞台というだけ。でも、ニュージーランドには、日本人の経営する宿が沢山あることが分かったので少し安心。■ニュージーランドにある日本人経営の宿泊施設■■ニュージーランドのYH■■オプショナルツアーなどなど■■ニュージーランドの遊び方■★クライスト・チャーチ★■Kiwi House■ ■MINNA HOSE■■クライストチャーチYMCA■★オアマル★■チムニーズ■★ダニーズデン★■ディーコンズコート■★クィーンズタウン★■SPA B&B Therapeutic MassageHP■■リーバースロッジ■★ワナカ★■ささの木■■ささの木HP■★テカポ★■ザ ゴッドリー ホテル■ ■ピアノ・レッスン■[ストーリー]燃えあがる愛の・・・ピアノは私。19世紀半ば。エイダは娘のフロラとピアノとともに見知らぬ男のもとへと嫁いでゆく。口のきけないエイダにとってピアノは言葉の代わりであり、全てだった。しかし夫のスチュアートはピアノを海辺に置き去りにし、粗野な男ベインズの土地と交換してしまう。エイダに興味を抱いたベインズはレッスンと引換えにピアノを返すと約束をする。警戒しながらもピアノを弾きに通うエイダだったが、ベインズとの“レッスン"は次第にエスカレートし、ふたりはいつしか愛と官能の炎を燃え上がらせていくーー。【解説】女性監督ジェーン・カンピオンが描く、エロティックで、神秘的で、繊細さの溢れた極上の映像美。・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.01.02
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みなさま、あけましておめでとうございます!!自分の感じたことを好きなように書いているので、あまり役立つことは書いてないのに、沢山の人に読んでもらって恐縮しています。さて、今年は、本が読みたいと思っています。子どもの頃から読書は好きだったのに、最近読んでいない。 その原因は、やはり、目が悪くなったから。もうひとつは、ネット。本を読むより、ネットを見る時間が多い。映画に行くのも原因かも知れない。本で読むところを、映画で代行しているのだろうか・・・。また、図書館が遠のいたのも原因かも。以前は、移動図書館が近くに来ていたのに来なくなった。(ノД‘)去年8月、会社を辞めたし、読みたい本のリストも作ってあるから、今年は本を読んでみようかなと思う。 読みたい本は、ここでも書いていこうと思う。これは読むべきという本があれば、教えていただければ嬉しいです。今年も、どうぞよろしくお願いします。m(_ _"m)・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.01.01
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