全43件 (43件中 1-43件目)
1
散歩からの帰宅途中、山際の細道を通りかかると、道のまんなかに紐状の妙な物体が横たわっていた。蛇かと思って目をこらしながら近づいた。長雨がつづいた後に、しばしば道を横切る蛇にでくわすことがある。 ところが、なんとそれは巨大なミミズであった。のびた体長が30cmはある。太さは直径1cm。これほど大きなミミズは見たことがなかった。 私はそのままその場を離れて帰宅したが、あらためてビニール袋と割り箸、シャベルを持って、自転車でミミズのいた場所へ戻った。 夕方6時、山陰は早暮れなずみ、道にはミミズの姿が見えなかった。それはそうかもしれない、いくらミミズだって、細道を横切って草薮に移動するに十分な時間が過ぎていた。私はあきらめきれないような、また自ら酔狂なとも思う気持をかかえながら、15メートルほどの間をゆっくりゆっくり見て歩いた。 すると、舗装面がきれて地面がむきだしになっているところに、道路と平行に躯を横たえている巨大ミミズを発見した。いままさに土中にもぐろうとして、頭部はすでに土のなかにあった。 私はビニール袋を片手に、ミミズの頭部を傷つけないように注意しながら、少し余分なところからシャベルで土を掘り起した。ミミズはあわてて身をくねらせ、縮んだ。私はそのまま掬いあげて袋に捕獲した。 帰宅してからすぐに、あいている園芸用の長い鉢の土を掘り起し、ミミズを入れ、土をかけた。・・・さて、この新しい住処が気に入るかどうか。ともかく巨大ミミズは、いま、我家の庭にいるのである。 捕獲したミミズがなんという名称であるかは分らない。日本に棲息するミミズは74種が確認されている(後注)。そのなかで巨大ミミズは、ハッタミミズ、シーボルトミミズ、沖縄のヤンバルフトミミズなどがいて、いずれも体長30~60cmほどである。それよりも巨大なミミズも存在するらしいとは言われているが、私は詳細を知らない。 世界の巨大ミミズは日本産の比ではない。現在記録されているもので、南アフリカのミクロカエタス・ラッピが6m70。そして時々テレビでも映像が映しだされることがあるオーストラリアのメガスコリデス・アウストラリスがおよそ3m50前後である。オーストラリアにはミミズ博物館があり、日本からの観光客も多いようだ。 さて、私としてはとりあえず捕獲したミミズを書物にあたって調べることにする。ミミズを正確に特定するためには解剖が必要なのであるが。【注】 E.G.Easton: Japanese earthworms; a synopsis of the Megadrile species(Oligochaeta), British Museum, National History, London SW7 5BD
Aug 31, 2008
コメント(2)
青柿の硬きまま身を寄せぬ 青穹 硬けれど触れなば落ちる青柿や 新渋と云いて青柿砕きしと 渋取りて昔紙衣(かみこ)を作りける 古渋とはまた風流や二年物 渋柿や身に捨てるものなかりけり だんだんにおのずと熟す青柿や【注】 渋柿の青いものを砕いて渋を採るということを昔はやった。昭和の初め、戦前くらいまでは、ごくわずかであったかもしれないがそれを職業としていた「渋取の家」があったようだ。「渋取」あるいは「渋搗き」とも言う。 柿渋は和紙に塗って乾かし、防水紙をつくったのである。この紙で仕立てた衣服を紙衣(かみこ)といい、雨合羽にした。時代劇映画で、菅笠に茶色のいわばハーフ・コートのような雨具を着ているのを見かけるだろうが、あれが紙衣の雨合羽である。紙衣は保温性にもすぐれていたようで、冬に蒲団がわりに掛けて使った。あるいは、ガラス戸の無い時代、外障子に柿渋を塗った紙をつかった。最近のテレビ時代劇は時代考証もいいかげんなものもあるので、外障子も白い紙になっているが、あれでは雨が降ればたちまち破れてしまう。柿渋を塗った紙は油紙のように黄ばんでいるものだ。 「新渋」はその年に採った渋。それを蓄えて1年寝かせたものを「古渋」あるいは「しねしぶ」と言った。「しねしぶ」はおそらく「ひねしぶ」が訛ったのではないかと思う。 「あいつ、渋いねー」などとは現代でも言うし、若者たちはさかんに「渋い」を連発するが、もとはといえばこの古渋から来ている。 前のブログに書いたが、私は落ちた大量の青柿を捨ててしまったけれど、昔の人なら「なんと勿体ないことを」と言ったことだろう。
Aug 30, 2008
コメント(0)
2日間猛烈な雨がつづいた。高台の我家は浸水の心配はないのだけれど、舗装道路の割れ目などから地下に浸水し土砂を削りとってしまうと大変なことになるので、町内会では先日も回覧板で道路修繕をするところの存否をアンケート調査した。例年だとこれから台風シーズンに入る。 ところで我家の柿の木が玄関へのアプローチにおおいかぶさるように枝を垂れ、傘をさしているとぶつかるほどである。今年は昨年よりも実のつきが良く、たわわに実ったその重みで枝がしなっているのである。 隣家の敷地へ塀越しにのびはじめた枝は、7月のはじめに伐り払った。それで栄養のまわりが良くなったのかもしれない。あるいは、これは我家の柿に限ることなのかもしれないが、豊作とさほどでもない年とが、1年交替でやってくるようにも思う。 もう6年ほども以前、家族が長い期間家を留守にしていたことがあった。たまたま今の時季で、帰ってくると柿の木の大枝だが幹の付根からボキリと折れて、アプローチをふさいでいた。大量の柿の実---およそ200個ほど---が、あちこちに散らばっている。まだ腐りもせず青いままである。 どうしたことかと思いながら片付けていると、隣家の夫人がやってきて、「昨日、ひとりでに折れたようです」と教えてくれた。大枝が幹から折れるという事態が、自然の成行きというより人為的な感じさえするので、気に掛けていらしたのであろう。 「御心配くださりすみません」と私は言い、「柿の枝はとても折れやすいものですから、実をつけすぎて、重みで折れたのでしょう」 当時まだ存命だった老父にゴミ袋に拾いあつめた大量の青柿を見せた。すると父も同じことを言った。 「子供の頃、柿の木には登るなと言われたものだ。なぜか折れやすいんだよ。ひと枝にこんなに大量の実をつけ、自重に耐えられなかったんだね」 直径4センチほどに成長した青柿がゴミの大袋に半分以上、ほぼ2/3にもなったので、なんとなくそのまま捨てる気にもならなかった。利用法はないかと考えたが思いつかなかった。2,3日、キッチンの片隅に置いておいたが、結局、捨ててしまった。 今朝、新聞をとりに出て、腰をかがめるように枝の下をくぐりながら、ふとこれからの台風シーズンを考えたのだった。実は4~5センチくらいになっている。
Aug 30, 2008
コメント(0)
雷神の屏風をたたむ嵐かな 青穹 豪雨なり文明の為す術もなく 俳諧のなじまぬ自然の猛威なり 風流も身をすくめたる豪雨なり
Aug 29, 2008
コメント(0)
昨夜、東京・西部(関東・東海地方全域にわたったようだ)は強烈な雷雨にみまわれた。稲光りをともなう雷は深夜にいたって一層激しく、雨も豪雨となって行った。我家の近所に落雷したのか、火花を発し、地響きをあげて都合4度。猫たちが飛び上がった。 私は午前1時半に就寝したのだが、寝室の雨戸はわざと閉めず、稲光りで室内が青白く照らされるのを見ていた。それだから落雷の火花も見えたのだった。我家は高台にあり、裏手は広大な緑地と公園がひろがるいわば山なので、むろん杉などの高い樹木も茂っている。そこに落雷して火事にでもならなければよいが、と思った。寝入ろうとして、目をつぶるのだが、強烈な稲光りは、サーチライトをいきなり目にあてられるようなもので、思わず目をあけてしまう。猫たちもやってきて、不安げに騒ぐので、「怖い怖い、ここにいなさい」などと言って、結局、寝入ったのはもう朝方4時近くになっていた。 まだ今朝のニュースを見ていないけれど、おおきな被害があったのかどうか。 ○ 19世紀ドイツ・ロマン派の画家フリードリッヒは、清澄な風景画を描いたことで知られる。しかし彼の内面は冒険心にみちた、危険をものともしないようなところがあった。実際に断崖や峻険な岩山などにのぼり、周囲をはらはらさせたようだ。嵐の絵なども描いているので、たぶん実際の観察にもとづいているのであろう。 フリードリッヒのような積極性はないので、つまりは何もないと同じなのだが、私も嵐の夜に家を抜け出し樹木の様子などを観察したものだった。このブログのフリーページ、「DRAWING 1」に掲載している「嵐を孕む樹」は、まさにそんな観察のスケッチ。ここに描かれているのは柳の大木である。 このような嵐を孕む樹木に対する私の好奇心には、じつは原点がある。小学校入学の前年、私たち一家は父の仕事の関係で北海道羽幌町から長野県川上村に移転した。到着して間もなくのちょうど二百十日に、大嵐が吹き荒れた。我家の前、本道からTさんの家に入ってゆくV字状のその交点に、馬頭観音(たぶん)が大木の根元に祀られていた。その大木はおそらく桑だったのではないかと今にして思うのだが、ずんぐりして、幹周りが大人二人で抱えるほどあった。そこからまるで帚のように細枝が出て、葉叢がこんもりとして、そう、まるでブロッコリーのような樹形だった。私はその樹がなんとなく好きだった。 さて、嵐が去った翌朝、私は通りにでてみてびっくりしてしまった。その大木の葉がことごとく風にむしりとられ、丸裸になっていたのだ。細い枝がそれこそ竹帚を逆さまに立てたように突きでているばかりだった。 私は思ったものだ。嵐はどんなふうにしてこの木の葉っぱをすっかりむしり取ってしまったのだろう、と。自分が眠っている間の出来事を見れなかったことを悔む気持だった。いや、そんなに明確ではなかったとは思うが、ともかく「嵐を孕む樹」が見たかったのである。 それから20年も後に、私は夜中に家を抜け出し、あの柳の大木が大風に髪を振り乱すよう荒れ狂っているのを見に行ったのだった。普段、その木のそばを通りかかるたびに、その木の様子が子供のころに好きだった桑の木を思い出させていたのである。【追記】 報道によれば東京の西部、とくに八王子市がこの豪雨により大きな被害が出たという。八王子市は広いけれど、我家の近隣なので、あらためてお見舞い申しあげます。
Aug 29, 2008
コメント(2)

我家で猫を飼う歴史は長く、最初は私が小学5年生くらいのときで、真っ白い母子の2匹。それから長い間をおき、28年前から再び飼いはじめ、それを先祖として現在の五匹のひ孫まで全部で25匹飼ったことになる。 そのうち最初の2匹(チョマコとチョンコ1世)は別にして、御先祖さまのクロ(雌猫だけどこういう名前。私は天才クロと呼んでいた)の子供でないのが2匹。一匹はクロが、どこからか生まれて1ヶ月ばかりの捨て猫を見つけて連れて来た。「だめだよ、返しておいで」というと、渋々くわえて返しに行ったが、帰るに帰れず少し離れたところから子猫を見守っている。しかたなく「クロ、いいよいいよ、連れておいで」と言うと、嬉しそうに再び連れ帰った。子猫のほうも分るのであろう、家につくと、のうのうと腹這いになってクロの乳にすがりついた。乳が出るはずもないと思ったが、乳から離れたあとで、「クロ、ちょっとおっぱいを見せてちょうだい」と乳首をしぼってみると、なんと乳が出るのである。これには驚いてしまった。母性が刺激された結果であった。 二匹目は、以前に書いたことがあるが、3本脚の野良猫だった。大きな成猫で、どこをどう彷徨って我家に辿り着いたかわからないが、はじめは、我家の猫達を恐怖に陥れていた。お風呂に入って躯を洗い、1ヶ月ほど我家で暮らし、言うことも良く聞き分けるようになったが、ある日ふらりと姿を消してしまった。 この猫の存在が、我家の牡猫チャコの心労となり、まもなく病気になって死んでしまった。我家では長い経験から猫たちの写真はほとんど撮らないことにしていた。しかし、なぜかこのチャコの写真だけは沢山撮っていたのだった。チャコが生まれてまもなく、私はニューヨークへ長期の旅行をした。私の留守の間、猫たちは何か不安だったのか、天才クロが母の手に噛み付いてケガを負わせるようなことが起った。私が帰ってくると、チャコは私のそばを離れようとせず、私のあとを追いかけた。チャコの死が、今のところ飼い猫の最後の葬式になっている。死んだ猫たちは柿生の里(神奈川県)に眠っている。【チャコ、94年11月2日】 猫の毛を櫛けずりおり長き夜 青穹 幸・福と名付けし猫の夜食かな 十九匹の猫の名偲ぶ地蔵盆 コンピューターの鼠枕に猫の秋 カマキリに片手で挑む子猫かな
Aug 28, 2008
コメント(0)
昨夕、何とはなしに玄関前にたたずみ、寄って来た猫のフクの頭を撫でようとして腰をかがめた途端、庭の桃の木や草むらから驚くような音量で虫が一斉に鳴きはじめた。 秋の虫の初音かとも思ったが、たぶん数日降りつづいた雨でほとんど家の中にとじこもっていたので、虫の鳴き声に気がつかなかったのだろう。 それにしても、まるで「時が来た!」と言わんばかりに、晴れ間をぬって大声で呼び交したかのようだった。夏の初め、ある日ある時、蝉が一斉に鳴く。それを面白いことだと思っていたが、秋を告げる虫たちも同じなのかもしれない。人間の赤ん坊が第一声を発するように、土中から地上に出て、それが虫たちの第一声だったかもしれない。 間もなく夜にはいり、あたりはジージー、リューリューと虫の声につつまれた。やがてポツリポツリとまた雨となった。その雨は、深更におよんで激しい土砂降りとなった。 梵鐘のおんおんと渡る茅野かな 青穹 古寺の老僧に傘さしかける驟雨かな 桃の木でアオマツムシの鳴く夜哉 夜更けなば虫どちつどう花野かな 幾万の虫すだくらん耳澄ます ところで、今は都市部のペットショップでカブトムシやクワガタを売っているが、昔は鈴虫や松虫、轡虫、かんたん、草ひばり等々を売り歩く「虫売り」の姿があった。いつの頃からの風俗かは知らないが、江戸時代の資料にはすでに出ている。 といっても、当時、虫売りは例年5月28日のお不動さんの縁日にはじまり、7月の盆前までを限りとした。江戸の風俗として、盆には供養のため飼っていた虫を野に放していたのだった。虫の養殖問屋は早稲田のあたりに多かったという。 江戸の虫売りはなかなか品よく、虫を入れた籠も美しくつるして担っていた。キリギリスを売り歩くのは江戸近在の人たちで、野で捕えたものを粗末な虫籠に入れて売っていた。しかし、江戸の虫売りより値が安かったので、人気があったのだそうだ。 植物や昆虫を描いた博物図は、どうしてもイギリスやオランダを思いがちだが、どっこい、日本にも優れた動植物画が存在する。 佐倉市の国立民俗博物館には、江戸のバロック的な趣味を知らしめるに十分な珍奇な「朝顔図」がたくさん所蔵されている。窪俊満筆の「蝶づくし」、広瀬花隠筆「桜花三十六花撰」、三熊露香筆の「桜花藪一帖三十六種」、堀井香坡筆「桜花百種」、あるいは西尾市立図書館岩瀬文庫所蔵の作者不詳の冊子「桜百種」等々、枚挙にいとまがない。 江戸の虫売りは品良く美しく虫籠をつるしたと述べたが、虫籠に工芸の粋をこらしたのは駿河竹千筋細工。現在でも静岡県の代表的な伝統工芸である。我家でも、虫籠ではないが、直径20センチほどのお碗型の籠を所蔵している。飴色漆塗りの繊細な美しい小籠である。こんな籠に虫を飼っていたのかと思うと、江戸の趣味がいかに高雅であったかが偲ばれるのである。
Aug 28, 2008
コメント(0)
夏の盛りでも、寝苦しさなど感じることもなくすぐに寝入ってしまうのだが、今朝がた一旦目がさめてから、ふたたび睡魔がおそってきた。もうすこし眠るつもりで、そのまま睡魔に身をまかせた。すると頭の中に、白い霧が降っているようなガランとした荒野がひろがった。それは、見えるというのではなく、自分の脳みそが「感じて」いるのだった。頭蓋骨の内部にひろがる光景であることを、私は目覚めと眠りの間で「感じて」いた。このままでいれば、その光景は眠りそのものとして、私の意識をグイグイと眠りの深みに引き込んでいくと思われた。私は試しに意識を揺らしてみた。すると、脳が「感じて」いる荒野はやや曖昧になった。私はふたたび意識のレベルを下げてみた。脳は荒野を「感じて」いる。 「ああ、これが眠りの正体か」と私は思った。そしてその荒野を感じながら意識が消えてゆくにまかせた。 2時間ほどして、私は深い深い眠りから目覚めた。脳が感じていた荒野は、まるで現実の光景の記憶のように、目の裏によみがえる。その映像は、脳全体が「感じて」いたのとは明らかにことなる感じで、視覚の記憶の回路に組み込まれてしまったようだ。 閑話休題 3日つづきの雨が止んで、日射しがもどってきた。残暑がぶり返した。とはいえ、その暑さはやはり確実に秋の気配のなかにある。 あるいは今夜からまた雨になるかもしれないというので、散歩をかねて家人につきあって近所に買い物に出た。 猫たちの御飯も買わなければならない。いつもの店に行くと、決算在庫処分とかで、猫用の缶詰が安売りしていた。これ幸いと少し多めに買い込んだ。なにしろ5匹いるので、その食糧費だけで月に2万円以上になる。秋になると猫達は冬にむけて脂肪をたくわえはじめるので、食欲が増すのである。天高く馬肥ゆる秋、というのは真実で、猫にも言えるしもちろん人間だって同じだ。 というわけで、われら人間の食糧も買い込んで帰宅。 膝の手を払いて立てば猫寒し 青穹 かぶり振りただ頑や人の秋 鎌振れど時に拝めるいぼむしり 大風に破(や)れて芭蕉の風情かな 黒揚羽肩に止りぬ何処より来る わが魂(たま)を先導するや揚羽蝶 揚羽蝶ふわりと舞いて夏過ぎぬ ふみ書いて破り捨てにし秋の風 後ろ髪ひかれし者の野分きかな 鬱金(うつこん)の雲に向かえる遠路かな【注】 「いぼむしり」はカマキリの異称。この虫の鎌でイボを撫でると消えるという昔の俗説にもとづく。また敵に果敢に鎌をふりあげるが、ときどきまるで拝んでいるような仕草をする習性がある。私はそのことを詠んだ。
Aug 27, 2008
コメント(0)
雨垂れを眺めて葡萄食いにけり 青穹 葡萄食い枯骨のごとき茎を捨つ 野葡萄や濃き紫に爛熟す 野葡萄や色深ければ秘めたりき 幾房の葡萄踏みしか酒醸(かも)す 貴腐葡萄酒(ワイン)陶然としてまた酔いぬ それぞれと云えど丸める葡萄かな
Aug 26, 2008
コメント(4)
先刻までNHK・BS2でジョージ・スティーヴンス監督の映画『ジャイアンツ』(1956)を見ていた。過去に何度も見ているのだがDVDを持っていないので、3時間有余の長尺を覚悟して見ることにしたのだ。 有名な作品なのでストーリーは紹介しない。出演はエリザベス・テイラー、ロック・ハドソン、ジェームス・ディーン。ジェームス・ディーンはこの作品に出演中、自分の出演シーンを撮り終えた直後に自動車事故で死亡した。映画はまだ完成していなかった。最後の有名な独演シーンは、セリフが聞きとりにくかったので、スティーヴンス監督は死んだディーンの代役をたててセリフの吹き替えをしたと言われている。ジェームス・ディーンはたった3本の出演作品で映画史に燦然と輝いている。死後、本作品でアカデミー賞にノミネートされた。 と、これだけの紹介なら別にこのブログに書く必要もなかった。じつは過去に聞き逃していたセリフがあったことに気が付いたのだ。聴き取っていたのかもしれないが、記憶には残っていなかった。このセリフ、日本語の字幕には翻訳されていない。そこで、書いておこうと思った次第。昨日の日記、〈「頑張れ」と「加油」〉に関係がある。 インターミッション(休憩)後の場面。ジェット・リンク(ジェームス・ディーン)がテキサスの石油王にのぼりつめ、自分の名前を冠した空港とホテルをダラスに開設する。その大々的な式典のパーティに元の主人ベネディクト夫妻(エリザベス・テイラーとロック・ハドソン)とその一族を招く。 問題のシーンはダラスに出発準備をしているベネディクト邸の内部。ジェット・リンクの成功をとりざたしながら、ハドソンが茶化すように、「石油王!」と言う。するとピアノを弾いていた伯父が言うのだ。 「フラー!」 前の日記に書いたように、「フレー! フレー!」のあの言葉である。「Hurrah for the king!」 映画では「石油王、万歳!」と言っているのだ。 伯父さんのこのセリフ、いままでは全然耳にのこらなかった。あらためて、「あっ!」と思ったのは、たまたま先日のブログに符合することだったからだろう。そうでなければ再び記憶からは消えてしまうところだった。 『ジャイアンツ』をDVDでお持ちの方は、ちょっとそのシーンを御覧になってください。 閑話休題 きょうも昨日にひきつづき一日中雨が降っていた。豪雨の地方もあったようだ。この天気、どうも週末つづくようだ。 そんな雨のなか30分ばかり散歩した。散歩しながら晩夏・初秋の草花が目につき、またまたヘタの句を詠む。 ぞっくりと姦しきほどのカンナ哉 青穹 曼珠沙華夏のおわりの花火かな 稚児笹の茎細くして揺れにける さるすべり落花降り敷く昨日今日 亡き人の庭静もれる秋の雨
Aug 25, 2008
コメント(2)
オリンピック後の中国経済が危ぶまれている。私は昨日、閉会式が始まる前に「秋の雨祭のあとの淋しさや」とへたな句を詠んだが、まさに経済はそんな状況なのか。 豪華で派手な演出の開会式と閉会式だった。 テレビ中継で見た私は楽しみ、驚き、アクロバティックな演技力を存分に見せつける演技者の層の厚さに感心した。なんだかんだ批判をする人たちはいるが、巨大会場の面積のみならずタッパ(高さ)のある、つまり巨大容積の会場におけるたった一度だけの待った無しで挙行されるエンターテイメントとして、それを成立させるためには、さまざまな仕掛け、悪く言えばダマシのテクニックが必要なことは当然であろう。そのようなことを考えないようでは、とてもこのようなイヴェントの演出家とは言えない。それをとやかく批判するのは、幼稚というものだ。 しかもこの開会式・閉会式はテレビ・メディアを使って、テレビのエンターテインメントとして全世界に放映される。たんなるドキュメンタリーとしてではなく、画面上にパフォーマンスがなければならない。オリンピック協会は巨額の放送権を支払わせていることでもある。 競技の映像が改竄されたというのなら話はまったく別だ。しかし、開会式・閉会式は式典でもあり同時にお祭騒ぎをする娯楽でもある。 テレビ画面上の仕掛けとしてなら、競技の場面でも、たとえば水泳の世界記録を示す緑色のラインがコンピューター画像で実像に組み込まれている。あるいは陸上のトラック競技ではスタート直前にコース上に国旗が表われる。これももちろんコンピューター画像で処理されていることだ。しかもこのような競技画面のコンピュター画像組み込みは、北京に始まったことではない。アテネでもシドニーでもおこなわれていたはずだ。 そういう便宜性については、そのような処理が行われるようになった当初からまったく批判はなかったのではあるまいか。これだって、誰かが考案し、誰かが実行したことだ。全世界が鳩首をならべて相談したわけではあるまい。 まあ、ともかく、私は北京オリンピックをおおいに楽しんだ。 ところで閉会式前に詠んだ私の句、「倫敦に傘飛びて行く秋の雨」だが、次の開催都市ロンドンが昨日の閉会式のなかでパフォーマンスを披露し、そこに「傘」が登場したので、あまりの符合に快心の笑みをうかべた。 ロンドン市が披露した短いパフォーマンスが、本番の予告として占えるものかどうか。ロンドンはオリンピック史上初めて3回の開催地となる。準備は静かに進んでいるのであろう。しかし、世界経済の悪化のなかでEUとて例外ではなく、イギリスははたして北京のような豪華なパフォーマンスを披露できるかどうか。 いやいや、豪華であれば良いというものではないので、簡素な印象的なパフォーマンスを見ることができるかもしれない。 と言いながら、じつは昨夜のロンドン・パフォーマンスがいかにも稚拙だったので、逆にびっくりしてしまったのだった。ソーホーの若い美術家たちの考案らしいが、若さの特権である先鋭さも「野蛮」さもなく、イメージに何の驚きも感じられなかった。演技も未熟。老いてまだ盛んなレッド・ツェッペリンのギター奏者とベッカム選手を登場させてかろうじてナントカナッタという程度。本番の手の内は明かさないということか。 それにしても、ソーホーの若い美術家たち、だらしない。程度が知れた。
Aug 25, 2008
コメント(2)
北京オリンピックを通じて知った、そして親しくなった中国語に「加油」がある。「チィアーユウ」と発音するのだろうか。日本語だとさしずめ「頑張れ」という意味らしい。 じつにイマジェリーな言葉で、要するにガソリンを入れろ、エネルギーを加えろ(倍にしろ)ということである。 前の日記で、文化意識について触れたが、日本語で「頑張れ」に当る言葉を外国語にみてみると、なかなか面白いことがわかる。 日本語の「頑張れ」は、分解すると「頑固に突き出せ」というような精神を含んでいる。「頑固」あるいは「かたくな」というのは「愚かしいほど」という意味があり、正誤の判断を超越した自己主張がかくされていると言ってよい。 「頑張」は中国語読みにすると、(たぶん)「ワンチァン」となるのであろうが、どうも言葉としては存在しないようだ。もし存在したとしても、日本語のような意味にはならず、きっと「虚仮の一念」のような意味と解釈されるだろう。中国語の「頑(ワン)」は、「愚かな」とか「貪る」とか「かたくなな」という意味なので、激励するようなニュアンスがまったくないにちがいない。 「加油」は、先に述べたような意味だが、日本語だとむしろ相撲に残っている「はっけよい」の「はっけ」にニュアンスとしては似ているかもしれない。「はっけよい」は「発気用意」である。気を発する用意せよ、ということだ。気を発するというのは、自己の内部に充填させたエネルギーを瞬間的に発射すること。 レスリングの浜口選手父子が、「気合いだ!」と叫ぶが、彼等は自らを奮い立たせる意味に使っているが、本来的には、相手の気と自分の気とを合わせることだろう。「間合いを取る」と言うが、これは互の気の間合いのことである。かならずしも距離を意味してはいない。物理的な距離は離れていても一向に構わない。気が互の距離をちじめるのである。 英語ではどうだろう。私たちはしばしば「フレー、フレー」と応援するが、これは英語の「hurray(フレイ)」に由来する。あるいは「hooray, hurrah」と書かれることもある。 しかし、英語本来の意味は、「万歳」という意味に近い。「Hurray for the king!」(王様万歳!)などと言う。あるいは、日本語で「やった、やった!」という意味で「Hip hip hurray!」と使う。語源的には「愉快」とか「おおさわぎ」という意味があるらしい。 この言葉はドイツ語でも同じである。正確に言えば、「hurra(フォゥラー)」だ。英語の「Hip hip hurray!」とまったく同様に「Hipp, hipp, hurra!」と言う。が、ドイツではむしろスポーツ競技の場面で使われるようで、日本語の「頑張れ」に大変近い。ボートを漕ぐときに言っていたらしく、そこからもっと多くのスポーツ競技でも言うようになったようだ。「hurr(フォゥル)」という言葉があり、「ブルブル」と振動することを表わすようだが、語源的には「hurra」と同じで、ラテン語の「hur」がそもそもの語源ではないだろうか。 ではなぜ日本ではこの言葉が「フレー、フレー」と応援に使われるようになったのだろう。どうやら一種の語呂合わせらしい。このことは『広辞苑』にも説明されていて、「わが国では〈奮え!〉の意味にもちい」とある。英語が日本語化したというより、勝手な解釈で無理矢理日本語にしてしまった。たぶん事の始めがあり、旧制高等学校か早慶戦などからでてきたのかとも想像するが、私ははっきりしたことは分らない。 それでは「頑張れ」に相当する英語は何かというと、「Hang in there!」である。直訳的に言えば「そこにぶらさがれ!」「ねばれ!」ということだ。「彼は頑張り屋だ」は、「He hangs in there」と言えばよい。 「頑張れ」のなかに含まれている「かたくなに自己主張する」という意味をもつ英語表現は、「insist」が使われる。いわゆる「主張する」である。しかし、「頑張れ;頑張る」にはもっと多様な意味があり、それらは英語ではそれぞれ異なった言葉を使う。 何かを「やり通す」という意味なら「continue to hold on for ~」。また、「頑張って何か仕事をする」という意味なら「work as hard as I(you, he, she, etc..) could ~ing 」と言う。 こうしてみると、日本人のいわゆる頑張りは、中国や欧米(少なくともラテン語文化圏)の人たちとは、精神的な構造が異なるかもしれない、という議論点がほのかに浮き出てくる。 まあ、議論はここを足掛かりにして、ということなのだが、私は北京オリンピックをテレビ観戦しながらそんなことを考えていた。
Aug 24, 2008
コメント(0)
今夕、北京オリンピック終る 秋雨や閉会式を気にかける 青穹 秋の雨祭のあとの淋しさや 勲しを慶ばしめよ秋の雨 袖に受け別れを惜しめ秋の雨 倫敦に傘飛びて行く秋の雨 ○ 秋雨や回覧板を手渡しぬ 青穹 秋雨や木の下闇を通りけり 雨降りて新涼襟に落ちにけり 庭下駄の紅緒も濡れて秋の雨 熱い茶を所望して新涼かな 野の猫も身をすくめおり秋の雨 涙ごと濡れなば濡れよ秋の雨 秋雨の傘ふれあえる小路かな ザーと来てすぐ去りもせず秋の雨 一日中降ったから止め秋の雨
Aug 24, 2008
コメント(0)
オリンピクの男子マラソンがいま終了した。優勝は、終始レースをリードし圧倒的な早さで、ケニヤのサムエル・ワンジル選手。オリンピック記録に3分近い差をつける、2:06:32という新記録(オリンピック記録2:09:21)。 ワンジル選手は仙台育英高校の留学生として、また卒業後はトヨタ自動車に所属し、福岡国際マラソン等で日本にはすでにおなじみの選手。ワンジル選手の優勝をわがことのように喜んだ日本の人たちも大勢いたことだろう。 さて、かたや日本選手たちは、3人のうち大崎選手が体調不良で欠場し、佐藤敦之選手と尾方剛選手の出場となった。レースは早くも5キロ附近で早いペースとなり、トップ集団とそれにつづく選手たちの間に差がひらきはじめるという展開。20秒ほどの違いが出ていた。その後ペースは揺れ動くように早くなったり遅くなったりしながら、しかし20キロ地点を過ぎるあたりでは、メダル争いはほぼ確定したかのようだった。 20キロ地点を尾方選手は26位で通過、佐藤選手は77位。残念なことにテレビ中継のカメラはついに日本選手を画面に映し出すことはなかった。それでもふたりは食いつき、粘り、尾方選手は13位(2:13:25か)でゴールした。「勝負にならなかった」とは、インタビューに応えた尾方剛選手の弁。 その尾方選手、大崎選手の欠場そして女子マラソンの野口選手の欠場をふまえてのことだろうが、日本選手の健康管理の面を考えていかなければならないのではないか、と語っていた。佐藤選手にしても、練習からくる疲労が伝えられていたし、さまざまな報道を総合して私たち一般人でも、理屈は分析できなくともなんとなくの疑問はすでに見えていたことだった。それが、いま、当の選手の口から吐露されたのだった。 オリンピックのみならず国際的なアスレチック競技は、個人の力や才能をかりて国威を発揚する面もあるけれど(人間の可能性への挑戦ばかりではない)、じつは民族的あるいはもっと広く文化圏といってもよかろうが、そこに所属する人々の無意識を支配する「文化」形成におおきくかかわっている。しかし、この問題は論じられることがほとんどなかった。 ここで私が「文化」と言っているのは、文学とか音楽とか美術とかその他もろもろの現象のことではない。日本人には日本人の、フランス人にはフランス人の(すべての国の)良きにつけ悪しきにつけ特有の精神状態と思考があり、それをそのようにあらしめる、つまり無意識を支配する「仕組み」を、私は「文化」と言っている。こうした定義によって議論を組み立ててゆくのは、じつはたいへん難しい。なぜなら「文化」とは本質的に自らを否定する言語を有しないからだ。簡単に言えば、日本文化を理路整然と抜かるところなく批判的に否定する日本語が、日本語自体に存在しないということである。もし存在すれば、それは存在の自己矛盾となってしまう。「私は在って無い」というようなことは「文化」にはないのである。 と、とりあえずの説明をしたところで前に戻そう。 昨日の私の日記でも書いたが、戦略を多方面的にシミュレーションができていないということを例にとると、この能力の欠如は、なにも日本の野球やサッカー・チームに限ったことではない。もっと重大なことだったのは第二次大戦時の日本軍部それに牛耳られていた日本政府もまた、まったく現実の分析能力に欠けていたのだ。アメリカが日本の都市部等の詳細な航空写真をもとに精密なパノラミック模型までつくって戦略をシミュレーションしていた事実を知れば、日本軍部は自己陶酔のうちに術もなく自滅したと言える。戦争には「文化」の本質が露呈する。われわれはあの負け戦を63年後の現在も反省できずにいるのも、「文化」のなせるわざである。つまり、もはや一国が平和に存在するためには、地球的な視野にたったシミュレーションが必要なはずで、しかしどうもその能力に欠ける。 「文化」意識とは、解くに解けないもつれた糸玉のようなものだが、しかしそうは言っても私は楽観的な性格なので、丁寧に解きほぐしてみようではないかと言うのである。スポーツの方面で、いまもし組織力の点、戦略戦法戦意向上の点で、分析的に解決することができたなら、その方法論は新しい「文化」意識を形成してゆくに違い無い。・・・そのように、考えるのだ。国際競技というのは、そのような文化意識の違いをあきらかにする場所である。戦術の違いはたんなる技術上の問題とは限らない。そういう透徹した目をやしなう場でもあろう。 今日のマラソンでおもしろい場面があった。30キロ地点あたりだったろうか、すでにメダル争いの選手は確定的になっていた。トップ3人の選手が走る。ワンジル選手とエチオピアの選手がほぼ並走していた。すると左側(われわれからは向って右)のワンジル選手が、隣の選手に右手で前に出ろというようなかすかな合図をした。トップで走るより2番手で背中にぴたりと張り付いてゆこうという作戦か。心理誘導だ。しかしエチオピアの選手はそれに乗せられなかった。次に仕掛けたのはエチオピアの選手。35キロぐらいだったろうか。スペシャル・ドリンクを取ったエチオピア選手は、飲んだ後に、ドリンクを取らなかったワンジル選手に自分のボトルを渡した。敵に塩を送ったわけだ。ワンジル選手は軽く礼をしてそのドリンクを飲んだ。飲んだ瞬間だった、ワンジル選手は一気にスパートしたのだ。エチオピアの選手は見る間に後方におかれ、あるいは、戦意をくじかれたかもしれない。・・・その後はもうワンジル選手の一人旅だった。
Aug 24, 2008
コメント(0)
北海道と沖縄をのぞいて全国的に雨模様のマークがついている天気図をみながら、秋の気配を感じている。気温に敏感な我家の猫たちは、かわるがわる私の膝に抱っこしにくる。一番下の抱っこ嫌いのフクは外に遊びに行きたいのだが、雨が降っているので、出ては戻りして一日中落着かない。 オリンピックも明日が最終日。日本時間の午後8時55分から閉会式がおこなわれる。まだ競技は残っているが、残念ながら男子マラソン以外は日本選手の出る幕はない。今日の野球の3位決定戦を見ていたけれど、アメリカに4対8のコールド負けとなってしまった。日本チーム、このオリンピックでは終始、打線が振るわなかった。ホームランが出なかったわけではなく、今日も胸のすくようなホームランが出たのだが、なにしろ塁にランナーを溜めることができない。おまけに、アメリカ・チームに打たれれば投手陣は誰もがあきらかな動揺を表に出してしまう。 無理もないといえば無理もない。しかしそのたびにソフトボールの上野投手の強靱な精神力を思い出してしまった。ピンチに臨んでの、あのポーカー・フェイス、揺るぎのないピッチング。・・・総じて、このオリンピックで日本女性陣の堂々たるたくましさを感じたのは、私だけであろうか。 いずれにしろ彼等彼女等は日本のトップ・アスリートであることは間違いない。それを認めたうえで、事、チーム競技(野球あるいはサッカー等)を見ていて、まったくスポーツ音痴の私がなんとなく感じるのは、戦略のシミュレーションがあまり綿密ではないのではないかということだ。 たとえば、野球とソフトボールとの特異なルール、タイブレークへの対処だ。タイ・ブレークというのは今回のオリンピックで初めて施行されたルールである。最終回(野球の場合は9回、ソフトボールは7回目)で決着しなかった場合、次の攻撃側は2塁にランナーを置いたところから始まり、しかも9回までの打撃順を変更してもよい、というものだ。 このルールは、テレビを見ていて思ったのだが、おそらく選手たちのゲーム感覚がまったく変化してしまうのであろう。ゲーム展開が一気に動きはじめるのである。予選段階における対アメリカ戦の日本チームの失敗は、そのゲーム感覚に乗り切れなかったことにあったかもしれない。つまり、表裏あるゲームだけれど気分的にはサドン・デスと同じなので、攻撃側は初球から狙いさだめて打にくる。とにかく塁を進める、塁に出る、その前進意欲がこのタイ・ブレークには絶対的に必要なのだ。そう理解すると、さて日本チームはその新しいルールにもとづく戦法を可能なかぎり多面的にシミュレーションしておかなければならなかったはず。・・・それができていなかった、と私は見たのだ。はたして如何であろう。 このタイ・ブレーク試合は女子ソフトボール・チームも経験しなければならなかった。しかし、彼女たちはとっさに戦法と戦意をたてなおすことができた。延長延長の苦しい試合を最後まで耐え抜き、ついに攻め抜いたのだった。 もう一点、私が気が付いたことがある。 ゲームが開始される直前に、姿の見えない専門の解説者(ということはNHKの放送ということになるが)が各々のアスリートについて分析的に、たとえば「この選手はゴール前50メートルを頑張ってもらいたい」などと言う。さて競技がスタートすると、なんとその選手、ゴール前50メートルあたりから力尽きて失速してしまったのだ。 このことから私が何を感じたかというと、解説者の指摘通りになってしまう人物が選ばれ、それが日本のトップということは、要は人材の層が薄いということを意味しているのではないか。あるいはコーチングに問題があるのではないかとも考えられる。いまどきさすがに「精神主義」はなくなっているようだが、オリンピック全体を見渡せば究極的な領域で精神主義はものを言うことがわかる。とすれば、その究極的な領域以前のトレーニングがなお問題なのだろう。いや、私にはそのように思えたのである。 さて、残すは男子マラソンだ。私の母校である会津高校の後輩、佐藤敦之選手には是非がんばってほしい。不安材料があることが伝えられているが、選手も応援する側もマイナス・イメージなどもたないほうがよい。それは「気」をさげるばかりで、なんの役にもたたないからだ。 加油、加油、佐藤!
Aug 23, 2008
コメント(2)
家人はあまり好まないのだが、私は苦瓜が好きだ。冷蔵庫の野菜ケースに一本はいっていたので、明日はこれを料理してやろうと思った。「苦瓜や、苦瓜や」と呪文のように唱えながら、次の5句ができた。 苦瓜や一別ありての苦さかな 青穹 苦瓜や想い出はかくのごとくあり 苦瓜や色濃くありて苦々し 苦瓜や旨くもありて苦々し 苦瓜や旨ければこそ苦々し【追加】 苦瓜や鬼よそおえる弱さかな 恋いしくばなお苦々し苦瓜や 青嵐や苦瓜ふたつ倒れけり 苦瓜の肌哀しくて撫でにけり さまざまの形で成れる苦瓜や 噛み締めて味わう瓜の苦さかな 苦瓜や哀しき性の緑なり 苦き瓜数ひかえめに並べあり
Aug 22, 2008
コメント(0)
常連のちゃれさんが昨日の私の日記「女子ソフトボール金メダル!」に、「私はニュースでしか見られなかったのですが、昨日の試合を見て、期待していました。AZUREさんの中継で、全試合を見たような気になりました。」とコメントしてくださった。ちゃれさんはなかなか年輩者をたててくれる優しさと冗談もうまいので、私はもちろん彼女のコメントを額面通りに受け取っているわけではない。むしろ昨日はいささかあわててしまった。というのは、オリンピック中継は誰もが見ていることだから、私は試合の流れなど省略してしまったし、不正確と指摘されても弁解のしようのない書き方をしている。それに対してちゃれさんのような評言があったので、「しまった!」と思ったのである。 私は根がマジメなものだから(ウォッホン!)、私がテレビ中継で見た試合が、いったいどのように新聞メディアで記事にされているかを確認してみた。私はスポーツ新聞はまったく読まないので、一般紙だけのことなのだが、あらためて目を通してみてちょっと驚いている。悪くいえばナニワブシ的なお涙頂戴的なお話で埋まっていて、肝腎の試合がどのようなものであったかは、ついに読み取ることができなかったのだ。 「?」これはどういうことだろう。一般記事扱いのページはともかくとして、スポーツ面でもやはり文章から試合を再現することはできなかった。新聞のスポーツ記事も独立不羈の精神から遠くなって、読者がテレビやその他のメディアに頼ることを暗に期待しているのだろうか。まるで私のきのうの日記のように。 スポーツ競技の全体的な流れを臨場感あふれるように文章で書くというのは、じつは大変な技術と言葉の感性を必要とする。それはためしにちょっと書き出してみればすぐに分ることだ。スポーツ特有のスピード感と力強さ、あるいはゲーム・ルールや用語を使用しながらしかし誰にでも分るようにしなければならない。また、文章を読むスピードのなかにゲームのスピードが重ならなければならない等々、文学としても非常に高度な対象である。したがってスポーツ記事を書くには訓練を要する。 私が興味をもつのは、スポーツを書くことと、スポーツ映画とはどこか共通点があるのではないか、ということだ。映画史にはスポーツ映画としてくくれる一つの大きなジャンルが形成されている。以前このブログでリスト・アップしたがボクシング映画、あるいは野球、アメリカン・フットボール、カー・レーシング。いずれにも名作と称すべき作品がある。そうした作品を見れば納得されるであろうが、たとえばボクシング会場に数台のカメラを据えて試合の一部始終を撮影したからといって、これは単なる凡庸な記録にはなろうが観客の心理をあたかも臨戦しているような興奮に駆り立ててゆくことは決してないであろう。 こういう話が伝わっている。俳優の森繁久弥氏が小津安二郎監督の撮影方法を見て、「この監督には自動車競争の写真は絶対に撮れない」と言ったとか。この評言をどのように解釈するかはいろいろあろうが、私はとりあえず、そこにスポーツ映画独特の映像的文脈の問題が指摘されているとだけ言っておこう。そして、それはまた、スポーツ記事の文章術とも通底することだ、と。 新聞記事にはスペースの問題が大きな比重としてのしかかっているということは、もちろん承知してのことだが、私はかなり注意深く一般紙のスポーツ記事を読んでみて、勝敗については書かれていても、その競技全体の流れについてはほとんど触れられていないことに一つのクエスチョンマークを感じたのである。年月が経って、ひとつの歴史的な資料として新聞を利用しても、おそらく役にはたたないだろう、と思いながら。
Aug 22, 2008
コメント(2)
オリンピック、女子ソフトボール決勝戦、日本対アメリカ、なんと3対1で大勝利。金メダル! 女子ソフトボールがオリンピック競技種目となって以来、3連覇を誇ってきたアメリカ・チームは当然のごとく4連覇すべく今回も8戦全勝でたちあがってきた。かたや日本チームは過去、銀・銅のメダルは獲得していたが、金メダルには手がとどかないで来た。それだけに金メダル獲得はまさに悲願であっただろう。 決勝戦。昨日の2試合で計318球を投げていた上野由岐子投手は、その疲労が心配されていたようだが、その懸念は無駄であった。落着いた投球は終始かわらず、球威もまたすばらしかった。守備陣は、初回ややもたつき満塁のピンチとなったが、それも無事しのぐと、次からは上野投手をよくささえ、最終回の7回裏の守りはサード西山の目をみはるようなファイン・プレーと返してファーストのナイス・キャッチで歓喜の勝利となったのだった。 簡単に手に入れた勝利ではなかった。ということは、見ているほうとしては、こんな面白い試合はめったにない。わたしは存分に堪能した。 グラウンドで選手達が歓喜にわいているのを、NHKの解説者として招かれていた元監督・宇津木さんが、顔は映らないのだが声が泣いていた。あの冷静な低い声の宇津木さんが、しゃくりあげるかのように声が高くなるので、オリンピック・チームに掛けられた期待がいかに重圧となってのしかかっているかが伝わってくるのだった。 すばらしい金メダル!
Aug 21, 2008
コメント(2)
ただいま夕方6時半、東京・西部の空はあつぼったい古代紫の異様な夕焼である。遠くで雷鳴がする。 酢漿草(かたばみ)や老女の鏡磨きける 青穹 水飯(すいはん)や塩鮭に梅、沢庵と 柿の実やこれでもかとぞ生りにける 葉かげの蛾灯が恋しくば早秋ぞ 病み臥して小庭の菊を截り捨てし 夕映えや赫と染まるも儚しや 夕映えや右の耳たぶ光りけり また来よと言いかけて摘む花木槿(むくげ)【注】 「水飯(すいはん)」は、夏、飯に水をかけて食うこと。 「酢漿草(かたばみ)」は、その葉で鏡を磨くと美しい輝きがでる。 「花木槿(むくげ)」は、朝開いて夕方には凋み、もう翌日に咲くことはない。-------------------------- 今夜は19時30分からオリンピック中継、女子ソフトボールの決勝戦である。相手はアメリカ。きのうの試合があまりにも素晴らしかったので、勝敗もさることながら、試合そのものを期待している。上野投手、ガンバッテ!
Aug 21, 2008
コメント(0)
昨夜、さる人の訃報に接した。今朝、次の10句を詠む。 忍び来て何処にもぐる新涼かな 青穹 夏去りてかのひとも逝く鰯雲 青柿や老骨渋くたわみたる 二つ三つ蝉落ちたるを見つけたり 蝉落ちていずこに卵産みにしか 生殖に命燃やして蝉死せり 十七年後、われ八十、蝉新生す 去りぬればただ束の間の盛夏かな 星飛びてわれ男根のごとく立つ 流星や八方に飛び地球一望す【注】 蝉の命は3日ないし7日くらいと言われている。その間に生殖し、土中に産みつけられた卵は、17年後に幼虫として地上にあらわれ、脱皮して蝉となる。
Aug 21, 2008
コメント(0)
本日の句、第二段。 喉仏ゴクリと動く岩清水 青穹 風吹けば引いては返す女郎花(おみなえし) 墨染の袖ひるがえし雛の僧 殊勝にも父の代りと雛の僧 夏衣袖の竹籠(たけご)鳴りにけり うつむけば鼻梁光りて鞐(こはぜ)解く 松籟や無門の門をくぐりける 影さして尼殿香を置きにけり それはまあ、ほゝと笑う眉の月 松柏や湯舟に老骨浮かべけり【注】 「雛の僧」は、少年僧のこと。 「袖の竹籠」というのは、僧侶などが夏の外出時に、汗で衣が腕にまとわりつかないように、細竹で編んだ筒状の籠を腕にはめるのである。 また、「無門の門」とは禅門のこと。
Aug 20, 2008
コメント(0)
すこしづつ涼しくなってきているようだが、今日はまた残暑がきびしい。脳みそが煮えたって、口はとじていても頭のなかに妙なイメージや言葉がわきあがってくる。とりあえず、句に書きとめている。以下に午前中の10句。 白き傘かぎろい揺れて消えにけり 青穹 罪もなき蛙の腹をふくらませ 下駄飛びぬ運動場の夕まぐれ 尋ぬれば螢の籠で指しにける 螢火や少年の面(つら)潔し 窓格子田園の青を截りにけり 風通り軸の菩薩も足をとめ 仏法僧の鳴く声太ければ端座す 藍のいろ目に滲みけり陶枕 遠過ぎて声もとどかじ桂月
Aug 20, 2008
コメント(0)
先日この日記に掲載した俳句のなかから5句を選んでHaikuにしてみました。難しいものです。なかなか英語で「味」を表現するにいたりません。My old motherreturned from the graveThe hair is white墓参より帰る老母の髪白くFruit of trees, still greenBut, it's coming up autumn;the cold hidding in the air木々の実のまだ青くして新涼かなThe wind has blown;fallen down the pampas grassA shrine appears風立ちぬ芒倒れし御堂ありThe moon overflowesfrom the cup of 'sake';alone in a rural inn盃に月あふれけり鄙の宿Suddenly, a hawk tearsazure of sky into shredswithout sound音もなく大鷹青を裂きにけり
Aug 19, 2008
コメント(0)
先日このブログ (Aug 7, 2008)に書いた歌3首を、スケッチ風なひとつの詩として英訳しました。The Boys Who Passe by MeWhistling aloud happilyseveral junior high school boyspasse by me, they seeme to beon the way back from training at summer camp of an athletic clubThe boys with smilesmust be to have a hunchof winning in a coming game that they are good at a sporting eventTheir laughing voices ascendhigh up in the blue sky ofthe summer; --highly, highly Oh boys!A great future lies before you!----------------------------------Copyright (c) 2008 Tadami Yamada. All Rights reserved.
Aug 18, 2008
コメント(2)
密にしてあえかにそよぐ花の蕊(しべ) 青穹 杣道(そまみち)をたどりて泉みつけたり 熱き唇(くち)苔の雫をふくみけり 苔むして亀幾千年を鳴きぬらん 岩打ちて山霊の裸形あらわれぬ 音もなく大鷹青を裂きにけり 訥々(とつとつ)と語りし杣(そま)の指太し 一瞬の静寂破りまた蝉の声 崎嶇(きく)として山越えがたく六地蔵
Aug 18, 2008
コメント(0)
草いきれ意識遠のく喘ぎかな 青穹(維史) 花茣蓙や汗ばむ肌の刺青かな 茶を立てぬ明日は明日なれ今日は今日 茶を喫し名もなき碗を拭う指 盃に月あふれけり鄙の宿 馳走なり清水の里の冷や奴 柿落ちて甍にころがる一夜かな しんしんと更けなば崩る鎖骨なり
Aug 18, 2008
コメント(0)
いっさいを振り切ってみん蔦葛 青穹(維史) 黄昏れて草むす里にいでにけり あかまんま咲き乱れての童夢かな 風立ちぬ芒(すすき)倒れし御堂あり 御仏や檜かおりて鎮もりぬ しんしんと耳冴えわたり彼岸花 過ぎぬれば白粉の花わすれにし 帰りなん山河日暮れて秋の蝉
Aug 17, 2008
コメント(0)
某所に滞在する私の夏休みはまだつづいている。 墓参より帰る老母の髪白く 青穹(以下同じ) 送り火を振り返りつつ魂(たま)行くや きょう明日と言うも悲しや法師蝉 さるすべり空家の庭に置かれけり 木々の実のまだ青くして新涼かな
Aug 16, 2008
コメント(0)
六十三回目の敗戦記念日に詠む私の歌のない歌40首 壕厭う吾を背負いてグラマンの 機影かぞえおりあの夏の母 乳飲み子の吾をくるみし綿蒲団 機銃掃射の弾貫通せざれよと 乳飲み子の腹満たさんと吾が母は わずかな米を研ぎし水啜る 流れ藻を集めて急ぐ家路なり 空見上げれば戦闘機の行く 初の子の吾に名付けし、改めよ 戦の歴史、平和いのりて 吾五月十四日に生まれ 八月十五日終戦となりし 一九四五年五月十四日生まれ 古きを継がず吾はよろこぶ 涙涸れ老いしとぞ言う、慟哭は 心中に在り、屍(かばね)踏み来しと 人間は不思議なりしよ、空襲の 劫火美(うま)しと思うことありと 後陣に居りて采振らば前線の この世の地獄知らず済むらん 生きし者などて戦を美化するや 二百三十万兵の屍(かばね)蛆むす 自らが戦場に出ずば兵は ただの数、数の数なり 敵ならぬ我が軍隊に殺されしと 山河に充つ怨嗟の声々 暴力は隠微にして常態たり 軍律厳しとは片腹痛し 国民を欺くための謀略のみ 日本軍部智恵はたらきし 尊大に寿命を終えし人のあり 酸鼻きわまる戦場も知らず かの人の命は重くこの人の 命軽ろしと吾は思わず 戦とは鬼畜になりて殺しあう それより他に言うべきはなし 人生は短きものよ、などて君 いくさを謀り人を殺すや なぜかくも野蛮なりしか日本軍 吾が心性に在るものを虞(おそ)る 凝視せよ我等心中の殺の快 仮面の陰の悪鬼の相 人殺し、血まみれの手で妻を抱き 生殖する我等の不気味 生みし子をまた戦場に送りだし 人を殺せと言うも親かな 海行かば水漬(みづ)く屍と歌いしを サド・マゾヒズムと吾は見抜けり 戦争に肯定すべき意義はなし 吾言い放ち頭を掲ぐ 軍政は理想立たざる体制にて 目的化する軍の存続 軍政はつまり社会の未熟なり 人は本来多様、一ならず 軍政下幸福とは何ぞやこの問いに 応えし人を吾は知らざり 戦史繙く、愚劣さのほか見出せず 暗澹として日本を憂れう 愚劣さを隠さんとする愚劣さよ 学成らずして戦後を過ぐる 好戦は学問にては治まらず 人の心の深き闇なれ 責任の所在あいまいなるをもて 日本文化と言うや君は 古き思想捨てきれずして跳梁 跋扈するかや日本の悪霊 品格を品格なきが言うおかしさよ かくも日本は空虚なりしか まやかしの入れ子なりしか我が社会 二千年かけ狂信はぐくみぬ でたらめを言いて巷間に寵児たり いまは彼の人も土となりにし 死者なれど鞭打つべきは鞭打たん 過ち糾(ただ)すになんぞ臆する 敵なくば為せぬ人あり自らが 敵なることを知らぬなりけれ この国に生まれ育ちこの国の 空洞を見つ死ぬるか吾は 吾六十三、顧みれば慙愧のみ 世界は依然として戦争に充つ 2008年8月15日 山田維史
Aug 14, 2008
コメント(0)
残暑おみまい申しあげます。私は夏休みです。どこにいるかは、ナイショ、フフフ。では!
Aug 12, 2008
コメント(2)
8月9日、私の年齢と同じ、63年目の長崎原爆忌に詠むわが歌なき歌である。 十四万五千九百八十四柱 何もて慰撫す長崎原爆忌 かの地獄死者は語らず我等また 語らずば充つこの核兵器 現実の地獄といえど想像力なくば 見えざるらし、核拡散す 滅びよとおらぶ我等の心中の悪 核使用とはまさに其を言う 哲学も宗教もなし、核兵器 保有論理は破滅への欲
Aug 9, 2008
コメント(0)
(朝) 今日もまた暑くなるらし蝉鳴湧く 青穹 (昼) 強い揺れの地震があった。とっさに、家人と手分けして窓やドアを開け、ガス栓を閉じた。揺れはすぐにおさまり、何事もなかったが、テレビの速報が東京多摩東部を震源とする震度4の地震であるといっていた。 (夕) テレビでオリンピック開催式を見る予定。 6日の女子サッカー試合の初戦、日本対ニュージーランドは前半で2点先取され、もしやと思ったが、なんと後半26分過ぎくらい我がなでしこジャパンは1点を返し、つづいて更に1点を追加してイーブンに持ち込んだ。すばらしい執念! もう1点を期待したが、そうは問屋が卸さず、引き分けで終了。両国共に勝ち点1。・・・しかし、これは今後が厳しい。ノルウェーは初戦勝利で勝ち点3でトップである。 7日、男子サッカー初戦。相手はアメリカ。1点を先取されて、以後反町ジャパンは数度のチャンスでゴールを割れずこの戦いを敗退。・・・これは厳しいゾー。仕事をしながらチラリチラリのテレビ観戦だったので、あまりはっきり言えないが、反町ジャパン、ボールへの食いつきが悪い。あるいは反応がいまひとつ鈍いというべきか。飛んできたボールを体当たりでデフェンスすると思いきや、ヒョイと体をよじって除けてしまったゾ。W杯チームが最近とみに攻撃的プレーをするようになって来てると私は見ているが、オリンピック・チームはなんだか些かヤワな感じがするなー。私の見込みちがいだろうか?
Aug 8, 2008
コメント(0)
この暑さのなかをと思いつつも、よんどころない用事があって外出。街中で元気な中学生の一団とすれちがう。次の歌が思い浮かぶ。 高らかに口笛吹きて子らは過ぐ 夏合宿の帰りなるらし 少年の頬に笑みあり得意なる スポーツ競技勝利の予感 空高く笑声はのぼる遥かなる 遥かなるかな子らの未来よ 帰宅して汗を流し、冷えた西瓜と心太(ところてん)を食べた。そこでまた一句。 酢に噎(む)せて繰りごとを言う心太
Aug 7, 2008
コメント(0)
怨嗟なき二十五万なり原爆忌 殺すための発明なりき夏の朝 いくさ後も責かえりみぬ夏禊 夏すぎて早段々の密議かな 魂は古典なりしや桐一葉 以上5句、青穹(山田維史)の本日の作。
Aug 6, 2008
コメント(0)
地球上にどれほどの種類の生命体が存在するか、われわれ人間はいまだ全く分っていない。しかしその生命体の種が、現在、日に相当数が絶滅していると予測されている(この数は私の想像をはるかに越えている)。 1966年以来、国際自然保護連合(International Union for Conservation Nature and Natural Resources)がレッド・リスト(RL)およびレッド・データ・ベース(RDB)を作成しているが、これは文字通り日毎に書き換えられていて、とどまるところを知らない。絶滅生物や絶滅危惧種についてはインターネットで検索すれば厖大な情報が収集できるので、いま私はここに述べるつもりはない。 地球がそんな状況なのに、一方で、火星探査システムが火星に水の痕跡を確認した。水の存在は生命体の存在を予言するものである。もし、火星に生命体が現存するとしたなら、人間はまたぞろ異星においてもその生命体を絶滅に追いやらないとも限らない。それはもはやSFファンタジーではなさそうだ。 さらに他方では、この危機的な状況にある地球が原始の状態に回復する可能性を植物の生命力からさぐった研究がある。明日8月6日は広島原爆忌であるが、あの焦熱地獄のなかで一木一草とてなくなった当初、放射能にまみれた地に植物が生えてくるまでには100年はかかるだろうと言われた。しかし、植物の生命力は人間の想像力をはるかに凌駕していた。その力を信じて、地球回復に要する時間を計算したのである。 その結果、・・・人間が絶滅して1万年後に、地球は原始状態に復すという結果が出たそうである。1,000年後くらいに人間の痕跡はほぼなくなるのだそうだ。人間が文明の所産と称していたものが、完全に土と化し植物が覆いつくす。そして植物達は盛んに世代交替を繰り返し、やがて、かつて地球がジュラ期・白亜期といわれたような状態になるというわけである。 さて、ほんとうは私はそんなことを書くつもりではなかった。 5日の新聞はAP通信等のつたえるところとして、これまでまったく知られていなかった世界最小のヘビを発見したと報じた。 あたらしい生物の発見! アメリカのペンシルベニア州立大学の研究グループは、2006年にカリブ海のバルバドス島の東部にある森の岩の下で、成長しても長さ10cm、胴まわりがスパゲッティほどの小さなヘビを2匹捕獲した。遺伝子の研究や固体色などから、現在世界で確認されている約3.100種のどの種類にも属さない新種であると確認。世界最小のヘビであると発表した。シロアリや昆虫の幼虫を食餌にしているとみられるが、生態についてはいまだ不明だそうだ。 私はこの記事を切り抜いて、所蔵するヘビの図鑑に貼付けたのである。
Aug 5, 2008
コメント(0)
雷鳴のとどろきを聞きながら仕事場にとじこもっている。天と地との放電はなかなか中和しないようだ。その長い時間の流れにそって、仕事場の窓から外を見やりながら、次の句がうかんできた。来句(雷句)などと駄洒落を言ってみる。 雷神も三舎を避ける日照かな 雷鳴や空見上げたる原爆忌 雷鳴の遠々として影法師 花ひとつ垣に萎るる雷雨かな 夕去りて闇一尺の雷雨かな
Aug 5, 2008
コメント(2)
たった今しがたのこと・・・ 眠りのなかで遠くかすかに玄関チャイムが鳴っていた。と、猫達がまるで恐怖にかられたように一斉に寝室に飛込んできた。隠れ場所をさがすように、部屋のなかを跳びまわっている。私は床のなかから「コレ! 喧嘩するんじゃない!」と叱った。すると家人が、「玄関に誰か来てますよ」と言った。 「えッ?」夜中じゃないか、と私は思った。 「出てみてください」 しかたなく、隠れ場所がみつからずにいるマリを抱き上げ、パジャマのまま玄関に行き、内灯と外灯をつけた。またチャイムが鳴った。 「どなたですか?」 「こんばんわ」 女性の声である。私は内側のチェーンを掛けたままドアを開け、10センチほどのすきまから外をのぞいた。 「どなたですか?」 玄関灯の明かりのなかに小太りの女が立っていた。丸顔にちいさなアフロヘアのような髪型をし、Tシャツのような薄手の濃い緑色の服を着ている。 近所で見かけたことのない顔だ。 「なんの御用でしょう」 「聞いていただきたいことがありまして」 私はとっさに、猫達が何か迷惑をかけたか、あるいは夜中に家内でもめごとがあり救けをもとめに来たか、と思った。 「御近所には紙に書いてお渡ししたのですが、お宅さまにはあいにく紙がなくて・・・」 なんだか話が単刀直入じゃない。長くなりそうだ。私はすこし腹立たしさがおこってきた。 「それで御用は?」 「新聞しかなかったもので、それに書いても失礼かと思い・・・」 女は両手で新聞を裂くような仕草をした。 「聞いていただきたいことがありまして」 「ですから、なんでしょう?」 と、言いかけたとき、女の姿が見えなくなった。 「ン?」 私はヘンな気持になってドアを閉め、錠を掛けた。時計を見ると、午前3時ちょうどだった。 あれは、何?
Aug 4, 2008
コメント(0)
関東甲信地方が豪雨にみまわれているようだ。私の住む東京西部地方も夕方から雷雨となったが、23時30分を過ぎた現在は止んでいる。 午後4時ごろからしきりに雷鳴がとどろいていた。それであらためて気がついたのだが、今年は5月以降の雨はほとんど雷をともなっている。大気が不安定になっているということだろうか。 雷現象は火山噴火等にともなう場合もあるが、雷雲に起因する。それは積乱雲を形成する氷の粒同士が互にぶつかって摩擦し、帯電状態となっている雲である。この雲におよぼす影響に幾つかのパターンがあり、夏に多いのが熱雷といわれるものである。太陽によって熱せられて地表温度が上昇し、熱の固まりとなった空気が上昇気流となって雷雲を掻き乱す。すると雷雲から弱い光の先駆放電が地上目がけて出発する。そしてその先端が地表に接触した瞬間、こんどは大地側から線条先行放電が出発する。両者が結合した瞬間に大地から厖大な電荷が先駆放電路に流れ込み、雷撃が発生するのである。雷雲側の電荷と大地側の電荷とが放電しあい、中和するまでつづく。これが雷である。 夏に多いのは熱雷のほかに、低気圧雷といって、発達した低気圧の冷たい空気が温められた空気の上にかぶさっておこることもある。 こうして雷現象の「しくみ」をみれば、このところ頻発する雷が、やはりヒート・アイランド現象、地球温暖化現象と無縁でないことが分ってくる。 平安時代の人たちのように、雷を菅原道真の怨念だとか憤死した者の祟りだとか言っていたのは時代に制約された知の闇・心の闇、地球滅亡の危機にくらべれば可愛らしい。現代の地球人は、自らのうちに善と悪とをかかえた怪物、リバイアサンとして、その矛盾のおおきさに苦悩している存在なのだ。
Aug 4, 2008
コメント(0)
Three HAIKUs of the BonThe summer festivalFlowery hair ornamentsswing like big wavesDon't forget that'scaused by the leader's dull sleep;Huge flames flowerThe spirits of ourancestors leave only one votive egg-apple on the altar【Note】: In japanese tradition of buddhist's memorial service for their ancestors, in summer, that's called Bon or Obon and also Urabon-e, they prepare an altar with meny offerings, --flowers, cakes, fruits, vegetables, and candles, paper lanterns. Among those offerings, there are a cucumber with four short sticks imitated a horse and an egg-apple imitated a cow that the spirits of ancestors use them to carry the offerings when the spirits return to the heven. And when the Bon has finished the buddhist lets flow the offerings to a river or to the sea.--------------------------------------------Copyright (c) 2008 Tadami Yamada. All Rights Reserved.
Aug 4, 2008
コメント(0)
夏白くみずぐき薄き点鬼簿に 迎火に亡き人のかず数えけり 我や此処あれは彼処よ盆の月 花あぎょう来よや遊べや魂祭 棚経やわが手に白き汝が御霊 以上5句、青穹(維史)の本日の作。だんだん気持が妖しくなって来たので、ここまでにした。
Aug 3, 2008
コメント(0)
赤塚不二夫氏が亡くなられた。お目にかかったことはなかったが、知人が同じだったので、その人を介してお身体がお悪いことは聞いていた。 数年前、講談社フェーマス・アーチスツ・スクールズの創立40周年のおり、記念のパンフレットに寄稿を依頼された。刊行されたパンフレットがとどき、ぺージを繰ると、赤塚氏も寄稿されていた。しかしそれは赤塚プロダクションの方が代筆されたもので、そこに氏の闘病について記されていた。 さきに述べた知人というのは、じつは同スクールの初代トップの丸山昭氏である。私は第一期生として、一時、同スクールに学び、また赤塚氏もすでに売れっ子マンガ家だったが同スクールに受講生として在籍していたのであった。のみならず、丸山氏はかつて講談社の『りぼん』編集長だったので、同誌に「ひみつのアッコちゃん」を連載していた赤塚氏とは因縁浅からぬ御縁があった。 私は、まだスクールとしての機構が確立しない時代の一期生ということで、トップの丸山氏と親しくお話をうかがったり酒の杯をかわしたりさせていただいていた。私は途中でプロフェッショナル・イラストレーターとしてデビューして、同スクールを退学してしまったので、その後はめったにお目にかかる機会はなくなった。 丸山氏が近年手塚治虫賞特別功労賞を受賞されたとき、私はしばらくぶりに連絡して御祝辞を申しあげた。そして翌年のこと、さるパーティで御会いした。そのとき赤塚不二夫氏の闘病についてあらためてお話を聞くことができたのだった。意識がないということだった。丸山氏はご家族等と緊密な連絡をとっているようだったが、口を濁す部分に逆に病状の深刻さがうかがえたのだった。そう、それが3年前の7月の初めであった。 私はマンガやマンガ・アニメーションはほとんど関心外のこととしていたが、不思議なことに、赤塚氏の「おそ松くん」は雑誌で見て楽しみ、TV版「天才バカボン」を末弟のうしろから見ていたのである。特に意識していたのではないのだが、それがほとんど唯一といってよいことだったので、いま思い出して自分ながら不思議である。 赤塚不二夫氏の御冥福をお祈りします。
Aug 3, 2008
コメント(0)
遠雷や想い出ばかり苦くして 魂魄のうち忘れたる茄子ひとつ 忘るるな長(おさ)の熟睡(うまい)なれ火焔樹 旗振りて悪喨々の炎暑かな うち捨てよただうち捨てよ浮人形 以上5句いずれも青穹(維史)本日の作【追加】 明日待つや蜩(ヒグラシ)鳴かぬ日はなくて
Aug 2, 2008
コメント(0)
稲妻や心のうちを照らしけり 青穹(維史) (英訳) The lightning flashes and shines on inmost thoughts of you'nd me
Aug 1, 2008
コメント(0)
全43件 (43件中 1-43件目)
1