全24件 (24件中 1-24件目)
1
中4日もこのブログ日記を書かなかったことは、これまでなかったかもしれない。その間にもアクセスしてくださる方は絶えなかったのだから、なんだか申訳ないような気がする。 忙しかったのだ。書きたいことがないわけでもないが、今日もちょっとこれから雑用をかたづけなければならない。家人が老母をつれて外出するというので、朝からばたばたし、さきほど送りだしたところだ。一人で茶を飲んでひと休みしている。 ○ 客ひとり迎えて嬉し秋の雨 青穹 八寸の根来(ねごろ)に盛りて秋の雨 松茸に栗銀杏の吹き寄せて 盃は萩の七化け灯もひとつ 秋雨に濡れて扉を開けにけり
Sep 30, 2008
コメント(0)
秋彼岸すぎて此の世に残りけり 青穹 熟柿落ち枝そりかえる昼寝かな 新米のひかりを塩でむすびけり おちこちに新米の香や路地の夕 秋鮭におろし大根(だいこ)の辛味かな【追加】 新米のひかり包める塩むすび 新米のかおり漂う路地の夕 蟲しぐれ雨戸立てるか立てざるか
Sep 25, 2008
コメント(0)
昨日、ふいに「夢にも思わなかった」と頭のなかに浮かんだ。実際は英語で「Little did I dream」だったが、これを手近の紙にメモしておいた。そして数時間後に床に就いたのだが、再び「Little did I dream」を思い出し、次いで「of ever seeing again(あなたに再び会うなんて)」とつづけた。そして、ああ、これで書けるなと思った。・・・今朝、起床するとすぐにコンピューターでタイピングしはじめ、しばらくぶりで英語の押韻詩ができあがった。すべてtrue rhymes(真正押韻)でできたので、ちょっと満足。【加筆訂正稿】Little did I dream(夢にも思わなかった)by Tadami YamadaAh! Little did I dreamof ever seeing you againAs we were each extream,earth and heavenly plainWe had met and loved in old dayand left each other for nowhereAn occurrence was in bright MayDaisies were in their glory thereYou were surely fresh a daisyI also was in my vigorous youth,seeking own life out of cagesand trying to find the truthThen like a migrantory birdwe parted into south and northI didn't turnd back, didn't heardof you from that day forthLa vie š'en va, -- Life is fleeting bywhile crossing mountains and valleysI did much love, and had a good cry.Life rotates like the cycle of comet, Halley'sCan I make the now to be the cream?Although I've no my days that remainAh! Little did I dreamof ever seeing you again-------------------------------------------Copyright (c) 2008 Tadami Yamada. All Rights Reserved.
Sep 23, 2008
コメント(0)
一流といわずとにかくプロフェッショナルな料理人の創意工夫、その技術、美的センスには日頃から敬意をはらっている。もちろん和洋中を問わない。他のエスニック料理でも同様だ。 しかし、テレビの料理番組を見ていて、ほとほと嫌になってしまうことがある。その言葉使いに対してである。 「大根の皮をむいてアゲル」「表面に焦げ目をつけてアゲル」「塩胡椒してアゲル」 ア~気持が悪い! なんなんだこの「アゲル」は! いつの頃からか知らないが、もう長年にわたってこのおバカな言い回しを聞いている。民放放送ばかりではなく、あの慇懃無礼なNHKサマの料理番組でも同様だ。収録中に、こんなおバカな、日本語にはない言葉使いをしたなら、そこでストップして料理人に注意したらどうだ。ひとり誰かがバカな言葉使いをすると、あれよあれよと言う間にひろがってゆく。無定見な、締まりのない、右向けと言われれば右向き、左向けと言われれば左向く。そういうのを「奴隷根性」という。 料理人たちよ、自らのつくる料理に繊細な神経とその感覚を実現する技術とをお持ちなのだから、自分の言葉にもセンシブルでありなさい。たぶん丁寧な言い回しのつもりなのだろうが、こんな丁寧語はアリマセン。第一、大根に丁寧に言う必要などあろうはずがないではないか。「大根の皮をむいてアゲル」なんて言われたら、わたしゃ口に入れたものを吐き出してしまいますぞ。ほんに気持が悪い。 今朝方たまたま見ていたテレビ番組がかくのごとしだったので、ああまた一日何回このオバカな料理人の言葉を聞かなければならないかと思い、ウンザリした次第だ。
Sep 20, 2008
コメント(2)
台風13号による豪雨が三宅島から神奈川沖を襲っている。東京・西部も次第に激しい降りになってきた。 何事もなければよいがと願うけれども、どうも昨今はそれはたんなる気休めの言葉になってしまう。必ずどこかで大きな災害が起る。 それを思いあわせて、どうやら自然災害とはいえ根本にはわれわれの地勢利用に誤りがあると言ってもいいのではあるまいか。それはどういうことかと言えば、森林やその植生、あるいは河川とその水力学、あるいは道路計画や都市計画、その他もろもろの分野での専門的な研究は深化しているのであるが、それを統合しておおきな智恵として行政にシステム化してゆくことができていないからだという指摘だ。簡単に言えば、こういう事をすればこういう結果になると分っていながら、いつまでたっても改めようという社会のコンセンサス(認識の一致)ができてこない。できてこない限り、雨風のたびに大きな災害にみまわれるというわけである。 豪雨強風のごとき自然の猛威に対しては、部分的な小出しの智恵、つまりその場しのぎに過ぎないような対処療法では駄目だということであろう。・・・そんなことは皆分っているんですね。しかし、やらない。やらないばかりか、破壊的な事に一層手出しをする。これが、日本なのですね。大好きな日本は、どこかに狂気をひそめていますよ。 今夜あたりは臥待月(ふしまちづき;あるいは寝待月ともいう)。月の出を床に臥して待つ、という意味なのだろう。 陰暦八月十六日から、月の名称が毎日変わってゆく。十六日は十六夜月(いざよいづき)、十七日は立待月(たちまちづき)、十八日は居待月(いまちづき)、そして十九日の臥待月、二十日が更待月(ふけまちづき)。 どうやらこの名称は、月の出の時間に関係しているようで、時間がすこしづつ遅くなっていくのである。二十日以後の月は午後22時過ぎなければ出ない。日暮れてから22時以後の月の出までの闇を「宵闇」という。「宵闇せまれば 悩みは果て無し 乱るる心に・・・」と、古い歌謡曲にある。それをリバイバルしてフランク永井も歌っていたが、それもすでに30年以上の昔のこと。この歌、言葉のただしい意味では、今頃の季節をうたっていることになる。(後注) 雨降りて臥待月も寝(い)ねにけり 青穹 そうだそうだ、歌といえば今日9月19日は正岡子規の命日、「子規忌」である。明治35年のことで、享年36歳。四国松山の人だが、亡くなったのは東京は根岸。糸瓜を詠んだ三つの句が絶筆となった。 その糸瓜三句。 糸瓜咲いて痰のつまりし佛かな をとゝひの糸瓜の水を取らざりき 痰一斗糸瓜の水も間に合わず【注】 『君恋し』 時雨音羽・作詞、佐々紅華・作曲(昭和4年;1929) この詩は歌謡詩としてたいへんすぐれていて、宵闇に月の出をまつ女の涙雨のためについに月は出ない、と一番でうたう。月は古来日本では男性をあらわしている。「月の女神」という考えかたは日本にはない。したがって、この歌謡曲、うたっているのはいずれも男性(二村定一、フランク永井、森進一)だが、女性の側からの男性への恋なのである。 ついでだから全篇を掲げておこう。最後の一行は、星野哲郎の『みだれ髪』(1988;美空ひばり歌唱)の「春は二重に巻いた帯 三重に巻いても余る秋」の詩句に、あきらかに反映している。『君恋し』『みだれ髪』共にいまどきのシンガーソングライターとやらの書く詩などとうてい足元にもおよばない詞藻の豊かさと情緒の深さがある。 君恋し 音羽時雨作詞 宵闇せまれば 悩みは果て無し 乱るる心に 映るは誰が影 君恋し 唇褪せねど 涙はあふれて 今宵も更けゆく 歌声すぎゆく 足音ひびけど いずこに尋ねん 心の面影 君恋し 想いは乱れて 苦しき幾夜を 誰がため偲ばん 去り行くあの影 消え行くあの影 誰がため支えん つかれし心よ 君恋し 灯うすれて 臙脂の紅帯 ゆるむも淋しや
Sep 19, 2008
コメント(0)
もう午前0時をまわったので、今日からということになるが、天気予報によれば週末三日間は雨だという。で、昼間、ちょっと散歩に出た。 家を出てまもなくのところで、向こうから3歳くらいの三つ子ちゃんが手をつないでやって来るのに出逢った。同じ若竹色のワンピースを着て、小さなリュックサックを背負っている。うしろに若いお母さんがいる。オレンジ色のブラウスに黒のタイト・スカート。うつむきながら肩からさげたバッグの中をのぞきこんで、何やら探している。すると三つ子ちゃんが、一斉に「ママ~!!」と叫んだ。深閑とした住宅街の通りに思いのほか大きな声の合唱がひびきわたった。「ウルサイ!」とお母さんが一喝した。「ジュースがあるよ~!!」 また三人そろって叫ぶ。路傍に自動販売機があり、三人のうち二人が駆け寄って販売機を見上げている。 私は思わず笑ってしまった。お母さんは知らぬげにバッグを掻き回している。それもおかしかった。 たいへんだ、たいへんだ。女三人よればナントヤラ、この子たちが年頃になったら、まあ家中はどんな賑やかさだろう。合唱、合唱、合唱♪、きっと嵐のような合唱だろうなー。 それにしても三人が三人とも同じ服装、同じ髪型、同じ顔・・・ウァ~たいへん!! みんなそれぞれ異なるスタイルではいけないのかしら。喧嘩するのかな? たいへん、たいへん、と私は他人事だからおもしろがりながら、母子とすれちがったのだった。
Sep 17, 2008
コメント(2)

私の中学生時代の恩師・会津の清水和彦先生から誕生日の葉書を頂戴した。いや、私の誕生日ではない。先生御自身のである。79歳を迎えられる先生は、9月18日生れ。じつはこの日は1931年(昭和6)の満州事変の勃発したと同日である。この日本陸軍関東軍が仕掛けた謀略により日本は軍部にいわばのっとられ、愚劣な15年戦争(世界史的に大平洋戦争あるいは第二次世界大戦)へ突き進んで行く。 大平洋戦争に突入(1941)した翌昭和17年、清水先生は私の母校会津高等学校の前身旧制会津中学に第53期生として入学した。つまり私の出身校の先輩に当るわけである。先生の時代の校舎はそのまま私の時代まで使われていた。53期生というのは、戦争に突入して初めての入学生で、また、戦争が終って(昭和20)初めての卒業生ということになる。というわけで先生の中学生活は軍事教練と勤労動員にあけくれたと言っても過言ではない。 そのせいでもあるまいけれど、先生たち53期生は卒業後も結束は密で、現在も交流がつづいている。のみならず、1991年にはみんなで分担執筆して『戦闘帽の中学生たち』という本を刊行した。私にも先生から2册プレゼントされたが、私は1册を東京都中央図書館に寄贈した。もちろん国会図書館にも所蔵されている。 この本が当時の中学生のきわめて貴重な記録となっているのは、たんなる回想記ではなく、当時、勤労動員先寄宿舎等で丹念に記述された各自の日記をもとにしていること、さらに巻末に付された「会中時代の年表」は、当時の担任教師の記録をもととした学校行事の詳細な年次記録で、昭和17年から昭和22年までの学校生活の実体を明らかにするものとなっている。 さて、そんなわけで、清水先生はご自身の誕生日に一枚の手作り絵葉書を知人に送ることを慣例にしてきたという。それは憲法9条を守ろうという主旨のもので、九条という文字が浮かび上がるように特別に育成されたリンゴが、闇のような黒い地のなかに置かれているデザインである。先生自身のデザインである。先生によれば、「腐らないように紙に印刷しました」と。 きょうのお葉書には、「山田君と出逢ったことを誇りに思っています」と書いてくださっている。これは、私が日頃、ドン・キホーテよろしく行政や司法に噛み付き、曲学阿世のやからのねじまがった愛国論や好戦論に噛み付いていることを指しているのである。なに、飼いならされた奴隷根性が死ぬほど嫌なので、日本文化のなかに存在するそれをどうやったら如実にあらわすことができるかと、ひとりで思い悩んでいるに過ぎないのだが。 清水先生は、私の学級担任であったことは一度もなく、体育の先生であった。私はひょろひょろしたスポーツがからきし駄目な子だったので、先生が顧問をされていた新聞委員会に迎えられ、さらには児童劇団「童劇プーポ」の同人に迎えてくださったのは、いまにして思えば「なぜかしら?」と不思議な気さえする。しかし、それによって私は、はっきり自分のなかにある芸術的な感性を自覚したのだった。 小学校初年度の担任・樋口カエ子先生によって発掘され水をかけてもらい、最終学年の担任・星孝男先生に守られ、そして中学で清水和彦先生に出逢い、高等学校3年間は早川俊一先生に見守られた。早川先生は、「君は私には理解が及ばない生徒だった。人と異なる何かをもっていると思うのだが、それが何であるかとうとう分らずじまいだ」と卒業間際にいわれたものだ。私にはその言葉だけで充分だった。早川先生はその後、たしか福島県高等学校校長会会長を務められたと聞いた。 ・・・私は60歳を過ぎたあたりから、昔のことをいろいろ思い出しもし、このブログにも恥ずかしげもなく書いているが、それまではほとんどまったくと言ってよいほど過去をわすれていた。子供のように、あした何して遊ぼう、あさっては何をしよう、と未来のことしか頭に浮かばなかった。だから、5年ほど前に、ひょんなことから私の消息を知った清水先生から、「ずっと探していた。ひょろひょろしていたから、もう死んだかもしれないと思ったりしていた」と御手紙を頂戴するまで、40年以上にわたって私は、先生ばかりではなく昔の知人誰ひとりとも交際がなかったのだった。清水先生の御手紙で、はっと我にかえって、自分のふるまいを顧みたのだ。 先生がさまざまな機会に「憲法九条を守ろう」と発信されていることに、そういう人が私の恩師であることに、私は誇りをもっているのである。お誕生日おめでとうございます。(清水和彦先生デザインの絵はがき)
Sep 16, 2008
コメント(0)
愛と欲望(あるいは69行の幾何学的な愛欲)山田維史お前にぼくの秘密をうちあけようぼくがお前を殺してしまうなんてこのナイフの血の滴りを見たまえぼくは森の谷間でぼくのナイフをお前の下腹深く突き立ててやった蝶の翅のようにお前は脚をひらき大地の胎内に夜の虹の橋を架ける切っ先にまといつき締め付ける謎ぼくの舌は言葉を失い極北で痺れ空間は濃密さを増し血が臭い立つ怖がらなくてもいい、おちつけと自分に言い聞かせ堅く握りしめたナイフに真紅の花を咲かせて行くお前はのけぞり喉を震わせながら古代女神のように乳房を突き出しやおら両手を広げて大地を掻毟る空気は薄くぼくはすでに息苦しい肉の摩擦で挑発される凶器と狂気暴力が正当性をめざしてふくらむ抜き差しの連続で火のように熱い森の樹々の葉叢がざわめき焦げるむっと立ち昇る肉屋の火事の匂い金屋子神に仕える鍛冶師のごとくぼくは行為の中で技術を確立する暴力の技術と愛の技術との境界をぼくの精神は肉において統合する精神は何も語らず肉に代弁されるぼくは内側からお前の形をなぞり苦悶と快楽とに歪むお前を見つめ耳をそばだてお前の気息を捕らえ粘膜を限界まで引き絞っては弛めお前もまたただ肉として痙攣するぼくは一瞬たりとも目を離さない白眼を剥き目尻に溜めた涙を辿り地下水をたたえた深い井戸の底へお前のイドを求めてぼくは降りる見ることで欲望の成就を確認する存在の証明を想像力にたよらないぼくのナイフはもはや器物でない他者として遮る硬膜を切り裂いて滲み出る粘液にしちどにまみれて貪るようにお前のなかへ没入するおお愛しいのだ愛しいのだお前が干渉しあっていたふたりの波動がやがて大きなうねりとなって行くお前は何度も弓なりに反りかえりバネのような強靱さで抵抗を試みかと思えば蜜のように溶け出して幻惑と戦慄の中にぼくを投げ出すぼくは背骨を撓め、位置を正して両尻の筋肉を意識的に緊張させる世界を構成する網が一点で結ばれ自他の境が消失する、その瞬間だお前の断末魔の鋭い叫びとともにナイフの先端で遠近法が逆転した肉の筒の内側に星雲が渦を巻いて奔流となってぼくを襲い呑み込むぼくは、たちまち弾き飛ばされて殺人者としての方程式に堕落する行為の主体から客体への逆さ吊りそして昂然として他者であるお前急速に萎えて行く凶器を握る情熱足早に立ち去るぼくの青い背中にお前は分厚い白紙の辞書を投げたいまさら何を書きこめと言うのか想像力の欠如を後悔で埋めるのか自己疎外者の失地回復を願うまいまったく予想もしない結末だったお前にぼくの秘密をうちあけようLOVE and LUSTI'll reveal my secret to youIt's a story that I killed you!See the blood of this knifeI thrust it into your bellyin the valley under woods.You opened your legs like the wings of butterfly and formeded the rainbow of nightinto the womb of the ground.The mysteries stuck involving the point of the knife, bound it tight.My tongue obtained language, bent and was numbed with a north polar region.The increase of consentration and blood of space were stinking up.''It does not need to be afraid. Keep cool'' persuading myself to doI dyed my knife with the red bloom which I grasped tightly, and go.Shaking curvature and a throat, you projected the breast like an ancient goddess, extended both hands just then, and scratched and plucked the ground.Air was thin and I was already stifling.The weapon and my insanity were provoked by friction of meat.Violence expanded aiming at justification.It was hot like fire at continuation of extraction and insertion.The leaves of the trees in woods were noisy and burnedrising the smell of like the fire of the butcher.Like the blacksmith who serves God, I established technology in the act. My soul unifies the boundary of the technology of violence and the technology of love with the flesh.No soul was told but was paid by proxy of the flesh.I traced your form from your inner side.I gazed at you who were distorted for agony and pleasure. Pricking up my ears, I caught your breath.Membrane was strained to a limit, and was loosened and you also twitched as meat. It was sufficient for me for a moment, and I didn't look aside, either.The white of your eyes were skinned, your tear accumulated in the eye area was followed, and I got down in quest of your id to the bottom of the deep well in which groundwater was stored.Accomplishment of my desire was checked by seeing. It didn't depend for the proof of existence on imaginative power. My knife was not a vessel any longer.It was absorbed into you so that it might tear apart, might be heavily smeared with the oozing mucus and the membrane interrupted as the others might be coveted.Oh, I love you, my darling, darling !It interferes, and two persons' wave motion which suited serves as a soon big surge, and goes.If you bend backward to a bow repeatedly, and try resistance by toughness like a spring and or is thought so, you will begin to melt like honey and will give me up into dazzle and a shiver.I bent the backbone, correct my position and strained the muscles of both the hips intentionally. The net which constitutes the world was tied with one point, and the boundary of oneself and others disappearwd. ---It was the moment !With the sharp shout of your moment of death, perspective was reversed at the point of my knife. The nebula whirled around by the inner side of the pipe of meat, it became a rapid stream, and I was attacked.I was instantly flipped off and was degenerated to the equation as a murderer. Upside-down from the subject of an act to the object. And you who were the others triumphantly.I lost quickly strength in my passion which grasped the weapon. You threw the dictionary of the thick blank paper at my pale back left at a brisk pace.What do you say "Write in now"? Is lack of imaginative power fill uped with regret? I would carry out a self-alienation person's recovery of lost territory to not wishing. It was an end which didn't carry out anticipation at all, either.I'll reveal my secret to youIt's a story that you killed me!---------------------------------------Copyright (c) 2008 Tadami Yamada. All Rights Reserved.
Sep 14, 2008
コメント(0)
ドラえもんのように、どこでもドアで何でも俳句にしてしまえというこのごろです。たとえば・・・ 八方に頭ぶつけて飛ぶ蠅や 青穹 蜂もよし蠅もよかろう人の秋----------------------------------------水彩のにじみ重なる葡萄かな 青穹Watercolor blurs,overlaps one another---A bunch of grapes(in Japanese)Suisai nonijimi kasanarubudoukana----------------口蓋をつるりと撫でて葡萄かな 青穹Jellied grape ---stroking my palateslidingly !(in Japanese)kougai wotsururito nadetebudoukana----------------テーブルに紫置けり秋茄子の 青穹Put bluish purpleon the table;--- Of oneegg apple of fall(in Japanese)Teburu nimurasaki okeriaki-nasu no
Sep 14, 2008
コメント(0)
遊卵画廊の常連ちゃれさん宅へひと鉢の月下美人が到来したと聞いて詠む。子供のころの我家にもあったことを思い出した。 ひとしれず月下美人の開くらん 青穹 草露(そうろ)置く月下をあゆむ美人かな 妖しくも儚くあわれ月下香 桃色の液にじませる女王花 後朝(きぬぎぬ)や月下美人の新枕(にいまくら)【注】 月下美人は葉蘭に似たサボテン科クジャクサボテン属の植物。夏の夜、わずか4時間ほどただ一度開花する。純白のやや大振りの花は美しい。香りが高く、それを月下香という。女王花の別名がある。 ちゃれさんによれば花はお浸しにして食べられるのだそうだ。さっと湯がいて水に晒しておくと、とろりとした桃色の液がにじむ。その後、酢醤油で食べるのだと。桃色の液は酒を加えれば化粧水になるのだという。 「草露(そうろ)」は、儚さのたとえ。 「後朝(きぬぎぬ)」は、男女が共寝をし、朝、それぞれに衣服を着て別れること。「新枕(にいまくら)」は、新婚の初夜のことである。説明はちょっとヤボ。まあしかし、いまどきこんな言葉を使うひとも少なかろうと思って。
Sep 13, 2008
コメント(2)

Sep 12, 2008
コメント(0)
Eさんより葡萄を贈られて詠む さみどりの果肉ほのかに葡萄哉 青穹 口蓋をつるりと撫でて葡萄かな 感覚を研いで葡萄のまるみかな 煮凝りのごとき葡萄の果肉なり 味蕾立て千の狂いや葡萄房 水彩のにじみ重なる葡萄かな
Sep 11, 2008
コメント(0)
「お届けもので~す」と届いたのは、会津のEさんからの見事な葡萄。毎年送ってくださる嬉しいプレゼントだ。 さっそくお礼の電話をし、しばらくあれこれ話をした。 葡萄園は、昔、私が高校生時代に一人暮らしをしていた近くにあり、老夫婦ふたりが無農薬で丹精こめてつくっているそうだ。もちろん45年前にはそのような葡萄園はなかった。 無農薬で姿かたちも美しい葡萄をつくるのは大変だろうが、自然に素直にそだてられた葡萄は、すばらしく美味しいし、また、日持ちがする。粒がポロポロ落ちないで1週間はしっかりしているのだ。 「土がいいのよ、その葡萄園は。とってもいい土なの」 元気で愉快な老夫婦らしく、Eさんによれば、「農薬は高い。そんな高い農薬を買うくらいなら、一日中、虫取りしていたほうがいい!」と言っているとか。 「東京に、おふたりがつくる葡萄のファンがいることを伝えておいてください」と私は言った。 「後継者がいないから、二人が亡くなったところでタダミさんへの贈物も終了、ハハハ」 さっぱりした気性のEさんらしい言い方だが、しかし会津の農業は、親の仕事を継ぐ若者は少なくなっているものの、農業大学で専門的知識を身につけた若者が会津に入って農業をはじめているのだと言う。これは興味深い話である。 ついでながら、今年の初め、私は愛知教育大学図書館から3册の除籍本を抽選により購入した。そのなかの1册に、『会津歌農書』と『幕内農業記』との合本がある。いずれも江戸時代中期の会津の農業について、いわば実践的方法論をお百姓さん自身が執筆したもので、当時の会津藩の農政と農業事情を知る上で重要な書物である。前者は佐瀬与次右衛門という人が書き、後者はその息子(養子)の佐瀬林右衛門が著わした。 佐瀬与次右衛門についてここで詳しく述べることはできないが、この人には『会津歌農書』(宝永元年;1704)以前に『会津農書』(貞享元年;1684)というこれも重要な著作があり、この本にのべたことをさらに広く農民に普及しようと総数1,669首、古歌13首の歌からなる『会津歌農書』が執筆された。農業手段・技術および農民倫理についてすべて和歌であらわした本というのは他に類例がないといわれている。 どのような歌かといえば、たとえば、次のようだ。 田の水は深き浅きの中をとり 絶えず湛(たた)へてをくがよきなり 水多く湛へてをけばさらに又 霜のふりても稲やいたまず これは田圃への水のやりかたを説いている。 ひとかぶに二三本づゝ藍の苗 植えて根土をふミ付けてをけ 会津木綿は現在でも有名だが、藩の農政によって染料となる藍をつくっていた。その藍の苗の植え方を説いている。苗を2,3本づつ植えたら、その根元の土をしっかり踏み付けておくのだぞ、と。 農業というものは人間の気ままな営みで成立するものではなく、自然観察を主とする科学的精神のなせるわざである。また同一地における長い風土観察と統計が必要である。かつて農民にとってそれは身にそなわった知識であったものの、文字として体系化されることは少なくはなかったが、多いともいえない。そのなかでこの会津農民佐瀬与次右衛門・林右衛門親子の行跡はきわだっている。 じつは今から300年前にこの佐瀬親子が住んでいたところは、上記の葡萄園とほとんど隣り合っていて、現在の会津若松市幕内である。 会津といってもきわめて広範囲にわたる。そしてその農業の変遷史について私はまったく知らないが、現在、さらにあたらしい曲面を向かえているらしいことが、Eさんの話からうかがえた。 いずれにしろ、なにも会津に限ったことではなく、農業の行く末は日本の食糧事情の行く末を左右するものではある。たったいま報道をにぎわしている農薬米問題のなかに、農業経営や農産物流通経済の苦境が露呈しているのであるから。
Sep 11, 2008
コメント(0)
一年中出回っている茄子(ナス)だが、やはり今の時季がおいしいと思うのは気のせいだろうか。 英語でエッグプラント(たまご植物)という。なるほど卵に似ているといえば言える。漢字も分解してみると英語と同様の想像をしているようだ。植物をあらわすクサ冠に、倍にするという意味の「加」。つまり、増やす(殖やす)ということ。「茄」一字でナスを指すけれども、さらに御丁寧に「子」を付けているのだから、まさにエッグプラントである。ありとある植物が実をつけるが、ナスにだけことさら子孫繁栄の意味を与えたのは、やはり見た目(イメージ)が卵に似ているからだろう。私は長らく世界中の卵の象徴について調べてきた。そのときに、まさに卵そっくりな真っ白いナスの写真にであったことがある。植物の茎に卵がたくさんぶらさがっているようだった。 「秋茄子は嫁に食わすな」という俚諺がある。古い歳時記などにも「あまりにも旨いからだそうだ」と説明しているが、これは間違い。そんな意地の悪い嫁いじめではない。茄子や胡瓜などのウリ類は、身体を冷やす食べ物といわれている。秋茄子がおいしいから、食べ過ぎると嫁が身体を冷やして妊娠しにくくなる。それで「秋茄子は嫁に食わすな」と言った。医食同源を旨とする中国から入ってきた知識である。茄子という文字が子孫繁栄をイメージしているのに、食の実際では子孫繁栄のために控える考え方があったとはおもしろい。 焼き茄子もいい、茶筅に切って煮浸しにするもいい、天麩羅もいい。挽肉のはさみ焼きや、ピーマンの千切りと味噌味のキンピラにしてもいい。茄子は油との相性がことのほか良い。私は採れ立てのものを小口から極薄切りにして水に晒し、水気を切ってからほんの少しの塩で揉み、花鰹をのせて食べぎわにさっと醤油をかけるだけのも好きだ。茄子は変色しやすいのでそれが難だが、見た目はどうでも、生の茄子を味わうにはこれがいい。 もちろん洋風料理でもいろいろ使える。トマトとの相性も良いので、グラタンやピッツア、あるいはシチュー。ナスのカレーもいい。 レバノンの友人の家で御馳走になったナスと練り胡麻のペーストはとてもおいしい。ナンのような無酵母パンにつけて食べるのである。 テーブルに紫置けり秋茄子の 青穹 秋茄子や我がパレットの濃紫(こむらさき) 濃紫凝って玉となるや秋の茄子 陽の下にまた灯の下に秋の茄子 秋茄子や坊主頭を撫でにけり
Sep 11, 2008
コメント(0)
早熟の柿ひとつ落ち日暮れたり 青穹One early raipepersimmon fell ---and, it hasbecome sundown(in Japanese)Soujyuku nokaki hitotsu ochihigure tari---------------------星飛びて吾男根のごとく立つ 青穹A shooting star flysacross the sky! Irise like a penis(in Japanese)Hoshi tobiteware dankon nogotoku tatsu---------------------夏去りてかの人も逝く鰯雲 青穹The summer has goneThat person has also passedaway ---cirrocumulus !(in Japanese)Natsu saritekano-hito mo ikuiwashigumo---------------------【追加:きょうの一句】 柿ひとつ落ちて絵筆を洗うなり 青穹
Sep 10, 2008
コメント(0)

今日のおやつは茹で栗。我家ではこれが初物。高圧釜で塩茹でしたので、香りも逃げずにホックホク。おいしかったー。 我家の近辺には小規模ながら栗園が点在し、時季になると八百屋の店頭に「地元で採れたクリ」と書いた札が立つ。少し小粒だが、とれたてはおいしい。そして安い。こういうのを買ってきて栗御飯をつくる。しかし、今日の栗は地元のものではない。 秋の味覚がこれからどんどん出てくる。イチジクもおいしそうに積まれていた。桃も梨も葡萄もひとあしお先に我家のテーブルをにぎわせている。冬瓜も水晶煮にして食べた。薄味でとろけるような柔らかさである。 我家の柿もだんだん色づいてきている。今朝、すこし黄色くなった実が落ちていた。それを拾って、そのまま捨てる気にもならず、植木鉢の台のうえに置いた。昼ごろ、こんどは真っ赤に熟した実が落ちていた。割れて汁がとびちっている。この一個だけ、ことさら早く熟したようだ。まさに「早熟」。 椿もピンポン玉ほどの青い実をつけている。椿油はこの実の中にある暗紫色の種から採るのだ。 早熟の柿ひとつ落ち日暮れたり 青穹 椿の実割れて暗紫の種三つ(我家の柿)
Sep 9, 2008
コメント(0)
日本相撲協会の北の湖理事長が辞任した。(元)幕内力士若ノ鵬が大麻取締法違反(所持)で逮捕され、それを受けて抜き打ちで行われた尿検査で、露鵬(大嶽部屋)と白露山(北の湖部屋)とから陽性反応がでたことから、相撲協会理事会は北の湖理事長の引責辞任を決定した。 若ノ鵬が逮捕されているのに露鵬と白露山とは若ノ鵬の事件絡みで事情聴取されたけれども逮捕に至らないのは、大麻取締法の法律的正確による。すなわち大麻取締法の犯罪構成要件は「売買」と「所持」であって、「吸引」そのことは要件にならないのである。したがって露鵬と白露山とがたとえ大麻を吸引していたにしろ、所持あるいは売買の確たる証拠がないかぎり犯罪とはならない。 連日マスメディアを賑わせている両力士の問題は、すくなくとも現段階では大麻取締法違反とは関係がなく、ひとえに日本相撲協会内の倫理規定(スポーツマンシップに則り薬物を摂取しないということ)に関わる問題である。 両力士は大麻吸引を否認しているが、相撲協会の再発防止検討委員会は、尿検査の陽性反応という結果と両力士の弁明から判断し、厳しい処分の方向へ動いているようだ。これに対して検査機関で陽性反応が確定した露鵬は、検査手続が国際ドーピング機関が定めた手順に則っていない等を理由に依然抗議している、とマスコミは報じている。 犯罪として立件されているなら事は容易だが、そうでない限り問題は一層微妙なところにあるだろう。つまり、両力士の主張が正しければ名誉毀損に値し、名誉毀損は刑事事件となる。また人権侵害となっても同じである。相撲協会は自らの手あかのつかない純然たる第三者機関に両力士の再検査をまかせるべきであろう。なぜなら横綱審議委員のなかには医者である人物もいて、そういう息のかかった検査機関では不信感を煽るばかりだからだ。そしてすくなくとも世界の現代科学・医学・薬学・生理学等の最善を尽くさなければならないだろう。このような問題は、刑事裁判などでも同様だが、「疑う者」より「疑われる者」の立場になって判断(裁き)の環境をつくらなければなるまいからだ。 ところで、私が、これは大きな間違いだと危惧を感じた言辞が、本日(9月8日)の朝日新聞朝刊(14版)に載った。元NHKアナウンサーで相撲記者クラブ会友の杉山邦博氏のことばである。誤りがないようにそのことばを同紙からそのまま引用する。 「検査は協会の責任で行われた。こうした反抗的な態度は組織人として大きな問題を感じる。また、日本が世界に誇る医療技術への挑戦とも受け取られる。当事者たちは一般国民の空気を読み取る必要がある」 目を疑うというのはまさにこういう言辞に対してであろう。ここには論理的にも正しいといえるものは一つもない。 「検査は協会の責任で行われた」。そのことと、検査が正しく行われ、科学的に疑問の余地がない結果が得られたかということは全く別だ。「責任」というのは必ずしも言葉とおりの意味に使われないこともあり、まして先に述べたように利害関係のない純然たる第三者機関に委託したともいいがたい。 「反抗的な態度は組織人として大きな問題」とは如何なる問題であろう。もし潔白なることを主張することが「反抗的」ととらえられるなら、そのような隠蔽体質の自浄努力がない組織こそが問題であろう。日本相撲協会がとかく不審な目でみられることがあるのは、組織そのものに膿がたまるような仕組みとなっているのではあるまいか。過日の若手力士に対する身の毛もよだつような暴力から殺人にいたる事件、それへの対処の仕方の協会のうさんくささを忘れたわけではあるまい。ビール瓶で人を殴りつける凶暴な人間を親方として抱えていた協会だ。どんな膿を内包しようと従順であるべきだというのは、発言者の生き方の問題でしかあるまい。 「日本が世界に誇る医療技術への挑戦」とは、どういう意味だ。一般的に医療技術が優秀であることと、実際の検査が優秀といえるものであったかどうかは全く別だ。優秀であったかもしれないし、そうでなかったかもしれない。医療ミスの問題は日常的に山ほどある。それらの悲劇的な事件は、世界に誇る医療技術の日本でおこっていることだ。「挑戦」などというのは発言者のたんなる「感覚」に過ぎない。のみならず、医療技術というのは常に病者から挑戦されているのだ。これで良しなどということはあり得ない。そんなことはさほど頭を使わずともわかる。 「当事者たちは一般国民の空気を読み取る必要がある」---自分が正しいと主張しようとしている人間が、何故、一般国民の「空気」とやらを読む必要があろう。流行語を使うところがいじましいが、ジャーナリストがこんなファッショな言葉を使うべきではなかろう。一般国民などと括ってはいけない問題があるのだ。たとえ大勢が声高に非難しても、大勢のなかのたった独りでも、あるいはその人が正しい主張をしているかもしれないではないか。ここにも発言者の生き方を見ろというなら話は別だ。 しかし杉山氏、このあなたの発言は本来ジャーナリストとしてはむしろ逆の行動をとって、真相に迫るべく努力すべきではありますまいか。まるで「大本営発表」を鵜のみにした、かつての日本のジャーナリズムの恥ずべき体たらくを、いまだに遺伝子としてその精神に温存しているかのようだ。自己を確信も確立もできていない子供たちが、ヤクザ社会を形成するかのように「空気」を読みながら生きていることを、大人は悲しい目で見てもいいはずだ。子供の言葉の流行を、そこだけジャーナリスティックに使用したということだろうが、人の一生にかかわる処分問題に対しては如何にも軽薄。いや、相撲界の問題としてばかりではない、日本社会の危うさを感じるのである。来年5月から始まる裁判員制度(英米の陪審員制度に相当する)が、この制度でもっとも危惧されるのが、自分自身の確信で判断するのではなく大勢の「空気」を読んでしまうことだ。この制度は殺人等の重要な事件に限られることでもあり、「空気」を読んだ結果無実の人間を死刑にしてしまわないとも限らない。われわれ日本人の過去の美徳とされたことに己を捨てて大勢に従順であること、長いものに巻かれるという精神があった。しかし、いま、われわれはそれを美徳としてはいけなくなったのだ。「空気」を読むなどと言っていてはいけないのである。社会的コンセンサス(認識の一致)を得るためには、条理をつくした議論が必要になっているということである。 最後にありうべき誤解にそなえて述べておくが、私は露鵬と白露山を弁護しているのではない。この問題への対処の仕方に、なにか幼いような社会の危うさが露呈していると思える、そのことに注意を向けたのである。
Sep 8, 2008
コメント(2)
怪しい関係といっても、痴情のもつれではない。午後5時、突然の雷鳴とともに激しい雨が降出した。たまたま仕事場の窓から遠方の街並をながめていた。送電線の鉄塔が白っぽく見え、そこに上空から墨をそそぎこむようにタラリと一筋黒雲が降りてきた。あまりにも劇的な光景だったので、見とれながら、一句ひねろうと思ったのだ。そこへズドンときた。 稲妻を詠んだ句に、宝井其角(きかく:1661-1701)のこんな句がある。 稲妻やきのうは東きょうは西 この句、どこか耳になじみはないだろうか。次の句である。 菜の花や月は東に日は西に これは与謝蕪村(1716-1783)の作。 私はこのふたつの句を、怪しい関係と睨んでいるわけである。証拠はまだない。また両句の関係を詮索した研究があるかどうかも知らない。で、こんなことを云うのだから、名誉毀損寸前。もちろん蕪村に対するである。 似ていると言うことは容易だ。が、私は、言葉尻のみならず両句の感覚がひじょうに似ていると思う。さらに、「犬が西むきゃ尾は東」というシャレがあるが、この両句の風流の底にあるのはこのシャレのような気がするのだ。如何であろう。
Sep 7, 2008
コメント(2)
この夏はいままでに182句の俳句を詠んだ。私としてはずいぶん多い。 なぜこんな事を書いたかというと、九月十日(正確には陰暦八月十日)は「西鶴忌」。つまり井原西鶴(1642-1693)の亡くなった日。『好色一代男』『好色五人女』『日本永代蔵』『武道伝来記』『男色大鏡』等々、江戸初期の性欲・物欲に支配される人間を活写した。 また俳人として、とんでもない記録をもっている。つぎつぎに矢を射るように句を詠んで競争するところから、「矢数俳諧」というが、西鶴は住吉社頭で一昼夜に23,000句を詠んだ。たぶんこの記録はその後300年経つけれども破られてはいまい。いかに世界で一番短い定型詩だからといって、世界広しといえど、こんな記録はないだろう。ギネス・ブックに載っているかどうかは知らないが、まさにギネス記録である。 現在、個人俳句集の収録多くて100句くらいだろう。それでゆくと230册の句集を一昼夜で編んでしまったことになる。全生涯で23,000句を詠んだ俳人も、あるいはいないかもしれない。才人といってもいろいろ在るが、こういう才人もいるのですねー。 ----と、まあ、そんなことを思い出したわけです。白き傘かぎろい揺れて消えにけり 青穹A white parasol ---It flares like a filament of air,disappears no one knows where夕映えや右の耳たぶ光りけりThe evening sun sinksshining one's right earin a momentふみ書いて破り捨てにし秋の風I wrote a letter,tore up, threw away it--- the wind of autumnそれぞれと云えど丸める葡萄かな Each's unlike a bitbut makes self to be round A bunch of grapes !雨降りて新涼襟に落ちにけりA cold raindropfalls to my back of neckI feel early autumn
Sep 6, 2008
コメント(0)
昼間はまだまだ暑いが、一日中冷房するほどでもなく、入れたり切ったりしていた。今、22時40分、仕事場の窓を明けたまま、聞こえてくる虫の声を楽しんでいる。4種類、5種類、いや、もっとか。とても聞き分けられはしないが、このような虫の声の繁きさまを虫時雨という。 先日、巨大ミミズを捕獲して、我家の庭の植木鉢に放した。中国ではミミズが鳴くという。本当かどうか分らない。ただし声が良くなると、煎じて飲むことがあるらしい。漢方薬の一種なのだろう。さて、今夜の虫時雨に我が庭のミミズ殿は鳴いてござるや否や。Four Haikus by Tadami yamadaA long long way !It leads to saffron cloudAutumnal skyA cotton candyIt's like light snow--- melted my childhoodThe deceased person's garden is as quiet as ever in the rain of autumnA wild grapes !its purple charm so deepens,keeps herself secret
Sep 5, 2008
コメント(2)
可愛くて、おもしろいものです。 朝と夕べの2度、仏前に御飯を供え鈴をならす。朝は窓を開け放っていることが多く、外の塀のうえに朝の散歩に出た猫のフクがいる。鈴(リン)をならすと急いで塀の上を駆け、入口から鳴きながら走ってキッチンに行き、自分の御飯をさいそくするのだ。まるでリンの音が自分を呼んでいるとでも思うのか。「あっ、御飯だ!」と思うのでしょうかね。 梨の実やまず仏前に供えけり 青穹 仏供(ぶく)下ろしシャリと噛みける梨の実や 新生姜茎の薄紅葉の緑 新生姜味噌付けて食うすがしさや 秋光の黄を含めける蔵の壁
Sep 4, 2008
コメント(2)
昨夜はNHK・BS2で黒澤明監督の『蜘蛛巣城』を見た。封切公開時に見て以来だから51年ぶりだ。私は同じ映画を初見後も何度もみる。しかしこの作品は見ていない。なぜだろう。考えたことはなかったが、いまにして思えば、特別な思い入れがあったためかもしれない。 私が『蜘蛛巣城』を見たのは、福島県の八総鉱山小学校の講堂においてであった。封切は1957年の1月だが、八総鉱山が購入したのはもう少しあとだろう。小学校は前年に建設が成り、開校して1年目。私は12歳、6年生だった。 講堂には、2台の映写機を備えたれっきとした映写室とステージ上に巻き上げられる映画用スクリーンが付設されていた。月に1度、土曜日の夜、社員家族のための無料の映画館となった。わたしたちは銘々座布団をかかえて出かけた。 さて、『蜘蛛巣城』は私がリアルタイムで見た黒澤映画の一番最初の作品である。この作品を見て、私は黒澤映画のとりこになってしまった。翌年、会津若松市の中学校に入学したため親許を離れた。それは、お小遣いの許す限り自分の好きな映画を選んで見るチャンスを得たということも意味し、『蜘蛛巣城』以後の黒澤作品はすべてリアルタイムで見ることになる。さらには、遡ってほぼ全作品を見ることになるが、それもこれも『蜘蛛巣城』の衝撃のためだった。 製作:黒澤明・本木荘一郎、監督:黒澤明、脚本:黒澤明・橋本忍・菊島隆一・小国英雄、撮影:中井朝一、美術:村木与四郎、音楽:佐藤勝、録音:矢野口文雄、照明:岸田九一郎、記録:江崎孝坪。 出演:(鷲津武時)三船敏郎、(その妻、浅路)山田五十鈴、(三木義明)千秋実、(その嫡男、義照)久保明、(都築国春)佐々木孝丸、(その嫡男、国丸)太刀川洋一、(小田倉則保)志村喬、(物の怪の妖婆)浪花千栄子。 ストーリーについてはここに述べることもあるまい。シェイクスピアの『マクベス』を原作とし、日本の戦国時代に話を設定しているほかは、とりたてて改作と呼べるようなところはない。原作の骨子を忠実に映画化している。ただしそれはあくまでも物語の「骨子」であって、シェイクスピアのあの厖大なセリフはすっかり抜け落ちている。したがって『蜘蛛巣城』は映画そのものではあるが、無言劇のようでもある。 一面に濃霧がたちこめる荒涼とした大地。わびしく古びた木碑に「蜘蛛巣城」。 その荒々しい大地を蹴って、背に旗指物をなびかせた騎馬武者が一騎。山城の巨大な門扉を疲労困憊の態で敲く。都築国春を城主とする難攻不落を誇る蜘蛛巣城である。しかし今や北の館の藤巻の謀反により形勢は危うくなったとの報告であった。国春は、忠臣小田倉則保の進言により、籠城の決断をした。が、そこへ新たな急使が思いがけない朗報をもたらす。一の砦の武将鷲津武時と二の砦の武将三木義明とが、謀反を平らげたというのである。国春は、さっそく二人を褒むべく呼び出す。 蜘蛛巣城へむかう騎馬の二人は蜘蛛手の森で道を失う。蜘蛛巣城を取り囲むその森は迷路のように錯綜し、侵入者をはばんでいた。二人の武将はやがて森のなかで妖しい老婆に遭遇する。老婆はすでに二人が何者かを知っていた。そして、鷲津武時はすぐに北の館の主になりさらに蜘蛛巣城の城主になるだろうと、また武時より「小さいが大きい」三木義明は一の砦の大将になりさらに蜘蛛巣城の城主になるだろう、と予言めいたことをいい残したちまち消え失せる。 やがて二人の武将の運命は、この妖婆の予言に操られるように、血なまぐさく狂っていく・・・ 黒澤映画のなかで『蜘蛛巣城』は特別な意味を有する作品である。極端ないいかただが、「美」以外はなにものもない作品だからである。それ以前の16作品はいずれも「思想」を語ろうとして来た。その直情的とも言える語り口は、いまになれば、やや生硬で青臭い。もちろん黒澤自身が若かったのだから当たり前といえば当たり前。しかし『蜘蛛巣城』ではそれがふっきれてしまったのではあるまいか。あえて思想など語らなくてもよい、映画にしかできない表現がある、そういう地点に到達したのかもしれない。光と影と動き。そこに集約される映画の美。『マクベス』のあの厖大なセリフがこの映画から抜け落ちているということは、重大な意味をもってこよう。 おそらくそれだからこそであろう。12歳の私を圧倒したのはそのような映画美であった。が、その美が何によってささえられているかについては、何も詰まっていなかった当時の私に分ろうはずはなかった。51年振りに再見して、それが、能をみごとに咀嚼し、さらに静と動との完璧なまでのバランスを与えられた「美」であることを見て取ることができた。私自身が能に対する関心を深め、造詣を深めてきたからこそ、この映画に表現されているものが理解できた、と思った。私にとって51年という年月は必要だったのであろう。 この作品に引用されている能とは、そのドラマトゥルギーであり、所作であり、囃子(リズム)であり、舞台美術であり、要するに能の技巧のすべてだと言ってよい。 たとえば、蜘蛛手の森のなかの妖婆は『黒塚』の引用である。その小屋。その糸車。糸車を回す妖婆の居住まい。これらは、もう、直接的な引用である。黒澤は原作の魔女たちという複数(3人)を一人に集約しているが、それだからこそ『黒塚』を引用できたのだし、また日本の民話や伝承において一つの目的をもった複数の魔女(物の怪)が登場するという伝統がない。したがって一人の妖婆に設定したことは正解であろう。 さらに、物の怪が消え失せたその場所に、二人の武将は、屍の山をみる。いつのものとも知れぬ白骨化した死体が幾つもの山となっている。このカットは意外に見過ごされがちかもしれないので注意しておく必要がある。なぜなら、いましがたの妖婆は『マクベス』の「魔女」とはあきらかに異なり、あるいはこれら死者たちの怨霊となんらかの関係がある物の怪と解することができるからだ。とすれば、この白骨の山が、能のドラマトゥルギーに通じるもっとも肝心な核であると見ることができる。 あるいは、北の館の主となった鷲津武時と浅路が、主人都築国春の訪問を機会に殺害を謀るシーンから、殺害を経て、その現場である「あかずの間」で二人ながら内心に狂乱をかかえこむシーンまでの長いシークエンスは、能舞台そのものを連想させる。そして、浅路を演じる山田五十鈴のメイキャップは、能面のように真白な厚塗りで表情を削ぎ、終始やや俯きかげん。その歩き方は能の「摺り足」である。さらに武時も共に、立居がまた能のたたずまいである。立っている二人が同時に座る場面がある。その膝のまげ方から、すっと沈むように静かに座る様を見ておこう。 「あかずの間」の正面、雛壇の背景は能舞台の松羽目そっくりに作られているが、松のかわりに主人都築国春を殺害したときの血しぶきが禍々しい。それも当然で、松が象徴するのは永遠の生命だからである。いわば本歌取りしてさらに負のイメージに逆転している。じつに面白い美術である。三船敏郎(鷲津武時)が座っている背後に、屏風のようにしつらえてあるのは矢立である。鷲津武時は弓の名手なのだ。 主人都築国春の殺害をそそのかし、警護の不寝番に痺れ薬をいれた酒を差し入れることにした浅路が、酒を用意するために奥にひっこむ場面がある。背を向けて出入口にひっこんだ姿がかき消すように暗黒に消える。すぐに大きな瓶子(へいじ)を抱えて白い顔の無表情で登場するが、いきなり暗黒から出現する。ここの照明は注目に値する。暗黒と光の領域とのあいだに中間領域がないのである。この効果は甚大で、象徴の高みに達している。おそらくカッティング技術によるのであろうが、その繋ぎは自然で、自然であるからこそ不自然な魔界が出現しているのである。 もうひとつ、録音にも注意を向けなければならない。山田が摺り足で動きまわるたびに「衣擦れ」の音がするのだ。それ以外の音は注意深く除外している。そのため、山田の衣擦れのみが、シューシューとまるで蛇の草むらを這い擦るような音になって効果をあげる。 「衣擦れ」といえば市川崑監督の『細雪』にも、これは谷崎の原作にも書かれていることだが、長女の岸恵子が外出のための着替えをしながら、「帯が鳴る」と言う場面がある。正絹の帯はキュッキュッとなるのである。着物でも裾捌きによっては衣擦れがし、それは女性のおとなの色気を感じさせるものだ。このきわめて日本的な音が、じつは映画の音として表現されたことがない。すくなくとも私は知らない。 そのような点においても、『蜘蛛巣城』の山田の衣擦れの音は記憶されなければなるまい。 山田五十鈴の浅路の歩き方が能の「摺り足」の技法だとすれば、三船敏郎の鷲津武時が主人国春を殺害し、血糊がべったり付着した槍を抱えて浅路のもとへもどってくるその足音は、能の「足拍子」の技法であると言ってもよかろう。 足拍子には、たとえば『道成寺』の乱拍子のように、気を溜めに溜めて絞り出すように足踏みするがそれはむしろ無音である。が、舞台を踏み抜くかのようにドンドンと音をたてる足拍子もある。いずれも囃子方の演奏、とくに鼓の裂帛の気合いにあわせる。能舞台そのものが建築的にその音を響かせる構造になっている。床下に幾つもの大きな土瓶が埋めてあるのである。 三船はこの足拍子さながらにドンドンと足を踏みならす。この拍子は、たんに足音高く踏みならすのとは違い、技巧的に非常に難しい。それを三船はやっている。 ところで物語はこの主殺し以後、武時と浅路の運命は狂乱怒濤のごとく、そして坂を真っ逆様に転げおちるように奈落の底へ転がり出す。それを動とすれば、前述した「静と動」の静の方は、例の妖婆に遭遇するシーンまで戻らなければならない。 このシーンは異常なほど長い。浪花千栄子が演じる物の怪の老婆は、真直ぐ正面を向いて座り、無表情のまま何やら妖しいことを呟きながら糸車を回しつづける。二人の武将、鷲津武時と三木義明は、気をのまれたように無言のまま老婆を注視する。カメラは時に妖婆を二人の武将の肩ごしにとらえ、また逆方向から妖婆の背中越しに二人をとらえ、あるいは横から妖婆をとらえはするものの、終始この得体の知れない妖婆を中心に据えながら長い長いシークエンスを作り出している。 なぜこんなに長く撮らなければならなかったのだろう。それは、二人の武将の運命を決定する重要な場面だからにほかならない。この物の怪の予言を信じようと信じまいと、二人はこの物の怪に操られるように運命が回転しだす。そのことを観客に強く印象付けなければならないのである。 物の怪がこつ然と消えたあとで、暗黒の天空にまるで爪跡のような細い弦月がかかり、鋭い叫びをあげながら鵺が横切る。この月もまた、かつてどの映画作品にも登場したことがない鋭く細い月である。 二人は予言を背負って蜘蛛手の森を騎馬で駆ける。この騎馬のシーンも見事だ。ジョン・フォードの『駅馬車』を凌駕するような素晴らしさだ。稲妻が閃き、背中の旗指物がはためき、森の木々が飛ぶ。ここも長い長いシーンだ。駆けれども駆けれども運命の網からのがれられないことを暗示するかのように。・・・そして二人の騎馬武者はようやく蜘蛛手の森の迷路から抜け出て、霧が深くたちこめる荒れ野に出る。遥か彼方に蜘蛛巣城が姿をあらわす。 シェイクスピアの『マクベス』では「バーナムの森が動くとき、殿の運命がきわまる」と予言される。『蜘蛛巣城』では、蜘蛛手の森が動きはじめる。無数の矢が鷲津武時めがけて射放たれる。撮影時に三船敏郎が思わず恐怖の叫びをあげたと伝えられている有名なシーン。まだ見ぬ人のために後は書かないでおく。 12歳の私はこのシーンによって、映画を「創る」ということに目覚めた。一本の矢の仕掛けを、自分で工作して実験してみたのだ。いわゆる映画の小道具を、おそらく初めて自覚したのである。気がついたらすぐ手作りしてみるというのが私の習い性で、どうやら子供の頃からそうだったようだ。
Sep 3, 2008
コメント(0)
会津の恩師清水先生からお葉書を頂戴した。しばらく御無沙汰していたので、さっそくお詫びの手紙を書いた。最近の活動状況なども別に40ページほどプリントして同封。今朝発送した。 清水先生へ手紙を書きながら先生のお顔や姿を思い出していた。 そのイメージはお年を召されたとはいえ、50年前の面影に重なる。私は子供だったけれど、先生は「おとな」だったので、50年の歳月によっても容貌に極端な変化はないのである。 数年前、お別れしてから42年ぶりに電話で話をしたときも、お声が昔とまったく変わっていなかったので、私は内心で返って衝撃を受けた。その気持を説明するのは難しいけれど、要するに、私は42年間の空白が一挙に解消するのを感じながら、同時に42年という時間が現実に過ぎ去っているのだということを思ったのであった。そうしてさらに1年くらい後に実際に再会したわけだが、私は先生のお顔に、一瞬、「お前は誰だ? ほんとうに山田か?」という戸惑いの表情がよぎるのを見のがさなかった。私は画家で、人間の表情の微妙な変化を読み取るのはおてのものなのだ。 先生の戸惑いは当然のことであろう。私は「子供」ではなく60歳の老人になっていた。 私が創作表現を職業としているためもあろうが、ときどき相手の位置から私へ視線をむけて物事を考えることがある。つまり想像によって視点を交換してみるのである。先生の目に現在の私の姿形がどのように映り、それは先生の記憶にある40年以上前の少年の顔とどう重なり、あるいは乖離して、先生の意識を形成しているのだろう。そう思うのだ。 私の現在の顔のどこを探したら子供時代の顔が浮かんでくるだろう。まったく重ならないのではあるまいか。 ・・・先生は、ほんとうに「中学生の山田」と「現在の山田」とをぴたりと重ねて話をされているのだろうか? 誰か知らない人と話をしている気分なのではないだろうか? 私は、ひとが誰でも私のような鮮明な映像をともなう記憶力の持主ではないことを知っている。大抵のひとは、私のようにいとも簡単に時間を超越して記憶をよみがえらせることはできないのだということを。 私の記憶は、懐かしさというような情感につつまれているのではない。映画フィルムを映写機にかけて再現するようなものだ。 そして映写機をまわしながら、私はまったく断絶した世界にいる不安のようなものを感じている。 手紙を書きながら、「先生、私は子供の頃の顔に戻れません・・・」と思うのだった。
Sep 2, 2008
コメント(0)
きょうは9月1日。1年の2/3が過ぎた。早い早い。 高幡不動の月例の縁日。 高幡不動は関東三大不動(後注)のひとつで、私は季節ごとに櫻を見にゆき、紫陽花を見に行き、菊や紅葉を見に行く。 不動尊座像は南北朝時代(1329~92)に造られた丈3メートルの木彫漆塗り。2体の丈2メートルの脇侍童子像を従え、東京都重要文化財である。この時代の仏像としては東京都下で最大である。大護摩修行の縁日に訪ねると、ごく間近で拝観することができる。私は毎年正月三が日にたずね、・・・私の場合はもっぱら美術的観点からなのだが・・・拝観していた。ただし、現在、不動堂に祀られているのは、数年前に新しく造仏されたもので、文化財のほうは宝物館のほうに移された。過日、宝物館を訪ねたのだが、おりあしく休館だった。 不動堂の左手の参道を奥にむかうと、左手に小さな神社がある。五部権現社である。仏教寺院に神社とは不思議だが、他国の他の宗教施設とことなるのはこのようなことで、日本では神仏混淆はまれではない。のみならず、「五部権現」というように、五つのことなる神体を祀る。日本人の宗教心を考えるうえで興味深い例である。・・・神社は源頼義が寛文11年(1671)に稲荷、丹生、高野、八幡、青龍権現を合祀したもので、こじんまりとしているが江戸時代初期の建築物として東京都の宝物と指定されている。 また、弁天堂のすこし上方に2基の句碑がある。右側は松尾芭蕉の句碑で、「名月にふもとの霧や田のくもり」。左は有山菫糸の句碑、「法鼓鳴り花人山を下りてゆく」とある。 芭蕉の句碑は欠けていて読み難いが、同じ句が不動堂の左横手、四国八十八カ所巡礼路へ至る道の左側、木々の下の板碑にくりかえされている。 たまたまその縁日だったので、我家からそう遠いともいえない私にとってはお馴染みの高幡不動について書いてきた。新宿から京王線で特急、急行の高幡不動行きが出ている。所要時間30分程度。不動尊は駅からすぐ。【注】関東三大不動 千葉県成田市:成田山新勝寺 東京都日野市:高幡山金剛寺 もう一尊は諸説あり、次の三つの寺院があげられている。 埼玉県加須市(かぞし):玉とう山總願寺の不動ヶ岡不動尊 埼玉県飯能市:高貴山常楽院の高山不動 神奈川県伊勢原市:雨降山大山寺(あぶりさんおおやまでら) 雲光る二百十日の晴れ間かな 青穹 落葉を集めて二百十日かな 二百十日ぴたりと熄みし虫の声 畠物に添え木をあてし二百十日 裸木の枝千手なり二百十日
Sep 1, 2008
コメント(0)
全24件 (24件中 1-24件目)
1
![]()

![]()