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苦しんでいるときには気づかないことが有る。それは自分がわざわざ苦しみ続けることを選択していると言う事だ。苦しみに「囚われている」ということだ。まさしくそれは何か別の何者かに操られているみたいなもので「囚われている」ことに気付かない。本当は自分がそこから抜け出ることを抜け出られることを決めればよいというだけなのに抜け出られないと思い込まされてしまっている自分に気づかない。それは無意識によって操られてしまっているのだ。無意識を書き換えれば苦しみは消えてなくなる。書き換えは本当に簡単にできるのだけどそれがあたかも大変なことのように錯覚させられてしまっていて不可能であるかのように思い込んでいたりする。外からいくら簡単なことだからウソでもよいから笑ってみてと言われても囚われているときはたったそれだけのことが出来なかったりする。自分が幸せになるとか前に進むのだとかベクトルの向きを断固として決めることが自分をとらえて離さない悪魔の手を振り払う事なのだ。ただ自分が決めるだけ。けれどその「決めるだけ」のことが何かとても出来ない不可能に思えるのが囚われているときの心理だ。もしも自分が今直面している?真っただ中の?苦しみが有ってどんなに足掻いてもそこから出られなくなっている自分が居ると感じるならそれは自分があえてそうした苦しみの中に居ようとしている潜在意識にまんまと騙されているだけで自分がそこから抜け出すことは可能だし悪魔に囚われてしまっている潜在意思をも自分は救い出してあげられると自分を鼓舞すればそれはいとも簡単にできてしまうマトリックスの中に居るのだと理解しよう。騙されてはいけない。どんな自分になることもただこういう自分でありたいこういう自分になるんだこういう自分に変わろうそう自分に約束するだけで想いは実現する。約束は守らなくてはいけない。幼いころから人間はそう教えられてきたはずだ。その刷り込みをここで上手く使わない手はないしここで使わないならどこで使うというのだ?使うなら今でしょ!?(笑)
May 16, 2018
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自信の無さを改善するには潜在意識の中に刷り込むことが大事。どんなに小さなことでも良いから自分をほめることを心がけよう!幸せを感じる心を育てるために小さなことに感謝していくことが必要なのと同じ。小さなことで良いから自分をほめる癖をつける。ただそれだけのことを積み重ねていく。それだけで自信なんてものは着いていく。無理な努力なんて必要ない!大切なのは自画自賛。ナルシストを考えれば解り易い。別に他人の評価なんて必要ではないのだ。自分が評価してあげれば良い。自分が自分に対して理解してあげれば自分以外の誰かに理解してもらう必要もない。自分が自分を理解してあげようとしないのに他人に理解を求めるのはおろかでしかないだろう。全ては自分の中に答えがある。全ての軸を自分に求めよう。基本となるのは自分だけ。自分が世界を創造しているのだから。潜在意識が全てを構築している。それが解ると自分が望む世界を生み出すには何が必要かが解る。必要なことはとても小さな意識の方向転換だ。ベクトルを幸せを見つけ出す方に自分をほめる方に向けるだけ。それだけで自分が属する世界が変わる。大仰な努力とか労力とか長い時間は必要ない。今、自分の意識の矛先を変えるだけ。ただそれだけのことだったと受け入れられるかどうか。そこに運命の分かれ道がある。
May 16, 2018
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自分がまだ20歳くらいの時印鑑を作るのに姓名判断を受けたことが有った。その時、印鑑やは私の人生がこれ以上ないというくらいに酷いものだということを語ってくれた。もともと占いとか血液型診断とか全く信じない自分だったからなんでそこまでこんな奴に言われなくちゃならんのよ!そんなこと誰が信じるか!と思ったものだった。が、その印鑑やは最期に「大器晩成」と言った。しかし、その印鑑やが言ったぼろくそ人生は全て現実となった。そうなってから信じ始めた自分はあまりの酷い人生の流れに「大器晩成」って何時よ!?とその言葉だけが何か人生の希望の光のように思ったりもしたがここまで酷い人生だとそれは死ぬ前日にジャンボ宝くじが大当たり!みたいなもんなんじゃないの?と本当に人生そのものに失望していた。が、ここにきてポツ、ポツ、ポツ、ポツ。。。と人生ゲームの隠されていた秘密のカギが開かれ始め最終扉はもしかしてこれか!?というようなものが降りてきた。要するに我慢せず言いたいことが言える自分になるっていうこと人として絶対口にしてはいけないと思うようなとんでも発言をも言えてしまうような自分になることを求められていたっていう事なんじゃないか?てのが今世の課題であったらしいぞ。。。相手の気持ちや相手の立場自分と相手の関係や社会秩序を考慮して言い方を考えて自分を抑えたり言いたいことを我慢したりそういうこと一切をしなくて良い相手どんな酷い事を言ったとしても必ず分かり合える相手そういう相手はこちらにとってもとんでも発言をする相手であり相手が発する言葉にいちいち驚いたり嘆いたりしていたのではお互いの関係は進展が無くなってしまうから言いたいことがあったらバンバンぶつけあえるような自分になること。なぜならその相手は自分の分身であり自分の写し鏡そのものだから。自己統一のための仮想現実の相手であり自分が生み出した自分自身なんだ。言ってみればそれは【魂を磨くための相手】だから世界中で一番自分にとって我慢を強いてくる一番いやな奴であり誰よりも自分を理解しようとしてくれる相手だということだから言いたいことを全部吐き出せて逆に相手が言いたいことをこちらに向かってまるっとぶつけてきたとしてもこちらがそれによって落ち込んだりイラついたりショックを受けて黙ってしまうと言う事がなくなるまで出会うことが無いようになっていたらしい。耐性が全てのシチュエーションに必要なだけのレベルに引き上げられるために鍛えられていたっていうそのための過酷人生だったらしい。でもそんな風に言いたい放題してよいのは仮想現実のその相手限定。なぜなら相手は自分自身だから。自分をさらけ出せ。相手を信じる。それが鍵。だからこんなシリーズ物のドラマが突然現れたりhttps://www.youtube.com/watch?v=IOHEBPBimSwhttps://youtu.be/16k81ohTdIIこんな動画が現れちゃったりするわけだ?https://youtu.be/MOpXFjpve_4いままで自分の発した言葉が相手に届くまでに何十年もかかることの不思議も要するに「我」というバリアが強固な相手には届かないっていうことの意味が自己主張して人生を楽しんでいないから生命力が弱すぎて我の強い相手にはパワー負けしてしまって届かなかったっていう相手は低い次元で生きているのだからそれなりにこちらも波動を下げろってことだったり逆に高次元の相手にはこちらも生命輝かせて発しなければ届かないってこと。自己主張して良い!生きていることが楽しくなるようにもっと我儘になってよいっていうこと。ぶつかることを恐れることはないっていう事(恐れていたわけではなくて理詰めで相手を追いこみきれることを知っていたからやりすぎて相手に逃げが無くなるんじゃないかと思ったりしていた事実そうだったし!でもそれは相手が一方的にさぼって楽をしている相手だったからで相手がちゃんと努力し誠意ある相手だったらこちらが追い込んでも屁理屈なんかじゃなくちゃんと相手は反論できただろうしそういう相手だったら追い込むこともなくて済んだんじゃないかと)逆に考えればさぼっている相手ならどんどん追い込むべきだったし追い込んで良かったんだよねでそこをやらずに避けていたから自分だけが我慢する結果になってしまって自分を追い込んでしまったんだ。長く付き合うなら我慢しないことちゃんとやっていない相手にはしっかり追い込むことだってお互いが魂を磨く相手なんだから自分も相手に追い込まれないようにちゃんと誠実でいることもしも何か勘違いが有って追い込まれたときにも反論できるだけのものをつちかっておくことそれが今世における課題だったんだそしてこれらの設計図の扉を開くカギは【運命を受け入れること】だった。
May 16, 2018
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https://youtu.be/ERmUJwm_Wi450年以上に渡って抱え込んでいた荷物を下ろしたのと時を同じくしてこんなものがアップされ自分の人生というのがすべて動かされているものであって自分がどうにかしようと進めてもただの空回りでしかないのだなとつくづく思い知らされている気がするわ。苦笑下ろしたくても下ろせなくていたものが溶けて消え始めた今確かに新しく生まれ変われる時が来たってことだと解る。
May 3, 2018
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https://youtu.be/7FFlT32G5cI整体の動画を観ていたら知らぬ間に転寝しててなんか凄い声がでかいなというので目が覚めた。目覚めたとき意味不明な話がPC上に現れていてなんなんだこれは?!って思った。そのまま意味不明なそれを見ていたらその動画は「カタカムナ」について説明しているものだった。ああ、そういえば先月、古代文字について調べたときに「カタカムナ」とか言う言葉が現れていたっけなぁと。。。この意味不明のこじつけのような話はあの時の関連で出てきた動画なんだなと解り何気なしにそのまま流していたら。。。ん?1:09:30~ああ、これは自分諭されているんだ。。。って思った。何故今ここでこんな話が現れる?先月古代文字を調べるという行為は「カタカムナ」につなげられるためだったんだ。。。「カタカムナ」に関連して飛び出してきたこの意味不明な話は自分がずっと苦しんできた「許し」についての「解」がもたらされるための流れを示されているのだなと思った。苦しくてどこにもやりようがない想い。理不尽な重荷。それにいったい何の意味があるのだ?どうにも抱えきれないしかといって降ろすこともできないままだった50年以上かけて蓄積した重すぎるお荷物。相手の人間に対してどうこうというのではなく起きた事象が生じさせたやるせない思いや心の傷(トラウマ)を処理できぬまま抱え込んできた。それは誰にも話せないし(謝罪に至った相手を傷つけることにしかならないしそれでは自分が我慢し続けてきたことが無駄になるだけだし話したところで理解されないことは検証済み。)ましてや同じ経験をした人などいないのだから理解なんかされるはずもない。理解されないどころか訳の分からない説教を食らって余計にダメージを大きくすることにしかならなかった。それがこの1:09:30~1:17:59 の話の中で溶けて行き2:02:30~2:06:14の中に内なる自分の演出であり何を言わんとして意図されたものだったかのすべての解がここにあった気がした。「サ」。。。ねぇ。。。
May 3, 2018
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軽微な過ちや短期的な過ちに関する謝罪は許す立場の者にとっても許される側の立場の者にとっても良い結果に結びつくことが多い。しかし、謝罪に至るまでの年月が長かったり謝罪の内容が重すぎるものである場合謝罪された側の感情としては悲しみが(人生に対する?)怒りに変化しやすい。しかし、それでも許しを与えなくてはならない状況があった場合許す側というのは最初に被害を被ったことによる傷と後から謝罪されたときに傷をほじ繰り返される痛みと新たに沸き上がった怒りとさらにその怒りを自分の中に押し殺して抱え込むという三重苦、四重苦を味わうことでしかない。許すというのはかくも過酷なことをやってのけることでありそんなことからすれば謝罪する側の痛みの方がどれほど楽でしかも謝罪の後からは負債から解放されその件に関しての一切を切り離していける楽が待っている。一方許しを与える側というのは心の中の暗雲が謝罪によって消え去ると言う事ではなく相手が発生させた瑕疵や負債を一生涯三重苦の状態で引き受けると言う事なのだ。謝罪すれば良いとか謝罪した方が良いとかそれが一般的な見解だ。しかし謝罪された側の痛みについてはそれを体感したものでなければ絶対に解らない。謝罪を受けたから気持ちが晴れるとか気持が収まるとかそんなに簡単なことではないということを多くの人はご存じないよね。悲しみというのはその件に関するすべてのエネルギーを相手に奪い取られていたがための感情でそこに謝罪によって相手のエネルギーを一部注ぎ与えられたことによって無力さから生じていた悲しみがエネルギーを得たことで憤りに変化する。しかし謝罪した相手のことを考えるといきおいが増して強くなった感情をも自分の中に抑え込まなくてはならなくなる。そんな苦しさは誰も考えないから謝罪という行為が美化されていたり許すと言う事があたかも自分の中にある「悲しみからの解放」に至れることであるかのような語られ方をしていたりする。
May 2, 2018
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人間という生き物は不思議な生き物だ。承認欲求とか理解されたい願望とかいう摩訶不思議な欲求を持ちながら同時に自由を求めたりする。他人と自分は同時並行的に同じ世界で生きてはいるが自分の経験がそっくりそのまま相手の経験と重なると言う事はあり得ない。自分を100%理解し受け入れてもらうには自分と全く同じ性格でなおかつ全く同じ経験をしていると言う事でもなければ絶対にあり得ないはずなのにそんな無理な話があるわけないことを知っていながら何故他人に自分の存在や価値の承認を望んだり自分を理解してもらいたいという欲求に囚われるのだろう?そんな絶対にあり得ないもの絶対に手に入らないものを何時までも望みそれが手に入らないことで苦しむなんてナンセンス。そんなことで苦しんでいることは自分の人生時間を浪費しているのと同じだ。自分のことは自分にしか解らない。他人に自分を理解してもらいたいとか理解してもらおうなどと思うことは愚の骨頂。そう割り切れるようになると人生の歯車は苦しみという輪留めが外れ一気に加速する。自分の人生は自分だけのもの。そこに他人からの評価とか他人からの理解などはなから必要ないはずなのになぜそんなバカげた欲求が人間には備わっているのだろう?それは社会生活?共同生活?を営んで生き延びてきた動物だからだという説明がなされていることが多いのだが元をたどってみれば未熟な状態でこの世に生まれ落ちた個体が育って生き延びるのにただ親からの庇護を受けるために親子という小さな社会をクリアするために必要だった本能なんじゃないか?そんなもののために人生時間を無為にしてしまうのはどうかしているよって思う。他人の承認なんか必要ない!自分自身が自らを承認できれば良い事だ。人生の軸を他人の上に置くことを止めて自分を軸にしていけばもっと中身の濃い人生になっていくはずだ。
May 2, 2018
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高額な費用を徴収するどんなメンタルセミナーにおいてもネット上で啓発しているライトワーカーと称する人たちの言葉にもまったく現れることが無い内容でずっと苦しんできた。上記の方たちが示しているのは自分の心を偽って生きてきた人たちへのメッセージでありこれからは自分の心に素直に生きようよと言う呼びかけやそういう風に生きても良いということを自分に許可しようという話だ。そしてそういう話を聞きに大枚払って足を運んでいる人たちは彼らが示す内容に合致した自分を偽ってとか周りに飼いならされて生きてきた人たちだ。だから彼等が示す話に訪れた人たちは感動し大枚払ったことに意義を感じたりしてセミナー会場を出るころには眼を輝かせる人に変わっていたりする。が、逆の立場で苦しんできた者にとってはまるでぼったくりのセミナーでしかないしまるで救いがない。世間に出回っているライトワーカーと称する方々の話もまるで相手を騙して金儲けしているようなウソっぽくて軽薄な話にしか聞こえないし世間で苦しんでいる人間というのは自分を偽って生きてきた人だという単一的なものの見方で語られるのには君たちって、ライトワーカーを自称しているくせに世間が狭すぎなんじゃない?と思ってしまう。自分が自分であり続けるために周りからの重圧や軋轢とずっと戦ってきたものの苦悩を解決してくれるところは無いのだな。。。やっぱりそこに至っては自分でなんとかするしかないのだと外に答えを求めた自分の愚かさを知る。世間には自分が自分であり続けるために苦しんできた者がその苦しみから解放される術というものを説ける人は存在しないのだ。世間はたいてい自分を守るために自分を偽ったり親に気に入られる生き方をしたことで苦しんだという良い子ちゃん症候群ばかりがはびこっているのであって自分の心を守るために自分にウソをつかない生き方を通し続けたことによってできた傷。その傷をどうやって癒せばよいのかと悩んでいる奴というのは「超・例外」と言う事らしい。。。自分が真なるマイノリティーだと気づくためのセミナーだったらしいと数年前わざわざ都会に足を運んで得たのはそうした悟りだった。爆自分が自分で居続けるために子供のころからずっと自分を捻じ曲げようとする両親と戦い世間と戦いつづけて傷だらけ。そうして出来た傷はどうやったらいやせるのか?「例外事案」に対応できるセラピストもライトワーカーもこの世界には存在しなくてそんなレベルでありながら彼らはしたり顔で人々に向かって説教垂れているのだと思ったらこの世に救いは無いと思ったよ。。。自分にウソをつき周りに迎合することで自分を守ったという人たちに彼らは自分の心に正直に生きて良いと説く。自分の心を守るため自分が自分の存在を疑わなくて済むように自分を否定しようとするものと戦い自分に正直に生きたがために心は傷だらけ。その傷の大きさや深さを知らないから自分に正直に生きて良いのだと説けるんじゃないの?その傷の深さを知っていたらしたり顔で他人にそんなことは言えないと私は思う。ということは他人にしたり顔で説いている彼ら自身そうした深手を知らずに生きてきたっていうことで他人にそう説いている彼等こそが自分に偽って生きてきた人たちっていう事だろ?そう考えるともしかしたら自分、彼等よりずっとスケール広げられるセラピストになれるんじゃないのか?な~んて自惚れてしまうよ。自分に正直に生きるっていうのはさ起きた出来事に関して「運」をも含めて全ての責任は自分にあるっていうことを認めることでもあるんだ。他人や周りや環境とかの「せい」には出来ないんだ。その覚悟がない人に自分が生きたいように生きて良い。。。なんて言うことはそれこそ片手落ちであり、無責任以外のなにものでもない。自分の生きたいように生きて良いと指導する前に全ての出来事は自分の結果であることを覚悟できるなら自分の生きたいように生きて良いんだよって教えるべきだよね。でもそういう「重い」部分を語らず心地よく響くところしか言わない彼らは大ウソつきだと私は思う。
May 1, 2018
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