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■映画を見に行った時、待ち時間が1時間なら、ぶらりとショッピング。2時間なら、ショッピングとカフェ。3時間なら、映画を1本。こんな風に過ごします。ところが、先日の*「不都合な真実」*を見た日は、待ち時間がなんと、7時間とギネス的数字!!!で、私は、その時間で京都に行ってきました。大阪~京都は、京阪だと往復2時間。運賃が片道、380円*2(チケットスーパー価格)=760円。夕食を食べようと寄った、*「竹富」*は、12月で店じまいしてました。 嗚呼、残念・・・。_| ̄|○■あのブログが、テレビに!!11月の「おしゃれ手紙」:オススメなブログ で紹介した、夏目さんの■片付けられない女■が、雑誌に紹介。と思っていたら、今度は、テテテテ、テレビに・・・。(゚∇゚ ;)夏目さんは、声で出演だそうです。ヽ(゜∀゜)ノ■1月のブログさん。新たにリンクしていただいた方たちです。ありがとうございます。m(_ _)m■りら■地球の上で遭遇したモノ、コト、ヒトたち、昔の記憶、今とこれから。■紅ずきんの日記■文化系乙女。運動は嫌い。綺麗なものが好き。英語オンチだけど旅行好き。■12月の「おしゃれ手紙」■■今月の書き残し。*「産む機械」発言。*淀屋*田辺聖子*エコサンデー・・・・・・・・・*カレンダー*ターシャ・テューダーの庭*「東京タワー」*「氷点」*夕張市*京都・白川*京都のカフェ、六花(ろっか)*絵本*「芋たこなんきん」*かわいそうな木*手作り*飛騨高山*地名*打ち水*校庭映画会*環境首都*映画「嫌われ松子の一生」■□■映画07.1月の映画■□■■□■上海の伯爵夫人■□■1.7■□■二人日和■□■京都の魅力満載*1.21■□■不都合な真実■□■エコサンデー*1.28 ◎人気blogランキングへ◎◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★1月30日*数字がつくる言葉* UP・・・・・・・・・・・・・
2007.01.31
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「不都合な真実」を見てきた。とうとうここまで来たかという気持ち。環境問題の映画を、しかも、ストーリーなどない、*ゴア元副大統領*の講演を記録した映画を普通の映画館で見られるというこのことに、ビックリしている。私が行ったのは、1月29日(日)。この日は、500円で見られる日、「エコサンデー」。私は2時前に行ったのに、次の回も、その次の回も、またその次の回も満員。やっと、夜の9時の回で見ることが出来た。「エコサンデーキャンペーン」とは。テトラパックpresents エコサンデーキャンペーン決定!!“エコ活動”に積極的に取り組んでいる日本テトラパック株式会社のサポートにて、「不都合な真実」が500円で鑑賞できる「エコサンデーキャンペーン」を行なうことが決定いたしました。「地球温暖化」へのメッセージを一人でも多くの方にご覧頂きたく実現した画期的な企画です!●エコサンデーキャンペーン 開催日●2007年1月21日(日)2007年1月28日(日)2007年2月 4日(日)2007年2月11日(日)●対象劇場●TOHOシネマズ六本木ヒルズTOHOシネマズ川崎TOHOシネマズ名古屋ベイシティナビオTOHOプレックス TOHOシネマズ二条 ■あらすじ■人類にとって、ただひとつの故郷である地球は、今最大の危機に瀕している。年々、上がり続ける気温のせいで、地球体系が激変し、植物や動物たちは絶滅の危機にさらされる…。傷ついた地球を救うため、立ち上がったのは、アメリカの元副大統領、アル・ゴア。孤高のサムライは、人々の意識改革に乗り出すべく、環境問題に関する講演を世界中で開き、地球の危機を訴えてきた。「不都合な真実」はそんな男の勇気と希望に満ちた闘い、そして、同時に「人類が滅亡するまでの真実のシナリオ」を明らかにする。全米で公開されるや、77館のみでの上映にもかかわらず全米トップ10入りして、スクリーン数を約600館に拡大。「華氏911」以来の衝撃的な大ヒットドキュメンタリー映画。ゴア氏はこの講演会を1000回以上こなしているという。そんな、地に足の着いた地味な活動が映画化され、アカデミー賞にも2部門でノミネートされるなど、日の目を見ることが出来た。ここ数年、世界各地で続く洪水、ハリケーン、熱波などの自然災害や異常気象。映画は最後に呼びかける。リサイクルをしよう!木を植えよう!使わない電気製品はスイッチを切ろう!公共交通を使おう!環境問題を真剣に考える議員に投票しよう!もし、そんな候補者がいなければ、自分が立候補しよう!映画を見よう!映画を見るよう人に勧めよう!◎地球を救う127の方法◎ ◎人気blogランキングへ◎◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★1月29日** UP・・・・・・・・・・・・・
2007.01.29
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「大阪には、どの家にもたこ焼き器がある。」だいぶ前の、「探偵ナイトスクープ」のネタ。うちの近くで一人暮らしをしている娘、レイは、たこ焼き器を持っている。うちには、たこ焼き器はないけれど、よくお好み焼きをする。関西、特に、大阪人はコナモン・粉もんが好き。大阪の食文化を語る上で欠かせないのが、うどん、たこやき、お好み焼きなどの「コナモン」。では、なぜ、大阪でコナモンが?江戸時代、大阪は天下の台所として栄えた。諸国から運ばれた物資は、まず、大阪に運ばれた。その中には、松前船で運ばれて来た北海道の昆布や、土佐の鰹節があった。それらでとったダシと身近で手に入りやすかった粉を組み合わせたのがコナモン。大阪のコナモン文化は、ダシ文化と密接につながっているからだそうだ。これは、平成18年度 大阪の食文化講座(3回)での話。去年からヒマだったのに、この講座に行けばよかったわ。そんな思いから今年は、いろんな講座を受けようと、先日もさっそく行ってきました。 ◎人気blogランキングへ◎◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★1月27日*トリビアの井戸:なぜ雨や雪は「こんこ」と降るのか。 * UP・・・・・・・・・・・・・
2007.01.27
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中学2年の時、岡山から*兵庫県・龍野市*に引っ越した私たち一家の住まいは父母の働く工場の一角だった。素人が作った、簡単な作りで、二つの部屋と小さな台所ががあった。屋根と壁ははトタンで、雨が降れば、バラバラと大きな音をたてた。トタンの壁を切って、つっかえ棒で開け閉めする、窓がついていた。夏はトタンが焼けて暑く、冬は、隙間風がびゅうびゅう吹いた。45年ほど前の、その日も寒い日で、私は、夜になると、早々と布団にもぐりこんだ。朝、あまりの寒さに、目が覚めた。布団の上に、雪が積もっていたのだった。雪は、トタンの壁にあけた窓の隙間から降りこんでいたのだった。「わー、布団の上に、雪が積もってる」と私たちは、言いながら笑った。父や母も笑った。寒くても、布団に雪が降っても、哀しくなかった。雪が降っても、私たち、子どもは、なんにも心配しないで、楽しく笑って暮らしていた。父や母がいてくてると、なんとかなると思っていた。その後、父母は、顔見知りになった、村の人のつてで、大きな農家を借りてくれた。あの頃は、冬になると、兵庫県・龍野市でも雪が降った。静かな夜に降るゆきは とおい記憶をかき立てる ちちははがいた幼い日 さらさらさらと雪は降る 谷口龍人◎父の麦わら帽子◎ ◎人気blogランキングへ◎◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★1月26日*父の麦わら帽子:目次* UP・・・・・・・・・・・・・
2007.01.26
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そのまんま東氏(49)=本名・東国原(ひがしこくばる)英夫=が宮崎県知事に当選したというニュースでもちっきり。そのまんま東という人は勉強家らしく、マニュフェストを作り、「しがらみのない政治」を訴えたことが、県民の支持を得たのだろう。そう思って、喜んでいたら、ちょっとがっかりな、ことがあった。それは、県議会の議長に挨拶に行った時のこと。「あのマニュフェストは、時間がなかったもので、付け焼刃・・・」と言ったのである。ちょっと、ちょっと、ちょっと!!!宮崎県民は、官民癒着など、腐った県政を立て直そうという、あんたのマニュフェストを頼りに選んだのに、「付け焼刃」はないだろう。本人は謙遜んしたつもりかもしれないけど、この一言で、ガクっ _| ̄|○ときた。「宮崎をどげんかせにゃ(どうにかしないと)いかん」とお国訛りを使ったり、作業着で登庁したり400円の幕の内弁当を食べたり・・・。いかにも、「庶民派」というパフォーマンスも鼻についた。*今回、そのまんま東が知事に出馬するのでは? という噂が流れはじめたころから、地元テレビにはいっさい出演しなったそうです。上からの圧力で、できなくなったのでしょう。それどころか、毎年のようにゲストランナーとして参加し、大会を盛り上げていた青島太平洋マラソンに声さえかけてもらえなくなったといいます。昨年の出馬表明前後に、彼が出演していた番組が、宮崎だけ差し替えられ再放送が流されるということもあったとか。*そんな圧力にも負けずに、当選したのだから、マニュフェストは、そのまんま流を貫いて欲しい。そう思って、スーパーに行ったら、「そのまんまトースト」(写真)がありました。( ̄▽ ̄) ◎人気blogランキングへ◎◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★1月25日*朝まで生テレビ体験記「なにぬかしとるんでぇ」その4/その5 完 * UP・・・・・・・・・・・・・
2007.01.25
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先日、旅行先で、山の中の池に、松の枯葉が浮かんでいるのを見た。「わー、きれい!」と私。「絵描きの、*ゴッホの絵*のタッチに似てるな」と夫。「松の枯葉は、『まつご』言って昔やったら、持ってかえって、家で焚いたのに」と私。私は子どもの頃、大きな籠を背中に背負って、手には、熊手を持って山に、「まつごかき」行った。松の木の下で、枯れた、まつご(松の枯葉)を、熊手で集めた。まつごは、風呂の焚きつけに使うと、ぱちぱちとよく燃えた。けれど、松の枯葉を「まつご」というのは、方言だと思っていた。ところが、「まつご」は、松の枯葉という意味の古い言葉だったのだ。松尾芭蕉が愛弟子の身を案じて旅する途中、あんまり寒いので、ご(松の枯葉)を焼いて手拭をあぶったという句がある。「ごを焼きて 手拭あぶる 寒さかな」 松尾芭蕉 ◎人気blogランキングへ◎◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★1月23日*朝まで生テレビ体験記「なにぬかしとるんでぇ」その2/その3 * UP・・・・・・・・・・・・・
2007.01.23
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■あらすじ■京都の町屋で、神官の装束を作る神祇調度司を務めてきた黒由(栗塚旭)と体の自由を奪われていく難病にかかった妻・千恵(藤村志保)のものがたり。夫、黒由は、妻のリハビリのために、神社の近くで手品を披露していた若者・俊介に、家を訪ねてくれるよう頼む。トランプを持つ、千恵の手は固まっているが、新しい出会い心は安らぎ、子供のいない黒由夫婦はいつしか、俊介の来訪を楽しみにするようになる。やがて、俊介のアメリカ留学の話が持ち上がるが、同じ頃、千恵の病状は刻々と進行していた。・・・・・・・・・・・・京都の街はステキだ。古いものはステキだ。私はそう思う。けれども、人間の古いのは悲しいと最近よく思う。目は、眼鏡をかけなければ見えないし、シワや白髪は悲しい。でも、長年連れ添った夫婦であれば、そのシワや白髪も、許せると思う。夫婦は運命共同体なのだから。その運命共同体の片方の、夫や妻に先立たれることは、どんなにか寂しいことだろう。だから、妻、千恵は言う。「ウチなあ、あんたより、一日でも一秒でも長生きしてあげよう思てたんえ。」この言葉の中にどれだけ多くの愛情があることかと、涙がこぼれた。+++かつて、日本のハリウッドをよばれた京都。その京都で今一度、映画を作りたいというおもいがこの映画を作らせたという。そのためか、きたやまおさむ、 市田ひろみ 、 池坊美佳 など、 京都にゆかりのある人々が友情出演していた。床の間に飾る花が椿から梅に変わる、掛け軸が変わる・・・。この映画は、京都の町屋の丁寧な暮らしを伝えているのも見所。山茶花の咲く初冬から、桜に染まる春、そして、新緑まばゆい葵祭の季節へ・・・。京都の町の静かなたたずまいが、藤村志保にだぶる京都の魅力満載の映画でした。写真は、下賀茂神社。 ◎人気blogランキングへ◎◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★1月21日*朝まで生テレビ体験記「なにぬかしとるんでぇ」その1 * UP・・・・・・・・・・・・・
2007.01.21
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1月20日を二十日正月といいます。この日は正月に迎えていた神様が、それぞれの場所に早朝にお帰りになるという日です。地方によっては前夜に小豆ご飯、尾頭つきの魚などをお供えするところもありました。また、全国的にこの日は正月の祝い納めとして、仕事を休んで物忌みをする習慣がありました。正月のお供えや飾り物などのすべてを処分して、正月の行事を終了します。(略)小正月に実家に帰っていた嫁は、二十日正月には嫁ぎへ戻るというしきたりもありました。今では1月11日に行われる鏡開きも、もともとは二十日正月の行事でした。武家では、具足(ぐそく)や鎧兜(よろいかぶと)に供えた具足餅、鎧餅を雑煮にして食べることを「刃柄(はつ)を祝う」といったそうです。「和ごよみと四季の暮らし」・・・・・・・・・・・・・夫も私も、大の雑煮好き。年末にも早々と、材料を買い込んで、楽しみにしていた。けれども、夫はカロリーを気にし、私は肥満を気にしているので、いつもの半分くらいしか作らなかった。なんだか物足りないな・・・。と思っていたら、昔は20日にも、雑煮を食べていたというではないか!このことを夫に話し、「うちも、二十日正月に、お雑煮しようか?」と言ったら「異議なし!!」という答え。( ̄▽ ̄) 今日は、雑煮を炊きました。それにしても、「刃柄(はつか)」って昔もおやじギャグがあったんだ!( ̄▽ ̄) ◎人気blogランキングへ◎◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★1月20日*骨正月 * UP・・・・・・・・・・・・・
2007.01.20
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フリースは、若者向け、安っぽいってイメージが強くてあんまり、買う気がしなかった。なのに、先日、立ち寄った、ユニクロで、白いフリースのジャケットを買った。裏表使えるタイプ。裏は、もこもこと、羊の毛のような感じがかわいくて、私は裏を出して着ている。軽くて保温性に優れたフリースは、1980年代に登山・ハイキングなどのアウトドア用品の素材として開発されました。冬のカジュアルウェアとしても人気が出始めたのは1990年代。そして、ユニクロが本格的にフリースの製造販売を開始し数年が経った2000年には、ユニクロのフリースは2000万枚を超える大ヒットとなりました。軽いし、暖かいし、安い。そんなわけで、フリースは人気があるみたい。そんなフリースを扱う、ユニクロでは、フリースのリサイクルをやっている。フリースはポリエステルという単一素材から出来ているため、処理が比較的容易であること。ポリエステルは一般的に不燃物として扱われるため、社会や環境への負担となりやすいこと。処分するのに必要な「量」が確保しやすいこと。★リユース*集まったフリースは、発展途上国に贈ったり、★リサイクル*断熱材などの原料に再生、固形燃料に加工してエネルギー原料として使用されます。ただし、ユニクロの製品でないと引き取ってくれないそうです。ユニクロは、他の衣類などもリサイクルを検討中とか。これからは、ユニクロを買おう♪と単純な私は思ってしまう。 写真は、昔からのリサイクル。★左*端切れを色あわせをして、縫う、パッチワークのベビーキルト。★中*さらし布に赤糸で模様を縫い、台ふきにする花ふきん。キルトと花ふきんは、私が作ったもの。★右*宮参り用の晴れ着を使って作ったちゃんちゃんこ。ちゃんちゃんこは、もらいもの。こちらの方がいいとは思うのですが、不精者の私は、フリース・リサイクルに頼る予定。 _| ̄|○ ◎人気blogランキングへ◎◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★1月19日*あそび唄:毬つき唄/花ふきん* UP・・・・・・・・・・・・・
2007.01.18
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先日、夫と、いつものようにディスカッションをした。私「公務員に通勤のための交通手当てはいらない。」夫「遠くから通っている人もいるから、交通費はいる。」私「近くの人を雇えばいい。」夫「広く、有能な人材を集める必要がある。」私「いくら有能な人だとしても、遠くに住んでいたのでは、いざという時に役にたたない。」いざという時とは、地震などのこと。阪神大震災なみの地震が起こった場合、信号機の故障などで、渋滞となり車は使えない。それどころか、阪神大震災の時には、大阪でさえも、電話も使えない状態だった。だから、公務員は、いざという時は自転車で通えるくらいの所に住むべきだと思う。体調が悪いなどの一部の人を除いて、公務員は自転車通勤が理想だと私は思っている。公務員の通勤手段は、電車、バスを利用して、決して車には使わない。もし、私が国の法律を決めることが出来る人だったら、真っ先に、この法律を作る。そう、夫に言った。例えば、京都から神戸・三ノ宮まで車だとCo2の総排出量は12.6Kg。それに比べて、電車だと1.3Kg!非常時の時だけでなく、地球温暖化防止のためにも、公務員は通勤に車を使ってはいけないと思うのです。◎地球を救う127の方法:交通機関◎ 道に溢れる車、車、車・・・。慢性的な交通渋滞と駐車場不足。排気ガスから大気中に放出されるCO2は、地球温暖化の原因になっています。3C(カー、クーラー、カラーテレビ)に象徴された高度経済成長と交換に私たちが失ったものは、地球の未来というかけがえのないものだったのかもしれません。少し車を忘れて、自分の足と体を使って、等身大の世界を描いてみましょう。ひとりからはじまる 地球を救う127の方法・日本版 ●写真は、*「のれんの町」*として町おこしをしている、岡山県勝山市の自転車屋さんの暖簾。 ◎人気blogランキングへ◎◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★1月17日*父の麦わら帽子:恋は遠い日の花火ではない・・・。/私の「はじめてのおつかい!」* UP・・・・・・・・・・・・・
2007.01.17
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1月15日を「15日正月」とか「小正月」といわれ、子ども達にとっては、待ち遠しい楽しい日でした。山から切り出した松の木を心木にして、しめ飾りを積み上げ、夕方に火を放って燃やします。勢いよく炎が立ち昇り、夕暮れの空を焦がし、それは勇壮なものでした。これを「ドンドを囃す」といい、子ども達が正月の二日に書いた「書初め」を、その燃え盛るドンドに入れます火の勢いにあおられて、上昇気流に乗って空高く舞い上がるほど、字が上手になるといわれ喜んだものです。この「ドンド」の火で、長い竹竿の先端に挟みつけた鏡餅を焼いてぜんざいなどに入れて食べました。この「ドンド」の火で暖まると、その年は風邪をひかないとか、残り灰を家の前に撒くと、ヘビや長虫の魔よけになり、田に撒くと稲がよく育つといわれます。「ふるさと和気」より・・・・・・・・・・注連縄も今日でお終い。*でも、伊勢では、一年中飾っておく。*さすが、神の国。 ◎人気blogランキングへ◎◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★1月15日*♪とんどのワラをおくれんか/ 14日のトンドとテンピツ* UP・・・・・・・・・・・・・
2007.01.15
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*ミステリーツアー*は、信楽から、伊勢志摩に一泊して、次の日は伊勢神宮に行った。もちろん、私たち、乗客には、予定は知らされていなかった。押すな、押すなの人ごみだったので伊勢神宮には私たちは、お参りしなかった。「けっこう若い人もいてるな」と夫。「女優の藤原紀香嬢と吉本のジンナイもここでデートしたみたいやからね」と私。ところで伊勢には、日本最古の紙幣があったそうだ。昔(江戸時代)、伊勢には「伊勢(山田)羽書(はがき)」と呼ばれる独特の紙幣がありました。横一寸(3.3cm)、縦、五寸五分の美濃紙の木版刷りで、これは神領伊勢内で通用するお札(さつ)でした。発行は奉行所が取り仕切っていましたが、神領のお札だけになかなか信用があったそうです。そして、明治4年に廃藩置県で各藩の「藩札」がなくなった後も、これだけはされらに数年間有用していたそうです。パンフレットより。今でこそ、一観光地にしかしすぎない伊勢神宮も江戸時代までは、日本一の観光地だった。当時の人は、死ぬまでに一度でいいから、伊勢に行きたいとまで思っていたそうだ。 ◎人気blogランキングへ◎◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★1月13日*トリビアの井戸:てしょう* UP・・・・・・・・・・・・・
2007.01.13
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*「ミステリーツアー」*で最初に着いた所は、滋賀県甲賀市信楽町。酒の徳利をもった狸の置物で有名な信楽(しがらき)焼きの町。(しがらきやき)は、滋賀県信楽町を中心に作られる日本の伝統陶磁器で、日本六古窯のひとつに数えられる。信楽は、かつて、火鉢の大産地だった。昭和30年代までは、火鉢は、どの家でも使われていて需要が多く、信楽は栄えていた。がしかし、昭和30年以降、火鉢は売れなくなった。暖房が石油ストーブに取って替わられたのだ。で、次に目をつけたのが、植木鉢だった。これもやがてプラスチックの植木鉢に取って替わられた。信楽焼きといえば、酒のとっくりと通いを持ったユーモラスな狸の置物が代表的。狸の置物が出来るまでをユーモアたっぷりに説明してもらった。焼く前の狸を見せてもらったが、焼くと15%は、小さくなるそうだ。「15%、スマートになります。狸のダイエットでんな」とポンポコ氏(案内の人。私が勝手に名前をつけた)。「そんなら私らも焼いて欲しいわ」と大阪のおばちゃんたちのツッコミが入った。この狸は、縁起物ですとポンポコ氏は言う。頭に被った笠は、災難避けるためのヘルメットのようなもの。手に持った徳利は、徳を持つという意味。通帳は信用を意味する。大きな腹は、太っ腹。でも、狸でなくても、猫でもいいのでは・・・?狸は「他をぬく」、つまり、他を抜くほど、商売が繁盛するという。信楽(しがらき)という町は、狸のおかげで生活をしているといっても過言ではない。「ぶんぶく茶釜」や「かちかち山」と、かつては人間と近い関係にあった狸も近年、生息地である山林が開発により減少し、棲家を失っている。狸の置物だけでは、やっていかないのではないかと、信楽焼きの今後に私は、人ごとながら不安になってくる。それより、狸つながりで、「たぬきの住む町」なんてキャッチフレーズで、里山を保全し、町おこしをしてはどうだろうか。 ◎人気blogランキングへ◎◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★1月12日*ヤレボー* UP・・・・・・・・・・・・・
2007.01.12
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去年11月に行った広島県の帝釈峡のホテルは、濃い霧の中だった。「すごい霧やな」と夫。「これが本当のミステリーツアーやな」と私。「えっ!ミステリー?」と夫。「霧のことを英語でミストって言うやん。日本語でも五里霧中って言葉もあるし、ミステリーツアーの語源は、ミストに違いない」と私。1月10日~11日、夫とミステリーツアーに行った。霧は出なかったけれど、行き先の分からないツアー。家の人用には、私たちが出発してから、行き先を書いた葉書が来ていた。休日に出勤しても手当てが出ず、代休を取らなければならない夫と、リストラの私。ふたりとも、体に少々、不安を抱えている。私たちの将来も霧の中のように不安。 ◎人気blogランキングへ◎◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★1月11日*トリビアの井戸:十日戎/田打ち正月* UP・・・・・・・・・・・・・
2007.01.11
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(略)そうした中で目立つのが、成人式の晴れ着だあろう。人の一生のうちで、成人式を迎えることは今も昔も大切なことであり、晴れ着によって一人前となったことを表示しようとしたのである。(略)振袖のほかに被り物(かぶりもの)も重要な晴れ着だった。綿帽子や絹布の帽子をさす。以前はカツギ(被衣)といって着物を頭からすっぽりかぶっていた。要するに頭部をおおうのである。「民俗学への招待」宮田登結婚式の「つのかくし」や綿帽子など、ほんとうに、考えてみれば改まった時には、頭を覆うものがある。ドラマ「チャングムの誓い」でも、韓国の宮廷に使える男性は、いろんな形の帽子を被っていた。だからというわけでもないのだけれど、友人と行った京都で、白いニットの帽子を買った。左側に大きなコサージュがついている。黒いコートに黒いズボンの地味な服も、コサージュのついた白いニット帽を被ると、とたんに、華やかになる。「ケ」(普段着)から、「ハレ」の服装になった。友人は、私の買った帽子を「大正ロマン帽」と名づけて、私の写真を写した。暑さ寒さをしのぐため以上に、「かぶりもの」は楽しい。●イラストは、ネコの帽子。 ◎人気blogランキングへ◎◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★1月9日*成人式今昔/正月の食器を仕舞う * UP・・・・・・・・・・・・・
2007.01.09
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京都のカフェで一番好きはのはどこ?という質問に、「エフィッシュ efish」と答える人は多い。それほど、多くの人に愛されているカフェ、「エフィッシュ」に6日、友人と行った。京都の街を流れる鴨川とその横を流れる小さな川、高瀬川。その二つの川の間に「エフィッシュ」はある。近くには「五条楽園」という遊郭街があるけれど、知らない人が見ればただの住宅街にしか見えない。電気業務の会社の寮だった廃ビルを鴨川の流れや、そこに住む魚や鳥、鴨川の四季が楽しめるよう、大きな窓を作ってカフェにした。どの場所からでも川が見えるのだけれど、私たちは、窓際に座った。足の下を川が流れている・・・。そんな感じがするくらいに、近い所に鴨川がある。その川にユリカモメが舞っていた。サギもボーっと立っていた。川べりを歩く人たちや岸辺の大きな木の姿を私はあかずに眺めていた。暖かい頃には、この窓を開けるのだろう。すると、鴨川の音と風が店内に入り込んで来るんだろうな・・・。おしゃれなカフェはインテリアも凝っているけれど、鴨川の流れという借景を生かすには、シンプルが一番だからか、「エフィッシュ」は、シンプル。「efish・エフィッシュ」の名前の由来は、ABCDEの5番目、つまりEと遊郭の前に営業中の看板の代わりに金魚の水槽を置いている、「五条楽園」の遊郭にちなんだもの。京都でお茶するのは、由緒正しき名所旧跡をまわるのと同じくらいに、いえ、それ以上に楽しみなこと。それが川の見えるカフェだったら、もっと嬉しい。「エフィッシュ」の窓が開く頃、また行ってみよう。 *「エフィッシュ efish」*下京区木屋通り五条下ル西橋詰町798-1電話:075-361-3069午前11より ◎人気blogランキングへ◎◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★1月7日*六日年越し/七草・菜を叩く* UP・・・・・・・・・・・・・
2007.01.07
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私が思う乙女とは、自分が女に生まれたことを意識し、志のある人。文学や美術作品を好み、感受性が強く趣味への邁進などから培った、独特の美意識や審美眼がある女性。「乙女の京都」甲斐みのり・・・・・・・・・・・・ここ最近、私の中で「乙女」という言葉がマイブーム。今年は、本を読もう。美術館に行こう。骨董品も楽しみたい。もっと乙女な自分を大切にしたい。今度の休みに関東から乙女な友人が来る。さっそく、京都で会うことになった。乙女目線で京都を楽んでこようと思う。 ◎人気blogランキングへ◎◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★1月5日*風呂の松竹梅/目出度いもの:ナンテン(南天* UP・・・・・・・・・・・・・
2007.01.05
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12月31日の夜、ナンテンの葉の緑と赤い実が黒地に映える、古い重箱に正月の食べ物を詰めた。一段目にウラジロを敷いて、紅白のかまぼこ、ゆで卵を切ったもの、蜜柑を半分に切ったもの、レモンの櫛型切り、干し柿などを詰め、小さめのウラジロを置いた。二段目にもウラジロを敷いて、煮しめ(干し椎茸、昆布巻き(乾燥)、高野豆腐ニンジン、コンニャク、サンドマメ)、ブロッコリーの茹でたもの、シメサバ、スモークサーモン、カズノコなどを詰めた。上から、小さめのウラジロを置いた。今年は、年末の食材を買い控えた。家にあるもので、正月の用意をしようと思った。干し椎茸、昆布巻き(乾燥)、高野豆腐ニンジン、コンニャク、サンドマメ。煮しめの材料は全てあった。年末には、夫婦でよく外食をしたので、冷蔵庫がいっぱいだった。「もうひとつ冷蔵庫を買おうか?」と夫が真顔で言うので私は慌てた。正月もはや、3日目。いつもの年なら、まだ、いっぱい残っている重箱の中身も、今年はあと少しなのが嬉しい。冷蔵庫も少しゆとりが出来たことが嬉しい。そんなことが嬉しいなんて、なんだか罰当たりな気がするのだけれど・・・。キッチンから始めるエコライフ! ◎人気blogランキングへ◎◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★1月3日*ショウガツゴ/「寝正月」* UP・・・・・・・・・・・・・
2007.01.03
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あのころのお正月は明るかった。あのころというのは、昭和14、5年のことである。なぜ明るかったかというと、お正月だけは、茶の間の電燈が普段の60Wから100Wになるからである。座敷と茶の間が60W、子ども部屋は40Wで廊下とお手洗いが20Wというのが決まりだったから、10Wは嬉しかった。大晦日の掃除が終わった後、母が座敷の箪笥から大切そうに100Wの電燈を取り出すと、私たち子供は、冷たい廊下を爪先立ちながら、ゾロゾロ母の後をついていったものである。まず、茶の間の電気を消す。それから少し黒ずんだ60Wを外して、母が袂へ入れ、慎重な手つきでゆっくり100Wに替える。スイッチをひねる。お正月のために畳を替え、障子を張替えたせいもあって、見違えるように明るく、きれいな茶の間である。私たちは、ワッと歓声を上げる。茶箪笥の上の鏡餅がピカピカ光っていた。元の60Wに戻ったのが、5日だったのか、7日だったのか、それとも15日だったのか・・・それは覚えていない。「昭和恋々」久世光彦私のうちは、40Wの灯りがたったひとつあるだけだった。その灯りに長めのコードをつけて、土間に回したり、座敷に回したりして、使っていた。台所には、20Wの灯りがあったけれど、食事は、いつも座敷だった。風呂場には、ランプがあったけれど、壊れていたのか、使ったのを見たことがなかった。もっぱら、月の明かりが頼りだった。+++夜、牛乳の紙パックを持って市役所の出先機関に行った。8時を過ぎているのに、誰もいないはずなのに、煌々と灯りが灯っていた。市役所の出先機関だけではなく、あちこちにあるコンビニの、なんと明るいことか。+++私の子どもの頃の灯りがいいとは言わないけれど、夜、遅くまで、煌々と輝く必要はない。もしも夜が暗かったら、月や星の明かりや、電燈の灯りは、もっと嬉しいものになるだろう。*********あけましておめでとうございます。本年もどうぞ、よろしくお願いいたしますm(_ _)m ◎人気blogランキングへ◎◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★1月1日*トリビアの井戸:正月はなぜ三が日か。 * UP・・・・・・・・・・・・・
2007.01.01
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