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子供の教育。。。って親自身が自分にどれだけ厳しく成れるか?他者(自分以外の家族も含む)に対してどこまで優しくなれるか?自分がどこまで筋の通った話が出来るか?に拠るのではそんな風に見ていて思った
Sep 28, 2010
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私は自他共に認める滅法「運の悪い人間」だ!どんなに万全を期していたとしても「どんでん返し」はいつでも必ずといって良いほど我が身に訪れる。獣医ですら知らない国内ではワクチンが手に入らないなんていうそんなウィルスが我が子(犬)を襲うとか、よりによって種オスとして入れた子を不必要な薬の投与で安楽死せざるを得なくなるとかそんなことがひっきりなしに起る。先日も立ち直れないよな。。。と思う出来事が起きて正直、もうどうでもいいやと投げ出したくなっていた。乗越えられない試練は与えられないとかってよく言われているけれど乗越えるたび、これでもかっ!と倍加したような試練が襲ってくるのにはいい加減にしてくれ!って思ってしまうね。先への「期待」というのはそんなだから、もう殆ど持てなくなってきている。それだけに、「今、正常であること」はとても価値あることとして感じるし「今、正常であること」の幸せも普通の人以上に実感する。でね、おかしな話だが、どんでん返しを食らったときも以前ほどには落ち込まずに済む様になったのは「人間万事塞翁が馬」という考え方を身に着けてからなのだけどそういうところからきた考え方かなと思うのだけどドンデン返しを食らっているその時もそれを嘆くことなくそうした悪運に事欠かない人生というか運命というのかそれを全て丸ごと受け入れてしまうなら大して苦しくもなくなるのかな?って。。。悟った。これまでは、運の良い人を羨ましく思ったり自分の不運を嘆いたりしていたのだけど、不運も運のうち!と丸ごと受け入れてしまうとそれはそれで。。。と抗わない分楽に成る?これはおそらく暑さに抗っている犬と暑さを受け入れている犬の違いから得た悟り?かもしれない。いつでも人生を教えてくれる君達に感謝。
Sep 22, 2010
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昨日介護先に向けて刈込みの終わった田んぼを何気なし見ながら自転車をこいでいたらふと一つの考えが頭に浮かんだ。それは昨晩娘と電話で交わした話によるのだと思うが、よく他人の目が気に成るというのはその人が一生懸命ということをやってこなかった経緯による部分が大きいのかもなぁと思った。一生懸命物事に取り組むといった泥臭さは今の時代、格好悪いとか要領が悪いとか思われていたりする。。。が、一生懸命取り組んでいた自分があると何かまずい状況に陥ってもやれることはやっていたと言う諦めや開き直りが出来る。あれ以上やれることは無かった。。。とかそれくらい頑張っていた。。。とかそういう感覚が有れば他人からどう見られようともそんなこたぁ関係ない!と割り切れる。一生懸命を馬鹿にしたりしてやるべき事をしっかりやってこなかった自分というのは他人よりも自分が一番良く知っている。だから他人の目は誤魔化せても自分自身は誤魔化しがきかなくなる。そこから、他人の目に自分はどう映っているか?という感覚を拭い去る事が難しくなっていたりするのじゃないかな?
Sep 22, 2010
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先ほど、介護の道40年(内半分以上は看護だったらしいのだが。。。)という超ベテランさんの入浴介助を見させていただいた。その方は、この道40年というだけあってかなりのご高齢で、この一年ほどを後継者作りに供した後退職なさるらしいのだが年令からか?もとからそう言う方なのか?身長が156cmの私などよりも頭一つ分ほど小柄な方だった。。。しかし、ひとたび作業が始まるやその小柄な体が何故か巨人に見えてくる。非常に落ち付いた安心感。特別何かすると言うのではないのに大きな安心感があの小さな体を巨人の様に錯覚させる。プロの仕事だよ~!と思ったね。この感動は師匠と初めて出会った時の感動と同じだ。師匠に始めてあったときもやはり非常に小柄で細身の師匠が巨人に見えたものだった。こんな訓練士みたことねぇ!頭の中はその言葉で一杯になり翌週またお逢いする機会が訪れるまで感動が継続して二度目にお目にかかれた後一週間分の興奮疲れがドドッと襲ってきたのを覚えている。今日お世話になった介護の方にもそんな感動を覚えた。居るんだねぇ、ああいう人。
Sep 16, 2010
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犬の事が解ったからといって人の事が解るとは限らない。。。が、人の事が解らないヤツが犬のことなんか解るわけないと思う。ましてや、自分のことも解っていないヤツが犬の事なんか解るとは到底思えない。
Sep 16, 2010
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自分がどんなにやられていてもじっと耐えることを知っている犬が傍若無人な乱暴犬と同席させられ一方的に攻められるのをなんとか交わしてやり過しているというそんな緊迫感一杯の動画でも飼主は、2頭の間でトラブルに発展することが無いというだけでこの2頭は仲良しで朝から晩まで遊んでいると説明する。朝から晩まで虐めにあっている弁えた犬の心理を考えるときいじめっ子体質の鈍感な飼主に飼われてしまった不運を哀れに思う。飼い主は自分の内に潜む支配性や他者の痛みなど目もくれず強いことが誉れといったヤクザ性に気づいていないのだろうな。自分の中にあるそうした気質を満足させる苛める側の犬。その犬の側の目で物事を見てしまっているからやられてもジッと耐えている犬の悲哀に気づかないのだろうな。。。牧羊犬種は犬同士の絡みなんか望まないのにね。牧羊犬種はさ、牧童と自分が一対一の関係があればそれで事足りる。独占欲が強いとか言われがちなのも仕事を与えてくれるオーナーが好きである事による。きっちり仕事を与えてくれるオーナーが居ればそれ以外の犬同士の関係なんか興味が無い。そんな牧羊犬種に攻撃性を備えているガードドッグを絡ませれば、力関係が一方的に出来上がるのは目に見えている。それがそのまま動画に映し出されていても鈍感で身勝手な解釈で満足してしまう飼い主には仲良しの2頭と映っているらしいから耐えている側のイヌを救い出してくれる者は存在せず、そのイヌは、これから先も永い事虐められっ子で過ごさざるを得ないのだろうなと哀れでならない。
Sep 12, 2010
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世間でイヌを飼い殺しといえば繋ぎっ放しで生きているのに最低限の水と餌を与えるだけの飼い方。。。という風に思われている。能力の高いイヌを愛玩犬として空調設備の整った室内で神経が行き届いた栄養のある食べ物を十二分に与えられお出かけのお供をしたり立派なプールで泳がせてもらったりしている犬が飼い殺されているとは人間はなかなか気づかない。飼主は自分が軍隊調の規律の中で暮すことが自分として受け入れ難かったりすると犬もそういうきつい暮らしは嫌なんじゃないかと自分と同じだろうと勝手に思い込む。しかし、イヌはもともと縦社会に生きる本能を持つ生き物。さらには使役犬としてその部分を強化されてきた歴史を持つ犬達だって居たりする。能力の高い犬とはそのように選択交配されてきた犬達が大半。。。なのに、軍隊調が飼主自分の肌に合わないからといって犬に自堕落な生活を強いるのは飼い殺しというものだよなぁと仕事も、何の緊張感も与えられずただ媚びて食物をねだるだけの生活を強いられた犬達を見ていてその世界を拒絶した目に何故飼主は気づいてあげないのか?不思議でならない。「バンドオブブラザーズ」とか「ローマ」とか向こう物のテレビドラマの中に優秀な兵士たちが終戦と共に自分たちの能力のやり場の無さに苦しむ姿が描かれていたりする。使役犬として生まれた犬達が愛玩犬として生きる道を強いられたときあの行き場を失った兵士たちの苦しみがそのまんま犬達の中に渦巻いている。。。そんな気がして成らない。愛玩犬を望む飼主、愛玩犬しか飼いこなせない飼主たちがなぜ、あえて使役犬種に手を出すのか?イヌを苦しめるだけなのに。。。と思う。かつて訓練仲間だった一人の女性がそういう飼主と犬について東大に行ける能力がある子供、東大に行きたがっている子供に、そんな所にいく必要は無い、中学卒で充分なんだから中学校が終わったら働きなさいと言っているのと同じだよねと言っていた。ボール投げとか自転車引き運動とか良くてフリスビー投げてディスクドッグ?運動させていれば事足りるみたいな?それって軍隊で参謀に成れる能力を持つ者を何時までも肉体だけ鍛えていれば良い歩兵で使うのと同じことだと思う。でも世間ではそういうのを飼い殺しとは言わず飼い殺している飼い主は良い環境を提供し(自堕落な)楽しみを充分に与える良い飼い主として評価されている。イヌは規律と仕事を与えられた暮らしに安心感を覚える本能を備えている。しかし人間は規律と仕事が大嫌い。犬も自分と同じだろうという勘違いした擬人化が平和ボケした世界における退役軍人の悲劇(ノイローゼ)を生んでいる事に気づかない。自分は人間で、相手は犬であるという疑う余地の無い紛れも無い事実さえ正しく認識できていればそうした勘違い甚だしい擬人化は起きなかろうにこんな単純な事実でさえ見えなくなるほど人間は病んでいるということなんだろうなぁ。。。
Sep 11, 2010
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昨日は、いろんなことが起きた日だった。その一つにセラピードッグの要請というのがあった。うちは、貸し出しに関する許可申請を行っていないから現段階でそれはないし、今後も行う予定は無かった。そんな中、そうした話が持ち上がり今後それをやっていくための申請をすべきか?を再検討したのだがやっぱ、それはないな!と再確認した。理由は、そうした事を行うには使うのがまともな犬の場合には犬が余りに可哀想過ぎるというのとそうした犬に仕上げたやつ(世間で言う「フレンドリー」な犬という飼主以外の分けの解らない関わり方をしてくる人間でも全然平気という人間を使っているだけの犬や物事に鈍感な損得勘定だけで生きていられる犬)と長く暮すことは大きなストレスにしかならない。話を持ち出した方は採算ベースに乗ればという注釈つきでのオファーだったが、採算ベースに乗らなくても犬に負担が無くて精神状態が可愛いままの犬で事足りるなら人の役に立つ事だからとは思うのだが、可愛い精神構造の犬ではとてもなし得ない仕事内容なのに犬の年令が重なって仕事が出来なくなったとき、可愛くない犬を長く抱え込んでいるのはストレス以外のなにものでもないからそういうのはゴメンだ!と思った。実際今までだってそういう精神構造の犬に苛々しているじゃないか?!やっとそういう犬が居なくなって(犬の内面が変化したからね)まあ、これなら一生面倒見てやるよと思ったようなものじゃなかったか?と自分に問う。昔、犬の事が殆ど解らなかった頃は犬の悪さも見えなかったから世間の犬と関わっていてもイライラする事は無かった。が、犬が解る様になってまともな犬と、そうでない犬がやっていることの「違い」が見えるようになってからは後者の犬との関わりがとても大きなストレスになる。そんなだからね、素人時代には価値あることとして評価していたし憧れてもいた「セラピードッグ」も今は、ああいうイヌはゴメンだなとしか思えなくなっている。それを駄目押しするかのように数年前、セラピードッグの実演とかがあるイベント(そのお旗本の犬達なのにね)で他所の犬に襲いかかる「セラピードッグ」を見てしまってやっぱそうだろうな!と大いに納得したものだった。そういう精神構造を今の私が見て見ぬフリ出来るわけが無い。こういうことを言い出すと世間を敵に回すようなものだから、きっとイヌを解っていて世間のそしりなども理解している人たちは黙して語らずなんじゃないかと思うけど、昨日、そういうオファーが有ったからついでにここで公言してしまう事にする。ああいうイヌを作りたいとは思わない!ってことを。。。
Sep 6, 2010
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