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人に助けられた犬というのは沢山居る。保護活動家のところにはそういう名目が着いた怠惰と贅沢を体得した生意気な犬が沢山居る。が、人を助ける犬と言うと介助犬・盲導犬とか救助犬、セラピードッグといった特殊な仕事に限定された犬の様に思われがちだ。。。が、犬が意図している居ないに関わらず犬自身がどう感じていようと関係なく犬の中には人を救っている犬というのが割りと多く存在していたりする。その子が居る事によって飼い主の心が救われている犬であったり飼主は生きる気力を保つ事が出来る犬だったり飼主の人生の歪みや過ちを正してくれる犬も居れば人間同士の関係を見直すきっかけを提供してくれる存在たる犬も居たりする。犬と言うのはとても能力の高い生き物で、人に助けられずともそれ自身で生きていられる生き物だ。だから、私たちは多くのイヌを救っていると豪語する人たちを見るにつけ傲慢だなと感じてしまうところがある。それと同時に人に助けられたり庇われたりしなければ生きていられない犬なんていうのははっきり言って「堕落した犬」「自立できていない犬」としか思えなかったりもするわけだ。昨年私は、飼主の心の支えと成って飼主に生きる力を与え続ける存在たる犬に関わる機会を持っていた。その方にとって、その犬は唯一無二の存在であったろうと思う。どうせ飼うなら、どうせ飼われるなら、飼主とそういう関係を結べる犬であって欲しい。ワケの解らぬ連中に救ってあげたと言われるような堕落しきった犬が多い中、人間同士であったって相手の人間を救うことなど出来ない事が多いのに犬でありながら人を救える犬というのはなかなかどうして大したものだと感心せずに居られない。一昨昨日、A氏とB家の間でトラブルが発生した。両者間ではどうにもならない行き違いが生じていて間に入っていた私も投げやりに成っていた。昨年12月に生まれたオゥシー仔犬の1頭にやたらと小さくて生存が危ぶまれるアンジェラという子がいたのだけれどその子も無事これまで育ち、外に出すにあたり健康上問題が無いのかどうかを確認するために三ヶ月に成るのを待って血液検査をしようと考えていた。が、いざ3ヵ月経ってみると野暮用が立て込んでなかなか獣医に行く事が出来ない。そうこうしているうちに彼岸の連休に入ってしまいA氏とB家のごたごたなどが発生したりして結局連休明けにでも獣医に連れて行くかなとおもっていたところへ連休中にA氏とB家の行き違いが決定的になってしまった。なんだか精神的に疲れていて元々出不精な自分ではあったがいつまでもアンジェラの確認検査をせずに抱え込んでいるわけにも行かないなと連休が明けた一昨日重い腰を上げて獣医に出かけてみた。アンジェラの検査が終り駐車場に置いてあった車に乗り込むとそこからB家はわけない距離である事からこのごたごたを処理するために直接B家を訪ねてみようかという気に成った。B家を訪問してみるとああ、ここの理解が出来ていない事がことの始まりだなと問題点がはっきりし、その場でA氏と電話でやり取りしたところ御互いの誤解が解け問題解決ということに治まった。アンジェラの検査予定が無かったら出無精の私が直接B家を訪れる事は無かった。そんな事情を知ったA氏曰く、アンジェラがB家の危機を救いA氏自身が抱えていたストレスを解消してくれたのだと。。。当のアンジェラはただ車に乗せられ血を採られに行っただけなのだけど本人の意図していないところで人を助ける犬に昇格ということらしい。。。
Mar 25, 2010
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単純に風邪かなと思う部分と眼精疲労によるのかなという部分がある。。。が、それだけではなくて、精神疲労によるところもあるのかも。。。クモ膜下出血かもしれなし。。。あるわけねぇ~^^;
Mar 23, 2010
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自分が若かりし頃にはチャンスを与えてくれる存在というのが無かった。で、今齢ン十歳になり年齢的に?身の回りに居る同年代とか、さらに上の年代とかの知人の中には他人、特に若手の人たちに対してチャンスを与えられるだけの立場にある人というのが多く存在する。そう。。。そういう年になったんだなぁ自分・・・とちょっと悲しくも有るのだが。。。^^;で、その方たちが、若手の人たちに対して大きなチャンスを与えているのを傍で見ているとなんとも実に勿体無い事、チャンスを与えられている若手さんたちはそれらを生かしきれないとかさらには、折角与えられているチャンスを実に下らない理由で無にしてしまっていたりする。思うに、そういう目の前にあるチャンスを捕まえる事が出来ない人たちと言うのは我侭ゆえにやるべきことを行わず、やってはいけないことをやってしまっていたり物事の基準が好みだの感情だのに偏っていて、考えかたが非常に狭かったり目先の損得によって判断がなされていたりという共通点がある。我侭でなければもっと相手の考え方を理解できたりその後の展開を予測できたりするのだろうけれど自分勝手な考え方から脱せ無いために相手の考えかたが見えなかったりやってはいけないことをやってしまったりして折角与えられているチャンスを自ら潰してしまうことに成る。我侭さというのはチャンスをものに出来ない最大の原因だなとそうした若手の方たちを見ていて思ったね。
Mar 22, 2010
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彼等は自分たちが犬やら猫やらを救っていると豪語する。他人の尻拭いをしてあげていると恩着せがましい嘆きを吐く。が、実際のところ猫のことは知らないがこと、犬に関して言うなら彼等は犬など救っちゃあいない。肉体的には救ったと見えるかもしれないがおやつだの自由だのを与える事によって食慾の権化にしてしまったり権勢犬にしてしまったりと精神的には追い詰めるだけの保護団体が殆どで、そういう部分までを含めて「救っている」と言えるところは珍しい。他人の尻拭いをさせられているなどとほざく彼等が救っているのは犬だの猫だのではなくて自分たちだよなと思う。可哀想で居ても立っても居られない。。。思いやりとか優しい気持ちから発しているのではなく我侭さゆえの耐性の低さと自分の思い通りにしなくては気がすまないのであったり可哀想で居ても立っても居られないというそういう負の感情にさいなまれる事から逃れたいということで動いているだけのこと。そんなだから、犬1頭を何とかしてあげることで人一人が救われるという状況にあってもその1頭を何とかしてあげようとはせず、上手い事そうした事態から逃れて終わる。まさしく、犬猫にしか心を開けない人たちなんだなと再確認させられる。そういうときには、そそくさと蜘蛛の子散らすように成りを潜めてやり過ごすくせに犬猫だけの話のときはいかにも恩情で動いている人たちですと言わんばかりに自分達を持ち上げた言い方をするから可笑しい。別にそれは仕事としてやらなくてはならないことと言うのではない単なる自分がやりたいことの一つであって言ってみれば「趣味」の類だろうと思う。自分が好きでやっていることをえらく恩着せがましいことを言ってのけられる図々しさと世間知らずな感覚。自分の趣味を他人にまで強要しようするタカピーな感覚。もうそれもいい加減やめて欲しいと思う。先日の行政の講習会で魚類にまで愛護法を広げていこうとする動きが出ていると聞かされたが、喘息だのアレルギーだので犬・猫を飼うことを我慢させられている子供の多くが水棲動物の飼育でペットを飼うという欲求を我慢していたりする。なのに、そんな対象にまで法の範囲を広げたら世話がいい加減だったり知識や技術が未熟だったりする子供などは水棲動物も飼えなくなる。可哀想がるのは勝手だけれど、そういう感覚を他人にまで押し付けてこないで欲しいと思う。
Mar 10, 2010
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自分の犬には絶対こうなって欲しく無いという状態(食べ物に対する異常なまでの執着)食物を得んがためにはなんでもする状態の犬を頭の良い犬とか意欲的な犬と評価するトレーナーさんもいらっしゃる。食物への異常な執着を示すという状態と言うのは心に飼い主不在の犬が大半だということやどんな手を使ってでも食物を手に入れようとその時だけ異様に燃える精神状態と言うのがその先、食物がらみで噛みつきに発展する事が多いというのを知らなかったらそれが頭の良い犬、意欲的な犬といった評価を信じてしまうかもね。そこまで食に執着する犬におやつの御褒美を使うというのは食べ物があるときは言う事を聞くけれど無いときは飼い主なんか無視するといったパターンのイヌを作ることにはまり易かったりする。目先、何かが出来る様になったとて飼い主の存在がハートに無いのは自分としては、犬が何かが出来るようになったとしてそんなこたぁ全く無意味だ!かえって、自分の犬が食物があるときと無いときで態度が変わるのを目にすることはストレス以外の何物でもなくなる。そんなだからね、なんにも出来なくて良いから普通にしていておくれ!と思う。
Mar 1, 2010
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どこからどうなってそういう話になったのか解らないまま他社の幹部社員の教育を何故か私が行っている。変なの。。。
Mar 1, 2010
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