全19件 (19件中 1-19件目)
1
さきほどまで(27日23時)TVでソフィア・コッポラ監督の映画『ロスト・イン・トランスレーション』(2003年)を観ていた。東京にウィスキーのCM撮影にやってきたビル・マーレー演じるアメリカ人俳優と、スカーレット・ヨハンソン演じる写真家の夫について日本にやってきた若妻とが、恋愛感情とまではゆかないが心のつながりを感じるようになって互いの日常の中に別れてゆく。一種のロード・ムービーのような作品。ソフィア・コッポラはこれによって2004年度のアメリカ・アカデミー賞オリジナル脚本賞を獲った。 あいもかわらぬ軽薄日本人群像については何も言うまい。外国人の目に映った日本人、と突き放してもいいが、凝縮すると現代の日本人はあんなものだとも思えなくもない。 ただ、オイオイまだこんなミステイクをしているのかよ、と呆れたカットがある。 ビル・マーレーが新宿のホテル・ハイアットのエレーベーターに乗っているシーン。同様のシーンは何度かあるが、その一つで、日本人客のなかに黒留袖の中年婦人が隅に乗っている。その留袖の着付けが左前だ。 外国映画のなかで外国人女性が日本の着物を部屋着として左前に着ていることはしばしば見受ける。洋服の感覚と同じに着ているのだが、これはしかし文句を言う筋合いではない。だが、日本人女性が着物を左前に着ているのは断じて許せない。たとえエキストラ出演でも、準備段階で着付けが間違っていると言わなければいかんよ。作品のなかでは制作スタッフのせいにすることはできないのだからね、ホテル客の日本婦人が奇妙な左前着付けをしていることになるのだから。エキストラ俳優さん、あなたはホテル客なんですよ。 しかし、こういう日本の常識がこわされているのは外国作品のなかだけではない。最近、やはりTVで観て気がついたのだが、若い俳優の日本語に対する無知だ。工藤栄一監督によるリメイク映画『十三人の刺客』のなかで、狂気の殿様を演じた稲垣吾郎さんが、藩境の橋を強引に突破しようとする自分に相手が何も手を出さないまま立ちふさがるのに対して言い放つ言葉。「手をタバネテ」と稲垣さんは言った。台本にはたぶん「手を束ねて」と書いてあるのだろう。しかし、「手をツカネテ」と言うのが正しい。意味はたしかにタバネルことなのだが、「ツカネル」と言う。監督もスクリプターも、制作スタッフの誰もが間違いに気がつかなかったというわけ。面白い映画なのに、玉に瑕、ですな。 それからNHK・BSで再放送された『刑事コロンボ、構想の死角』のなかで、犯人役のジャック・キャシティが殺される小説家に言う。「小説家はいつもムメイの闇の中にいる」と。 ただしこれは日本語吹き替えだから、声優が間違っているのだ。台本にはおそらく「無明の闇」と書かれていたはず。「ムミョウの闇」と言わなければならない。仏教語です。 決して揚げ足をとるわけではないが、作品として残ってゆきますから、聞き流しているわけにもゆかないと私は思うのだ。やっぱりキズモノだもの。 『十三人の刺客』と『構想の死角』。両者ともにシカク,シカクと並んだのは偶然だが、韻を踏んだかのようでここは私は気に入っている。 ついでながら先日G20に出席した麻生太郎財務大臣の服装が、自らは英国紳士流と思っているのかもしれないが、「ギャング・スタイル」と揶揄されたようだ。冠った帽子がボルサリーノ、しかも斜に冠ったのが災いしたか。一流好みもTPOを心得て粋(イキ)に着こなすのは難しい。爺様の吉田茂のようにはゆかなかった。エレベーターの中の黒留袖の左前を指摘してばかりもいられない文化ギャップ。
Feb 27, 2013
コメント(0)
北は雪南は梅のたよりかな 青穹 ひととせや春は母御のご命日 壬生浪も食いなん鍋の水入菜 とりどりの歯応え愉し春菜哉 梅椿早咲きそめよ灰衣【註 1】「壬生浪」は言わずと知れた後の新撰組。NHKの大河ドラマ『八重の桜』で先週あたりから登場しはじめている。京都山科の壬生村を根城にしていたが、この壬生は壬生菜の産地。関東では京菜ともいう。いわゆる水菜である。施肥をしなくとも水だけで育つので水入菜ともいう説がある。【註 2】「灰衣」という成語があるわけではない。枯木に花を咲かせましょうと灰を蒔く花咲爺さんのイメージに、古歌の「わが衣手(袖)に雪は降りつつ」のイメージになぞらえて「わが衣手に灰は降りつつ」をイメージし、椿の灰で布を紫に染めた故事を重ね、さらに花よ蝶よと浮かれているうちに私が灰衣(火葬)になってゆくのだという思いなどが重なった。さらに芭蕉の句「梅椿早咲き褒めん保美の里」を本歌として、その替え歌のようなものである。芭蕉が「褒めん」としたところを私は「染めん」と韻をあわせるように音感を遊んだ。
Feb 27, 2013
コメント(0)
To come through little lightI learnt by hearsay there's a sick person the house cold winter tonight (寒灯や病む人ありと伝え聞く)In my garden crimson camellia veiled in white snow to fall silentlythe third times in this year (紅椿ことし三度の雪衣) Mild and warm this morningStill though not to remove shelters from snowIt's next door to spring (雪除けをはずせぬあしたの春隣)
Feb 24, 2013
コメント(4)
ロシアにおける2月15日の隕石の落下が、奇妙な波紋をネット上にひろげている。隕石とUFOが接触し、UFOがクラッシュしたのではないかというのだ。朝日新聞 隕石にUFOが衝突? ネット動画に話題騒然 2013年2月22日12時31分YouTube НЛО сбивает объект над Челябинском 15 февраля 2013You Tube Метеорит-НЛО-Челябинск. Нас спасли???
Feb 22, 2013
コメント(2)
朝日新聞 「一番心強かったのは憲法9条」北沢・元防衛相 2013年2月21日19時43分
Feb 21, 2013
コメント(0)
なんだか底冷えがする寒い日だった。ほぼ半日、書いたものの編集。ときどき休んではキャンヴァスの下地つくり。それから下絵を写すが、写しおわってから考えが変った。明日もう一度やりなおす。頭のなかで描いたり消したり、他のことをやりながら、手と頭とを分裂させていやっている。 きょうも作曲家の新実徳英氏から葉書を頂戴した。ホリスティック宇宙論についていつかお話ししたいと思った。
Feb 20, 2013
コメント(0)
紅椿ことし三度の雪衣 青穹 侘助のひそかに散るや雪降り積む 侘助や遠きにありて灯油売り
Feb 19, 2013
コメント(0)
雪除けをはずせぬあしたの春隣 青穹 梅咲くのたより濡らして恨む雨
Feb 18, 2013
コメント(0)
![]()
快晴ながら冷たい風が吹く日だった。道路の真ん中で、どこの猫か知らないが、ころがる落ち葉を追いかけて独り遊びをしていた。可愛いもんだ。 さて、作曲家の新実徳英氏から葉書を頂戴した。10月の個展に発表するための新作〈弦楽四重奏曲 No.3〉を作曲中とのこと。楽しみである。 さらに、明日17日午後3時からNHK学校音楽コンクールの課題曲の発表があり、新実氏は高校の部の課題曲を作曲しているとのこと。これも楽しみなこと。このブログのお客様もお時間が許すなら是非NHKTVをごらんください。 新実徳英氏の合唱曲は非常に人気があり、合唱団は必ずやレパートリーにしているはずだ。私の母校・会津高等学校がまだ男子校だった頃、後輩の合唱部が、物怖じしないというのか当たって砕けろという気持ちだったのか、新実氏に自分たち合唱部のために新作を作曲してくれるよう頼んだのらしかった。「らしかった」と言うのは、私は人づてに聞いたか、それとも新実氏から直接聞いたのか忘れたが、ともかくずっと後になってその事実を知ったのだ。そして、なんと新実氏は、我が後輩合唱部のために、男声合唱曲を作曲されたのである。 ことほどさように、男声合唱曲、女声合唱曲、混声合唱曲、いずれも新実徳英氏の曲は合唱団から引く手あまたなのだ。 そうそう、私のてもとに、いまでは懐かしいLPレコードの彼の合唱曲集がある。他のレコード・コレクションとともに大きな金属製のファイルケースにおさめて倉庫に入れてあるから、明日になったらそれを出して画像を掲載することにしましょう。新実徳英作品集II 「失われた時への挽歌 〜 女声合唱とピアノのために」 「祈りの虹 〜 男声合唱とピアノのための」 指揮=水谷昌平 / 合唱=フラウエンコーア東海、南山大学メールクワイヤー ついでに先日2月10日のブログのお客様ちゃれさんのコメントにお応えした中で言及したバロック舞踊音楽、ジャン=フェリ・ルベル(1666-1747)の「四大元素』のレコード・ジャケットを掲載します。このレコード、ルベルのほかにアンドレ=カルディナル・デトゥーシュの「四大元素」も収録している。演奏はクリストファー・ホグウッド指揮のエンシェント室内管弦楽団。はじめてお聴きになるかたは、不協和音の大音響に驚かれるにちがいない。その意味ではきわめて現代音楽的である。
Feb 16, 2013
コメント(0)
きょうは、我が家のTVシステムを、 JCNが開発した世界初のAndroid 4.0登載のSTB(Smart TV Box) に換えるための契約をした。設置は来週。 STBは、要するにTVとパソコンが一体になったようなもので、Wi-Fi対応、インターネットはもちろん、YouTubeやniconico動画、検索、ニュース、各種アプリが使用でき、またスマートフォンから自宅へTV伝言ができる。チャンネル数は72ch以上、2tb~4tbのスリーウェイHDに二つの番組を同時録画しながら別番組を視聴でき、あるいはタブレットでCS放送を視聴できる。また無線LAN内蔵のパソコンなら、室内のどこにあっても10台から最大16台くらいは接続できる。・・・と、まあ、TVでできることが非常に広がる新しいシステム。 設置してみないことには分からないが、ともかくそれを入れることにしたわけです。
Feb 15, 2013
コメント(0)
岩波ホール総支配人の高野悦子氏が亡くなられたという(9日)。享年83。 映画ファンにとっては、いや日本における外国映画上映史にとっても、かけがえのない方だった。高野氏なくしては、インドのサタジット・レイ監督の『大地の詩』も、ポーランドのアンジェイ・ワイダ監督の『大理石の男』も、それにヴィスコンティ監督の『ルートヴィッヒ 神々の黄昏』もギリシャのテオ・アンゲロプロス監督の『旅芸人の記録』も、おそらく日本では上映されることはなかったであろう。私はこれらの作品を、えんえんとつづく長い行列に辛抱強く並んで観たのを思い出す。 岩波ホールで上演されたギリシャ悲劇、鈴木忠志演出、白石加代子・観世寿夫主演『トロイアの女』(1974)は、観世寿夫氏が主宰の「冥の会」の舞台だが、現代能楽界の鬼才といわれた観世寿夫氏の、能楽以外ではこれが最後の舞台ではなかっただろうか。観世氏はこの演技により芸術祭優秀賞を受賞。亡くなったのは1978年。私の耳に、いまだにその朗々とした声とエロキューションが聴こえてくる。・・・この『トロイアの女』の上演も高野悦子氏プロデュースの岩波ホールの大きな成果であろう。 ためいきをつくような思いで、高野悦子氏の御逝去を悼みます。
Feb 14, 2013
コメント(0)
![]()
弟が古書店でみつけたと『三島由紀夫映画論集成』をプレゼントしてくれた。1999年にワイズ出版から刊行された本で、三島由紀夫は映画について多くの評論や対談を雑誌に発表したが、生前、それらが一本にまとめられて刊行されたことはなかった。帯に「三島由紀夫の映画に関する論文+発言を完全網羅」とある。けだし秀逸な企画。山内由紀夫編、子息の平岡威一郎と藤井浩明が監修している。全696頁の大冊。弟がプレゼントしてくれたのはその初版。 先日なくなった大島渚監督と『ファシストか革命家か』というタイトルで対談をしている。私は未読なので、読むのが愉しみだ。
Feb 13, 2013
コメント(0)
2020年のオリンピック競技種目からレスリングが消えるというニュースが飛び込んで来た。古代ギリシャのオリンピック以来といわれる伝統的競技が消滅するというのだから驚いた。理由はさまざま推測されているが、主要な理由は判定が複雑で商業ベースに乗らないということらしい。馬鹿げているといえば馬鹿げている理由だ。金儲け主義がここまで来たかという感じがする。 過去には野球が、またソフトボールが種目から消された。参加国が限られているというのが理由だった。つまり全世界的なスポーツではないということだ。それではテコンドーやセパタクローはどうなのだろう。冬季オリンピックのカーリングだって、熱帯・亜熱帯の国々はどうなんだ。いや冬季のスポーツそのものが、かならずしも地球規模で盛んなのではあるまい。かつてボブスレーにさる南国のチームが初出場して話題となり、映画にもなったけれど、ことほどさように総ての競技が全世界的ではないし、そうある必要もあるまい。そう考えると、IOCは巨大組織だが、なんだかいいかげんさも感じるなーというのが、私の率直な思い。 ともかく、レスリング消滅のニュースは、「イ・ヤ・ナ・カ・ン・ジ」のニュースだ。
Feb 12, 2013
コメント(0)
![]()
今朝、作曲家の新実徳英氏から御親切なお手紙とともに嬉しいプレゼントがあった。新実氏のヴァイオリン曲を収録した2枚のCD。 一枚は、〈ソニトゥス・ヴィターリス〉ヴァイオリンとピアノのための作品集、2台のヴァイオリンのための〈舞踊組曲 ー I love Lucy〉。 演奏者: 渡辺玲子(ヴァイオリン)、加藤知子(ヴァイオリン)、寺嶋隆也(ピアノ)。 二枚目は、ヴァイオリン協奏曲 第2番〈スピラ・ヴィターリス〉。「太陽風」〜オーケストラのための。 「沈黙(しじま)へ」〜弦楽オーケストラのための。・・・3曲を収める。 演奏者: 渡辺玲子(ヴァイオリン)、梅田俊明(指揮)、岩城宏之(指揮)、仙台フィルハーモニー管弦楽団、東京都交響楽団。 新実氏の曲はラテン語の題名が多いが、〈ソニトゥス・ヴィターリス〉とは「生きとし生けるものの音」、〈スピラ・ヴィターリス〉は「生きとし生けるものの螺旋」あるいは「生命螺旋」という意味である。 新実氏によれば、遺伝子(DNA, RNA) の螺旋はもとより、一日一日の時間のめぐりは決して元に戻る事無い螺旋を描きつづけていると言う。氏はその螺旋を音楽形式として曲の外形を創造し、音楽としての内容を唯識論における阿羅耶識にもとめて、いわば無意識界の音像をさぐる。 私が新実徳英氏のあらゆる曲に驚嘆するのは、新実様式ともいうべき新しい音楽形式の創造と、そこに盛られた音楽の内的発露の感覚性がみごとに共存し、しかも常に生命の宇宙的無限的規模への拡張感があるということだ。 この作曲家が常日頃耳を傾けている対象、聴きとっている「音」・・・私はそのことを想像するだに、俗な表現ながら「鳥肌がたつ」。上述の三者が芸術作品に共存することは、めったにはないのだ。私は、そのことを良く知っている。様式は無意識の発露を減殺し、無意識にたよれば形式は失われる。あるいは子供じみた言葉遊びに堕す。そして個を源泉としながら宇宙的無限大の広がりを獲得することなど無きに等しい。 新実徳英が「自然」と言うとき、「雨」や「風」や「木々の葉擦れ」と言うとき、あるいは「生命」と言うとき、私の聞く耳はもっとも注意深くなる。それはたんなる情緒を超越して、とんでもない極致につきすすんでいるからだ。ついて行けないなどと私は言うまい。ついて行くのだ。どこまでも。新実徳英が歩いてゆく極致へ。 私はこの現代作曲家がどこに到達するのか見極め(聴き極め)たいのである。 新実さん、いつかまたお会いしてお話ししましょう。今日は有難うございました。
Feb 10, 2013
コメント(2)
サッカー日本代表・ザックJAPANの2013年初戦「キリン・チャレンジ・カップ」、日本対ラトビア戦が、ホームズスタジアム神戸で今夕7時30分、キック・オフ。メンバーの半数以上、15人が海外クラブチームに在籍する選手が招集され、そういう意味では豪華メンバーでの発進となった。そしてファンの期待にたがわず日本チームが3−0で快勝した。 きょうの試合は、来月行われるW杯アジア地区最終予選、対ヨルダン戦を見据えて、それを占う大事な試合だったので、幸先良いスタートとなった。日本代表としてはヨルダンに勝ってW杯出場キップを手中に、6月のコンフェデレーション・カップでブラジルと戦いたいという思惑がある。 さて、今日の対ラトビア戦の経過を振り返っておこう。 先発メンバーは、キャプテン長谷部、ゴールキーパー川島、本田、香川、長友、岡崎、内田、清武、細貝、今野、吉田。 フォーメーションは、4・2・3・1。岡崎のワン・トップである。【前半】03分 ラトビアのCK。05分 ラトビアのゴール前で攻防。ラトビアは人数をかけて防ぎきる。13分 清武倒されてFK。本田キック。ラトビアの壁に当たってはね返る。 以後、およそ4分間ラトビアがボールをキープ。18分 清武が右から蹴り込んだボールを香川、ラトビアともつれあいながらシュート。ボールは高くゴールマウスの上へ。21分 吉田からのロングパスを岡崎トラップして中へ返し、長谷部が受けてシュート。バーの上へ。23分 本田シュート。ラトビアGKキャッチ。27分 ラトビアのゴルクシュスが岡崎を背後から倒してイエロー・カード。30分 左サイドから長友のクロスボールを岡崎ヘッドでシュート。GKキャッチ。32分 香川からのパスを清武が走り込んでシュート。GKキャッチ。34分 ラトビアCK。ボール、はね返る。39分 本田からのパスボール、岡崎がデフェンダーを引きつけておき、香川走り込む。が、一瞬早くラトビアGKが転びながらキャッチ。41分 内田からのボールを、岡崎、背中ですべりこみ足をのばしてシュート。ボールは左ポストへ当り、はね返ってゴール! 先制の1点。42分 ラトビアのシュート。日本はすばやくボールをキープして、ラトビア陣へ。ゴール前の攻防。長友倒され、転がったボールを岡崎シュート。GKキャッチ。【後半】 日本はメンバーを入れ替える。清武と細貝がアウト。前田と遠藤がイン。03分 香川から前田へ。オフサイド。06分 前田→内田→本田シュート。GKキャッチ。14分 香川から本田へ。本田シュート。ゴール! 2点目。16分 香川から岡崎へ。岡崎シュート。ゴール! 3点目。 内田と本田アウト。酒井(高徳)と乾イン。18分 日本CK。 再び日本CK。19分 日本CK。20分 長友シュート。はずれる。 ラトビア、メンバー2人入れ替え。 日本も入れ替え。今野アウト。伊野波イン。23分 乾、左サイドから豪快なシュート。はずれる。24分 左からのクロスボールを岡崎ヘッド・シューティング。はずれる。26分 長友、右から切り込んでシュート。はずれる。長友、非常に積極的にシュートを繰り返す。27分 ラトビア、シュート。川島キャッチ。29分 日本FK。遠藤がキックしたボールはゴール前でデフェンスにはばまれる。31分 遠藤から乾へ。乾シュート。はずれる。36分 岡崎アウト、大津イン。大津は日本代表、デビュー戦である。37分 大津、ミドルでボールにタッチし、自分でこじ開けようと健闘するが、ボールはエンド・ラインを割る。38分 CK、遠藤。45分 乾、左よりクロスぎみのロング・シュート。Gッキャッチ。試合終了。3−0で日本快勝!
Feb 6, 2013
コメント(0)
タンポポが咲いているのを見つけたり、ポカポカ陽気に春近しと書いたとたんに、雪だ。深夜から降り出し、東京も大雪になりそうだと予報されていたが、明け方までにわずか2,3cmばかり積もっただけ。それでも玄関までのアプローチの雪掻きをし、しかし、すでに鋪石と接している雪はシャーベット状に溶け出していた。今、こうしてキーボードを叩いていても、庭木から溶けた雪が雫となって落ちる音が絶え間なくきこえている。 猫たちが、庭に出たいとうるさく鳴くので出してやったが、雪の中を少し歩いてたちまち戻って来た。 「ほーらネ、雪が降っていたでしょう」 「ニャー」 というわけで、マリは仕事場に入った私の膝に跳びのり、眠っている。他の猫たち、リコ、マスク、サチ、フクは、居間の電気カーペットに寝転んでいる。 三寒四温・・・春はまだ遠いのか近いのか。
Feb 6, 2013
コメント(0)
立春。今日も東京はおだやかな温かい日。天気予報では午後には雨とのことだったが、その気配はない。 道端にタンポポが咲いていた。春隣である。 いままでまったく気がつかなかったのだが、我が家の小庭の柚の木に一個だけ実が生っていた。直径7cmほど。常緑の葉叢のなかに、電灯がぶらさがって灯るように黄色く輝いている。 今日まで。8,9年間、図体ばかりでかくなって、実のほうは一向に生らずに、「なんだろうね、この木は。ウドの大木という言葉はあるけれど、お前さんはユズの大木、木偶(でく)のぼうだねー」と、内心につぶやきながら、背丈だけは毎年グイグイのびて、去年の夏も一昨年の夏もそのトゲだらけの伸び放題の枝を伐ったのだった。 それにしても、ほとんど毎日のように目に入る木なのに、なぜ実が生っていることに気がつかなかったのだろう。気がついてみれば、否応無く目に入ってくるほどまさに目の前に大きくぶらさがっている。 私は庭から窓ガラスを叩き、「なに? どうしたの?」と顔を見せた家人に、「ユズが生っているんだよ」と言った。 「それじゃあ、やっぱりユズだったんですね」 「そう、やっぱりユズだんたんだよ」と、私はその実を指差した。近所の家のユズが毎年たわわに実るのを見て来た。地団駄踏む想いとまでは言わないが、なぜ我が家の木はウンともスンとも言わないか、不思議だったのだ。鳴かぬなら殺してしまえホトトギスとばかり、いっそ伐り倒してしまおうかと家人にも言っていたのだ。 桃栗三年柿八年・・・ユズは8,9年かかるのだろうか・・・ 少年はゴムまりのように 蜜柑を空に投げ上げながら 街の十字路を駆けて行った 見ている私は驚かないではいられなかった 金色に輝くまるい実の 中には命の泉があるようだった 冬に病む光の中で 泉はやさしく唇を 濡らすようだった これは私が17歳のときに書いた「蜜柑」という詩である。私はたった1個のユズを見上げながら、ふいにこの昔の自作詩を思い出したのだった。
Feb 4, 2013
コメント(0)
節分の日。天気は上々。暦は明日が立春。まだまだ寒い日もあろうが、今日ばかりは早春の温かさだ。 昼前に高幡不動尊金剛寺に出かけた。が、参道は境内に入りきれない人たちが5.6人並列して200メートルほども列をつくっていた。私は並んで待つ性分ではない。せっかく出かけたが即座に退散。帰宅して家人が差し出す福豆をポリポリ食べた。 年の数より多かったなー。で、昼食はバケットにチーズを挟んで、それから生チョコレートがたっぷり入りココアをこれもたっぷり振りかかったデニッシュをひとつ。コーヒーを2杯飲んで、おしまい。 昨夜、風呂上がりに体重を計ったら53kgだった。家人が「痩せすぎじゃないの?」と言ったが、まあ、これで体調はすこぶる良しなのだ。 明日から小品ながら新しい作品の制作にとりかかる。
Feb 3, 2013
コメント(0)
さきほどまでTVで映画『ジュリー&ジュリア』を観ていた。2009年のアメリカ作品、監督・ノーラ・エフロン、主演・メリル・ストリープ、エイミー・アダムス。 実在した料理家ジュリア・チャイルドと、これまた実在の料理人ジュリー・パウエルの物語。原作はジュリー・パウエルの著、『ジュリー&ジュリア』である。 ご覧になった方も多かろうが、・・・1949年のこと、アメリカの外交官夫人ジュリア・チャイルドは、夫の任地パリで洗練されたフランス料理の神髄に出会い、元来食べることが唯一の趣味と言う彼女は、玉葱も満足に刻めないのに、コルドン.ブルーのプロの料理人養成コースに飛び込む。夫に励まされながら次第にフランス料理を極め、ついには『王道のフランス料理』というレシピ本を書き上げる。 一方(この映画の構成のおもしろいところは、この「一方」が、パリのジュリアの時代から半世紀後、例の9.11アタック後のニューヨークの物語)、ニューヨーク市の苦情電話応対係のジュリー・パウエルは人生の目的を見失い、夫の勧めで子供のころから熱烈に憧れていたジュリア・チャイルドのレシピ本を365日間で再現し、ブログにすることを思い立つ。 こうして映画は、二人の女主人公が時代を隔てて一度もまじわることなく、それぞれの人生を交互に展開してゆくのだが、・・・脚本の巧みさで、二つの物語に分裂を感じることなく、私は笑いながら料理映画の幸福感にひたった。 ついでに私のお気に入りの料理映画を思い出すままに少しばかり。「最後の晩餐」(1973, フランス) 監督・マルコ・フェレーリ、主演・マルチェロ・マストロヤンニ、ウーゴー・トニヤッティ、ミシェル・ピコリ ・・・食と排泄と性と死がテーマ。見所はクッキング・ナイフのすばらしいセット。「料理長殿、ご用心」(1978年、アメリカ) 監督・テッド・コッチェフ、主演・ジャックリーン・ビセット、ジョージ・シーガル。 ・・・見所は鴨の血抜き器具。「タンポポ」(1985年、日本) 監督・伊丹十三、主演・山崎努、宮本信子、役所広司。 ・・・日本映画できわめて貴重な食とエロスの映画。見所、役所広司と黒田福美の卵の黄身の口移し。「バベットの晩餐会」 (1987年、デンマーク) 監督・ガブリエル・マクセル、主演・ステファーヌ・オードラン、ジャン=フィリップ・ラフォン。 見所、村人が初めて食べる最高級のフランス料理に次第に顔が紅潮し、幸福感に満たされてゆくところ。『コックと泥棒、その妻と愛人』 (1990年、イギリス) 監督・ピーター・グリーナウェイ、主演・リシャ−ル・ボーランジェイ、マイケル・ガンボン、ヘレン・ミレン、アラン・ハワード。 見所、グリーナウェイ監督のいつもながらの怪作。金と食欲と性欲に溺れる人間をシニカルに描く。ジャンポール・ゴルチエが担当した衣装も見物。 料理映画と括ることはできないが次の作品もあげておこう。「サテリコン」(1970年、イタリヤ) 監督・フェデリコ・フェリーニ、主演・マーティン・ポッター、ハイラム・ケラー。 料理映画としての見所は、トルマッキオの宴会のシーン。ローマ貴族の食事の退廃を活写している。その料理にも注目。「ショコラ」(2000年、アメリカ) 監督・ラッセ・ハルストレム、主演・ジュリエット・ビノシェ、ジョニー・デップ。 ・・・見所はキリスト教におけるチョコレートの扱い。映画には出てこないがキリスト教におけるコーヒーの扱いを合わせて考えるべき。 この映画に唯一名前で呼ばれるのが「ヴィーナスの乳首(Nipple of Venus)」というお菓子。チョコレートでできた紡錘形の先端にホワイトチョコレートがちょこんとのっている。 同じくジョニー・デップ主演の「チャーリーとチョコレート工場」(2005年、アメリカ。監督・ティム・バートン)もあげておこうか。 お菓子と言えば、「アマデウス」(1984年、アメリカ。監督・ミロシュ・フォアマン)の中で、サリエリがモーツァルトに最初に出会うシーン。甘いものに目がないサリエリが宮廷の一室に用意された山と積まれたチョコレート菓子をつまみ食いする。その部屋で、悪ふざけをするモーツァルトとその後彼の妻になるコンスタンツェをみかけるのだ。そして妻となったコンスタンツェがサリエリ邸を訪ね、夫の宮廷音楽家への就職を懇願するシーン。サリエリはコンスタンツェに「ヴィーナスの乳首」を勧める。『ショコラ』にも登場したお菓子である。恥ずかしげに、しかしやはり甘いものに惹かれて手を出すコンスタンツェ。 そうそう、料理もお菓子も登場しないが、背景にその存在を暗示して人物描写をしている作品がある。ヴィスコンテ監督の『ルートヴィッヒ、神々の黄昏れ』。ババリア国王ルートヴィッヒの歯がボロボロだった。ときどき歯痛に顔をしかめる。これについて映画は何の説明もしはしないが、宮廷の食事が美食と、当時はまだ庶民には手のとどかなかったお菓子がルートヴィッヒの虫歯をつくりだしたのである。 近年の作品に目を向けると、「マリー・アントワネット」(2006年、監督・ソフィア・コッポラ)の中のお菓子を思い出す。現在のフランス菓子のルーツとも言うべき美々しきお菓子の山。・・・王妃マリー・アントワネットに臣下が、「国民にはパンがありません」と進言すると、「それではお菓子を食べるといいわ」と言ったとか言わなかったとか。歴史的には1789年10月5日、サン・タントワーヌの6,000人の主婦たちが市庁舎前に結集し、パンと小麦をよこせと叫びながらパリへ行進した。当時、小麦とパン焼窯の権利は教会が握っていて、庶民は自宅でパンを焼くことができず、教会にそのつど金を払って焼いてもらうほか日々のパンを得ることができなかったのだ。 ところで視点は変わるが、「ジュリー&ジュリア」で、私が「アッ」と記憶にとどめたシーンがある。パリの有名な古書店「シェイクスピア・カンパニー」の店先がミドル・ショットでほんの1.5秒ほど映されたのだ。みなさんお気づきになりましたか。 この短いワン・カット、ジュリアが退屈しのぎにパリの街を歩くという意味付けながら、じつはこの後につづく夫ポールが妻に「ラルース料理百科事典」(プロスペル・モンタニェ著、Larousse Gastronomique)を贈る、その伏線とも考えられる。ミドル・ショットで撮ったのは、店の入口上部に掲げられた「シェイクスピア・カンパニー」という看板を入れるためであったろう。
Feb 2, 2013
コメント(0)
全19件 (19件中 1-19件目)
1
![]()

