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持田叙子(のぶこ)さんという方が書かれた『折口信夫 悲恋の道』という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 ちなみに持田さんというのは、1959年生まれですから、今年で還暦ということになるのかな? 著者プロフィールのところにちゃんと生まれ年が書いてある。私はまず、そのことを褒めたい。女性の研究者で、本を出しても年齢を明かさない人って多いんですよね。私はそれがものすごく良くないと思っていて、自分の年齢を書かない女性研究者の本って、まずその時点でマイナス点をつけちゃうの。特に文化系の研究者なんて、年齢がモノを言うわけじゃない。この本を書いた人が30代なのか50代なのか、それによって同じことが書いてあっても、その意味するところが異なってくる。だから、ちゃんと自分の年齢を明かすというのが、研究者のマナーだと思っているわけよ。持田さんはそこがきちんとできているからね。 で、この人は『荷風へ、ようこそ』という本でサントリー学芸賞をとっているほどで、執筆者としての腕はあるわけだし、『折口信夫全集』の編集・校訂・解題もやっている上、『折口信夫 独身漂流』『歌の子詩の子、折口信夫』という本も書いているくらいだから、折口信夫のことを書く素養はもう十分過ぎるほどある。それに国学院の大学院を出ているので、岡野弘彦さんのような折口の直接の弟子からも教えを受けているだろうし、バックグラウンドはもう完璧。 ・・・なんだけれども、それにしてもこの本は相当大胆よ。 もうね、持田さんに折口信夫が乗り移ったかという感じで、中学生時代くらいの折口さんから、死の直前の折口さんまで、折口さんの目線で、折口さんの大阪なまりで、折口さんの胸の内、心の葛藤を吐露するという内容になっているんです。もちろん、事前に折口さん関連の資料を山ほど読破し、それらの内容を全部自らの血肉にした上で、それをやっているんでしょうけれども、それにしても相当の自信がなければ、折口さん本人に成り代わって語るなんてこと、出来ることではない。 だけど、本書はそれが自然に出来ているんです。そこが実に驚くべきところでありまして。それこそ、折口さんの肉声を読んでいるような気がする。折口さんは、人も知るように、同性愛者なんですけれども、その折口さんが、自分の教え子の中に恋愛対象を見つけ、その人に執着していく時の胸の内とか、折口さん本人でしか分かるはずのないことが書いてあるのですけど、それを読むと、ああ、きっとそうだったんだろうなと納得させられてしまう。それほど、生々しく折口さんの内面を描き切っているんですわ。 いやあ、なかなか出来る芸当ではないですよ、これ。 私も折口さんの歌が好きで、また折口さんの学者としての在り様、人間としての在り様にものすごく興味があって、伝記やら何やらをよく読むのですが、今回、この本を読んだことで、幾つもの伝記が語る様々な事実や事件の背景だとか、その裏にある折口さんの思いとか、そういうものが補填されたような気がします。 特に、肉親の中で唯一といっていいほど折口さんと気が合った「えい叔母」のことや、折口さんの最初の恋人であった辰馬桂二やその次の恋人だった伊勢清志のこと、折口さんの生活を支えた鈴木金太郎のこと、そして藤井春洋との出会いと関係の深まり等々、この本を読んで「ああ、そういうことだったんだ」と思うことが多かった。 それから本書全体を通じて、折口さんが日本文化の根本に「恋」というものを据えていたことも、改めてよく分かりました。大和魂の根本は恋だと。だからこそ、あれほどますらおぶりの万葉集に通じていながら、それだけではダメだと。源氏が読めなくてはダメだと。ましてや戦時中、女性的なものを女々しいとして排除するような風潮があった中、断固として源氏を読むことを続けた折口さんのゆるぎなさ。それは、全身全霊を燃え立たせるような純粋な恋こそが日本を成立させているものであって、それがあってこそ、武士道的なものも成立するのだという確信があったからなんでしょうな。 そしてそれこそ全身全霊をあげて尊敬していた柳田國男の民俗学だって、柳田自身は資料に基づく厳正な文科科学だと言っているけれども、その根本には柳田の恋があるはずだとして、折口さんがその最晩年に柳田を主人公とした恋物語を書こうとしていたということ。これは本書を読んで初めて知りましたが、なるほど、そうなのか~と納得。折口さんの学問は、小説という形で表されて初めて最高のものとなる--そんな持田さんの持論も、私には納得できることでありました。 ってなわけで、愚考するに、折口さんについて書かれた近年の様々な本の中でも、本書はかなり突出しているのではないかと。 この本、昨年の9月の出版ですから、まだ十分に評価されていないような気もしますが、そのうち高い評価が与えられるようになるのではないかと思います。少なくとも折口ファンは必読です。折口信夫 秘恋の道 [ 持田 叙子 ]
January 31, 2019
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今日、ニュースを見ていたら、ヤマネの話が取り上げられておりまして。 場所はどこだか忘れましたが、どこかの田舎町の、森の中の一軒家で、天然記念物のヤマネが見つかったと。 その家で部屋に布団を積み上げていたらしいのですが、それを使おうとしたら、畳んだ布団の中から冬眠中のヤマネがコロコロっと転がり出た。 普通、ヤマネは森の中の土に穴を掘って冬眠するらしいのですが、たまたまその子は眠る場所を探していて、その家に入ってしまい、入ってみたらなんだか暖かそうな場所がある。こりゃ、いいってんで、その中に丸くなって寝ていたのでしょう。 それだけでも、相当可愛い話じゃん? ところがね、この話には続きがあるのよ。 なんと、そのヤマネちゃん、ドングリを二つ三つ、持参してきていたんですって! ひゃー! 可愛い! そのドングリ、どうするつもりだったんだろう? 冬眠している最中に、ふと起きてしまった時とか、オヤツに食べようとしてたのかしら。可愛すぎる・・・。 殺伐としたニュースが多い中、たまにこういう話も、いいよね。
January 30, 2019
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最近、話題の多国語翻訳機「ポケトーク」って、あれ、どのくらいの精度なんだろうね。値段は2万5千円位のようだけど、買ってみようかな・・・。 ウェブ上の翻訳マシンを使ってみると、まだまだレベルが低くて、これじゃとても使い物にならないとは思うのですけど、AIの世界は日進月歩だからなあ。スマホだって、10年前には考えられないようなレベルになっているわけだし。 現状のポケトークが、オリンピックで来日する観光客向けの、「山手線の乗り口はどこですか?」レベルのものだったとしても、10年後には分からないよね。これさえあれば、何か国語でも瞬時に音声で翻訳できるようなものになっていたりして。 しかし、そうなると、ですよ。 英語の先生って、必要なくならない? それとも、電卓が普及してもそろばん塾はなくならないでしょ、的な感じ? でも、ガチでパーフェクトな翻訳機がスマホに装備されるようになったら、語学としての英語を学ぶ必要性がかなり減るんじゃね? そうでもないのかな? 英作文、勉強するのしんどい~、と思っている人からすれば、スマホに話しかければ瞬時に英語になって文字と音声で表示されるのに、なんでそれを自分の頭でやらなくちゃいかんのだ、と思うよね。 そんな時代がもしあと10年でやってくるとしたら・・・。 英語の先生とか、あるいは英語の先生を育成する英語教育学の先生とか、そういう今の状況をどういう風に捉えているんだろう。危機感とか、あるのかな? 新見南吉だっけ、「おじいさんのランプ」って童話があるじゃない? ランプ売りのおじいさんが、電気の時代になって、売り物のランプが一つも売れなくなって、最後、自分の手でランプを一つずつ壊していくって悲しい話。 あれの英語の先生バージョンが、間近だったりして。「こげなもーん!」とか言って、英語の辞書や教科書や参考書に火をつけていく、みたいな。 で、思うんだけど、そうなったら、いよいよ、文学の時代じゃない? 今さあ、大学でも、大手を振って威張っているのは英語教育系の先生方ばっかりで、私のような英米文学系の先生なんて、肩身が狭いのよ。文学なんて要らないというのが、文科省の考え方だしね。 だけど、語学としての英語がポケトーク的なものによって不必要なものになった時、それでも必要なのは文学だからね。物事を深く読む、というのは、人間にとって今後も重要なスキルだろうし。 あー、そう考えると、AI頑張れ! ポケトーク頑張れ! っていう気になるな。 あと10年。英米文学の復権と、私の定年と、どっちが早いか競争だ!
January 29, 2019
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筑波大教授の利沢行夫さんが1月12日に亡くなっていたことを今日知りまして。まあ、私は直接的にはまったく存じ上げない先生ではあるのですが、この人、『サリンジャー 成熟への憧憬』というサリンジャー関連の研究書を1978年に上梓されていて、そのことをちょっと拙文の中で触れる予定だったものですから、ちょっとビックリ。私も学生時代、サリンジャーに夢中になっていた時には、この本も読みました。袖触れ合うも他生の縁ですからね。御冥福をお祈りいたします。 さて、10日ほど前に「そうだ、論文を書こう」とか言って、書き始めたんですけど・・・もう書いちゃった! 原稿用紙で40枚くらい。実質、4日くらいで書いたという。なんかもう、筆力充実しちゃって、何でも書けるよ。 もっとも、書いたというのは第1稿を書いたという意味で、ここから地獄の推敲が始まるんですけどね。私の場合、30回くらい書き直すので、結局、最終仕上げまであと1カ月くらいは掛かるかな。でも、ベースが既に完成しているというのはすごく心強くて、セーフティー・ゾーンには入っているという感じ。これも私の次の本の一章になる予定なのですが、段々、章が増えていくのが楽しい! 1冊分の原稿が溜まるまで、あと・・・2年? 多分、そのくらい。頑張ろうっと。
January 28, 2019
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ミシェル・ルグランが亡くなりました。享年86。 ルグランのことは、ジャズを勉強するようになってから知りました。いわゆる「ルグラン・ジャズ」というもので、正統派ではないのだろうけれども、我が道を行く的な意味では立派にジャズになっているという。 私が好きなのは、やはり「Windmill of Your Mind」ですかね。これこれ! ↓トーマス・クラウン・アフェア しかし、それにしてもルグランの曲って、フランス~って感じがしますなあ。映画音楽が多いからでしょうけれども。 私、フランス映画はあまりよく分からないのですが、フランス映画音楽って好き。何とも言えず「成熟」って感じがするし。 ま、今日は一日、ルグランの名曲でも聴いて、思いを馳せましょうかね。合掌。
January 27, 2019
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昨日、アルヴァ・アアルト展を見た後に、『ライ麦畑の反逆児』という映画を観に行ったんですわ。 この映画、サリンジャー生誕100年を記念して作られたのだろうなあと思うのですが、サリンジャー映画数あれど、唯一、サリンジャー本人を主人公にした映画っていう意味で、画期的だったのではないかと。それまでのサリンジャー映画ってのは、「サリンジャーに会いたい」と思っている若者を主人公にした映画ばっかりでしたからね。 で、そうなりますと、誰がサリンジャーを演じるか、ってのがかなり重要になってくるはず。誰もが、それぞれ頭の中にサリンジャーの映像、サリンジャーのイメージを持っているわけですから、それらの最大公約数でなければならないわけだから。 で、この映画におけるサリンジャー役のニコラス・ホルトですが・・・ 一見、濱田龍臣っぽけど、まあ、合格じゃね? サリンジャーは背が高いのですけど、ホルトも相当高いので、その点も合格。で、肝心の顔の造作ですが、若い時のサリンジャーの顔に似てはいないけど、似ていなくもないという。まあ、いいところなんじゃないでしょうか。あまり似過ぎた人を連れてきても、逆にそれが目につきすぎてしまうこともありえますからねえ。 で、物語は史実に忠実に、若き日のサリンジャーがウィット・バーネット教授の下、コロンビア大学の創作コースで頭角を現し始めるところから始まって、いよいよ作品があちこちの雑誌に掲載され出したところで第二次世界大戦勃発。兵隊として派兵され、ヨーロッパの激戦地で生死の狭間をさまようと。 で、そんな中、気を確かに保つために『ライ麦』の原稿を書き続け、戦後、アメリカに生還するのですが、今度は『ライ麦』の原稿を書こうとすると戦争の忌まわしい思い出が頭をよぎるようになって、書けなくなってしまうんですな。今でいうPTSDという奴。 それで、過去に書いた短編をまとめた短編集でも出れば気も晴れるかと、かつての師匠、ウィット・バーネット教授も奔走するのですが、あいにく、この試みは失敗し、サリンジャーはこれを教授の押しが足りなかったせいと決めつけ、一方的に縁を切ってしまう。 しかし、そこでサリンジャーは仏教のグールーと出会い、彼の指導で瞑想を続けるうちにPTSDから回復、そして書き上げた『ライ麦』が、いくつかのすったもんだの末、出版されることになる。 で、これが評判を呼んで一躍、サリンジャーは時代の寵児になるのですが、そうなると今度は『ライ麦』の熱狂的なファンに付きまとわれるようになり、それが次第にサリンジャーの精神をむしばんでいくわけ。 で、結局、そういうのを避けるためには、自分が隠棲して、世間から切り離すしかないと。まあ、「瞑想」という行為自体、雑念から己を切り離す作業なわけで、それを生活のレベルで実行し始めちゃうわけね。 で、それどころか、ついには自分の妻や子供やなんかからも彼は自分を切り離し始めてしまう。 そして最終的には、自分の書いたものを出版するという行為も、ある意味、不純だ、という結論に至り、彼は「出版」というものから完全に足を洗ってしまいました。 とさ。 っていう話。 まあ、この映画で注目すべきは、最近のサリンジャー研究の趨勢に従って、戦争のPTSDの影響というものを重視していること。それから、仏教的瞑想への傾倒がサリンジャーを救いもしたし、彼を世間から切り離すことにも影響した、というところに重点が置かれていること。この辺のことを取り入れているところが、ナウいのかなと(死語!)。 あと、ウィット・バーネット教授との師弟関係も大きく扱われていて、「教師が教え子に追い抜かされる悲劇」を、ドラマの山にしているところも本作のポイントかな。『アリー スター誕生』とかもそうでしょ? あとから来る奴に抜かれるという話。 ちなみに、本作でウィット・バーネット教授を演じているのは、ケヴィン・スペイシーでして、なんか久しぶりに見かけたなと。例のセクハラ事件で自重していたのかも知れないけど、こんなところで贖罪していたのね。それにしても、スペイシー、ちょっと太り過ぎじゃね? 役作りで太ったというより、自暴自棄的なすさんだ生活で太った、という感じアリアリよ。まあ、そこがバーネット教授役にふさわしいといえばふさわしいのだけれども。 で、トータルで言いますと、うーん、まあ、サリンジャー映画をサリンジャー目線で作ったらこうなるよね、という意味で、レベルには到達していたかな・・・。とにかく、サリンジャー自身を映画化した初の試みなんだから、一応、ほめてあげましょう。 ただ、これ、サリンジャーとか『ライ麦』にまったく親しんでいない人が観て面白いかって言ったら、それは分からないけどね。 ちなみに、私は「伏見ミリオン座」という、シネマ・コンプレックスでは上映されないようなこだわりの映画を上映する映画館で観たのですけれど、観客は14~5人くらいでしたかね。大半は私と同じか、もう少し上くらいのおっさん。つまり、『ライ麦』世代の人たちばっか。ま、そうなるよね。 が、このおっさんたちと私には一つ、違いがある(多分)。 私はね、この映画に登場する登場人物の一人と文通したことがあるんだなあ。本作に、ロバート・ジルーという有名な出版人が登場するんだけど、研究上、この人に問い合わせたいことがあって、手紙出したことがあるのよ。 そしたら、ちょっと感動したんだけど、それこそアッという間に返事が来た。やっぱり偉くなる人ってのは、対応がすごいよね。どこの馬の骨か分からない日本人研究者の問い合わせにも、ちゃんと答えるという。そこは、文学というものへの真摯な向き合い方なんだろうね。 それはともかく、生誕百年を迎えたサリンジャーのためのサリンジャー映画、なるほどね~と思いながら楽しんでおったのでございます。これこれ! ↓ライ麦畑の反逆児
January 26, 2019
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今、名古屋市美術館で開催されているアアルト展を見てきました。これこれ! ↓アルヴァ・アアルト もう一つの自然展 アアルトってのはフィンランドの建築家でね。建築ばかりでなく、椅子や照明のデザインでも有名。私は建築フェチですし、北欧デザインフェチでもあるので、これはとりあえず行っておかねば、と。 しかし、その前に腹ごしらえ。 今日は美術館から少し南に下った大須に行き、ベトナムキッチンという店で、最近、我が家でブームのベトナム風サンドイッチ、バインミーを食べることに。で、行ってみますと、テーブルが3つばかりの小さな店でしたが、作っているのは本場の人。なかなか美味しかったです。 で、本題のアアルト展ですが、うーーん・・・。まあね、建築家の作品を美術館で展示するというのは、確かに難しいだろうとは思いますが、ちょっと物足りなかったかなと。もうちょい、建築物を写した写真が見たかったな。あと、椅子や照明の展示もおざなりで、なんかね。 ま、それはともかく。 展示を見ながら思ったのだけど、アアルトは、やっぱアレだね。図書館とか、役場とか、病院とか、そういう公共建築物を得意とする建築家だと思いますな。個人の家を建てる人ではないような気がする。だから、彼が作った個人宅というのは、なんか寒々しいというか、人が住んでいる気配がしない。ガランとした広い空間があるだけで、居心地が良くない。外観はいいけどね。独特の片流れ屋根がカッコいい。 だけど、私は公共の建物の設計って興味ないのよ。家を上手に作れる人が好き。まあ、なかなか家を上手に作れる人っていないんですけどね。 でも、ま、面白くなくはなかったです。 さて、実は今日はこの後、もう一つ、イベントをこなしたのですが、それについてはちょっと長くなるので、また明日、ご報告することにいたしましょう。
January 25, 2019
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先日、うちの大学が寒すぎるって話を書いて、その対策としてデスクヒーターを買おうかな、って話をしましたが。 で、あれから結局、パナソニックのデスクヒーターを研究費で買うことにし、注文を出しておいたわけ。 すると途端に財務課から電話が掛かって来まして。 それによると、研究室の暖房はエアコンか、もしくは石油ストーブを用いるという内規があり、デスクヒーターは認められない、というのですな。 えーーー! そんな殺生な・・・。 当然、反論を試みました。あのね、私は研究室のエアコンをマックスの30度に設定しているの。だけど、寒くて凍え死にそうなの。特に足元が。だから、足元を温めるものを購入しようとしているんじゃないのと。 すると事務もさるもの、「それでしたら、石油ストーブを・・・」ですって。 あのねえ! そんなこと言うなら、私の研究室に一回来てごらんなさいって。書棚に3重に置いた本と紙の書類でごった返しているよ。それが一日に何度か雪崩を起している。そんなところに石油ストーブ置いたらどうなるの? 火事になるに決まっているじゃないの!! とまあ、そんなことを説明し、足元を温めるデスクヒーターがあれば、エアコンの設定温度だって幾分かは下げられるだろうし、その方が長い目で見れば省エネなのではないですかと。 で、諄々と説明したので、事務も引き下がってくれまして。「でしたら、再検討させていただきます」と。 そうでしょう、そうでしょう。なんでも杓子定規にやろうとしちゃいけないよ。 というわけで、事務の説得に成功した(多分)私、近いうちに届くはずのデスクヒーターを心待ちにしているのであります。レビューとか見ると、「まるで炬燵に入っているようだ」とか、書いてあるじゃない? ひゃー、楽しみ~!
January 24, 2019
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ハーブ・エッカーという人の書いた『ミリオネア・マインド 大金持ちになれる人』(原題:Secrets of the Millionaire Mind, 2005)という本を読みましたので、心覚えをつけておきましょう。 ハーブ・エッカー(Harv Eker)というのは、まあ、お金儲けのためのセミナーなんかをやっている人気講師らしいですが、そういう人によくあるように、20代までは失敗続きだったと。事業を興してもみんな倒産しちゃって。だけど、そこからお金持ちになった人の話とかを真剣に検討し、セミナーなんかにも参加しているうちに、「なるほど、金持ちになる人の考え方ってのは、あるな」と気づく。で、それを自分でも応用してフィットネス関連の店を出したらこれが成功、たちまち10店舗に増え、その株式を半分売って1億6千万くらい儲け、以後、この経験を基にしたセミナーを始めたら評判が良くて、今日に至ると。 ま、金儲けセミナーの受講者が、成功者となり、自ら金儲けセミナーの講師になるというのはよくある話でありましてね。ロマンス小説の世界にもロマンス小説の愛好者が、好き過ぎるあまり、自分でもロマンス小説を書くようになるというパターンがあるんですけど、自己啓発本の世界も同じだな。 それにしても、19世紀後半に年の収益が4000万ドルあった会社の社長のアンドリュー・カーネギーが自己啓発本書くのならわかるけど、たかだか10店舗、1億6千万円(ドルじゃないよ)程度の成功で、「俺は成功者だ! みんな、俺の後に続け!」って言っちゃっていいのかな・・・。せめてお年玉に1億円払えるゾゾタウン社長くらいの成功を収めてから言って欲しい気もするけれど・・・。 まあ、そこは百歩譲りましょう。 しかし、本書の内容も、威勢はいいけど薄くてね・・・。 結局、エッカーさんの言いたいのは、「お金を儲けている状態」というのは枝葉末節の目に見える現実に過ぎなくて、そんなところは重要ではないと。そうではなくて、その枝葉末節の現象を生み出したもの、それは樹木のたとえで言うならば「根っこ」に当たる部分なわけだけど、それは具体的な現象ではなくて、無形の心がけ、すなわちメンタルの問題だと。 つまり、お金とかお金を儲けることに対してどういう感情を持つかによると。 出ました。「あるメンタルの形を保ち、それを宇宙に向けて発信すれば、自然に金持ちになれる」。本書もまた、典型的な引き寄せ系自己啓発本ですな。 で、具体的に言いますと、金持ちになるメンタルの形、すなわち「ミリオネア・マインド」ってのは17個ありまして、それを列挙しますと・・・ 1.金持ちになれる人は「人生は自分で切り拓く」と考える 2.金持ちになれる人は「成功と富」をめざす 3.金持ちになれる人は「絶対に金持ちなる」と考える 4.金持ちになれる人は「大きく考える」 5.金持ちになれる人は「チャンス」に注目する 6.金持ちになれる人は「成功者を賞賛する」 7.金持ちになれる人は「成功した人」とつきあう 8.金持ちになれる人は、セールスに「積極的」である 9.金持ちになれる人は、自分が抱える問題より「器が大きい」10.金持ちになれる人は、富を受け取るがうまい11.金持ちになれる人は、「成果」におうじて報酬を受け取る12.金持ちになれる人は、「両方とも手に入れたい」と思う13.金持ちになれる人は「総資産」に注目する14.金持ちになれる人は、お金を「上手に管理する」15.金持ちになれる人は「お金をフル活用する」16.金持ちになれる人は、恐怖に負けず「行動する」17.金持ちになれる人は「何でも学ぼう」と思う ・・・なんですって。逆に、いつまでも貧乏な人は、上記ミリオネア・マインドの逆をやると。 だから、本当に金持ちになりたかったら、上記ミリオネア・マインドをよく理解したのち、今日からはミリオネア・マインドを持って過ごすぞということを声に出して「宣言」しなさいと。 きっとエッカーさんのセミナーとかだと、受講者全員に席から立ち上がらせて、大声で「宣言」させたりするんだろうな。その場面が見えるような気がする。 ま、とにかく、貧乏な人が持っていがちな「お金を儲けることへの罪悪感」をまず徹底的に排除し、お金を儲けることと幸せになることは両立しえると信じ、人の何倍も一生懸命働き、仕事を通じて人に奉仕するんだ、という使命感を持ち、収入の何割かは必ず貯金や投資に回す。そうすれば、あなたもミリオネアだ! っていうね。 まあ、「一生懸命働く」、「人のために奉仕する」、「貯金する」なんてのは、もちろん、私もすごくいいアドバイスだ、と思いますけどね。 というわけで、もちろんいいところもあるけれども、ごく普通の引き寄せ系自己啓発本だった、かな・・・。ミリオネア・マインド大金持ちになれる人 [ T.ハーブ・エッカー ]
January 23, 2019
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それにしても寒いよね。大学の研究室にいると、もう、しんしんと冷えてきて、エアコンを30度に設定していても震えちゃうよ。 で、なんでこんなに寒いのかと思うんだけど、思い当たるのはただ一つ。人がいないから。 うちの大学には二つ、研究室棟があるんですけど、第1研究棟の改修に伴って、ほとんどの先生方がそちらに引っ越し、今、第2研究棟に居るのは私を含めて6人だけ。でっかい建物がほぼカラで、3階に6人だけ居るという状態。 で、昨年までは2階にも沢山の先生方がいらしたので、その先生方がそれぞれの研究室の暖房をオンにしていたわけですよね。だから、建物の大半に暖かい空気の層があったわけよ。 だけど、今年はそれがない。だから、3階の自分の部屋にいると、足元からしんしんと冷えちゃって・・・。 で、昔は、大学の研究室にはそれぞれスチームがあったのよ。だから、昔は、そのスチームがガンガン暖房してくれたので、真冬でもむしろ暑すぎるくらいで、時々窓を開けて冷たい空気を入れて部屋の温度を下げたものでした。 しかし、文科省がケチで大学にお金をくれないものだから、スチームの設備を維持できず、10年くらい前からスチームは使われなくなりました。各教員は自分のお金でエアコンを買ってつけなさいと。 だけど、エアコンって、すごい寒さの時はパワーが足りなくて、使い物にならないんですよね。北海道のご家庭で、エアコンだけで家の暖房してます、なんてところ、ないでしょ? 酷寒の地では、エアコンだけではとてもやっていけないはず。 そんなわけで、今はエアコンしかないし、しかも建物全体がめちゃくちゃ冷えているので、我々はあまりの寒さに凍えていると。そういう次第。 あのさ、世界に冠たる文明国で、こんな事態ってある? 国立大学の教授がだよ、あまりの寒さで研究室に長居できないなんてことがあっていいのかっ??!! ま、そうは言っても仕方がない。なんとかしなくては・・・。 で、思ったのだけど、足元だけを温めるパネルヒーターってあるじゃない? あの屏風みたいな奴? あれ、どうなんだろう? 効果あるのかな? とにかく、床から足に寒さが伝わってくるので、そこを何とかしたいと思っているのですが、どうなのかね。これこれ! ↓DC-PKD3-C パナソニック デスクヒーター(ベージュ) 【暖房器具】Panasonic 1万円くらいで買えるみたいだけど、買って、机の下に設置してみようかな。
January 22, 2019
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最近、すっかりお留守になっておりましたが、今の私の研究の中心は自己啓発本なんだ、と思って、久しぶりにそっち系の本を読みました。ウィル・ボウエンという人の書いた『もう不平は言わない』(原題: A Complaint Free World, 2007)という本。 このボウエンさんという人は、アメリカ中西部の小さな町の教会の牧師さんなんですが、ある時、不平・不満のない世界があったら、素晴らしいんじゃないかと思いつくんですな。もちろん、いきなり不平・不満をゼロにするというのは難しいので、とりあえず21日間、不平・不満を言わないで過す(21日間というのは、卵が鶏に孵化するまでの期間から取った)。それを自分もやってみるから、皆さんも一緒にやりませんかと。ま、そんな風に教会員の人たちに提案した。 で、それを実行するために、紫色のシリコン製のブレスレットを沢山注文して、自分も身に着け、教会員の人たちにも配ったんですな。使い方は、まずそのブレスレットをどちらかの腕にはめるんですが、もし自分が不平・不満の類を口にしたことに気付いたら、その時点でブレスレットをもう一方の腕に付け替えるわけ。で、その次にまた不平を言ったら、元に戻す。 で、ブレスレットを一度も付け替えないで21日間過せたら、証明書(幸福証書:Certificate of Happiness)を発行する。 ま、そういうルールを作ったわけ。 で、大抵の人は、「自分はそう不平・不満を言うタイプではないし、21日間くらいだったら簡単だろう」と思うらしいんですわ。だけど、実際にやってみると、スタートしてものの5分くらいでブレスレットを付け替える羽目になると。 つまり、意識して自分を観察すると、誰しもすごい頻度で自分が不平・不満を口にしているというのが分かるというのですな。だから、21日間ぶっ通しで不平・不満を言わずに過ごすというのは、結構、骨なわけ。 だけど、諦めずにその努力を続けていると、いつかは21日間ぶっ通しでブレスレットを付け替えないようになる。その時、人は、自分が変わったことに気付くんですって。そして自分が変わるだけでなく、自分の周りの人の自分に対する態度も変わるし、周りの人も不平を言わなくなると。つまり、その効果は水に投げた小石のように、波紋として周囲に広がっていく。 で、この小さな町で始まったプロジェクトが、次第にマスコミに取り上げられるようになり、ついにはオプラ・ウィンフリー・ショーでも取り上げられて、今やアメリカ全土で980万人もの人がブレスレットを身に着けるようになったらしい。 なるほどね。 ま、この本はそんな顛末を語った本であります。 さて、これをどうとらえるか。 要するにですね、これは・・・引き寄せの法則です。引き寄せ系の自己啓発本ですな。 ただ、通常の引き寄せ系自己啓発本は、「良いことを引き寄せる」ことを指南するのに対し、この本は「悪いことを引き寄せない」ことを指南する本になっている。そこが、ある意味、斬新。 著者のボウエンさんは、結局、「言葉の力」というものを信じているわけよ。言葉・・・つまり人が口にしたことはすべて実現してしまう(=引き寄せの法則)。だから、不平・不満を口にすれば、それを引き寄せてしまうんですな。で、通常、人はそういうことに無自覚に生きているので、不平・不満をしょっちゅう口にし、その結果、さらなる不平・不満の種を引き寄せている。 だから、それを止めればいい。不平・不満を口にせず、それを引き寄せなければ、不平・不満の種は芽を出さないので、ますます不平・不満を言う必要が無くなる。で、そうなれば人はどんどんハッピーになっていく。その方がいいじゃん? というのがこの本の主張なわけね。 だから、幸福を引き寄せるのではなく、不幸を引き寄せないためのノウハウを語っているわけで、やり方は違うけど、言っていることは本質的には同じっていう。 ま、それにプラスして、ブレスレットという、不平・不満を可視化するための道具を持ち出したところが、面白味でもあり、成功の秘訣でもあるんでしょうな。 もっとも、これに近いものは、自己啓発本の長い歴史の中で、前にもあることはありましたけどね。それは腕に輪ゴムをはめて、もし何かネガティヴなことを言ったらその輪ゴムをはじいて己を罰する、っていう奴。それじゃまるで中世の修道院のマゾっぽい修道士みたいじゃないか、ってんで、自己啓発本の批判者たちから揶揄されたりしたものですが。 輪ゴムでパチン、じゃなくて、紫のブレスレットを右から左へ、左から右へ付け替えるというところが、ちょっとお洒落っぽいから、そういう批判を受けなくて済んでいるのかもね。 で、ちなみにですけど、こういうプロジェクトを始めてすっかり有名人になってしまったボウエンさんは、その有名税として色々な批判に晒されるようです。 たとえば、不平・不満を言わなかったら、人間に進歩はないじゃないか、という批判。為政者が悪いことをやっている時、市民が不平・不満の声を上げなかったら、その為政者の悪政が続いてしまう。それでいいのか? とかね。 これに対してボウエンさんは、エックハルト・トールという自己啓発ライターの以下のような言葉を引いて反論します: 不平不満を言うことと、過ちや欠陥を指摘して正すことを、混同してはならない。不平を言わないようにすることは必ずしも、悪い品質や無礼な態度を我慢することではない。ウェイターに、スープが冷めているので温め直す必要があることを告げることは、それがニュートラルな事実に基づいたものであるなら、そこにエゴは介在しない。「こんな冷めたスープを出すとはどういうつもりだ!」というのは不平不満である。(『A New Earth』より) なるほどね。ま、そりゃそうですな。何にしても、不平・不満、人の悪口は、できれば言わない方がいいに決まっている。 というわけで、トータルで言うとなんていうこともない自己啓発本ですけど、自分が日頃、どのくらいの頻度で不平・不満を口にしているか、ということを意識的に観察してみる、ということは、無駄なことではないかもね。 そんな本でした。もう、不満は言わない (サンマーク文庫) [ ウィル・ボウエン ]
January 21, 2019
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元日にブックオフで買った『日本映画空振り大三振』という本を読了したんですけど、まあ、なかなか面白いというか、考えさせられる本でしたね。 これ、最近の日本映画46本を見て、いかにそれらがダメな映画であるか、ということを3人の映画通の鼎談形式で検証した本でありまして。で、例えば『ララピポ』とか『ハルフウェイ』とか『ガマの油』といった日本映画が取り上げられているのですが・・・ ・・・っていうか、この本で取り上げられてる46本の日本映画、その存在すら知らない奴ばっかりじゃないか! 辛うじて「ああ、なんかそういう映画があるって話、聞いたことあるな~」程度の認知度があるのって、『おっぱいバレー』と『アマルフィ』くらいしかないわ。 ・・・ま、それは私が寡聞にして知らないだけかもしれませんが、とにかく、そういう46本がほぼことごとくこきおろされていると。 で、私自身はそれらの映画を観たこともなければ、聞いたこともないものばかりなので、3人の評者が言っていることが本当に正しいのかどうか、本当にそれらの映画がことごとくダメなのかどうか、客観的には判断できる立場にないわけですが--しかし、この本を読む限りはですね、評者たちの言っていることは、多分、間違いないんだろうな、という感触は得られます。 っていうか、今、日本映画のレベルは、ここまでひどいものなのかと。聞くだに身の細るような話ばかりでありまして。 とにかく、この本のこきおろしぶりは抱腹絶倒なので、興味のある方は是非読んでいただきたいのですが、大笑いしながらも、日本映画の凋落ぶりに暗澹たる気持ちにもなる。 だって、昔は小津安二郎とか、黒沢明とか、世界に誇れる監督がたーくさんいたわけでしょ。いい俳優も大勢いて。制作費なんか同時代のアメリカ映画とは比べものにならなくても、それを陵駕するような出来の映画が沢山あったわけで。 ま、そういうことを考えさせられる本ではありましたね。【中古】日本映画空振り大三振 ~くたばれ!ROOKIES (映画秘宝COLLECTION 41) 柳下 毅一郎、 江戸木純; クマちゃん で、そんなことを考えさせられていたまさにそういう今日この頃、私は『カウボーイ&エイリアン』という2011年のアメリカ映画を見てしまいまして。これ、主役がダニエル・クレイグとハリソン・フォードですから、なかなかの顔ぶれなわけですよ。 で、内容としてはですね、19世紀のアメリカの西部の町に、エイリアンがやってきて、このエイリアンが地球人と同様、金が好きで、アリゾナで金鉱掘っていると。で、それだけじゃ足りないってんで、金のネックレスとか、金貨とかも奪っている。そして、何の必要があるのか、人も攫うんですな。 で、恋人を攫われたクレイグと、息子を攫われたハリソンが、エイリアンに立ち向かう! 的な話になっていくわけですが・・・。 もう、あまりのレベルの低さに目を瞠る映画でして、まじ卍って感じ。 ダメダメなのは日本映画だけじゃない! ハリウッド映画もこんなにダメダメじゃないか! ってなわけで、ある意味、ホッとしたっていうか。 要するに、どこの国の、どの時代の映画にも、いい映画とダメな映画があると。そういうことなのかな。
January 20, 2019
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連載だ、書評だって、忙しくしておりまして、それでもそれらが割と順調に書けているものですから、余裕のよっちゃんだなあ、なんてぶちかましていたんですけど、よく考えたら私、1月末までもう1本、論文を書かなくてはならないんだった! そうだ、論文を書こう。 なんて、京都行くみたいに思いついたのですけど、1月末ってあと2週間じゃん! ま、これは私自身が編集長を務めている奴だからね。私のやりたいように、私だけちょっとぐらい〆切を伸ばしたっていいんだ。編集長は無敵だからね。 しかし、それにしたって、とにかく書かなくちゃ。 で、センター入試の監督をやりながら、胸算用していたんですけど、今回は「カーネギー」についての論文にしようかなと。カーネギーって、ほれ、鉄鋼王の。アンドリューよ。 『カーネギー自伝』というのがありまして、これはアメリカでも日本でもよく読まれているものなんですけど、鉄鋼王がいかに無一物から莫大な資産を得たかという、痛快な自伝でございます。だけど、これ、自己啓発本でもあるのね。 自伝であり、かつ、自己啓発本でもあり、という意味で、『フランクリン自伝』と双璧。 『フランクリン自伝』の主眼は出世よ。一方、『カーネギー自伝』の主眼は金儲け。だけど、アメリカって、やっぱりキリスト教国家だから、金儲けの話って、あんまり好きじゃないのね。キリストも言っているじゃない、金持ちが天国に入るのは、ラクダが針の穴を通るくらい難しいって。 じゃあ、なんで『カーネギー自伝』は、金儲けの話なのに、自己啓発本になれたのか。 それはね、カーネギーは、前半生こそ金を儲けまくったけど、後半生でそれを全部、寄付しちゃったから。寄付っていうか、要するに、カーネギー・ホール作ったり、カーネギー・メロン大学作ったり、図書館作ったり、そういう一般大衆のためのものに金を使いまくった。富の再配分って奴。 だから、金儲けの話でもいいのよ。最終的に、儲けた金をいいことに使えば。 そうやって、カーネギーは、金儲けのための免罪符を作ったわけね。 そういう意味では、ビル・ゲイツとか、ウォーレン・バフェットとか、21世紀の金持ちたちだって、カーネギーの子供達、っていうことが出来るんじゃね? ま、そんな話をね。書いてみようかなと。 だけど、それだけじゃ面白くないから、もうちょい秘策を出すよ。 というわけで、アイディアは完成。あとは書くばかり。だけど、まだあと一日、明日もセンター入試の監督業務さね。やれやれ・・・。
January 19, 2019
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最近、道場でよく受け身の稽古をするのですが、これが私にはとても難しい・・・。 柔道にしても合気道にしても、受け身ってのは基本でありまして、一番最初に稽古するものなんだろうと思うのですが、八光流は割とそうでもないところがある。というのも、派手な立ち回りがありませんからね。「畳半畳で稽古ができる」と言われるほど、その場で落とす、その場で極める、という技が多いもので。 しかし、そうはいってもやはり自分の身を守るという意味では、受け身は重要。 で、稽古をするわけですけれども、私は特に身体が硬いということもあって、前回り受け身なんかすると、もう、ドッシンバッタンで肩や腰は青あざだらけ。とても師範のような、ふわっと重力を超越したような廻り方はできません。 っていうか、そもそもいわゆる「でんぐりがえし」すら、ままならないという。おかしいな、子供の頃はちゃんと出来たんだけどな・・・。両手を前について、クラウチング・スタート的な姿勢をとるまではいいんですが、「えーっと、ここからどうするんだっけ?」状態ですよ。情けない。 ということで、昨夜のドッシンバッタンのおかげで、今日は朝から全身打撲痛。やれやれ、ですわ。
January 18, 2019
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最近、道場での稽古で技を掛けあう際、iPhone で動画をとって、技の完成度を検討すると言うのが流行っておりまして。 で、先日も師範のA先生に私が技をかけていただき、その様子を iPhone で動画撮影して、練習の具とさせていただくことにしたわけ。 で、これがまたちょうどいい動画が撮れたものですから、道場仲間とシェアしようということになりまして。 でも、私の iPhone で撮った動画をどうやってシェアすればいいのか? と思っていたら、仲間のOさんが「そんなの、エアドロップを使えばいいんですよ!」と。 何? エアドロップって?? まあ、若い人は皆ご存じなのでしょうけれども、機械に弱いオジサンは、そういうの知らないのよ。 で、Oさんに教えてもらって実際にやってみると、なんと! 一瞬にしてシェアしようとしていた全員の iPhone にその動画が行き渡ったじゃあーりませんか! うっそ~! すごいわ、コレ。私はまた、メールか何かで送らないといけないのかと思っておりました。 いやあ、iPhone ってすごいのね。自分で使っているのに、ようやくそのすごさが少しずつ分かってくる。 ま、それが先日の話。 で、今日はまた今日で驚くことがありまして。 前に言いましたが、最近、iPad Pro を買いまして。注文を出しておいたのが、昨日、届いたのよ。で、早速、それのセッティングをしようと思って、今日、パッケージを開けたわけ。 で、電源を入れて、さて、セッティングだ、面倒臭いなあ・・・と思っていたところ・・・。 ん? 何? この表示? お手持ちの iPhone を本体に近づけろ、ですと? で、言われた通りに近づけてみると・・・ ひゃー、iPhone の設定が一瞬にして iPad に取り入れられ、すべての設定が即時終了~! すぐ使えるようになっちゃった~! すげーな・・・。どういうことなんだ、これは・・・。 いやあ。驚くね。今、アップルの世界って、こうなってるんだ~。 オジサンには、もう分からない。分からないけど、すごいということだけは分かる。 とにかく、アップル社製品って、やっぱり人を惹きつけるだけのものはあるなと、痛感させられたのでした。
January 17, 2019
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アメリカは中間選挙も終わり、来年の大統領選がどうなるか、の話題に移っております。 で、政権奪還を目指す民主党候補の顔ぶれ予想が、先日、出されましたが、これがね、まー勝てそうもない顔ぶれなのよ。 バーニー・サンダースは、歳が歳だし、あまりに「大きな政府」寄りで、一部の熱狂的ファンがいたとしても大多数はとれない。エリザベス・ウォーレンは学歴あり過ぎ。反知性主義のアメリカではちょっと厳しい。カマラ・ハリスはオバマの二番煎じ過ぎ。その他、たーくさん居るけど、誰も彼も知名度なさ過ぎ。 民主党が勝つには、よほどの「人たらし」が出てこないとダメなのよ。ケネディ並み、クリントン並み、オバマ並みの人たらしが。並み居る候補者に、果たしてそこまでの人たらしが居るかどうか・・・。 もし民主党に勝ち目があるとしたら、オプラ・ウィンフリーが名乗りをあげた時だけだと思うな。本人は絶対出ないと言っているけど。でも、オプラが出ないなら、勝てないってことよ。 あと1年で、オプラが大統領選に出馬する決意をするかどうか。民主党政権奪還は彼女に掛かっていると、私は予言しておきましょう。
January 16, 2019
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依頼されていた連載ものは、6回のうち3回分についてもう書いちまったし、もう一つ頼まれていた書評も、あらかた書いちまったし、私も一部分執筆に参加している亀井俊介先生の『アメリカ文化史入門』はまたまた増刷が決まったというし、何だか最近、絶好調よ。 あれか? 深見東州先生の謎の呪文が効いたのか?! ま、それはともかくとして、あれこれ絶好調で精神的に余裕が出来たので、今日は何かちゃんとした本でも読もうかなと。 で、読む本を探して、研究室にある自分の書棚を眺めまわしてみた。何せ、読むスピードより買うスピードの方がはるかに速いので、読みたいなと思って買ったものの、まだ読んでない本が沢山あるのよ。ある意味、自分で作った宝の山。 で、ふと『建築有情』という中公新書が目に留まったので、それを自宅に持って帰ってちょっと読んでみた。すると・・・ ひゃーーーーー! これ、すっごい名著じゃないの! あらー! まだ20ページくらいしか読んでないんだけど、それでも分かる質の高さ。都市論・建築論として最上の部類とみた。 これ書いたのって、長谷川尭っていう人だけど、御存知? この人は知らなくても、この人の息子は多分知っていると思うな。俳優の長谷川博己だから。 で、すっかり驚いて後ろの方を見たら、この人、この本でサントリー学芸賞の第1回目の受賞者なのね。しかも、住んでいるのが王禅寺だっていうじゃないの。私の実家の割とすぐそばだ。 で、アマゾンで調べたら、今、この本を買おうとすると結構高いお金を支払わされるんですな。もう、慌ててその他の本を買い占めましたわ。 ということで、この本を持っていながら宝の持ち腐れにしていた自分が恥ずかしいほどの本。建築に興味のある方は是非!建築有情 /中央公論新社/長谷川堯/長谷川堯/中公新書【中古】afb
January 15, 2019
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ジェラルディン・ブルックスという人の書いた『ケイレブ』という小説を読了したので、ちょいと心覚えをつけておきましょう。 これ、簡単に言うとですね、アメリカの最古の伝統を誇る名門大学たるハーバード大学(1636年創立)がまだごく小さい学寮だった頃の1665年、その卒業生の中に「ケイレブ」という名の一人のネイティブ・アメリカンが居た、という史実を元にした小説でございます。史実を元にしているけれど、何しろ300年以上前のことですから、そこはそれ、相当部分、想像力をたくましくして物語に仕立てられている。 で、物語の舞台となるのは、今でいうマサチューセッツ州の沖合に浮かぶ「マーサズ・ヴィニヤード島」。時代は1600年代前半ですから、まだアメリカはイギリスの植民地でありまして、マサチューセッツ植民地ではジョン・ウィンスロップが知事を務めていた頃。なにせウィンスロップはゴリゴリのピューリタンだから、結構、厳しいのよ。 で、そんな厳し過ぎる統治に嫌気がさしたメイフィールドという男が、本土からちょいと離れた小島に移住し、一応、そこに住んでいる先住民のワンパノアグ族にキリスト教を宣教するって名目で特許状を獲得、で、その男の息子がこれまた熱心な宣教師だったものだから、なかなかキリスト教に帰依してくれない先住民たちに手を焼きながらも、一生懸命、頑張っていると。 で、その男の娘がベサイアといって、本作の語り手でございます。 ベサイアは兄貴のメイクピースと違って聡明な娘なんですな。しかし、父親は息子であるメイクピースのことを後継者にしようと思っているから、彼に聖書のことやラテン語などを仕込むんだけど、それを傍で聴いているベサイアの方がよっぽど早く吸収しちゃう。でも、当時のアメリカですから、女は学問なんか要らない、ってことで、正式には教えてもらえない。あくまで、兄貴が勉強を教わっているのを、家事をしながら立ち聞きする体でこっそり学んでいるわけ。 さて、そんなことをしているうちに、ベサイアの一家には色々不幸が襲います。まずベサイアの弟が事故で死に、ベサイアの母親が産褥で死に、その時に生まれた妹のソレスも事故で死んでしまう。 それでガックリ来た父親は、もう仕事に専念して悲しみを忘れるしかないってんで、今まで以上に先住民教化に努めちゃう。でまた、折も折、先住民たちの間に天然痘か何かが流行して、みんなバタバタ死んでしまい、その病気を先住民の呪術師が治せなかったことから、先住民の信仰がぐらつくわけ。で、今がチャンスじゃってわけでベサイアの父親は攻勢をかける。 で、その一環として、先住民の族長の次男にして、有力な呪術師の弟子でもあったケイレブを自宅に留め置いて教育し、ゆくゆくは本土のハーバード大学に送り込み、そこでケイレブをキリスト教の宣教師に育て上げて、この知の先住民の教化を完成させようとするわけ。 で、ケイレブはベサイアの家に来ることになるんですけど、実はケイレブとベサイアは、既に3年前からお互いに知り合っていたんですな。 ベサイアが12歳の頃、家から少し離れたところで貝でも拾おうとしていた時、彼女はケイレブに出会い、仲良くなるんですな。で、互いに互いの言葉を教え合ったりする。で、二人はすっかり意気投合していたんですけど、ケイレブが呪術師の弟子として、ある危険な儀式を受けるってんで、しばし離ればなれになってしまうわけ。でも、先に述べた天然痘騒ぎのごたごたで、ケイレブも考えるところがあり、自分たちの部族の神より強いキリスト教の神の何たるかを知ろうと思い始める。それで、ベサイアの家に来ることに同意するわけ。 で、ベサイアの家で勉強し始めたケイレブは、ベサイアの兄貴をはるかにしのいで、どんどん進歩していくと。 で、こりゃいいってんで、ベサイアの父も喜んで、この分なら先住民教化が進みそうだ、ついてはイギリス本国からさらなる寄付を集めよう、とか言ってイギリスに向おうとするんですけど、船が沈んで死んでしまう。 でも、せっかくここまで頑張ってきたのだから、ベサイアの兄貴のメイクピースとケイレブの教育は続けなくちゃならん、でもお金がない、ということで、ベサイアの祖父メイフィールドが一計を案じ、とりあえず本土にあるハーバード大学の受験予備門とでもいうべきコールレット先生の学寮に二人を送り込むことにし、その教育費の代わりに、ベサイアがこの学寮の召使いに出されることになるわけ。 まあ、要するにベサイアが自分の労働で、兄貴とケイレブの学費を賄うわけですわなあ。 で、ここでもあれこれあるんですけど、結局、ベサイアの兄貴のメイクピースは、ここでの勉強について行けず、脱落して島に帰り、ケイレブ(とその同郷の友人ジョエル)が残って学問を続けるんですな。で、ケイレブとジョエルは優秀な成績でハーバード大学に入学を許可される。そして二人は大学でも色々人種差別を受けるのですけれども、そこは頭の良さに物を言わせて、二人とも最終的には同級生たちの称賛を勝ち得ながら、卒業の資格を取る(ただし、その段階でジョエルはある事件に巻き込まれ、死んでしまう)。 で、ケイレブはついにハーバード大学を卒業した先住民第一号になると。 一方、ベサイアは女の身であるために、そういう学問的な道には踏み込めず、ただハーバード大学の寮の住み込み家政婦としてケイレブを支えることになるのですが、そこでハーバードのフェローだったサミュエル(コールレット先生の息子)と知り合い、彼と結婚することになります。 ところがケイレブは、予備門や大学での学業に身を入れ過ぎたのが元で結核を患い、卒業して1年も経たないうちに死んじゃうの。 で、この小説の最後の章は、70歳代になってひ孫に囲まれるまでになったベサイアが、そういう過去を振り返ったところで終ります。 何コレ? ううむ。これ、どういう種類の小説と言えばいいのだろうか? なにせ最初のうち、ボーイ・ミーツ・ガールで始まるからね。こりゃ、先住民のケイレブと、白人の娘ベサイアの恋の物語(あるいは悲恋?)、アメリカ植民地版の『嵐が丘』になるのかと思ったら、全然そうならないというね。ま、ケイレブの方はどうか分からないけれども(物語はベサイアの視点で語られるので、ケイレブの本心は判らない)、ベサイアの方にはまったくその気がない。彼のことは親友、あるいは双子の兄妹みたいな感じでしかとらえてない。 じゃあ、ケイレブがハーバードを出て、そこから活躍するのかと思ったら、すぐ死んでしまう。 じゃあ、ベサイアが、ケイレブの意を継いで何かことを起こすのかと思ったら、一生、平凡ないい奥さんで終っちゃう。 じゃ、何なの? っていう・・・。インディアンの若者が、一生懸命、白人向けの勉強をして大学にまで行きました、けど、すぐ死にました、で終っちゃう話じゃないの。 そういう意味で、カタストロフィーのない話なんだよね・・・。 となると、この小説のどこに意味を見い出せばいいかっていうと、「crossing」というところに目を向ける以外ない。 この小説、原題は『Caleb's Crossing』というのですが、この「crossing」というのは、境界を突っ切る、という意味ですよね。で、300年以上前のアメリカ植民地のみならず、誰の身にも、人生の中で何度かはこの境界に出くわすだろうと。 ある人はその境界を突破するかも知れない。ある人は突破できず、その前で引き返す以外ないかも知れない。 でまた、突破したから良かった、ということになるかも知れないし、ならないかもしれない。突破できなかったから幸せになれませんでした、ということになるかも知れないし、むしろその方が良かった、ということになるかも知れない。 ま、境界ってそういうもんだよね、と。 ちなみに、この小説が書かれた2011年って、オバマさんが大統領の時ですよね。それを考えると、この「境界」という概念は少し面白い。 オバマさんは、人種の境界を越えて大統領になりました。 その後、ヒラリー・クリントンさんは、性別の境界を越えられず、大統領になれませんでした。 そのヒラリーに勝ったトランプさんは、今、メキシコとの国境に、物理的な境界をぶっ建てようとしております。 っていうね。 ・・・あんまり面白い見立てでもないか・・・。 ま、とにかく、一体この小説の何に感動すればいいのか、イマイチ分からないまま、終わってしまったのでありましたとさ。 あ、それはあくまで私の意見であって、世間は大絶賛よ。多分。 あと一つ、翻訳の問題点について、指摘しておきましょう。 この小説は、語り手であるベサイアの15歳の時(第1章)、17歳の時(第2章)、70歳の時(第3章)の手記、という体裁で書かれております。だから、当然、女の子(女の人)の一人称の語りで構成されるのね。 問題は、女の子、ないし女の人が一人称で語る時、どういう言葉遣いをするか、です。 本作の訳者の方は、この点に関して、「女言葉で語る」というのを選択したんですな。つまり、「○○だわ」とか、「○○なのよね」とか、「○○なんじゃないかしら」とか、そんな感じ。 私は、これがすごく気になる。すっごい違和感。 で、ついに私は家内に尋ねました。「自分が日記とか、手記を書くとして、こういう言葉遣い、する?」と。 家内は言下に答えましたね。「否」と。 そうでしょう、そうでしょう。 女の子/女の人は、日記/手記を書く際、女言葉は使わないだろうと私は思うし、家内もそう言っております。 となると、この小説の奇妙な文体は何なの? っていう話になるわけよ。何なの? というわけで、すっごく気になるのよね。その辺り、変えた方がいいんじゃないかしら。その方がいいと思うわ。 ケイレブ ハーバードのネイティブ・アメリカン [ ジェラルディン・ブルックス ]
January 14, 2019
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『ライ麦畑でつかまえて』の主人公ホールデン・コールフィールドは一体何歳なんだ、っていうね。 ウィキペディア(日本版)を見ると、「高校を放校になった17歳の少年ホールデン・コールフィールドがクリスマス前のニューヨークの街をめぐる物語」と書いてあって、彼は17歳ということになっている。 だけど、これ、間違いだと思うんだよね。っていうか、はっきり間違いです。 だって、小説の中でホールデンは、自分のことを「16歳」って言ってますから。もちろん、アメリカで出た研究書は、私の見る限り、すべて彼を16歳の少年と規定しております。 だけど、なんとなく、日本ではホールデンは17歳だ、っていう通念が蔓延しているような気がする。ウィキペディアに限らず、彼のことを17歳と規定している文章を見たことがあるので。 このことは、もちろん、単純な間違いなのかもしれない。だけど、ひょっとしたら、ある程度奥行きのある間違いなんじゃないか、という気もする。つまり、大人と子供の境をどこに置くか、という点で、日米間に若干の差があるのではないかと。で、日本だと、多分、大人と子供の境は「17歳」だ、っていう認識があるんじゃないかと。 一方、アメリカの多くの州では16歳でクルマを運転できる。もちろん選挙権とかはないし、酒も飲めないけれど、その前段階として、16歳を大人の入口と考えている節があるんじゃないか。アメリカでは、女の子が16歳になると盛大なパーティーを開く、なんて習慣もありますしね。 まあ、分からないけどね。 でも、とにかく間違いは間違いだから、誰かウィキペディアの記述を直してちょうだい。
January 13, 2019
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家内の愛車、マツダ・デミオが1年点検の時期を迎えたので、原駅近くにあるマツダのディーラーへ入庫してきました。 で、点検をしてもらっている1時間ほど潰す必要があったので、近くでランチをすることに。 で、我らが向かったのが「想夫恋」という焼きそばのお店。 この「想夫恋」、私は寡聞にして知らなかったのですが、大分県は日田で興ったチェーン店なんですな。いわゆる「焼きそば」の元祖のお店なんだとか。しかし、チェーン店とは言え、そのお店の大半は九州にあって、名古屋方面はこの1店だけ。 で、もちろん私はその元祖焼きそばというものを初めて食べたわけですけれども・・・ うまーい! これめちゃ旨いじゃん! こんな焼きそば食べたことなーい! 焼きそばって、そう珍しい食べものじゃないじゃないですか。外でも食べるし、家でも作る。だけど想夫恋の焼きそばは、そういうのとちょっと違う。 想夫恋曰く、そういう焼きそばは、そばを焼いているのではなく、炒めているのだと。 想夫恋の焼きそばは、炒めるのではなく、焼く。だから焼きそばだと。 で、実際、ここの焼きそばは、相当焼けてます。かるく焦げ目がつくくらい。だから、食感もところどころパリパリしてるの。 そして中に入っている具も豚肉(これも相当、カリッと焼けている)としゃきしゃきのもやし、それに長ネギのみ。キャベツとか玉ねぎとか、そういうのは潔く入ってないの。 というわけで、炒めた焼きそば(?)しか食べたことのない者には、結構、目ウロコな焼きそばだったのであります。思い出すとまた食べたくなる系かも。 幸い、うちの近くにこの店があるし、関東地方にも1軒だけあって、それがまた横浜青葉にあるらしく、私の実家からほど近いという。九州以外の人にはなかなか馴染のないこのチェーン店が、なぜか私にとっては妙に近しいところにあるという偶然。 ま、面白いものでございます。 これこれ! ↓これが「想夫恋」だ!
January 12, 2019
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昨年末受けた人間ドックの結果が今日、届きまして・・・。 いつも、この封筒を開封するのが怖いんだよな~。結構いい歳になってきたし、何を言われたっておかしくない。 が! 現状維持~! まあ、年相応にあちこち要経過観察項目があるけれど、昨年と比べたらむしろ改善したところもあるくらい。 で、注目は肝臓の数値よ。ほれ、昨年はほとんどお酒を飲んでないし、人間ドック前からアマニ油とか毎食少しずつ取っていたし。 そしたら! 数値改善~! 判定もCからBへ! やった~。 ということで、今日はご褒美にばっちりアレ食べちゃったよ。 ミスドのドーナツ。鎧塚さんとコラボした奴。 そしたら、これがめちゃウマ。前にも鎧塚さんとコラボしたミスド、美味しかった記憶があるけど、今回のもばっちりじゃないすか? 甘すぎないし。やっぱ才能あるね、鎧塚さんって。 ま、それはともかく、とりあえずまた一年、命拾いしちゃった。これを神さまに感謝して、また明日から頑張って仕事しよう。
January 11, 2019
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元日にブックオフで買ってきた見城徹氏の『たった一人の熱狂』という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 幻冬舎を率いる総帥として見城徹氏のことは知っていたし、相当なヤリ手だなとは思っていたものの、あまりにもエネルギッシュ過ぎて私の世界にはいない人かなと思い、さほどの興味は持っていなかったんです。でも、今回この本を読んで、いやいや、案外、この人は私の世界の人なのかなと思い始めたというね。 まず、この人の仕事ぶりがすごい。例えば五木寛之の本が欲しいとなったら、五木さんが新刊を出した5日以内に熱烈な感想文を送り続けるとか、石原慎太郎に何か書いてもらいたいとなったら、石原さんの前で『太陽の季節』の全文を暗唱してみせるとか、そういうことをやるんだからね。しかもそれを単なるハッタリとしてじゃなくて、誠意でやるのよ。 まあ、見城さんの仕事の極意というのは、結局、そこに行きつくわけ。誠意を示す。約束は絶対守る。圧倒的な仕事でそのことを実地で見せる。 しかもこの人は義理の人。恩義を大切にする。恩を受けたら、必ず恩で返す。それも単なるギヴ&テイクじゃなくて、一つのテイクを取るために、その10倍、100倍のギヴをする。しかも、相手のためにならないことは決して頼まない。そういうルールをきっちり決めて守りきる。 彼は角川書店で角川春樹の右腕として大活躍していたわけですが、その角川春樹氏が麻薬で逮捕され、社長を追われた時、見城さんも他の役員と一緒に角川さんを社長の座から下ろす投票をするのですが、それと同時に角川書店を辞めるわけね。恩義のある人に弓を引いたから、そのけじめをつけたと。 ううむ。893気質の私とウマが合いそうな感じじゃないですか。 その他、彼の日頃の心がけを見ると、自己啓発思想のど真ん中を行っております。 例えばこの本の中で見城さんは何回も言っているのですが、人間は確実に死に向って歩んでいるのであって、今、この瞬間が一番死から遠いと。だから、今、この瞬間を熱狂的に生きて、いざ死が迫った時にできるだけ悔いのないようにすることを心掛けていると。 これなんか、「今日が自分の人生最後の日だと思って生きよ」という自己啓発思想の基本概念と同じだよね。 あと、今やっていることで最大限努力すること以外、将来のチャンスをものにする方法はない、と確信しているところも、自己啓発思想のど真ん中よ。 あと、ハワイのホ・オポノポノなんかもそうだけど、嫌なことの記憶だけでなく、良かったことの記憶も決して、常に自分をゼロの状態にしろ、それが次なる運を呼び込む道だ、という自己啓発思想がある。それはこの本の中で、見城氏が「一つの仕事が終ったら、その虚しさをぐっとこらえて、次の仕事に邁進しろ」とか、「成功に浸るな」と言っているのも、この自己啓発思想に通じるところがある。 ま、そんなことも含めて、とにかくこの人の仕事ぶりはスゴイ。読むと「おお、俺も頑張らねば!」という気になるよ。マジで。 ということで、この本、自己啓発本として至極真っ当だし、見城徹という人はやっぱり名を上げるだけのことはしているし、義理人情には厚いし、いい人じゃん、という気になってきた。 やっぱり、外見だけで人を判断しちゃいけませんな。【中古】 たった一人の熱狂 仕事と人生に効く51の言葉 /見城徹(著者) 【中古】afb
January 10, 2019
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兼高かおるさんが亡くなりました。享年90。またしても、昭和が一つ終わってしまう。 子供の時、日曜日の午前中の楽しみと言えば、『兼高かおる 世界の旅』を見ることでした。当時はまだまだ海外旅行なんて庶民には夢。そんな中、パンナムの飛行機を使って世界中を訪れる兼高さんの姿は、神々しく見えたものでございます。 実際、あの人はお美しい方だったからねえ・・・。 でまた、ただ美しいというのではなく、教養がね。言葉遣い、物腰。文句のつけようがない。これが日本女性ですと言って、どこへ出しても恥ずかしくない。だから、ヨーロッパの王侯貴族のもとを訪れてもまったく堂々としたもので。しかも、そういう文明国だけでなく、アフリカの未開の土地の奥の奥だって平気の平左で入っていってしまう。その度胸がまた素晴らしい。 で、番組ではフィルムを見ながら、兼高さんが芥川隆行さんとトークをするのですが、この芥川さんがまたいい味を出すのよ。この二人の掛け合いがなんともユーモラスというか、上品でいながらクスっと笑ってしまうようなところもあって、絶妙なんだなあ。 ほんと、子供の頃の私にしてみれば、文字通り憧れの人でしたねえ・・・。ほんとにステキな人だった。 そのステキなステキな兼高さんがお亡くなりになって、ほんと寂しい限り。御冥福をお祈りしたいと思います。合掌。
January 9, 2019
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最後まで残っていたゼミ生一人の最終稿の添削が終ったので、これをもって本年度の卒論指導、すべて終了いたしました~! 〆切まで一日余して、余裕だぜ! こちらに赴任してから10年未満くらいの時までは、卒論指導で燃え尽きて、この時期毎年のように熱を出して寝込んだりしてましたけど、もう最近は力の入れどころと抜きどころを心得ちゃったもんだから、そこまで消耗することはなくなっちゃった。 それは要するに経験を積んで賢くなったということではあるのだけど、寝込むほど熱血指導だった頃のことも、我がことながら懐かしいというか。 若くて、賢くなくて、でも一生懸命な頃っていうのは、それはそれでいいものだよね。 経験豊富な年寄りの先生がいて、片や若くて熱血の先生がいて、というのは、だから、理にかなっているんだよな。 ま、とにかく、余裕のよっちゃんで卒論指導終了しちゃったので、自分へのご褒美に iPad Pro 買っちゃったぜ。 我が家の iPad くんは第2世代の奴なんだけど、最近、ちょっと機嫌が悪くて、動画を見ている時に突然、ホームに戻っちゃったりするようになりまして。そんなこともあって、そろそろ寿命かなと。 で、iPad の第6世代の奴を買おうかなと思ったものの、待てよ、この「Pro」と付く方も気になるじゃないか、と思い直し、あれこれ検討した結果、最新機種ではなく、その一つ前の「10.5インチ」の奴をゲットすることに。iPhone も「X」じゃなくて「8」を買ったくらいで、「ひとつ前の美学」というのがあるのよ、私には(ホントかよ!)。 今の iPad Pro は、もうほとんどノートパソコン並み・・・というか、それをも陵駕するほどの性能だそうですから、ブツが届くのが楽しみ~! ということで、今日は一年間の大仕事を終え、ちょっとホッとしているワタクシなのであります。Apple iPad Pro 10.5インチ Wi-Fi 256GB MPDY2J/A [スペースグレイ]アップル タブレット PC 単体 新品
January 8, 2019
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落語で大酒飲みの話があって、どのくらいの酒が飲めるか、量を競う競争に出ることになった男が、実際にすごい量を飲んで競争に勝つんだけど、みんなからスゴイね、と褒められると、「実は、どのくらい飲めるかと思って、競争前に試しに飲んでみた」と答える。つまり実際には優勝記録の倍飲んでいたのだ、というのがオチなんですが。 先週末からいよいよ連載のための原稿を書き始めまして、6回連載なので、そのうちの1回分を書けばいいのですけど、とりあえず2回分書いちゃった! 先の大酒飲みの話じゃないけど、何で必要分の2倍書いたかと言いますと、ペース配分を見たかったから。 つまり、自分の言いたいことを6回の原稿にまとめるためには、どのくらいのペースで書けばいいのかを知りたかったわけ。それを知るには、1回分の原稿だけじゃちょっと分からない。せめて2回分書いてみて、「なるほど、こういうペースになるわけね」というのが体得されてくると、おのずと1回分の原稿にどのくらいの内容を盛り込まなくてはならないかが分かるもので。 で、実際、大ざっぱに2回分書いてみて、ペースが分かったので、ちょっと一安心。この分なら、なんとかなるな。 とりあえず、1回目で私自身の『ライ麦畑』体験を書き、2回目で1970年代後半のサリンジャー研究ブームのことに触れたので、3回目ではこの時代のサリンジャー論の要であった「フォニー論」のことなんかを書き、4回目辺りでサリンジャーがミステリアスな存在になったことを書き、5回目辺りで映画の話題に触れようかなと。で、6回目で今の私のサリンジャー観に触れてまとめる。 どう? とまあ、とりあえず出だし好調ということで、後は10日の提出まで、猛烈な書き直しと仕上げに専念しましょうかね。
January 7, 2019
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今日、お昼ご飯を用意していた家内が、鼻歌を歌いながら「サイモン&ガーファンクルのこの歌、何ていうタイトルだっけ?」と言い出しまして。 ま、結果、「Homeward Bound」だったのですが。 そんなこともあって、お昼ご飯はアップル・ミュージックでサイモン&ガーファンクルの曲をあれこれかけながらのものとなったのでした。 で、BGMとして聴くともなく聴いているうちに、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の読後感というか、読んでいる時の印象は、サイモン&ガーファンクルの歌の印象に近いのではないかと思い始めたんです。サイモン&ガーファンクルというと、あの有名なセントラルパーク・コンサートのことも頭にあって、いかにもNYの街の雰囲気があるじゃない? あと、サイモン&ガーファンクルと言えば、映画『卒業』のイメージが強烈にある。 『卒業』の主人公のベンジャミンは、一流大学を卒業しながら、そこから先の進路に迷って迷走中でしょ。で、彼の陥っている「出たはいいけど、行き先がない」という状況は、ある意味、ペンシー校を退学になったホールデンとおんなじだ。 で、その行先のなさ、落ち着き先のなさの揚句、ベンジャミンは様々な愚行(サリンジャー作品に対して向けられた「ドン・キホーテ風の身振り」と言い換えてもいい)を犯すわけだけれども、それは大人から見て愚行なだけで、同世代の人間からしたら真剣なアクションなわけですよ。ただ、じゃあその真剣なアクションが何か実を結ぶのかといったら、それは自信がないし、分からないとしか言えない。 それもさあ、『ライ麦畑』っぽくない? だから、『卒業』の背後に流れるサイモン&ガーファンクルの曲は、『ライ麦畑』にもそのまま当てはまる、みたいな・・・。 っていうか、「Homeward Bound」の歌詞そのものも、まるで『ライ麦畑でつかまえて』のためにあると言っても過言じゃないような気がしない? その場合、「homeward」というのは、NYにある実家のことのようでもあり、あるいはホールデンが夢想する「西部にある、誰も自分のことを知らない町」のようでもあり、あるいは子供たちが夢中で遊んでいるライ麦畑のことでもあるようであり・・・。"Homeward Bound" by Simon & GarfunkelI'm sittin' in the railway stationGot a ticket for my destination, mmmOn a tour of one night standsMy suitcase and guitar in handAnd every stop is neatly plannedFor a poet and a one-man band Homeward Bound, I wish I wasHomeward BoundHome, where my thought's escapingHome, where my music's playingHome, where my love lies waiting Silently for me Every day's an endless streamOf cigarettes and magazinesAnd each town looks the same to meThe movies and the factoriesAnd every stranger's face I seeReminds me that I long to be Homeward Bound, I wish I wasHomeward BoundHome, where my thought's escapingHome, where my music's playingHome, where my love lies waitingSilently for me Tonight I'll sing my songs againI'll play the game and pretend But all my words come back to meIn shades of mediocrityLike emptiness in harmonyI need someone to comfort me Homeward Bound, I wish I wasHomeward BoundHome, where my thought's escapingHome, where my music's playingHome, where my love lies waitingSilently for meSilently for me ま、そんなことを漠然と考えていた次第。
January 6, 2019
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いつも年明けは実家で過ごすので、名古屋の自宅に戻ってから自分宛ての年賀状を読むことになります。で、今日、ようやく年賀状が届いたもので、それを読んで楽しんだところ。 それにしても、大学に赴任したての頃の教え子たちは、今はもう大きな子供がいるくらいの年ごろになっており、そういう教え子から「今年は息子/娘が受験生になります」なんて年賀状をもらうと、ひゃーって感じがしますね。ついこの間まで、お前さんが学生だったじゃないか、なんて。 私も、歳を取るわけだ。 ところで、今年もらった年賀状で一つ驚いたのは、私の大学時代の恩師のお嬢様からいただいたもので、それによると、昨年、恩師のお墓を多磨霊園に移した、とのこと。 あらま! じゃあ、釈迦楽家と同じところじゃないの! 一昨年、父を亡くしてから、私も割と頻繁に多磨霊園に行くようになったのですが、これからは父のお墓と一緒に、恩師のお墓もお参りできるわけだ。 っていうか、もし私がこの墓に入るとしたら、また恩師の近くに居られるってことか・・・。 なるほど。なるほどね。 まあ、ちょっと面白いですな。 でも、先生は人使いが荒かったからな。あの世でもまたこき使われちゃったりして。 ま、そんなことを考えていた今日一日だったのであります。
January 5, 2019
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ひゃー、名古屋に戻って参りました~。 お昼頃、実家を出たのですが、とりあえずお昼を食べようということで、馴染みのイタリアンに行ったら今日はまだお休み。ということで、特にアイディアもなく、なんとなく「和食さ○」なるチェーン店に寄って食べたら、これが値段の割においしくなくてガッカリ。メニューの写真と実物の差が半端ない。もう二度と行かないな、この店・・・。 で、家内が見たい品があるというので途中にあるGUに寄ったのですが、家内が見ている間、私もプラプラと眺めている内にちょっと変わった色のジャケットがあったので、ちょいと羽織ってみたところ、これがまたサイズもぴったりで。で、さらにセットアップのズボンもあるというので、それも履いてみたらこれがまたピッタリ。で、とうとうGUでスーツをあつらえることに・・・。もうアレだね、デフレ・スパイラルも極まれりですな。 ま、そんなこんなであちこち寄り道した後、東名に乗ったはいいものの、あちらこちらで渋滞があり、さらに途中でお茶をしたり夕食を食べたりしたので、結局トータルで10時間くらい掛かってしまったという。普段は4時間で行くのに、ですよ。さすがに疲れました。 幸い、明日明後日と休みですので、ゆっくり休むことに・・・は出来ないんだ。原稿書かなくちゃならんので。 まあ、でも、冬休み最後の二日間ですから、適当に頑張ります。
January 5, 2019
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姉の住む滋賀には「近江ちゃんぽん」なるB級グルメがあるという話を昨晩しているうちに、「ちゃんぽん食べたいよね」という話になり、お節にもちょっと飽きて来たということもあって、実家の近くにあるリンガーハットに行って、皆でお昼に長崎ちゃんぽんを食べて来ました。 皆は普通のちゃんぽんや皿うどんを食べる中、私一人はリンガーハットの現在の限定メニューである牡蠣ちゃんぽんを食べちゃった。焼き目のついた牡蠣が5個も入っている奴。超うまい。 たまに食べるとちゃんぽんって美味しいよね〜。 で、後はゼミ生から送られてくる卒論草稿を添削したり、あと、自分の原稿を書いたりという感じ。 そう、サリンジャー関連の連載の第1回目の締め切りが今月10日なのよね。あと1週間しかない。ということで、そろそろ書き始めないとまずいかなと。 ま、興が乗ればこんなもん、半日で書くけどね! だけど、そうはいっても連載だから、先々のことも考えて第1回目の原稿を書かなくてはならない。要するに、ある程度、伏線を張っておく必要があるわけでして。そこがちょっと難しい。 サリンジャー論っていうのは、既に世の中にたーくさんあるのでありまして、それらに私の論を一つ追加したとしても、それは屋上屋を架すようなもの。それじゃつまらないわけですよ。だから、他の論とはまったく別な視点から書かなくては、私が書く意味がないのね。 その辺のことを考えながら、現在、鋭意執筆中。 でも、なんとなくいい感じのスタートになりそう。こういう予感がする時は、もうその時点で成功したようなものよ。 というわけで、今のところは鼻唄まじりの執筆。これがこのまま続けばいいのですけどね。
January 3, 2019
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正月二日は例によって小学校時代からの親友三人で新年会。今年も相模大野の某飲み屋に集って、ちょいとお酒を飲み、つまみを食べながら、久闊を叙して来た次第。 Tの奴は、最近、北海道に家族旅行に行って来たとかで、それこそロシアの人がかぶるようなしっぽ付きの毛皮の帽子をかぶって登場。薬剤師の彼は、2つの職場を切り盛りしてきたのですが、それを1つにしたことで時間的にも体力的にも余裕ができ、結構カリカリしていた夫婦仲も改善されていい調子とのこと。まあ、めでたいことでございます。 一方、Eは、昨年秋に上の息子の結婚式があり、新郎の父親の挨拶の時、緊張のせいかべろべろに酔ってひどいスピーチになり、醜態をさらしたとのこと。真面目で無口な奴ですから、そういうのは苦手なのかな。また無趣味で洋楽など聞いたことがない奴なんですけれども、最近、NHKの特番でクイーンのことを知り、少し興味が出て来たとのこと。ならば今年の夏あたりは、私やTと一緒に、中古LP探しでも付き合わせますかな。 私は私で、柔術の師範教伝を受ける話やら、深見東州大先生の自己啓発書を読んで魔法の呪文を手に入れてからラッキーなことばかりだなどと煙に巻いてきたという。 で、その後、今度は同じく大野の「トロワ・アンジュ」なる喫茶店に場所を移し、相模大野の伊勢丹が潰れることになって大変だとか、海老名に出来たららぽーとは楽しいとか、そんな話を皮切りにTと私が物欲丸出しにアレが欲しい、アレが買いたいってなことをいいながら、最近の若者は物欲がまるでないのが情けない、などというおじさんトーク炸裂。一方、物欲がないEもつられて「今のクルマはもう10年以上乗ったので、そろそろ買い替えたい」と言い出したので、私とTで「だったらベンツを買え」「いや、ここは一つモーガンでも買って侠気見せろ」とか勝手な品定めをしたり。 まあ、レベルから言ったら小学生の会話ですな。 それがいいのよ! というわけで、今年もまた仲良し三人組が集まって、正月二日の新年会を祝えて、楽しい一日を過ごして来た私なのであります。
January 2, 2019
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昨夜、除夜の鐘を聞いてからとりあえず近くの神社で初詣。で、いつものようにおみくじを引いたのだけど、今年も大吉よ。「身も進み財宝も出来て立身出世する事は、春の暖かい日に美しい花の野を心楽しく遊び行く心地にてよき人の引立にあずかります」なんて書いてある。さすが、深見東州大先生の本を読んで北極星と守護霊を味方につけた恩恵かな。 さて、そんな幸先良いスタートをした2019年ですが、とりあえずお節で祝った後、恒例の新春ショッピングに繰り出しまして。 で、ユニクロの新春売り出しでカシミアのセーターとか買っちゃった! そしてこれまた新年の古本運を占うべく、ブックオフに軽く行ってみた。 で、今日買ったのは以下の3冊。 ○サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(ペーパーバック・エディション)(白水社) 208円 ○見城徹『たった一人の熱狂』(双葉社) 288円 ○柳下毅一郎・江戸木純・クマちゃん著『日本映画空振り大三振』(洋泉社) 160円 サリンジャーのはもちろんハードカバーで持っているけど、入手可能なすべての版を持つというポリシーから。 で、2冊目の見城さんのは、普段だったら買わない本だけど、年初めには普段読まない本を買うというのを最近の習慣にしているもので。 で、ちらっと読み始めてみたけれども、まあ、エネルギッシュな人だね、見城さんというのは。まあ、私の友人の範囲にはいないタイプの人だけれども、編集者としては凄腕なんだろうなと。私のようにのんべんだらりとしか仕事ができない人間にとっては、良い意味で刺激になりそうな本ではあります。 3冊目の本は、日本映画がいかにダメかというのを楽しく語り尽くした本のようで、これもチラ見してみると爆笑もの。これはもう、もっぱら楽しむための本ですな。【中古】 たった一人の熱狂 仕事と人生に効く51の言葉 /見城徹(著者) 【中古】afb【中古】日本映画空振り大三振 ~くたばれ!ROOKIES (映画秘宝COLLECTION 41) 柳下 毅一郎、 江戸木純; クマちゃん ってなわけで、元日は大吉出したり、買い物したり、古本買ったりと、いつもながら心楽しき一日となったのでした。さて、これだけ遊んだのだから、私も見城さんを少しは見習って,今日はこれから少しは勉強しようかな。
January 1, 2019
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