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なんか最近、色々なものが壊れます。 まず壊れたのは、私の髭剃り。といっても、電気シェーバーではなく、ジレットのフュージョンという奴。電動式のカミソリですな。ま、これはもうかなり長い間使ったので、寿命かなと。 ということで、本日、新しい奴を買ってきました。フュージョンが更に進化して、今は「プログライド」って言うんだよね。【定形外対応】ジレット フュージョン プログライド フレックスボール パワーホルダー 替刃1コ付 Gillette価格:1150円(税込、送料別) (2017/2/1時点) フレックスボールっていうのが付いていて、肌への密着度が半端ない・・・らしいです。まだ使ってないので、実際のところは分らないけど。 ま、これはこれで一件落着なんだけど、実はもう一つ、掃除機も壊れちゃったんですよね。これが困り物で。 なんかねー、我が家は掃除機のいいのに当らないというか。前に大枚はたいて買ったダイソンが割と簡単に壊れちゃって。それで、次にデザイン重視でエレクトロラックスのスタンド型の奴を買ったのだけど、これが今回、壊れてしまった。 で、しょうがないから何か次のを買わなくちゃいけないんだけど、何にすればいいのか。 で、聞くところによると、マキタの掃除機(CL107型)が今、秘かに高評価らしいじゃないですか。ビル清掃とかのプロがよく使っている奴。 だけど、秘かなブームのおかげで、品薄なんですってね。もともと家庭用じゃないので、家電品店なんかでは売ってないようだし。 でも、プロが使っていると言われると、ちょっと興味が湧くなあ・・・。どうなんだろう、実際のところ。 というわけで、マキタの掃除機、今、購入検討中なのでございます。マキタ Makita CL107FDSHW タイプ:スティック 吸込仕事率:32W コードレス(充電式):○ 激安 新品 掃除機 光回線新規加入で激安♪固定電話申し込み不要♪【送料無料 激安】【激安 本体 価格 比較】【回線セット販売】【RCP】【02P03Dec16】【483954】価格:1円(税込、送料無料) (2017/2/1時点)
January 31, 2017
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インフルエンザが流行しているようで、私の授業の期末試験でも、インフルエンザで受験できない学生がちらほらと。 で、そんな中、事前に私にメールしてきた学生がいて、どうしたらいいでしょうというので、「とりあえず試験のことは忘れて、しっかり休んで、体調が回復したらまたメールしておいで。追試の日程はそれから考えよう」と返事を出しておいたわけ。 そしたら、その私の返信が「神対応」ということで、今、学生の間で私の評価がうなぎ上りなんだってさ。 そうかぁ? 普通だよ、普通。だって、まさか「40度の熱があっても出て来い」とは言えないじゃん。 アレなんだろうね。「神対応」って言葉を使いたいだけだろうね。だけど、まあ、その程度のことで私の評判がよくなるなら、別にいいけど。 だけど、その程度のことで「優しい」っていうことになるのだったら、本当のワタクシの優しさを知ったら、「神」どころの騒ぎじゃなくなるぜ・・・などと言って見たりして。
January 30, 2017
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上大岡トメ&池谷裕二の共著になる『のうだま やる気の秘密1』なる本を読了しましたので、ちょいと心覚えをつけておきましょう。 ま、脳科学者(っていうか本来は薬学の人だと思いますが)の池谷裕二氏に、漫画家の上大岡トメさんが「やる気を持続させ、三日坊主グセを治すにはどうすればいいか」というお話を伺いに行った、という体の本。トメさん描くところのマンガがらみなので、1時間で読めます。でも、内容的にはちょっと面白かった。 まずね、大前提として、「脳というのは、マンネリ化するものである」と。これはもう、そういう風に出来ているのだから仕方がない。脳は新しい情報と古い情報の差別化に敏感なので、「あ、これは古い情報だな」と判断したら、もうそこには注意を払わないわけですな。だから、一つのことをずっと続けていると、脳自体がそれに関心を払わなくなり、つまりは飽きてしまう。 しかし、それでもなお、その一つのことを続けていると、脳は飽きること自体に飽きる。 飽きることに飽きると、三日坊主処理することすらしなくなるので、逆に続いてしまう。例えば毎日の歯磨きがそうですな。もはや面倒だとも考えずに、とにかく朝晩するもんだと思ってやるでしょ? だから、「飽きる」という脳の性質を心得て、それに適切に対処しさえすれば、三日坊主になることは防げると。まあ、池谷さんはそう主張されている。 で、さらに具体的な脳の構造の話になるのですけれども、脳には「やる気スイッチ」的な部分があって、それは青い球状のものなので、「淡蒼球」と呼ばれているんですと。 で、これは人間が意識的に直接刺激することは出来ないらしいのですが、しかし、この淡蒼球のスイッチをオンにする方法が4つあると。 1つ目は、「身体を動かす」こと。上大岡トメさんの前著『キッパリ!』は、まさにこの方法を指摘したものだったわけですが、やる気があろうとなかろうと、まず身体を動かしてコトを始めれば、やる気が後追いしてくる、という仕組み。 2つ目は、「いつもと違うことをする」こと。つまり、ジョギングがマンネリ化したら、「音楽を聴きながらやる」という側面を附け加え、いつもとやり方を変えると、新鮮さが蘇るということですな。 3つ目は、「ご褒美を与える」こと。「ここまでやったら、オヤツを食べよう」的に、目の前に身近なご褒美を用意すると、それにつられて頑張れるよと。 4つ目は、「なりきる」こと。スーパースターに憧れて、「ああいう風になりたい」という目標があって、自分がそのスーパースターになったつもりになれば、きつい努力も当たり前だと思えるようになるよと。 以上、4つの方法を適宜応用すれば、脳の中の淡青球を刺戟することができ、やる気が続く。それが、「脳」をうまく「だま」してその気にさせる方法だよ、ってのが、本書『のうだま』の意味でございます。 なるほど。 脳の性質を飲み込んで、その仕組みを自分に都合のいいようにうまく使いなさいってことですな。ま、シンプルな本だけど、知っておいて損はない智慧かもね。のうだま(1) [ 上大岡トメ ]価格:540円(税込、送料無料) (2017/1/29時点) ちなみに、ですけど、実は昨日、私はある仕事を請け負って、とある場所に居たのよ。で、4時間近くそこで過さなければならなかったので、ノートパソコンを持って行って紀要論文を書いていたわけ。で、その時、別に何と言う理由もなく、いつものマック・パワーブックではなく、エイサーの小型のノートパソコンを持っていったの。 そしたら・・・ 意外に仕事が捗ったのでビックリ。 つまり、同じ原稿を書く作業にしても、自室ではなく別な場所、しかも、いつもとは違うパソコンを使ったということが有効に働いたのではないかと。上で言う「2つ目」の方法が奏功したわけですな。 そういう意味で、経験的にも、確かに『のうだま』に書いてあることって、ある程度、実効性があるんじゃないかと思った次第。 さて、じゃ、もうちょい仕事して、ある程度捗ったら、オヤツ食べることにしようかな!
January 29, 2017
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最近、「集英社インターナショナル新書」という新書が創刊されたみたいですな。実はこの新書の編集を担当されているのが、私の大学時代のゼミのT先輩なもので、そちら経由で情報が回って参りまして。 で、創刊第一弾を見ると、町山智浩さん、池田清彦さん、福岡伸一さん、岩下尚史さん、池澤夏樹さんの五氏がそれぞれ得意分野で執筆されている。で、続く第二段には小塚拓矢さんの『怪魚を釣る』なんて本が出るようで、なかなか面白そう。とりあえず池澤夏樹さんの『知の仕事術』とか、町山智浩さんの『映画と本の意外な関係!』あたりに注文かけちゃおうかな。知の仕事術 [ 池澤夏樹 ]価格:799円(税込、送料無料) (2017/1/28時点)映画と本の意外な関係! [ 町山 智浩 ]価格:799円(税込、送料無料) (2017/1/28時点)
January 28, 2017
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大統領就任前からお騒がせ、就任後はさらにお騒がせのあの人ですが、まさか本当にはやるまいと思っていたメキシコとの国境の壁、本当にやるんだねえ・・・。 で、その費用はメキシコに払わせるというので、さすがにそれはメキシコが拒絶するだろうと思っていたら、トランプの真意はメキシコ製品に対する関税だったということが判明。現状、無関税のメキシコ製品に20%の関税を掛ければ、メキシコとの国境の壁を建設する莫大な費用は、なんと2年で捻出できるとのこと。 なるほど、それをもって「壁の建設費はメキシコに負担させる」と言っていたのね・・・。 うーむ・・・。頭いい・・・。 否、そんなことで感心していてはいかんか・・・。 ま、正当な手続きを経て選出された新大統領に対し、ああいう抗議活動は見苦しいと思っていた私も、さすがにこの間のトランプ氏の一連の有言実行ぶりに、「これ・・・大丈夫なのか??」という思いを抱かざるを得ず。 だけど、だからと言ってそれを安易に批判できるのか、特に我々日本人が批判できるのか、というところはあるよね。 だってさ、日本なんか、元から「海」という壁を持っていることに加え、基本的に移民を受け入れていないわけで、ましてや不法移民なんか受け入れる余地がない。件のシリア難民だって、受け入れていないわけだし。その日本が、アメリカに対してだけ、「お前、メキシコの不法移民、受け入れろよ」という権利があるのかどうか。 もし日本に近隣の国から(どの国とは言いませんが)じゃんじゃん不法移民が入り込み、その移民が安い賃金で労働するからといって労働市場を占有し、さらにある程度定住したからといって社会保証を要求し、そのために日本人の暮しを一部圧迫するような事態になったとしたらどう? それ、容認する? トランプと、その支持者たちが言っているのは、そういうことだよね。寛容であればすべてよし、というもんじゃないよと。 人道主義と、もっと泥臭い「アメリカ人の生活を守る」ということ、それは突き詰めると、どこかで背反するところが出てくるのは道理で、今、まさにアメリカでそこが問われているわけですな。人道主義者だったオバマさんからの急転直下だから、トランプ氏は信じがたいほどの下種に見えちゃうけれども、しかし、下種かどうかとは関係なく、今までうやむやにされていた問題が、トランプ氏によって白日の下に晒された、ということは言えるでしょう。 さてさて、この先、どうなるのかねえ。それは分らないけれど、とにかく、不安なんだか何だか、心がざわざわしてきますな。
January 27, 2017
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ティク・ナット・ハンの『〈気づき〉の奇跡』という本を読みましたので、心覚えをつけておきましょう。 ティクさんというのは、ベトナム人の僧侶なんですが、ベトナム戦争当時に国外追放になり、フランスに逃げて、そこで「engaged Buddhist」(社会参画する仏教徒)として活動をした人。同じような境遇のダライ・ラマと同じように、今もなお世界的に影響力のある仏教指導者ですな。 で、私としてはもちろん、今、自己啓発の一つの流派ともなっている「マインドフルネス」の一つの原点として読んだわけですけれども、なかなか面白かったです。 で、この本読んでいると、やっぱり「瞑想」の重要性というのが説かれるわけですけれども、瞑想の入口は、これもやっぱり「呼吸」なんですな。人間、生きている限り呼吸はするわけですけれども、普段は何気なく呼吸しているわけで、それによって生かされているにもかかわらず、ろくに注意もしていない。 だから、そういう無意識の呼吸ではなくて、息を吸う時は「今、自分は息を吸っているな」と気づきながら吸う。息を吐く時は「今、自分は息を吐いているな」と気づきながら吐く。そうやって、呼吸そのものに意識を持って行って、長く深い呼吸をする。これが、結局、瞑想の入口だと。 で、その他の行為も同じ。例えば皿を洗うにしたって、普段、我々は面倒臭いなと思って皿を洗っているので、その時の意識は皿を洗うことには置いていない。「早くこれ済ませて、あれをやらなきゃ、これをやらなきゃ」って思いながら洗っているわけですよ。 しかし、それでは、その人は、皿を洗っている「今、この時」を生きていない。 それでいて、皿を洗い終わってから、次にやる作業を心を籠めてするかというと、そうでもない。明日朝早いから、早くお風呂入らなきゃ、ってなことになって、風呂に入っている今を十全に楽しむこともない。 でも、そうやってすべての日常を過ごしていると、その人はいつまでたっても、今を生きることが無いことになる。 ティクさんは、「今、ここ」以外、人が生きる場所などないと言います。だから、今、やっていることを誠心誠意、真心込めてやりなさいと。 皿を洗うのであれば、今洗っているのは、皿ではなく、生れたばかりのお釈迦様、あるいは生れたばかりのイエス様だと思って、これ以上大切なことはないと思いながら、一心に洗えと。洗うことを楽しめと。「今、ここ」を生きろと。それが、瞑想なんだよと。 だから、瞑想というのは、特別なことではなくて、一日24時間、すべてが瞑想のチャンスだと。 なるほどね。確かに、そうやってあらゆることを心を籠めてやりながら生きたら、人生って、ひょっとしてとてつもなく濃いものになるのかもね。 それから、もう一つこの本を読んでいて感銘を受けたのは、「あるものと、それ以外のものの関係」という話。 例えば一つのテーブルがあるとするでしょ。テーブルは、他のものから独立して、一つのテーブルであるように見える。すなわち、そのテーブルと、そのテーブル以外のもので、世界は構成されているように見える。 だけど、そのテーブルが出来るまでのことを考えてみる。 材料は木だとして、その木を植えた人がいる。その木を切った人がいる。それを製材した人がいる。材木を工場に運んだ人がいる。 一方、テーブルを組み立てるのに使う釘のことを考えてみれば、その釘の材料たる鉄を含んだ鉄鉱石を掘った人がいる。鉄鉱石を製錬した人がいる。それで釘を作った人がいる。その釘を工場に運んだ人がいる。 そうやってテーブルを作った人がいる。出来たテーブルをお店に運んだ人がいる。家具屋さんの店員がいる。 それら、テーブルに係わった人にはすべてお母さんがいる。そのお母さんにはまたお母さんがいて、そのお母さんにはさらにお母さんがいて・・・ さらに、テーブルの材料の木を育てるには、太陽が必要で、土が必要で、水が必要で・・・ お母さんたちが生きるためには、食べ物が必要で、その食べ物を作る人がいて、運ぶ人がいて、調理する人がいて、売る人がいて・・・ そう考えて行くと、一つのテーブルは、テーブル以外のあらゆるものと関わっているわけですな。その意味で、テーブルとテーブル以外のものは分断できない。テーブルは、テーブル以外のものが存在しなければ存在しないわけです。 その理を飲み込めば、自分と宇宙というのが一つであることが理解されると。 なるほどね。西洋の自己啓発思想の根っこにある「ニューソート」では、宇宙は一つのエーテルから成る、というような発想をするわけですけれども、それと同じことを、仏教的発想で見事に説明していると言えるのではないでしょうか。 ま、そんな感じで、この本を読んでいると、色々、腑に落ちることが多いです。 でも、そういうこともさることながら、私が非常に感銘を受けたのは、この本の後ろの方にある、ジェイムズ・フォレストという人が書いているティク・ナット・ハンの思い出エピソードでございます。 それによると、ベトナム戦争当時、ティクさんがアメリカで反戦運動のアピールのための講演会みたいなことをやっていたというのですな。 しかし、アメリカ人の中には理解のない人もいて、平和を訴えるティクさんに対して、「そんなに自分の国が心配なら、さっさとベトナムに帰って、怪我した人でも介抱したらどうなんだ」というような趣旨の暴言を吐きかけたというのです。 その時、しばらく沈黙していたティクさんは、穏やかに、慈悲深く、「木に水をやるのに、葉っぱに水を掛ける人はいない。水をやるなら木の根っこにやるでしょう? 今、争いの根っこはアメリカにある。だから私はアメリカに来て、お話をしているのです」と、そう語った。そのティクさんの静かな返答で、会場の雰囲気は一変したそうですが、しかし、ティクさんはその後、少し話を切り上げて会場の外へ出てしまった。 で、フォレストさんがティクさんを追いかけて外に出てみたら、そこでティクさんが道端で苦しそうに喘いでいたというのです。そして、こう言った。「あの人の発言はひとく自分を傷つけた。もう少しで怒りが爆発しそうになった。ゆっくりと深い呼吸に戻り、心を落ち着けて、相手への理解を示す方法を探したが、あまりにもゆっくりと深く息をし過ぎて息苦しくなってしまった」と。 うーーん。素晴らしい。ティクさんは、呼吸を意識することで心の平和を取り戻そうとし、懸命に自分と闘ったわけですよ。瞑想ということを、本当にご自身の波乱万丈の日々の生活の中に取り入れて、自分も相手も、より良く生きられるように努力しているわけですな。 時に、道端で喘ぐような人の話だからこそ、謹聴する価値があるってもんじゃないのかい? 基本的に自己啓発思想というのは、アメリカとイギリス、それに日本でしか根付かないものなんですけれども、マインドフルネスだけはフランスでも結構人気がある。その理由が今まで分らなかったのですけれども、アレだね、多分、マインドフルネスの総本山のティク・ナット・ハンがフランスで活動していたからだね。 というわけで、私には色々と勉強になる本でありました。教授のおすすめ!と言っておきましょうかね。〈気づき〉の奇跡 暮らしのなかの瞑想入門 / 原タイトル:The Miracle of Mindfulness[本/雑誌] / ティク・ナット・ハン/著 池田久代/訳価格:2160円(税込、送料別) (2017/1/27時点)
January 26, 2017
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一般教養英語の授業の中で「ベーシック・イングリッシュ」の考え方を紹介したのですが、ベーシックというのは、わずか850語の英単語だけで、あらゆる英語発話をこなす、という、ちょっと特殊な英語発想法でしてね。 例えば、ベーシックの世界には breakfast とか lunch とか dinner なんて言葉もないの。食事を表す言葉としては meal しかないので、朝食だったら morning meal、昼食なら noon meal、夕食は evening meal というわけね。 同様に、agony「ひどい苦痛」なんて難しい言葉は「great pain」でいいかえるとか。台風を表す「hurricane」は「very strong wind」だよ。 こうやって、850語のシンプルな単語であらゆることを言うのだけど、これがなかなか馬鹿にならなくて、例えば「過労死」とか「地球温暖化」みたいな現代的な問題だって、それぞれ「death from over-work」「green-house effect on the earth」なんて表現できる。「禁煙運動」だったら「a protest agaisnt smokers」ですな。 これを応用すると、なんでも英語で言えるよ。 例えば「ホッカイロ」ってあるじゃん? あれを英語で言えって言われたら、皆さん、どうします? ベーシックだったらね、「a pocket-size warmer」ですな。「ポケットサイズの温める奴」ってわけ。どう、うまいもんでしょ? ってなことを学生たちに紹介しつつ、「それにそもそも『カイロ』って、漢字で書けば『懐炉』だしね。「フトコロに入れる暖炉」だから、まさに pocket-size warmer だと思わない?」ってな話をしたわけ。 そしたら学生たちが「なるほど!!」ってものすごく納得してくれた。 だけど、実は彼らが納得したのは、「『カイロ』って、もともと漢字だったんですか~?!」ってことでした。 そっちかよっ?! で、ちなみに、お前さんたちだったら、「ホッカイロ」を英語で言えって言われたら、なんて言う? って聞いてみた。 そしたら、一人の学生曰く、「warm square」だって! 「暖かい四角」かあ・・・。 なるほど。意外に説得力があったりして・・・。
January 25, 2017
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新しい愛車、ルノー・キャプチャーが我が家にやってきて1週間。るんるん気分で通勤などを楽しんでいたのですが・・・。 昨日、家の駐車場に止め、カードキーで施錠し、クルマを離れる直前、ふと施錠確認したら、ロックしたはずのドアが開くじゃあーりませんか? ン? おかしいなと思ってもう一度ロックをしたものの、右後部座席のドアにロックがかからない。 ひゃー、出ました。ラテン車特有の初期故障! まあね。ラテン車3台乗り継いで、このくらいのことじゃ驚きませんよ。「あ、例の奴ね」くらいなもんだ。 だけど、ロックがかからないのでは物騒なので、とりあえずディーラーに電話し、修理の予約を。 でもって、今日は朝からディーラーに赴いて、愛車を入庫し、代車を受け取って大学に出勤。 で、ルノーのディーラーの代車だから、ルーテシアとか、ひょっとしてカングー?! とか期待したのだけど、やっぱりそこまで甘くなくて、用意されていたのはトヨタのヴィッツ。それも相当古い奴。 古いどころじゃないよ、オドメーターみたら20万キロ越えじゃないか! 20万キロ越えのヴィッツ。もうヘッドライトなんて曇っちゃって、どこにバルブがあるのかすらわからないという・・・。 で、乗ってみると、これがまたしょっぱいんだ。数世代前のクルマ(実際、そうなんだけど)に乗っているようなしょぼさがある。 クルマの世界も金次第。値段の高いクルマは、それだけ乗り心地もいいもんで、その辺の番狂わせはないな。 だ・け・ど。 そのしょっぱいヴィッツにごとごと揺られて大学までの道のりを行くうちに、クルマなんてこんなもんでいいのかなという気にもなり。 安ーーーいトヨタの中古車でも二束三文で買って20万キロ、ボロボロになるまで乗って乗り捨てる、なんてのも、実はハッピーなカーライフだったりするのかもね。 大体、室内空間なんか、ヴィッツで十分だ、って感じがするもんね。その辺は、さすがにトヨタだけあって、よく出来ているというか。 うーーん。 だけど、やっぱりアレか。こういうのばかり乗ってたら、人生から油っ気が抜けちゃうか・・・。せめて、スタイルだけでも初代フィアット・パンダのようなセンスがあればね・・・。 まあ、とりあえず、今は我が愛車キャプチャーが無事に修理を終えて、戻ってくるのを待ちますかね。
January 24, 2017
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今日、修論執筆中の院生のI君が研究室にアドバイスを求めてやってきたので、しばらく話を聞いていたのですけれども、話をしながら、まあ、なんとまじめな人なんだろうと、ちょっとビックリ。 I君曰く、文学研究をしていて常に心配になるのは、「自分は果して著者の言わんとしていることを正確に理解・把握しているだろうか」ということで、ここに自信が持てないために、どうも修論の筆が進まないと。 そこで私が、「そんなこと言ったって、当該の作家が既に死んでいる場合、正しく理解しているかどうかなんて確認のしようもないし、もしその路線で研究して行ったら、作品解釈は常に一通りの正答、すなわち「著者の意図」という唯一の正答しかないことになり、それ以外の研究には意味がないということになってしまうのではないか?」と言うと、「そうじゃないんですか?」と逆に聞かれてしまったという。 うーん! まじめだねえ・・・。今時、そんな古風な感じで文学研究している若者がいたとは・・・。 私は・・・そんなこと思ったこともないねえ。 だって、小説読めば面白いと思うじゃん? 否、そうじゃない。自分が面白いと感じる小説を読めば、面白いと思うじゃん? 面白いと思ったということは、すなわち、著者の言わんとすることを自分が正しく読み取った、ということですよ。あるいは、著者が自分で思っている以上に、読者たる私がその面白さを理解しているのか、そのどちらかであって、それ以下ではない。 つまりその場合、「著者」=「読者」か、あるいは「著者」<「読者」の状態が出来しているのであって、「著者」>「読者」ということはあり得ない。 そうなんじゃないの? だから、自分は著者の意図を正しく汲んでいないのではないか、という疑問を、私は抱いたことがないです。 もっともね、自分が面白くないなと思う小説に関しては、事情が違うよ。それは、本当にその小説がつまらないからかも知れないし、逆に著者の面白さを自分が理解していないからかも知れない。後者の場合は、「著者」>「読者」だよね。 だけど、この場合は、そもそもその作品を研究しようとか、論じようとは思わないわけだから。だって、つまらないんだもん。その時点で。自分にとっては。 だから、ある作品のことを面白いと思って論じようと思うのであれば、自信を持ってやりゃーいいんじゃないの? そして自分が面白いと思っている作品について、その面白さを、他人にも理解してもらいたいと思って説明すれば、その論文を読んでいる人の共感を引き出せるはずですよ。 ゴキブリ一匹見かけたら、千匹は居るんでしょ。それと同じことで、自分が面白いと思うことを説明すれば、千人くらいの人は納得させられますって。 ま、I君には、そんな感じで「自信をもってやりたまえ」と言っておきましたけれども。 でも、まじめな人って、いいよね。
January 23, 2017
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稀勢の里優勝! そして千秋楽の今日も結びで白鵬を破り、これで来場所の横綱昇進がほぼ確定。目出度いことでございます。何年ぶりの日本人横綱でしょうかね。まあ、白鵬の衰えも日々明らかになってきたし、ひょっとしてこれを機に、私も、再び、大相撲を見るようになったりして。 ところで、その稀勢の里に対して、私は謝らなくちゃならないことがありまして。 もう十年以上前のことですが、2006年5月21日の本ブログにおいて、私は稀勢の里の将来を「せいぜい大関止まり」とか書いちゃっているんですよね・・・。以下、引用してみましょう。 人が大物と褒めそやす稀勢の里ですが、私はどうもピンとこない力士でありまして、この人が大成するところが想像できないんですよね。妙に気合は入っているけど、相撲自体のスケールが小さいと言いましょうか・・・。精一杯上に上がって大関止まり、いやそこまでも行けるかどうか、というところじゃないでしょうかね。もっとも彼はまだ若いので、これから先大化けするかも知れませんから、あまりひどいことは言わないでおきましょうか。 あれから十年経って、ついに稀勢の里も「大化け」したことになりますな。そこまでの将来を見抜けなかった私の不明を恥じつつ、失礼な一文、稀勢の里にお詫びします。でも、良かったね。久々の日本人横綱として、これからも優勝を続けて下さいな。 さて今日の私は、まあ、割と勤勉に紀要論文書きをしておりました。締切が目の前だから、勤勉にならざるを得ないんですけどね。 でも、書き始めると、すぐに穴があることが分かる。つまり、これだけ材料があれば書けるだろうと高をくくっていたのが、如何に間違いかと。あれも調べなきゃ、これも調べなきゃってことが次々と出てくるわけよ。 まあ、でも、そうやって慌てて資料を取り寄せたりするのが、論文書きの楽しいところなんですけどね。 ま、とにかく、他の仕事もまだあるし、書けるものはさくっと書いちゃおうっと。
January 22, 2017
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前にこのブログで、「コンコードの賢者」ことラルフ・ウォルドー・エマソンの名言と世間で思われている「A man is what he thinks about all day long.」の出典探しのことについて書きましたが、ようやく見つけました。と言っても、やはり文章は少し違って、 Life consists in what a man is thinking about all day. というもの。これねえ、エマソンの『Journal』の1847年8月のエントリーに確かにあった。もう、見つけるのに苦労したわ~。ということで、現時点での結論としては、このエマソンの言葉が、後世の自己啓発ライターたち、特にヴィンセント・ピールやジョーゼフ・マーフィー(特に後者)の引用の中で、ちょっと形が変えられて、伝えられた――まあ、そういうことだったんじゃないかと。 それから今日はもう一つ、同じくアメリカ文学の代表的な作家と自己啓発思想との関わりという点で、『トム・ソーヤの冒険』などで名高いマーク・トウェインが、晩年になって『クリスチャン・サイエンス』という小説・・・というかエッセイ・・・を書いていることに今頃になって気づき、それを読んでみたわけ。 ま、ハッキリ言って全体としては面白くない。ただ、出だしだけは面白いです。 物語は語り手(トウェインの分身)が、崖から落ちて体じゅうの骨を折ってしまい、農家に担ぎ込まれた、というところから始まります。で、当然、彼は医者を呼ぼうとするのですが、近所には獣医しかいない。それでたまたまボストンからその地に滞在していたある婦人がクリスチャン・サイエンスの治療師だというのを聞きつけ、その人に治療を頼んでみることにするんですな。 で、語り手が「全身痛いから何とかして」って言うと、その婦人曰く「痛みというものは実在しない。痛いと思っているだけで、それは誤りだ」とか言って、語り手を諌めだす。で、語り手が「そんなこと言っても、実際、痛いんだけど」と訴えても、婦人は「痛みは誤謬だ」の一点張り。 と、そこで農家の少女が、部屋にいたネコの尻尾を踏んでしまい、猫がギャーーッと飛び上がったので、語り手が、「ほれ、今尻尾を踏まれたネコだって、痛み感じていたみたいじゃないですか」と言うと、婦人曰く、「ネコは思考できないので、痛みという誤った思考すら抱けるはずがない」と、完全に否定。 そして婦人は、クリスチャン・サイエンスの創始者メアリー・ベーカー・エディ女史の書いた『科学と健康』なる一書を提示し、ここに書いてあることこそが真理であり、これを読めばこの世の苦しみはすべて消えると断言、あとは「遠隔治療」で治してやるから心配するなと言い残して帰ってしまうんです。 で、語り手は、その後、獣医による治療のせいもあって無事、回復するのですけれども、件の婦人は治療費を請求してくる。しかも、234個所の骨折について、それぞれ1ドル、計234ドル請求してくるわけ。それで、すべては気の迷いであり、誤謬なのだからと、空想上で234ドル支払ったつもりで済まそうとしたところ、そこはやっぱり現実のドルで支払えと言われてしまうと。で、この経験から語り手は、クリスチャン・サイエンスについて様々に、批判的に、語っていく、という寸法。 まあ、クリスチャン・サイエンスに対するパロディとしては、さすがマーク・トウェイン、手練れの技でございます。 で、この後、クリスチャン・サイエンスへの批判が続くのですけれども、トウェインは精神治療自体の効果については否定しないんですな。っていうか、実はマーク・トウェイン自身、その種の精神治療を受け、効能を実感している。 だから、精神的なもので肉体疾患が治ることはあり得る、ということは認めるんですけど、それを創始者のエディ女史が宗教と結びつけ、しかも死後ではなく現世での幸福を約束する宗教として広めた上、その普及を通じて得られる膨大な金銭的収入を、慈善活動などに持ちることなく、ほとんど自分のために集めていることを批判するわけ。 つまり、現世の幸福を人質に、人々から金子を巻き上げ、独り占めにしている点で、クリスチャン・サイエンスはまさに新手の「トラスト」(=独占企業)であると。 トウェインが『クリスチャン・サイエンス』を書いていた19世紀終わりから20世紀初頭と言いますと、トウェインのいわゆる「金メッキ時代」のメッキが剥げはじめ、資本主義の悪弊が露わになり始めた時代。そしてそれを批判する暴露文学(マックレイキング)が流行していた時代であって、トウェインの『クリスチャン・サイエンス』も、いわばそうしたマックレイキング文学の一つであったわけでございましょう。 とまあ、そんな感じで、クリスチャン・サイエンスがこの時代、そういう批判の対象であり、マーク・トウェインほどの著名な文学者が、それに対して立ち上がるほどのものであった、ということが分かったのは、今日の収穫ではありましたね。
January 21, 2017
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今、成績審査のため、先日提出された卒論を読んでいるのですけど、私の担当分の中に「太陽族」についての卒論がありまして。 太陽族? ・・・って、まさか石原慎太郎の『太陽の季節』に影響された昔の若者の話? まさかと思ったら、そのまさかでした。 なんで今更、と思いながら読んでいたのですけど、当然のことながら芥川賞を受賞した『太陽の季節』の話が出てくる。それで少し気になってウィキペディアなんかをチラ見しながら読んでいたんですけど、『太陽の季節』に関するウィキペディアの記述を見ていると、当時、芥川賞の選考に当たった大先生方のこの作品に対するコメントが載っていて、これがまた面白いんだ。以下、テキトーに引用しますと:<賛成派>伊藤整:「いやらしいもの、ばかばかしいもの、好きになれないものでありながら、それを読ませる力を持っている人は、後にのびる」武田泰淳:「彼は小説家より大実業家になるかも知れない」舟橋聖一:「この作品が私をとらえたのは、達者だとか手法が映画的だとかいうことではなくて、一番純粋な〈快楽〉と、素直に真っ正面から取り組んでいる点だった。彼の描く〈快楽〉は、戦後の〈無頼〉とは、異質のものだ」井上靖:「その力倆と新鮮なみずみずしさに於て抜群だと思った。問題になるものを沢山含みながら、やはりその達者さと新鮮さには眼を瞑ることはできないといった作品であった」<消極的賛成派>滝井孝作:「小説の構成組立に、たくみすぎ、ひねりすぎの所もあるが、若々しい情熱には、惹かれるものがあった。これはしかし読後、“わるふざけ”というような、感じのわるいものがあったが、二月号の『文學界』の『奪われぬもの』というスポーツ小説は、少し筆は弱いけれど、まともに描いた小説で、これならまあよかろうと思った」中村光夫:「未成品といえば一番ひどい未成品ですが、未完成がそのまま未知の生命力の激しさを感じさせる点で異彩を放っています。常識から云えば、この文脈もところどころ怪しい。〈丁度〉を〈調度〉と書くような学生に芥川賞をあたえることは、少なくも考えものでしょう。石原氏への授賞に賛成しながら、僕はなにかとりかえしのつかぬむごいことをしてしまったような、うしろめたさを一瞬感じました」川端康成:「私は『太陽の季節』を推す選者に追随したし、このほかに推したい作品もなかった。第一に私は石原氏のような思い切り若い才能を推賞することが大好きである」<反対派>吉田健一:「体格は立派だが頭は痴呆の青年の生態を胸くそが悪くなるほど克明に描写した作品。ハード・ボイルド小説の下地がこの作品にはある。その方を伸ばして行けば、『オール讀物』新人杯位まで行くことは先づ請け合へると思ふ」平野謙:「私などの老書生にはこういう世界を批評する資格がない」丹羽文雄:「若さと新しさがあるというので、授賞となったが、若さと新しさに安心して、手放しで持ちあげるわけにはいかなかった。才能は十分にあるが、同時に欠点もとり上げなければ、無責任な気がする。プラス・マイナスで、結局推す気にはなれなかった。私には何となくこの作品の手の内が判るような気がする」佐藤春夫:「反倫理的なのは必ずも排撃はしないが、こういう風俗小説一般を文芸として最も低級なものと見ている上、この作者の鋭敏げな時代感覚もジャナリストや興行者の域を出ず、決して文学者のものではないと思ったし、またこの作品から作者の美的節度の欠如を見て最も嫌悪を禁じ得なかった。これでもかこれでもかと厚かましく押しつけ説き立てる作者の態度を卑しいと思ったものである。そうして僕は芸術にあっては巧拙よりも作品の品格の高下を重大視している。僕にとって何の取柄もない『太陽の季節』を人々が当選させるという多数決に対して、僕にはそれに反対する多くの理由はあってもこれを阻止する権限も能力もない。僕はまたしても小谷剛を世に送るのかとその経過を傍観しながらも、これに感心したとあっては恥しいから僕は選者でもこの当選には連帯責任は負わないよと念を押し宣言して置いた」宇野浩二:「読みつづけてゆくうちに、私の気もちは、しだいに、索然として来た、味気なくなって来た。仮に新奇な作品としても、しいて意地わるく云えば、一種の下らぬ通俗小説であり、又、作者が、あたかも時代に(あるいはジャナリズム)に迎合するように、(中略)〈拳闘〉を取り入れたり、ほしいままな〈性〉の遊戯を出来るだけ淫猥に露骨に、(中略)書きあらわしたり、しているからである」 ま、ざっとこんな感じ。 もちろん、これらの『太陽の季節』評で正しいことを述べているのは「反対派」の諸氏なんだけれども(爆!)、実は「賛成派」の人たちも、「消極的賛成派」の人たちも、ある意味、正しいことを述べているよね。正しいことというとちょっとおかしいけれど、間違いなく、それぞれ「らしいこと」を言っている。平野謙の「私などの老書生にはこういう世界を批評する資格がない」というのも面白いし、川端康成の「私は石原氏のような思い切り若い才能を推賞することが大好きである」なんてのも、バカっぽくて面白い。 だから、ある程度時間を置いてみると、芥川賞受賞作への選者のコメントって、当該作品のこと以上に、それぞれの選者の個性というものを余すところなく語っているところがあるなと。 さてさて、昨日、今季の芥川賞が決まったようですけれども、誰がどんな思いで選んだのでしょうかね・・・。
January 20, 2017
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まあ、アホな話だと思いますが、小学校で英語教育が本格的に始まるでしょ。それに関して、色々な問題が起こっておりましてね。そのとばっちりが、ワタクシにも降りかかってくるわけですよ。 小学校英語、今まではなんとなくなあなあでお茶を濁していたわけですけれども、本格的に教科化するとなると、教師の側の資格の問題になってきましてね。小学校の先生は、従来、英語教員の資格なんて持ってないのが普通ですが、これからはそうもいかない。 っつーことで、現職の小学校の先生が、英語教員の資格を取れるように、各大学で免許取得のための講義をすることになったと。 で、私にもそのお鉢が回って来て、今年の8月あたり、現職の小学校の先生相手にアメリカ文学史の講義を4コマほどやって欲しいという話が来た。 だけどさ・・・。そう言われたって、はいそうですか、引き受けますってわけにも行かないんじゃないかと。 だって、現職の小学校の先生となると、もう英語から遠ざかって久しい人たちなわけですよね? つまり英語にも、アメリカにも、文学に対しても、もととなる素養が一つもない。そういう人たちにアメリカ文学史の講義してどうするのって話ですわ。 しかも、聞くところによると、現場の方では、「明日から現場で役立つような講義が聞きたい」と言っているらしい。 だけどさ、アメリカ文学史の話で、明日から小学生に受ける要素なんか、ひとっつもないじゃん! こちとら、メルヴィルが、とか、ヘンリー・ジェイムズが、とか、フォークナーが、って話をしているわけで。 そしたら、上の方から、「絵本の話とか、していただけたら」だって。 絵本・・・。そんなの、今度はこっちが知らねーよ。それに第一、絵本の話して、それで「アメリカ文学概説」の単位を出せっていうのか? その時点で、そもそも学問ってものを舐めているよねえ・・・。 しかし、困ったなあ・・・。この話、引き受けなくちゃいかんのかね。英語にもアメリカにも文学にも関係のない現職の先生方に、付け焼刃でアメリカの絵本の話をするのか? 絵本ねえ。エリック・カールの「はらぺこあおむし」とか、そういう奴? あるいはシェル・シルヴァスタイン の『ビッグ・オー』とか『大きな木』とか、そういうのをやればいいのかねえ。あるいはウィリアム・スタイグの『CDC?』とか? はたまたドクター・スースの『グリンチ』とか? あれ? 案外知っているな、ワタクシ。この線で行けばいいのか? 行けるのか? うーん、手ごたえなし! ◆◆ぼくを探しに 新装版 / シルヴァスタイン/作 倉橋由美子/訳 / 講談社【中古】 おおきな木 /シェルシルヴァスタイン【著】,村上春樹【訳】 【中古】afb C D C ?【電子書籍】[ William Steig ]
January 19, 2017
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松任谷正隆氏の『職権乱用』なる本を読んじゃった。 松任谷さんは、音楽プロデューサーで、松任谷由美さんのご主人。基本的に音楽家であるわけですが、なぜかクルマ業界にも入り込んでいて、『カーグラフィックTV』では司会を務めているほど。で、本書は、そんな松任谷さんが、業界誌に関係している役得で乗る事が出来た様々なクルマについてエッセイ風にコメントした本。 で、コメントの対象になっているクルマは、高級車が大半なので、そうなんだ~、って思うだけで、真偽のほどは分らないのですが、たまにワタクシが知っている範囲のクルマの話になると、割とワタクシと気が合うというか、ワタクシが感じているのと大体同じようなことを書いているので、ひょっとしたらクルマの趣味は私に近いのかなと。 ま、そんな感じで、面白く読みました。 だけど、この本を読んでいて一つ驚いたことがありまして。 日本カー・オブ・ザ・イヤーの審査員も務める松任谷さんほどの人になると、メーカーがクルマを貸してくれるというのですな。長期に亘って。「おたくで今度出した新車、ちょっと乗ってみたいんですけど」って言えば、「はいはい」ってな感じで何年でも貸してくれるらしいんですわ・・・。だからこそ、本書のタイトルは『職権乱用』なんですが。 ええーー。いいなーーー。じゃあ、もう、自分でクルマを買う必要すらないじゃん。 でも、それって、いいの? そりゃ、個人として向こうが貸してくれるっていうのなら借りたっていいけど、大きな賞の審査員としては、ちょっとまずくないか?? ま、そこはちょっと引っかかるのですが、とにかく羨ましい話で。私も一つ有名になって、クルマをじゃんじゃん借りられるようになろうっと。職権乱用 [ 松任谷正隆 ]価格:1728円(税込、送料無料) (2017/1/18時点)
January 18, 2017
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ネット上のクルマ雑誌『web CG』で清水草一氏が「カーマニア人間国宝への道」なる面白い連載をしているのですが、その第25回「クルマ好きのど真ん中直球」の話題がマツダの現在の在り方を語っていて、激しく共感してしまいまして。これこれ! ↓クルマ好きのど真ん中直球 清水さんに言わせると、今のマツダは「世のクルマ好き」というニッチ市場に向けて製品を送り出しており、それはそれで素晴らしいことだし、実際、マツダの業績も好調なのだけれども、しかし、それにしてもマツダはその「クルマ好き市場」のど真ん中に直球を放っていると。 つまり、クルマ市場全体のストライクゾーンからすると、マツダの投げる球はニッチ狙いの大暴投なんだけど、クルマ好き市場のストライクゾーンからすると、直球ど真ん中だと。 でも、清水さんのようなクルマ好きからすると、ど真ん中に来る直球はつまらない、というのですな。クルマ好きってのは、そういうど真ん中の直球じゃなくて、自分だけが好きな球、自分だけが打てる球を待っているのだから。 うーーん! これは深い! で、清水さんは「CX-3」とか「アクセラ」の1.5リッター・ディーゼル車を例に挙げ、これらのクルマはそのデザインの良さや性能の良さから思わず買いそうになるけれども、こんな直球ど真ん中の球を買ってしまったら、クルマ好き仲間から「ほう、いいの買ったね」で済まされてしまうし、何にも驚かれない。それはクルマ好きの取る道ではないので、自分はそういうのは買わないというのですな。 だから、清水さんはトヨタの「アクア」とか「シエンタ」みたいなベストセラー・カーを買ったと。そういうのを買えば、クルマ好きの仲間から「なんでよりによってトヨタ車なんか買うんだ??!!」と仰天される。それが楽しいと。クルマ好き市場のストライクゾーンからすると、トヨタのクルマは逆に大暴投なので、そういうクセ球に手を出してやったぜ、と。 わかるわ~、この理論。 このブログにも書きましたけれども、私も一時、マツダCX-3のあまりのデザインの良さに惹かれて、つい、買いそうになったことがあるのよ。だけど、実際に乗ってみると、私からするとあまりにもフツー過ぎた。「これ買って、クルマ好きと言えるのか?」というのが頭をよぎったんですわ。 で、結局、さすがに私はトヨタ車を買うところまでは行きませんでしたけれども、ルノーのキャプチャーにしたわけ。これなら、クルマ好きの人に言っても「なるほど、釈迦楽さんはそう来たのか」と納得されるだろうし。 というわけで、今日はそのキャプチャーに乗って初出勤! 何せ昨日我が家にやってきたばかりなので、まだまだ慣れない。いちいち新たな発見をしながらの走行。これがまた、いいのよ。 だけど、早速気付いたのは、このクルマ、モノ入れが超少ないこと。こういうの、国産車だと至れり尽くせりなんでしょうけどね。 でも、いいの。ワタクシは、クルマ好きニッチ市場の中で、さらにクセ球を狙ってバット振ってんだから。小物入れなんかひとつも無くたって、別にどうってことないもんね。 とにかく、今はキャプチャーってクルマのことをよく知ろうと。その一点を楽しみながら、ステアリングを握るのであります。
January 17, 2017
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昨年末に注文したワタクシの新しい愛車、ルノー・キャプチャーの引き渡しが今日あって、我が家にキャプチャーがやって来ました~! 一方、約3年間、4万キロを共にしたシトロエンC4とは、今日でお別れ。記念に内装・外装くまなく写真を撮りまくり、長く記憶に留める一助としました。ショート・リリーフのつもりで格安の中古で買ったシトロエンでしたが、デザインが素晴らしかったし、いいクルマでした。3年間、ありがとうね! そしてルノーのディーラーに赴き、待望の我がキャプチャーとご対面。ブラック&アイボリーの外装色、そしてルームミラー・カバーにはフランス国旗のトリコロールの差し色が入り、なかなかのハンサム・ボーイ・・・いや、フランス語だから un beau garcon か。 ディーラーの担当のAさんからキャプチャーの使い方に関する入念なレクチャーがあって、そしていよいよ引き渡し。既に試乗の時に何度か乗りましたが、やはり試乗で乗るのと自分のモノとして乗るのでは、感慨が違いますからね。 うーん、走りが滑らか! そして静か。ステアリングも滑らかによく切れ、思い通りに動かすことができます。 いいね、いいね、キャプチャー! やっぱり、いいわ~。 そして、すぐに家に戻るのもアレだったので、キャプチャー・ゲット記念の祝杯をあげようってんで、私と家内が向かったのは、長久手の方にある「ヴァイスベーレン」というケーキ屋さん。で、このお店の二階にあるカフェでコーヒーとフレンチトーストをいただくことに。ヴァイスベーレン で、それをいただきながら、駐車場に止めた新しい愛車をカフェの二階の窓から見下ろすと、これがまたいいんですわ。客観的に見ても実にカッコいい。今日からこれが俺のクルマかと、じんわり喜びを噛みしめながらコーヒーを飲むというね。 ということで、昨日、辛い辛いセンター入試の試験監督を終え、今日はその疲れをキャプチャーで癒すという、まさに人生苦もありゃ楽もあり、ということを実感しているワタクシなのであります。
January 16, 2017
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昨日、決死の覚悟で雪の降る中クルマで帰宅したのはよかったものの、今日はどうやって大学に行くべきか。公共交通機関を使ったのでは間に合わないのはわかっているので、自力でクルマで行くか、それともタクシーを呼ぶか。とりあえず寝て、朝早く起きて、様子を見て決めよう。そう思って昨晩は寝たワタクシ。 で、今朝は5時に起きて様子を見たら、まあ一面の銀世界。ためしにちょっとクルマを動かしてみたものの、こりゃ、ちょっと無理っぽい。 ということで、慌てて朝の5時過ぎにタクシー会社に電話したのですが、どこも出払っていてつかまらず。これはかなり困ったことになったぞと思い始めた時、あるタクシー会社が、「予約はできないけれど、今、お宅の近くに空車が一台あるよ」と。 もう、これを逃したら絶対やばいと思ったワタクシ、乗る、乗る! と返事をして、とにかく大急ぎで支度をし、5時半に家の前に来てくれたタクシーに飛び乗った次第。 朝の5時半、真っ暗、一面の銀世界、からのタクシー。 そのタクシーは、当然、スタッドレスを履いているのだけど、すごいね、スタッドレス。もう、雪道なのに普通のスピードでぐんぐん走る。運転手さん曰く、さすがにアイスバーンだとちょっと厳しいけど、新雪だったら全然平気、だそうで。 そこからの小一時間、楽しかったわ~!! だってさ、こんな「非日常」ってないですよ。まず、日曜の朝の5時台、まだ真っ暗な中、しかも雪が降り積もり、降りしきる中での出勤。しかも、そんな危険な状況の中、我が身をクルマの後部座席にふんぞり返らせ、あとはプロドライバーの腕に任せるという贅沢。うーむ、世の大会社の社長なんてのは、毎日こんな感じで出勤しているのかしら~? しかも、、雪と暗闇と視点の変化(いつもはドライバーの視点で見ているけど、今日ばかりは・・・)のおかげで、家から大学までの見慣れた通勤路がまったく見覚えのない風景になるという、その不思議な感覚。これは自分でも意外なほど面白かった。 でまた、今日、たまたまお願いしたタクシーの運転手さんが実にいい感じの人で、ほんと、いい気分で乗っていられたのが良かった。 クルマ好きとして、クルマってものは、自分で運転してなんぼじゃ、と思っていましたけれども、ショーファー・ドリブンのクルマの魅力が、今日、ちょこっとだけ見えたような気がしましたね。 で、本当なら8時頃、大学に着けばいいかな(それだって、私としては相当早い出勤時間)と思っていたのに、期せずして朝の6時半には既に大学に到着してしまったという。もう、この時期朝の6時半なんて、夜だよ、夜。真っ暗。まっさらな新雪に私だけの足跡をつけながらキャンパスを歩いてしまった。 というわけで、この大学に勤めて四半世紀近くになって、初めてタクシー通勤するという、なかなかに得難い経験をしてしまった冬の朝だったのでございます。
January 15, 2017
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寒いですなあ。名古屋も今日は雪が降ったりやんだり。寒い、寒い。 ということで、何か温かいモノが飲みたいと思い、コンビニで「まろやかゆず」というのを買っちゃった。 で、飲んでみたら、これがまたなかなか美味しいのよ。ビタミンCも1000ミリグラムとれるし、風邪の予防にも最適。レモン味のより、和風で、こっちの方が好きかな。これこれ! ↓[ハウス]C1000 まろやかゆずホット 6.4g×4袋入/ビタミンC価格:210円(税込、送料別) (2017/1/14時点) さてさて、明日ももう一日、某仕事に駆り出されますが、これが終れば、月曜日には次の愛車、ルノー・キャプチャー君が我が家にやってくるし、それを目の前の人参にして、頑張ろう!
January 14, 2017
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もう、嫌がらせとしか思えないよね。どうして毎年、センター試験当日に、その冬一番の寒気がやって来るの? 明日から二日間に亘って行われるセンター試験。私も監督に当っております。ので、是が非でも大学に行かなければならないわけですけれども、予報によれば雪が降ると。 しかも、大雪と。 私のように、往復の通勤をクルマに頼っているものとしては、困るんだよね、大雪。もちろん、スタッドレスなんか履いてないしさ。チェーンすらもってないし。 っていうか、来週の月曜日に新車と入れ替えるクルマの為にわざわざチェーンなんて買えないじゃん。 仮に土曜日は、何とか大学まで辿り着けたとして、日曜日がキツイよね。だって、早朝、道路がバリバリに凍結するだろうし。そんな状態で、走れるのかねえ。 そうなってくると、色々手立てを考えなければなるまい。 例えば、土曜日は何とかクルマで大学に行ったとして、その日の夜は大学の近くのビジネスホテルに泊まるとか。それなら、最悪、日曜日の朝はバスかタクシーで大学に行けばいいし。 となると、明日は着替えを持って出勤することになるか。 だけど、ひょっとして、降る降るとかいって、実は降らない、ということもあり得るしな・・・。 ホテル、予約した方がいいのか、それとも明日、いきなり駆け込みで電話かけまくるか。 あー、面倒くせーー! ま、成行きでいくか・・・。 ただでさえ気の重いセンター入試監督に、雪の重圧まで加わって、めちゃくちゃブルーな今日のワタクシなのであります。
January 13, 2017
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習い事は何でもそうだと思いますが、なかなか進歩しないなあ、と思う時期と、あれ、前にはできなかったことができるようになったじゃん、と思う時期が、交互にやってくる。 で、私の柔術の稽古もそうなんですけれども、今はね、幸いに、割と進歩を実感している時期なのよ。だから稽古が楽しくて仕方がない。 きっかけは、昨年末の稽古の中で師範の先生に言われた「柔術で重要なのは、脱力よりも姿勢だ」という一言。 もちろん、脱力も大事は大事なんです。力づくでどうにかしようとすると、特に八光流ではまったく機能しない。とにかく脱力して、自分の体の重さだけを使って技を掛けるというのが大切なんですな。 だけど、脱力するというのは、案外難しくてね。力を入れるのは簡単だけど、力を抜くというのはすごく難しい。だから、私もなかなか思うように脱力できなくて、ずっと苦労していたわけ。 ところが、昨年末に先生から「脱力より、姿勢を作ることの方が重要」と言われて、うーんと唸ったわけですよ。姿勢を正しく作ることなら自分にもできるのではないかと。 で、それ以来、とにかく技を掛ける際に姿勢を正し、自分が東京タワーにでもなったつもりで大地の上にしっかり立つことを意識し始めたわけ。 すると! これがね、うまく行くんですわ。今までどうしてもマスターできなかった二段技の「打込捕」とかが、割と上手に掛けられるようになってきたの。あ、なるほど、そういうことかと。 だけどね、ここが重要なんだけど、この「姿勢を正す」というのは、実は昨年末に初めて言われたわけじゃないんです。それどころか、入門した直後からずーーーーっと言われ続けてきたことなの。7年間ずっと言われ続けてきたことなんです。 その意味が、今、ようやく分かった。「姿勢を正すことが重要だ」という、たったこれだけのことを本当に理解するのに、7年掛かった。そういうことなんです。 いかに「言葉」というものが、伝わらないかということだよね。言葉の上っ面は伝わるかも知れないけれど、そのごく簡単な言葉の本当の意味を悟るのには、やはりその位の時間は掛かるのかな。まあ、単に私の飲み込みが悪いだけかもしれないけれど。 でも、いいのよ。7年もかかろうが、他の人より進歩が遅かろうが、自分としては、何か一つ重要なことを掴んだような気がして、楽しい気持になっているのだから。 ということで、今は、正しい凛とした姿勢ですべての技を掛けることに集中し、結局、この姿勢の正しさがすべての技に通じるんだなということを確認しているところ。楽しい!!
January 12, 2017
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今日はお昼前に会議があって、先日提出された卒論の主査と副査の決定が行われました。要するに、卒論を読んで成績をつけるわけですけれども、これまた一苦労でね。 ま、それはともかく、会議自体はサクッと終わったので、「アニキ」こと先輩同僚のK教授と昼飯でも食いに外へ出るか、という話になりまして。 で、向った先が刈谷総合運動場近くにある「にほんのうみ」という海鮮のお店。前からちょっと気になっていたお店なんですよね~。 そしたら! これがね、旨かったのよ。海鮮丼。丼と刺身が別々に盛られてきて、好きに乗っけて食べるシステム。ボリュームもあるし、ネタは新鮮だし、しかもお値段がたったの920円! これは、贔屓にしてもいいお店かな。教授のおすすめ!です。これこれ! ↓にほんのうみ で、この旨い海鮮丼を食べながらK先生と色々話をしていたのですが、そのK先生、来る2月の半ばにご家族でデュバイに観光旅行に行かれるとのこと。しかもビジネスクラスで! なんでも割とお得な値段でビジネスクラス付の旅行パックが出ていて、しかもチケットは残り3枚だと言われ、ご家族3人でのご旅行を即決されたのだとか。 へえ~! いいな~! ところで、今回のご旅行を決められたのには、なかなか深い背景があったという話になりまして。そこには60歳・還暦というK先生の年齢が関わっていたんですな。 昨年の夏、60歳の還暦を迎えられたK先生曰く、「60になると、意識が変わるよ」と。 59歳から60歳になるのって、1歳分だけ歳を取るだけかと思っていたけど、実際なってみたら全然違ったと。 例えば、映画を見るにも60歳を超えるといつでも1000円くらいでチケットが買えたりして、「老人扱い」されることが増えてくることもあるのですが、そういう外的要因のみならず、自分自身の意識としても「人生、残りの時間はたかが知れているな」という実感がぐわーーんと迫ってくるんですと。事実、いわゆる「健康寿命」の平均は71歳とのことで、それ以後は、どういう病気にかかるかわかりゃーしない。60歳を超えた時点で、「元気で動けるのはあと10年ちょい」と考えた方がいい。 だから、元気なうちにやりたいことは残らずやっておこう。K先生はそう考えられたというのですな。今回のデュバイ旅行も、そんなことをちらっと考えながらの決断だったのだそうで。 「これからは、やりたいことをやって、やりたくないことはできるだけ避けて、好きなように生きるんだ」と、K先生はおっしゃっておりましたが、なるほどね、60歳を過ぎるとそういう心境になるわけか。 私自身のことを振り返ると、30歳になったときの壁はありました。この時は「もう俺も若くないんだ、自分のことを『青年』とは呼べないんだ」という思いが強く迫って、ちょっとガーーンという気持ちになったのを覚えております。でも、その後40歳を超えても、50歳を超えても、あんまりそういう意味でのショックはなかった。 しかし、K先生のお話を伺っていて、多分、60歳になったときに、私にも次の壁が来るんだろうな、という気がしてきましたね。 でもさ、そう考えると、逆に60歳になるのを待たなくてもいいんじゃないか、という気もしてきませんかね。年齢の壁の先を越して、「これからは、やりたいことをやって、やりたくないことはできるだけ避けて、好きなように生きる」というのを、今、現時点から実践しちゃうの。そうすれば、「好きなことだけやって生きる」時間が伸びるじゃん、その分。 おーし。そうしよう。ワタクシは、もう今日から還暦だ!
January 11, 2017
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数日前の本ブログで、ラルフ・ウォルドー・エマソンの有名な格言、「A man is what he thinks about all day long.」の出典が分らない、という話を書きましたが、あれから若干の進展がありまして。 エマソンの格言集みたいなものを何冊も集めて研究した結果、どうもエマソン自身がこの言葉を吐いたのではないのではないかという結論に落ち着きつつあるのよ。 でも、じゃあ、火のないところに煙が立ったのかというと、必ずしもそうでもない。エマソン自身、これに近いことは言っているんです。 実はまだ未確認ではあるのですが、1847年8月のエマソンの日記に、 Life consists in what he is thinking of all day. という文があるらしんですな。加えて、同じ1847年の講演記録にも良く似た一節があって、それによると、 What is life --- but what a man is thinking of all day? とある。 一方、「A man is what he thinks about all day long.」という一文をエマソンの名言だとして引用しまくっている奴がいる。それは Joseph Murphy (1898-1981) という奴で、この人は有名な自己啓発ライター。マーフィーは、それこそ数ある著作の中で、何度となくこの言葉を「エマソン曰く」と言いながら引用しております。 またもう一人、マーフィーとほぼ同時期の著名な自己啓発ライターである Norman Vincent Peale (1898-1993) も、その最も売れた著作である『The Power of Positive Thinking』の13章で、マーフィーと同じ文章をエマソンのものとして紹介している。 で、思うに、ですよ。思うに、マーフィーとピールのどちらか(多分、ピールが先)がエマソンの「Life consists in what he is thinking of all day.」という言葉を自分流にアレンジし(あるいはうろ覚えで引用し)、「A man is what he thinks about all day long.」と変えて、自分の本の中で喧伝したものだから、後の世ではむしろこちらの方が有名になってしまった・・・ということなのではないかと。 ちなみに、エマソンの格言にはもうひとつ「We become what we think about all day long.」というバージョンもあって、こっちを引用する自己啓発ライターも多いのですが、これまた同じパターンなのではないかと。 さらにちなみにエマソンには「思えば、成る」的な格言が色々あって、例えば Our prayers are prophets. (Conduct of Life: Considerations by the Way) Nothing is impossible to the man who can will. (Conduct of Life: Considerations by the Way) He only is a well-made man who has a good determination. (Conduct of Life: Culture) とかね。要するに、エマソンが「強く願えば、それは実現する」という考えの持ち主であったことは確かなんですよね。 ま、今のところ、こんな感じの調査結果。もちろん、もうちょっと調べます。
January 10, 2017
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今日は成人式から流れてきた新成人でごった返す名古屋の街中で、ゼミのOB・OGと飲み会をやってきました。 で、OGの一人から、「もうじき婚約」の報告があり、こりゃ目出度いと大盛り上がり・・・したいところだったのですが、さにあらず。 だって、傍で見ていても気の毒なくらい、落ち込んでいたから・・・。 うーむ、「マリッジ・ブルー」なる言葉があることは承知していたものの、近々婚約するっていう人でこれほどブルーな人が存在するってこと自体、私には非常に驚くべきことでありまして。だって、好きな人と結婚の約束をするんでしょ? 嬉しくないの? だけど、話を聞いてみると、相手の男に問題ありあり。 私の教え子としては、まだ時期尚早って思っているわけですよ。もっと働きたいし、結婚するにしても、その資金を自分でも貯めたいと。 なのに相手の男は、そんな彼女の気持ちを理解しようともせず、どんどん話を進めちゃっているわけ。嫌がる彼女を連れてブライダルなんちゃらに出かけて式の日取りなどの計画を進め、婚約指輪を買い、住む家を決め、家具を買い揃え・・・。 彼女としては、まったく自分の意図と関係ないところでどんどん話が進んでいくことに怯え、彼に対する気持が引いて行くことに恐れを抱いている。今は二日に一回、大喧嘩をしているのだとか。 いやあ・・・。これさあ、このまま話進めていいのかね・・・。引き返すなら、今なんじゃないの? このまま引きずられて、「The point of no return」を越しちゃったら、後で後悔するんちゃうのん? 私のその教え子というのは、美人さんでね。客観的に見れば、他にいくらでもいい人がいるだろうに、そんな彼女にして、アホな男に引きずられて嫌々ながら結婚する、なんてことがあり得るってことが、私には信じられない。 でも、そういうタイプの女の子っていうのは、意外に沢山いるのかもね。そんな気がする。振り返ってみれば、そういう例を沢山見てきたような気がするもんね。 私の教え子は、私からすれば自分の子供みたいなもんだからね。その可愛い子供が、そんな望まない結婚をするの、見ていられないなあ・・・。 飲み会がお開きになった時、その子と一瞬、二人だけになる機会があったので、「お前、よく考えて、自分を大事にしなきゃいかんよ。自分以外、自分を大事にしくれる人なんかいないんだぞ」と一言、「そんなつまらない男とは別れちまえ」っていうメッセージをオブラートにくるんで手渡しておきましたが、さて、どうなることやら。
January 9, 2017
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やーれやれ、今日、ゼミ生の一人が卒論を書き終え、これで今年度の卒論指導終了~となりました。やあ、めでたい。 私が今、所属している科は、残念ながら廃止が決まっており、今の1年生が卒業するのを待って完全に消滅します。だから、私が卒論の面倒を見れるのもあと残り3回ということになるのかな? そう考えると、卒論指導ってなかなか面倒臭いのですけれども、残されたわずかな回数、しっかりやらなきゃ、って気にもなります。 まあ、とにかく、今年度もこの大仕事が終って、ホッとしましたね。 しかし、卒論が片付いたとなると、今度は自分のことを考えねば。紀要原稿、書かなくっちゃ! そう言えば、うちの科が出している紀要、次の号で記念すべき第50号となるんですよね。 50号ということは、50年。いや、途中、何回か発行しなかった年もあるので、実際にはきっちり50年じゃないんですけど、とにかく半世紀以上に亘って連綿と続いてきたこの紀要。私が編集長になったのは第38号の時だから、そこから数えても結構な年数なんですけど、とにかく50年以上続く雑誌って、そうそうないですからね。 だから、今号には私も是非寄稿したいのですけど、まだ1行も書いてないという。 まあね、私がその気になれば、1週間で書きますけど、それが何か? まあ、人によって紀要論文の位置づけって色々あると思うのだけど、私の場合は、結構テキトーね。 っていうかね、何かこう、ちょっと面白いネタがある時は、まず超テキトーに研究発表しちゃうのよ。で、そこで他の研究者から批判されたり、感想を聞かせてもらったりする。で、ふむ、ふむと思うわけ。 次に、この発表原稿をもとに、科の紀要とかにテキトーな論文を書く。この時点で「超テキトー」だったものを「テキトー」と言えるくらいのところまで格上げするわけ。 で、次にこの紀要論文をもとに、自分の本を書く。この時は練る。かなり徹底的に練る。 とまあ、この3ステップで、あるアイディアを自分のモノにするわけよ。だから、紀要はその中間地点。だから、気楽。だから、1週間で書ける。 とか言って、テキトーなのを正当化しているわけですが。 でもさ、これも一つの戦略で、そうやって気合をわざと抜くからこそ、大胆なものが書けるってところはあるのよ。大風呂敷って奴? というわけで、そろそろ学生の面倒見から、自分の面倒見に移行しようかなと企んでいるワタクシなのであります。
January 8, 2017
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個人的なアレで申し訳ありませんけれども、私は京都とか大阪とかと相性が悪くてですね、私も向こうが嫌いだけれども、向こうも私が嫌いというね。相思相愛の逆。だから、めったなことでは京都・大阪には足を踏み入れないのですけれども、今日はそのめったなことがありまして。 学会の幹事会が心斎橋の「大和屋」というところで開催されたので、それに顔を出してきたんですわ。 そしたら、これがまた意外なほど美味しかったのよ、大和屋の懐石料理が。大阪って言ったらたこ焼きだけじゃないんだなと。 ということで、今日のところは大阪と喧嘩せずにいられたという。 だけど、ちょっと驚くのは、大阪人のマスク問題ね。 日本人が日常的にマスクをして表を歩いているっていうのは、外国人の目から見ると相当奇異に映るといいますが、我々日本人は、何だか日頃見慣れちゃっているので、別にそこまで可笑しいとは思いませんよね? 私もそれほど変とは思いませんし。 だけど、そんな私から見ても大阪人のマスク姿は奇異に映るわ。だって、マスクが黒いんだもの。 ビックリするんだけど、大阪で今、真っ黒なマスクが流行っているらしいんだよね・・・。だから、何だかカラス天狗が群れをなしてやってくる、みたいな感じなのよ。あれは一体・・・何? さてさて、それで幹事会が果ててから、私が向かったのは梅田スカイビル。ここの27階に「絹谷幸二 天空美術館」というのが最近出来た、というのを小耳に挟んだもので、ちょいと見てやろうと思ったわけ。 まあ、好き嫌いはあるでしょうけれども、私は割と好きなんですよ、絹谷幸二。なかなかあそこまでド派手な絵を画く人っていないですからね。 で、実際に入ってみると、高層ビルのワンフロアを使っただけのこじんまりとした美術館でね。出来たばかりだから、客がひしめいているかと思ったらさにあらず。土曜の午後だってのに、せいぜい10人くらいしか客がいなかったという。大丈夫か、コレ? で、基本的に展示室は2部屋しかないのですが、それらの展示室に行く前に、3Dシアターみたいなところがありまして。ここで、事前に手渡されている3Dメガネをかけて、映像を見る仕組みになっているんですな。 そしたら、これがね、割と良かったのよ。 先ほど言いましたように、絹谷幸二の世界というのはド派手なんですが、そのド派手の感じが3Dにはピッタリ。竜が出てきたり、富士山の火口に突入したり、外連の限りを尽くすんですけど、そんな傾く(歌舞く)感じが絹谷ワールドなんだなあ。 あとね、絹谷さんはフレスコ画も描くそうで、その関連でフレスコ画の解説が書いてあったのですが、それを読んで仰天。 フレスコ画の「フレスコ」って、英語でいう「フレッシュ」のことだったのね。漆喰を塗って、それが乾かないうちに(フレッシュなうちに)その上に絵の具で絵を画くからフレスコ画だってわけ。 で、その仕組みがすごくて、漆喰というのは、乾く時に水分を出して、その分、逆に二酸化炭素を吸いこむんだそうですな。それで、その二酸化炭素を吸いこむ時に、絵の具も中に引き込むのだそうで。 だけど、漆喰が乾いてしまうと、今度は二度と水気のものを吸いこまなくなるのだそうで、だから漆喰が乾くまでの24時間以内に絵を完成させないとダメなんだとか。 しかも、二酸化炭素とともにぐいっと絵の具を引きこんでしまうので、フレスコ画というのは、もんのすごく丈夫なのだそうで、キャンバスに描くのとは異なり、何百年でも持ってしまうのだとか。大昔のフレスコ画が今日まで残っているのはそのせいなんですと。 はあ~。そうなの~。知らなかった~。 ま、そんなお勉強もしてしまいましたよ。 ということで、絹谷幸二美術館、私はエンジョイしました。お好きな方にはおすすめ!です。これこれ! ↓絹谷幸二 天空美術館 で、ここを堪能した後、私が向かったのは、同じ梅田にある「阪急古書のまち」。古書店が10軒ほど軒を連ねるところなんですけどね。そして、ここでまたまた池田満寿夫の美術書を2点ほどゲット。まあ、そこそこの収穫であります。 大阪というと、「天牛書店」という有名な古本屋さんがあって、本当はそこにも行きたいのですけれども、今回はパス。大阪に行くこと自体がほとんどない私にとって、天牛さんはなかなか行きつけそうもない場所ではありますな。 ってなわけで、心斎橋・大和屋、絹谷幸二天空美術館、阪急古書のまちを楽しんだ挙句、帰りには「551蓬莱」の豚まんと「りくろーおじさんのチーズケーキ」(←ホールで買っても675円とか、そんな激安ケーキ)を土産に買ったりして、嫌いだ嫌いだと言っているわりには、目いっぱい大阪を堪能してしまった今日のワタクシだったのであります。結婚記念日 祝い 御祝 ギフト|りくろーおじさんの焼きたてチーズケーキ<6号サイズ 直径18cm>|人気 スイーツ お菓子|内祝い_お返し_結婚祝い_出産祝い|ギフト|お供え|10800円〜送料無料|秋冬_贈り物_お歳暮|価格:1080円(税込、送料別) (2017/1/7時点)
January 7, 2017
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正月に甥っ子に会った時、彼が「どん兵衛鴨だしそば」のことを熱く語っておりまして。 なんでも年末、風邪を引いて体調が悪く、それでも何か食わないと飢え死にするということで、這うようにコンビニに行ってカップ麺の「どん兵衛鴨だしそば」を買って食べたら、これがやたらに旨かったと。それで、翌日、連チャンで鴨そばを買ってきて、これを年越しそばにしたというのですな。 で、彼は「赤いきつね」と「緑のたぬき」だったら絶対に「赤いきつね」派で、しかも関西バージョンのそれが好きだと言うのですが、その彼にして、「どん兵衛鴨だしそば」は「赤いきつね」をも陵駕する美味しさであると。 うーむ! そうなのか! ならば、「緑のたぬき」派のワタクシとて、試してみないわけにはいかないじゃないの。 ということで、食べちゃいましたよ、どん兵衛鴨だしそば。 うまいです。 確かにね、「緑のたぬき」に比べて、出汁がいかにも「鴨」していて、その独特のコクを再現しております。麺も、より生めんっぽいかな。 甥っ子の話を聞いて、多少、ハードルを上げ過ぎたところもあり、腰が抜けるほどの感銘は受けませんでしたけれども、もう一回食べてみたいという気がするほどのレベルではありましたね。これこれ! ↓日清のどん兵衛 鴨だしそば 105g×12個【楽天24】【ケース販売】[日清 どん兵衛 そば ソバ 蕎麦]価格:2332円(税込、送料無料) (2017/1/6時点) これ、たとえば海外に滞在中とかで、日本食に飢えていたら、めっちゃくちゃ美味しいんだろうな。 閑話休題。 最近、歳のせいか、懐メロに心惹かれるものがありまして。 それで、私にとっての懐メロというのは、70年代ポップスなのよ。子供の頃、耳にした。 で、その時代、私が好きだったシンガーたちのベスト盤とかをぽつぽつ買ったりしているのですが、これがね、なかなか難しい。難しいというのは、失敗が多い、という意味ですが。 で、最新の失敗が、バリー・マニロウね。「歌の贈り物」とか。「コパカバーナ」とか。 子供の頃、ちょっと好きだったよな、と思い出し、20曲が入ったベスト盤を買ってみたのですけれども、実際に聴いてみると、飽きるんですよね。一回聴いたら、もう当分いいかな、みたいな。 同じことは、キャプテン&テニールのベスト盤を買った時にも思ったし、スティングとかエルトン・ジョンのベスト盤買った時も思った。なんか、つまらないわけよ。 やっぱり、アルバムというのは、ヒット曲が並んでいればそれでいい、というもんでもないのね。ヒット曲とヒット曲の間に、箸休めみたいな曲があるからいいのであって。だから、結局、アルバムを一つ一つ買っていくしかないのかなと。 で、そう考えながら思うのは、ビートルズの偉大さですよ。 ビートルズの場合、一枚一枚のアルバムが素晴らしいのはもちろんなのだけど、結局、どのアルバムにも箸休め的な曲はなくて、全曲がヒット曲だ。全曲ヒット曲なのに、どのアルバムを聴いても飽きることがない。 しかも、ビートルズはベスト盤(赤版・青版)で聴いてもいいんだよね。 やっぱ、すごいよね。ビートルズ。バリー・マニロウを瞬殺で聴き飽きながら、そう思いました。
January 6, 2017
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仕事のことで、一つ困っておりまして。 ラルフ・ウォルドー・エマソンっていう19世紀のえらーいエッセイストが居るんですけど、この人は以後の自己啓発ライターにとっての神さまみたいな人で、誰もがこぞってエマソンの言葉を引用するんですな。 で、中でも高い頻度で引用されるのが、 A man is what he thinks about all day long. という奴。日本語に訳せば、「人は、その人が一日中考えているものである」ということで、つまり科学のことばっかり考えている奴が科学者で、小説の筋ばっかり考えている奴が小説家だと。だから、例えば野球の選手になりたかったら、一日中野球のことを考えていろ、そうすれば野球の選手になれるよと。 つまり、人間は、ずっと一つのことを集中して考え続ければ、なりたいものになれると。そういう「思考のパワー」について語った言葉なわけ。だからこそ、自己啓発ライターがこぞって引用するわけね。多分、一番最初に引用したのは、ジョゼフ・マーフィーじゃないかと思うのですが。 で、実際、ネットでも、この一文がエマソンの代表的な名言の一つとしてやたらに引用されている。 ところが。 じゃあ、エマソンはどの著作の中でこの言葉を発している(書いている)のか、というと・・・これが分らないんだなあ。 引用はされるけれど、出典が示されないので、本当にこれがエマソンの言葉なのか、確かめられないわけよ。 で、私も散々色々な調べ方をしてみたし、図書館の司書の人に頼んで種々調査してもらったのですけれども、出典が分らない。っていうか、出典が分らない以上、これが本当にエマソンの言葉なのかすら分らないんです。 これだけ、エマソンの代表的な名言として世間に出回っているのに、その出典が分らないなんてこと、あるのかねえ? というわけで、頭を抱えているワタクシ。もしこれをお読みのエマソン通の方で、「ああ、それはどこどこに書いてあるよ」ってなことをご存じでしたら、ぜひぜひ、私にご一報を。よろしくお願いいたします。
January 5, 2017
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昨日から読み始めた古書山たかし氏の『怪書探訪』、なかなか面白いです。古本ライターは数あれど、行間から透けて見える教養は大したもので、これだけのものが書ける人って、なかなかいないのではないかと。「古書山たかし」などと人を食ったようなペンネームですが、一体、何者なんだろう? 上場企業の役員らしいですが。 ま、それはともかく。今日で大学の冬休みも終了。明日はもう授業があるので、今日の夜、名古屋に帰らなくちゃ。 ということで、今日はあれこれ家のことを片付けておりました。と言ってもちょっとした用を済ませただけですけど、朝も早よから電車に飛び乗り、隣町の駅の近くの眼鏡屋さんで父の眼鏡を修理してきまして。 ま、この眼鏡については爆笑の小ネタ付きでね。昨日、父が読書用の眼鏡を失くしたというので、大騒ぎして探したら、結局、こたつの中から出てきたんですわ。 でも、誰かに踏まれちゃったのか、片方のレンズが枠から外れちゃった。 で、これじゃあ仕方ないから、眼鏡屋さんで修理しなくちゃ、ということに相成ったのですが、今朝、その壊れた眼鏡を持って行こうと思ったら、またないのよ。 ありゃ、また探すのかよ、と思って部屋を見渡したら、父がその眼鏡をかけて新聞を読んでいたというね。 父よ、その眼鏡、片っぽフレームだけだよ・・・。もう、サザエさんのギャグみたいなことは止めて・・・。 ところで、探し物ということでは最近一つ、面白い発見がありまして。 最近、父も母もやたらに何かを失くしては探し物ばかりしていて、困ったものなんですけれども、先日そのことを姉と話していたら、姉曰く、「私はそうやって探し物をするのが好きだ」と。 ん? 姉様、今、何とおっしゃいました? 全然聞き違いではなく、我が姉はモノを失くして、それを探すのが好きだというのですな。ワクワクすると。それで、今、何が行方不明かを手帳に書いておいて、折に触れて家中を探し、うまく見つかったら、手帳に書いた上に線を引いて「解決」ということにする。それがすごく楽しいと。まあ、失くすと言っても、靴下が片方ない、とか、そういうことらしいのですが。 うーん! そういう風に考えたことがなかったので、そう聞いて新鮮! なるほど、モノを失くして、それを探すというのは、そんなに楽しいことだったのね。 いやあ、くだらないことかも知れないけれど、新しいモノの見方を学んだような気が。何でも前向きにね。 さてさて、今日の夜はね、私がカニ鍋を作って両親にご馳走し、それを食べてから名古屋に戻ります。明日からはまた名古屋からのお気楽日記。お楽しみに〜!
January 4, 2017
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昨日、家内が一足先に自身の実家に戻り、今日、姉の一家が帰って行ったため、実家は私と両親の三人だけとなりました。大家族から核家族へ一気に収縮して、寂しい限りでございます。 で、私は今日も遠隔操作で卒論の添削。ですけれども、忙中閑ありというのか、その合間に本を読むくらいの時間はある。 ということで、名古屋の家から持参した本の中で一番気楽に読めそうな『アァルトの椅子と小さな家』という本を一気読み。 著者の堀井和子さんという人は、一応料理研究家のエッセイスト、なのかな? よく分かりませんが、とにかくこの本は、堀井さんがスイスやらフランスやらスペインやら、あるいはフィンランドやらデンマークやらを旅行し、その旅行先のホテルの朝食が旨かったとか、どこそこでお土産を買ったらすごく美味しかったとか、どこそこでチーズ用のカッティングボードを買ったりリネンを買ったりした、ということを淡々と述べるという趣向。確かにフィンランドでアァルトの椅子を見たとか、スイスでコルビュジエの設計した「小さな家」を見たということはありますが、本書のタイトルと内容は必ずしも合っているとは思えません。 要するに有閑マダムの優雅なヨーロッパ旅日記、というもんですな。 だから悪いということはないんですけれども、「はあ〜、自分には今のところとても出来そうにないけれども、いつかこんな風に優雅なヨーロッパ旅行が出来ればいいなあ・・・」という思いを抱かせるだけのもので、そうね、例えば国際線の飛行機の座席に常備してある航空会社の雑誌ってあるじゃないですか。ああいうのに載っている旅エッセイみたいな感じ。 まあ、あんまり歯ごたえの無い本だったけど、卒論指導の合間の現実逃避には良かったかな。アァルトの椅子と小さな家 [ 堀井和子 ]価格:712円(税込、送料無料) (2017/1/3時点) さてさて、これも読み終わっちゃったので、次は何を読もうかしら。よし、これだ。怪書探訪 [ 古書山 たかし ]価格:1944円(税込、送料無料) (2017/1/3時点) 今、ちらっと読んだら、これはなかなか歯ごたえがありそう。楽しみです。
January 3, 2017
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今日は正月2日、恒例の小学校時代からの親友二人と相模大野で新年会でございます。 で、もう40年以上の付き合いになる三人組ですから、久しぶりに会おうが、まるで毎日会っているかのような感じなんですけれども、やっぱりアレですね。この歳になると、話題が渋くなるね。 つまり、40代だと最近身体のあそこが悪い、ここが悪いという病気自慢になるんですけど、50代になると親の介護問題、これが結構な比重を占めて来る。自分のことより、親のことになってくるわけ。どうしてもそっちの方が切羽詰まってきますからね。 で、そんな苦労話を聞きながら、うちも他人事じゃないなと。今のところはまだ何とかなっていますが、この状態がいつまで続くかなんて分からないもんなあ・・・。 だけど、新年早々、渋い話ばかりなのもアレなので、私が「最近、クルマ買ったよ」という話題を振ったところ、たまたまTのところもスバル・レガシィからトヨタのヴァンガードに替えた、という話になり、まるで若かりし頃のようなクルマ談義に花が咲きまして。やっぱり、我々の世代は、クルマの話は熱が入りますからね。 あと、何の話の流れだったか、三人とも富士山に登ったことがない、という話題になり、案外、キツい登山になるらしいし、山頂で泊まるにしてもものすごい人数の雑魚寝になるという話から、せめて8合目くらいにシャワートイレ完備のアパホテルでも建ててくれないか、という話になり。 で、どうせなら、その辺りまで動く歩道を作ってくれないか、という話になり。 で、どうせなら、エベレストなんかも、トンネル式の動く歩道で山頂まで行けないか、という話になり。 で、どうせならそのトンネルもコンクリじゃなくて、分厚いアクリルで作って、絶景が見られるようにしてもらえないか、という話になり。 で、その動く歩道で景色を楽しみながら山頂に向いつつ、「あ、あそこで雪崩が起ってる!」とか、「お、あそこで山岳隊がクレバスに吞み込まれた!」とか、そういうのも眺められたらどうなのか、という話になり(非道い!)。 要するに、馬鹿な話をしていたということでありまして。 小学校時代の友だちっていいな。 ま、そんなこんなでいつも通りの和やかな新年会となったのでした。 あ、そうそう、その新年会で、私はどこどこの蔵元から直送、とかいう日本酒の生酒を飲んだのですけれども、ロックで注文してみたわけ。そしたら、氷に注がれた日本酒のグラスに櫛切りにしたライムが刺さっていた。 で、そのライムを軽く絞って飲んだのですけど、これがね、結構美味しかったのよ。 日本酒、私は割と好きなのですけど、いつも冷やで飲むばかりで、ロックにしたのもライムを絞ったのも初めてだったのですけど、こういう、ちょっと洋酒っぽい飲み方も面白いものですな。今度、家でもやってみようっと。
January 2, 2017
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明けましておめでとうございます。本年も本ブログをご贔屓のほど、よろしくお願いいたします。 さて、昨夜、もちろん紅白は見ずに(私は見なかったですけど、ネットの情報によると、大層ひどいものだったらしいですね!)、『ゆく年 くる年』だけ見て、それから近所の神社に初詣をしてきました。 ま、それは毎年のことなんですけれども、今年はね、一つ、すごいことをやってきましたよ。 お参りの際、お賽銭を例年の10倍額出してまった! 10倍だよ、10倍! つまり、100円出したんですけど・・・。 100円とはいえ、10倍だから。 で、その余勢を駆っておみくじを引いてみた。すると・・・ じゃーん! 「大吉」、出ました〜! やっぱりな。神仏も金次第かっ!! ま、それはともかく、幸先のいい2017年の始まりです。 そして一夜明けて正月元日。若干喪に服して祝い箸などは出しませんでしたが、一応はおせち料理を堪能。私の黒豆ちゃんも好評でございました。 だけど、お節に間に合うように来る筈だった甥っ子は胃腸風邪でダウンしたようで来られず。また明日来る予定だった姪っ子夫婦も、同じく胃腸風邪で来られないようで。なんか、そういうのが流行っているんですかね。可哀想に。 というわけで、ちょっとメンバーが寂しくなってしまいましたが、午後からはいつものように新百合ケ丘に出かけ、新春バーゲンなどを冷やかしに。 で、私はユニクロでアレ買っちゃった。カシミヤのセーター。深緑色の奴。半額だったんだもーん。やっぱりカシミヤは薄くても暖かいからね。肌触りもいいし! そして帰宅してからは、ゼミ生の卒論の添削を少々。ま、ゼミ生たちも大分論文書きが上手になってきて、このごろはあまり大掛かりに直さなくても済むようにはなってきました。やっぱり、指導がいいからね。 これが終ったら、またちょっと読書でもしようかな。 というわけで、息抜き8割、仕事2割ってな感じの、いつもながらの元日を過しているワタクシなのであります。
January 1, 2017
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