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Tadami Yamada "Book caver illustration of DER FÜNFTE OKTOBER by Georg Heym, 1913"
Published by Bunrinshoin Co., 1974. Woodcut.
(下の画像は、本のできあがりを想定して厚紙にグァッシュで描き、形にした実物大ダミー。これを出版社と大学側とで検討した。一般会社の幹部等との広告デザインや装丁検討会議では、ダミーによるプレゼンテーションが有効であることを、私は装丁家の栃折久美子氏に教わった。栃折氏に実習講義してもらえたことはありがたかった。1969年だったと記憶している。まだパーソナル・コンピューターがなかった時代ある。上掲の本番用の木版画はこのダミーどおりにほぼそのまま彫った。)

この本は、或る大学のドイツ語履修学生の副読本として、オリジナルのドイツ語で出版された。
文林書院は、各大学使用の語学副読本と英語の一般教本を専門に出版していたが、すでに存在しない。個人的な思い出を述べれば、ドイツ語担当編集者・高田氏とは3冊の大学用副読本を作った。
また、フランス語担当の浅沼氏とは1973年1月に生田耕作先生の講義用の本を作ったが、これが文林書院での私の最初の仕事だった。前年の1972年、シュルレアリストのピエールマビーユ "LE MERVEILLEUX (驚異)"のためのイメージ・デッサンをペンとインクで描き、それを浅沼氏は関西在住の生田耕作先生に送っていた。当時、生田先生は二つの大学で講義を持たれていた。そのうちの一校で私のイメージがエロチックだということで拒否された。単純な線で描いたいわば抽象的なものだったが、生田先生はその絵を所蔵したいとおっしゃられた。私は第二案を描いてそれが両校で採択されたという経緯があった。
文林書院が私に依頼した最後の仕事は、英語の一般教本の広告パンフレット製作だった。その表紙デザインのために私はいくつかの箱のオブジェを作り、広告写真家に依頼してスタジオ撮影した。
文林書院が発展的に行人社に社名変更してから、浅沼氏は国学院大学教授で小説家の花輪莞爾先生と私を結びつけてくれた。そして行人社で花輪氏の短編小説集『悪夢名画劇場 I, II』を作った。お二人が我が茅屋を訪ねて来られた日を懐かしく思い出す。高田さんと、ある日、山手線の電車の中でバッタリ出会ったことも思い出す。みなさん故人となられた。
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