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米国の初代大統領ジョージ・ワシントンの延滞料だとさ!もう一冊分とあわせたら5400万円か?・・・http://news.mag2.com/world/48225/detail
May 23, 2010
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http://ranking.goo.ne.jp/column/article/goorank/10161/
May 20, 2010
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私はいつでも本音だけで話しているよ。お愛想とか社交辞令とかただ相手に話を合わせるためにとかそんな風に自分を偽った会話というのはしないことにしているからね。それらの会話はただ時間を無駄にしているだけで中身が無いでしょ。。。先がなが~い若者と違って残された時間には限りが見える年令だからさ人生の貴重な時間を無駄に過ごしたくないんだよね。だからお愛想を私に求めるのは辞めてね!お愛想で私と会話するのも辞めてね!それだったら会話が無くても良いと思うから。。。
May 14, 2010
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孤独が孤独と感じなくなったときって世界がガラリと変化する。それはきっと転機なんだろうなと思うヮ。。。どんぐりの背比べ五十歩百歩のところに居るときは周りからちょっと抜きん出て周りと感覚が違ってくる事に孤独を感じ孤独に対して嫌悪感を抱く。それが、もっともっと周りとの差が開いてくると余りのギャップにああ、この感覚の差は埋めようが無いだろうと思うようになり孤独であることも仕方なし!と受け入れるようになる。そこから先、自分だけの世界が確立してくると孤独な状況もそれと感じなくなる。自分独りが在る。。。その状況に何の疑問も嫌悪も不安も迷いも生じない。孤独な状況が孤独と思わなくなったとき世界観が全く違うものに変わり集中力がそれまでとは比べ物にならないくらい変化して能力以上の力を発揮出来るように変わるね。
May 14, 2010
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感情を出すとか出さないとかって一口に如何すべきなんていうことは出来ないことだと思う。相手によっては感情を出さないと通じなかったりするし感情を出したことで相手が萎縮してつぶれていく事だってある。感情を出さないということが大人と限った事ではないと思うし、出したから子供というのでもないと思うヮ。。。だけど、それをこうすべきと一口に言ってしまうのはそういうケースバイケースということのない絶対的な地位に納まって永い人だからなんだろうな。。。と思って聞いていた。どんなに穏かに話しても絶対権力の前に皆がひれ伏してしまうそんな立場に居れば感情を出す必要もないし感情を出したら相手はビビッテ何も言わなく、言えなく?成るだけだものね。だけど、すべての人がそういう状況にあるわけではないからそれが全ての答えの様に言ってしまうのは脇で聞いていてなんか違うとしか思えなかった。。。プチ反論(笑)
May 14, 2010
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感謝を忘れてしまう人は自分のために尽くしてくれた人に対してふとしたときに相手の怒りを買うような馬鹿なことをやってしまったりして折角与えてもらっていたチャンスを自ら失う方向に相手を動かしてしまうことがあるのだなと思ったよ。今、一人の実業家と一緒に行動することが多くなってみてその考え方を見るにつけそうして自ら折角与えられていた好機を逸している他人を知りなるほど、そういうものなのね!と人間の機微がどのようにその人の人生を変えているのかという運命というか人の本質というかそんなものをいろいろ見させていただいている。考え方が自己中で頭の中が幼い人は目の前に見えている直接自分を助けてくれている相手に対してしか感謝ができない。本当は、その人を自分の下に送り込んでくれた目の前には見えないのだけれど、影で尽力してくれている人の存在を疎かにしてはいけないのに、恩典を与えられたままの状況下で厳しい状況にあったときは見えていた影なる存在も喉元過ぎればその存在を忘れてしまい影なる者の怒りを買うようなとんでもない言動を行ってしまったりする。そういう部分が折角与えてもらっていたものを取り上げられる事につながっているとはおそらく気づいておらずただ直接手を施してくれていた人が自分にしてくれていた事が無くなってしまう事だけを残念がったりガッカリしたり哀しくなったりして終わるのだろうね。。。何故そうなったか?そこには因果応報、自らがまいた種の法則が働いていたんだよ!なんていうことは露ほども思わないのだろうなぁ。。。
May 11, 2010
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このところ人が持つ「生きる力」について考えさせられる事が多い。私が考える「生きる力」とは、自分の力で生きられるか?ということで、世間で言う「自立」に当るのだけど言葉にすると簡単、かつ、誰もが知っている「自立」もそれがちゃんと身に着いている人と言うのは余り居ないのだなと身の周りの人たちや飼い主さんたちを見ていてそのあまりの少なさにとまどいを感じてしまう。自分に起こった問題は自分の力で解決する。他人が解決してくれるわけではないのに何時まで経ってもその現実を受け止めようとせずただクヨクヨメソメソ悲劇のヒロインに納まっていたり、或いは、自分自身が厳しく育てられてこなかったがためにそうしてクヨクヨメソメソしている人を諭して力を与える事が出来ないままただクヨクヨメソメソを容認するだけの「優しい(ただ軟弱というだけなのだけど)人」に納まってしまってメソメソ地獄から引っ張りあげて救ってあげようとしない人だったりする。ああ、そうか!自立が出来ていない人と言うのは自分自身が他人に寄りかかって生きているというずるさや弱さが有るというだけでなく自分の足で立っていることも出来ないくらいに余裕が無いのだからましてや他人を救ってあげられるだけの力など持っているわけがないというちょっと考えればこんな当たり前のことにこれまで気づきもしなかったのだなと改めてお互いに寄りかかって生きているだけの人たちを見て教えられた気がする。貪欲なまでに自分の人生を堪能・謳歌し、生きていることを実感したいと思えば他人に寄りかかったり寄生したりして生きてなどいられない。そういう意味では他人に寄りかかったり他人に寄生して生きているということは楽を選択して生きているというよりも自分の人生そのものを捨ててしまって自分という存在を自ら無意味なもノにしているのと同じなんだなと思ったりする。
May 9, 2010
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