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■許せない■舛添元都知事問題■に揺れた6月だった。■熊本では地震がおきて■大変なのに、舛添ニュースで皆が熊本のことを忘れはしないかと思っていた。先日、街に出たら、熊本の特産品を売っていて、沢山の人が買っていたので、ほっとした。と思ったら、最後に■イギリスのEU離脱■ショック。_| ̄|○ 体調は相変わらず、わろし(悪い)といえど、以前よりはマシ。今日で、今年も半分が終わる。■2016年6月に見た映画■*殿、利息でござる!*海よりもまだ深く*マイ・フェア・レディ*団地*ハリーとトント*帰ってきたヒトラー◆◇◆上半期でよかった映画◆◇◆*オデッセイ*サウルの息子*ヘイトフル・エイト*アイリス・アプフェル!*リリーのすべて*ちはやふる-上の句*スポットライト 世紀のスクープ*レヴェナント・蘇りし者*ヘイル、シーザー!*殿、利息でござる!*マイ・フェア・レディ*ハリーとトント*帰ってきたヒトラー■書きのこしたネタ■*EUネタ*「とと姉ちゃん」*鯖の料理*古墳ネタ*竹ノ内街道*スモーキング フリー*瀬田川洪水の原因と対策*「とと姉ちゃん」と昭和ネタ*イースターネタ*電気の自由化*雪が降った時、クライストチャーチでは・・・。*枕草子の冬はつとめての「つとめて」の語源。・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.06.30
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イギリスが国民投票の結果EUを離脱することになった。EUに加盟している国の通貨は、ユーロだがイギリスは、ポンドを使い続けている。まあ、こういうのは、■ノルウェイも■だと思っていた。スエーデンも■デンマーク■もそれぞれ、ノルウェイ・クローネ、スエーデン・クローネ、デンマーク・クローネを使い、ユーロは使っていない。去年、■北欧に行った時■フィンランドに飛行機が着いたその時は、入国検査されたが、以後、スエーデン、ノルウェイ、デンマークは、フリーパス。「EU国」に入国すれば、後はフリーパスなのだ。2010年■ロンドン、パリ■間を英仏海峡トンネルを通って行った。ロンドンのセント・パンクラス駅では、改札が出国、入出国を兼ねている。私は、海峡トンネルを走る列車だから、テロを恐れて検査しているのかと思ったが、イギリスは、全て入国の時、検査をしているのだそうだ。関税などはEU加盟国並みでも、海外からの労働者などを排除するために厳しい入国審査をする。いい所ばかりをとって、これで加盟国といえるのだろうか。 心配なのは、スコットランド。一昨年、独立するという機運が高まり投票したところ、僅差で英国残留が決まった。EU脱退となると、残留の投票が多かったスコットランドでは、再び独立の機運が高まってるという。この他「オランダでも国民投票でEU加盟の是非を問いたい」との回答は54%に達し、ウィルダース党首は声明で「われわれは国、カネ、国境、移民政策を自らの手で管理する必要がある」と強調した。反EUのうねりは北欧でも脈打っている。デンマークやスウェーデンの極右政党は、EU残留か離脱かを問う英国同様の国民投票を要求。欧州債務危機でドイツとともに緊縮財政路線を張ったフィンランドでは、ユーロ圏からの離脱を問う国民投票の実施を求める声が出ている。2016-6-25 時事通信 一国家のエゴが、私のような、ヨーロッパ人でない人間にまで、ショックをあたえた今回の結果。イギリスの国民は本当にこれでよかったのだろうか?イギリス国民の中には、「脱退にしたけれど、残留にすればよかった」と悔やむ人が多いという。また、もう一度、国民投票をすべきだという署名も沢山集まった。そもそも、52%対48%の僅少さで、国の将来を決めて良いモノか?これほどの僅差で決まる多数決って、なんなのか?今頃、世界中がそう考えているような気がする。・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.06.29
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■帰ってきたヒトラー:あらすじ■♪音が出ます!笑うな危険。ヒトラーの姿をした男(オリヴァー・マスッチ)が突如街に現れる。リストラされたテレビマンに発掘された男は、復帰の足掛かりにテレビに出演させられる。男は長い沈黙の後、とんでもない演説を繰り出し、視聴者の度肝を抜く。自信に満ちた演説はかつてのヒトラーを模した完成度の高い芸と見做され、過激な毒演はユーモラスでありながら真理をついていると評判を呼び、男は一躍人気者に。しかし、彼はタイムスリップしてきた本物のヒトラーだった。そして天才扇動者である彼にとって、現代のネット社会は願ってもない環境だった……。 現代にタイムスリップしたヒトラーがモノマネ芸人としてテレビで人気になっていくさまを描き、話題を呼んだ小説を映画化したコメディ。リアリティを追求するため、無名の舞台俳優オリヴァー・マスッチがヒトラー役に選ばれたほか、実在の政治家や有名人、ネオナチと顔をあわせるなど、アドリブシーンを交えて物語が展開する。 総統閣下、キタ――(゚∀゚)――!!ヒトラーによく似たそして、まったく同じ服装をした人物が21世紀にあらわれたら、人はどうするのか?もちろん、芸人だと思いでテレビ局がほおっておなかい。出演するために彼に台本を渡そうとするのだが、彼は拒否。そして演説をはじめた。「人を味方につけるには、書かれた言葉よりも語られた言葉のほうが役立ち、この世の偉大な運動はいずれも、偉大な書き手ではなく偉大な演説家のおかげで拡大する」と演説の力を極めて高く評価していたヒトラーをあらわしている。ヒトラーは、現代の政治家にも痛烈な批判をする。ドイツのメルケル首相は「太ったおばさん」( ̄m ̄*)唯一、気に入ったのが、「緑の党」。 ドイツには、ナチス時代以前からエコロジー思想が続いている。帰ってきたヒトラーは、皆が「ハイル ヒトラー」と手を右方向に上げる敬礼をしないと悩んだりする。そんな、お笑いもあるが、現在に通ずることもある。ユダヤ人を徹底的に迫害したヒトラー。それとダブルように映画の中で現在のヨーロッパの、移民が迫害されているニュースが流れる。現代人の心の中にも、自分と違うものをを迫害する心がある。ドイツにおいてヒトラーをギャグにすることは、危険なかけだ。思わず笑ってしまったが、「笑うな危険」のキャッチコピーが「ヒトラーは今も生きている!」と言っているようだ。・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.06.28
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■ハリーとトント:あらすじ■老人一人と猫一匹、アメリカを横断す。72歳のハリーは、妻に先立たれ3人の子供達も独立しており、マンハッタンのアパートに、愛猫トントとともに暮らしていた。しかし、区画整理の為に、アパートから強制的に立ち退かざるを得なくなり、長男の家へ移り住むことになるも、そこに馴染むことができない。結局、ハリーは、娘のシャーリーを尋ねる為、トントを連れてシカゴへ向かった。トントが原因で、飛行機にもバスにも乗ることが出来なくなったが、中古車を買い旅を続けることで、様々な人と出会うことになり・・・愛猫を連れ、さすらいの旅に出た老人の孤独を描く。 主人公ハリーは、恵まれた人生だ。彼のいいところは、沢山ある。★明るく人懐こいこと。 初対面の人とも仲良くなろうとする。★愛情があること。 猫に、3人の子どもたちに愛情をもって接している。★大金ではないが生活に困らないこと。 次男が生活に困っていると、お金を融通する。★独立心があること。 長男が家に居てといっても、自由が大事とばかり出て行く。 そして、次男にもお金を融通しながらも、独立しなければいけないと諭す。他にも元気なこと元は、教師をしていたのでシェークスピアを例に出したりするくらい知的なこと・・・。いいところは沢山ある。しかし、どんなに恵まれていても、老人は寂しいのだ。ハリーは、愛する妻に先立たれて、そのさびしさを猫のトントで紛らわせているのかもしれない。ハリーの年に近くなった私は、よく分かる。この映画は、1974年に制作された映画だが、その頃見ても、良さが分からなかったと思う。老人になるのは、楽しいことではないが、こういう人生の機微が分かるようになったことを喜ぼうと思う。ドラッグや、ヒッチハイク、とりわけ、ヒッピーのコミューンをめざす、若い男女が1970年代がよくあらわされていた。■1970年代伝説のヒッピーコミューン■ 第47回アカデミー賞において、アート・カーニーが主演男優賞を受賞し、ポール・マザースキーとジョシュ・グリーンフェルドが脚本賞の候補となっている。■午前十時の映画祭■・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.06.27
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小学校の頃、岡山の田舎で子ども時代を過ごした。その頃、というかずっと私の家は貧乏だったので、傘が買えなかった。そこで、学校に行く年になると母が親戚の家から私に赤い傘をもらってきてくれた。親戚でも長い間、大事に使っていたのだろう、その傘は、色があせていた。でも、傘には間違いなくて、それをもって学校に通った。ある日、傘の骨が折れた。しかし私は、新しい傘を買ってとは言えなかったし、母も買ってやるとは言わなかった。いや、言えなかったのだ。その骨の折れた傘をさして、学校に通った。前から人が来ると、折れた骨の方をクルリと後ろに回した。通り過ぎると、また折れた方をま前に回した。そうやって学校に行った。家に帰ると、土間で遊んだ。遊びながら、母とよく歌っていた歌がある。■雨(あめ)■雨がふります 雨がふる遊びにゆきたし 傘はなし紅緒(べにお)の木履(かっこ)も緒(お)が切れた■父の麦わら帽子■■傘の行商■・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.06.26
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■舛添元知事■が金銭疑惑で辞め、新しい候補者として、嵐のメンバー櫻井翔クンパパが急上昇している。言わずと知れた国民的アイドルグループ「嵐」の人気メンバー櫻井翔。父親は東大法学部卒で官僚となり、先日、退職した華麗なる一族。その櫻井家でのある日の会話・・・(妄想で敬称略)櫻井パパ(以後パパ):翔、ちょっと話があるんだけど、時間大丈夫か?翔くん(以後翔):2時間後に迎えがくるけど、それまでなら大丈夫だよパパ。パパ:実は・・・。東京都知事選に出ないかと言われているんだ。翔:やっぱり・・・。で、返事したの?パパ:でも、私が都知事選に出たりしたら、翔の仕事にひびくと思って・・・。翔:うーん、そりゃあ、無関係とは言えないけど・・・。 でも、僕がジャニーズに入って、それも勝手にだよ、 それで、パパも仕事上、苦労したんでしょう・・・。パパ:ああ、あの時はね・・・(苦笑)・・・。翔:だから、今回、パパが都知事に出馬しても、僕はかまわないよ。パパ:そう・・・。もう一度、ゆっくり考えてみるよ。翔:そうして・・・(ニコリ)。 じゃあ、僕、仕事の支度するね。パパ:そう、がんばって。翔:パパもね(ニコリ) でも、パパ、そうなると、パパの身に「嵐」が・・・。(笑)パパ:(笑) これは、あくまで妄想です。■華麗なる一族:櫻井翔■・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.06.25
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■団地:あらすじ■♪音が出ます!!「団地てオモロイなぁ・・・噂のコインロッカーや。」山下ヒナ子(藤山直美)とその夫・清治(岸部一徳)は、とある事情で家業の漢方薬局を畳み、団地に引っ越してくる。そこには、自治会長の行徳(石橋蓮司)と妻の君子(大楠道代)、クレーマーで次期会長を狙う吉住(宅間孝行)に、暇を持て余した奥さま連中が暮らしていた。ある日、些細な出来事でヘソを曲げた清治が、「僕は死んだことにしてくれ」と床下に隠れてしまう。夫の姿が消えても淡々とパートに通い続けるヒナ子の言動に、隣人たちは妄想を膨らませる。さらに妙な立ち居振る舞いの青年・真城(斎藤工)が山下家を訪ねてきて……。 天性のコメディエンヌ、藤山直美と、かつてのグループサウンズの雄■「ザ・タイガース」のサリー■こと岸辺一徳が出ているので見に行った。この映画は、阪本順直監督が「顔」でコンビを組んだ藤山直美のために脚本を書いたという映画。阪本順直監督は沢山の有名な映画を撮っているのを今回はじめて知った。『どついたるねん』で監督デビューし、芸術推奨文部大臣新人賞、日本映画監督協会新人賞、ブルーリボン賞最優秀作品賞など数々の映画賞を受賞。藤山直美を主演に迎えた『顔』(00)では、日本アカデミー賞最優秀監督賞、毎日映画コンクール日本映画大賞・監督賞などを受賞した。その他の代表作に、『KT』(02)、『亡国のイージス』(05)、『魂萌え!』(07)、『闇の子供たち』(08)、『座頭市 THE LAST』(10)、『大鹿村騒動記』(11)、『北のカナリアたち』(12)、『人類資金』(13)、『ジョーのあしたー辰吉丈一郎との20年―』(16)(正確な表記は「丈」の右上に点)など多数。『顔』と『大鹿村騒動記』は見たかったのに見逃してしまった。「団地」は、大阪が舞台というわけか、年配の女性が大勢来ていた。 藤山直美は、父親、天才藤山寛美の娘の血をついだのか、間の取り方などがうまいなと思う。この映画は藤山直美あってなりたつのだ。山下ヒナ子(藤山直美)の夫役の岸辺一徳もあいかわらず、あじのある演技。それににしても、「のっぽのサリー」というだけあって岸辺一徳さん、背が高い。鴨居に頭がぶつかりそうだった。家に帰ってから若かりし頃の■グループサウンズ■を聞きまくった。嗚呼、あの頃の、タイガースはかっこよかった。歌もうまかった(ハーモニー)。サリーは楽しそうにギターを弾いていた。歳月は残酷だ。って、サリー(岸辺一徳)が出ていたので、タイガースの、そして自分の半世紀近く前のことを思い出した。・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.06.24
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ユリノキが街路樹として広まったのはなぜ?イチョウの木が信仰の対象になったのはなぜ?明治神宮造営秘話から井の頭公園まで、樹木を通して、都市における公園と神社の歴史を知り、樹木の個性もわかる本。【内容情報】(「BOOK」データベースより) 公園・神社の樹木を通して発見する公園と神社の歴史と楽しみ!人と樹木がどう関わってきたのかを知ると、もっと樹木がよくわかる。【目次】(「BOOK」データベースより)第1章 眠れなくなったプラタナス第2章 戦争に翻弄されたツツジとハナミズキ第3章 水郷の歴史を語るエノキ第4章 江戸の大火と戦ったスダジイ第5章 台湾からやってきたクスノキ第6章 渋沢栄一は、なぜ公園を造ったのか?第7章 イチョウが拝まれるようになったわけ第8章 サクラの丘に秘められた五〇〇〇年の歴史 何気なく見ている木に理由があったのかと思うと、その理由が知りたくなる。そういえば、仙台が「杜の都」といわれるにはわけがある。■杜の都■仙台藩祖、伊達政宗によって築かれた城下町・仙台は、農民の割合に対して武士の武士のまちであった。そのため、侍屋敷に植えられた屋敷林が仙台城下を美しく覆っていたという。伊達政宗による仙台開府以前、この土地は「宮城野」と呼ばれており、仙台平野には風雪を防ぐ木がほとんどなかったと言われている。また、仙台の気候風土や地形的な特色のため、城下町を開くには積極的な植林奨励策が必要とされた。植林された樹木は、防風林・防雪林・防火林として機能したのであり、現在よりも森林が豊富であったであろう江戸時代に、美観のために植林されたのではない。山から離れた平野に建っている旧来の農家の住宅には、冬季の風雪に耐えるため、例外なく北側から西側にかけて防風林・防雪林が植えられている。これはイグネ(居久根…屋敷まわりの杜)と呼ばれる。3枚の木の写真は1月に行ったニュージーランドのクライストチャーチにある■ハグレー公園。■ こうしてみると、木は必要だから植えられたのだ。うちの家の西側にあるビワの木も西日と人の目を遮る緑のカーテンだった。しかし、隣の地主が■たった一本の木さえ■壊滅的に切ってしまった。木には、役目があり、命があることを知ってほしい。6月は■環境月間■だ。■本が読みたい:原発事故緊急対策マニュアル 放射能汚染から身を守るために ■・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.06.22
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舛添都知事の金銭疑惑が出たのは4月。そこから、粘りに粘って、今日、退職した。金銭疑惑はもはや疑惑ではなく、確定。なのに、なぜ、4月から6月まで粘ったのかといえば、6月までいれば、ボーナスが出るから。「第三者の目で厳しく調査していただく」と“逃げ口上”を連発していたのは、6月末に支給される約380万円の夏のボーナスのためというのが定説。6月1日まで居座れば、その後、辞めても満額支給されるから頑張っていた!舛添都知事には、6月の月給約145万円ボーナス380万円退職金は 2200万円!!合計 2725万円を支給される。税金を無駄使いされたうえに、月給、ボーナス、退職金まで渡すとは、悪人に優しい規則。「盗人に追い銭」とは、こういうことをいうのだろう。盗人をかくまった、自民、公明は、その支持者は、どう思うのだろう。・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.06.21
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テレビのクイズ番組に猪瀬元都知事が出るというのである。舛添都知事が、逃げるように辞めていったが、いつも「猪瀬元都知事、舛添都知事と続けて金銭問題で・・・」とセットで騒がれている最中に、どの面下げてテレビに出るのかと思い見た。司会者が「猪瀬元都知事です」と紹介しても、ニコリともしない。「猪瀬さん、どうですか、もう一回、都知事選挙に出られては?」というふうな質問に「今日は、そんな質問はしないで下さい」と怖い顔。その猪瀬さん、「悪銭(という表記だったか定かではない)を作ったのは、誰?」という問に正解した。さすが、金に強い??当てても、ニコリともしなかった。それにしても、明日、舛添都知事が退職というのに、どの面下げて出るのか?マスコミもこのタイミングで使うなんて、とマスコミに対しても腹が立つ。あと数週間もすれば、舛添都知事の金銭疑惑なんてなかったことになるのかもしれない。こんなことだから、舛添都知事はいなくなっても、第二、第三の舛添、猪瀬が出てくるのだ。■Qさま!!■6月20日・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.06.20
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季節は梅雨である。さあ、傘を捨てよう、ってなんでやねん。2010■パリ■に行った時に、傘を買った。白地に、黒でエッフェル塔の模様。ヾ(*´∀`*)ノエッフェル塔大好きな私は、一目で買った。数本買って、お土産にもした。喜んで使っていたのに、すぐ骨が折れた。_| ̄|○街頭でお土産として売られていたので、雑な作りだったのだろう。傘布が骨から外れても何度も縫い付けて使っていたが、骨の先についている部分も取れた。傘の中の骨も壊れていたので、使えなくなった。でも、エッフェル塔模様はかわいいので、捨てられない。いっそ、骨から外して、布として使おうか・・・。などと考えていたが、考えるだけで、いっこうに行動しない。あれから5年たったので、今度こそ捨てようと思い、写真を撮った。ああ、でも、惜しいな、捨てるの・・・。安心して下さい、袋は使いますよ!!( ̄ー ̄) ■マリメッコの傘■ *老前整理*老いる前に身辺を見直して、今後の生活にいらないものを整理すること=老前整理を提唱してきた著者による、老後に快適な生活を送るための生き方指南書。 高齢になればなるほど整理はおっくうになり、悪化すればごみ屋敷のような社会問題に発展する。 本書では、片付けられずモノに囲まれて暮らす人が、老前整理の考えを知り、思い切って整理に取り組み、生き生きとした暮らしを取り戻すさまが描かれる。 実用的で社会的使命もある新しい整理術の提案。・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.06.18
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(この絵は鯖ではない。)6月7日~8日と「鯖街道」をテーマに小浜、熊川の宿などに行ってきた。書き残したことがあるので、書いておく。★小浜にて■身代わり申(さる)■小浜の町をあるいていると、あちこちで、軒先に赤いぬいぐるみがぶら下がっている。これは、「庚申(こうしん)さん」のお使いの申をかたどったお守りで、魔除けを意味し、家の中に災難が入ってこないように吊るしている。災いを代わりに受けてくださることから「身代り申」とよばれている。 ■庚申(こうしん)さんとは■中国の道教の教えを説く庚申信仰は、江戸時代に民間信仰として庶民にひろがった。 言い伝えによると、人の体の中に三尸(さんし)の虫がいて、庚申の日の夜に人が寝ているあいだに体から抜けだし、天帝にその人の悪事を告げにいくという。 その報告により寿命が決まるというので、人々は六十日に一度回ってくる庚申の日は、寝ずに「庚申さん」を供養したという。 徹夜の習わしはなくなったが、身代り申をつるし、庚申さんをまつる信仰は、今もこの町に息づいている。 ■奈良に行った時■も身代わりさるが目についたし、庚申堂という道案内があった。■朽木(くつき)屋■鯖街道の出発点に朽木屋という屋号の店を発見!小浜から熊川宿を通り滋賀県朽木村を通って、大原から鯖街道の終点といわれる出町にいたる鯖街道。朽木の人が小浜に来て、「朽木屋」を名乗ったのかもしれないと妄想する。★熊川の宿にて 熊川の宿のメインの通りには前川という川が流れていた。その通りから小さな路地が数本あった。その一つが■「長屋道」。■この路地の奥に、町奉行手配下の足軽長屋たあったのがこの名の由来。もう一つ、■「御蔵道(みくらみち)」■という路地があった。熊川の宿と並行に流れる大きな川、「北川」という川がある。北川の船運の米が、この路地を通り、今は松木神社内の蔵屋敷に至ったことにこの名の由来がある。(「熊川宿」パンフっレットより)「長屋道」、「御蔵道」の両方に、小さな溝が流れていた。この溝は、メインの通りの「前川」と違う役目をもっている。メインの前川は、野菜を洗ったりする一方、この溝は、子どものおしめを洗っていた。そのため、「おしめ川」とよばれていた。■宿場館(若狭鯖街道資料館)昭和15年に、熊川出身で伊藤忠商事二代目社長の逸見竹ノ助により、近代洋風建築の熊川村役場が建てられた。トスカナ風の柱頭をもつ円柱がポーチに建ち、寄棟瓦葺の2階屋根の中央には越屋根が付いている。平成9年より資料館として保存活用され、鯖街道関係の資料や民具などを展示して一般公開されている。ちなみに、竹ノ介氏は、この町から徒歩で滋賀県今津に行き、琵琶湖を船で近江八幡の学校に毎日通った人。■松木(まつのき)神社松木庄左衛門は、苦しみにあえぐ若狭の農民を救うため、一命を投げうって大豆年貢の引き下げを実現しました。時に庄左衛門は28歳の若さでした。若狭の義民松木庄左衛門が祀られている神社。松木神社は昭和8年に建てられたもので、かつては、「御蔵道」を通って米が運ばれる米蔵があった所。桜と紅葉が美しいところとして知られている。■「負い縄1本あれば暮らせる」京は遠ても18里。小浜から京都、出町までの距離を歩いて鯖を運んだ「鯖街道」。小浜へ四里という熊川の宿では鯖を運ぶ仕事が多かったらしい。「負い縄一本あれば・・・」という言葉がそれをあらわしている。街道を使わずに山越えの方が近いということで、山越え道もあるが、山中の道では、山賊が出たということもあったらしく、大変な仕事であった。熊川の宿ルートが一番、多かったが、小浜から北川の水路を使い馬で峠を越え九里半街道から今津に出て、琵琶湖を使って京へ運んだ水路もあった。また、京への最短距離をとる峠道として、「針畑越え」があり、この道は鞍馬経由で京都出町に至る。また、堀越峠を越えて京都高尾へつながる「周山街道」や、美浜町(現在若狭町)新座から滋賀県マキノ町へ抜ける「栗柄越え」や、遠く兵庫県の篠山までもつながっていたといわれる。鯖街道は「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群 ~御食国若狭と鯖街道~」として「鯖街道」は2015年■日本遺産■に登録された。・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.06.17
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■6月8日鯖街道の出発点■小浜を出て■熊川の宿に向かった。■板屋一助が1767年に著した『稚狭考』■によると、本来は能登沖の鯖が有名で、それがとれなくなり、若狭の鯖が有名になったということのようです。それらを運んだ鯖街道は1本だけでなく、5本ほどあったようです。その中でもっとも盛んに利用されたのが、小浜から熊川宿を通り滋賀県朽木村を通って、大原から鯖街道の終点といわれる出町に至る若狭街道です。 その最もポピュラーな鯖街道の、小浜から熊川宿を抜け、朽木、大原、出町へと続く道を通った。 熊川宿は人家の前の、生活用の前川と呼ばれる小川が流れる古い町並みを整備し、昔のまんまの風情を取り戻している。川の水を利用して、水まきをしたり、イモ洗いの道具を仕掛けて、イモを洗ったりしていた。藩の交通を取り締まる「番所」があった。「関所」と「番所」はどう違うのかと私が聞くと、「関所」は幕府の管轄、「番所」は藩の管轄だとうだ。この写真の右側から入って、2人の役人の前に出て、通行税を払うのだそうだ。熊川宿の東側(近江側)にあった番所を復元したもの。「入り鉄砲に出女」という言葉があるように厳しい統制と物資への課税が行われていた。小浜藩士、百姓町人の妻女には、奉行所の裏判のある願書(通行手形)が必要だった。熊川宿の魅力は★アスファルトの地面を土の色にしていること。★人家の前を生活用の前川と呼ばれる小川が流れること。★電線が埋められていること。そんなわけで、撮影にもよく使われるそうだ。 かつて、この地区の子どもは、滋賀県の近江八幡市の学校に通っていた。今でいう高校生くらいで家が裕福で勉強ができる子限定だったのだろうが、朝、4時か5時に家を出て、徒歩で琵琶湖のほとりの町、今津に行き、そこから船で近江八幡の学校に通ったそうだ。冬は雪が降って通えないので、近江八幡に下宿していたのだそうだ。■世界の果ての通学路■みたい。そんな苦労して卒業をし、会社務めをして、社長に見込まれ、社長の娘婿になった人がいる。その会社とは、「伊藤忠商事」。この家は、伊藤(旧姓、逸見)竹之介の生家だ。その後、滋賀県を通り、京都・大原を過ぎ、京都に着いた。・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.06.15
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■6月8日■6月7日■泊まった所は、海のそばの宿。海水の浸食作用によって岩に穴が空いた所がここ以外にもあって、「高浜八穴(はっけつ)」とよばれているうちの一つがここ。ホテルから、フィッシャマンズ・ワーフから船に乗るのだが、その前に小浜にある展望台に登った。ここは、地村さん夫婦が北朝鮮に拉致された現場だ。地村さんは昭和53年7月、当時、結婚相手だった富貴恵さんと共に同市の海沿いにある展望台で拉致され、北朝鮮で24年を過ごした。帰国後、小浜市に努めていたが、今年3月定年退職したのだそうだ。この展望台は、地元の人に怖がられているそうだ。フィッシャマンズ・ワーフから船に乗って、美しい海岸線を見た。海水の浸食作用で、穴のあいた岩。巨大な岩に穴があくのに、どれだけの時間がかかったのだろう。船は途中で、岩場に止まり、客(全部で4名)は降りた。ここなら北朝鮮の拉致の船が隠せると思った。ここから、フィッシャマンズ・ワーフに引き返す。すると、原発が見えた!!!■大飯原発■だ。こんな所に原発があったら、津波がきたら、どうしようもない。電力会社は、地震や、津波、テロなどのことを考えず作ったことがよくわかる。「京は遠ても18里」。滋賀県の琵琶湖は、琵琶湖に流れ込む川は、18里どころではない。私たちは、知らないだけで、原発の隣に暮らしている。((((;゚Д゚)))))))・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.06.14
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■6月7日■丹波マンガン記念館■に行った後、福井県・小浜市に行った。「京は遠ても18里」といって、多くの人がサバを京都に運んだ鯖街道。小浜は「鯖街道(さばかいどう)」の出発点だ。ボランティアガイドさん(女性)と一緒に重要伝統的建造物群保存地区を歩いた。かつては、北前船の寄る港としてもおおいに栄えた小浜は、2007年の朝ドラ「ちりとてちん」のヒロインが高校まで暮らした町。町のいろんな所に「ちりとてちん」の撮影場所があった。▲この家は、主人公の通学路で使われた通り。▲小浜から大阪に行く主人公を送ったのが、この階段の上の線路を通る電車。この階段の上は、浅井三姉妹の次女「お初」の菩提寺・名刹常高寺がある。 商店街の中には舞台になった魚屋さんは、今も営業している。この看板は、NHKが作ったものを利用している。ガイドさんも、「ちりとてちん」のエキストラに出たそうだ。自信なし、特技なし、将来のなんてわからない。心配性でコンプレックスだらけの和田喜代美(貫地谷しほり)は、高校卒業を目前に一大決心!故郷の福井県・小浜から大阪へと飛び出し、そこで上方落語に出会う。やがて、彼女は落語家を志すことに…等身大のヒロインが繰り広げる、恋あり涙あり笑いありの人情エンターテインメント。(2008年5月5日・6日放送)・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.06.13
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■6月7日■御食国(みけつくに)■に行く途中1970年代まで採掘されていたマンガンの鉱山が閉山された今、記念館になっているという「丹波マンガン記念館」という所に寄った。■マンガンの産地■かつて、京都市京北(旧京北町)、京都府南丹市(旧日吉町、旧美山町)を中心として丹波盆地の中に、300もの鉱山があった。マンガンの日本の三大産地は東北の八戸などの三陸海岸と四国の宇和島と丹波といわれます。中でも丹波は一番多くのマンガンが採掘されました。良いマンガンとはマンガン自体の品位ではなくマンガンに入る不純物の硫黄や燐や鉄などが少ないのが良いマンガンです。丹波のマンガンが日本一とされるのは不純物が少ない所です。■歴史■丹波では明治22年から昭和58年まで92年間もマンガンが採掘され丹波マンガン記念館のある新大谷鉱山を最後に日本でのマンガン採掘は幕を閉じました。明治以前の江戸時代から釉薬用などにマンガン採掘はされましたが鉱業権が出来たのが明治22年からですので鉱山は全て公文書が残る明治22年の操業スタートとなっているのです。■なぜ、沢山のマンガン鉱山が掘られたか?■マンガンは鉄と溶け合わさると、鉄を強くする性質を持っているからです。古代は朝鮮から日本へ渡って来た入植者は、大陸より海流に流されてきた砂鉄を採取して鉄を作った。その砂鉄の中には、始めからマンガンやチタンが入っていたので、硬くて錆びにくい刀が作れ日本を制圧した。危険、暗い、きついなど、鉱山の仕事は、過酷な労働だった。人の働きたくない鉱山で働いていたのは、朝鮮から来たや被差別部落の人々。この山の持ち主は、朝鮮半島から来た人で、閉山後も、「負の遺産」として残したいと、作ったもの。手堀りの坑道作業は、狭く、いつ落盤するかもしれないという危険にさらされていた。50キロの荷物を背負い、たった一本の木を梯子にして、40m上の地表まで上がるきつい仕事。ダイナマイトを仕掛けるために、削岩機で発破の穴を掘っているマネキン。ダイナマイトを仕掛ける時、危険な、一番先頭は、朝鮮人だったと「丹波マンガン記念館」の初代館長の奥さんが言っていた。この他、「飯場」といって、働く人の生活するところもあった。冬は寒いだろうし、プライバシーもない所で、毎日働いていたことが分かる。マンガンを採掘するマネキンは、背が高くイケメンで悲壮感には欠けるがそこは、想像力で補った。かつては、金、銀、銅など、多くの探鉱が日本にはあり、朝鮮半島の人も働いていたことは知っていた。探鉱で働いた人はすべて、命がけで働いていたのだろうが、この「丹波マンガン記念館」は、朝鮮半島の人が多く、そういう意味でも「負の遺産」といえる。■マンガン■■マンガンが地表に出るまで■■探鉱山を歩いて探す。昔は炭焼きの人が発見することが多かった。坑内では、探鉱のための坑道を掘った。■採探■*手彫り二酸化マンガン時代は、槌とノミで採掘。*機械掘り炭化マンガン時代、昭和30年頃からは、削岩機、ダイナマイトが導入された。■運搬■*人の背、木ゾり、索道トロッコ、シュートなど。■選鉱■*手選目と手で選別。主に女性が従事した。*テーブル選鉱振動する板の上で、重さの違いを利用した。(マンガンは重い。)*ジガー選鉱水流と重さの違いを利用した。■出荷■牛車、貨車、トラックで殿田、高槻(たかつき)、大阪などへ出荷。 ■丹波マンガン記念館■・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.06.12
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6月7日~8日、御食国(みけつくに)、福井県・若狭と鯖街道に行ってきた。■6月は環境月間■なのに、車を使って・・・。一応、エコカー認定で買った車です。m(_ _"m)■御食国(みけつくに)■とは日本古代から平安時代まで、贄(にえ)の貢進国、すなわち皇室・朝廷に海水産物を中心とした御食料(穀類以外の副食物)を貢いだと推定される国を指す言葉。律令制のもと租・庸・調の税が各国に課せられたが、これとは別に贄の納付が定められていたと考えられる。『万葉集』にある郷土礼讃の歌に散見され、『延喜式』の贄の貢進国の記述、平城京跡から出土した木簡の記述などから、若狭国・志摩国・淡路国などへの該当が推定されている。 福井県・若狭(わかさ)は、鯖街道(さばかいどう)の出発点としても知られている。古くは大陸との交流や、北前船が寄港したり、福井県はおおいに賑わっていた。その賑わいの多くは、漁業だったのか、「福井」の「井」に「、」をつけて、「福丼県」 ふくどんけん・・・。_| ̄|○・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.06.11
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■6月5日は環境の日。■環境の日は、1872年6月5日からストックホルムで開催された「国連人間環境会議」を記念して定められたものです。国連では、日本の提案を受けて6月5日を「世界環境デー」と定めており、日本では「環境基本法」(平成5年)が「環境の日」を定めています。我が国では、環境庁の主唱により、平成3年度から6月の一ヶ月間を「環境月間」(昭和48年度~平成2年度までは、6月5日を初日とする「環境週間」)とし、全国で様々な行事が行われています。世界各国でも、この日に環境保全の重要性を認識し、行動の契機とするため様々な行事が行われています。.■最近、ようやく表舞台に登場してきた電機自動車■ですが、その歴史はガソリンエンジン車と同じくらい長い事を知っていましたか?なんと、誕生したのは19世紀末なんですよね。長い間表舞台に出て来なかったのは、フォードがガソリン車の大量生産を成し遂げたからです。また、電池の製造コストの高さ、充電インフラの未整備なども理由として挙げられます。先月■和歌山■に行った時、電気自動車用の充電スポットを何か所か見た。ガソリンスタンドよりも多くなってほしい。6月は環境月間。・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.06.10
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■アジサイ■日本語で漢字表記に用いられる「紫陽花」は、唐の詩人白居易が別の花、おそらくライラックに付けた名で、平安時代の学者源順がこの漢字をあてたことから誤って広まったといわれている。草冠の下に「便」を置いた字が『新撰字鏡』にはみられ、「安知佐井」のほか「止毛久佐」の字があてられている。アジサイ研究家の山本武臣は、アジサイの葉が便所で使われる地域のあることから、止毛久佐は普通トモクサと読むが、シモクサとも読むことができると指摘している。また『言塵集』にはアジサイの別名として「またぶりぐさ」が挙げられている。上の写真は5月末に見たアジサイ。しかし、今年の1月、私はアジサイを見ている。これらの写真は、NZ(ニュージーランド)・クライストチャーチの公園で撮ったもの。日本ではアジサイは6月の花だけれど、南半球のNZでは、1月、2月に咲く。アジサイは、やはり梅雨の花。桜、アジサイ、ヒマワリ・・・。年に一度、わずかな季節に見るからありがたいのかも知れない。それにしても、アジサイの葉がトイレットペーパーだったとは・・・。思いきり愛されたくて駆けてゆく六月、サンダル、あじさいの花 俵 万智 ■嗚呼ヒガンバナ■■ハマナスと石川啄木■■朝顔に・・・■■母の日の花■■ささげ■ ・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.06.09
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東京都の舛添要一知事は6日夕、自らの政治資金問題をめぐり、第三者として調査を依頼した元検事の弁護士2人と共に記者会見を開き、調査報告書を公表した。沢山の絵画や書籍、家族団らんの旅行を税金で支払う神経が理解できない。6月6日の「弁護士による調査」も納得がいかない。★中国・上海でシルクの中国服2着(計3万5000円)を買った記録も。舛添氏は、弁護士の聞き取りに「書道の際に着ると筆がスムーズに滑る」と実演を交えて説明したといい、「具体的で説得力がある」として不問とされた。*******シルクの中国服を着ると字が上手になるんやったら、私も買うわ!こんな子供だましみたいなこと、誰が聞いたって、おかしい。これで、国民が納得すると思うことが許せない!!★明治時代の政治家、書家、中国の政治家らの書を購入しているのは、点数、金額とも多過ぎる感は否めないが、自己の書道の参考とする意味も有しているので、そのような書の購入は政治活動とは関わりがあると言えると判断した。よって書に関しては不適切とも言えないし、違法でもないと判断している。*****自己の書道の参考書にするためになぜ、税金を使うのか理解できない!!!お金儲けのためではないというが、誰が信じると思うのか理解できない。★「クレヨンしんちゃん」などの漫画本や時代小説など一部の支出も不適切と判断された。*****「不適切」という言葉が不適切だ!!!はっきり「違法」となぜ言わないのか理解できない。★弁護士「知事を含めた関係者のヒアリング、関係者から資料の提出を受け、さらには自分たちで調査できるところは調査したりもした。」*****本人や関係者は、悪いように言うはずがない。「不適切支出」114万円返金=宿泊・飲食、というけれど、114万円くらい、1ヶ月の給料だからすぐ取り返せると思っているに違いない。それに、一桁以上間違っていると思う。都知事が変われば日本も、東京も変わる。こんな人は一日も早く辞めなくてはならない!!・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.06.07
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■マイ・フェア・レディ:あらすじ■イライザ(オードリー・ヘップバーン)は花売り娘だ。うすら寒い三月の風の中で声をはりあげて売り歩く。ある夜、ヒギンス博士(レックス・ハリソン)に言葉の訛りを指摘されてから、大きく人生が変った。博士の家に住み込むことになったのだ。だが、今までの色々の苦労よりももっと苦しい難行を強いられた。何度も同じ言葉を録音するのだ。博士の家に同居するピカリング大佐は親切で優しい。ある日、イライザの父親ドゥリットル(スタンレー・ハロウェイ)が娘を誘惑されたと勘違いして怒鳴り込んだが、貴婦人になる修業をしていると聞いて喜んだ。それから4カ月。イライザは美しい貴婦人として社交界へデビューした。★原題 My Fair Lady ★製作年 1964年 ★上映時間 173分 ■午前十時の映画祭■で見てきた。40年以上前に見た映画で、内容も覚えていたが、やっぱり見てよかったという豪華さ。★衣装デザイン賞(カラー映画部門) セシル・ビートン衣装が美しい。アスコット競馬場のドレスは、この映画を代表するもの。しかし、私は、大使館へ行くときの、白いドレスがいい。オードリーのほっそりした体形で上品なことこのうえなし!最後に着ていたピンクのドレスと帽子も可愛かった。★歌がいい。♪ああ、なんてしあわせ! (Wouldn't It Be Loverly?)♪運が良けりゃ (With A Little Bit of Luck)♪スペインの雨 (The Rain in Spain)♪踊り明かそう (I Could Have Danced All Night)♪だが まずは教会へ (Get Me to the Church on Time)ミュージカルを映画にしたのだから、いいのは当たり前だけれど、ここに挙げた歌は、今聞いても古くないと思った。ある競馬場では「運がよけりゃ」という曲を流しているそうだ。「踊り明かそう」もよく聞く。韻を踏んでいるので、翻訳なしでわかれば、もっといいのにな。アカデミー賞最優秀作品賞監督賞 ジョージ・キューカー編曲賞 アンドレ・プレヴィン録音賞 フランシス・J・シェイド=マレー・スピバック撮影賞(カラー映画部門) ハリー・ストラドリング美術賞(カラー映画部門) ジーン・アレン衣装デザイン賞(カラー映画部門) セシル・ビートン男優賞 レックス・ハリソンなどなどの賞を受賞したが、イライザ役は、歌が吹き替えのため、主演女優賞を受賞できず、オードリーが悔しがったというエピソードにはビックリ。この当時は、まだ白黒も多かったのか、撮影賞や美術賞はカラー部門というのが時代を感じる。 「プリティ・ウーマン」は「マイ・フェア・レディ」の現代版。映画を見たことがない人でも、あまりに有名なこのシンデレラ・ストーリーは知っているのか当時生まれていないような若い人の姿も見えて、嬉しかった。「マイ・フェア・レディ」のロケ地は、ロンドンのコヴェント・ガーデン。1972年に行った時は、まだ、映画のような雰囲気が残っていたが1980年にショッピングセンターにしたらしい。■2010年9月9日■に行ってみたら、大道芸人がいたりして賑やかだった。■コヴェント・ガーデン■■マイ・フェア・レディ動画■■今年の午前十時の映画祭のラインナップ■。・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.06.06
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■5月31日■奈良町からくりおもちゃ館■に行った。 奈良町からくりおもちゃ館が所蔵するおもちゃは、奈良大学名誉教授鎌田道隆氏より奈良市に寄贈されたもので、復元されたからくりおもちゃに加え、各地の郷土玩具や、ベーゴマ・だるまおとしなどの昔懐かしいおもちゃ、合計約600点を数えます。 なかでも、からくりおもちゃは200点にのぼり、2ヶ月に1回程度展示替えをしながら、常時30点ほどのおもちゃに触れて遊ぶことができます。 おもちゃが庶民の間に流布するのは江戸時代中期頃からで、江戸時代後期には多くのからくりおもちゃが考案され、売られるようになっています。奈良町からくりおもちゃ館では、それらの様子を描いた浮世絵や絵本、随筆などの絵画資料や文献資料をもとに復元したおもちゃを展示しています。からくりおもちゃには、昔の人々の知恵や工夫、技術やアイデアが溢れています。昔の人は、木や竹や和紙・土・糸などの自然素材を組み合わせて、思いがけない動きをする仕掛けを生み出しています。からくりおもちゃで遊ぶと、きっと驚きや発見がたくさんあることでしょう。 ■鯛つり■いろんな、からくり、仕掛けのあるおもちゃが置いてあった。竹を立てると鯛が紐を移動する「鯛つり」。 上の「頬(ほお)かぶり」は、 舌を出したり白目をむいたり・・・。「江都二色」は、安永2年(1773)に刊行された江戸時代の代表的な玩具絵本。江都は江戸のあて字で、二色は錦のかけ言葉になっていて、美しい本であることを意味している。(略)収禄されている玩具は80種類あまり。それぞれの玩具の色つきの絵と名前、玩具の名前を織り込んだダジャレ、狂歌まであるというからすごい!!影絵遊びも酒の席で、よくやっていたようだ。そのための指南書まで出ていたというから、江戸時代の人は大人も楽しんだことがわかる。この障子を利用して遊んでいたのかもしれない。 からくりおもちゃの製作体験講座は、毎月1回、土曜日または日曜日に開催している。 ■からくりおもちゃ館■■製作体験講座■要予約■休館日■*水曜日、年末年始(12月29~1月3日) (祝日の場合、休館日が変わることもありますので、事前にお問い合わせください) ■駐車場■なし。ならまちセンター前駐車場または、ならまち大通り周辺のコインパーキングをご利用ください。 ・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.06.05
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■5月31日■奈良に行ってブラブラしてきた。■「奈良町からくりおもちゃ館」という所に入ってみた。奈良町からくりおもちゃ館は、奈良町の活性化と奈良市の観光振興に役立ててほしいと奈良市へ寄贈された旧松矢家住宅を活用したものです。 現在、奈良町からくりおもちゃ館となっている場所は、明治期に名声を博した「松利」という料理屋の一部でした。からくりおもちゃが展示されている母屋は、明治23年に「松利」の離れとして建てられたもので、伝統的な奈良町の町家の様式を随所にとどめ、奈良市の都市景観形成建築物等に指定されています。 また、庭の奥には工房棟を新たに設け、製作体験教室や講演会を行ったり、夏休み・春期・秋期・正月など季節ごとにさまざまな遊びが体験できるスペースとして開放しています。 さらに、庭には椿の大木や山茶花、梅、桜、石楠花、紫陽花、萩など、四季折々の花が植えられており、メジロなどの小鳥が集う、落ち着いた空間となっています。 からくりおもちゃ館は、もとご隠居さんの離れとして建てられたものというが、本宅は、どんだけすごいねんと思う。このご隠居さんの趣味は茶の湯。2畳の茶室があったが、狭くて、写真が撮りにくかった。また、部屋の欄間には、なつめ、茶杓、茶碗、ひしゃく・・・などなど茶の湯にまつわる絵が掘りぬかれてあった。からくりおもちゃも楽しかったが、この建物を見るだけでも値打ちがある。 ■からくりおもちゃ館■■休館日■*水曜日、年末年始(12月29~1月3日) (祝日の場合、休館日が変わることもありますので、事前にお問い合わせください) ■駐車場■なし。ならまちセンター前駐車場または、ならまち大通り周辺のコインパーキングをご利用ください。 ・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.06.04
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■5月31日奈良県の「ならまち」に友人と行ってきた。角振町、椿井、東城戸、南城戸、京終町・・・。奈良は古い町なので、地名も古いのがある。陰陽町(いんようちょう )という地名時を司り「奈良暦」とか「南都暦」といわれていた暦を作っていた陰陽師(おんみょうじ)が住んでいたとか。 ■ブラタモリ■でもやっていたが、奈良は、坂が多かった。「奈良」の語源は、「平らに“なら”された土地。」奈良盆地というくらいだから、まわりを山に囲まれていたから、坂が多いのだろうか?「ブラタモリ」見たのに、忘れた・・・。_| ̄|○町を歩いていると、大きな町屋があった。土間には、線路がひかれている!!よほど大きな商売をしていたのだろう。あおによし奈良の都は咲く花の匂ふがごとく今盛りなり小野老小野老(おののおゆ)九州大宰府の地から故郷の奈良を想う望郷の歌。大宰府と奈良の距離は今の日本とヨーロッパどころではなかったのだろうから、「ちょっと、行ってきます」という感覚ではなく、さぞ都が恋しかったことだろう。奈良が都になったのは、西暦710年、8世紀前半から。■ひとりブラタモリした大津神社■やそのそばを流れていたという■古市大溝■は、7世紀までにはあったというから奈良時代よりも古いものだ。・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.06.03
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■海よりもまだ深く:あらすじ■♪音が出ます!なりたかった大人になれた?母・淑子(樹木希林)は苦労させられた夫を突然の病で亡くしてからは、団地で気楽な独り暮らしをしている。15年前に文学賞を一度獲った売れない作家の長男・良多(阿部寛)は、“小説のための取材”だと周囲にも自分にも言い訳しながら、今は探偵事務所に勤めている。元嫁・響子(真木よう子)はそんな良多に愛想を尽かして離婚した。良多は11歳の息子・真悟(吉澤太陽)の養育費も満足に払えないくせに未練たらたらで、探偵の技術で響子を張り込みし、彼女に新しい恋人ができたことを知ってショックを受ける。ある日、たまたま良多と響子と真悟が母・淑子の家に集まる。すると台風のため翌朝まで帰れなくなり、4人は一つ屋根の下で一晩過ごすことになるが……。■花よりもなほ■■歩いても歩いても■■空気人形■■そして父になる■■海街diary■これ、全て、是枝監督作品で、毎年のように、話題作を作っている。「そして父になる」、「海街diary」と家族を描いていたが、今回の作品も家族。ただし、母親と、離婚した妻、息子を描いているから、元家族というべきか。 この映画が、成功したのは、主役が阿部寛だからではないかと、ファンの私は思っている。妻に愛想をつかされ、離婚する。笑ってしまうほどのダメダメ人間の中年男も阿部寛だと悲壮感が湧かない。いや、哀愁さえかっこよく見える。(ひいきか?)家族や職場の人との会話がいい。普通、家族だったら、「あれ」で通じるところが多いが、この映画も「あれ」が多用されていた。また、その会話の中に、思わずメモしたくなるようなセリフがあった。★「誰かの過去になる勇気を持つのが、大人の男ってもんだよ・・・。」主人公、良多は別れた妻や子どもをしつこく思っている。そんな彼に、職場(探偵事務所)の所長が言う言葉。★「幸せってのはね・・・何かを諦めないと手に出来ないもんなのよ。」いつまでも、元妻子や、かつての文学賞という栄光を引きずる良多。そんな息子に、母親がいうセリフ。元家族を諦めないと新しい家族は作れない。その他、母親がいうことがよかった。「私が弱っていくのを、しっかり見ておきなさいよ。」いつまでも、ダメな息子に母親は、いつかは息子にも老いが来ることを言いたかったのではないだろうか。この映画の舞台は、母親の住む団地。ここは是枝監督が9歳から28歳まで住んでいた団地だそうだ。またタイトルの「海よりもまだ深く」は、テレサ・テンの歌詞の一部だそうだ。・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.06.02
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■殿、利息でござる!:あらすじ■♪音が出ます!ゼニと頭は、使いよう。これも世の貯め、人の貯め。江戸中期。仙台藩は財政が厳しく、重税にあえぐ百姓や町人たちの破産と夜逃げが後を絶たなかった。小さな宿場町・吉岡藩もすっかり寂れてしまい、造り酒屋の主・穀田屋十三郎(阿部サダヲ)は町の行く末を案じていた。そんな中、知恵者の菅原屋篤平治(瑛太)がある秘策を打ち出す。それは、大金を藩に貸し付け、藩から利息を得るというものだった。目標額は、千両。しかしこれが明るみになれば打ち首必至。十三郎とその弟・浅野屋甚内(妻夫木聡)、さらに宿場町の仲間たちは、水面下で大金を掻き集めようと知恵を絞り、奔走する。 自分の財産を、世のために使おうと奔走する人々の姿を描いた痛快歴史エンターテイメント。大好きな風呂も、お酒もガマン!宝物も家財道具も売り払いひたすら小銭を貯め、自分たちの地区をよくしようとする「無私」の人々を描いた映画だが、実話なのだ。升添都知事に見せたい。■無私(むし)とは、■私心・我利・我欲・エゴなどの「自分のため」といった感情がない状態。 またはその人自身が他を認識する為のメジャー・私的計測基準などを排除して、他の存在自体・そのもの自体を認識できる状態のこと。 無私の境地で判断する事によって、そのもの自体をより確実に正確に認識できるようになる。日本の禅も、この無私の境地の訓練方法の一つである。 財産をなげうってという人は珍しい。今でも、寄付などをすると売名行為などと言われる。また、特別扱いされて、ハレの場などには、特別に招かれたりする。しかし、吉川宿の人々は違った。自分たちがしたことを自慢することはおろか「末代まで決して人様に自慢してはならない」という掟を制定。彼らは、末席に座り、道の端を歩くようにという掟に従う。 こんな奇特な人は、そうそういない。けれども、宿場町・吉岡の人々は、私財をなげうってでも、資金を工面した人が何人もいた。このような人が同じところで暮らしていたなんて、なんという偶然!しかし、千両という大金は、そうそうたやすく集まるはずもなし、集まったら集まったで、お上がそうやすやすと借るはずもなく、ハラハラ、ドキドキ・・・。奇跡と感動の、エンターテイメント時代劇。 この映画、フィギアスケーターの羽生結弦が殿役で出演。「よっ!殿!!」と心の中で応援した。( ̄m ̄*)「重村である」と伊達重村役で堂々の■映画デビュー■。「殿役は撮影当日まで現場内でも極秘扱い。リハーサルを終え、煌びやかな衣裳で登場した彼を見たときの皆の表情といったら…。まさに、江戸時代、殿様が突然現れたときの主人公たちの表情と全く同じだったのではないかと思います」と撮影当日までの裏事情を明かした監督。吉岡宿を助けようと奔走する■穀田屋(こくだや)十三郎■の末裔は、いまも酒屋を営んでいる。また、知恵を出して穀田屋を助けた菅原屋篤平治(すがわらや・とくへいじ)の墓もあり、当時としては珍しく夫婦仲良く同じ墓に眠っている。めでたし、めでたし。♪主題歌RCサクセションの「上を向いて歩こう」がよかった♪・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・
2016.06.01
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