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前にもこのブログに書いたことがありますが、スズメというのは案外頭が良くて、節分の日を人間以上に心待ちにしているのではないかと。 と言いますのは、毎年節分が近づく頃、何羽ものスズメが我が家のベランダに様子を見に来るんです。「確かそろそろ豆が撒かれるんじゃなかったかな~」みたいな感じでキョロキョロ見回したりして。 で、家内によると、今年もこのスズメ先発隊が我が家のベランダにやってきたそうで、チュンチュンと様子を覗っておったそうです。 めちゃくちゃプレッシャーかかるぅ! 2月3日には絶対に豆撒きしなきゃ! ま、この寒さですから、スズメさんたちのエサも今年は乏しいことでございましょうし、せめて節分の時くらい、お腹いっぱい、栄養豊富な大豆を食べていただきましょう。 さて、このところ私の関心事と言いますと、iPad2 でございます。私の周辺で気の利いた人はほとんどと言っていいほどこいつを愛用している。やっぱりアップルの製品というのは、それ以外のものとは何かが違うようで、単なる機械でありながら、どこか感性を刺激してくるところがあるらしいんですな。 ということで、私も80%くらい、買う気が出て参りました。 でも、噂によると、iPad上に現れるソフト・キーボードというのは使い難いようで、物理的キーボードも一緒に買った方がいいらしい。 で、色々調べると、iPadのカバーを兼ねるようなキーボードもあるようで、これにiPadをセットすると、ほとんどモバイル・パソコンのように iPad を使えるのだそうで。うーん、なかなか魅力的ですなあ。 ん? モバイル・パソコンのように iPad を使うのなら、はじめからモバイル・パソコンを買った方がいいのか? なんか、頭がこんがらがってきました。私は一体、iPad で何がしたいのでしょうか。 でも、このところ結構、バイトに精を出して、臨時収入もあったしな。買っちゃおうかな。 というわけで、iPad を巡ってちょっと楽しい逡巡を繰り返している私なのでした、とさ。
January 31, 2012
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友人、と言っても二回り年長の大先輩なのですが、その方が入院されたと聞いてお見舞いに行ったところ、癌であることを打ち明けられました。気丈に振る舞っておられましたが、やはりショックは隠しきれないところ。私自身もショックで、またその方のお気持ちを察すれば察するほど、この事態にどう対応すればよいか分からず、しかし、私まで落ち込んではまずいと、とにかく言葉を選んで励まして参りました。 私の場合、母方の祖父も胃癌で亡くなり、また父も胃癌経験者(幸いなことに現在はほぼ完治)ですから、遺伝的にはいずれ癌を発症する可能性大ありでして、他人事ではありません。 いつの日か、私もまた医者から癌の宣告を受けるかも知れない。その時、私はその悪い知らせをどう受け取るだろうか・・・。落ち着いて現実と向き合えるかどうか。 いや、生に執着のある私は、さぞ取り乱すことでございましょう。なんか、度を失ってうろたえている自分の姿が見えるようでございます。 差し当たり、私の友人の場合は、化学療法で癌を小さくした後、放射線で叩く方針のようですが、これら一連の最先端の治療法が功を奏し、快癒なさいますよう、祈念するばかりです。どうか、どうか、完治しますように。 それにつけても思うのですが、21世紀の今日ですら、癌は依然として人類の脅威となっております。私の周辺だけでも、友人・知人、友人の友人くらいまでを数に入れれば、十指にあまる人たちが癌の宣告を受け、病魔と闘っている。その意味で、癌の根本治療の必要性は、ものすごく高いと思うわけですよ。焦眉の急と言ってもいい。 ならば、諸学問の中でも特に癌撲滅のための研究に力を入れ、一刻も早い治療法の確立を目指してはどうかと。 あらゆる学問が大切なことはよく分かります。しかし、例えば私の身近なところでも、全然焦眉の急でもないような研究のために数千万円の研究費がついてしまう例がいくらでもある。しかも、その研究費がとても実りのある形ではない形で浪費されていることも多いんです。そういうのを見るにつけ、そんなことよりも、もっと重要なことがあるのではないかと。それだけのお金があるのなら、それらをすべて癌撲滅のための研究に費やしてはどうかと思うんです。例えば、「はやぶさ」的な宇宙開発より、癌治療の研究の方が重要ではないか、ということでもあるわけですが。 もし日本が癌治療の画期的な方法を見出せば、それは日本のみならず世界中の人々への福音になるわけでしょう? それこそが、人類への貢献ではありませぬか。 身近な友人の身の上に起こった災難を何とか取り除きたいという気持ちからの発言ではありますが、出来る限り多くの研究費を癌撲滅の研究に一点集中して、長年にわたって人類を苦しめてきた宿痾を退治する方法を確立することに日本は集中すべきではないか。 私はそう思うのであります。
January 30, 2012
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今日は名古屋・御園座会館ビルの4階にある「名古屋トルコ日本協会」で開催された「トルコ・バザール」に行ってきました。 御園座というと、歌舞伎を始め、演歌系の大御所歌手などが演劇がらみでショーを行ったりする名古屋の代表的な演舞場ですけど、その4階の一室に名古屋トルコ日本協会なるものが入っているなんて知りませんでしたが、そこでバザールをやるなんて、さらにコアな情報。先日、塩釜口にあるトルコ料理の名店、「オリエンタルの青い月」で食事をした際、バザールのパンフレットを見つけて、そういう催しがあると知った次第。 で、実際に行ってみたところ、まあ小さな小さな部屋の一室にトルコのアクセサリーやスカーフ的な布ものが売っていまして。だけど、うーん、まあここでは収穫無し。 で、その奥のちょっとしたスペースでは、おそらく協会に所属しているトルコ人女性の皆さんが作ったとおぼしきトルコのスイーツやスナックがずらり。2つ3つあるテーブルでは我々と同じくこの催しを訪れたお客さんたち(大半はトルコ人)がそのスイーツを食べながらおしゃべりに興じていらっしゃる。 で、我々も負けずにそのターキッシュ・スイーツを4品ほどゲット。リンゴの甘煮を入れたクロワッサン型クッキーに、ライスプディング、トルコ風カボチャケーキに、シロップに浸したドーナツといった陣容です。 で、これらを食べてみたわけですけど・・・ どれも! めちゃくちゃ!! うまい!!! なんといっても甘過ぎない甘さというか、爽やかな甘さが快い! 特にライスプディングとかトルコ風カボチャケーキなんて、今まで食べたことがないような種類のお菓子で、こういうものがこの世にあったのか! という感じ。 世界には、日本に紹介されていない、それでいて日本人の舌にもバッチリ合うスイーツがまだまだ沢山あるんですなあ。っていうか、トルコ菓子を恒常的に売る店をどこかに作って欲しい!! 日本全国のお菓子職人の皆さん! フランスばかりがお菓子の聖地じゃないよ! ま、実のところ、トルコ・バザーってのはもうちょっと大規模なものかと思っていて、トルコの物産などを色々買えるのかと期待して行ったのですが、その期待は満たされませんでした。が、その不満を払拭するほどおいしいトルコ菓子を食べられて、すっかりご満悦のワタクシなのでありました。 残念ながらこのトルコ・バザーは今日までだったのですが、名古屋トルコ日本協会にはHPがあって、ここで「手芸教室」や「トルコ料理教室」などの催しものの告知が見られますので、トルコに興味のある方はぜひ一度覗いてみて下さい。教授のおすすめ!です。これこれ! ↓名古屋トルコ日本協会HP
January 29, 2012
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なんかうちの大学、またぞろ改組するとかしないとか言っておりまして。改組ったって、内部的に必要性があって改組するとか、そういうのならいいのですが、「改組しろ、だけど方向性は自分で考えろ」的なことを外部から(外部ってのは、アホな文科省のことだよっ!)言われて改組するので、どういう風に改組するのかについて、迷走中でございます。 しかし、教養教育をちゃんとやろう、ということだけは一つの方向性としてあるようで、「教養」の中身を幾つかの柱として立て、それに沿った科目を作ろうとしているみたいではあります。 で、その中で「感性的教養」という柱がありまして、例えば音楽とか造形とか、それこそ文学とか、そういうものを教養科目として教えるという話が出ていると。 で、そうなってくるとですね、もともとアメリカ「文学」を教えつつ、アメリカ映画とか、アメリカの音楽としてのジャズなんかを講じているワタクシに白羽の矢が向けられるのもなんとなく予想されることでありまして、案の定、改組関連の仕事をされている仲良し同僚のO教授から、「釈迦楽さん、何かいいアイディアない?」と、個人的にアプローチされてしまった。 で、その場の流れで、「そうねえ、僕だったらやっぱりジャズ論とかね。その辺かなあ。あるいは文学系の授業だったら、ただ作品を読むだけではつまらないから、演習形式で文学作品の翻訳をやらせるとか、そういうのどう?」なんて口走ってしまったと。すると、「いいねえ、面白そうじゃないの。早速、それでシラバス案書いてよ」なんて頼まれちゃった。 こういうの、口は災いの元、っていうのかな? ま、しかし、とっさに口走ったとはいえ、火の無い所に煙は立たないのでありまして、翻訳ってのは、少し前から考えてはいたことなんですけどね。 実は、同業の先輩が以前から授業で翻訳演習ってのをやっていて、これが結構な人気だっていうんですよね。翻訳家になりたいと考えている学生ってのは潜在的にそれなりの数が居て、そういうのが喜んで受講しに来るんですと。しかも、翻訳ってのは、基本的に文学作品への理解が重要で、かつ言葉のセンスが重要ですから、「TOEICの点数を上げましょう」的な「実用口語英語」の授業を担当させられるより、私には向いているわけよ。 しかし、いくつか問題点もあり、かな。 まず、私自身に翻訳の経験がない、ってことが致命的。なぜか、この歳になるまで、翻訳ってものと縁がなかったのよね~。なんか、いかにもありそうな自分ではありますが。 そんな、実体験のない翻訳素人が翻訳演習の授業やって、なにか受講学生に益することが出来るのか? どうかね・・・。自分でも分からん。 しかし、考えてみる価値はあるかな。 ということで、差し当たり、翻訳についての本を大量購入。今までこの種の本を買ったことがなかったので知りませんでしたけど、これが沢山あるんだ。いくらでもある。特に驚くのが「ちくま(学芸)文庫」で、この文庫には翻訳論の本が山ほど入っている。ちくま文庫って、そんな翻訳ものに強い文庫(それだったらむしろ新潮文庫でしょう)というイメージがないですけど、翻訳論はやたらに出しているんですな。 で、そんなのを大量に買い込んで、とりあえずそれらを読んで、翻訳を演習的に教えるということの意味をざっと掴んでみようかなと。で、それを自分なりに反芻し、自分なりのメソッドに組み上げることができるのなら、それはそれで、自分の教師としての「売り」というか「武器」になるんじゃないかなと。今のところ私の教師としての「売り」は、「アメリカ文学教えられるよ、アメリカ文化硬軟全般、とりわけアメリカ映画とかジャズなんかも教えられるよ、ひょっとしたらアメリカ建築とかも教えちゃうよ。実用英語に関しては『ベーシック・イングリッシュ』的なアプローチで教えられるよ」というところですけど、これにプラスして「翻訳方面の演習出来るよ」という付加価値をくっつけられればねえ、色々つぶしも効くだろうし。 つぶしって、何だよ?! 我ながら。 というわけで、とりあえず翻訳関連の本が届くのを待ちながら、果たしてこの方面で自分に何ができるのか、考えてみようかなあと思っているワタクシなのでした、とさ。
January 28, 2012
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ふと「あれ? お年玉年賀はがきの当選番号って、もう発表になったんだっけ?」と思いつき、今頃になってようやく当選番号の照合をしてしまったワタクシ。結局切手シート3枚をゲットしたのでありました。 昔は、お年玉年賀はがきの当選番号は1月15日の成人の日に発表になったものでありまして、この日を楽しみにしていたものですが、成人の日自体がふらふら移動するようになったのに加え、当選番号の発表もその年その年によって変わるようで、うっかりすると忘れてしまう。本当に困ったことでございます。成人の日とか敬老の日とか体育の日とか、そういうのは「第○月曜日」とかにするのではなくて、毎年固定して欲しいわ。そしてついでに、お年玉年賀はがきの当選番号発表も、毎年1月15日に固定して欲しい。 さてさて、今日は研究日でお休みだったので、田中厚子著『アメリカの名作住宅に暮らす』(建築資料研究社)という本を熟読しておりました。 アメリカで活躍した有名建築家が設計した住宅の中で、現存し、今なお実際に住まわれている家を訪れ、写真と共に解説を施す、というのが本書の趣旨なんですが、グリーン&グリーンとか、フランク・ロイド・ライト、ルイス・I・カーン、リチャード・ノイトラ、ルドルフ・シンドラー、ジョセフ・エシェリックといった面々が設計した住宅の外観・内部を見られるというだけで、私のような建築好きにはたまらない本でございます。村角創一氏による写真もとても美しい。 で、田中氏の解説によって、アメリカにおける住宅建築の歴史もざっと頭に入るようになっているのですけど、ギリシャ・ローマ風新古典様式に始まり、ゴシック様式、クイーン・アン様式、シングル・スタイルと来てインターナショナル・スタイルへ、そしてここからミッドセンチュリー・モダンへと連なる流れを見ていくと、アメリカ住宅建築が模倣からオリジナルへとその様相を変えていく様子がよく分かります。そして、模倣からオリジナルへと大きなジャンプをする際、そのスプリングボードとなったのが、意外にも日本建築だったということも面白いところで、日本建築のシンプルな合理性が、実はアメリカの建築スタイルの近代化に大きな役割を果たしていた、なんてことは覚えておいていいことかも知れません。一見、モダニズムと思えるデザインの根っこに、日本建築の長い伝統があったというね。 そう言えば、ミッドセンチュリー・モダンの華、イームズの住宅デザインなんて、ある意味、「障子」ですよね。 それにしても、アメリカではたかだか数十年前に設計された住宅でさえ、それが建築史上、意味があると思えば、それを保存することに意を払い、しかもただ保存するだけではなく、実際に人に住んでもらうことによって保存することに重点を置くというところが偉い。そこへ行くと、我が国では皇后のご実家すら平気で壊しちゃうというのですから、まあ、歴史というものに対する慈しみが、彼我では随分違うもんだなあと思わざるを得ません。 良い水が豊富にある日本では、「湯水のように」という表現があるほど、平気で水を無駄遣いしますが、飲料水で体を洗うなんて贅沢ができない国は世界にはいくらでもある。そういう国では、水は貴重品なわけですな。 それと同じで、歴史の少ないアメリカほど歴史を大切にし、歴史なんていくらでもある日本では、逆にそれを尊ばないと。そういうことなのかも知れませぬなあ。 ま、それはともかく、住宅設計ということに無限の興味を持つ私としては、すごく楽しめた本でありました。御同好の皆さまには、熱烈おすすめ!と言っておきましょう。映画『LAコンフィデンシャル』のロケで使われたリチャード・ノイトラ設計のロヴェル邸も紹介されておりますぞ!(ノイトラは住宅建築を合理化することを目指し、将来的には家は工場で作るものとして、その象徴としてフォード車のヘッドライトをロヴェル邸の室内照明にしていたとか。映画を見た時には、そこまで気付きませんでした!)これこれ! ↓【送料無料】アメリカの名作住宅に暮らす価格:2,520円(税込、送料別)
January 27, 2012
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今日、ジャズ史の授業で、1961年のアート・ブレイキーとジャズメッセンジャーズの来日が、本場のジャズのパワーを見せつけて、当時の日本の若手芸術家たちを熱狂させた、という話をして、例えば寺山修司が彼らのコンサートを聴きに行った後、こういうことを記事に書いています、という紹介をしたのですが、どうも学生の反応が悪いので、「ところで寺山修司って誰か知ってますよね?」と尋ねたら、知っている学生が一人もいなかったという。 昭和は遠くなりにけり。名前くらいは聞いたことがある、という学生が一人くらい居てもいいと思ったのに・・・。 つまり、今時の若い人たちってのは、2000年以降くらいの記憶の中だけで生きているんですな。それ以前のことは知らないし、興味もないと。 寺山修司の有名なエッセイ集に『書を捨てよ、町へ出よう』ってのがありましたが、この本が出た当時の大学生ってのは、真面目でさ、本に噛り付いていたんでしょうな。で、寺山がそういう連中に向かって「我々が知るべきことは、本なんかには書いてないんだっ!」ってアジったのでしょう。 そう考えると、実際に本なんか読んだこともない今時の大学生は、寺山のアドバイスにまともに従ったというべきか・・・。 まあ、しかし、こいつら、町へすらも出ないからね。町でジャクソン・ポロックの展覧会やってたって行きゃあしない。アパートからバイト先へ直行だ。 というわけで、ビートルズも知らない、寺山修司も知らない、ジャクソン・ポロックもベン・シャーン(もうすぐ名古屋市美術館で展覧会開催)も知らない大学生どもに向って、「お前らはバイトを捨てて、少しは書を読めっ!」と獅子吼したワタクシだったのでありましたとさ。 今日でジャズ史の授業もおしまいでしたけど、さあ、果たして30人ばかりの受講生の中で、どのくらいの学生がジャズに本当に興味を持ってくれたことやら・・・。
January 26, 2012
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中学校での武道必修化に伴い、柔道指導の危険な実態があれこれ明らかにされております。この28年間の間に学校での柔道の時間に亡くなった生徒が114人もいたとか、1週間程度の研修で体育の先生に黒帯を出していたとか。 まあね、確かに武道自体、危険な側面もあるけれども、それを学校でやるということの方により大きな危険の芽がありそうですな。中学生くらいだと、つい軽い気持ちで危険な技を掛けあったりするでしょうからね、ふざけ半分で。 ま、私のように柔術を学んでいる人間からすれば、柔道なんかを教えるより、柔術を教えた方がよほど危険度が少ないし、将来的にも有用だと思いますけどねえ・・・。柔道みたいに、体を接しての力比べになると、力の弱いものは勝てないし、大体、打撃系で襲い掛かってくる相手に対して対処できませんよね。その点、力の有無に関係なく技がかかり、しかも打撃系の攻撃も想定している柔術の方がよほど役に立つ。 だから、武道といったら柔道しか思いつかない文科省のアホどもに、日本の古武道の良さを認識させる必要がありますな。 だ・け・ど・・・ そもそも学校が、子供に武道まで習わせようとする必要ってあるのかなあ・・・。そんなのは、町の道場とかがやる仕事で、柔道をやりたいと思っている子が、親の承認を得て、そういうところへ通えばいいだけの話じゃないの? もう日本って、子供の教育のあらゆる側面を学校に押し付けようとするけど、学校なんてところは、読み書きそろばんを教えるだけ、というように、子供の教育のごく一部だけ担えばいいので、教科教育もやります、武道もやります、クラブもやります、あれもやります、これもやります、道徳も教えます、しつけも教えますなんて、やり過ぎだよね。教科教育以外は、自分の子供の面倒くらい、親がみなさいって。 とにかく、学校に頼り過ぎよ、何でもかんでも。そんなことするから、子供にとって学校が世界のすべてになってしまって、その結果、そこでいじめられたりすると、もう住む場所がなくなってしまって、絶望して自殺なんかするんじゃないの? 学校なんて、昼間ちょこっと行く場所ということにしておいて、学校以外に子供が行く場所を沢山作った方がいいと思うなあ。柔道が好きなら、学校の後に町の道場に行って、その道場で学校以外の人脈を作るとかね。地元のサッカークラブ、野球クラブに所属するのだっていい。スポーツ以外だって、地元のオーケストラみたいなものがあれば、そういうところに入るとかね。そういうところで、同世代の子供だけでなく、先生以外の大人と接するということに意味があるじゃない。 学校のクラブ以外、スポーツをするところがありません、音楽をやるところもありません、ということが問題だと思う。日本人に生まれると、学校がすべてなもんだから、同世代だけで行動することが延々と続くでしょ。だから日本の大学生が、いつまでたっても小学生みたいな行動をするんじゃないかなあ。 柔道の話題から大分逸れましたが、とにかく、何でもかんでも学校にやらせようという方向性自体を、見直す必要があるんじゃないかと、私は思うのであります。
January 25, 2012
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全豪オープンで錦織選手が快進撃を続けております。昨日はなんと(ワタクシが大ファンの)強豪ツォンガ選手を破ってのベスト8入り。四大大会へのベスト8進出は1995年ウィンブルドンの松岡修造選手以来というのですから大したもんだ。 ですが・・・。 なんか、この報道の感じですと、テニスの四大大会でベスト8に進出した日本人は、過去において松岡選手と錦織選手のただ二人だけ、みたいな印象を受けますよね? 私もてっきりそうなのかと思っていた。 ところがさにあらず。四大大会でベスト8以上に進出した日本人は錦織選手、松岡選手以外にも4人もいる。1918年に熊谷一弥選手がベスト4、1920年と21年にウィンブルドンで清水善造選手がそれぞれベスト4、ベスト8に進出。清水選手はこの他にも1922年に全米でベスト8に進出している。それから佐藤次郎選手というのもすごくて、1931年全仏でベスト4、ウィンブルドンでベスト8、1932年の全豪でベスト4、ウィンブルドンでベスト4、1933年の全仏とウィンブルドンでともにベスト4に進出している。それから布井良助選手も、1932年の全豪でベスト8に進出。 つまり1920年代初頭および1930年代初頭のテニス界において、日本人は四大大会上位進出の常連だったと。そういうことですな。 なんか、同胞がそんな快挙を成し遂げていたということ、日本人自身がすっかり忘れているってところ、ないすかね? 昔の日本人はすごかったということを、我々はもう少し勉強しないといかんのじゃないかなあ・・・。 ところで、今日、私はもう一つ、「昔の日本人はすごかった」という例に出くわしましたよ。 勤務先の大学の図書館で、今、日独交流150周年記念の展示をやっておりましてね。テーマは「第1次大戦時のドイツ人俘虜」なんですが。 で、私が理解したところによれば、ですよ、19世紀末から20世紀初頭にかけて中国の膠州にドイツが租借地を持っていた。ヨーロッパ列強による中国進出の一例ですな。 ところが第1次大戦で日本はドイツに宣戦布告し、青島で交戦することになる。で、神尾中将率いる日本軍が勝利し、ドイツ人俘虜4700人を連れて日本に戻ってくるんですな。何しろ数が多いですから、その4700人のドイツ兵は日本各地に俘虜として収容され、戦争終結までの4、5年間を日本で過ごすことになると。 で、戦争の捕虜ですから、きっとそのドイツ人たちは酷い目にあったのだろうと思いきや、そうでもなかったらしいんですな。敵国兵士といえども、彼らは彼らで祖国のために戦ったのだから、ということで、日本側としては、かなり丁重な感じでドイツ人たちを遇したらしい。もちろん、捕虜は捕虜ですから、逃げられないように監視したり、それなりの不自由さは仕方ないとはいえ、出来る範囲の中で彼らに不都合のないよう、便宜が図られたようで。 ま、明治時代の日本は何かにつけドイツに範をとるということがありましたから、日本の政界や医学界の中にもドイツ留学経験者が沢山いた。そういうことも、もちろん関係していたことでありましょう。 で、中でも四国の板東収容所の所長であった松江豊寿氏という人が実に立派で、彼は自分の管理する収容所に割り当てられたドイツ兵俘虜たちを、同じ人間として敬意をもって接し、彼らが健康で、しかも文化的な生活が送れるよう、可能な限り手を尽くしたのだそうで。なにせ松江氏は常日頃「我ら皆、兄弟とならん」と言っていたそうですからね。日本人もドイツ人も、兄弟なんだと。 一例をひけば、こういうことがあった。俘虜たちの健康のことを慮って夏場など、しばしば瀬戸内海の浜辺までのハイキングが計画されたそうですが、軍の上の方からは「(逃亡するとまずいので)俘虜たちを海で泳がせてはならん」と強く言われていたにも関わらず、松江氏はそれを許したというのですな。 で、そのやり方がまた粋なもんで、まず俘虜たちを浜辺まで導き、そこで全員に海の水で足を洗うよう命じるんですって。その上で、よそ見しながらぼそっと「諸君の中には、不心得なものがおって、いかんと言っているのに泳ぐ奴がいるんだよなあ・・・」とつぶやくんだそうで。それはつまり、「俺がよそを見ている間に、諸君は泳ぎを楽しみたまえ」ということなんですな。ですから板東収容所のドイツ兵俘虜たちは、浜辺への遠足というと、「今日は足を洗わなくてはならないから、海水パンツを持っていかなければ!」と小躍りしたのだとか。いやあ、松江所長、やるもんじゃないですか! ま、そんな風ですから、松江所長はしょっちゅう東京の上役に呼び出され、譴責を受けたりしたのですが、上から怒られても叩かれても、自分の信念でドイツ人たちを守り続けた。ですから、戦争が終わって彼らがドイツに帰国する時には、捕虜たちの誰もが松江所長との別れを惜しんだのだそうです。 とまあ、そんなことがかつて日本とドイツの間であったわけですけれども、この数年の間、その4700名のドイツ人捕虜たちが日本にもたらしたものというのは結構あって、例えばベートーベンの第9交響曲が日本に伝わったのは、このドイツ人捕虜たちによると言いますし、バウムクーヘンなんてお菓子にしても、この時のドイツ兵たちによって日本に伝わったのだとか。その他、ドイツ料理や、ドイツ農法、そしてドイツの酪農技術や造酒技術なども、この時に伝わったものが多かったとか。 戦争という不幸な出来事の副産物とはいえ、こういうプラスに数えてもいいようなものが、生じたこともあったんですなあ。 ま、今回の展示で私が勉強したのは、ざっと上に述べたようなことなんですけども、たった100年ほど昔に我が国でこういうことが起こっていて、松江所長のような立派な日本人がいたということを、私を含め、多くの日本人は知らないんじゃないでしょうかね? 一番最初に述べたテニスの話じゃないですけど、現代日本人の民族としての記憶力は、せいぜい過去40年か、50年くらいなものなんじゃないかな。一番古い記憶が、「ALWAYS 三丁目のなんちゃら」なんじゃない? それじゃいかんと、自戒の意味も含め、私、思いましたわ。
January 24, 2012
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子供の頃、母がよく「どこそこの鏡は自惚れ鏡だから当てにならない」というようなことを言っていたのを覚えているのですが、今でも言いますかね、そういう言葉。 で、子供ごころに、「鏡は鏡なんだから、特定の鏡が人を現実以上に美しく見せるとか、そんなことがあるはずがない」と思っていたのですが、最近、そうでもないかなと思うようになりまして。 つまり、「自惚れ鏡」というのは実在するのじゃないかと。 で、私の東京の実家の洗面所にある鏡が、まさにそれではないかと。 お正月、実家に帰っていた時、ふと洗面所の鏡を見ると、やけに痩せてすっきり見えるわけ。頬なんか、むしろ落ち窪んで、顎のラインも鋭角的。贅肉がそぎ落とされたような、いい男がそこにいるじゃありませんか。あら、自分、少し痩せたかしら? ところが、実家から名古屋の自宅に戻って、いつもの鏡を見ると、あらま、あんなに痩せていたワタクシはどこへ行ったのやら、いつも通りの自分がいる。おっと、お節やら何やら、食べすぎましたかね? で、今日、大学に行って、いつもは使わないエレベーターに乗ってビックリ。エレベーターの正面の鏡に映っていたのは、まあ、太って顎のたるんだ、冴えない中年男じゃあーりませんか! もちろん、私自身の体重は実際にはさほど変わっていませんから、痩せて見えるか、太って見えるかは鏡次第なわけですよ。実家の鏡は極端にほっそり見え、自宅の鏡がやや太り気味、大学のエレベーターの鏡は、これまたガッカリするほど太って見えると。 で、ただそれだけならば鏡がわずかに凸面になっているとか、凹面になっているとか、そういうことなのかな、と思うじゃないですか。ところが、そうとも言えないところがありまして。 実家の自惚れ鏡は風呂場の脱衣所のところにあるので、当然、顔だけでなく全身が映るわけですけど、この鏡だと、顔は細く見えるのに、体は筋肉隆々に見えるのよ! 逆に、自宅の鏡は、顔はやや太って見える反面、体は逆に細く見えるわけ。 つまり、実家の鏡は、顔は細くシャープに、体は細マッチョに見えるという、まさに「自惚れ鏡」なんだなあ! 実在するんだ、自惚れ鏡。 しかし、鏡によって映る自分が変わるのでは、ある意味、困りますよね。アイデンティティが固定しないというか・・・。自分の顔というのは、何かしら媒体を通じないと見られないわけですが、その媒体がそれぞれいい加減な情報を発信するとなると、どれを信じていいのか分からなくなる。 とはいえ、自宅の鏡が自惚れ鏡である場合、それはそれでいいか。一番頻繁に見る自分が、一番美しく見えるというのなら、ねえ。結構なことかもしれない。 ということで、鏡はどれも同じではない、という事実に気づいてしまったワタクシ、今度から鏡を買う時は、色々、試してみてから買うことにしようと、密かに決意しているのでありました、とさ。
January 23, 2012
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タダみたいな値段だったので、石井政之編著『文筆生活の現場』(中公新書ラクレ)なる本を買って読んでしまったのですが、これ、フリーランスでノンフィクションのライターをやっている人たち(大御所も何人か混ざるも、大半は若手から中堅のライター)に、自身の体験からフリーランス生活を語ってもらう、という趣旨の本でありまして。 で、これ読むと、やっぱフリーランスの物書きってのは、キツイなと。もちろん、この人たちは色々な選択肢の中からフリーランスの道を選んだというよりは、自分たちのやりたいことをやるためにはこの道しかないと思って現在の職業に就いているので、彼らには何の後悔もなければ、大変なことをやっているという自覚はないかもしれません。でも、傍目にはきつそうだわ・・・。 とにかく彼らは皆一様に「いい仕事をしたい」と、そればかりを願って良心的なノンフィクションを紡ぎ出しているわけですが、たとえ納得の行く成果が本の形となって世に出ても、爆発的には売れないわけですな。何年もかけて取材した苦労の結晶が、売れてせいぜい6000部とか。これでは、元は取れないわけです。 だから、彼らの多くは様々な手段で生計を立てることを考える。大抵は、大手出版社が出している雑誌に記事を提供する編集部付きのライターなどをして糊口をしのぐと。 ところが、せっかく苦労して取材して記事を書いても、それらは「アンカーマン」などと呼ばれる売れっ子ライターの名前で表に出ることになる。時に、アンカーマンによって適当に書き直されたりしながら。 しかもアンカーマンによって自分の意図しない方向に書き直されることもあって、そうなると取材に応じてくれた人たちとの信頼関係が崩れるわけですよ。で、「こんなことやってちゃいかん!」と自覚して、下書きライターの職を辞するとかね。そんな風ですから、さらに収入は不安定になる。 それでも、やっぱりこういう人たちってのは、「どうしてもこれは俺が書かなければ」というようなテーマを持っているもので、そうした自分のテーマについては石に噛り付いても、というような気概で取材し、書いている。江川紹子氏にとってのオウムとか、早坂隆氏にとってのルーマニア・マンホール生活者とか、林克明氏にとってのチェチェン情勢とか、石井政之氏にとっての顔面障害とか。彼らのそういう気概ってのは、やっぱり大したものです。 なんか、自分も含め大学の先生方とかが、とりあえず給料もらえるのをいいことに、スローペースでゆるーい研究しているのとは、大分、違いますなあ。 ってなわけで、若手のフリーランスのライターたちの切羽詰った勉強ぶりを読んで、ちっと自分も気合を入れ直さないといかんのじゃないかと、大いに反省させられたのでございます。 この本、多分、もう絶版なんだろうと思いますけど、ノンフィクションの物書き(大学の先生方だって、つまるところノンフィクション・ライターなわけですが)の心意気を感じる上で、なかなかためになるところのある本でした。モノを書くことに興味のある方には、おすすめ! って感じです。古本なら、まだどこかに残っているでしょう。これこれ! ↓【送料無料】文筆生活の現場価格:819円(税込、送料別)
January 22, 2012
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朝刊と共に入ってくる折込チラシ。あれの中に、ご婦人のための「フォーマル・ウェア」なんかの広告が混じるようになりました。つまり、子供の入園式・入学式に備えて、若いお母さんたちにフォーマルな装いの準備をしてはいかが? と促しているわけですけど、いいですねえ。この種の広告が入ってくると、「もうすぐ春だ!」って感じがしてきます。実際にはまだまだ寒いですけどね! さてさて、病気から回復した以上、少しは楽しまねば、ということで、映画を観に行ってきました。『ミッション・インポッシブル』の最新作でございます。以下、ネタバレ注意。 ある事情でロシアの刑務所に服役中の我らがイーサン・ハント。が、彼の出動が必要な事態が生じ、IMFの協力でまんまと脱獄。「コバルト」なる謎の人物が、ロシアの核ミサイル攻撃にゴーサインを出すための「暗号」を盗み出そうとしているようで、それを阻止するミッションを引き受けることに。「暗号」の方は、既に「コバルト」とつながりのある、とあるプロの殺し屋の手にあるので、まずは「暗号」と共に核ミサイル攻撃を引き起こすのに必要な「制御装置」を入手すべく、クレムリンに侵入します。 ところが、ハントのチームはクレムリンには見事侵入することに成功したものの、同じものを狙っていた「コバルト」に先を越され、さらに盗難隠ぺいのために仕掛けられたクレムリン爆破の責任を負わされてしまうんですな。かくしてアメリカ政府はロシアとの関係悪化を危惧して秘密組織としてのIMFを解体する「ゴースト・プロトコル」を発令。かくして、ハントとその部下たちは、IMFのバックアップなしに、「コバルト」のもくろみを阻止すべく、「コバルト」が殺し屋から「暗号」を買い取る予定になっているドバイへ向かいます。 で、ドバイにおいて「コバルト」と殺し屋の双方を騙し、殺し屋から「暗号」を奪い返しつつ、「コバルト」には偽の「暗号」を渡す、というミッションを行なうのですが、これが相手に見抜かれて失敗。殺し屋は始末することに成功するものの、「コバルト」には本物の暗号を持っていかれてしまう。 しかし暗号と制御装置を使ってロシアの原子力潜水艦に核ミサイルの発射命令を出すには、人工衛星による通信を使う必要があるんですな。そこでハントは、「コバルト」があるインド人のメディア王が手に入れたロシア製の人工衛星を使うはずであると見ぬいて、今度はインドに赴いて人工衛星の方を押さえようとするわけ。が、これまた「コバルト」に先を越され、結局、核ミサイルの発射命令が下されてしまう。 さてさて、既に発射された核ミサイルがアメリカに到達するまでの短い時間に、果たしてハントとその仲間は、核ミサイルを不発化させることに成功するのか?! ってな話です。で、この映画に対する私の印象評価は・・・ 「82点」でーす! アクション映画として、まあまあ、といったところ。私は、私とほぼ同い年のトム・クルーズに点が甘いからね! そう、トム、ブラピ、ジョニデ、そして私は、同級生なのよね~。ヴィンテージ・イヤーでしょ? とは言え、気合いの入ったアクション映画の割に点数が伸び悩んでいるのは、いかんせん、この映画全体の設定が古いから。そもそも「アメリカ・ロシア間の核戦争危機」ってテーマからして古すぎない? それでまた、悪の根源たる「コバルト」が、「核戦争の試練を経ることで人類は浄化される」などという戯言を信じているマッド・サイエンティストって言うんでしょう? 何なの、それ。1960年代初頭の007映画、『ドクター・ノオ』の世界じゃん? いくらなんでも古すぎますって。 それにトム・クルーズ演じる『ミッション・インポッシブル』シリーズの全作品を通じて共通するのは、「IMFがいかに間抜けな組織か」ってことでしょ。イーサン・ハントら実働部隊が一生懸命やっている一方、IMF上層部にいつも裏切り者が居て、そいつらのおかげでハントたちはいつも大変な思いをする。今回だって、ハントたちが一生懸命、核戦争を阻止しようと頑張っている中で、ゴースト・プロトコルなんか発動しているIMFってさあ、一体何やってんだ、って話ですから。 敵のことを考えるより、まずIMFの組織としての問題点を洗い出せと。私は声を大にしてイーサンに伝えたい。 それにつけても思うのは、オリジナルのテレビ番組としての『ミッション・インポッシブル』です。あのテレビ番組では、組織は絶対にエージェントを裏切ることなんかありません。番組としての面白みは、いかにエージェントたちが巧妙に敵を騙すかというところにあるので、それ以外のものではない。そこがクールだったんだよね~。 その意味では、映画版『ミッション・・・』は、テレビ版とは似て非なるものですな。単なるアメリカ版007だ。その辺がね、単純なアクションものを越えられないこのシリーズの限界なんじゃないかと。 さて、アクション映画にもっと深みを! と思っているワタクシが次に期待する映画は、『ドラゴン・タトゥーの女』。2月の公開だそうですけど、今から楽しみ!
January 21, 2012
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ひゃ~! 教授が帰って参りました~! いやあ。ぶっ倒れていたんですわ、風邪で。今回は胃腸風邪っぽくて、お腹は痛いわ、気持ちは悪いわ、往生しました。で、若干立ち直って授業やら会議やらには出たのですが、帰って来るともう気力がなくて、寝室直行みたいな感じでしたので、ブログも全然更新できず。 でもまあ、何とかそれもひと段落して、1週間ぶりにこのブログも復活と。 ぶっ倒れる直前のセンター試験におけるミス続出の大騒ぎとか、ぶっ倒れていた間に考えていた様々な妄想とか、ここに書いたら面白いことも沢山あるのですけど、そういうのもちょっと間を置くとあんまり面白くなくなってしまうので、とりあえずお蔵入りにしておいて、いつかまた機会があったらお蔵出ししますね。 とにかく、ご心配をおかけしましたが、元気になりましたので、また更新を開始します。そこんとこ夜露死苦!
January 20, 2012
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この時期、そろそろ予算を使い切らないとまずいということで、私も研究費のうまい使い道に苦慮しております。 で、今、めちゃくちゃ興味があるのが、キングジムの「ポメラ」という商品。 これ、いわばワープロ機能に特化したポータブル・パソコンみたいなものらしいのですが、文庫サイズのものを開くと、中にキーボードが二つ折にされている。で、これを開いて文章を打ち込むので、打ち込んだ文章は後でパソコンに取り込むことが出来る。 要するに、非常に簡易な文章作成マシンですな。いや~、私、こういう商品に弱くてですね、つい買いたくなってしまうのよ。 で、ポメラには何種類かあるのですが、コンパクト性の高い「DM10」と、その上位機種の「DM100」と、この二つで悩むところ。前者はポータブル性が抜群ですが、後者はやはり後発の分だけ便利な機能が色々ついている。私にとって、どちらがいいのか・・・。うーん、悩みますね。これこれ! ↓【enetshop1207-Ab】【送料無料】キングジムポメラDM10トワイライトオレンジ・プレミアムブラッ...価格:17,981円(税込、送料込)【KINGJIM】【キングジム】デジタルメモ ポメラ DM100【☆】【smtb-f】【04】【16】価格:29,800円(税込、送料込) こんな可愛いマシンをカチャカチャやりながら原稿を書いている自分が見える。やっぱりどっちか、買っちゃおうかな! もし読者の中で、ポメラをもう使っていると言う方がいらっしゃいましたら、ぜひ使い心地などお教え下さい。参考にしますので!
January 13, 2012
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今日は週末に控えたセンター入試がらみで大学が休みだったので、愛知県美術館で開催中の「ジャクソン・ポロック展」を見に行ってきました。ポロックの生誕100を記念しての、日本で初の回顧展だそうで。 が、その前にまず腹ごしらえ。新栄のイタリアン・レストラン「TOPE」でランチを。ヤマザキ・マザック美術館の地下にあるこのレストラン、前に栄にあった時からの贔屓なのですが、今日もおいしかった~。おまけに、この店は店員さんが皆、プロなのよ。サービスに徹している。そこがまた気持ちいい。 で、心地よく満腹した私と家内は、愛知県美術館へ移動~。 名古屋の方ではテレビや新聞で大々的に宣伝していますし、会期末も近いので、今日も混むのかな~と思いきや・・・あら? 案外、空いております。ふうむ、やっぱりポロックの知名度って、こんなもんなのかなあ。 ま、いいや。こちらとしては、空いていた方がいいですからね。ガラガラ上等。 で、初期の、まだ具象的な物を描いていた時代の絵から見はじめたわけですが、それがたちまち色鮮やかな極彩色の抽象絵画へと変貌を遂げていく。この時代には、ポロックはメキシコの芸術に影響を受けていたそうですが、なるほど、そんな感じです。っていうか、ちょっと岡本太郎の抽象画みたいな印象もありますな。 で、その時代を通過しながら、いよいよポロックの代名詞であります絵の具の垂らし込み、いわゆる「ポーリング(pouring)」の手法を使った時代へと移行していく。ただ、これも最初は、ある程度完成した抽象画にエッセンスを加えるように絵の具を垂らしていたようで、それが段々、垂らし込みだけで絵を構成する、あのポロックの特徴的な絵画へと成長していくわけ。この辺は、画家が自分の手法を見つけ、それを最大限に利用する手法を見出していく過程がまざまざと見られて非常に面白いところ。 で、最初はこの手法も批評家から「くそったれのカオス」などと呼ばれるのですが、しかし、やがてこのポロックの画風は評判を得て、もしかしてポロックこそがアメリカでもっとも注目に値する芸術家なのではないか、という評価も出始め、幸か不幸か、ポロックは一夜にして時代の寵児となっていく。 ところが、このようにして独自の手法を完成させた後、ポロックはそこで立ち止まれないんですな。次の一歩、すなわち完成した垂らし込みによる絵画を超えるものを目指して、模索を始める。例えばそれまで沢山の色を使って垂らし込みを行なっていたのを止めて、黒一色による垂らし込み(ちょっと日本の書道を思わせるようなところもある)にトライしてみたり、また垂らし込みによる画面の中に筆による抽象画を描きこんでみたり、色々と実験をしている。 ところが、そんなポロックの模索を、当時の批評家なんかは認めなかったんですな。「ポロックの凋落」などと評し、もうポロックはダメになったんだ、と見做した。彼らとしては、ポロックらしい垂らし込みだけによる絵画をもっと続けてもらいたかったのでしょう。ポロックが最初にそれを始めた時には、「くそったれのカオス」と酷評したのではありますが。 かくして、自分が確立した手法を超える次の一手が見つからないわ、批評家からはダメ出しされるわで、もともとアルコール依存体質だったポロックは、またぞろ酒に手を出し始め、ますます絵が描けなくなっていきます。アトリエに行っても、何も描けないまま帰って来る日が続くというのですから、画家にとっては地獄のような日々だったでしょう。 そして、そんなまさにカオスな日々の中で、彼は奥さんの留守中、愛人とその友人の3人で酒に酔ったまま猛スピードでクルマを運転し、立ち木に激突して事故死。享年44歳だったそうです。 ま、画家というよりは、ジャズマンのような死に方ですなあ・・・。 とまあ、そんな感じで早死にしちゃいましたので、大回顧展とは言い上、展示された作品数は70点ほどと少な目。それを補うように、ポロックのアトリエを再現したコーナーがあったり(これ、床板そのものがポロックの垂らし込み絵画みたいになってます)、彼が垂らし込みをやっているところを映した映像を放映していたりして、それなりに面白いのですが、うーん、正直言いますと、若干、見足りないところがあるかな・・・。 ということで、個人的には期待したほどでもなかったか、の感がありますが、しかし、ポロックの作品を、ごく初期のものも含めてこれだけまとめて見られるというのは確かに得難いことではありますので、興味のある方にはおすすめしておきましょう。会期は1月22日までですので、お見逃しなく!これこれ! ↓生誕100年 ジャクソン・ポロック展 ところで、ポロック展の一番最後のところで、ポロックが住んでいたニューヨーク・ロングアイランドにある「イースト・ハンプトン」の映像を見られるコーナーがあって、そこで今も現存するポロックの家の映像を見ることが出来るのですけど、これがね、すごくいい。私もここに、この家に住みたい!!と思うほど素晴らしい。 イースト・ハンプトンって、池田満寿夫がリランと結婚していた頃、暮らしていたところでありまして、彼のその頃のエッセイを読むとその土地の話が色々出てくるのですが、まさにそのエッセイで描かれたような、すっごいステキなところなんだということが分かって、私としては大興奮。っていうか、次にニューヨークに行く時にはぜひイースト・ハンプトンに行ってみようと密かに決意、って感じです。 で、私と家内が目を輝かせてそのビデオを食い入るように見とれていた時、ふと気が付くと、同じ映像を見ていた方々(大半がそこそこ高齢のお嬢様方・・・つまりおばあさん達)が、全員、こっくりこっくり居眠りをされていたのでビックリ。なんだ、なんだ、催眠ビデオか、これ?? イースト・ハンプトンの美しい風景は、展覧会を見終わってお疲れになった方々の目には、涅槃の風景に映ったようで・・・。
January 12, 2012
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先日、パブロンうがい薬で風邪を撃退した話を書きましたが、その後やっぱり風邪を引いたらしく、今なお若干体調不良のワタクシ。でも、今回は寝込むほどまで悪化することなく、なんとかごまかせそうな気配。 ところで、風邪を引くたびに「風邪日誌」をつけようかな、と思うんですよね。 風邪にかかった時の症状とか、その症状に対する自分の感じ方とか、人それぞれあると思うのですが、自分の経験から言いますと、いつも大体同じ経緯を辿って徐々に悪化し、あるところでピークを迎えて、そこからやはりいつも同じペースで徐々に回復に向かうわけですよ。 だったら、風邪を引いた時に、その悪化と改善のプロセスを、ステップ毎に明確かつ詳細に規定してみてはどうかと。喉の痛みの感じ、鼻水の出具合、痰の絡み方、風邪声のトーン、風邪特有の匂い等々、個々のトピック毎に、「今どんな感じか」というのを逐一記録していくわけ。 で、そういう詳細な記録を一度とっておけば、次に風邪を引いた時、「今、この悪化の度合いだから、この調子でいけば1日半後に最悪期を迎えるが、4日後には鼻水も止まり、6日後には完全に回復するな」とか、そういう目星がつけられるじゃないですか。 どう、そういうの? 便利じゃない? 記録があるから、予報ができる。天気予報と同じシステムですな。 だけど、「この次に風邪を引いたときこそ!」と思うばかりで、なかなか記録をつけるところまでいかないんだなあ、これが。今回も、ただ漫然と風邪を引いてしまったし。 ってなわけで、次に風邪を引いた時こそ! と変な決意を新たにしている、回復期のワタクシなのでした、とさ。
January 11, 2012
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今日のお昼が卒論提出の締切でしたので、今日をもって正式に卒論指導終了~ということでございます。幸い、私の今年度のゼミ生4名も、全員提出したようですし。 ま、まだこの先に口頭試問が控えているのではありますが、とりあえず今年度の一番大きな仕事が片付いたという感じ。ホッとしました。 で、この一仕事終わって一息、という時間が、心楽しいんだな~。つまり、「次、何しようかな」というのを考える時間というのが楽しいわけ。 とりあえず今月末までに書かなければならない小さな原稿が一つ。まあ、これはちょちょいのちょいで書いてしまいましょう。 それから、やや長期的な、しかし面白そうな企画が一つありまして、これはこれから色々計画を立てなければと思っているところ。 あと一つ、既に出来上がっている原稿の売り込みという作業が一つ。こちらは難航中。 あと、なかなか出来上がらない原稿の作成という難事業が一つ。こちらも難航中。 この辺のことを、どういう具合に片付けていくか、ぼんやり考えているわけですわ。この「ぼんやり」というところが重要で、切羽詰っていると思いつかないことが、ぼんやり考えていると、ふと突破口を思いつく、なんてことがありますのでね。(逆もまた真ですが)。 ということで、今はその「ぼんやり期」をぽよーーんと楽しんでいるワタクシなのであります。
January 10, 2012
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はあ~、私の冬休みも今日でおしまい。今日、これから名古屋に戻ります。 休みとは言っても、卒論の添削指導を遠隔操作で行なっていましたので、100%のんびりと言う訳にも行きませんが、それでも仕事場から遠く離れるとね、やっぱり気は楽になりますので、いい骨休めになりました。 段々、父も母も年を取って、腰が痛い、肩が痛いなどと言いますし、疲れた時の回復の仕方も大分遅くなって来たようで、色々心配ではあります。 ですから、実家から名古屋に戻る時は、なかなかに後ろ髪引かれるところがあるのですが、まあね、言っても仕方のないことでありまして。とにかく、今暫くは、達者で居てもらいたいものでございます。 それでは、明日からはいつも通り名古屋からのお気楽日記、どうぞお楽しみに! 道中の無事を祈っていて下さいね~!
January 9, 2012
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先日、ブックオフで林望氏のエッセイ『「どこへも行かない」旅』(光文社文庫)を105円で文化財保護してきた話を書きましたが、これ、昨夜読了~。 ま、私は林望氏のファンでありまして、さすがに小説までは読みませんが、エッセイ風のものはたいてい読んでいるのではないかと。何となれば、氏は国文学・書誌学の研究者としてのディシプリン(及び大学での教歴)をベースに物書きに転じ、しかも無類のクルマ好きにして建築好きでしょ。また「プロ級の訓練をしなければ趣味とは言えない」と主張して自ら声楽(能・謡)の稽古に励み、作詞までする。ま、趣味の方向性は違いますが、私も武道の方面でプロたらんと稽古に励んでいるわけで、共通点が多いわけですよ。一度、お会いしたこともありますしね。 で、本書『「どこへも行かない」旅』は、林氏が氏のいわゆる「無印良道」を求めて、行方の知れぬ裏道・小道にクルマを乗り入れ、観光マップには載っていない自分だけの名所を求めて日本とイギリスを右往左往する話でありまして、随所に差し挟まれる写真(=氏の見つけられた美しき、面白き風景写真)も楽しく、もちろん105円以上の読書の悦楽を味わうことができたのでした。これ、文庫版としては2009年の出版で、今でも新刊で買えますから、興味のある方は是非。これこれ! ↓「どこへも行かない」旅著者:林望価格:700円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る ところで、本書の最後の方、林氏がイギリスの小村を旅した話を書いている中で、話題が乗馬に及ぶところがある。それによると、イギリスでは乗馬というのは、基本的に女性の趣味である、というのですな。イギリスで趣味として馬に乗るのは、もっぱらご婦人であると。 ん? そうなのかしら? そう言えば、イギリス王室のアン王女でしたっけ、よくオリンピックの乗馬競技に出場されていたなあ。あと、イギリスのロマンス小説なんかを読んでいると、しばしばヒロインが乗馬の名手ということになっていたりするなあ、・・・なんてぼんやり思いを巡らせていたわけ。すると、寝っころがりながら頁を繰っていた私の手元にハラリと何かが落ちて来た。なんじゃ、こりゃ? 新聞記事の切り抜きだ。ナニナニ、「ユーラシア 馬で横断へ 英女性、日本に向け出発」ですと? この記事によると、英国人女性のベッキー・サンプソンさん(25)が愛馬バーティを駆って2011年の4月1日にイギリスを出発、ヨーロッパ、中東、中国などを横断するシルクロード1万5千キロの旅に出て、最終到達目標地である日本を目ざす旅に出たと。そして日本には2012年の夏ごろに着く予定とのこと。 あらま、そうなの? この本の前の持ち主が、林望さんの「イギリスにおいて乗馬は女性の趣味である」という観察・認識をサポートするような新聞記事に出会い、それを当該の頁に挟み込んでいた、ということですな。ふうむ、面白い! 古本を愛し、古本を集め読む醍醐味の一つは、これだよね! 本の前の持ち主がその本に対して抱いていた愛着というか、そういうものの痕跡が、色々な形で残っていたりするということ。 おかげで、私もイギリスの若き女性冒険家ベッキー・サンプソン嬢に興味が出てきました。彼女は中国から船で大阪に上陸し、そこから奈良、三重、愛知、静岡を経て東京に向かうそうなので、我が名古屋も通過するわけでしょ。ひょっとしたら、今年の初夏あたり、馬に乗ったベッキーさんを見かけることもあるかもしれません。 というわけで、一冊の古本から、色々なことを教わったワタクシだったのでした。これだから古本ってのは面白い!
January 8, 2012
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それにしても「パブロンうがい薬AZ」は効くね。パブロンの風邪薬より効くのではないだろうか。一昨日・昨日と富士五湖の風に吹かれまくって、昨夜はちょっと風邪気味だったのですけど、パブロンのうがい薬でよーくうがいしてから寝たら、一晩でばっちり体調回復。これ、教授の熱烈おすすめ!です。風邪ばっかり引いてパブロンの風邪薬が手放せないM大のN先生! うがい薬の方もお試しあれ!これこれ! ↓【第3類医薬品】外出先でも 携帯うがい薬パブロンうがい薬AZ 30mL さて、パブロンうがい薬のおかげで風邪は撃退できたのですけど、ついでに今年の悪運も撃退しようということで、今日は釈迦楽家の守り本尊、高幡不動へ初詣に行ってきました。 で、週末ということもあり、善男善女で賑わう境内をかき分けかき分け、ご本堂でお賽銭の額に見合わないほどたっぷりとお願いごとをした後、昨年買って一年間身につけていたお守り札を納め、今年用に新たにお守り札を購入~。 ところで、私はいつもお守りというと「学業成就」を買うのが研究者たるものの務めと信じて、毎年それを買っておったわけですけど、昨年末、同僚の先生たちとの雑談の中でたまたまお守りの話題が出まして。 で、その時に「兄貴」ことK教授曰く、学業成就というのは、本人の心がけの問題であろうと。であるからして、本人の努力次第でなんとでもなることを神仏に頼んでも仕方がないのではないかと。一方、交通事故というのは、本人の心がけももちろん必要ではあるものの、他人のクルマに轢かれるとかぶつけられる場合、こりゃもう本人の心がけを超えたものであり、悪運としか言いようのないものであって、こういうものこそ神仏に頼って、守ってもらうしかないのではないかと。 で、結論としては、「交通安全」こそ、買うべきお守りなのではないかと。 私は兄貴の導き出したこの結論に「なるほどっ!」と思うところがありまして、今年は私と家内用に二つ、交通安全のお守りをゲットしたのでありました。 それから、もう一つ、この高幡不動での楽しみは、「七福神おみくじ」を引くこと。これね、100円で買えるおみくじなんですけど、おみくじと一緒に七福神の誰かをかたどった小さな像が中に入っているわけ。で、これを買い始めてからというもの、なんとか福の神7人を全員揃えるのが私の悲願(オーバーか・・・)でございまして。 で、今年買ったおみくじは・・・ 「小吉」、そして七福神は「福禄寿」! 大望の神様! うーん、福ちゃんかあ・・・。福ちゃん二人目だ・・・。うちには弁天様も二人いらっしゃるし。そろそろ毘沙門天あたりを出したかったんだけどなあ。 だけど、いいや。神様に不平を言うと罰が当たる。福ちゃん、上等。今年も人の二倍、大望が叶いますように!
January 7, 2012
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さて、河口湖旅行二日目。ホテルを後にしてまずは富士五湖めぐり。河口湖から始めて、西湖、精進湖、本栖湖と回り、その都度、富士山の写真を撮りまくり。 そしてもう一度河口湖へ戻ってきて、富士急ハイランドへ。と言っても、まさか年寄りを連れて恐怖のジェットコースター「高飛車」に乗るわけではなく、ハイランド内のホテルで昼食をとりつつ、併設されている「フジヤマ ミュージアム」で富士山の絵でも見ようかと、そういうわけでございます。 で、スリルを求めてやってくる若者たちが主な客層になるであろうこの施設の中の美術館ですから、どうせそう大したことはないのだろうと、半ば多寡を括っていたわけですが・・・ これが! なんと! 素晴らしかったんです! いやあ。なんかね、すごいよ、この美術館。建物からしてかなりモダンで未来的。それでまた、お客さんがいないのなんのって。広ーーーい館内に、客は我々3人だけですから。ますます未来的です。なんだか、どこか他の惑星にある美術館という趣で、神秘的ですらあるというか。 で、今の期間、展示してある絵はすべて富士山の絵なんですけど、これがね、有名どころの競演ですよ。小野竹喬、中島千波、岡田三郎助、東山魁夷、小倉遊亀、横山操、奥村土牛、伊東深水、鏑木清方、北大路魯山人、横山大観、熊谷守一、小島善三郎、下田義寛、久里洋二、絹谷幸二、長嶋茂雄、加山雄三・・・と、ちょっと名前を挙げただけでもこれだけの面々。ここに名前を挙げなかった方の作品でも、いいのがかなりありましたし。私が特に気に入ったのは、中島千波、林武、横山操、牧野虎雄、山口華楊の作品でした。これだけでも、見に来た甲斐があったというもの。 というわけで、こんなところに桃源郷が! という感じで、それぞれの画家がそれぞれの感性と手法で描いた富士の絵を堪能したのでした。この展覧会、教授のおすすめ!です。これこれ! ↓フジヤマ ミュージアム 「富士をめぐる四季」展案内 で、今回の富士五湖をめぐる小旅行はおしまい~。 ま、短い旅でしたけど、父の趣味の写真も撮れたし、母の趣味の俳句の句種も見つかったようですし、私は私でドライブと富士の絶景と、そして美術館での至福のひと時を堪能できましたので、まあまあ大成功だったのではないかと。 それにしても、富士山ってのは、写真に撮っても、絵に描いても、実に絵になる、姿のいい山ですなあ・・・。
January 6, 2012
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年末・年始と、私や姉の一家がどっと集合して大忙しだった実家の父母に少し親孝行しようと、ドライブで富士五湖巡りをしております。 で、まずは御殿場まで東名に乗り、そこから北上して山中湖を目ざしました。ま、30分もあれば着いてしまいますが。 そして Ma Maison という洋食屋さんで昼食をいただき、その後、「山中湖写真ギャラリー」という小さな写真美術館へ行ってみることに。このギャラリーは写真家の冨塚晴夫さんと、奥様で同じく写真家の裕子さんが営んでいるのですが、この地に住んで25年とかおっしゃっていたかな? 富士山の写真を半ば専門に撮られている方です。 で、当然、ギャラリーの中心は富士山の写真なんですが、それよりも私の眼を惹いたのは、ギャラリーの入り口にかけてあったオーソン・ウェルズの写真。おっ、ウェルズだ、と思って辺りを見ると、あらあら、それはそれは沢山のアメリカの芸能人の写真があるじゃないですか! フランク・シナトラ、カーク・ダグラスなどという大御所もあれば、若き日の(整形前の)マイケル・ジャクソン、モーリス・ホワイト、ライオネル・リッチー、ジョニ・ミッチェル、ジョン・デンバー、ヒューイ・ルイス、などなどなどなど。 ちょっと驚いて、ギャラリーにいらした奥様の冨塚裕子さんにお尋ねすると、ご主人の晴夫さんは、もともとハリウッドで写真の修行をしてらしたというのですな。で、そのうち段々と広告写真の仕事が入るようになり、それで上に挙げたような一流芸能人が日本企業の広告などに出演する際、富塚さんがその写真を撮る、というパターンが定着したのだとか。ウェルズの写真も、彼がニッカ・ウイスキーのコマーシャルに出た時、そのスチル写真を冨塚さんが撮ったのだそうで。 へーーーえ! それにしても、主として70年代、そして80年代にMTVで活躍したようなアーティストたちがずらりですからね、壮観です。うらやまぴー! 私もオーソン・ウェルズとかジョニ・ミッチェルに会いたかった。っていうか、ジョニの場合、今も会いたい。 というわけで、富士の写真となつかしの芸能人の写真を満喫した我らは、この時期、山中湖から「ダイヤモンド富士」が撮れるという話を裕子さんから伺い、それを撮ろうじゃないかということになって、山中湖北岸に向かいました。ダイヤモンド富士というのは、富士の山頂に太陽が沈み、一瞬だけ富士山が輝くダイヤモンドを載せたような形になるというもの。 で、北岸でシャッター・チャンスを待つこと小一時間。ま、完全に山頂には沈みませんでしたけど、富士の肩口に夕日が沈む瞬間が訪れました。変則ダイヤモンド富士ですな。 が! 沈むとなったら早い、早い! ダイヤモンド状態なのはほんの30秒くらいなもので、あっという間に富士の後ろに太陽が隠れてしまうの。絞りを調整なんかしてたら、1、2枚しか撮れません。 それでも父としてはそれなりな写真が撮れた様で大喜び。やあ、良かった、良かった。 で、あまりの寒さに音を上げて、そこから河口湖畔にある今日の宿、ホテル・レジーナ河口湖へ到着~。 ってな感じです。明日は河口湖やらその他の富士五湖を回る予定。それでは、それでは。
January 5, 2012
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しかし、オウム事件の関係者、平田某出頭にまつわる一連の話ってのは、面白・・いや、興味深いですな。重要事件の容疑者が自ら名乗り出ているのに、「新年早々、冗談がきついな。さあ、帰った、帰った」ってな感じで追い払っちゃったんでしょ? それも一度ならず何度にもわたって。 もちろん、これは警察関係者が「たるんでる」証拠でありまして、当事者は後で処分されるのでしょうし、まあそれも当然なんでしょうけど、どこかに実害があったわけではなく、また一つの語り草としてどことなくユーモラスなところがなくもないだけに、処分の軽微であることを個人的には望みます。もちろん、今後はそういうことのなきよう、猛省してもらわないといけませんけどね! さてさて今日は姉一家が帰り、東京の大学に通う甥も自分のアパートに戻り、私の家内も一足先に名古屋に戻りましたので、8人の大家族が急に3人に減り、一気に寂しくなりました。お正月の賑わいも、今日でひとまずおしまいというところ。 で、私は家内を新横浜の駅まで送りがてら、町田でランチ。いつものようにルミネの中にある「ヴィレッジ・ヴァンガード・ダイナー」でリッチなハンバーガーを。これが旨いのよ。 で、帰り道、再び町田で東急デパートの上階にある「レコファン」へ。ジャズのCDを2枚ほどゲット。 そしてさらに古本屋の高原書店にも立ち寄りましたが、ここでは収穫無し。で、小田急のデパ地下でお土産を買って帰りましたとさ。 で、父と母と3人で夕食。昨日までが大所帯だっただけに、寂しい~! とまあ、そんな感じです。
January 4, 2012
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箱根駅伝って、特にファンと言う訳でもないのですが、父がかなり熱烈なファンのせいか、つい見るともなく部分的に見てしまうんですけど、あの瀬古利彦氏の解説というのは、一体何なんですかね? 一応、「解説者」という位置づけであるからには、箱根駅伝全体としてあれこれコメントすべきだろうと思うのですけど、彼の場合、早稲田のこと以外、興味もないし、他チームの選手のこともまるで知らないみたいですな。でまた解説の内容もすごくて、「この選手は足が太いから、上り坂には強いだろう」とか、すごいアバウトな解説をして、しかも見事に予想を外すというね。 あんな調子でいながら、何で駅伝の解説というと、彼が採用されるんだろう? まあ、突っ込みどころ満載の瀬古解説に茶々を入れながら見る、というのが、箱根駅伝の醍醐味なのかな。それならそれで、いいけど。 さて、早くも今日は正月三日。恒例に従いまして、子供の頃からの親友Eとの新年会でございます。本当はもう一人Tも含めて三人の新年会なんですけど、Tの奴は九州に職を得て帰省できず。というわけで、今年もまた男二人の新年会になってしまいました。で、いつものように相模大野で待ち合わせて、近くの居酒屋へ。 思い返してみれば、Eとは昨年の新年会で顔を合わせた切り1年ぶりなんですけど、まあ、そこは幼なじみのアレで、会えばあたかも昨日も会ったような調子でね。 で、今日の話題は「そろそろ疲れてきた」だったんですけど、お互い、もう十分働いたよねってことで。大学を出てすぐに一般企業に務めた彼は、勤続25年ですからね。私だって今の大学に務め始めて20年。そろそろ疲れて参りました。もう引退したいよな、という点でお互い、激しく同意。 E曰く、「サザエさん症候群もさらにひどくなってさ。昔は日曜の夕方あたりから『また明日から仕事かあ・・・』って思ったけど、最近は金曜の夜あたりから『明日・明後日と休んだら、また月曜から仕事かあ・・・』って思って憂鬱になるんだよね」ですと。 お前、それ立派な鬱だぞ! ま、俺も同じようなもんだけど! で、二人で引退後の生活を語って倦むところを知らず。私は、皆さんもご存知の通り、1年の半分を八ヶ岳で、残りの半分をイタリアか南フランスで過ごす予定ですが、現実的なEの場合は、湯河原に一戸建ての家を建てて、庭で野菜を作り、海で釣りをして、半ば自給自足の生活をするのだそうで。 いいな、二人とも、そういう夢が実現したら。 というわけで、二人はそんなおとぎ話のようなことを語らって、ひとときの楽しみとしたのでした。そして私がコージー・コーナーでシュークリームを買って帰ると言うと、奴も「じゃ、俺もそうしようかな」と言って一緒に買ったのですけど、奴曰く「柄にもなくこういうのを買って帰ると、逆に、嫁さんに疑われるんだよな。『あなた、本当に釈迦楽さんと会ってたの? その釈迦楽さん、スカート履いてたんじゃないの?』とか、問いつめられるんだよ」ですと。 Eの奥さん! 奴はちゃんと私と会ってましたから! 心穏やかにシュークリーム食って下さい!
January 3, 2012
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これまた正月の恒例となりました2日のショッピング。確か一昨年は下北沢、昨年はたまプラーザに行った記憶がありますが、今年は二子玉川に行く事に。 で、「二子玉川rise」なるショッピング・センターに行ってみたのですが・・・ あんまり面白くないね! なんかショップが4つぐらいのビルに分散していて、とても見にくいし、こちらの興味をそそるような店もなく。あら~、こんなもんだったの、的なガッカリ感が。 で、仕方がないので、高島屋SCの方にも行ってみたのですが、こちらも同様で、イマイチだったかな・・・。 ということで、こんなところに長居は無用、地下の食料品売り場で何か買って、それで引き上げるかと、エレベータに乗り込んだとお思いくだせえ。すると・・・ ひゃーーーーーっ! 我々が乗ったエレベータに、誰が乗り込んで来たかと思えば、なんとなんと、ショーケンじゃないの!? 奥様(冨田リカさん)とそのご母堂さまらしきご婦人と3人で。 いやあ。昨年、『ショーケン』を読んで大感動、昨年読んだ本のベスト2位にランクづけした後だけに、もうびっくりよ。 で、すかさず「『ショーケン』、読みました! 上等っす!」と言いながらショーケンと固い握手を交わし・・・と行きたかったんですけど、さすがにそういうことの出来るタイプの人間ではなく。涙を呑んで、エレベータを下りて行く彼の後ろ姿を見つめ続けたのでした。握手してたら、ショーケンとシャカラケンの歴史的邂逅だったんですけどね! ってなわけで、イマイチつまらんかったなあと思っていた二子玉ショッピングが一転、ミーハー的ドキドキ満点のツアーとなったのでした。アニキぃ~! カッコ良かったっス!
January 2, 2012
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今日は元日。皆さんはいかが過ごされたでしょうか。 私のところはいつも通り。ゆっくり起きて、ブランチ的な位置づけのお節を食べて新年を祝い、その後、若い者だけで近くの町(新百合ケ丘)に買い物に。私は「GAP」で2点ほどバーゲン品をゲット! 中でも薄手の黒いセーターで、襟のところのデザインが変っているものはお気に入りの戦利品となりました。あ、あと、ブックオフで林望の『「どこへも行かない」旅』と『イギリスはおいしい2』の文庫版を、それぞれ105円で文化財保護。 そして帰宅してからは本を読んだり、卒論の添削をしたり。 今読んでいるのは、堀田善衛の『スペインの沈黙』という本なんですけど、40年にわたるフランコ独裁政権が終わったあと、民主制政体への移行、王制を維持するか否かの選択、さらにカトリックからの政教分離など、課題山積みの中で、スペインという国がどのように歩みつつあるのかを、現地に暮らしながら堀田さんが考察を巡らすという趣向の、1970年代の本でありまして、深い内容のことがらを実に上手に書いている。堀田善衛、恐るべし、でございます。既にちくま文庫版も絶版のようですが、古本としてはそこそこある本なのではないかと思うので、興味のある方は是非。 そして、これもここ数年のならいとして、夕食は宅配ピザで軽めに。お節とは対照的な食べ物であるピザというのがね、またいいわけですよ。これで、また明日の朝のお節が楽しみになるというところがありますからね。 とまあ、そんな感じの、いつもながらの元日という感じでごわした。ま、元日なんてのは、この「いつもながら」というところがいいんじゃないでしょうかね。
January 1, 2012
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