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YouTube に「積読チャンネル」というサイトがあって、面白本の紹介をするのですが、ここが拙著を取り上げてくれました~!これこれ! ↓積読チャンネル ここは長野に本拠を置くバリューブックスというところが運営していて、本好きの間では結構有名。だから、ここで紹介されると、売り上げにつながるのよね~。ありがたや~。 まあ、でも、アレだよね。本が売れない、本が読まれない時代ではあっても、潜在的な読者というのはいて、その人たちに向けて、洪水のように押し寄せる新刊本の中から読むべき本を示唆してあげる、というサイトは、需要があるんですな。少数ながら、「本のソムリエ」的な人もいるからねえ。 でも、大手新聞で書評コーナーを担当している人たちと、積読チャンネル的なところで本を紹介している人たちって、種類が全然違う感じがする。 大手で書評している方々は、いたずらに盛名があるけれど、その人たちが選ぶ本って、普通の人が読むような本じゃない気がするのよね。ご自分は面白く読んだのかもしれないけれど、一般の人からしたら、何それ?っていうものばっかり書評対象としているもんね。 新聞って、それでいいのかね。だから、読まれなくなるんじゃないの? この辺の話になってくると、今、世間で取り沙汰されている「オールドメディアとSNS、どっちがフェイク?」という話につながってきそうだよね! まあ、書評に関して言えば、わたしゃ、SNSの方を信じたくなるね。わたしの本を取り上げてくれるんだから!
November 26, 2024
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週末、豊田スタジアムで開催された「ラリージャパン」を観戦してきました。 F1ファンではあるものの、WRCにはあまり詳しくないワタクシ。それでも昔はWRCのレースのダイジェストをテレビで放送していたこともありましたから、有名選手の名前くらいは知っていた。コリン・マクレーとか、トミ・マキネンとか、カルロス・サインツとか、セバスチャン・ローブとか。オリオールとかね。 だから、八光流の道場で兄弟弟子のOさんから、「釈迦楽さん、WRCのチケットあるんだけど、いる?」と言われた時にはビックリ。そんなラッキーなことってあるの? で、ご厚意に甘えてチケットをもらってしまったワタクシ。週末に家内と見に行きましたよ! 場所は豊田にある豊田スタジアムの特設会場。会場内に作られたコースを、2台のWRCマシンが、とんでもない音量の咆哮をたてながら、驚異的なテクニックで狭いコースを疾走するというね。 昔はラリーといえば、トヨタだけでなく、スバルも三菱もフォードも強かったけれど、今は韓国のヒョンデが強いのね。 で、3日間で行われた日本でのレースでは、そのヒョンデとトヨタの一騎打ちみたいな感じになっていて、いい勝負でした。 ラリーのいいところは、F1と違い、レースに用いる車両が、基本的に市販されているクルマであること。もちろん、クルマの中身であるエンジンやら何やらは全然別物ですが、形としては、たとえばトヨタの場合だと、ヤリスがベースになっている。だから、町で見かけるヤリスが、トンデモないスピードでコースを疾走するわけで、それはそれで面白い。 普段、ヤリスなんて興味のないクルマですが、こうしてWRCで活躍しているのを見ると、結構、カッコイイなと思えてくるんですよね。「GRヤリス」とか、ひょっとして乗ったら面白いのかも。 でまた、会場のあちこちにあるフードトラックもレースの楽しみのひとつ。我々は、トルコ料理のフードトラックでケバブサンドとフライドポテトをゲットして食べたのですけど、これが結構美味しかった。特にフライドポテトは独特の食感で、他では食べたことがないような感じ。これをつまみながらレースを観戦するのですから、楽しい、楽しい! ということで、兄弟弟子のOさんのお陰で、思わず楽しい週末となったのでした。ラリー、最高!
November 25, 2024
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年度内に出る2冊の新著の校正が重なってしまって、もうてんやわんやよ。 ま、それはいいのだけど、校正作業をしているうちに、一つ、非常に納得のいかないことがありまして。 私が書いた文章の中に、「断トツのNo.1」という表現があったのよ。そうしたら、出版社の校正さんからご指摘をいただいた。この表現は、日本語として正しくないと。 ん? 「断トツのNo.1」って、言わないか? これ、おかしい? 校正さん曰く、「断トツ」とは「断然トップ」の略語であると。そうなると、「トップ」と「No.1」が意味的に重なるから、日本語としておかしいと。 ん? 「断トツ」って、「断然トップ」の略なの? 「トップ」を「トツ」と略したっていうの?? そんなことねーだろ! 「断トツ」は「断然突出した」の略だろ? 「断突」だろ? 「断然突出したNo.1」というのは、「2位を大きく引き離した上でのNo.1」という意味なんだから、問題なかろうが。 と思って辞書を引いたら、「断トツは断然トップの略」と書いてありました(『広辞苑』『新明解』)。 そうなのか? っていうか、誰がそれを決めたのさ。そう決めた辞書の編纂者の感覚がおかしいだろ? じゃあ何かい? 「ランチセット」は「ランセツ」と略すのか? 「トップバッター」は「トツバツ」と略すのか? 「バックアップ」は「バツアツ」か? 納得できん。本当に「断トツ」は「断然トップ」の略なのか。それを誰が言い出したのか。最初の用例は何か。 誰か、真相をご存じの方、ご教示ください。
November 24, 2024
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半分仕事、半分趣味で常盤新平さんの著作を次々読破しているのですが、今週は『おとなの流儀』と『小さなアメリカ』という本を読了しました。ので、心覚えをつけておきます。 まずは『おとなの流儀』。これこれ! ↓【中古】 おとなの流儀 / 常盤 新平 / マガジンハウス [単行本]【宅配便出荷】 この本は、先週読んだ『威張ってはいかんよ』の前編で、常盤さんの日常をもとにしたエッセイ集でございます。ただ、漠然と日常のよしなしごとを切り取ったものではなく、タイトルが『おとなの流儀』であることからも窺えるように、「『おとな』たるもの、このぐらいのエチケットというか、気構えで日々過ごして欲しい」という、常盤さんなりのダンディズムを披露した本ですな。 たとえば大人の服装について語ったエッセイでは、「服を買う時は、その前に自分の裸体をつくづくと眺めてみろ」とか、「集金能力のある服を着ろ」とかね。あるいは「結婚式などでスピーチを頼まれたら、30秒以内にまとめろ」とか。公共の乗り物に乗る時は、足を広げて二人分の座席を占有するような馬鹿な真似はせず、身体を小さくして座れとか。大人のホテルの活用の仕方とか。香典はいくらくらい包むべきか、とか。 また常盤さんがお好きな作家、たとえば山口瞳とか、藤沢周平の作品世界を讃えた後、そこから常盤さんが学んだことを披歴したりもする。藤沢周平の作品の登場人物が「市塵に生きる」ということを実践し、ある意味藤沢周平自身もそうなんだけど、自分も市塵に生きるという心構えで生きていきたいなあ、なんてことが書いてあったりもする。「市塵」というのは、要するに目立たない隅っこ、という意味ね。人の中にあって、しかし、その表舞台ではなく隅っこの方でつつましく生きる、そういうのが望ましいと。 このあたりは、いかにも常盤さんの趣味というか、常盤さんの世界観っていう感じがしますね。常盤さんの本のタイトルにも「片隅」という言葉がよく使われているし。『東京の片隅』とか、『片隅の人たち』とかね。 ところで、『大人の流儀』みたいな感じのエッセイって、昔からあるような気がするけれど、どの辺から発生したもんなんでしょうね。 常盤さんは、山口瞳の弟子という自覚があるから、山口瞳の『男性自身』シリーズを手本にしているのかもしれないし、あるいは常盤さんは池波正太郎も好きで、池波さんもこの種のエッセイを書いているから、源流はその辺かもしれない。 でまた、この系譜をたどると、開高健とか、伊集院静とか、その辺の名前も浮かんでくる。 しかし、山口瞳、開高健、伊集院静と並べると、ひとりでに「サントリー」という言葉も浮かんでくるよね! あ、わかった。常盤新平は「サントリー系エッセイスト」だったんだ。常盤さん自身がサントリーの広告と関わったかどうかは知らないけど。でも、とにかく常盤さんは、サントリー系エッセイストと同じ匂いがすると言ったら、結構当たっているんじゃないでしょうか。要するに、「男の美学」を前提にして軟弱な世相を切る、いかにも男臭いエッセイを書く人、というね。 そういう意味で、常盤さんのエッセイは、男性には受けると思う。だけど、どうかな。女性には受けないのかもね。 さて、一方の『小さなアメリカ』にも寸評を入れておきましょう。これこれ! ↓【中古】 小さなアメリカ / 常盤 新平 / PHP研究所 [単行本]【メール便送料無料】 これは、常盤新平エッセイの一つの柱でもある、「アメリカもの」の一冊で、アメリカの街(主にニューヨーク)に行ってみて、あるいはアメリカの雑誌を読んでみて、常盤さんの心にひっかかった小さな話題を取り上げて紹介する、という趣旨のエッセイ集。 ニューヨークの有名な葬儀社の話とか、ニューヨークでホームレスがどんな暮らしをしているかとか、一流モデルの生活ぶりとか、「死亡記事」専門の記者というのがアメリカにいた、とか、ニューヨークで旨いビールが飲みたかったらどの店に行けとか、まだ不動産王に過ぎなかったトランプ氏の動向とか、アメリカの有名な評論家であるメンケンの長大な日記が出版されることになった、とか、最近ニューヨークのモデルの間では、足首に小さな入れ墨を入れるのが流行っているらしい、とか。 要するに、アメリカの雑誌のゴシップ面に載っているような話題を取り上げて紹介するような感じのもの。悪く言えば「受け売りエッセイ」ですな。 だから、そういうことに興味がある向きには面白いけれども、興味がなかったら全然響かない。 常盤さんは、この種の「受け売りアメリカエッセイ」をたーくさん出しておられるのですけれども、こういうのって、同時代性が重要なので、時間が経ってしまうと、どうなのかなと。この本は1991年の出版だけど、30年以上前のニューヨークの街を言葉でスケッチしてあるとはいえ、そのスケッチもすでにセピア色になっているわけだからなあ・・・。 でも逆に言うと、この本が出版された1990年代初頭には、まだアメリカの街のゴシップに興味がある日本人がそれなりに居た、ということでもありましょう。隔世の感がありますな。 常盤さんのアメリカ受け売りエッセイを、じゃあ、今、どう評価すればいいのか? ちょっと悩みますね・・・。 というわけで、評価のことはさておき、「サントリー系エッセイスト」と「アメリカ受け売りエッセイスト」という二つの側面を見た、今週の常盤新平読書だったのでした。
November 23, 2024
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北の富士さん、亡くなりましたね。享年82。このところ、ずっとNHKの相撲解説をお休みだったので、体調が悪いのかしらと心配していましたが、やっぱりこういうことになってしまいました。 北の富士さんの現役時代、覚えていますよ。私の子供の頃、「大相撲というのは、最終的に大鵬が優勝するのがルールなんだ」と誤解するほどの大鵬全盛時代でしたけれど、北の富士さんはその大横綱・大鵬の次を担う横綱でしたからねえ。相撲人形のようなキリリとしたお顔立ちでね。北の富士の必殺技をあまり覚えていないところからすると、オールラウンダーの「受けて立つ」横綱タイプだったのでありましょう。 しかし、私にとって印象深いのは、現役時代の北の富士というよりは、九重親方として横綱・千代の富士を育てたということ。なにせ私は、千代の富士の大ファンでしたから。 北の富士さんってのは、傍目で見てもプレイボーイ・タイプで、いかにも遊んでそうだなあ、という感じがしましたが、あの遊び人のイナセな感じがあったからこそ、千代の富士を育てられたのだろうと思っております。小兵の身体で横綱に昇進し、長くその座を保てるのか、千代の富士本人ですら心配していた中、北の富士さんは「やってみて、ダメだったらさっさと引退すりゃあいい」と千代の富士にアドバイスしたそうですけど、そういう、ちょっといいかげんな、真面目一辺倒ではない師匠像というのが、千代の富士には良かったのだろうと。 また理事選に敗れるとあっさり相撲協会から飛び出し、NHKの解説者に転身してしまったところも、いかにも北の富士さんらしいところ。二人の横綱を育てて相撲協会に貢献したのに、理事に選ばれない。そういう相撲協会のドロドロした力関係に見切りをつけ、「オレは知らんよ」とばかり自由の身になってしまうなんて、カッコいいですよね。 でまた、北の富士さんには遊び人ならではの、仁義に堅いところがあって、ライバルで親友の玉の海さんが虫垂炎で巡業を続けられなくなった時、急遽、玉の海さんの代役を務め、北の富士本来の雲竜型ではなく、玉の海さんの不知火型の土俵入りを披露した、とか。あるいはまた玉の海さんが亡くなった時、人目も構わず号泣して周囲を驚かせたとか、人間味あふれるエピソードにも事欠かない。特に「北の富士、不知火型土俵入り」なんてのは、講談の一席になってもおかしくない。 優勝回数も二けた10回を記録し、親方としても千代の富士・北勝海を育て、まあ、申し分のない実績。昭和の一時代を築いた大横綱の一人と言っていい。そんな北の富士さんのご冥福をお祈りしたいと思います。今頃は向こうで、先に行った千代の富士に迎えられて、駆け付け一杯のお酒でもたしなんでいらっしゃることでありましょう。ティアドロップ型のサングラスをかけて、ね。
November 22, 2024
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今日は勤務先大学で避難訓練がありまして。毎年この時期、この曜日、この時限にやるんですよね。 だから、この日のこの時間は、授業を途中でカットしなくちゃいけないの。予定時間になったら地震が発生した体で、学生をつれてあらかじめ設定された避難場所まで避難しなくちゃいけない。 馬鹿馬鹿しいよね! ちなみに、慶應義塾大学には「ウェーランド講義記念日」と称するものがあります。たしか5月15日だったと思いますが。 その昔、福沢諭吉先生が慶應義塾を作った頃、戊辰戦争がありましてね。官軍と彰義隊との間で戦闘が行われた。要するに内戦ですわ。シビル・ウォー。 で、その戦火が慶應義塾にも迫るのですが、大砲の鳴り響く中、福沢諭吉先生は少しもたじろがず、ウェーランドという人の書いた経済書を元に、いつも通りに授業を続けられた。 そのことをもって、福沢先生は、塾生たちに範を示されたわけですよ。学問をする者は、世相がどうあれ、たゆむことなく学問を続けよと。だから、慶應義塾では今でもこの日を記念して学術講演会的なものを開催している。 老生思うに、大学のあるべき姿ってのは、こういうものなんじゃないの? 国立大学で避難訓練をやるのは、おそらく、文科省から言われてやるのでしょう。だから、大学当局に「そんなものやるな」と言っても仕方がない。 でもさ、大学ってところは、戦争だろうと地震だろうと火事だろうと、火急の際に少しも慌てず騒がず学問をし続けるというところに意味があるんじゃないの? それは結局、胆力の問題ですよ。肝がすわっているかどうか。肝がすわっていれば、本当にいざという時に落ち着いて行動ができる。 だからね、世間一般の避難訓練と同じように「わー、サイレンだ~! 地震だ~」などとキャーキャー言いながら、お遊び気分で避難場所に避難するなんてのではなくて、むしろ激しくサイレンが鳴動する中、教授は淡々と授業を続け、学生は淡々とノートを取り続けるというのが、大学における避難訓練なんじゃないのかしらねえ。 まあ、こんなこと書いたって、誰の共感も得られないんだろうな。 老教授の独り言と思って、スルーしてください。
November 21, 2024
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飛行機の中というのは案外、読書が捗るところでありまして、まあ、狭い場所に長時間閉じ込められるという状況が読書には持ってこいなんでしょうけれども、私は海外出張の時は大概、空港内の書店でペーパーバック本を買って機内で読む、ということを習慣づけております。 で、今回、ハワイからの帰国便の中で読んでいたのがスティーブン・キングの『If It Bleeds』という中編集。これこれ! ↓If It Bleeds: Mr. Harrigan's Phone, the Life of Chuck, If It Bleeds, Rat IF IT BLEEDS [ Stephen King ] スティーブン・キングのことにさほど詳しいわけではないのですが、読んでみると手練れの書いたものというのか、やっぱり読ませるのよね。ホントに上手に読者を作品世界の中に引き入れてしまう、っていう感じ。私も引き入れられてしまった・・・。 で、それはいいのですが、この小説集を読んでいると、使われている英語の構文が、私が『裏ワザ流英語術』という本の中で主張している構文ばっかりなのよ。まるでスティーブン・キング御大が、「そうそう、釈迦楽先生の言う通りだよ。英語っていうのは、こうやって書いたり話したりするんだよ」と、私の主張を裏書きしてくれているよう。 『裏ワザ流』の本、英語教則本の傑作だと自負しているんですけど、その割には売れていない。英語教育系の人たちから完全に無視されているからね。 だけど、実際にスティーブン・キングを読んでごらんなさいよ。キング自身が「裏ワザ流」で小説を書いているとしか思えないよ。ウソだと思ったら、キングの本と『裏ワザ流』の本、両方買って比べてご覧なさいな。私の本がいかに英語の本質を突いているか、分かるから。これこれ! ↓基本12動詞で何でも言える裏ワザ流英語術 [ 尾崎俊介 ] 英語を勉強したいと思っている人は、世にゴマンとある英語教則本なんか全部投げ捨てて、とりあえずこの本を読んでごらんなさいな。目からウロコ状態になること、間違いなしよ。
November 20, 2024
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そうか、谷川俊太郎さん、亡くなったのか。享年92。10月に亡くなった私の母と同い年だったわけだ。 谷川さんというと、何ですかね。『二十億光年の孤独』? いやいや、私にとっては『ピーナツ』の翻訳、かな。 自慢ですが、私は谷川さんの『ピーナツ』ものの翻訳の、いわば最初期の読者なのよ。 というのは、谷川さんの息子さんが、私の父の教え子だったから。その息子さんが、父のところに、谷川さんの訳されたスヌーピーの漫画を持ってきて、「今度、親父がこういうものを翻訳したんです」と紹介したわけ。で、それを家に持ち帰った父は、今度こういうのが出たらしいけど、お前、読むか?と、私にくれた。だから、出版されたばかりのスヌーピー漫画を、私はその本が市場に出回るよりも早く手にしたと。 だけど、それは日本の漫画とは全然違う。オチもあるんだかないんだかわからないようなところから、チャーリー・ブラウンがため息をついて終わるという。日本の『サザエさん』のような分かりやすい笑いではない。あー、これは理解するのは難しいだろうなと、子供心に思いました。 だけど、スヌーピーの可愛さは、理解しやすいだろうなと。初期のスヌーピーは、もっと犬っぽかったしね。 だから、私はスヌーピーの絵を真似して描いて、同級生たちにみせびらかしたわけよ。美術の時間には、スヌーピーの塑像を作ったりして。とにかく、スヌーピーの宣伝部長みたいな感じで、同級生たちにこの犬を売り込んだわけ。 当時、私は自分でも動物を主人公にした自作の漫画を描き、雑誌のようにしてクラスに回覧したりしていましたから、同級生たちは「スヌーピー」もまた、私が考えた新キャラなんだろうと誤解し、大人気になってしまった。私も、敢えて「これは僕じゃなくて、チャールズ・M・シュルツという人が作ったキャラだよ」なんて、訂正しませんでしたからね。 だからね、スヌーピーが日本で人気になったのは、私のおかげなの。(ホントに?!) さて、そんな戯言はともかく、谷川俊太郎ですよ。 彼は「日本で唯一、詩で食っていける詩人」と考えられてきたわけですけれども、私の感覚はちょっと違う。私はね、あの人は詩人というよりは、非常に優秀なコピーライターだったと思っているの。 その意味で言うと、谷川俊太郎の直接の後継者は、糸井重里だと。言葉のセンスにしても、企画力にしても、すごく似ている。『ピーナツ』の日本への紹介だって、あれは企画力だからね。 ま、私の谷川俊太郎観に、どれだけの人が賛同してくれるかは分からないし、私にとっても誰にとってもどうでもいいことだけれども、まあ、とにかく、スヌーピーを介して、私と谷川さんが一瞬、交差したということだけが、楽しい思い出として残っております。 そういうものとして、谷川俊太郎さんのご冥福をお祈りしたいと思います。合掌。
November 19, 2024
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ハワイは物価が高かったので、日本に帰ってきてから、「モノが安いな~」という感慨にふけっております。 朝マックでソーセージ・エッグ・マフィンとか頼んで、「320円です」なんて言われると、「2ドルか・・・」なんてね。ハワイのフードコートでハンバーガー食べて、18ドルくらいしたもんなあ。18ドルって、2700円じゃん。 日本の物価は安いわ~。とってもいいわ~。 まあ、安い安いって、なんでもかんでも買っていたら、無駄遣いになっちゃうんですけど、それにしても今の日本の物価が安いというのは確かですな。インバウンドで日本に来る外国人たちが驚くわけだ。納得。 それはともかく。 今、清水達夫さんの書かれた『二人で一人の物語』(出版ニュース社)という本を読んでいるのですけど、これがすごく面白い。 常盤新平さんの書いた本の中で、この本に言及している箇所があって、常盤さんがすごく褒めていたのよ。で、「ン? その本なら積読でどこかにあるはずだよな」と思って、大学の研究室を探したら出てきた。で、読み始めたら面白くて止まらなくなっちゃった。 これ、平凡出版(後のマガジンハウス)を設立した岩堀喜之助のことを、設立メンバーだった清水さんが回顧した本で、いわば岩堀さんの伝記でもあり、平凡出版/マガジンハウスの社史でもあるんですけど、何が面白いって、岩堀喜之助という人物の魅力に尽きる。まあ、エネルギッシュであり、かつ、人情家で、魅力的な人なのよ。そういう稀有な人物についての本だもので、面白くて仕方がない。 まあ、これも、常盤さんの本を読まなかったら積読のままだったかもしれないので、常盤さまさまですな。 でも、この調子で行くと、常盤さんと縁のあった人たちの本を片端から読まなきゃいけなくなってくるので、ますますドツボにはまっていくなあ。大変な宿題を背負ってしまったのかもね。
November 18, 2024
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常盤新平さんの書かれた『窓の向うのアメリカ』(恒文社)というエッセイ集を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 昨日ご紹介した本と同様、これも常盤さんがあちこちの媒体に書かれた短めのエッセイを編んだものでありまして、内容は様々。だけど、常盤さんがアメリカ(特にニューヨーク)に行った時の話が随所に出てきて、それでこういうタイトルになっているのでありましょう。 結局、常盤さんは翻訳家であり、その関係でアメリカをよく訪問される。で、向こうに行けば、向こうのバーで飲んだり、レストランに入ったり、古本屋に行ったりするわけで、そういう「海の向こうネタ」がいくらでも書ける。そういうところが、常盤さんのエッセイストとしての強みなんでしょうな。 それで、そういう常盤さんの「海の向こうネタ」を読んでいて気が付くのだけれど、常盤さんには自分が「おのぼりさん」であるという意識が非常に強い。 たとえばニューヨークのセントラルパークを闊歩する気分を描いたエッセイの中にこんな一節が出て来る。 日曜日の朝は天気がいいと、セントラル・パークを歩き、草花や木々を見てまわり、のどが渇くと、紙袋に入れてきた缶ビールを飲んだ。この公園の雪景色もいい。寒いけれど、ポケット・フラスクに入れたブランデーで体をあたためながら、日に輝く雪野原を見ていると、時間を忘れる。おのぼりさんが味わう緊張もほぐれてくる。 ニューヨークではおのぼりさんを決め込む。そうすれば、目にうつるものが何もかも新鮮である。(9-10) ね。で、その「おのぼりさん」であることを、プラスに捉えているところが、常盤さん独特のところなのよ。おのぼりさんであるからこそ、異邦人であるからこそ、見えるものがあると。 また常盤さんは、生まれてすぐに宮城県に移られ、高校時代までそこにいたので、東北人と言っていい。そんな常盤さんにとっては、東京に暮らしていること自体、おのぼりさんなわけですよ。だから、ニューヨークでなくても、銀座でも、やはり常盤さんはおのぼりさんの目で周囲を見渡している。たとえばこんな風に。 朝の銀座を歩いてみた。平日の午前八時ごろ、ホテルの部屋を出て、朝めしを食べに出かけたのだ。(中略) 地下鉄の出口からは出勤を急ぐ人たちが色とりどりの煙のように吐き出されてくる。彼らにまじって歩いていると旅行者になったような気がした。それも、おのぼりさんだ。(154-155) 常盤さんは、このエッセイ集の中でもやたらに喫茶店に行ったり、定食屋みたいなところに入ったり、バーに入ったりして、そこでの経験を筆にしているんだけど、結局それって、常盤さんの中で消えることのない「おのぼりさん意識」のなせる業なのかもね。定住しているのに、常に旅行先にいるみたいな感覚があるというか。今時の言葉を使えば、彼は永遠のフラヌールなんでしょうな。 あ、あとね、このエッセイ集では、山口瞳さんのことがよく出て来る。常盤さんは山口瞳に私淑していて、その信奉者というか、「最後の山口組組員」みたいに思っているらしい。 で、なるほど、そうなのかと思っていたんですけど、山口瞳と常盤さんって、そんなに歳が離れているわけではないのよね。山口瞳の方が5歳くらい上なのかな? 私淑の度合いからして、少なくとも30歳くらい離れているのかと思ったら、さにあらずよ。 で、もう一つ「へえ・・・」と思ったのは、常盤さんが一度離婚して、別な人と再婚していること。それも、なんか、まだ結婚している時に別な女に子どもを産ませちゃって、みたいなことだったらしい。それで、山口瞳のところに夫婦して相談しにいって、みたいなエッセイがあるんだけど、そんなことまで書いちゃうものですかね。 案外、無頼っていう。火宅の人だったのね、常盤さんって。そんな風には見えないけど。 ということで、仕事で常盤さんの本を次々読んでいって、へえ!と思うことが多いです。やっぱり、色々読まないとダメですな。
November 17, 2024
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常盤新平さんのエッセイ集『威張ってはいかんよ』を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。これこれ! ↓【中古】 威張ってはいかんよ 新・おとなの流儀 / 常盤 新平 / マガジンハウス [単行本]【メール便送料無料】【最短翌日配達対応】 ちなみに、これ、仕事がらみなもんで、今後、ちょくちょく常盤さんの本の話がこのブログでも出て来ると思います。ま、もちろん、仕事がらみとはいいながら、常盤さんの本が好きで読んでいるので、趣味と実益みたいなもんです。 それはともかく。 『威張ってはいかんよ』ですが、これは常盤さんが『ダ・カーポ』をはじめ、色々な雑誌に書いたエッセイを寄せ集めたもの。常盤さんの日常生活の中で感じられたあれやこれについて、徒然なるままに思いを述べているだけで、特に心に引っかかってくるようなものではなかったかな・・・。 ・・・などと思いながら読んでいたのですが、本書の掉尾を飾る「忘れがたい人たち」と題された3つのエッセイは迫力がありました。この3つのエッセイを読むだけでも、この本を買う価値はあります。 特に印象的だったのは、「JJ氏」こと植草甚一さんについて書かれたもの。意外なことに、この一文の中で、常盤さんは植草甚一を痛烈に批判しているの。 私なんか、ある意味、植草甚一世代ですから、植草さんの書いた一連のエッセイには随分影響を受けたものですが、それを常盤さんは、インチキと切り棄てる。一刀両断。 いやあ、植草さんのエッセイをこれほどまで腐す文章って、読んだことがなかったかも。ちょっとビックリ。 アメリカの小説を翻訳したり紹介したりする、という意味では、植草甚一は常盤さんの先輩格に当たる。だから当初、常盤さんも植草さんのことを仰ぎ見るようなところがあったらしいんですな。 そんなある時、常盤さんは、アメリカ文学者の亀井俊介先生と植草さんと三人で鼎談をすることになる。 ところがね、この時、初めて生身の植草甚一に接した常盤さんは、鼎談といいながら一方的に自分のしゃべりたいことだけしゃべりまくる植草氏に辟易する。 しかも、この時既に常盤さんは、植草氏に対して、いささか否定的な思いを既に抱いていたと。 植草さんは、確かにアメリカの作家や小説や流行についていち早く情報をキャッチし、それを紹介しているし、尋常ではないほどの勢いでアメリカの小説を買いまくり、1冊50分ほどで片端から読み漁っているという伝説も作っていた。 ところが、植草氏が紹介している小説や作家について、常盤さんが後追いで読んでみると、どうも植草さんの言っていることがおかしいことがよくあると。 つまり、植草さんというのは、買った本をちゃんと読んでないらしいんですな。最初の1,2ページを読み、解説や書評を読み、それで読んだ気になって紹介していると。だから、植草さんの紹介文には間違いが沢山ある。それを発見して、常盤さんは、「アレ? このじじい、インチキくさいぞ」と思い始めるわけ。 確かに植草氏の小説評というのは、「いいなあ」とか「おもしろいなあ」だけで、具体的なことはあまり書いてない。だけど、伝説の人だから、その「いいなあ」「おもしろいなあ」には深い意味があるのだろうと、ファンは思っちゃうわけね。そうしたからくりを、常盤さんは見抜いちゃったと。 その辺、常盤さん自身の文章を引用してみましょう。 植草甚一という人は何かに惚れこむということがあったのかと思うことがある。これだけは一生好きなものというものがあったのか。アルフレッド・ヒッチコックやモダン・ジャズがそうだったのか。植草甚一の芯になるようなもの、核になるようなものが一体あったのか。ひょっとすると、植草さんは散歩と雑学の人にすぎなかったのではないか。このような疑問は、植草甚一の場合、野暮というものだろう。植草さんはしばしば、「とても感心した」とか、「読みながら二重の驚きを味わった」とか、「いい気持ちになったから」とかと書きつける。しかし、どうして感心したのか、二重の驚きを味わったのか、いい気持ちになったのか、こちらにはさっぱり伝わってこなかった。植草さん一人が感心したり、いい気持ちになっているように見えたものだ。これは一人よがりではないか。ごまかされないぞと私には警戒する気持ちがあった。 そういう感想と、明らかに本のジャケットの解説か書評の翻訳と思われる文章がつなぎあわされていたから、その違和感が私のなかに不信感を生んだにちがいない。そのうえ、植草さんのエッセーは、相手が読もうが読むまいが、知りませんよといったスタイルである。一人で悦に入っているような文章である。自分一人わかって、自分一人よろこんでいる。それは、遊び相手がいない子供が一人で遊んでいるのと似ていた。(238) で、このような思いから、常盤さんは植草甚一を、「老人の顔をもった少年」と喝破するわけ。 うーーーん! これはスゴイね。これほど植草甚一という人物を丸裸にした文章って、読んだことがないです。 だけど、常盤さんは「だから植草はダメ」と決めつけているわけでもない。 とにかく植草さんは、身銭を切って膨大な本を買った。それは読むというより買うのが好きだったからかもしれないけれども、最晩年に至るまで、本を買うことをやめなかった。このエッセイを書いていた当時、既に60代になっていた常盤さんは、そのことに驚愕するんですな。常盤さん自身、自分の年齢ではもうこれ以上本を買っても読む時間がない、と思っていたのに、植草さんは、そんなことおかまいなく本をむさぼるように買っていた。そしてそういう形でアメリカを語り続けた。それはすごいことであると。 で、最後に常盤さんは、このエッセイをこう締めくくる。 植草さんの文章はだらだらしていると私はさんざん書いてきた。が、ここで訂正すべきだろう。訥々とした文章だったのである。植草さんの語り口はけっしてうまくはない。話があっちへ飛んだり、こっちへ来たりで、まとまりがない。 けれども、植草さんが語ってきたアメリカもまた、まとまりがなかった。植草さんはアメリカを私たちの前に忠実に再現してみせたのである。それを肩ひじ張らずに、ソファにでもゆったりとすわりながら、私たちに語ってくれた。みんなが声高に話すとき、植草さんは昔と変らぬ低い声で話していた。(248) はあ~、なるほどね~。確かにそうだったのかもね。 というわけで、この痛烈な植草甚一批判のエッセイは、同時にまた、植草氏の何たるかを評価した、最善のものだったのではないかと。 これを読んでワタクシは、「常盤新平、おそるべし」の意識を持ちましたねえ。【中古】 威張ってはいかんよ 新・おとなの流儀 / 常盤 新平 / マガジンハウス [単行本]【宅配便出荷】
November 16, 2024
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学期中にハワイに出張なんぞしたものだから、やるべき仕事がたまっちゃって、それを片付けるのに四苦八苦しております。 こういうのを「ツケが回って来た」というのでしょうな。それ以外の表現が思いつかないほど、今の私の追われている状況を的確に言い表しております。 ということで、今日も朝から仕事、仕事、仕事。ようやく一つ片付いたのですが、夕食後は喪中はがきの作成をしなければ。 そんな中、一つ心楽しいニュースが入って来ました。新著のカバーデザインが出たんですわ。 本を出す時はいつもそうですけど、表紙デザインが出ると、おお、いよいよだな、という感じがする。夢であったものが、現実になる瞬間といいましょうか。 でね、これが結構、いいのよ! 今回の本は、純粋にビジネス書として出すので、これまでのワタクシの本とは感じが違う。 違うのだけど、決して無味乾燥ではなく、青系の色の色使いもヴィヴィッドで美しい! なるほど、今回はこういう感じかあ~! っていうね。 編集者の方から、カバーデザインのラフを送っていただいてから、仕事の合間、合間に、ついチラチラ見てしまう。そのたびに、いいね、いいね、なんて自己満足しちゃったりして。 まあ、ツケに追われる身としては、こういう楽しみでもないと、やってられませんわ。 とにかく、モチベーションは上がった。この勢いで、とりあえず片付けなきゃならない仕事を、片端から片付けていくことにしましょうかね。
November 15, 2024
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某所から常盤新平さんについての項目執筆を頼まれまして。 常盤さんというと、アーウィン・ショーの『夏服を着た女たち』の翻訳をはじめ、翻訳家としての顔がまず思い浮かびますが、『遠いアメリカ』で直木賞を獲った小説家でもあり、アメリカ文化をネタにしたエッセイストでもあり、軽妙なコラムニストでもある。 出版された本の数も膨大。でもその割に、文筆家として十分に論じられては来なかったところもある。 だから、そんな常盤さんを、いちどきちんと評価しておくというのは、結構、重要というか、目の付け所がいいのではないかと。 ただ、その評価の大役を、ワタクシがやっていいのか?っていうね。確かに、常盤さんの著作物は結構読んでいる気はするけれど、責任重大すぎますわ。 だけど、頼まれた以上は仕方がない。 ということで、今後しばらく、常盤さんの膨大な著作を片端から読んでいく作業に入ろうかなと。で、早速、家の近所にある市立図書館に行って、4冊ばかり借りて来ちゃった。これを手始めに、どんどん読んでいかないとね。 その結果、常盤さんについてどんなことが言えるようになるのかは、まだ分かりませんが、仕事を引き受けた以上は最善を尽くそうと思います。
November 14, 2024
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ひゃー、ハワイから帰国しました~。 今回は短期出張でしたけれども、それなりに収穫もあり、いい旅となりました。 で、本ブログでは、先に「ハワイの食事は不味い!」という趣旨のことを書いてしまいましたが、その後、結構美味しい店も発見したりして、ハワイの食事に関して若干見直すところがありました。 ということで、ハワイで釈迦楽教授おすすめ!のお店をいくつか紹介して、罪滅ぼしとすることにいたしましょう。〇「マハロハ・バーガー」 ロイヤル・ハワイアン・センター内のフードコートにあるハンバーガー屋さん。ここは旨い。普通のチーズバーガーも美味しいし、半熟卵の載った「ロコモコ・バーガー」もいい。そして何より添えてあるフライドポテトがいい味でね。これをデカいコークと一緒に流し込むと、うーんアメリカン、いや、うーんハワイアンって感じ。〇「Sunny's Local Grind」 ワイキキの西の端にある小さい店だけど、ここのロールサンドは最高! ベーコンや玉ねぎや卵や何やらかにやらを、薄焼きのブリトー生地でラップしたものなんですけど、優しい味で、実に旨い。お店のお姉さんも親切で感じがいい!〇「Eggs'n Things」 言わずと知れたパンケーキの店。私はオムレツと一緒に食べましたが、さすがに旨いもんだねえ。〇「Vavin Coffee Bar」 韓国系?の感じのいいお兄さんが自分でお菓子などを作っているカフェ。上のEggs’n Things のすぐ近くのお店。ここのお菓子は繊細で、甘すぎず、日本人なら誰もが気に入るはず。エクレアも美味しいけど、ピスタチオクリームのかかったクロワッサンが最高。〇マラサダ どこのお店、というわけではないけど、ハワイで人気のマラサダは、意外なほど美味しい。マラサダというのは、要するに丸い揚げパンというか、ドーナツみたいなものですが、風味がいい。日本でも流行らないかしら。〇ビッグアイランド・キャンディーズのクッキー 今やハワイを代表する土産物はマカダミアナッツチョコではなく、クッキー。ホノルル・クッキーも有名だけど、ビッグアイランド・キャンディーズのレモン・クッキーは旨いぞ~。 とまあ、そんな感じ。これからハワイにいらっしゃる方には、是非お試しあれ、と言っておきましょう。
November 13, 2024
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自己啓発思想を研究し始めてから、この思想の中心概念は「自分の選択」であることが分かり、それはそれでいいのですが、それとは別にもう一つ、重要な概念があることに気づくようになりました。 「すべては自分の選択」という生き方は、自分の人生の指針としてはいいのですが、ここには他人との関係が入ってこない。いや、もちろん入ってくるのだけど、自分から見た他人だから、自分にとって重要な他人のことしか入ってこない。 じゃあ、自分にとって重要ではない他人に対してはどういう態度を取ればいいのか。 ここで重要になってくるのが、「親切」という概念なのよね。肉親とか配偶者とか友人以外の他人に対して、親切にせよと。 で、この親切こそが、実質的には世界を救うのよ。 公共的な意味では、この世で最も重要な概念と言ってもいい。 実際、ハワイで外食したり買い物をしたりバスに乗ったりすると、売り子さんや運転手さんに親切な人と親切でない人がいる。親切な人に当たると、本当に気持ちがよく、ハワイが好きになるし、親切でない人に当たると、ハワイが嫌いになる。 もし世界中の人が全員、親切な人になったら、地球はいい場所になるね。 だから、小学生の時とかに、道徳の時間でもいいから、とにかく「人には親切たれ」ということを徹底的に叩き込んだらいいんじゃないかしら。日本のみならず世界中で。これ以上の道徳はないんだから。 で、そういうことに気づきだしたのかどうか、最近、自己啓発本の世界でも「kindness」というのがキーワードになりつつある。今までのキーワードは「mindfulness」だったけど、近いうちに「kindness」あるいは「kindfulness」がキーワードになるかもね。
November 12, 2024
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今日はハワイの話ではなく、お仕事の話。 ハワイ出張の前、いやいや、それよりもっともっと前に、今年度中に出版される予定の本の編集担当の方から、原稿の一部改稿を頼まれまして。 編集者が改稿を要請してくる場合、私はほぼ100%応じます。編集者は一番最初の熱心な読者であって、その読者第1号が原稿に違和感を感じたとなれば、「ゴキブリ理論」じゃないけれど、そこに違和感を抱く読者が何千人もいるというのと同じですからね。 だけど、既にある程度形になっているものを変えるというのは、なかなか難しいことでもあって、場合によってはおいそれと、改稿が進まない時もある。 今回がその例でね。改稿要請があってから、ちょっと間が開いてしまった。その間、改稿に手をつけなかったわけではないのだけど、妙に筆が進まなくて。 で、いわばその原稿を宿題としてハワイまで持ってきてしまったのですが、今日、久しぶりのその原稿の改稿を始めたら、一気に片付いてしまったという。 なんですかね、この急変は? で、考えたんですけど、やはり距離かなと。 時間的な距離が開いたことに加え、日本とハワイの間の距離もある。これだけ距離が開いたことで、なんか、こだわりが消えたというのか、さらっと書き直すことができちゃった。 まあ、いつもこの手が使えるかどうかは自分でも分かりませんが、原稿に行き詰った時には、距離を置く。これも一つのノウハウなのかもしれませんな。
November 11, 2024
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先日、ハワイにあまり惹かれないと書きましたが、なぜかアロハシャツには大いに惹かれてしまう自分がいて、そこが自分でも非常に不思議なところ。 まあ、アロハシャツというものの背後にある歴史に、心惹かれるのでありましょう。 だけど・・・。 アロハシャツって、基本、かなり派手なデザインですからね。自分が着るとなると、全然似合わないわけ。悲しいことに。 だけど、なんとかその中で、自分でも着られそうな地味目なデザインのものを探して、曲がりなりにもハワイに滞在した証としたい。 ということで、ちょこちょことアロハシャツのお店を覗いているのですが、今日、ハワイ大学への道すがらにある「ベイリーズ」なるお店に立ち寄ってみたと。 この店、「世界最大のアロハシャツの店」を豪語するだけあって、品ぞろえがすごい。しかも、ユーズドを格安で売っていたりするので、それを掘り出すのも楽しい! しかもしかも、かつてこの店に「嵐」が訪れ、アロハを買って行ったということで、嵐ファンの間では聖地になっているとのこと。 で、結局、一枚、自分用にいいのを掘り出しましたよ! しかも39ドルで! ということで、ついに念願のアロハシャツをゲットしたワタクシ。明日は日曜日。これを着て、ロコ(地元民)になったつもりで、休日のワイキキを闊歩しましょうかね。
November 10, 2024
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今日、ハワイのセブンイレブンで買ったスパム・オムスビを食べたのだけど、これが信じられないほどまずかった。オムスビがここまでまずくなれるとは。 これまでの60年を超す人生の中で、数限りない数のオムスビを食べてきたと思うけれど、今日食べたオムスビがダントツでまずかった。とにかくコメがまずい。「砂を嚙むような」という言葉がたとえではなく、現実にあるのだというのを思い知りました。 まだハワイ滞在4日目とはいえ、ハワイで食べたもので、美味しかったというものはほとんどないかなあ。一番ましだったものでも、点数をつけたら70点ほど。今日食べたオムスビは、100点満点でマイナス1000点だからね。 しかも値段は一丁前に高いという。 ハワイなんて、日系人が多いし、日本からの観光客も多いはずなのに、どうしてこんな状況が許されているんだろう? ほんと、びっくりよ。 ハワイにはまる人って、多いけれど、ワタクシはハマらないな。 昭和生まれのワタクシにとって、ハワイは夢の島だとばかり思っていたんだけどなあ・・・。
November 9, 2024
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今日は、そもそも今回の旅の大本命、ハワイ大学に行って色々仕事をしてきました。 海外出張で、地元の大学で調査活動をするというのは、外様というか、アウェイでの活動ですから、いつも緊張するもの。 で、今日も武者震いをしながら、初めてハワイ大学(マノア校)の門をくぐったわけですが、さすがに敷地は広い、広い! だけど、何というか、なんかショボいのよね。っていうか、ハワイって、中心地を一歩離れると、なんかすごく寂れた感じがする。ハワイアン・ミュージックも聞こえてこないし、私のような昭和の人間が子供の頃に夢に見たハワイと、現実のハワイって、結構違うのね。 まあ、それはともかく。 調査の方は、結構うまくいきました。ここにしかないであろうマイクロフィルムの資料を入手することもできたし。 それにしてもちょっと驚いたのは、資料の入手の仕方よ。 一昔前、現地調査で資料を入手する場合、その大学のコピーカードを買って、大金をチャージして、後は探し出した資料をひたすらコピーしまくって・・・という作業を繰り返したわけですけれども、最近はそうじゃない。 資料はコピーするのではなく、スキャンするのね。で、それを自分宛てにメールで送る。そういう機械が置いてあるので、気軽にジャンジャン、スキャンできる。紙も使わないので、実質、資料の入手はタダよ。 ひゃーーー。世の中、便利になったものよのう。っていうか、この点では日本の大学なんて、まだまだ遅れてる~! ショボいハワイ大学にも後れを取っているのだから、もう、世界とは太刀打ちできないな。 まあ、とにかく、ちょっとしたカルチャー・ギャップでしたよ。 というわけで、こちらについて3日目にして、なかなかの成果を上げることができ、満足しきりのワタクシなのであります。
November 8, 2024
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ハワイって、毎日青空の島なのかと勝手に思っていましたが、まあ、毎日、雨が降りますわ。 アメリカにおける私のベース基地、ロスアンゼルスは1年のうち、雨が降るのは5日くらいなものですから、雨に対する備えがない。 だけど、ハワイは、雨が降る。着いた日も雨でしたし、今日も雨。いや、ずっと降り続けるのではなく、晴れているかと思うと、いきなり雲が出てきて振り出すの。今日は仕方なく、ABCマートで傘買っちゃったよ。 まあ、それはともかく。 今日は、自己啓発本の市場調査で、ワイキキ周辺の書店巡りをしてきました。まずはホテル近くにあるアラモアナセンター内のバーンズ&ノーブル。自己啓発本コーナーのすべての本をビデオに納めちゃった。と同時に、面白そうなものを片端からチラ読みしていったのですが、最近の傾向の一つが、大人のための自己啓発絵本。 『eat cake for breakfast』なんて本が典型的ですが、左型のページに絵、右のページに1行から数行ほどの文字が書いてある、というような本。こういうのが結構沢山出ている。お手軽だねえ。でも、こういうシンプルで簡単な本が売れるのかもね。 さて、バーンズ&ノーブルでの市場調査の後、「Village Books & Music」という古書店へ。ここは古本が安いと聞いていたので、楽しみに行ったのですが、実際にはそれほどでもなかった。 でも収穫あり。一つはヘンリー・ミラーの『A Devil in Paradise』のシグネット版。これがたったの2ドル! ウソみたい。もう一つはトルーマン・カポーティ―の初期短編集で、ハードカバーが4ドル。これも安い。 ということで、そこそこ楽しい本屋ツアーとなったのでした。 さて、明日からいよいよハワイ大学マノア校へ。ここが今回の目玉ですから、楽しみ!
November 7, 2024
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ひゃー、ハワイに到着いたしました~。 着いたら雨がじゃあじゃあ降っててちょっとびっくり。常夏の島に雨って、なんか合わないことない? 雨が降ると、世界中、どんな町も同じように見えるもんですな。 でも、雨が上がると猛烈な蒸し暑さ。ああ、やっぱり常夏だわ。 とにかく、夜に日本を出て、到着すると同じ日の朝だから、日本からアメリカに行った日は長い! しかもリクエストしてあったのに、ホテルに着いたら「アーリー・チェックインはなし」と言われてしまったので、荷物は預けられたけど、町に放り出されたような状態。仕方なく、とりあえずワイキキの町を散策したけれど、うーん、観光地っぽ過ぎて、あまり面白い町ではないな。ショッピングモールはあちこちにあるけど、高級店にはいかないしね。 それはともかく、今日は偶然、アメリカ大統領戦の投票日。テレビではどのチャンネルもその報道で大わらわ。 まあ、一言で言いますと、トランプ圧勝ですわ。蓋を開けるまで稀に見る僅差のレースと言っていたけど、蓋が開いたらトランプ圧勝。 そりゃ、そうだよね! 私はいつも言っておりますが、民主党が勝つ時は、魅力的な人たらしが出た時だけ。カマラはそういうキャラじゃないから。なんでトランプに勝てるだけの魅力的な人物を民主党が候補に推さなかったのか。むしろオバマが再登場した方が、勝つチャンスがあったと思うけどね。 まあ、こうなったら仕方がない。日本としてはトランプ再選に備えないといかんですな。 それにしても、たまたまながら、大統領戦の投票日にアメリカにいるというのは、アメリカに関係する人間としてはとてもいい経験になることは確か。しばらく、自分の研究とは別に、選挙戦の行方を見守ろうと思います。
November 6, 2024
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ええっと、今日から出張に行ってまいります。行先は・・・ハワイ、なんですが。 え? ハワイに出張? そんなことある? あるんです。 科研費を使ってハワイ大学で資料収集。ハワイは、ある意味、自己啓発思想のメッカの一つでもあるのでね。 本当は、夏休み中に行く予定だったのですが、このブログの読者の皆さんはご存じの通り、9月から10月にかけて、母の危篤状態が続いていたのでね。行くに行けなかったのよ。だけど、その母も亡くなり、葬儀も終わり、っていうことで、とりあえず予定していた出張をこの時点でこなそうかなと。 いや、母の具合によっては、出張取り止めも視野に入れていたのですが、母は母のやり方で私に「行け」と言ってくれたのかもしれません。 っつーことで、これからしばらくハワイからのお気楽日記。どうぞお楽しみに。 道中の無事を祈っていてくださいね~!
November 5, 2024
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いやあ、ビックリしましたわ。小学校・中学校時代の同級生に、テレビ越しに会うとは。 ずんの飯尾さんがやっている「ずん喫茶」という番組がありまして、飯尾さんが主に東京・神奈川あたりの老舗喫茶店を訪問するという番組なんですけど、ワタクシは割と好きで、録画して時々見たりするわけ。 で、たまたま昨夜、駒沢大学辺りの喫茶店を回るという回を見たのですけど、そこで「Harmony」という喫茶店が取材されまして。 で、何の気なしにぼんやり見ていたのですが、店主の名前が「黒澤龍弥」だと。 ん? 黒澤龍弥って、昔の友達に同姓同名のヤツがいたなあ・・・。 で、飯尾さんがその黒澤龍弥さんに店の来歴を尋ねているうちに、元々実家が町田で「ルナー」という喫茶店を経営していたという話になり・・・。 あらま。じゃあ、あの黒澤龍弥だ! へえー、黒ちゃん、駒沢大学で喫茶店経営しているのかー。いやはや、ビックリだわ。 黒澤君と私は中学時代、生物部に所属していて、一緒にプランクトンの研究をしていたのよ。しかも中3の時には「中学部展」という文化祭で、我々の研究が「金賞」に輝いたという誇らしいエピソードまである。 黒ちゃんは釣りが大好きでね。その黒ちゃんに誘われて多摩川に釣りに行ったのが、私の最初の釣り体験で。以後しばらく、ワタクシはすっかり釣りに夢中になってしまったのですが、その意味では彼は私の釣りの師匠ということにもなる。まあ、私の釣りは餌釣りで雑魚を釣るくらいなものですが、黒ちゃんはルアーもフライもやった。私が飼っていたセキセイインコの羽を使って、器用にフライを巻いておりましたっけ。 その後、私は別な高校に進学してしまったので、この46年ほど音沙汰がなかったのですが、それが昨夜、たまたま見ていたテレビ越しに再会してしまったのですから、偶然とは面白いもので。 よーし、今度実家に帰った時にでも、駒沢大学くんだりまで足を運んで、いきなり店に突入して黒ちゃんを驚かせてやろうかな。 それにしても、テレビで久しぶりに見た黒ちゃんは、まさにコーヒーの求道者みたいになっていて、そこは超意外でした。そんなタイプのヤツだったっけなあ? まあ、釣りにもあれほど打ち込んでいたのだから、何かに夢中になると、あいつはああなるのかもね。
November 4, 2024
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今住んでいるマンション、立地が抜群で、とても気に入っているのですが、いかんせん四半世紀も住んでいると、正直あちこちガタが来ているのも事実。となると・・・ リフォーム? ということで、このところリフォームどうしようかなと考えていたんですけど、そうしたら引き寄せの法則が働いて、家の近くにある別なマンションで、住友不動産の「新築そっくりさん」の見学会が開かれているというチラシが目に付いた。これはもう、行くしかないでしょ。 で、今日、家内と一緒に見に行ったのですが、ちょうどマンションの一部屋をスケルトンにしたものを見せる、という趣旨のもので、リフォームして新品同様になったものを見せるというのではありませんでした。そこがちょっとガッカリなところ。 でも、まあ、こういう風にスケルトンにしてしまえば、後はどうとでもリフォームできる。従来の間取りとはまったく別な間取りに変えられるということですな。 というわけで、その意味では参考になりました。 が! しかしね、マンションの一室を完全にスケルトンにしてみると、見た目、狭く見えるのよ。3LDKの造作が入っていれば、それなりに広くみえるけど、そういうのを取っ払って見ると、まあ、狭い狭い。マッチ箱みたいなもんですわ。 こんなマッチ箱みたいな一角を買うのに、ワシは何十年もローンを払ってきたわけね・・・。 そう考えると、なんかすごく虚しくなってくるよ! で、ちょっと帰りは凹んでいたのですけど、家に帰って、もしスケルトンにしてフルリフォームするならどんな間取りにする? ということを家内と考え始めたら、段々楽しくなってきた。 我が家には8畳の和室なんか要らないんだから、これを潰して一部リビングにして、余ったスペースを物入にすれば、あれこれ片付くのではないか? 寝室と書斎を仕切る壁を厚くして、寝室側はクロゼットに、書斎側は書棚にしたら? キッチンを少しこちらに動かせば、パントリーのスペースが生まれるのではないか? 想像は膨らみます。いいね、いいね。面白くなってきた。 ということで、今日はフルリフォームの夢を弄んで、ガッカリしたり、楽しくなったりしたのでした。
November 3, 2024
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ジュリア・キャメロンが書いた自己啓発本のロングセラー、『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』を読了しましたので、心覚えをつけておきます。これこれ! ↓新版 ずっとやりたかったことを、やりなさい。 [ ジュリア・キャメロン ] これ、読み始めてすぐに「ん?」となったのですが、一般向けの自己啓発本じゃないですね。 じゃあ誰向けの自己啓発本かと言いますと、「クリエイター向け」。 いや、そうじゃなくて、「本当は小説家とか、映画監督みたいなクリエイターになりたかったんだけど、そうならないまま、批評家とか、大学教授とかになっちゃった人向け」だな。 クリエイターになるって、大変だからね。作品を生み出せば、当然、批評の対象となって、クソミソに貶されたりする。特に最初のうちはね。 で、その最初の試練が怖くて、自らクリエイターになれなかった連中の中に、そのルサンチマンから、逆にクリエイターを批判する側に回る人がいる。つまり批評家とか大学教授とかね。そういう連中は、「もしオレが小説を書いたら/映画を制作したら、もっといい作品が作れる」とどこかで思っているもんだから、当然、他人の作品をやっつけがちになる。特に才能ある若手が最初に作った作品に対しては厳しくて、酷評し、才能の芽をつぶしにかかると。 で、ジュリア・キャメロンは、こういう「クリエイターになれなかった人」向けにこの本を書いたんですな。そんな、しょーもない若手イジメなんてしていないで、本当は自分自身が「ずっとやりたかったこと」をやりなさいよと。 そういう本。だから、一般人向けの自己啓発本ではなく、クリエイターになりそこなった人に、「今からでも遅くない、クリエイターになりなさい」とすすめる本だったのでした。 まあ、ジュリア・キャメロン自身、批評家とかにイジメられ、芽をつぶされそうになった挙句、どうにかこうにか脚本家・映画監督になりあがった人なので、その経験からこういう本を書いたのでありましょう。 で、じゃあ、どうすればクリエイターになれるのか。この点について、本書全巻を通じてキャメロンが提唱しているのは、たった2つの方法のみ。気になるでしょ? 一つは「モーニング・ページ」。もう一つは「アーティスト・デート」。この2つだけ。 じゃあ「モーニング・ページ」とは何ぞや?と言いますと、朝、起きぬけに、手書きで(パソコンじゃダメよ)真っ白なノート3ページ分に、何でもいいから文章を書く。まとまった文章でなくても、その時、心によぎった考えをそのまま、思考の流れを自動筆記するみたいにして書く。3ページ分、ノートが埋まるまで書く。 一方「アーティスト・デート」というのは、1週間に一度でいいから、2時間とか3時間程度の時間を費やして、ふらりと散歩に出たり、美術館に寄ったり、行ったことのない街を訪れて気になった店に入ったりすること。つまり、何か自分のアーティスト魂を刺戟するような体験をする時間を設ける、ということですな。 はい、この2つだけ。この2つ(特に「モーニング・ページ」)を自分に強制し、1年とか2年とか続けていくと、あーら不思議、いつの間にやらあなたはずっとなりたかったクリエイターになっていますよ、と。 え¨ーーーー、そうなの~~?! ではなぜそうなるかと言いますと、キャメロン曰く、クリエイターというのは、特殊な才能をもった一群の人たちの謂いではなく、人類全体のことだから。この世に生まれた人間は、本来、全員が全員、クリエイターだ、というのですな。もちろん、すごいクリエイターと、そうでもないクリエイターはいるけれども、クリエイターであるという意味では等価。それに、総じていえばすごいクリエイターが高い評価を得るとはいえ、そうでもないクリエイターが好き、という人だっている。 そういえば永野が言っていたなあ、「ゴッホより、普通に、ラッセンが好き!」と。あれは、ひょっとすると、非常に深い真理を言い当てていたのかもしれません・・・。 で、さらにキャメロン曰く、人間はみなクリエイターで、クリエイトすることを欲しているのだけれど、その一方で、自分のやりたいことをやることを恐れていると。この恐れが、自分を「ずっとやりたかったこと」から引き離す原因になっているわけね。 なぜなら人間というものは、「失敗するのではないか」と恐れる以上に、「こんなことをしていたら、成功してしまうのではないか」ということを恐れているから。だから、せっかく神様が、その人の創造力を発揮させようとチャンスを恵んでくれている(こうした天与のチャンスのことをキャメロンは「シンクロニシティ」と呼ぶ)のに、それを無視したりする。キャメロンは言います、「人は、神がいないことよりも、いることの方をはるかに恐れている、というのが私の感想だ」と。 うーん、この考察は深いな。 で、この恐れを克服するためにどうしても必要なのが、「モーニング・ページ」であると。 つまり、「モーニング・ページ」ってのは、天から降ってくるシンクロニシティと同調する恰好の方法だから。人は誰しも無心になって、恐れなく、真っ白なページに文字を埋めていく過程で、天与のクリエイティビティに気づくことになるから。遅かれ早かれ、必ずそうなる。何となれば、才能というのは、生れつくものではなく、こうやって降ってくるものであるから。 ま、これが本書のアルファであり、オメガね。かくして、才能というものが、特権的なものではなく、民主的なものになったのであります。 どう? 賛同した? 私は・・・賛同するね。最初、大したことない本かと思っていたけど、ところどころ、唸るようなことが書いてある。それに、クリエイティブな才能というのは、誰にも降ってくるものだ、だからそれを受け取る気になれば、誰でも受け取れるものだ、という考え方は、ポジティヴでいいじゃない。 というわけで、私はキャメロン教の信者となり、明日、朝起きた時からモーニング・ページ書くことにしました。私の主義は、「一応、何でも試してみる」だからね。 どうせなら、それ専用のノートでも買って、それ専用の万年筆とか買っちゃおうかな。買えばやらざるを得なくなるじゃない? 前から欲しかった万年筆を買う、いいチャンスだし。これこれ! ↓【PILOT】パイロット キャップレス 万年筆 FCN-1MR (細字・中字) とまあ、本書はこういう感じの本だったのであります。だから、一般向けの自己啓発本ではないけれども、クリエイターになり損ねた大学教授(俺のことか?)には響く本ではあります。そういうものとして、教授のおすすめ! と言っておきましょう。これこれ! ↓【中古】【全品10倍!11/1限定】ずっとやりたかったことを、やりなさい。 / ジュリア・キャメロン
November 2, 2024
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思い返してみると、昨日は色々な人と話をしたなと。 まずお昼。非常勤で来られている先輩同僚のアニキことK先生と一緒に昼飯を食べながら雑談していたのですが、たまたま話題がイースター島のことに向かいまして。アニキによれば、イースター島のモアイ像の謎は、もうほとんど解明されてしまったのだそうで、たとえば「どうやってあの像を作ったのか」という謎にしても、イースター島は火山島なので、そこにある岩は火山灰の固まったものだから、柔らかくて原始的な道具でも容易に加工ができたと。 で、昔は丸太がとれない島で、どうやってこの像を運んだのか分からなかったけれど、最近の研究で、あのモアイ像の形自体の特色により、紐をかけてエッチラオッチラ引っ張れば動くようにできていることが分かり、実際に引っ張ってみたところ、少人数でも引っ張れたとのこと。 また昔は、モアイ像が皆同じ方向を見ているのが、ひょっとして宇宙人との交信なのではないかと言われていたけれども、あれは村の守り神的なもので、村のある方向を見ているだけなのだとか。 そうやって、謎がみんな解かれてしまうと、案外ツマラナイものですな! その後、午後には、10月一杯で産休に入る別の科の同僚(専門はアメリカ文学)が、産休前の挨拶に来てくれまして。義理堅いよね! で、その同僚から耳打ちされたんですけど、先だって、同じ学会の若手らが書いた論文の査読を私がした際、私が書いたコメントがあまりにも厳しいというので、執行部の方で少し話題になったとのこと。えー、そうなの? そんなに辛辣なこと書いたっけなあ? あと、私の自宅近くにある某女子大の一学部が、今度その地から撤退することが決まった、なんていう噂話も聞きました。実は私、若い頃に一度、その学部で非常勤講師を務めたことがあるので、なんかちょっと寂しい。でも、学部が消滅するのではなく、大学本部の近くにあった名門ボウリング場が閉鎖されたことをうけ、その跡地に校舎を建てて、そこに移るんですと。なるほど。 その後、夕方頃になると、別の同僚と立ち話をする機会があり、話題が先日行われた選挙の際の「国民審査」の話題になりまして。 その同僚は、法学がご専門なんですが、私が「I」という最高裁判事にダメ出しを出したと言ったら、えらく褒められました。法曹界でも、このI氏は非常に評価が低いそうで、その同僚ももちろん、この人に✕をつけたのだとか。 そして夜、道場でひと汗流していたところ、親しい兄弟弟子のO先生から、「釈迦楽先生はラリーに興味がありますか?」と尋ねられまして。なんでも、今度愛知県内で開催される世界ラリー選手権の観戦チケットがあるのだけれど、欲しいですか? と。 え? そんな美味しい話に乗っていいんですか?! とはいえ、仕事上の都合もあって、当日、本当に行けるかどうか分からないところも。うーん、ちょっと悩むなあ。まあ、もう少し考えて、何とかなりそうならお言葉に甘えちゃおうかしら。 とまあ、昨日は一日の内に色々な人に会って、色々な情報や好意をいただいたのですけど、やっぱりアレですね、犬も歩けばと言うけれど、外に出て、色々な人に会うと、面白いことが次々と起こるものですな。 だからこそ、人には会って話をしないといけないのかもしれませんね。
November 1, 2024
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