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「拳銃無頼帖 抜き射ちの竜」(1960)「邪魔者は消せ」(1960)「拳銃無頼帖 電光石火の男」(1960)「男の怒りをぶちまけろ(1960)「霧笛が俺を呼んでいる」(1960)「拳銃無頼帖 不敵に笑う男」(1960)「拳銃無頼帖 明日なき男}(1960)「紅の拳銃 」(1961) 日活アクション映画の、赤木圭一郎さん主演作品を見ていると、いかにも「劇画」のような雰囲気を感じます。 劇画の雰囲気というよりも、劇画がこれらの日活アクション映画を参考にしていたのだと思われます。 赤木圭一郎さん演じる主人公はたいていの場合は拳銃の名手。暗黒街と殺し屋が定番で、主人公が危機に陥ると宍戸錠さんの殺し屋が助太刀してくれる。「お前を殺るのは俺だ。その前に死なれちゃ困るんでな」とかキザな台詞を云って。こういうのは佐藤まさあきさんやさいとう・たかをさんのアクション劇画に、いかにもありそうな感じで。 殺し屋と暗黒街、それに拳銃。日活アクション映画と貸本劇画。 子供向け漫画のヒーローたちも2挺拳銃を持っていた。月光仮面や七色仮面のような大人のヒーローだけでなく、「まぼろし探偵」や「鉄人28号」の金田正太郎くんも拳銃を持っていた。 金田正太郎くんなどは半ズボンだから明らかに小学生で、それが拳銃を持って、車を乗り回して。 それらの影響かどうか?、おそらくそうだと思うのですが、私の小学校低学年時代は、拳銃ブームだったのではないか? 子供の玩具ではピストルが氾濫していて、引き金を引くと紙火薬をハンマーが叩いてパンパン鳴るピストルや、のちにはマジックコルト(という名前だったと思う)の銀玉ピストル。 これらの玩具のピストルを持って、町内を走り回って、バーン、バキューンとか云って撃ち合いのマネをして遊んでいた。 私たちの拳銃ゴッコは、一部の人が云うような映画やテレビの西部劇の影響やマネではなく、子供向けアクション漫画のヒーローたちのマネでした。 日活アクション映画と、貸本劇画単行本の関係。それらと並行するような感じでテレビや漫画の子供向けヒーローの活躍。それらから発生した拳銃ブームです。
2016年03月28日
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劇画007「死ぬのは奴らだ」の巻末にさいとう・たかをさんのインタビューが載っていて、「37、38年あたりから、貸本単行本の出版社が、たて続けに潰れていきよった。貸本屋自体がどんどんなくなってきて、最盛期には3万軒あったんが、東京オリンピックを境に3千軒になったんやから、もう崩壊やね」とおっしゃっています。 私の小学生の頃、家の近くには2、3軒の貸本屋がありました。今で云うレンタルコミック店のようなものではなく、普通の民家の玄関の土間を少し広く改装して壁際に本棚を並べたような感じです。 当時は、マンガといえば月刊誌が中心で、「ぼくら」「日の丸」「少年」「少年クラブ」「少年ブック」「少年画報」「冒険王」など。女の子向けでは「なかよし」と「りぼん」だったかが。 このようなマンガ誌は子供向けで、小学生が対象です。 このような子供向けマンガにあきたらない中学生以上、高校生などのお兄さんたちが貸本屋で貸本単行本を借りて読んでいたようです。 私の場合は、貸本屋へ行っても「少年画報」や「冒険王」(なぜか本誌だけで別冊はなかった)、またはまだ出始めだった「週刊少年サンデー」を借りるくらいで、劇画といわれる単行本を借りたことはありません。「影」や「街」、「刑事」というような、アクション劇画の短篇が3、4っつ載った単行本を兄が借りてきて、見せてもらったけれど、小学生の私には面白いとは思わなかった。さいとう・たかをさんや佐藤まさあきさん、南波健二さんの作品ですね。(劇画「死ぬのは奴らだ」のボンドの顔には、貸本単行本時代の雰囲気があります) さいとう・たかをさんがおっしゃるように、確かに東京オリンピックが終わった頃には、いつの間にか貸本屋が店を閉めていたように記憶しています。私たちも、その頃になると貸本屋へ行かなくなっていましたし。 その頃、昭和38年39年頃には、週刊の「少年サンデー」や「少年マガジン」が子供たちの愛読マンガ誌になっていた(「週刊少年キング」も創刊されて、週刊マンガ誌は3誌になった) 貸本屋で貸本単行本を借りた世代は、私の年代ではなく、現在の70才前後、それ以上の人たちです。結局のところ、私は数年ちがいで、貸本単行本読者の仲間ではないようです。 兄が借りてきた劇画単行本を見せてもらいはしたけれども、私にはやはり少年向けの「まぼろし探偵」や「七色仮面」「ナショナルキッド」「コンドルキング」「少年ロケット部隊」など、少年マンガに夢中になっていました。
2016年03月27日
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さいとう・たかをさんの劇画「007シリーズ」第4作「黄金の銃を持つ男」。「ボーイズライフ」の1967年1月~8月号まで全8回にわたって連載された作品です。 余談になりますが、前作「女王陛下の007号」が連載された1966年から、この「黄金の銃を持つ男」の1967年が、私が「ボーイズライフ」を購読していた時期にあたります。 さいとう・たかをさんの作品は「黄金の銃を持つ男」終了後は、「挑戦野郎」「幕末工作人からす」とつづき、他には篠原とおるさんの「ズベ公探偵ラン」と佐藤まさあきさんの「Zと呼ばれる男」を覚えています。あとは、ケン月影さんのマカロニ西部劇ものがあったような。「ボーイズライフ」は小学館が出していた中高校生が対象の総合誌です。創刊が1963年4月号(3月9日発売)。1969年8月号で休刊。 ヨーロッパやアフリカ、南米などの紀行。車やバイクの記事や図鑑。芸能・音楽・スポーツやファッションの記事。新作映画やテレビドラマ話題作の紹介。青春小説やSF小説など、そしてマンガ作品がいくつか。定価は150円から180円くらいだったでしょうか。 その「ボーイズライフ」に連載された「黄金の銃を持つ男」。 ボンドに引けを取らない英国海外秘密情報部員オリバーがジャマイカで何者かに撃ち殺された。 いったい何者がオリバーを?といぶかしむボンドの前に現れたクルト・ハイマンという男。彼はMに恨みを抱いていて、ボンドを捕らえ、洗脳し暗示をかけてボンドにMを殺させようとする。 ハイマンの企みを見破ったMは危うく危機を逃れ、ボンドは療養のために入院。 回復したボンドはMから、殺されたオリバーがジャマイカで就いていた任務の内容を聞き、引き継ぐことになります。 その任務とは、世界的な暗殺者であるスカラ・マングが暗黒街の実力者たちを召集していて、スカラ・マングは暗黒街ボスたちを呼び集めて何をしようとしているのか?、それを調査すること。 ボンドは暗黒街ボスの一人バルト・G・ギルモアに気に入られ、用心棒として雇われる。 ボスを護衛してスカラ・マングのもとへと向かうボンド。 スカラ・マングは暗殺者養成所を設け、殺し屋を訓練し、世界の暗殺計画を一手に引き受けようとしていた。ボンドは養成所に入り込むが捕らえられ、訓練生たちの標的となってマンハンティングの獲物にさせられてしまう。やがてやってくるスカラ・マングとの一対一の対決の結果はいかに? 第1作の「死ぬのは奴らだ」ではまだ貸本単行本時代の画風が残っていたけれど、4作目となるとすっかりさいとう・たかをさんらしさのある画になっています。(といっても、「無用ノ介」や「捜し屋はげ鷹登場!」「ゴルゴ13」(初期の)など、1967年~70年ごろのさいとう・たかをさんであり、現在の画風とはまったく趣が違うけれど) 登場する暗殺者スカラ・マング。クールな面構えは映画のクリストファー・リーなんかよりもずっと格好いいですね。クライマックスの決闘場面のムードはいかにもさいとう・たかを劇画、らしさが溢れています。
2016年03月26日
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さいとう・たかをさんの劇画「007シリーズ」第3作「女王陛下の007」。 小学館の月刊誌「ボーイズライフ」の1966年4月号~12月号まで全9回の連載です。初出時およびゴールデンコミックス版のタイトルは「女王陛下の007号」で、「号」が付いていました。「号」付きだったのは原作小説もすべて同様で、早川書房のポケットミステリ版も「女王陛下の007号」であり「007号は二度死ぬ」です。東京創元社の創元推理文庫版「007号の冒険」もそうです。当時は「007シリーズ」ではなく「007号シリーズ」でした。 イアン・フレミングの原作小説「女王陛下の007号」(井上一夫 訳)が刊行されたのは1963年11月30日(初版)。 007ブームのきっかけとなった映画「ゴールドフィンガー」の公開が1965年4月24日、「サンダーボール作戦」が1965年12月25日で、同じ年に新作007映画が2本公開され共に大ヒット。この1965年から翌66年にかけてがブームの最盛期です。 そして、このブーム最盛期の1966年に連載された劇画「女王陛下の007号」。「サンダーボール作戦」が終了した次作は映画の日本ロケが大きな話題になっていた「007号は二度死ぬ」かと思ったら、多くの読者がそう思ったでしょうが、案に相違して「女王陛下の007号」だった。 さいとう・たかをさんの劇画「女王陛下の007」復刻版。私がリアルタイムで読んだ作品であり、長年絶版になっていて読めない状態だったので、たいへん懐かしく、嬉しい思いがします。 前作「サンダーボール作戦」のスペクトル幹部エミリオ・ラルゴの妹ソフィヤが登場する。 ボンドを兄の仇として命を狙うのですが、失敗し、命を狙ったのに何かと親切にしてくれるボンドに惹かれるようになる。 ソフィヤからミスター・ビッグが生きているのを聞いたボンドは、ビッグを追ってスイスのサン・モリッツへと向かいます。ビッグの本拠地シルバー・ライオン城へ絵描きに変装してボンドが潜入する。 ボンドが快傑ゾロのような黒マスクで城内を調べるのですが、このような黒マスク姿の007号ボンドは前代未聞であり、さらに剣闘士のようにナイフだけを持たされてライオンや豹と戦うことに。このような展開は本作の見所のひとつでしょう。 ボンドがフランスの犯罪組織ユニオン・コルスの親分マルク・アンジュに気に入られて、仲間に入れと誘われる。娘のトレーシーも登場するが、原作と映画ではメイン・キャラだったのに、この劇画ではあっさりしたもので中程までで退場してしまう。犯罪組織のボスである父を許すことができない彼女は寂しく去って行きます。 そんなわけで本作でもヒロインはさいとう・たかをさんオリジナルのソフィヤということに。 ボンドがマルク・アンジュの組織の力を借りてミスター・ビッグの本拠地へヘリコプター編隊で攻撃をかけるのは原作と映画にあるとおりで、同じなのはこの場面だけです。「死ぬのは奴らだ」「サンダーボール作戦」と読んできて、本作が最も描線がシャープであり、洗練された画になっている。
2016年03月25日
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さいとう・たかをさんによる劇画「007」シリーズ第2作「サンダーボール作戦」。 月刊誌「ボーイズライフ」(小学館)に連載されたのは1965年9月号から66年3月号までの全7回です。 映画の「サンダーボール作戦」(65)が日本で公開されたのが1965年12月25日だから、その4ヶ月前(9月号は8月に発売)に連載が始まったことになります。 さいとう・たかをさんは原作を読んでないとおっしゃっているし、映画も当然のこと見ていない状態で描いたことになる。だからこの劇画はそういう点からでもさいとうさんオリジナル・ストーリーなんですね。 兵器密売組織B・H商会の秘密工場を壊滅させた英国情報部員ジェームス(ズではない)・ボンドは、パリで休暇をすごしていて、マレーネという女性と知り合う。 いけすかないペタッチという男から彼女を救ったボンド。ボンドは美しく可憐なマレーネに惹かれ、彼女もボンドを慕うようになる。ところがペタッチの背後にはリッピという悪党たちがいて、さらにその背後に大物の犯罪王エミリオ・ラルゴがいた。 折しも、NATOの原爆を搭載した爆撃機が行方を絶つ事件が起こり、スペクトルという組織が原爆とひきかえに英国の首相に1億ポンドを要求してきた。 ラルゴは、そのスペクトルの幹部であり、スペクトルの首領は、あの「死ぬのは奴らだ」のミスター・ビッグだった。 リッピ一味に愛するマレーネを殺されたボンドは、彼の前に現れた私設情報売買業組織の者たちと協力し、ラルゴとスペクトルを追ってバハマ諸島へと向かうことになる。 原作や映画のように療養所のシーンもないし、NATOの爆撃機ハイジャックのシーンもなく、ボンドとマレーネの出会いと恋愛、第三勢力として情報売買組織の登場など、地味だがスッキリとした展開で、さいとうさん描くヨーロッパの都会風景も外国映画的で良い感じです。 原作と映画のようなスペクトル首領ブロフェルドは登場せず、黒幕としてミスター・ビッグが再びボンドの前に現れる。さいとう・たかをさんはよほどミスター・ビッグのキャラクターが気に入ったのか?、一作のみで済ますのが惜しかったのか再登場です。 さらにヒロインのドミノも登場せず、かわりに最初に殺されるマレーネと、私設情報売買組織のスーザンという女性がボンドの相手となる。「死ぬのは奴らだ」のキティとともに、この劇画シリーズではことごとくさいとうさん流のヒロインに変更されています。 小学館ゴールデンコミックス版が刊行されたのは1966年5月15日(奥付に記された日付)です。 当時、たしか、豆知識のような記事が載っていて、「007」は「ダブルオーセブン」と読むのが正しいとか書いてあったけれど、私たちはそんなことおかまいなしで「ゼロゼロセブン」と言い続けていました。「ダブルオー」などと気取った言い方が気に入らず、反感があったようです。いまでも私は「ゼロゼロ」派です。
2016年03月24日
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さいとう・たかをさんの劇画007号シリーズの第1作「死ぬのは奴らだ」。 月刊誌「ボーイズライフ」(小学館)に、1964年12月号から65年8月号までの9回にわたって連載された作品です。 私が中学1年生の時に、近所の誰かに見せてもらった「ボーイズライフ」に載っていたのを読んだのが初めての「007」体験です。 毒魚の入った水槽が並んだ生餌倉庫で、ボンドが悪党たちと格闘する場面。このシーンだけがずっと記憶にあって、イアン・フレミングの原作小説を読んだ高校生の時にも、そうだそうだ、この場面だと思ったものです。 それなのに、映画化されたのを見た時には、その生餌倉庫のシーンがないではないか! (クライマックスのソリテールとボンドが縛られて珊瑚礁の海をボートで引き回されるシーンも、これが最も「死ぬのは奴らだ」らしい場面なのに、なぜか映画では取り上げられていない) さいとう・たかをさんの劇画「死ぬのは奴らだ」を今回、約35年ぶりくらいに読んだ(80年頃の小学館文庫を読んだので)のですが、これはたいへん面白かったです。 アメリカに多数の古代イギリス金貨が流れ込み、金の相場を狂わせ始めた。 黒幕はニューヨーク・ハーレムに根を張る黒人の犯罪王ミスター・ビッグらしい。 ボンドはアメリカに乗り込み、CIAのフェリックス・レイターと協力し、調査を開始する。「死ぬのは奴らだ」と「女王陛下の007」にさいとう・たかをさんのインタビューが載っていて、それによると「007の原作本、わし、読んでないのよ」とおっしゃっている。アシスタントの武本サブローさんに読んでもらって、大筋だけ聞かせてもらった、と。 原作を読んでないというのはエエーツ!てな感じだけれど、「悪魔の手毬唄」(1961東映)を横溝さんの原作小説を読まないで脚本を書いたという結束信二さんの例もあるし、原作を知らないぶん、原作に縛られることなく自由に発想を得られるという利点があるのかもしれない。 ジャマイカから多量の古代金貨を密輸して世界の金相場を狂わせるという陰謀。ニューヨーク・ハーレムの犯罪王ミスター・ビッグ。その幹部のサム・マイアミと生餌倉庫の番人ロバーといったキャラクターは原作にあるものです。 そのほかに、さいとうさんオリジナルの人物として、殺人機関ABCの殺し屋GとE。 劇画オリジナルの特筆すべき人物は、ヒロインがソリテールではなくて、CIAエージェントのキティであることと、後半のジャマイカでボンドに協力し一緒に行動する日英混血のオオガキ・ハヤトなる青年と、子役として孤児のトントという少年が登場する。とくに少年トントなどは、掲載誌「ボーイズライフ」読者の対象年齢(中学生~高校生)を意識したものと思われます。 古代金貨の密輸も生餌倉庫も、肝心要のミスター・ビッグも捨て去って無視した映画(1973年)に比べると、ミスター・ビッグの大きな存在感など、よほど「死ぬのは奴らだ」らしさがあると云えるようです。
2016年03月23日
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この雑記帳の2011年9月12日に書いた「劇画007(ゼロゼロセブン)」。 今では読みたいと思っても絶版になっていて、幻の作品でした。 その「劇画007」が4ヶ月前の12月に小学館から復刊されて、全4巻が発売されていた。 まったく知らなかったので、ネット通販サイトを見てびっくり。これはなんとしても買わないと、というわけで近所の書店で取り寄せてもらいました。「死ぬのは奴らだ」(787円+税)「サンダーボール作戦」(694円+税)「女王陛下の007」(787円+税)「黄金の銃を持つ男」(787円+税) 4冊で税込3,300円。 さいとう・たかをさんが月刊誌「ボーイズライフ」に連載した作品で、1966年から67年にかけて小学館のゴールデンコミックスとして全4巻が発売(220円~250円)。 1980年頃にも小学館文庫として刊行されましたが、今回は判型が大きくなったので(B6判)比較的読みやすいです。 個人的な好みで云えば、表紙と背に「007」が大きく書かれて目立ちすぎな感じがする。 それと「007号」の「号」がなくなって「007」になっているのは、これがイマイチ気にいらない箇所です。ゴールデンコミックス版そのままの形で復刊してほしかった。 私にとっての「007」出発点であるさいとう・たかをさんの劇画「007」。「ゴールデンコミックスの劇画007号4冊」→「イアン・フレミングの原作小説(ハヤカワのポケットミステリと創元推理文庫)」→「映画 女王陛下の007の劇場公開」の順だったから。 そんなわけで、この「劇画007」4冊は、これからの生涯にずっと私の傍らにあることになるでしょう。こんどは絶対に処分したりしないぞ、と。
2016年03月22日
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「恐竜グワンジ」(1969) THE VALLEY OF GWANGI監督 ジェームズ・オコノリー製作 チャールズ・H・シニア製作補 レイ・ハリーハウゼン原案 ウィリス・H・オブライエン脚本 ウィリアム・E・バスト撮影 アーウィン・ヒリアー特撮 レイ・ハリーハウゼン音楽 ジェローム・モロス出演 ジェームズ・フランシスカス、ギラ・ゴラン リチャード・カールソン、ローレンス・ネイスミス 本編96分 総天然色 ビスタサイズ「原子怪獣現わる」(53)「シンドバッド七回目の航海」(58)「アルゴ探検隊の大冒険」(63)「恐竜100万年」(66)などで人形アニメーション(モデルアニメーション、ストップモーションアニメとも云う)技術で神話伝説上の異形の者たちや恐竜、怪獣をスクリーン上に生み出したレイ・ハリーハウゼン先生による冒険特撮映画です。 1900年代初頭のアメリカとメキシコ国境リオグランデ河に近い土地。ジプシーが「禁断の谷」として恐れる谷から一人のジプシーが世にも珍しい猫くらいの大きさの馬を持ち帰る。 その馬は5000万年前に絶滅したとされる馬の原種で、この小馬で大儲けしようとする西部ショーの興行一座。一座の男たちは荒野で化石を掘っている古生物学者と共に、禁断の谷へと足を踏み入れることに。 彼らはその呪われた谷で、小馬だけでなく絶滅したはずの恐竜や翼手竜に出くわします。恐竜に襲われるが、なんとか捕獲した一団は町へ運んで、西部ショーの見世物にするが、ジプシーが恐竜を逃がしたことから、檻を出た恐竜は街中で暴れ回り、人々は大混乱になる。 原案のウィリス・H・オブライエンは「キング・コング」(1933)でストップモーション特撮を手がけた人で、レイ・ハリーハウゼン先生の師匠です。 オブライエンは1962年12月に亡くなったのですが、彼が残した台本をもとに本作品を完成させたのが弟子のレイ・ハリーハウゼンさん。 西部劇の舞台であるアメリカ・メキシコ国境地帯に太古の恐竜が生存していたという怪獣特撮映画です。 大儲けしようと町へ運んできて、その怪獣が逃げ出して町中がパニックになる、のは「キング・コング」と同じような設定であり、物語的には特に真新しいものではないようです。バッファロー・ビルの西部ショーほど大規模ではないようだけれど、西部ショーの目玉として怪獣を出して観客を集めようとする、新趣向といえば云える? レイ・ハリーハウゼン先生の特撮映画としては、「猿人ジョー・ヤング」(1949)ウィリス・H・オブライエンと共同。「原子怪獣現わる」(1953)単独初作品。「水爆と深海の怪物」(1955)「世紀の謎 空飛ぶ円盤地球を襲撃す」 (1956)「地球へ2千万マイル」(1957)「ガリバーの大冒険」(1960)「SF巨大生物の島」(1961)「アルゴ探検隊の大冒険」(1963)「H.G.ウェルズのS.F.月世界探険」(1964)「恐竜100万年」(1966) とあって、「恐竜グワンジ」(1969)の次には「シンドバッド黄金の航海」(1973)「シンドバッド虎の目大冒険」(1977)「タイタンの戦い」(1981) が最後の作品。 人形を作って、それを少しずつ動かして一コマ一コマ撮影する。ただそれだけのものではなく、それが細かい仕草を見せるというか、演技をします。そのモデルアニメーションと俳優が演じる実写を合成する、ハリーハウゼン先生の作品を見た人ならご存じだと思いますが、大変な手間暇をかけた職人の技術です。「アルゴ探検隊の大冒険」のガイコツ戦士とのチャンバラ。「シンドバッド黄金の航海」では6本の手があるカーリー像が動き出して人間とチャンバラをする。 恐竜グワンジを捕らえようと、馬に乗った男達が投げ縄を首にかけて引っ張る。縄が張ったり緩んだり、どこまでが模型で、どこからが実写の縄なのかわからないくらい良くできています クライマックスの恐竜グワンジが大聖堂の中に入ってくるシーンは特に見ものです。「ゴジラ」を代表とする日本の特撮映画が中に人間が入った着ぐるみ方式なのは、モデルアニメーションの手間暇がかかる方式を嫌ったからでしょうか。
2016年03月09日
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1953年の外国映画興行成績です。 金額は配給収入。1位「地上最大のショウ」 2.0億円 2位「シェーン」 1.8億円 3位「クォ・ヴァディス」 1.5億円 4位「グレン・ミラー物語」 1.3億円 5位「シンデレラ」 1.2億円 6位「機動部隊」 1.2億円 7位「地上より永遠に」 1.1億円 8位「遠い太鼓」 1.0億円 9位「静かなる男」 1.0億円 10位「ライムライト」 1.0億円「シェーン」(1953) SHANE監督 ジョージ・スティーヴンス製作 ジョージ・スティーヴンス原作 ジャック・シェーファー脚本 A・B・ガスリー・Jr撮影 ロイヤル・グリッグス特殊効果 ゴードン・ジェニングス編集 ウィリアム・ホーンベック音楽 ヴィクター・ヤング出演 アラン・ラッド、ヴァン・ヘフリン、ジーン・アーサー ブランドン・デ・ワイルド、ウォルター・ジャック・パランス エミール・メイヤー、ベン・ジョンソン、エリシャ・クック・Jr、エドガー・ブキャナン 本編118分 総天然色 スタンダードサイズ 日本公開は1953年(昭和28年)10月。 私が初めて見たのは1973年のリバイバル上映(北国第一劇場)です。 日本人に愛される名作西部劇の代表的な作品ですが、当たり前すぎて、自分のベスト10を上げるさいなどにはあえてそのタイトルを除外してしまうふしがあるようです。 私も大好きな作品で、何度もDVDを見返していますが、やはり私の世代の映画ではないのでベスト10位内に入れる資格がなく、自分の世代なりの、自分の好みが現れた作品を選ぶべきなのでしょう。この名作「シェーン」をベストに選ぶ資格があるのは公開時にリアルタイムで見た人のみと云えるのかもしれない。「シェーン」については、これまでに何度も書いているので今さら書くこともないのですが、 農業開拓者と牧畜業者の確執が背景にあって、農家にやっかいになった流れ者の拳銃使いシェーンと、その農家の主婦とのプラトニックな愛。その農家の亭主は、二人の心の触れあいに感づいていて、自分とシェーンのどちらが女房にふさわしい男かを考えてしまう。そして、自分は牧畜業者の牧場主ライカーと相打ちを覚悟で出かけようとするが、自分が死ぬことで女房とシェーンを一緒にさせようとする。そんなことをさせるわけにはいかない、とシェーンは亭主を殴って気絶させ、自分がライカーとの決着をつける決闘へとおもむく。 この男二人と女一人の三角関係を読み取らないと映画「シェーン」を見たことにはならないでしょう。 農家の亭主ジョー・スターレット(ヴァン・ヘフリン)は女房マリアン(ジーン・アーサー)とシェーン(アラン・ラッド)の恋愛的感情に気づいています。台詞でも自分で云ってますね。「オレは鈍感だが、それくらいはわかる」と。 そして、自分が使い慣れない拳銃での決闘へ行って牧場主ライカーと相打ちになれば、それで良い。残された女房はシェーンと一緒になって幸せになるだろう、と。 そんなことをさせてたまるか!、となってシェーンは拳銃で亭主を殴って気絶させ、決闘へと向かう。決闘はオレにしかできないことだし、オレの役目なのだと。 拳銃で殴るなんて卑怯だ!大嫌いだ、と少年ジョーイはシェーンをなじる。卑怯だと云われて悲しそうな顔をするシェーンですが、出発したシェーンをジョーイが「ごめんなさい、ごめんなさい」と叫びながら後を追う。 シェーンをヒーロー視して憧れるジョーイ。シェーンはライカー兄弟と殺し屋ウィルソンを倒した後、体のどこに弾を受けたのか定かではないけれども、確かに撃たれている。腹部を撃たれていたら助からない。自分をヒーロー視する少年のいる所で死ぬわけにはいかない。「行かないで、シェーン、戻って来て。母さんも父さんもシェーンに居て欲しいって云ってるよ」という声を背に聞きながら、重傷を負った彼は去ってゆく。感動的なエンディングです。決闘への盛り上げ方も上手ですね。 南部人であるシェーンは、農家の主婦マリアンも南部人で、彼女の料理に懐かしい故郷の味を感じた。拳銃稼業から足を洗って農家を手伝って堅気になろうとしたが、結局は運命がそれを許さない。拳銃で生きる者は拳銃で死ぬ運命。 いちど人を殺した者は平穏な生活を望むべきではなかったのだ。拳銃使いは、日本風に云えば畳の上で死ねないんだと。オレのようになってはならない。ヒーロー視して憧憬の眼差しを向けるジョーイ少年にそう諭す。父さん母さんを大切にして、立派な大人になれよとの別れの言葉。 映画「シェーン」が日本人に愛される西部劇なのは、主人公シェーンの孤独と哀しみが観客の心をとらえるからなのでしょう。
2016年03月08日
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名作西部劇「シェーン」(53)のテレビ版があるのをご存じでしょうか? 調べてみると、1966年作品で、一時間枠で全17話。 主演はデビッド・キャラダインとジル・アイアランド。 シェーンがデビッド・キャラダインで、マリアン・スターレットがジル・アイアランドさんですね。ジョーイ役はクリス・シー。 40数年前に、テレビで放送していたのを見た記憶があって、シェーン役のデビッド・キャラダインの爽やかな男ぶりが好ましく、寡黙なキャラで、いざとなると母子を助けてくれる頼もしさ。子役のジョーイも、吹替えが可愛らしい感じで、面白く見ていました。内容を覚えていないので、ぜひもう一度見てみたいものです。 映画では開拓農家の主婦マリアンでしたが、このTVドラマでは夫を亡くしている設定のようで、幼い息子と一緒に暮らしている。牧畜業者から嫌がらせを受けて追い出されようとしているのを、流れ者の拳銃使いシェーンに助けてもらい、守ってもらう、という話だとか。マリアンの亭主は出ないけれど義父が出るようです。 ジル・アイアランドさんはこの1966年当時はデビッド・マッカラム(「0011ナポレオン・ソロ」のイリヤ・クリヤキン)の奥さんでした。 昔はテレビ西部劇がいくつも放送されて、私が見たのは小学生時の「ララミー牧場」(全124話)と「ライフルマン」(全168話)あたりからです。「ライフルマン」やマックイーンの「拳銃無宿」(全98話)はさほど見たいとは思わないけれども、「ララミー牧場」はぜひ見てみたい。あとは「壮烈!第七騎兵隊」(全17話)で、これは1970年頃に放送されて毎週見ていましたが、どこかのチャンネルでやってくれないものか。
2016年03月07日
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日活の青春映画「二人の銀座」(67)は、山内賢さんと和泉雅子さんの好演もあって、たいへん面白かったです。 それだけでなく、ジャッキー吉川とブルー・コメッツの懐かしい演奏を見ることができたのは大きな収穫。「ブルー・シャトウ」「甘いお話」「青い瞳」の3曲が映画の中で歌われます。 映画「二人の銀座」は1967年2月公開ですが、大ヒット曲「ブルー・シャトウ」のシングルレコード盤が発売されたのは1967年3月だそうで、だとすれば発売前に映画の中で歌っていることになる。 シングル盤の発売は「青い瞳」(日本語版)、B面「マリナによせて」(1966年7月) 定価370円「青い渚」、B面「星に祈りを」(1966年9月)「何処へ」、B面「センチメンタル・シティ」(1966年12月)「ブルー・シャトウ」、B面「甘いお話」(1967年3月)「マリアの泉」、B面「白い恋人」(1967年6月)「北国の二人」、B面「銀色の波」(1967年9月)「こころの虹」、B面「すみれ色の涙」(1968年1月)「白鳥の歌」、B面「雨の慕情」(1968年4月)「草原の輝き」、B面「マイ・サマー・ガール」(1968年6月) 定価400円「さよならのあとで」、B面「小さな秘密」(1968年10月) の順になります。 1967年がブルー・コメッツだけでなく、グループサウンズ人気の最盛期だったようです。「ブルー・シャトウ」は同年のレコード大賞で大賞を受賞。NHK紅白歌合戦にも出場。 当時、若者に大人気だったグループサウンズ。大人たちには騒音としか聞こえなかったようで、その長髪スタイルも嫌われた。ブルー・コメッツと双璧をなすザ・スパイダースが紅白に出られなかったのも長髪だったからです。 1967年は私の中学3年の時で、友人が加山雄三とブルー・コメッツの大ファンだった。レコードを貸してくれたりして、その影響で私もファンになったというより、ファンにさせられた? 長髪スタイルがほとんどだったGSのなかで、ブルー・コメッツは短髪でスーツ姿。井上忠夫さんのボーカルが格好良かったですねぇ。 ブルー・コメッツのヒット曲の数々は現在聴いても、少しも古さを感じません。 当時の、若々しく格好良かった井上忠夫さんや高橋さん、三原さん、小田さん、そしてドラムスの吉川さんを見ることが出来る、映画「二人の銀座」(尾藤イサオさんとヴィレッジ・シンガーズも出ている)です。 現在、映画チャンネルNECOで放送されているTVドラマ「ある日わたしは」の主題歌がブルー・コメッツです。この歌はレコード化されなかったようで、聴くことができない幻の名曲です。放送はその意味でも貴重なものです。 同じブルー・コメッツでも「何処へ」はレコード化されて、CDにも収録されているのに。
2016年03月06日
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「二人の銀座」(1967)監督 鍛治昇企画 坂上静翁原案 雪室俊一脚本 才賀明撮影 山崎善弘美術 木村威夫音楽 林一出演 和泉雅子、山内賢、和田浩治 小林哲子、新田昌玄、片山明彦、伊藤るり子 本編80分 モノクロ シネマスコープサイズ 映画チャンネルNECOで2年くらい前に放送された「二人の銀座」(67)を録画してあったので鑑賞しました。「東京ナイト」がとても良かったので、同じ和泉雅子さんと山内賢さん共演の「二人の銀座」も見たくなって、録画してブルーレイディスクにダビングしたきりになっていたのを探し出しての鑑賞です。 グループサウンズが大ブームだった1967年の日活映画。公開は「二人の銀座」が2月、「東京ナイト」が10月で、その間の5月に「夕陽が泣いている」があり、山内賢さんと和泉雅子さん共演作が連続していた人気絶頂期の頃です。「二人の銀座」はザ・ベンチャーズが作曲し、それを山内賢さんと和泉雅子さんがデュエットして、レコード売上げが100万枚以上の大ヒット。 この映画は私が中学3年生の時に夏休みの「映画教室」で見ました。小中学生しか入れない映画鑑賞の催しなので、最後の映画教室だったと思います。(余談ですが、保護者同伴でないと映画館に入れない小中学生にとって、春夏休みの「映画教室」は貴重な鑑賞機会だった) 瀬川マコ(和泉雅子)が電話ボックスに落としていった楽譜をひろった村木健一(山内賢)。 健一は東南大学の学生で、仲間とアマチュアのエレキバンド ヤング&フレッシュを結成していて、その楽譜をジャズ喫茶のステージで演奏してしまう。 その楽譜はマコの姉 玲子(小林哲子)が想い続けている失踪した恋人 戸田周一郎(新田昌玄)が作曲したものだった。 健一たちヤング&フレッシュが演奏し歌う「二人の銀座」が銀座界隈で流行し始める。それを聴いたマコは、健一を責め、楽譜を返して欲しいと迫ります。 健一は作曲者の戸田さんが現れたら、謝って、あらためて曲を使わせてほしいと頼むつもりだ、と云う。 曲の作曲者であり、マコの姉の恋人でもある戸田を捜すことにする二人。「二人の銀座」は大人気を博し、健一たちはジャズフェスティバルに出場することになる。プロになれると喜ぶが、健一はジャズ喫茶の経営者小泉(片山明彦)に、曲は自分が作曲したものではないことを話す。 小泉は戸田周一郎の名前を聞いて驚く。戸田はかつて、自分の作品を有名作曲家に盗作されたと訴えたことで業界を去った人物だったのだ。彼なら何を言ってきても誰も信じないだろうと小泉は云う。 健一とマコたちは場末のキャバレーでピアノ弾きをしている戸田をみつけるが、戸田は「曲は自由に使っていい」と云って彼らの前から去っていく。そして健一たちは、自分たちより先に小泉が訪ねて来ていて、彼を脅迫的に買収していたことを知ります。 プロの世界の汚さを知った健一たちは、ジャズフェスティバルの当日、ステージから観客に向かって曲の作曲者は自分ではなく戸田周一郎という人だと本当のことを話す。 不遇な作曲家の名誉回復を訴え、そしてマコも一緒になって歌い上げる「二人の銀座」は大きな拍手をあびる。観客席の片隅でひっそりと見ていた戸田が会場の外に出ると、そこには彼を長く待ちわびていた玲子の姿があった。「東京ナイト」も良かったけれど、この「二人の銀座」はそれ以上に良かったです。 山内賢さん演じる主人公の、若者らしい善良さと清潔さが好ましくてとても良い。 和泉雅子さんのお茶目な可愛らしさも。そして姉役の小林哲子さんの美しさと、その恋人 戸田周一郎役の新田昌玄さんの寡黙な演技の素晴らしさ。 和泉雅子さんと山内賢さんが歌う「二人の銀座」が持つパワーの大きさ、を感じます。映画の中で何度も演奏され歌われる。当時も、今でも好きなエレキサウンドの魅力。 ジャッキー吉川とブルーコメッツも出ていて、「ブルー・シャトウ」「甘いお話」「青い瞳」の3曲が歌われる。
2016年03月05日
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「東京ナイト」(1967)監督 鍛治昇企画 笹井英男脚本 才賀明撮影 小栗準之助美術 深民浩音楽 川口真出演 和泉雅子、山内賢、和田浩治 高千穂ひづる、長内美那子、杉山元 三遊亭歌奴、小橋玲子、徳永芽里、金原亭馬の助 本編81分 総天然色 シネマスコープサイズ 映画チャンネルNECOで3月3日に放送された「東京ナイト」、たいへん良かったです。 和泉雅子さんと山内賢さん共演の青春映画。「二人の銀座」をデュエットで歌って大ヒットした和泉雅子と山内賢さんの、同じようにザ・ベンチャーズ作曲の主題歌を使った青春映画です。映画の中でもふんだんに歌うシーンがあって、楽しい。 加山雄三さんの「エレキの若大将」(1965年12月公開)もそうですが、当時に大流行したグループサウンズのエレキ・サウンド。こういう映画を見ると懐かしいだけでなく、高度成長期の、あの頃の日本は夢があって良かったなと思います。現代は夢も希望もない、自分の欲望を果たすためには他人を傷つけてもかまわないというような、日本人が自己中心的になってしまって、どこかおかしくなっている。このような優しい昔の映画を見ると心が洗われるような気がします。 京都の舞妓 小はな(和泉雅子)が置屋の家を継ぐのがいやで家出をする。長距離運送トラックの荷台にもぐりこんで東京にやって来た小はな。着いた所は運送屋で、そこの若旦那 小杉賢(山内賢)は大学の友人たちとエレキバンドをやっていて、テレビの大学対抗エレキ合戦に出ていた。 優勝すればハワイ旅行があたるが、決勝戦を前にしてボーカルの女の子(徳永芽里)が交通事故で全治一ヶ月。 どうしよう、困ったなと相談している所へトラックを降りた小はなが現れる。わからずやの親が嫌で家出して来たという小はなを小杉は取りあえず自分の部屋にこっそり泊めることに。 小はなは賢の父親(三遊亭歌奴)に見つかってしまい、今度は小杉の友人 和田(和田浩治)の家に泊まることに、結果的には事故にあった女の子のアパートに泊まることになる。 小はなは親切にしてくれる彼らに嘘をつくのがいやで、自分は京都の舞妓だと正体を明かし、舞妓を嫌って駆け落ちして先に東京に来ている姉(長内美那子)に会いたくて家出して来たのだと話す。 和泉雅子さんは日活の青春スター女優です。ザ・ベンチャーズ作曲の「東京ナイト」を主題歌として、山内賢さんと共演し、デュエットし、和泉雅子さんの可愛らしさを満喫できる作品です。 どこか、アメリカ映画「ローマの休日」(53)を思わせるような、自由を求めて家出した女の子が大都会で親切な男性とめぐりあい、冒険を体験し、お互いに心を通わせるのですが、最後には、自分の居るべき場所へ帰って行く。 大学対抗エレキ合戦。決勝戦は舞子姿で山内賢といっしょに「東京ナイト」を歌う。これだと優勝まちがいなしではないか?
2016年03月04日
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アメリカの映画俳優 ジョージ・ケネディさんが2月28日にお亡くなりになったのを、いま知りました(享年91)。 ジョージ・ケネディ George Kennedy 1925年(大正14年)2月18日生まれ。 アメリカ/ニューヨーク出身。 第二次大戦に従軍して、戦後もそのまま陸軍に16年間在籍し、1959年に除隊。最終階級は大尉だとか。大きな体といかつい顔は、どこかその元軍人らしい雰囲気を感じます。 1960年くらいから映画出演したらしく、先日に何度目かを見たばかりの「シャレード」(63)は初期の出演作ですね。 オードリー・ヘップバーンとケイリー・グラントのロマンチック・サスペンス映画で、隠された大金のありかをさがそうとやっきになっている悪役の一人。ジェームズ・コバーンとともに印象に残る名演技でした。「エルダー兄弟」(65)「バンドレロ」(68)「大砂塵の男」(68)「新・荒野の七人 馬上の決闘」(69)「悪党谷の二人」(69)「ビッグケーヒル」(73)などの西部劇。他に「大地震」(74)「超高層プロフェッショナル」(79)など現代物もたくさんあって、名前を知らなくてもその顔を一度見たら忘れない、そんな名脇役です。 日本でとくに有名になったのは、やはり「大空港」(70)からだと思います。 猛吹雪にみまわれて混乱する国際空港を舞台にした群像劇の傑作。雪で動けなくなって滑走路をふさいだボーイング707機を移動させようと必死になる保全係の、これぞプロフェッショナル、これぞ男の中の男、そんなカッコ良いおじさんでした。 角川映画の「人間の証明」(1977)にニューヨーク市警の刑事役で出演したのも、当時は日本でも人気のある名脇役だったからでしょう。 全体に悪役が多いようですが、悪人でもどこか憎めない悪役、そんな感じですね。 私が夢中になってアメリカ映画を見まくっていた、そんな時代に活躍した俳優がまた一人お亡くなりになった。淋しい気持ちがします。
2016年03月03日
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「100挺のライフル」(1968) 100 RIFLES監督 トム・グライス 製作 マーヴィン・シュワルツ 原作 ロバート・マクラウド 脚本 トム・グライス クレア・ハフェーカー 撮影 チェチリオ・パニアグア 特撮 L・B・アボット 音楽 ジェリー・ゴールドスミス出演 ジム・ブラウン、ラクエル・ウェルチ、バート・レイノルズ フェルナンド・ラマス、ダン・オハーリヒー、ハンス・グデガスト マイケル・フォレスト、アルド・サンブレル、ソルダード・ミランダ 本編110分 総天然色 ビスタサイズ 1968年のアメリカ映画で、日本公開は1969年4月。 公開当時、香林坊にあったパリー菊水(だったと思う)の前に大きな広告看板が出ていて、興味がありながら見ずじまいになった作品。6年ほど前に初DVD化されて、ようやく念願がかなったしだいです(現在は800~1000円の値段で発売されている)。 マカロニ西部劇と同じくスペインで撮影したものですが、れっきとしたアメリカ映画。 主演は黒人俳優のジム・ブラウン。まだ駆出しの頃のバート・レイノルズと、当時大人気だったグラマー女優のラクエル・ウェルチ。それに悪役の将軍役をフェルナンド・ラマス。 メキシコを舞台に、アメリカからメキシコへインディアンのジョーという男(バート・レイノルズ)を逮捕しにやって来た黒人警官(ジム・ブラウン)がメキシコで迫害を受けているジョーの仲間「ヤキ族」の反乱に協力することになる。 主人公たちが100挺のライフルを入手してメキシコ政府軍と戦う革命ものです。 黒人俳優ジム・ブラウンが主演というのが珍しく、ラクエル・ウェルチとのラブシーンは、白人の女優が黒人俳優と抱き合ったということで、人種差別主義的な人たちから大きな批難を浴びたそうで、ラクエル・ウェルチさんは体にシーツを巻いて肌が触れないようにしていたと弁解せざるをえなかったとか。 現在では黒人俳優が演技派として大活躍していて、アメリカ映画ではなくてはならない大きな存在になっているのに比べると、当時はまだシドニー・パワチエやウディ・ストロードなど少数で、人種差別の強い時代だったのですね。 ジム・ブラウンさんは「特攻大作戦」(67)「汚れた七人」(68)「北極の基地 潜航大作戦」(68)など、この1968年頃は立て続けに出演映画を見たような気がしますが、そのあとはあまりお顔をスクリーンで見なくなったような? のちに大ブレイクするバート・レイノルズはまだ駆出しだし、目玉はラクエル・ウェルチさんくらいか? スターの出演料に製作費をかけないぶん、機関車で突入するシーンや戦闘シーンにお金をかけたということだろうか? メキシコ革命の時代を背景にした西部劇はこの頃の流行だったようで、「プロフェッショナル」(66)あたりから始まって「戦うパンチョ・ビラ」(68)「ワイルドバンチ」(69)。マカロニ・ウエスタンでも「夕陽のギャングたち」(71)や「ガンマン大連合」(70)。アメリカ資本のマカロニ「五人の軍隊」(69)など。 スペインでメキシコ革命ものの西部劇を撮影するには、地元の俳優やエキストラがメキシコ人に似た顔立ちなので違和感がないという利点があったそうです。 それとアメリカ映画にとっては国内で撮影するより海外へ出たほうが人件費が安い、ということでしょう。 この「100挺のライフル」は、ホセ・マヌエル・マルティンやソルダード・ミランダ(「必殺の用心棒」の可愛いスペインの女優さんだ)などマカロニ西部劇の俳優が出ていたりして、ロケ地のせいもあってマカロニ西部劇の雰囲気がそのまま感じられます。当時のアメリカ映画がマカロニ西部劇を無視できなくなった、ということのようです。
2016年03月02日
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