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午後から雨になった。今夜遅くには雪になると予報が出ている。また雪か、という思いだ。我家は山の上にある。雪になると坂道の凍結がやっかいなのだ。
昨夕、合唱団「かしの木」のチャリティー・コンサートの事前連絡で、ステージ衣装について、もし雪の場合は前もって着てこないようにと注意があった。靴を持ち、衣装バッグを持ちでは大変だ。2月24日はお客さんのためにも雪や雨にならないことを願うばかり。
閑話休題。
CNNのウェブ・ニュースを見ていて、懐かしく思い出したことがある。イギリスの車、ランドローバー・ディフェンダーが 製造を止め、 60年以上の歴史に幕を降ろすのだという。
懐かしいと言ったのは、私が子どもの頃----亡父が福島県南会津の住友金属八総鉱山に赴任した昭和28,9年頃だが----父の会社の車がランドローバー・ディフェンダーだった。
昭和30年前後の当時、都会はともかくも、地方には車もほとんど無く、福島県随一の銅鉱山だった父の会社でさへ、所有する車はそのランドローバーと、私たちが乗るスクールバスと、子ども達の間で戦車を改造したものだと言っていたブルドーザーくらいだった。鉱石や資材運搬の数多のトラックは、八総鉱山と四国の四坂島製錬所との間を、ひっきりなしに往来していたが、それらは契約運送会社の車だったはずだ。ほかには、配給所と呼んでいた現在のスーパーマーケットに当たる店にオート三輪車があった。スクールバスを運転していたのはタモツさん。店のオート三輪は同級生のカツミさんのお兄さんヒロシさんが運転していた。
ランドローバー・ディフェンダーの製造の歴史からみて、父の会社では発売早々に購入したと思われる。まるで軍用車輌のような四角いイメージの車だが、当時、男の子のなかには一種憧れの気持で「ランドローバー」と口にした。
私は中学1年の入学時に両親家族の元を離れたのだけれど、あるとき父が出張で私がいる会津若松市にやってきた。私が父の投宿した「つるや旅館」を訪ね案内を請うと、帳場と仲居さんの話が洩れ聞えた。「ランドローバーの息子さんがおいでになった」と言っているのである。その言葉をどういう感情で受け止めたかは忘れたが、言葉だけはいまだに記憶している。
また、当時小学1年生だった末弟が、腕を複雑骨折する大けがをしたとき、病院に運んだのはそのランドローバーだったと後に聞いた。
どうでもいいような事を記憶していて、ランドローバー・ディフェンダー製造中止の報道を読んで、60年前のことを思い出したのである。
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