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昨日、美容院から帰って来た家内から面白い恋愛テストのことを聞きました。家内担当の美容師さんから聞いたらしいのですが、このテストで「あなたが恋愛対象に求めるもの」が分かるというのです。 さあ、皆さんもご一緒にどうぞ。 いいですか、あなたが恋人に求めるもの(条件)を3つ挙げて下さい。即答でお願いします。考え込んじゃダメですよ。ちなみに、家内からそう聞かれた時、ワタクシの答えはと言いますと・・・1 聡明であること2 優しく善良であること3 私の主観から見て好ましい容姿・物腰・声質であること でした。皆さんはいかがです? 3つ条件を挙げられましたか? さて、それでは次。この3つの条件をすべて同程度に満たした2人の恋人候補者がいるとします。その際、この2人のうち、どちらを選ぶかの基準として、4番目の条件を挙げて下さい。 挙げましたか? よろしい。ではこの恋愛テストの結論を申し上げましょう。 あなたが挙げた「4番目の条件」、それこそが、あなたが恋人に求める一番重要な条件でーす! ガーン! ちなみに、ワタクシはその4番目の条件として、「ユーモアがある人」と即答してしまいました。ということは、ワタクシが恋人に求める一番大きなものは「ユーモア」ということになるのでしょうか・・・。 私がこの「恋愛テスト」に一目置いたのは、この点です。よーく考えてみたら、たしかに私は「ユーモアのある人」が好きなのかも知れない・・・。いや、まさにそうだ! という気がしてきたんです。最初に挙げた3つの条件は、いわばベーシックなもので、それプラス「ユーモア」のセンスが効いていてはじめて、私はノック・アウトされるような気がします。 じゃ、どうして恋人選びの第一条件に「ユーモア」を挙げなかったんだろう? 「4つ目の条件」を問われてはじめて、最も「決め手」となる条件がポロッと出てきたとは、これ如何に?? 不思議だなあ! 私はこの種の「恋愛テスト」的なものなど、まるで興味がないのですけど、今回のコレに関しては、ちょっと一本とられてしまった、という感じですね。 さて、皆さんはどうでしたか? 「4つ目の条件」に思い当たるところはありましたか? 皆さんが恋人に求める一番重要な条件って、一体何ですか? 私と同じように、ご自身について何か発見があった方、レスポンスをお願いします。
October 8, 2006
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所属大学でのTOEICの扱い方が、問題の多いものでね・・・。 うちの大学でも、語学は必須で、全員が最低でも3コマ、取ることになっている。でもこのうち2コマはTOEICと連動していて、TOEICである程度の点数を取らないと、単位が取得できない、という仕組みにしちゃったのよ。 ワシは随分反対したんだけど、英語科の決めることだからね。しかも大学の中期計画にTOEICのことを盛り込んでしまったので、止めることもできないという。 だから、語学の授業で大半の学生が単位を落とす羽目になると。 でも必修科目だから、そのままでは卒業できない。ということで、補講が必要になる。英語の苦手な学生ばかりを集めて、やる気のない英語の補講をするわけだから、担当者は地獄よ。 それに、単位が出る・出ないは、TOEICの点数によるので、それぞれの先生方の授業は、意味がないことになる。だって、個々の先生が、「自分の授業を受講して、期末試験で合格点を取ったので、この学生に単位を出します」と主張しても、その学生のTOEICスコアが低ければ、単位は認められないんだからね。 ホント、馬鹿なことをやるよね! 大体、TOEICテストが、英語の実力を正しく計るかどうかなんて、分からないのにね。なんでそこまでこのテストに賭けてしまうんだろう? 意味不明だよ! とにかく、日本の英語教育ってのは、愚行の歴史ですな。
May 21, 2026
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○○しか勝たん、というタイプの企業ってあるよね! たとえばアップル社とか。 グーグルが伸びてきた、とか、サムスンがスゴイ、とか、そういう話題が出て、今度こそアップルはダメか、と言われつつ、やっぱり最終的にアップルは勝つじゃん? 同じことは、ユニクロしか勝たんとか、無印しか勝たん、というのにも当てはまる。 で、同じく、ミスドしか勝たんよね?! もっちゅりん。どうなのよ。前から一度食べたいと思っているのだけど、全然買えない。よって、食べたことがない。でも食べたい。 そう思わせるのだから、ミスドって、やっぱすごいよね。 で、あまりにももっちゅりんが食べられないのだけど、最近、また新しいメニューができたじゃないの。 そう、「サクぽふん」。 で、それを買ってみた。もっちゅりんは買えないけれど、サクぽふんは買えるからね。 まだ食べてはないの。今日、買って帰って、夜、食べてみようかなと。食感が新しいらしいけれど、さて、どうなのか。 しかし、ミスドの今の売りはサクぽふんだけではない。「宇治抹茶ドーナツ」シリーズという新作もあるからね。こっちも、いずれ食べなければ。 というわけで、私は連戦連勝のミスドに負けっぱなしなのでありました、とさ。
May 21, 2026
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山口百恵さんの書いた『蒼い時』を読んじゃった。 この本が出たのは1980年・・・って、40年以上も前じゃないかっ! 当時の大ベストセラーですけど、それを今読むっていう。まあ、ベストセラーは原則として読まないことを自らに課しているワタクシの場合、こういうことは往々にしてよくあるんですけれども、それにしてもあれから40年以上も経ったのか・・・。 山口百恵さんと言えば花の中三トリオ。彼女が尋常ではない活躍をしていた時、私なんかはその活躍をすぐ後ろから眩しく観ていた世代。もっとも早くから洋楽ファンだった私としては、日本人の若い歌手なんてチャンチャラ、でしたけれども、それにしたって向こうは時代の寵児ですから、その動向が目に入らない日がないという。と、必然、私自身の多感な時期の思い出の端々に、山口百恵さんの姿が見切れるわけでありまして、そういう意味で、今の時点で振り返ると、とんでもなく懐かしい人ではある。 で、『蒼い時』ですよ。 これが出た当時のセンセーショナルな取り上げられ方からして、ティーンエイジャーだった私としては、そういう赤裸々なのは絶対読みたくないと思っていたんですけれども、今や立派に枯れかかって、「蒼い時」どころか「枯葉色の時」を迎えたおじさんとなった状況の中で、21歳にして既に芸能界の頂点を極め、さらにそこから引退しようとしている若い女性の様々な思いを読むと、これがね、なかなかいいのよ~。ちょうどいい生生しさ。 それにしても思うのは、山口百恵の優れた文章力ね。この本、「残間里江子プロデュース」となっているけど、どこまで残間氏の手が入っているのだろう? あれかな、矢沢永吉の『成りあがり』が、実際には糸井重里が書いているようなもんなのかな。 しかし、仮に残間氏の手が入っていたとしても、大筋のところでは他人には書けないようなことが書いてあるのであって、やはり山口百恵という人の考え方、感じ方がよく分かるという意味で、この本は山口百恵著と言い切っていいような気がする。それは『成りあがり』が、どこから見ても矢沢永吉の本であるのと同じ意味で。 文章力もそうですけど、まあ、すごい人ですよ、山口百恵という人は。芯が強いというか。芯が強いというのは、ただ鎧のように強いというのではなく、色々弱いところもあるのだけれども、そういう弱いところも明らかにしてなお自分を見失わないという感じ。当たり前な人間、平凡な人間の強さ、とでも言いましょうか。 その山口百恵が、三浦友和のことを「彼」って言うんだよね! 「彼」! なんか久しぶりに「彼」っていう言葉の重みを感じたぜ。 とにかく、今更ですけれども、若い世代の人ですとこの本を知らない、読んだことないという人も多いでしょうから、教授の熱烈おすすめ、と言っておきましょうかね。これこれ! ↓蒼い時 (集英社文庫) [ 山口百惠 ] ところで、こういう本を読むと、自分も糸井重里や残間里江子のようなことがしたくなる。 誰か、聞き書きして欲しい人、いない? こちとら、腕はあるよ! とはいえ、今、矢沢永吉や山口百恵みたいな人がいないよね・・・。
February 16, 2021
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昨年、斯界で大きな話題となったパーシヴァル・エヴェレットの『ジェイムズ』という小説を読んでみました。以下、ネタバレ注意ということで。これこれ! ↓ジェイムズ [ パーシヴァル・エヴェレット ] 本作はマーク・トウェインの傑作『ハックルベリー・フィンの冒険』のスピンオフというか、トウェインの作品がハックの視点で書かれているのを、ハックと行動を共にする黒人奴隷のジム(=ジェイムズ)の視点から語り直すという趣向。もっとも後半に至ると、元ネタを逸脱していくんですけどね。 で、全米図書賞だとかピューリッツァー賞とか、主要な賞を総ナメにしたというね。だから、まあ、一応はまだアメリカ文学者の端くれという立場からして、読んでおかないといかんのかなと思ったわけよ。 で、どうだったかって? それ、ワタクシに聞く? 大抵の人が「素晴らしかった!」と感心しまくる作品をワタクシがどう評価するか、敢えて聞く? 聞くなら答えるけど、まあ、大したことはないね(爆!)。 面白くなくはないです。噂に聞いた「ページ・ターナー」というのは確かにその通り。読み始めたら、すぐ読み終わっちゃうからね。だけど、じゃあ、これが『ハックルベリー・フィンの冒険』と同様の傑作かって言われたら、とてもとても。 なんかね、あちこち中途半端なのよ。たとえばジェイムズが「書くこと」に執着することとかね。ノートや鉛筆に執着していることはわかるのだけど、その結果、どうなったの? それが書いてない。まさかこの小説自体がジェイムズの作品とか? それならそれでいいけど、そう窺わせるようには書いてない。 あと、逃亡奴隷としてジェイムズが受ける様々な悲惨な事件にしても、なんかリアリティがないんだよね! たとえばジェイムズに鉛筆を渡すために、奴隷主から鉛筆を盗んだ奴隷が奴隷主に殺されるという場面とか。だって奴隷って、タダじゃないのよ。奴隷主にとってはひと財産だ。それを、たかがちびた鉛筆一本盗んだために殺すとか、そんなことありえない。悲惨さを演出するためにあり得ない作り話をしているところが興ざめもいいところ。むしろ「この奴隷、値段が高かったんだから長く使おう」という白人奴隷主の心根こそリアルであり、そっちのリアルさを批判すべきなのにね。 で、そんな風にあり得ない悲惨さをずっと描いていたのに、最後の最後になってジェイムズはいとも簡単に悪い白人を皆殺しにし、あっさり妻子を助け出して北部への脱出成功なんて、どんだけ都合がいいんだと。 あと、ジェイムズがハックの父親だったなんて、もう、あり得ないを通り越して噴飯ものよ。 なんつーの? さっきの「書くこと」にしても、ジェイムズが使い分ける言葉遣いの件にしても、あちこちで描かれる「パッシング」の事例にしても、ミンストレル・ショーのくだりにしても、ジェイムズの空想の中でのジョン・ロックやらヴォルテールやらとの会話にしても、作者のエヴェレットが研究者受けしそうな主題の餌をあちこちにバラまいているような感じがするじゃないの。そんな、これ見よがしに「拾え」と言われているものなんか、ワタクシは拾わないよ。 でも、そういうのを拾いまくって、研究発表する研究者とか、今後、やたらに出るんだろうな。「ジェイムズは、自ら語る/自ら書く主体となることで、白人支配の構図を鮮やかに逆転してみせたのだ」とかなんとか。やだねえ、そういう頭でっかちな結論。作者の思うつぼじゃないの。 っつーわけで、この小説、ワタクシにはあまり響かなかったのでした。同じ「ジェイムズ」なら、ワタクシはビリー・ジョエルの名曲の方を推すな。こっちはちゃんと「小説」してるからね。これこれ! ↓ビリー・ジョエル「ジェイムズ」
November 25, 2025
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今日は朝から小淵沢までドライブに行って来ました。 さすがに先日、北海道旅行をしたばかりで、肉体的にも経済的にも疲弊気味の私ですが、友人である某ギャラリーのオーナーMさんから、小淵沢にある「ギャラリー・折々」というところで本杉琉(もとすぎ・りゅう)さんの展覧会が開かれているので見に行かないかとお誘いを受け、秋の八ヶ岳南麓の様子を見てみたいということもあって、ついその話に乗ってしまったんです。 ちなみに本杉琉さんという方は、段ボールを材料にして様々なアートを生み出す、小淵沢在住の画家・造形作家さんなんです。私は前に一度、Mさんのギャラリーで本杉さんにお会いし、その作品のユニークさと、本杉さんご本人の飾らないお人柄に魅せられてしまったことがあり、その時、色々お話をした中で、実は私もいつかは八ヶ岳南麓に家を持ちたいと思っているんですよ、というようなことをお話すると、本杉さんは大変喜んで下さり、もし来るなら喜んで種々お手伝いしますよ、というようなことをおっしゃって下さった。ま、そんなこともあって、ぜひもう一度本杉さんにお会いしたいと思っていたんですね。 で、今日「折々」へ向かったのは総勢6人。MさんとMさんのご友人のアーチストお二人、それに私と家内、そしてもうお一人は小淵沢の別荘にお住まいで、やはりアーチストのKさん。Kさんは現地集合ということにして、残りの5人は名古屋から車2台を連ねてのロングドライブ。私はこの中で白一点です。 さて、9時頃名古屋インターから東名高速に乗り、そのまま名神、中央道と乗り継いで、小淵沢に着いたのは11時半。当地の有名なリゾートホテル、リゾナーレ小淵沢のショッピングモールでKさんと落ち合い、全員揃ったところでまずは小淵沢でも有名な手打ちそばの店「萬吉」にて昼食をとることとなりました。 今日集ったのは、Mさんのギャラリーで展覧会をしたことのあるアーチストたちと、そのギャラリーに入り浸っている私たち夫婦ということで、結局、Mさんの友人という共通点だけでつながっているのであすが、Mさんの人脈に連なっている人たちというのはどこか共通点があるらしく、普段はかなり人見知りをする私などでも、Mさんの友人の方たちとは妙にうまが合ってしまい、今日も蕎麦を手繰りながら30分ほどお話をしているうちに、まるで古くからのお付き合いがあったかのような感じになってしまったのでした。しかも、地元に詳しいKさんおすすめの「萬吉」のお蕎麦が実にうまかった! 蕎麦にはうるさい私も納得の味でした。 さて、そんな感じで楽しく腹ごしらえをしてから、まずは今日の主たる目的であるギャラリー・折々へ向かうことに。このギャラリー、ちょっと奥まったところにあるのですが、行ってみるとなかなかいいギャラリーです。私の好きな薪ストーブのある喫茶室や、野外コンサートもできる広大なウッドデッキなんかもあって、とても気持ちのいい場所。 で、本杉さんの今回の展覧会も良かった! 「絵」と「オブジェ」と「文章」という3つのメディアを使って一つの物語を紡ぎ出す、というのが今回の展覧会の趣旨なんですけど、この物語というのが可愛いんです。現代生活に疲れた旅人が道に迷い込み、ふと「夢の国・ゆすらうめ教会」という教会の前にひょっこり出てしまった、というところから話が始まるんですね。で、一度は気味が悪くなってそこから逃げ出すものの、何だか気になって後からもう一度そこを訪れることにする。そして、この不思議な教会にしばし滞在することにより、彼の疲れ切った心は癒され、再び生きる力を取り戻していく、というように話は展開するんです。それは夢のような話でもあり、現実にあったことのようでもあって、いずれにせよ、いかにも本杉さんのキャラクターから生まれた世界が現出している。特にギャラリーの入り口付近にかかっていた「マリア像」、そして「ゆすらうめ教会」を描いた2枚の絵はすごく良かった。 で、一通り展示を見た後、久々にお会いした本杉さんと皆で色々な話をしました。9月に開いたコンサートのこと、小淵沢での暮らしのこと、そういったことをぼそぼそと語る本杉さんの話ぶりがまたいいんだ。また本杉さんは、私が小淵沢に住みたがっていたのを覚えていらして、このあたりの物件情報などを教えてくれたり。何だか、こういう人の隣人になったら楽しかろうなあとつくづく思わされたのでした。 さて、ギャラリー・折々でのひと時を楽しんだ後、我々一行は本杉さんに別れを告げ、今度は「フィリア美術館」へと向かいました。ここには私の好きなドイツの女性画家ケーテ・コルヴィッツの作品が常時見られる他、様々な企画展も充実していて、行く度に何か発見のあるところ。で、今日はたまたま四竈公子(しかま・きみこ)さんという画家の展覧会をやっていたのですが、これがまた良かったんですわ。枯れた植物などを描いた静物画も良かったし、情念のようなものを感じさせる風景画も良かった。私は寡聞にして四竈さんの名を初めて知りましたが、覚えておきたい画家です。 またフィリア美術館の脇にある、絵と家具を展示したギャラリーも覗きましたが、特にオーナーの花嶋美代子さんの描かれた絵がなかなか素敵で、私もつい何枚か絵葉書を買ってしまいました。 そして、続けざまに美術の世界に遊んだ我々一行は、次にKさんの別荘にお呼ばれすることになりました。それは予定外のことだったのですが、Kさんのお言葉に甘えて、ご招待を受けることにしたんですね。20年前からこの地で別荘ライフを楽しんでいらっしゃるKさんの、そのログキャビンを見せていただけるというのですから、私などは興味津々です。 で、到着したログキャビンで出迎えて下さったのは、Kさんのご主人でした。いかにも知的で温厚そうなその紳士は、名古屋にある大学で物理学をおしえていらっしゃる教授なのだそうですが、そう言われると何だか余計に親近感がわいてしまいます。 そして、そのログキャビンが素晴らしかった。決して豪華な大邸宅というのではないのですが、オーナー夫妻の20年にわたる愛着によって、家自体がキャラクターを持つに到った、とでも言えそうなその別荘は、初めて訪問したにも関わらず、思わず「ただいま!」と言いたくなるような佇まいなんです。そして家の中心にあって、家全体をほっこりとした心地よい温かさで満たしている薪ストーブ! この使い込んだ薪ストーブがまたいいんだ! で、そんな心地よい空間の中で、ご主人自ら挽いてくださった豆で淹れたコーヒーを楽しみながらKさんのお話を伺っていると、これがまたホントに楽しくなってくる。お二人ともせわしない世間の動きには目もくれず、ご自身の生活を楽しみながら、いかにも余裕綽々に暮らしておられるようで、ああ、こういうのが本当に贅沢な暮らしなんだな、とつくづく思わされます。 しかし、秋の日は釣瓶落とし。5時半ともなればもう日も落ちて、小淵沢も夕闇に閉ざされ、もうお暇しなくてはならない時間です。私たち5人はKさんご夫妻に見送られつつ、ログキャビンを後にしたのでした。 ・・・と、ここまで書いたところで、もう私は眠くて眠くて死にそうです。この続きは、また明日! お休みなさーい!
October 22, 2005
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サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』には今でも白水社から2つの異なる日本語訳が出版されていて、一方は野崎孝訳で、これは1964年のもの(ただし1984年に廉価版の「Uブックス」が出た時に若干手を入れている)。で、もう一方は2003年に出た村上春樹訳。こちらにも廉価版が出たので、読者としては野崎訳を選ぶか、村上訳を選ぶかの二択が許されているわけ。 まあ、稀有な状況ですな。一つの小説について同じ出版社から2つの訳が出ていて、しかも同じ値段(950円)で買えるなんて、そんなこと普通ではありえない。 で、一つ言っておくと、私はもちろん、野崎孝訳世代なわけですよ。最初に『ライ麦畑』を読んだのは野崎訳だった。原書を読んだのはその後だから、とにかくこの作品への入り口が野崎訳だったわけ。で、2003年に鳴り物入りで村上春樹訳が出た時、一応、私もその訳書を買いましたが、読みはしなかった。野崎訳で読み、原書で読んでいるんだから、その必要が無かったんですな。 だけど、今回、サリンジャーについての連載をするにあたって、一応、両者の違いをチェックしておこうかなと。まあ、そんな風に思って村上訳を初めて読んでみたわけ。 で? どうだったかって? うーむ。言っちゃっていい? 言っちゃうよ。 野崎訳の圧勝だね。 ま、多分、これは世間の見方の逆を行っているんだと思います。私はいつもそうだからね。私の意見ってのは、大抵、世間の逆だから。世間は、多分、「野崎訳は古いしダサい。村上訳になってようやくこの小説もアップデートされた」と思っているのだろうと思います。 だけど、私から見ると、もうその差は歴然と言っていいくらい、野崎訳の方が『ライ麦畑』を日本語で再現していると思います。村上訳はね、あれはサリンジャーの小説じゃなくて、サリンジャーの小説の真似をした村上さんの小説みたいにしか見えない。村上節炸裂って感じだもの。それが気になって、気になって、もう読んでられない。 まずね、目に見えて嫌なのは、村上訳が妙にアメリカかぶれ(英語かぶれ?)なところ。 例えば小説冒頭のホールデンとスペンサー先生の会話のところで、村上訳はスペンサー先生のセリフに「あーむ」って入れるんだよね: 「そこに座りなさい、あーむ」とスペンサー先生は言った。ベッドに座れということだった。僕はそこに腰を下ろした。「流感の具合はいかがですか、先生?」 「あーむ、もっと良くなったら医者を呼ばんとな」とスペンサー先生は言った。 なに、この「あーむ」って。これ、普通訳すかね。むしろ野崎訳のように無視するか(最初の奴)、あるいは「いやどうも」(2番目の奴)などと訳した方がよほど自然だと思う。 この手のアメリカかぶれ・英語かぶれってのは村上訳には他にも沢山あって、「ジーザス・クライスト」とか、その手の間投詞をそのまま訳してあったりする。あと普通に「アントリーニ先生」と訳せばいいのに、「ミスタ・アントリーニ」と訳すとか。こういうのもすごく嫌。 あと、村上訳独自の言い回しってのがあって、例えば人の名前にスポットライトを当てる時に「くん」を付けるのよ。「フィービーくん」とか「ギャッツビーくん」とか。そういうのも気になるし、あるいは形容詞でいうと「うらぶれた」なんて言い方を何度も使われるとすごく違和感がある。 あと、最後の方でフィービーとホールデンが会話するシーンで、妹で10歳のフィービーが、高校生の兄ホールデンに「あなた」って呼びかけるんだよね。これもすごく不自然だと思う。私には妹は居ないけど、10歳の妹に「あなた」なんて呼びかけられたら、本当に嫌。ちなみに、野崎訳では普通に「兄さん」と訳されているんですけどね。 つまり、野崎訳がどこまでも「普通」に訳しているのに対し、村上訳はどこか色がついているというか、突出しちゃっているわけね。それが気になり出すと、すごく気になる。 あ、それから村上訳には日本語の言葉遣いにもおかしいところがある。167ページにキリストが12弟子を選んだことについて「でも彼(イエス)はきっとわりに見ずてんで選んだんだよ」と書いてあって、「見ずてん」のところにわざわざ傍点まで振ってあるんですわ。多分、「見ずてんで」ということばを「選り好みしないで」の意味で使ったのだろうと思うけれど、「みずてん」という言葉は漢字で書けば「不見転」と書いて、芸者が金次第でどんな相手とでも寝ることを言う言葉ですよ。元来、すごく下品な言葉。それをイエスに当てはめるなんて、日本語を知らないにもほどがあるんじゃないかい? だけど、上に述べたような細かいことだけじゃないのよ。実際には上に述べたようなことは瑣末なことで、問題はむしろそうじゃない部分の訳なのね。 訳として間違ってないんだけれども、野崎訳に比べ、村上訳は「切れ」が悪い。それは全体を通してそう。 例えばホールデンが母親から送られたスケート靴についてコメントするシーンを比べると・・・〈野崎訳〉 おふくろは見当違いのスケート靴を買ってよこしたんだけどさーー僕は競走用のスケートがほしかったのに、おふくろはホッケー用のを買ってよこしたんだーーしかし、それにしてもやっぱり悲しくなっちまった。僕はひとから贈物をもらうと、しまいには、そのためにたいてい悲しい思いをさせられることになる。〈村上訳〉 もっとも母が送ってくれたのは間違ったスケート靴だった。ほしかったのはレース用のシューズなのに、送ってきたのはホッケー用のやつだった。でもどっちにしても、けっこう哀しい気持ちになった。誰かに何かをプレゼントされると、ほぼ間違いなく最後には哀しい気持ちになっちゃうんだよね。 問題はね、最後の文の終わりね。野崎訳が「させられることになる」でピシッと切れるのに対し、村上訳は「なっちゃうんだよね」となっていて、なんだかずっこけちゃって、悲しみが伝わってこないわけ。野崎訳だと、この話をした時のホールデンの,一瞬、暗くうつむいた姿、目の奥の暗がりが見えるのに、村上訳だと「なっちゃうんだよね〜! ちゃんちゃん!」というイメージが出て来てしまって、どうにも締まらない。 要するにね、そういうことですよ。村上訳だと、あるセリフの言葉遣いと、それを言っている時のホールデンの姿とが、合っていないと(私には)思えるところが多過ぎる。本当に細かいところなんだけど、こういうのが積み重なって行って、私にとってのホールデンのイメージが、村上訳によって崩されてしまうんですな。だから、いちいち「ちげーよ」って言いたくなる。 野崎訳にはそういうところはないんだなあ。それから、もう一つ言わせてもらえれば、野崎訳より前の橋本福夫訳にもそういう不自然なところはない。この二人は学者だからね、訳すとなったら黒子に徹するところがある。 だけど村上さんは小説家だからねえ。やっぱり自分も書く人だから、筆が滑るんじゃないかなあ。 というわけで、異論・反論がたーくさんありそうですけれども、少なくとも私にとって『ライ麦畑』の訳は、やっぱり野崎訳にトドメを刺すと。そういうことですな。ライ麦畑でつかまえて/J.D.サリンジャー/野崎孝【1000円以上送料無料】キャッチャー・イン・ザ・ライ ペーパーバック・エディション/J.D.サリンジャー/村上春樹【1000円以上送料無料】
December 30, 2018
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レイモンド・A・ムーディ・Jr.が書いた『かいまみた死後の世界』(原題:Life After Life, 1975)を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 この本、「死後の世界」について大真面目に取り上げた本としては最初のものでありまして、「死の五段階説」を唱えた『死ぬ瞬間』(原題:On Death and Dying, 1969)や臨死体験を扱った『死後の真実』(On Life After Death, 1991)で有名なエリザベス・キューブラー・ロスと同様、臨死体験系ジャンルの草分け(もちろん、オカルト系のそれは除く)と言っていいもの。 ところで、同じ「臨死」現象を扱い、死んだらどうなるかについて調査した本でありながら、ムーディの本が『Life After Life』で、キューブラー・ロスの本が『On Life After Death』であるってのは面白いですな。つまり「Life After Life」と「Life After Death」は言い方が大分違うけれども、ほとんど同意であると。 ま、それはともかく、死後の世界を真剣に扱った最初の記念すべき本ということで、歴史的には非常に価値のある本でございます。小さな一歩とはいえ、人類にとっては大きな一歩。 まず本書の内容に踏み込む前に、著者であるムーディについて紹介しておくと、まず彼は自分自身では臨死体験をしたことがなく、またオカルトとか超常現象には通じていない、ということを冒頭の「著者まえがき」の中で述べております。学歴も一風変わっていて、元々バージニア大学の大学院哲学科で学び、1969年に博士号取得、その頃、彼の興味の対象は倫理学・論理学・言語哲学だったと。で、その後ノースカロライナの大学で3年ほど哲学を講じた後、医科大学に進学し、医学哲学とか精神医学の研究を目指すようになるんですな。 で、そんなムーディが初めて「死後の世界」について知ったのは、バージニア大学時代の1965年のことで、たまたまその大学の精神医学科の臨床教授から、教授自身の体験として、「死んでいた時」の異様な体験を聴かされ、そんなことがあるのかとビックリしたのが最初。その後、ノースカロライナの大学での講師時代、プラトンの『ファイドン』を学生たちと輪読していた時、その受講生の一人から、その祖母の臨死体験を聴き、先に聞いた教授の経験談と合わせて、ムーディの心中にこのことに関する興味がムクムクと沸き起こってきたと。 で、調べ始めてみると、意外や意外、結構な確率で臨死体験をした人が存在することに気づき、そういう人達から聞き取り調査をし始めたら、たちまち150例くらい集まってしまった。この150例の中には、実際に医師から死を宣告された後蘇生した真正の臨死ケース、臨死までは行かないまでも交通事故などで臨死体験と同様の体験をしたケース、あるいはそういう臨死体験をした人の話をまた聞きで聞いたことがあるというケースなど、レベルは様々だけれども、とにかくそういう経験自体は決して珍しいものではない、ということが分かるわけ。 では、それほど珍しくない臨死体験が、これまで、あまり世間の注目を惹かなかったのはなぜか? というと、答えは単純で、「人は死について語りたくないから」。 人は、他人の死に触れたり、死について語ったりすると、ただちに「いずれ自分も死んで無になるんだ」という思いに捉われ、その恐怖ゆえにその話題を極力避けようとする。あるいは死を「眠り」(ホメロスの『イーリアス』に、「眠りは死の妹」という表現がある)や「忘却」にたとえたりして、婉曲な表現をすることで、死と直接対峙することを避けようとすると。 その一方、ネアンデルタール人の遺跡の分析で、彼らが死者を花のじゅうたんの上に寝かせて埋葬したことが判明するなど、死を来世への旅立ちと考える文化ももちろん古くからある。こちらは死を忌避するのではなく、むしろ寿ぐような死生観であるわけだけれど、とにかく死ということを巡っては、こういう二つの考え方があるばかりで、どちらが正しいと確信されているわけでもなく、そういうあいまいさゆえに、死の話題が避けられる傾向にあるのは致し方ないところがあると。 だから、「死んだらどうなる」という話題は社会的にはタブーであり、語ること自体が避けられてきたんですな。 しかし実際には臨死体験というのはさほど珍しいことではなく、しかもその体験の内容がどれもほとんど同じであることにムーディは気づき、激しく動揺するんですな。臨死のシチュエーションはそれぞれの話者(=体験者)によって異なるのに、臨死体験の内容自体がどれも同じとなると、本当に死後の世界ってのはあるんじゃね? ってことになるわけで。そこでとりあえず「伝聞」のケースは外した上で、様々な臨死体験のデータを1年ほど時間をかけて分析し、書きあげたのが本書ということになります。 では、臨死体験をした人が経験するのはどういうものなのか。ムーディによると臨死体験には共通項が15あるというのですが、その15の共通項を踏まえつつ、典型例を人工的に作ると、以下に示すようなものになるらしい: ①わたしは瀕死の状態にあった。物理的な肉体の危機が頂点に達した時、担当の医師がわたしの死を宣告しているのが聞こえた。②耳障りな音が聞え始めた。大きく響きわたる音だ。騒々しくうなるような音といったほうがいいかもしれない。③同時に、長くて暗いトンネルの中を、猛烈な速度で通り抜けているような感じがした。④それから突然、自分自身の物理的肉体から抜け出したのがわかった。⑤しかしこの時はまだ、今までと同じ物理的世界にいて、わたしはある距離を保った場所から、まるで傍観者のように自分自身の物理的肉体を見つめていた。この異常な状態で、自分がついさきほど抜け出した物理的な肉体に蘇生術が施されるのを観察している。精神的には非常に混乱していた。 ⑥しばらくすると落ち着いてきて、現に自分がおかれている奇妙な状況に慣れてきた。⑦わたしには今でも「体」が備わっているが、この体は先に抜け出した物理的肉体とは本質的に異質なもので、きわめて特異な能力を持っていることが分かった。⑧まもなく別のことが始まった。誰かがわたしに力を貸すために、会いにきてくれた。すでに死亡している親戚とか友達の霊が、すぐそばにいるのがなんとなくわかった。⑨そして、今まで一度も経験したことがないような愛と暖かさに満ちた霊――光の生命――が現われた。⑩この光の生命は、わたしに自分の一生を総括させるために質問を投げかけた。具体的なことばを介在させずに質問したのである。⑪さらに、私の生涯における主なできごとを連続的に、しかも一瞬のうちに再生して見せることで、総括の手助けをしてくれた。⑫ある時点で、わたしは自分が一種の障壁とも境界ともいえるようなものに少しずつ近づいているのに気がついた。それはまぎれもなく、現世と来世との境い目であった。⑬しかし、私は現世にもどらなければならない。今はまだ死ぬ時ではないと思った。⑭この時点で葛藤が生じた。なぜなら、わたしは今や死後の世界での体験にすっかり心を奪われていて、現世にもどりたくはなかったから。激しい歓喜、愛、やすらぎに圧倒されていた。⑮ところが意に反して、どういうわけか、わたしは再び自分自身の物理的肉体と結合し、蘇生した。(31₋32頁、丸数字は引用者) なるほど! 人間、死ぬとこういうことが起こるわけね・・・。 ところで、一つ重要なポイントは、臨死体験をした人の多くが、「光の生命」と呼ぶ他ないような存在に出会う、ということでございます。 これね、キリスト教徒の中には、この光をもって「キリストだ」と断定する人もいる。聖書の中で、キリスト自身が「世の光」と自己規定していますから、熱心なキリスト教徒は「ああ、これか!」と思うわけ。だけど、必ずしもこれをもってキリストと断定しない人も沢山いる、というところが面白いところで、実際、キリスト教徒であろうとなかろうと、臨死体験中にこの光の生命と遭遇し、これとテレパシカリーに対話する経験を持つケースが多いと。 で、さらに重要なことは、この光の生命に導かれて、人は自分の人生を自己総括させられるのだけど、それは決して「裁かれる」という嫌な感じではなく、たとえ恥ずべき黒歴史を見せつけられたにしても、その光の生命はそれを非難せず、むしろユーモアをもってそんなこともあったね、的な感じで人生の振り返りを促してくれると。 だから、臨死体験した人の多くは、それ以前に考えていたような「天国(報酬)」と「地獄(懲罰)」の二択みたいなことをさせられるのではない、と知ってホッとするみたいよ。 ただ、この人生の振り返りを経験した人は、必ずやある種の気づきをするんですと。その気づきとは、「人生で大切なことは、他人に対する深い愛を培うことである」ということと、もう一つ、「知識の探求をすべきである」ということ。この二つを学ぶのだそうで。 で、こういう経験をしたからと言って、臨死体験者は自分が「純化」されたとか、偉くなったとか、そういう驕り高ぶりを得ることはないんだそうです。ただ、愛と勉強、これが重要なんだなということを学び、蘇生した後は、それ以前の自分よりも、そういうことを心掛けるようにはなると。 そしてもう一つ、臨死体験者に共通するのは、この体験により死を恐れなくなること、そして、もう一つは、それとちょっと矛盾するようですが、「自殺だけはしちゃいかん」と思うこと、なんだとか。 ちなみに、ムーディは、これら現代アメリカでの臨死体験者の話を集めながら、これとよく似た話が過去にもあった、ということに気づくようになります。 例えば聖書。イザヤ書26-19とか、ダニエル書12-2、などもそうですが、一番典型的なのは使徒行伝26-13~26やコリント人への第一の手紙15-35~52にあるパウロの話。あとプラトンで言うと「ファイドン」「ゴルギアス」「国家編」の3つ。それから『チベット死者の書』。それにスウェーデンボルグの諸言説。 上に挙げたようなものの中には、現代アメリカにおける臨死体験とほとんど同じ内容のことが書いてある。それは、逆に言えば、そういうのを読んでいたから、臨死状態の中でその読んだ記憶が蘇ったんじゃね?と考えることもできるかもしれないけれども、聖書・プラトンはまだしも、さすがに『チベット死者の書』とかスウェーデンボルグとかを読んでいる人は、西洋人には少ないはず、それなのに、そこに書いてあるのとそっくりのことを、臨死体験者が語っているとなると、それはむしろ、古今東西を問わず、死後の世界が存在する証拠なのではないかと。 さて、本書後半は、「疑問」とか「解釈」という章が並んでおりまして、例えば「疑問」という章では、ムーディが講演などでこういう死後の世界の話をすると、決まって聴衆から持ち上がる疑問のいくつかが取り上げられ、それに対するムーディの現時点での回答が載っております。 例えば、医者からはこんな質問が出る。「もし、こういうことが本当にあるならば、医者である私が、こういう話を耳にしてもよさそうなものなのに、私は身近でこういう体験をした人の話をしたことがない。だから、これは嘘っぱちなのではないか?」と。 で、この質問に対して、ムーディが、「この会場に居られる方で、身近な人の臨死体験を聴いたことのある人はいますか?」と問いかけてみたところ、先の質問をした医者の奥さんが手を上げ、自分の知人で夫もよく知る人がまさに臨死体験をしており、その話を自分は聴いた」と答えたと。 つまり、医者というのは、自分で「非科学的」と見なした話を実際に聴いていても、右から左へ抜けて行ってしまうものらしいんですな。だから、そういう人は実際に存在しているものを目にし、耳で聞いても、認識はしないと。 まあ、これなどは愉快な例ですけれども、その他に、「臨死体験は、昔からあるものなのか?」という質問に対し、ムーディは、多分昔からあると思うが、昔の例を探ったわけではないので、よく分からない。ただし、現代の方が臨死体験の数は増えていると思う、というのは、昔は臨死は死を意味したが、現代は蘇生技術が向上したので、臨死の後、蘇生するケースが増えたからだ、と答えている。 こういう回答を読むと、ムーディは「知らないことは知らない」と明確に言う人であると同時に、非常に論理的にものを熟考する人であることが分かります。実際、ムーディの本書における執筆態度は、いわゆるオカルトの正反対、非常に論理的で、誠実で、非センセーショナルです。死後の世界がある、などと決めつけるのではなく、ただ淡々と、こういう興味深い現象がある、ということを論理的に述べているわけ。 そのことは本書の末尾でムーディが述べていることからもうかがえます。ムーディ曰く: こうしたことをここで述べるのは、わたしが自分の研究から一切の「結論」を引き出すことを拒否し、物理的肉体の滅亡後も生命が存続するとしている古代の教義を証明しようとしているのでもないと断っている理由を理解していただきたかったのである。しかし、わたしは死後の世界の体験報告は非常に重要なものだと思っている。わたしの望みは、これらの報告を解釈するための、中間的な方法を見つけることである。つまり、科学的、あるいは論理学的な証明が成立していないことを根拠に、これらの体験を否定せず、かといって、漠然とした感情的な主張を展開し、こうした体験が死後の生命の存在を「証明」しているとする感情論にも走らない方法を見つけたいのである。(220頁) ね。至極、まともな考え方でしょ? ところが、本書は、エリザベス・キューブラー・ロスが序を書いておりまして、その序の中でロスは「ムーディ博士は今後多くの批判を浴びるだろう」と不吉な予言をしております。 つまり、死後の世界のような話題を取り上げると、たとえこれほど控えめな執筆意図の下、これほど論理的かつ誠実に書いているにも関わらず、矢のような批判を浴びることは目に見えている、と、ロスは予告しているわけね。 実際、死後の世界の話をし始めたロスは、医学界からつまはじきされることになるわけですから、この話題がタブーであることをロスはよく知っていたわけ。医者とか科学者は、死後の世界の話を・・・してもいいけど、したらその時点で医者とか科学者としての人生は終わる・・・ロスが言っているのはそういうことね。 そういうやばい世界に、ムーディは、そしてエリザベス・キューブラー・ロスは、手を出したと。 ちなみに、ロス自身は、激しい批判に晒されても、平気な顔でこう言っていたそうです:「彼ら(批判者たち)も、死ねば分かる」と。 そう、この「お前らだって、実際に死んでみれば、我々が言っていることが正しかったことが分かるよ」というのが、「死後の生命アリ派」の必殺の決め台詞なのでありまーす! ということで、論争を呼んだ本であり、かつベストセラーになったレイモンド・ムーディの『かいまみた死後の世界』、私はとても面白く、好感を持って読むことの出来た本だったのでした。興味のある方は是非!これこれ! ↓【中古】かいまみた死後の世界 /評論社/レ-モンド・A.ム-ディ,Jr.(単行本)
June 28, 2021
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今日は愛車キャプチャーの車検があったので、午前中、ディーラーの方に伺っておりました。 今回で2回目の車検。つまり買ってから約5年が経過したのですが、今のところ絶好調。ということで、まだしばらくは乗ってもいいかなと。 5年乗って見て、キャプチャーのいいところはどこか、と考えると、まずはデザイン。ローレンス・ヴァン・デン・アッカーの手になるデザインは、今見ても相変わらず愛嬌があって可愛い。ま、ワタクシのクルマ選びは常にデザインから始まりますからね。そこは満足。 で、ハンドリングも相当気に入っております。またエンジンも、たった1.2リッターなのに、ターボ過給で過不足ないパワーを絞り出してくれます。5年乗って、「パワーが足りないな」と思ったことないもんね。 あとね、予想以上に良かったのは、SUVであることによる座席の高さと見晴らしの良さね。たまに普通のクルマに乗ると、座席が低すぎて、乗り込む時に身をかがまなくてはならず、苦労しちゃう。そこへ行くと我がキャプチャーは、立ち位置からちょっとお尻をずらすようにして乗り込めばいいので、腰への負担が掛からない。ほんと楽よ。 ということで、今のところほとんど不満がないので、7万キロ乗ったけど、まだまだ乗り続けるつもり。 ですが・・・ 今日、車検の事前チェックをしてもらっている間、新型のキャプチャーの試乗をしませんか、なんて言われちゃってさ。 ま、そう言われて乗らないのは、据え膳を食わないようなもんですからねえ。 っつーことで、新型のキャプチャーに乗ってみたのですが、うむむ、なかなかよろしい。しっとり、どっしりした上質感はないですけど、軽く硬質な上質さはある。特にエンジンが1.2リッターから1.3リッターに大きくなったこともあって、パワー/トルクとも大幅アップしておりまして、やはりその力感は感じますね。 あとね、サイズも少し大きくなっているので、後席の余裕もかなりアップ。 だけど、一番大きい違いは、安全装備の充実かな・・・。 私の乗っている初代キャプチャーは、安全装備と呼べるようなものは一つもないですからね。それに比べて新型は、もうADAS(先進運転支援システム)の充実がすごい。すごいというか、ようやくこれで他メーカーに肩を並べるようになった、というか。そこはちょっとうらやましい。 で、デザインに関しては、初代の「ほよ」っとした可愛さが薄れ、精悍になった感じ。イケメンです。 だけどなあ、今後、新型のキャプチャーに乗り換えるつもりがあるかと言われたら、ないかな。 いやあ、自分も還暦近くになり、この先、自分のものにできるクルマの数も知れてきたからねえ。同じメーカーのものを二度続けて乗るほど、余裕ないです。もっともっと他に乗りたいメーカーがありますからね。ミニにも乗りたい、ボルボにも乗りたい、メルセデスにも乗りたい、そしてポルシェにも乗りたい。そうなると、なかなかね。 とまあ、乗り換えるかどうかは相当可能性が低いですけど、それでも新車に試乗するってのは楽しいものでありまして、今日はそれだけでもなかなか面白かった。おまけに、今回は代車にルーテシアをもらえたので、この小粋なクルマにしばらく乗れるのも楽しみでございます。
September 22, 2021
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今日は某学会の第1回総会というのに出席して来ました。 何でもそうですけど、「第1回」というのはなかなか大変です。どの位の人が集るか、学会として盛り上がるかどうか、そういう勝手がまるで分からないので、すべてが手さぐり状態なわけ。無論、うまくことが運ぶようにほぼ1年をかけて設立準備をしてきたわけですけど、その成果は今日この日の成功如何にかかってくる。 で、結果から言いますと、なかなか上出来だったのではないでしょうか。大学院を終えたばかりの若い研究者による研究発表2本、既に活躍中の研究者4人によるD・H・ロレンスに関するシンポジウム、そして名著『言葉と文化』(岩波新書)でお馴染み鈴木孝夫先生によるご講演、というプログラムだったのですけど、どれも興味深いものでしたし、参加者の反応もよかった。特にトリをとられた鈴木孝夫先生は百戦錬磨のスピーカーですから、80歳というお歳をまったく感じさせないエネルギッシュで巧みな話術で聞き手を惹き付けられ、まったくお見事という他ありませんでした。 最近の鈴木先生は、日本の英語教育のあり方に対して積極的なご発言をなさっていますが、その趣旨は、日本の現在の英語教育は明治時代の「英学」の頃から全然変わっておらず、そこが宜しくない! ということです。その昔、英語を学ぶことで西欧列強に追いつけ、追い越せ、とやっていた時代、英語の書物を読んでその内容を学びとることが重視されたのは、日本の富国強兵政策の基盤としての歴史的な意味があった。しかし、現在の日本はもはや英米から何かを学ぶという立場にあるよりは、むしろこちらの情報を英語を通じて全世界に発信する立場にこそある。それだから今後の英語教育の主眼は、リーディングよりもライティングに置くべきである、と、まあそういうことをおっしゃるわけ。 ここで、「ライティング重視」というのがポイントです。鈴木先生は、決して「スピーキング重視」の英語教育を目指すべきだとは思っていらっしゃらないんですね。しかも、どのような方向性をとるにせよ、英語の勉強なんてものは、大学で教えるほどのことはない、ともおっしゃる。会話学校もあるし、テレビにしろラジオにしろ、とにかく英語を話す訓練の場など、大学以外の場所に幾らでもあるわけで、大学ではもっと別に学ぶべきものがあるはずだ、と鈴木先生はおっしゃるんです。たとえば文学の授業一つとっても、外国語で書かれた短かい小説を半年かけて1つ読み終えるよりも、翻訳でもいいから毎週1冊、文学作品を読ませた方がよほど為になる・・・とまあ、そんな感じで、今日本に必要な語学の方向性と、大学での勉強のあるべき姿を示しつつ、現時点で行なわれている大学での英語の授業の後進性を批判された。 ま、結構過激な論なんですけど、首肯すべきところは多いと思います。 というわけで、なかなか面白い学会となりました。 しかし、問題はここからなんです。学会が終わった後、懇親会がありまして、私はその懇親会の司会を務めなくてはならなかったんです。 ま、そういう役目は初めてではないので、普段ですと別に緊張することもないんですけど、何しろ今日は一つの学会のスタートを記念する懇親会なので、斯界の重鎮ともいうべき偉い先生も沢山いらっしゃったりして、失礼があってはいけないというところがある。 で、普段ですと私は、こういう場でも笑いが取りたい、受けが取りたい方なんですが、今日ばかりはそういうわけにも行かず、何だか気を使ってしまって疲れました。ま、さほどの粗相もなく、つつがなく終わったのではないかと思うので、その点はまあまあでしたけど、その代わり私はほとんどお料理を食べている暇がなかった。家に帰り着いてから、インスタントラーメン食べましたわ。 ということで、今日は一日、有意義にして、気の疲れる日となったのでした。 明日は名古屋に戻ります。今日はもう寝なくては。それでは、お休みなさい!
October 29, 2005
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メアリー・スチュアートというイギリスの女流作家が書いた『この荒々しい魔術』(原題:This Rough Magic, 1964)を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 メアリー・スチュアートなんて言ったって、今や誰も知らないだろうな。イギリス文学やっている人だって多分、知らないと思う。どの分野であれ、専門の研究者なんてなんにも知らないよ。 メアリー・スチュアートは、1960年代に流行した「サスペンス・ロマンス」の書き手。イギリスでもアメリカでも、大変な人気のあった人で、ハーレクイン・ロマンスの作家の中にも、この人の影響を受けた人は多い。ノーラ・ロバーツも確かそう。 まあ、サスペンス・ロマンスだから、事件がらみのロマンスなのね。ある事件が起こって、ヒロインがそれに巻き込まれる。で、その事件が解決に向かう中で、事件の関係者の誰か(最初、一番怪しいと思われた人物)と恋に落ちる的な。『この荒々しい魔術』も、大体そんな感じ。 主人公はルーシー・ウェアリングはまだ無名の女優。最近、割と大きな役をもらったのですが、その芝居が大失敗に終わり、逃げるようにロンドンを離れて姉であるフィリダ・フォルリの住むギリシャのコルフ島を訪れているんですな。フィリダが結婚した相手のフォルリ氏は名家の生まれで、ここコルフ島に大きな地所を所有しているわけ。 で、広大な敷地内には、姉が住む本宅の他に幾つかヴィラがあって、それを人に貸している。 その一つを借りているのがサー・ジュリアン・ゲイルという、イギリス演劇界の至宝。今は健康を損なって半ば引退し、この島で人々の好奇の目を避けながらひっそり暮らしている。で、息子で音楽家のマックス・ゲイルが同居しているんですが、このマックスがちょっと偏屈な感じ。 一方、もう一つのヴィラはイギリスの写真家、ゴッドフリー・マニングが借りている。 で、ルーシーにとっては女優としての失敗の記憶を払拭するための休暇だったのですが、こんな平和な島で、相次いで事故・事件が起こると。 最初の事故は、スピローという地元の若者の事故死。彼は写真家・マニングの助手として雇われていたのですが、ある夜、マニングが夜の海の写真を撮るために、夜、船を出した時、助手として同船したのですけれども、船から落ちて行方不明になってしまうんですな。 しかも、その直後、今度は地元の漁師で、ヤンニ・ゾウラスという男の死体が、岸に打ち上げられる。この男、隣国のアルバニアとの間で密輸をやっていたようで、しばしば夜に船を出していたのですが、どうもその際、帆船の帆桁に頭を打ちつけたらしく・・・。 で、好奇心旺盛なルーシーは、スピローの事故はまだしも、ヤンニ・ゾウラスの死には不審な点があると思い、マックス・ゲイルを疑います。実際、マックスは夜の夜中に船を出したり、何か大きな荷物を運び込んだり、妙なことをしているフシがある・・・。 そんな折も折、ある夜、ある事情からルーシーが夜中に岸で探しモノをしていた時に、こそこそと行動しているマックスにぶつかるんですな。で、マックスに口をふさがれ、家に連れ込まれてしまい、危機一髪! ところが! 事情は全然違った。 実は、行方不明のスピローは生きていたんですな。 スピローの話によれば、ある夜、ゴッドフリーに無断で彼の船の修理をした際、激しく叱責され、ちょっとふてくされていたところ、ゴッドフリーから夜の海の写真を撮るので手伝えと言われたと。で、ついて行ったら、ゴッドフリーに海中に置きざりにされてしまった。で、普通だったら溺れ死ぬところだったのですが、潮の流れが良かったのか、足の骨を折ったものの、アルバニアの海岸に流れ着いてそこで助けられたと。 で、ギリシャとアルバニアは関係が悪いので、正規のルートでは戻ってこれない。そこで、両国の間で密輸をやっていたヤンニ・ゾウラスが密輸品と一緒にスピローを連れ帰ることになっていた。ヤンニとマックスがこそこそやっていたのは、それだったんですな。なにせ、スピローは自分がゴッドフリーに殺されかけたと思っていますから、自分が生きていること、そしてギリシャに帰ろうとしていることをゴッドフリーに気付かれては困る。それで、マックスがひと肌脱いでいたと。 ところが、そのヤンニが死んだ。マックスとしては、多分、これもゴッドフリーが仕組んだことだろうと思い、仕方なく、自ら出かけてスピローを海上で受けとり、アルバニアの国境警備隊からの銃撃をくらいながらなんとかギリシャに戻ってきた。ルーシーが夜中に出くわしたのは、この時だったんですな。 で、マックスからその話を聞き、どうもゴッドフリーが怪しいということになり、なぜ彼がスピローやヤンニを殺した(殺そうとした)のかを突き止めようということになる。 で、ルーシーが時間稼ぎのために、ゴッドフリーをドライブに誘い、その間、マックスがアテネの警察にスピローを匿ってもらい・・・ってな、ハラハラ、ドキドキのアレがありまして。 ところが、マックスがアテネに行っている時に、ルーシーは、ゴッドフリーの悪事の証拠をたまたま掴んでしまうんですな。だけど、ゴッドフリーもその証拠を早く処分しようとしている様子。そこでルーシーは単身、その証拠を押さえようとする。 結局ね、ゴッドフリーは、大量の偽造通貨をアルバニアに売るということをやっていたんですな。当時アルバニアは周辺諸国と戦争状態、唯一の味方は中共だけ。そこへ大量の偽造通貨をばら撒けば、アルバニアの経済は破綻し、戦争の火種となる可能性大。ゴッドフリーはそういうことを企んでいたと。 で、それをスピローに嗅ぎつけられたかと思ってスピローを殺そうとし、またゴッドフリーの行動に不信を抱いたヤンニを殺してしまったと。そういうことだったらしい。となると、ゴッドフリーの悪事を暴くには、証拠の品となるその偽造通貨を押さえるしかない。 が! 隠し場所と思しき船の中を探っているうちに、ゴッドフリーに見つかり、ゴッドフリーはルーシーを乗せたまま海に出てしまった! ひゃー、このままではスピローやヤンニと同じように、海の上でルーシーも殺されてしまう!! で、実際、ルーシーは殺されかけ、海に落ちるのですが・・・ なんと、彼女はイルカに助けられるという・・・ イルカ? と思うなかれ、実はこの小説ではイルカが大きな役割を果しておりまして、それまでに二度、ルーシーはこのイルカの命を助ける場面があるのよ。それで恩に着たイルカさんがその恩返しにルーシーを岸まで送り届けます。 で、ルーシーがほうほうの体でコルフ島に戻ってみると、マックスらの計らいで、今まさにゴッドフリーは尋問を受けている最中だった。が、一番肝心な証人であるルーシーは既に死んでいると思っているゴッドフリーは堂々としらばっくれている。 そこで、ルーシーはここぞというタイミングで舞台にあがる女優のごとく、その尋問の真っ只中に入っていく。ルーシーがここで、ゴッドフリーの悪事をすべて暴けばゴッドフリーはもう一巻の終り。 で、ゴッドフリーは最後の悪あがきで隠し持っていた銃を取り出してルーシーに突き付け、彼女を人質にして逃亡を図ろうとする。 と、そこに名優、サー・ジュリアン・ゲイル登場! 彼は酔ったふりをしてふらりと修羅場に登場しつつ、酒瓶を投げて電球を叩き壊し、ルーシーを奪還! ゴッドフリーは一人で港に係留してあった船に向って逃走! ところが、その船のエンジンをかけた途端、どっかーん! と大爆発! 実はスピローの親友で、彼の妹のフィアンセでもある若者、アドーニが事前に船のキッチンのガス栓を開いておいたので、エンジンが点火した途端・・・。 とまあ、そんな感じで悪者は死に、一連の出来事の中で愛を育んだマックスとルーシーは婚約っていうね。ハッピー・エンドでございます。 ところで、本作は、シェイクスピアの『あらし』という芝居が、基調音になっておりまして、各章の冒頭に『あらし』の一節が引用されるんですな。で、療養中の名優・サー・ジュリアン・ゲイルは、このコルフ島こそ、『あらし』の舞台になった島だという説を唱えている。 ま、『あらし』と『この荒々しい魔術』に、筋書き上の類似はないのですけれども、孤島にかつてのイギリス演劇界の王が隠棲していたり、魚の怪物キャリバン的なイルカが居たり、生々しい殺人事件は起こるも、最終的には平和が来たりと、なんとなくね、それっぽいところもある。その辺が、教養のある人にはたまらないわけね。 とまあ、ハーレクイン・ロマンス的なものばかり読んでいると、たまにこういうの読むと、「おお、いいねいいね」と思いますな。 メアリー・スチュアートの『この荒々しい魔術』、なかなか面白いものでありました。これこれ! ↓この荒々しい魔術【中古】
September 18, 2019
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青山学院大学名誉教授・高田賢一先生が昨年4月に亡くなられていたことを知りました。享年74。 高田賢一先生にお目にかかることになったのは、私が学生時代のこと。先生は私の通っていた大学に非常勤講師として授業を受け持たれていて、その授業を私がたまたま受講したことがきっかけでした。 当時、私も元気な盛りでしたから、授業中にもよく発言し、時に先生の解釈に異を唱えたりして、まあ、目立つことをしていたわけですよ。それで高田先生も面白い奴と思ってくれたのか、私の師匠に「先生のところに、やけに元気な奴がおりますなあ」と言ったとか言わなかったとか。 そういうことがあったもので、その後私が名古屋の方の大学に就職してからも、私のことを気に掛けて下さり、先生が編者を務める本の企画などによく誘っていただいたものでした。 例えばミネルヴァ書房から出ている『たのしく読めるアメリカ文学 作品ガイド150』であるとか、『英米文学にみる家族像』、『英語文学辞典』などに寄稿することが出来たのも、高田先生のおかげ。特に『たのしく読めるアメリカ文学』は、私が公刊される書物に文章を載せた最初のものであり、その意味で、ある意味、私のデビューは高田先生のお引き立てによると言えるかも知れません。これこれ! ↓たのしく読めるアメリカ文学 作品ガイド150/高田賢一【3000円以上送料無料】 先生に最後にお目にかかったのは、1999年の秋だったか、北九州大学で行われたアメリカ文学会の全国大会で研究発表をした時のこと。私の発表を聴いていて下さった高田先生が、発表後に声をかけて下さったのでした。久々にお目にかかった先生の御髪がロマンス・グレイを通り越して真っ白になられていたことに驚いたことをよく覚えています。 あれから20年以上。どういうわけか今日、ふと「そういえば高田先生は、今、どうしていらっしゃるのかしら? もちろん、もう定年を迎えられたのだろうけれども・・・」というような思いが浮かび、ネットで先生のお名前を検索して、それで先生が昨年の4月に亡くなられていたことを知った次第。 学生時代から私のことを買っていただき、一時期は色々お世話になったのに、その後、少し疎遠になってしまって、大変、失礼なことをしてしまいました。こんなことになるなら、もっとこちらから積極的に学会等でお目にかかれるよう、動けばよかった。 他大学の、何の縁もゆかりもない学生だった私に目をかけて下さった高田賢一先生のご冥福を、今更ではありますが、お祈りしたいと思います。合掌。
May 17, 2021
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私の研究室は南に面しているので、今日みたいな晩秋のうそ寒い日でも、昼間のうちは日が燦々と当たって割と暖かいんです。 で、昼休み、日の当たっている窓越しに紅葉したケヤキの木などを眺めながらのんびりしていたのですが、ふと見ると、アルミサッシの細いレールの上をなにやら動くものがある。何だこりゃ? おやおや、何かと思ったらカメムシ君ではないですか。最近、窓を開けたことはないけど、君は一体、どこからこの部屋に入ってきたんだい? で、さっきからじっと彼のことを見ているのですが、これがまた実に面白い。何しろ幅1ミリほどのレールの上を歩いているので、カメムシ君も慎重に、一歩一歩確かめるように、よちよち歩いているわけ。で、1メートルほど歩いて窓枠の端まで来ると、それ以上先には行けないものだから、「なんだ、行き止まりか」と落胆の色を見せつつ、でもすぐに気を取り直した様子で、苦労して身体を反転させると、逆方向へよちよち歩いていく。しかし、またじきに反対側の窓枠にぶち当たるもので、そこでまた「なんだ、行き止まりか」となって、再びこちらに向かって歩いてくる。5分ほど見ている間に、もう彼は2往復してしまいました。 このカメムシ君は、外へ出たいのかな? しかし、外へ出してやろうにも、私が手でつまみ上げた途端に臭い奴を一発やられたら困るなぁ。 それに君の「なんだ、行き止まりか」を、もうちょっと見ていたいんだよ。だって、何度同じ過ちを繰り返しても、飽きることなく一心不乱に出口を探して歩いている君の様子が、おかしいやら、頭が下がるやらで、つい見とれてしまうんだもの。 ・・・なんて、カメムシ君に対してひどいことを言いながら心が痛まないのは、人間の思い上がりかな? おっといけない、私ももうすぐ3限の授業だ。さてさて、こちらはこちらで、学生の役にたっているのか、いないのか、よく分からない授業を、一心不乱によちよちとやってきますか。 カメムシ君、この授業が終わって、まだ君に出口が見つからないようだったら、僕が代わりに見つけてあげるよ。ただ、恩をあだで返すようなことだけはしないでくれよ!
November 17, 2005
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今、テレビCMで小林聡美がコロッケサンド作るのがあるじゃないですか。多分「かもめ食堂」からの引用じゃないかと思うのですが。 あれ見てたら誰だって無闇にコロッケサンドが食べたくなるわけでして。 で、ついに今日、夕食にコロッケサンドを作って食べちゃった釈迦楽家なのでございます。 なーに、作り方は簡単。おいしいイギリス食パンを買ってきて適当な厚さにスライス。軽くトーストした後、キャベツの千切りを適宜のせ、そこへスーパーの惣菜コーナーで調達してきたコロッケを乗っけるだけ。ソースは我が家愛用の「ブルドッグ」の中濃ソースに、ハインツのトマトケチャップを半々くらいに混ぜたものを用いました。で、このコロッケサンドを家内特製の「人参のスープ」&「トマトサラダ」と共に食べたら・・・ めちゃくちゃ、うまーい! というわけで、簡単で安上がりな割に、何となく楽しい夕食となったのでございます。皆さんも、お試しあれ! ところで、夕食としては、コロッケサンド一つだけでは若干足りないかなと思ったワタクシ、つい惣菜コーナーでコロッケの隣にあった「アメリカンドッグ」を買ってしまいました。だって、ほれ、ああいう「揚げ物コーナー」みたいなところを見ていると、「ハムカツ」だとか「アジフライ」だとか「鶉の卵の串揚げ」とか、そこに置いてあるものをついつい買いたくなるじゃないですか! でね、そのアメリカンドッグ(1本60円ナリ)も結局食べちゃったんですけど・・・これもまた結構うまかった! ワタクシ、あれ結構好きなんですよね。時々、高速道路のサービスエリアなんかで買って食べるんですけど。 しかし、あれって・・・「アメリカン」とは言い条、実はメイド・イン・アメリカの品物じゃないですよね、たしか。名古屋で有名な「台湾ラーメン」が本場台湾には存在しないのと同じく、「アメリカにゃ、そんなものねーよ」の世界なんでしょ? だったら、アメリカンドッグを本場に持っていって売ったら、結構、評判になったりするんじゃないのかしら? アメリカ人が好きそうな味ですもん。あれ、マスタードとケチャップをたっぷりつけてアメリカの野球場とかで売ったら、受けると思うけどなあ。 はーい。このブログをお読みの投資家(そんな人がいるとして・・・)の皆しゃーん! このアイディア、買いませんかー? 一緒に組んで、「釈迦楽印のアメリカンドッグ」をアメリカで売りましょうよーん! こいつで一儲けして、ビバリーヒルズに「ドッグ御殿」建てて、アメリカンドッグの形をした浮輪に乗っかって自宅のプールに浮いてみたい! ということで、そこんとこ一つよろしく!
October 9, 2007
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なんとはなしにネットサーフしていたら、「芸能人の乗る車」というサイトに行き当たりまして。ま、最新のデータというわけではないですが、芸能人の名前と、その方が乗っていらっしゃるクルマの名前がずらりと並んでいる。 で、当然のことながら、我が愛車アルファ156に乗っている芸能人、あるいは156に限らず、アルファロメオのクルマに乗っている芸能人にはどんな方がいらっしゃるのか、ざっと目を通して見たわけですよ。 まず女性部門!安田成美さん アルファ156本上まなみさん アルファ156常盤貴子さん アルファ147観月ありささん アルファスパイダー ほ、ほう。なるほどねえ・・・。なかなかいいメンツがアルフィスタに名を連ねているではないですか。特に本上まなみさんが156に乗っているというのは、分かる気がするなあ。ちょっと分かってるゾ、みたいな感じで。 では次。男性部門!峰竜太さん アルファ156えなりかずきさん アルファ156ウド鈴木さん アルファ156 おおっ! こ、これは・・・。どうなんだ、このメンツはっ! 私は、私は、このメンツに入るのかっ! 果てしなく微妙! 男の目からしますとね、アルファロメオってのはレースとの関連が深くて、たとえばちょっと前のヨーロッパGT選手権なんかでアルファ155が大活躍したことも記憶に新しく、非常に男性的なイメージがある。 ところが家内に言わせますと、アルファ156の性別を敢えて言うならば、明らかに「女の子」だ、と言います。前の愛車のプジョー306は「男の子」だったそうですが。だから、アルファ156には女同士の親近感がある、というのですな。 で、そのことを今回のデータと合わせて考えると、なるほどと思うところがあります。つまり、アルファを選ぶ女性芸能人というのは、アルファを女性らしいクルマとして親近感を持って乗っているのではないかと。 一方、アルファに乗る男性芸能人は、おたく的に、つまり「これがカッコイイんだ。レースにも出てるんだ。だからこれに乗っているオレもカッコイイんだ」的な誤解で乗っているのではないかと。ま、ワタクシも、若干、その傾向がありますが。 なんか、そんな気がしますねえ・・・。 それはともかく、このサイト見ていると、芸能人の乗るクルマの傾向が分かってなかなか面白い。 ま、全体的に言いますと、ちょっとクルマの選択が古いんじゃないかなあ。ベンツやポルシェに乗る芸能人が多いのは分かるとして、今だにゲレンデヴァーゲンとか乗ってる人が多いのはどうなのかと。その選択はバブル時代のものじゃないの? 同じく、この時代にハマーに乗るというのも古いし、ジープ・チェロキーに乗っている人が多いのも今だにバブル時代を引きずってる感じがするなあ。それどころかパジェロに乗っている人もいたりして、「私をスキーに連れてって」かよっ! って感じです。 一方、堺正章さんとか、高田純二さんとか、人に知られるクルマ好きがジュリエッタとかアストンマーティンDB9とか、それらしいクルマに乗っておられるのは納得しますし、江角マキコさんとかがマセラティ・クーペに乗っていらっしゃると聞くと、お、やるもんだねえ、という気がします。あと、木梨憲武さんとかが敢えて国産のランドクルーザー・シグナスに乗っているというのも、さすが、分かってらっしゃる、という評価ができますね。 高木ブーさんがスマート・フォーツーに乗っていらっしゃるのは、そのセンスを買うものの、ちょっと暑苦しい感じがしなくもない。 その他、永瀬正敏さんがセンチュリーに、Gacktさんがマスタングに、川島なお美さんがランチャ・イプシロンに、鈴木紗理奈さんがシボレー・タホに、ロンブー田村亮さんが510ブルーバードSSSに乗っておられるのも、それぞれ渋い。 あとワタクシの高校の後輩の織田裕二さんがジムニーって、本当かなあ? だけど、僭越であることは承知の上、敢えてクルマ好きの視点から言わせてもらいますと、全般的に芸能人の皆さんは、お金はあるけどクルマの選択がいまいち画一的ですね。もう少しクルマの勉強をしてもらわないと。皆が皆ベンツというのではなくて、例えば今だったら「シトロエンC5」とかね、「パサートCC」とか、いっそ「ダイハツ・コペン」とか、そういった気の利いたはずし方をしてもらいたいですわー。芸能人の乗る車
May 27, 2009
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日本人ってのは気が早いのか、もうあちこちで「クリスマス・イルミネーション」の話題が出始めているようです。本番までまだ1ヶ月以上あるのに・・・。 で、そろそろかな、と思っていたら、先日、ついに始まりました。わが街のクリスマス・イルミネーション競演会が! この季節になるとニュースなどで取り上げられる、住宅街のクリスマス・イルミネーション。実は私が今住んでいる街も、数年前からすごいことになっているんです。お好きな方が結構沢山いるらしく、この時期、夕方になると近隣のあちこちで庭一杯のイルミネーションが点灯し始めるわけ。で、一軒のお宅がやり出すと、「うちもやろう」という気になるのか、そのうちにその辺の一画が全部やり出すんですな。しかもそれが毎年エスカレートするのですから、そのきらびやかさといったらない。もうイルミネーションの数で言って1万球、2万球クラスは当たり前という感じです。 なかでもすごいのは、メインストリート沿いにある某理容店のイルミネーションで、これはまさに超弩級の絢爛さ。何しろ店の若い連中が1ヶ月半くらいかけて準備するのですから、最終完成バージョンともなると、その周辺は夜でも昼のような明るさになります。このド派手なイルミネーションと比べたら、ディズニーランドの「エレクトリカル・パレード」なんて子供だましもいいところ。誇張して言っているんではないですよ、事実としてそうなんですから。最近では毎年TVや雑誌が取材に来ているみたいですし、これを見物しに来る一般の人も多い。ま、確かにちょっとした見ものではあって、私も大学からの帰り道、暗闇を明るく照らし出すイルミネーションの洪水に、思わず目を奪われることがあります。ちょっと子供の頃のクリスマスを思い出したりしてね。 私が子供の頃、つまり昭和40年代頃のクリスマスの喧騒というのは、ものすごかった。新宿あたりの繁華街では、どこもかしこもクリスマスセールで大賑わい。街中にクリスマスソングが鳴り渡り、プレゼントを買う家族連れでごったがえしていました。今振り返ってみれば、当時の日本の高度経済成長がなせる業だったんでしょうけど、子供心にはそんなこと分かりませんから、とにかく何だか夢のように華やかできらびやかな街の様子だけが心に刻み込まれたというところがある。 その頃に比べれば、今どきのクリスマスなんて白けたもんですわ。クリスマスというだけでその雰囲気に酔い、顔を輝かせている仲の良さそうな家族連れ、なんてのはもうあまり見られないですもん。今どきの子供は、クリスマスだろうといつも通り塾に通い、もう少し大きくなった子供は勝手に友達同士でほっつき歩いているんでしょう。ボーナスをまるまる家のローンにもってかれたお父さん・お母さんも、クリスマスだからと言って財布の紐が大いにゆるむというほどではないのでしょう。別に日本はキリスト教国でもなんでもないんですから、それはそれでいいのかも知れません。しかし、昭和40年代に子供時代を過ごした私のような世代にとっては、こういう白けたクリスマスというのは、少し淋しかったりもするんですなー。 ひょっとして、わが街で家の庭先をイルミネーションで飾りたてている方たちというのも、私と同じように、昭和40年代のクリスマスの喧騒を忘れられないでいる世代の方たちだったりするんじゃないでしょうかね。 ま、私自身はと言いますと、さすがに自分の家でこういうド派手なイルミネーションを飾ろうとは思いません。我が家には我が家のクリスマスの過ごし方というのがありますのでね。これはまたこれで、ある意味、すごいのですが。しかし、先ほども言いましたように、昭和40年代を知っている者として、私もこういうイルミネーションが実は嫌いではないんです。 というわけで、週末あたり、ちょいと夜の散歩にでも出て、よそ様が丹精込めた(ややフライング気味の)光のページェントでも堪能しつつ、往時を忍びますか。嗚呼、昭和は遠くになりにけり・・・。
November 11, 2005
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今日は勤務先の大学で、健康診断がありました。 私も40歳を過ぎてから、毎年人間ドックに行くようになりましたが、どういうわけか今年は申し込みを忘れてしまったので、学内で無料で実施してくれる健康診断に参加することにしたんです。ま、一応、年一回はこれをやっておかないと心配ですからね。 大学での健康診断は春と秋に一回ずつあり、春は胸部のレントゲン、秋は血液検査、尿検査、便検査、心電図、そして胃のレントゲン検査があります。トータルで見ると結構しっかりやってくれていますね。ただ、私は水腎症の気があるので、腎臓のエコー検査がないのがちょっと不安かなぁ。 ま、それはともかく、どこで受けるにせよ、この種の検査を受けるのは、何となく気が重いものです。そんなとき、せめて看護婦さんの中に陽気な人がいると、その人と下らない冗談などを言いあって、少しは気が紛れるのですけど、今日来て下さっていた看護婦さんたちは皆、気真面目そうな感じの方ばかりで、無駄口叩く隙がなかった・・・。血液検査で採血するときなど、私はいつも「痛くないようにやって下さいよー。あんまり痛くすると泣いちゃうよ」とか何とか、とりあえずアホなことを言ってみたりするんです。で、ノリのいい看護婦さんだと「あーら、先生、じゃ、ちょっと先生のこと泣かしてみようかしら」なんて言ってくれるんですけど、今日の看護婦さんはニコリともせずに「最初痛いですから」の一言のみ。看護婦さん、ちょっと修行が足りないんじゃないの! 何かと不安な患者さんの立場に立って、ここは一つ一緒に軽口を叩いて下さいよ。 で、看護婦さんに期待できない場合、次に頼りになるのはおっさん同士の「親父ギャグ」です。バリウム検査を待つ間、中年教授連が揃いの検査着を着てベンチに座っているんですけど、こういうちょっと不安な気分を抱えた場になると、普段は別に親しくもない教授同士の間に、奇妙な連帯感が生まれたりする。で、誰かが「俺、もう腹減っちゃってさ。昨日の夜から飲まず食わずだもん」なんて言い出すわけですよ。すると向かい側にいた人が、「もうすぐおいしいミルクが飲めるぞー」なんて応える。するとさらにまた別な人が「しかも、炭酸入りだぞ」などと言うもので、その辺にいた人全員がドッと笑い出してしまう。こんなしょーもない親父ギャグの応酬も、こういう場ではなかなかいいもんです。 それにしてもバリウム、まずいなー! なんかまだ胃が重い感じ。おぇーー! さて、かくして気の重い検査は終わりましたが、もっと気が重いのは結果の通知ですよね。あまり悪い知らせが届かないよう、神様にお祈りしなくっちゃ。お互い、健康には気をつけましょうね! では、また!
October 26, 2005
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バックミンスター・フラーが書いた『宇宙船地球号操縦マニュアル』を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 この本、薄っぺらい本ですけれども、書いてあることはそこそこ難解です。ネット上にあまたあるこの本についての感想文・解説文を読んでも、「一度読んだだけでは内容がよくつかめない」的なことが書いてあることが多い。 だけど、ワタクシ思うのですけれども、多分、この本が難しすぎて一般人には何が書いてあるかわからない・・・のではなく、単にバックミンスター・フラーに文才がないのではないかと。 さほど難しいことが書いてあるわけじゃないのだけど、フラーの書き方がすっごく下手なので、一体、何が言いたいのかよくわからんと。まあ、多分そういうことだと思います。当たり前だけど、思想家・哲学者の誰もが文才があるわけじゃないしね。 だから、文章が下手過ぎて、ハッキリ言って何言っているのかよくわからない本なのですが、それでもこちらで気を回して、あれこれ忖度して、多分、こういうことが言いたいのかな~っというのを推測してみますと、要するに地球という宇宙船はなかなかよくできた宇宙船であると。 まず、エネルギーの供給システムが素晴らしい。太陽という、実質的に無尽蔵と言ってもいいエネルギー庫から常にエネルギーの供給を受け、さらに月の重力というサポートまで受けて、宇宙船地球号はめちゃめちゃ都合よく回っている。しかも太陽から受けたエネルギーの余剰は、化石燃料としてウソみたいに沢山保存してあるので、当分、困ることはない。 で、なによりも素晴らしいのは、この宇宙船には「操縦マニュアル」が存在しない、ということ。 操縦マニュアルが存在しないからこそ、人間は頭を使い、実験しながら、少しずつ自力で操縦法を発見していくことができた。しかも、人間が操縦法を少しずつ発見し、学んでいる間、宇宙船地球号は余裕で自動操縦するだけの余裕があった。だから、人間には時間的余裕がたっぷりあったわけね。そういうことも含めて、この宇宙船は誠によくできた宇宙船であった。 だけど、そうはいっても、現時点での人間は、蓄積してあった化石燃料をガンガン使って宇宙船を操縦するというレベルでしかない。このままだと、いかに無尽蔵の資源であったとしても、いずれ尽きる時がくる。 だから、今、次のレベルの操縦マニュアルを考え出さなきゃいかんのじゃないの? ・・・というのが、フラーの主張の基本ね。 じゃあ、今後はどうすればいいか。 確かに、今のままのペースで資源を使っていったら、いつかそれが尽きる時が来る。しかし、心配はご無用。ここに「シナジー」という素晴らしい次の一手がある。 シナジーというのは、要するにアイディアや物資の「組み合わせ・相乗効果」のこと。シナジー的に思考することで、1+1を2ではなく、3にも4にもできる。だから、賢く操縦していけば、この先も人間はこの宇宙船の中で不足に苦しむことはない。 そうしたシナジー思考をするためには、従来の人間の学問の在り方であった「専門化」、すなわち、物事を細かく分解して理解する、という方法に見切りをつけないとダメ。「専門化」の逆、つまり「総合化」こそシナジーの方向性であると。 昔々、陸地にしか住めないよ~と泣き言を言っていた連中が、それぞれの地域に特化して暮らしたため、その結果として「人種」とか「異なる言語」が発生し、色々と不都合が起こったわけだけれども、その一方、七つの海(実際には一つの海)をまたにかけた「海賊」は、そうした不都合にはとらわれず、事に応じて生きたがゆえに、地球上の覇者となれた。 だから、今、もう一度海賊的思考、つまり総合的・シナジー的思考を復活させて、次のレベルの操縦マニュアルを作る必要がある。それさえできれば、宇宙船地球号の未来に不安なし! ・・・まあ、フラーが言いたいことは、多分、そういうことだと思います。そういう意味で、これはかなりポジティヴな世界観であり、未来予測ですな。 ポジティヴっていうか、むしろノーテンキ? フラーも基本、理科系だから、理科系特有のノーテンキさって、あるよね。 まあ、ノーテンキじゃなくちゃ、「ダイマクション・カー」とか、発明したりしないよね。ジオデシック・ドーム(日本人には懐かしい、かの「富士山ドーム」がその一例)は確かに立派な発明だけれども。 本書に出てくる様々な概念、例えば「宇宙船地球号」にしても、「シナジー」にしても、フラーが考案したオリジナルというわけではないけれども、しかし、当時(本書が出版されたのは1969年)としては相当に新しい概念であったものを駆使し、それを普及させたという意味では、本書の存在意義は大きかったのかもね。 なにせこの本が出た翌年には、「エキスポ70」、すなわち大阪万博があったわけで、「人類の進歩と調和」が高らかに謳われていたわけですよ。そういう世界的な気運、人類は進歩と調和によって、明らかに素晴らしい未来を手に入れつつある、という気運を、本書もしっかり湛えております。 ま、何せよく分からない本ですから、上のワタクシのまとめも、ひょっとしたら的外れなのかも知れませんけど、そんなに大幅には外れてはいないんじゃないかな。 とにかく、最近、私が関心を抱いている『ホール・アース・カタログ』の背景にあったと言われるバックミンスター・フラーの思想の一部に触れることが出来、なるほどね~と思っているワタクシなのであります。宇宙船地球号操縦マニュアル (ちくま学芸文庫) [ リチャード・バックミンスター・フラー ]
May 29, 2018
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竹内康浩さんという方の書かれた『ライ麦畑のミステリー』(2005年)という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 竹内さんは、もちろん面識はないのですけれども、私より2つ年下ですがほぼ同年代、しかもこの本の前にもう一冊、『『ライ麦畑でつかまえて』についてもう何も言いたくない』(1998年)という長いタイトルのサリンジャー本を出されていて、もう何も言いたくないって言っていたのに、もう一冊書いちゃうくらい、私なんぞよりよっぽどサリンジャー研究者って感じの人。 ちなみに、前著『もう何も言いたくない』は、「Suzuki Yoriko」さんに捧げられていて、誰? って思うのだけど、本書の序章を読むと、どうもこの女人は竹内さんの高校時代のガールフレンドだったらしいのね。だけど、残念なことに、ご病気で急逝されて。それで竹内さんは前著をこの方の命日に出版されたと。まあ、そういうことが書いてある。 ふうむ。そういう感じか。いきなり読者の方が照れるようなことを書くんだねえ・・・。そういうのはむしろ秘して書かない方が・・・ まあ、いいか。 ところで、本書のタイトルは『ライ麦畑のミステリー』なんですけど、注目は「ミステリー」という部分。そう言えば、田中啓史先生という、今は75歳くらいになられているはずのサリンジャー研究家もかつて『ミステリアス・サリンジャー 隠されたものがたり』という研究書を書かれているのですけど、サリンジャーというと、ミステリアスな作家というイメージがものすごく強くて、その作品を読み解く=ミステリーの解読という趣になることが多い。 竹内さんも本書のあとがきの中で「(この本に書いてきたことの是非は)サリンジャー本人に聞けば、正確な答えが得られる問題だ」と言っているように、本人に聞けばいいんですよ。だけどそのサリンジャーが雲隠れするもんだから、好き者同志があーだこーだと詮索しなくてはならなくなる。逃げるサリンジャー、追うファンってね。 で、本書は、そういう意味で、「ミステリーの解読」に気合い入れちゃった一例と言えるのではないかと。 で、ミステリーの解読となると、作品の精読をするしかない。そしてその上で、作者が意図的に作品の中に置いて行ったと思しき様々な手がかりやシンボルを拾いまくり、それが意味するところを推測しまくるしかない。 これは、まさに古典的な「ニュークリティシズム」の手法そのものじゃないかっ! 今から40年から60年くらい前に流行っていた分析手法! 懐かしい~! で、何を隠そう、私もこの手法が大好きで、その後に流行る「脱構築批評」とか、そういうのが全然分からない人なんですけど、実はこの手法には一つ、大きな欠陥がある。 それは、「ちょっと~、それって、穿った見方過ぎるんじゃないの~」っていう奴。「考え過ぎよ~」っていう。 で、竹内氏の『ライ麦畑のミステリー』も、かなりこの批判が当てはまるのではないかと。 例えば、『ライ麦畑』の中で、主人公ホールデンが妹のフィービーにレコードをプレゼントしようとするのだけど、それを酔っ払っていた時に落として割ってしまう、という件がある。で、そのレコードというのが「リトル・シャーリー・ビーンズ」という曲だとされているのですが、実はそういうタイトルの曲は存在しないと。ただ、内容からして多分、「All I Want for Christmas Is My Two Front Teeth」というコミックソングなのではないかと。 まあ、ここまではいいよね。実証的で。だけど、ここからの考察が穿っちゃうんだなあ。 サリンジャーがこの曲のタイトルを「シャーリー・ビーンズ」に変えたのには理由があるはずだと。それは多分、「shellin' beans」の意味、つまり、豆を鞘から剥け、というサリンジャーのメッセージに違いないと。そしてそれはユダヤ教のカバラ思想、即ち外側の殻を突き破って核へと侵入せよ、ということをサリンジャーが言わんとしているに違いないと。 しかも、サリンジャーはこの歌を歌っているのが「エステル・フレッチャー」であると言っているけれど、そんな歌手は存在しない。おそらくこれはフランス語の「Est elle Fletcher?」、すなわち、「フレッチャーさんてだーれだ?」という謎かけに違いない。そしてその場合、フレッチャーとは、おそらく、1913年に「よく咀嚼してモノを食べましょう」ということを提唱したホーレス・フレッチャーを指すに違いない。つまり、豆(サリンジャーが言わんとしていること)をよく噛んで食べなさい(拳拳服膺せよ)、というサリンジャーのメッセージがここには込められておるのじゃ。 はい、皆さん、御唱和くださーい:「うっそ~!!」 まあ、これは一例ですけれども、竹内さんがこの本の中でやろうとしていることは、こういう類の分析なのであります。ミステリ~!! もちろん、中には面白いだけでなく、鋭い指摘もあって、例えばホールデンが「好きな本」として挙げている小説は、雨の中で誰かが死ぬ、といった筋書きの本ばかりなのだけど、そこに何らかの再生も描かれていて、その意味で救いがあるものばかりである。その一方、ホールデンが「嫌いな本」として挙げているのは、やっぱり雨の中で誰かが死ぬんだけれども、死にっぱなしというか、死の要素ばかりで再生の要素がないものばかりである。故に、サリンジャーは「雨の中の死と再生」ということを考えていたのであって、それが『ライ麦畑』の最終場面に活きてくるのだ、なんていう分析は、はあはあ、なるほど、と素直に納得できる。 とまあ、本書で竹内さんがやられている分析のうち、私にとって納得できるのが4割、「うっそ~!」って思うのが6割くらいの比率だったかな。 しかし、私が思うに、その納得できる4割すらも、普通に一般の読者が『ライ麦畑』を読む上で、見過ごしていることばかりだと思う。 例えば(これは竹内さんのみならず、他の研究者もこぞって指摘することだけど)、ホールデンが赤いハンティング帽を前後逆さまにかぶるのは、野球のキャッチャーのかぶり方で、ホールデンは最初から自分の「キャッチャーになりたい」という願望を表に出しているのだ、とか。あるいは、ホールデンが死んだ弟アリーの遺品の中で、特にミットを持っていることもそうだ、とか。 もちろん、最初からそういうことに気付いて読んでいる人もいるだろうけれども、大抵の人は、そんなこと考えもしないで『ライ麦畑』を読んでいると(私は)思うんですよね。 そんなこと気付きもしないで読んでいる。そして、それにも拘らず、この小説に大きな感動を呼び起こされている。 だとしたら、竹内さんがこの本の中で行っている分析は、ある意味、すべて無駄なんじゃないだろうか。だって、人は普通、竹内さんが「この小説の真意はこれだ!」と指摘していることなどまったく意に介せずにこの本を読み、この本を楽しみ、この本に感動しているのだから。 そこよ、私が指摘したいのは。 つまり、私だったらむしろ、竹内さんのような精緻な読み方をしない一般の人達は、この本のどこに感動するのか、ということを問題にしたい、と思う。 しかし、そういうと私がこの本を全否定しているみたいに聞こえちゃうけど、必ずしもそうではなくて、サリンジャー好きというのは、どうしてもこの方向に行ってしまう、というのは私にも分かるんです。ただ、それはマニア向けの話であって、大多数はそうじゃない、ということを忘れてはいけないと思うわけね。 でも、とにかく、マニア向けの本としたら、なかなか面白い本ではありました。豆が剥きたいなあ、と思う人には、一読の価値ありなんじゃないでしょうか。ライ麦畑のミステリー / 竹内康浩 【本】
December 9, 2018
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YouTube 見ていたら、なんだか面白そうなのを見つけました。白髪を根本的になくす技、というのですが。これこれ! ↓白髪をなくす簡単な技 なんかね、スパイスの「クローブ」と「ベイリーフ」の抽出物、それにインスタントコーヒーを混ぜて作った液体を髪と地肌にかけ、2時間ほどおいて洗い流すだけ、というのですが、本当にこれで白髪が無くなるんですかね?? まあ、クローブにしてもベイリーフにしても、それほど値段の張るものではないし、ましてやインスタントコーヒーなんて安いものですから、実際に作って試してみようかな、なんて。 染めるのではなく、根本的に白髪が無くなるというのは本当なのか? もし時間があったら、ゴールデンウィーク後半にでも、試してみようかな!
May 5, 2022
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山田稔先生から、先生のご近著『もういいか』(編集工房ノア)をご恵投いただきました~。 このブログにも書きましたが、最近山田稔先生の『特別な一日』(平凡社ライブラリー)を読了したばかりで、そのエッセイとも小説ともつかぬ唯一無二の文体で書かれたこの名著を堪能したばかりだったこともあり、『もういいか』の方もいただいたその場で読み始めました。まだ半分くらいですが、非常に面白く読んでおります。 で、この本の中に、山田先生がかつて京大時代の同僚であった生田耕作さんの思い出を綴っていらっしゃるところがあり、その直後に、坪内祐三さんについての思い出を書かれているところがある。 実はワタクシ、生田耕作さんと坪内祐三さんと山田稔先生と私自身にまつわるエピソードが一つ、ありまして。もう、矢も楯もたまらず、山田先生にお礼かねがね、そのことを綴った長い手紙を書きました。 ま、それは個人的なことだから、それでいいのですが、問題は郵便のこと。 今日、大学に出向く前に郵便局によってこの手紙を投函したところ、郵便料金が爆上がり(110円!)したことにも驚かされましたが、それ以上に驚いたのが配達にかかる日数ね。 郵便局の人から、「これ、速達にしなくていいですか?」と尋ねられたので、「え、なんでそんなこと聞くの?」と思いつつ、「いや、通常郵便でいいです」と答えたのですが、よく聞くと、今日名古屋で投函したこの手紙が、京都の山田先生の手元にとどくまで数日かかり、おそらく、来週火曜日の配達になるだろうから、と。だから、急ぎの手紙だったら、速達にした方がいいですよと。 名古屋・京都間の郵便配達に、木・金・土・日・月・火まで掛かると??!! まあ、今週は連休があるからとはいえ、ちょっと時間かかり過ぎじゃない? ひところ、郵便が届くのが早くなっていた時期があり、速達でなくても翌日届く、といったことがよくあったのに、今は逆にこんなに遅くなってしまったのか? 郵送料は格段に値上げしたのに? いやあ! 日本の郵便システム、大丈夫か? 年々値段は高くなる、その一方でサービスの質は大幅に低下するじゃ、いいところないじゃん! 今、政局の話でやいのやいの言うのはいいけど、こういう庶民の生活に直接かかわるところの議論はしなくていいのかい? なんか、かつて「ジャパン・アズ・ナンバー1」と言われたこの国が、どんどんレベルダウンしているようで、先行き不安になってきますなあ・・・。
October 10, 2024
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さて、そろそろハロウィーンの季節になりました。 最近、日本でもハロウィーンを流行らせようと、色々な企画がなされているようですが、どうもいま一つ、盛り上がりに欠けるようですなあ。ま、もともと宗教的な下地がないところに、行事としてだけこれを輸入しようという方が間違っとるわけで、流行らないなら流行らない方が私はいいと思いますが・・・。 クリスマスが日本に定着したのは、多分、忘年会的な年末の気分と一致したからであって、これにしてもそもそもお祝いの仕方が違いますって。アメリカのクリスマスなんて、ショッピングモールも閉まっていれば、レストランも閉まっている。開いているのはマクドナルドくらいなもんだ。11月の感謝祭ほどではないけれど、クリスマスだって基本的には家族単位で集まって静かに祝うもんで、実際この日、アメリカの街はひっそりと静まり返ります。若い連中が友達同士で馬鹿騒ぎとか、高級ホテルのスイートルームがガキどもの予約で一杯・・・なんてこと、あり得ん! でもアメリカのハロウィーンはすごいですよ。 このシーズンになるととにかくどこへ行ってもカボチャが目につくようになる。スーパーマーケットなんかでは、オレンジ色に熟れた大小様々なカボチャが展示され、自由に持ち帰っていいことになっていたりするわけ。そして街のあちこちで、変装用グッズが売られるようになる。それも「お面」とかそういうレベルじゃなく、もっとすごいのが・・・。 で、月末の「本番」になると、この日ばかりは無礼講というのか、皆すごい格好して街を歩いてますからね。もう街中至る所、しかも昼日中から当前のことのようにドラキュラと狼男が出没する。一般の人に混じって魔女が堂々と横断歩道を渡ってきたりするんですから、見物ですよー。 ちなみに、1998年にロスで過ごしたハロウィーンの時、私は友人に強要され、素肌の上にウサギの毛皮を纏い、腰に短剣を差して、中世の狩人風の格好をさせられていました。家内もピーターパン風の格好をさせられて、まあ面白かったですよ。半裸だった私は直後にひどい風邪をひきましたが・・・。 でもアメリカっていいなと思うのは、こういう遊びを大人も子供も無邪気に楽しんでいることですね。この種のお祭りが、若者の、あるいは酒に酔った上での、馬鹿騒ぎには決してならない。そういうところが「大人」なのであって、それだけに、たとえやっていることは馬鹿馬鹿しいことであっても、結果として見苦しくない。日本でハロウィーンを真似しようというのなら、そういうところを真似してくれって! それにしても1998年というと、随分前のことになっちゃったなー。またいつかアメリカでしばらく暮らせるチャンスは来るのだろうか・・・。そんなことを考えていたら、アメリカで撮ってきた沢山の写真が見たくなりました。もう7年も経ったのに全然整理していない写真の山。今度暇な時にあれをまた眺めて、アメリカで過ごしたハロウィーンのことでも懐かしく思い出すことにしますか。 ところが、今日はその暇はないんです。実はこれから東京の実家に戻らなくてはならないんです。週末、学会があるもんでね。ということで、明日からは東京からの「お気楽日記」となります。お楽しみに!
October 27, 2005
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はぁ~。このところなかなか自分の仕事ができない・・・。 今、大学では来年の授業スケジュールを決める時期なんですけど、私、「教務委員」なんてものを担当しているので、この時期、忙しいんですよ。うちの科の授業を受け持つ何十人もの先生方のご都合を聞いて色々調整しなければならない。まずこれがひと仕事。 おまけに所属する学会関連の仕事も色々ありまして。今週末に開催される月例会の調整、12月に開かれる読書会と忘年会の調整、来年4月の支部大会におけるシンポジウムの計画立案、来年10月の全国大会におけるシンポジウムの計画立案・・・と、こちらも大忙し。 で、もう一つおまけに卒論指導が忙しくなってきているし。こういう状態になると、結局自分の仕事を一番後回しにしなきゃいけなくなるわけで、そこがつらいところ。今日も、会議、会議ですわ。 しかし今日、ある会議に出席していて一つ嬉しいことがありました。会議中、私の隣に座っていたオーストラリア人の先生が、私の着ていたスーツを見ながら小声で、「釈迦楽先生、そのスーツ、いいですね!」と言ってくれたんです。 おお! お目が高い! 実は今日着ていたスーツは今年の年明けに衝動買いした J.CREW のスーツで、自分でも気に入っていたものなんです。色はカーキというのか、穏やかな黄土色で、生地は細い畝の入ったやや厚手のもの。全体的なシルエット、特にパンツが細身で、今風です。このかっちょいいスーツを、うちの大学のベストドレッサーを自認する(?)ワタクシが着ているのですから、鬼に金棒。外国人の目に留まったのも無理はない!? ここ数年、「どうせチョークまみれになるんだし、大学に着ていくものなんて、どーでもいいや」的な心のゆるみから、仕事に着ていくスーツの単価がどんどん下がりはじめ、ふと気がつけば、普段着も仕事着もみーんなユニクロ仕様、みたいになっちゃっていた私。ま、どんなスーツを着ても中途半端に似合ってしまうスタイルの良さが災いして(?)、そういうことになっていったわけですが、やっぱり、たまにはちょいとお洒落な格好をするというのもいいもんですな。もちろん J.CREW だって別に高級なブランドではないですけれど、やはりユニクロとはちょっと違いますからね。 ちなみに私の友人には、ものすごくお洒落な奴が多いんです。そのシーズン毎に最先端のモードに身を包み、「スタイルが崩れる」という理由から服のポケットには何も入れない、なんてのも多い。それでまた実際、そういう連中はセンスも良くて、それぞれその人の個性の表れた、かっこいい服を選んで着ているんだなー、これが。 で、こういう連中と学会で顔を合わせる度に、私は右から左から集中砲火を浴びるわけ。何年同じ服着てるんだ、もう少し時代に合わせてお洒落しろ、というわけ。こういう連中の前に出ると、我が大学のベストドレッサーも形無しです。 でも確かに、彼らの言う通り、いい服を着ていると、それだけで態度まで颯爽としてくるってことはありますよね。私も、この秋はもう少し気張って服にお金をかけようかな・・・。 さて、とりあえず今日はスーツを誉められてちょっと元気が出ましたので、これからまた颯爽とひと仕事してきますか。それでは、また!
November 9, 2005
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今日はお昼にどこかで外食をしようということになり、どうせなら「センチメンタル・ジャーニー」を兼ねて、昔、住んでいた町に行ってみよう衆議一決。親子3人で東林間というところを訪れることにしました。 昔はのどかな田舎町だった東林間、今は何だかごちゃごちゃした感じになってしまいましたけれど、それでも30年前に住んでいた町ですから、見るものすべてが懐かしい。駅前の「イトオ時計店」、ケーキ屋の「アマンデン」、薬屋の「いろは堂」、まだ健在でした。 で、まずは昔時々食べに行った「宮川」という鰻屋さんで鰻でも食べようかと、西口の商店街に行ってみたのですが、なんと宮川さん、昨年12月をもって店じまいした後でした・・・。あら~、どうせなら最後に一回、食べておきたかったのに~。 で、仕方がないので、その近くにあった「ラ・フェット」なるイタリア料理の店(もちろん、昔はこんな店はありませんでしたが)で食べることにしたのですが、うーん。お味の方は今ひとつだったかな・・・。だけどお店の人の感じはよかったので、我慢しましょう。 お腹が一杯になった我ら親子が次に向かったのは、駅前の大通りに面した昔馴染みのパン屋さん、神田ベーカリー。ここも昔からありますなあ。パン屋というより肉屋を思わせるような、通りに面していきなりショーケースがある店構えは30年前と少しも変らぬたたずまい。ここで名物のロールケーキ、いや、もとい、「ロールカステラ」(600円也)を購入。これ、昔よく買ったんだ。 そしてさらに坂を下って大黒屋金物店の健在を確認したところで引き返し、駅の東口方面へ。東口も大分様変わりして、かつて立ち読みをしていると店番のおじさんがハタキをかけにくる「山下書店」や、よく最中を買いに行った「中村屋」も無くなってしまいましたけど、ラーメン屋の「三福」はまだ健在。あと、確か駅前にモンブランという喫茶店があったような気がしたのですけど、それも無くなっておりました。 東芝林間病院を通り越したところにある十字路(かつて「不二家スーパー」があったところ)を右に折れ、かつての我が家(第1号)のあったところへ。しかし、そこはもう昔の面影がまるでなく、新しく建てられた住宅が密集しているばかりなり。私がほんの子供だった頃は、この辺りは広々とした野原と相模原特有の平地林が広がる、のどかなところだったんですけどねえ。 で、次に、東林間内で引っ越したかつての我が家(第2号)のマンション、「ルネ東林間」の方へ。と、こちらは当時と寸分も変わりなく、よく手入れされ、管理が行き届いている感じで、まだまだ第一線のマンションという感じでございました。だけど、昔マンションの脇にあった「吾妻寿司」とか、ラーメン屋さんの「東珍軒」とか、無くなっちゃったんだ・・・。 ということで、昔を懐かしむショート・トリップを満喫した我らは、帰りに昔懐かしい和菓子屋「松月」でかのこなどを買って、帰宅の途についたのでした。 しかし、昔住んでいた町というのは、たまに再訪すると面白いもんですな。特に子供時代に住んでいた町となると、その町がまだ存在しているということ自体、なんだか不思議というか、奇跡的なことのように思えて来る。消え去ったと思っていた過去が、まだそこにあった、みたいな、ね。私の両親も、昔のことを思い出して楽しそうにしていたので、いい親孝行が出来ましたよ。
February 4, 2012
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ここ数日、秋らしい爽やかな陽気となっていますね。 ということもありまして、今日はお昼を食べた後、家内と自転車2台を連ねて家の近所をぐるりと回ってみました。ま、いわば「自転車散歩」というところですね。 2台の折り畳み自転車のうち、一台のタイヤの空気が抜けてしまっていたので、まずは近くの自転車屋さんで空気を入れてもらい(部品の交換も含めて200円なり)、それから元気よく漕ぎ出します。 いやー、それにしても久しぶりに自転車に乗ると色々再発見があります。自転車ってこんなに視点が高かったっけ? とか、自転車ってこんなに地面からの衝撃があるんだっけ? とか、驚くことばかり。何せ自動車ばかり運転しているもんで、身体がなまっちゃっているんでしょう。高校生くらいまではスポーツタイプの自転車を愛用する自転車小僧だったので、自転車なんていくつになったって乗れると思っていましたが、久しぶりに乗ってみるとスピードが出る下り坂なんてけっこう怖いですなー! でも、その怖いところがまたスリルがあって面白かったりして。 それでもとにかく20分ばかり漕いで、今日の最初の目的地であるお店に到着。一ヶ月ほど前にできたばかりの、今どきのちょっと洒落た洋服屋さんなんですが、前から店の前を車で通る度に気になっていたんですね。で、中に入ってみると店の半分が男性用、もう半分が女性用の服を扱っています。男性用の方は20代後半から30代前半位の人向けの品揃えという感じで、私にはちょっと若過ぎるものばかりでしたが、女性用の方はなかなか面白い品揃えでした。ブランドジーンズの珍しいものなども色々揃っているので、家内としてはかなり面白かったらしい。ま、今日はまあ「偵察」ですから、特に何かを買うことはありませんでしたが。 さて、なるほどこういう店か、ということが分かったところで、我々が次に向かった目的地は本屋さん。私は散歩となると、どうしても本屋さんを覗きたくなるんです。で、今日立ち寄ったのは「ロダン」という郊外型の大きな本屋。雑誌や文庫本の品揃えが充実しているので、色々楽しませてもらいましたが、今日は家を出る前に既にインターネットで3冊ほど本を買ってしまったので、ここも見るだけで我慢しました。でも、本とか雑誌って、立ち読みするだけでも楽しいですよね! 30分ほど立ち読みを楽しんだ後、そろそろ家に帰る方向に向かって走り出すことにしたのですが、どうせならいつも車で走る道ではない道を通ってみようと、車では走り難いような住宅街の路地を自転車の機動力を活かしてどんどん走ってみることに。すると、やはりいつもとは違う風景が見えてくるもんですなー。大通りから1本、2本、奥まった細い通りを走っていくと「え、こんなところにこんなお店が?」というような発見がしょっちゅうあるんです。今日も、なんかちょっと変わった建物があるなーと思ったら、それが実は「ミルク&ココア」という洒落たカフェであることが判明。しかもここは赤ちゃん用の洋服や可愛い玩具なども販売しているようなので、いつか友達のところに赤ん坊が生まれたときなど、贈り物を探すのにいいかも知れない。ふーん、こんなお店、気が付かなかったなあ・・・。 しかし今日の一番の発見は、大型スーパーの裏手の、ちょっと薄暗い一角にボソッと立てられたプレハブの粗末な小屋。この小屋、一体なんだろうと思って看板を見ると、何とそこには 「愛知県腕相撲協会本部」 と書いてあったのでした。はぁー、そんな大層な協会が、しかもその本部が、こんなところにあったのでありますか・・・。一体ここで日夜どんな活動が行なわれているのでありましょうや?? さてこの後、今日最後の目的地であるホームセンターに立ち寄って、ここで買おうと思っていた日用品を買いがてら、そこの一角にある「ペットコーナー」で少しだけ売り物の小犬と戯れ、また電気屋さんにも立ち寄って、前から欲しかった旅行用の小型の髭剃りを買いつつ、店内に溢れる様々な最新型の電気製品をチェックしたりしました。何せ私は「セレクトショップ」のオーナーでもあるのですから、時々こうやって商品チェックをしておかないと、何が今世間で流行しているのかとか、売れ筋商品の値段はどのくらいなのか、といったことが分からなくなっちゃいますからね。 それにしても最近のデジカメって小さく、軽くなりましたね! それからモバイルオーディオ製品も「ウソ!」っていうほど小さく、軽くなりました。ま、電気製品が特にそうなんでしょうが、こういうふうにお店で最新型の製品を見せられちゃうと、必要もないのに購買意欲を掻き立てられますなー。必要だから買うのではなく、欲しいから買う。これが近代資本主義経済の原理ってもんなんでしょう。 とまあ、こんな感じで「ご近所めぐり自転車探検」を終えた我らは、家に戻ってティータイム。何しろ運動した後ですから、甘いものがおいしい! 長い坂道を一気に駆け上がったツケが足にきている感じがしますが、それはつまりそれだけいい運動になったということですから、気分は爽快です。スポーツにはもってこいの季節、これからもちょくちょく自転車散歩を楽しんでみようかな。 さて、今日は久々にアフィリエイトもしておきましょう。今日は少しアウトドアを楽しんでしまいましたので、それにちなんでアウトドアっぽいものとして、「ナイフ」をご紹介しましょうか。 「ナイフ」というと、何だか危ないもののように聞こえてしまいますが、人間の道具としてもっとも古いものの一つですし、特に折り畳み式の七得ナイフは、使いようによっては本当に役に立ちます。私も随分前からヴィクトリノックス社の「トラベラー」というナイフを愛用していますが、その名の通り、旅行に出た時など、こいつが一本あると何かと重宝する。女性がバッグに忍ばせておいてもいいような、可愛い小型折り畳みナイフなども揃えてありますので、ぜひ「文房四宝・パート5」をクリックして見て下さい。ここをクリック! ↓文房四宝・パート5
October 25, 2005
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旅行3日目。この日の朝、小樽のヒルトンで目覚めた我らは、眼前のヨットハーバーから遥か水平線まで180度の広角度で見下ろす紺碧のオーシャン・ヴューにあらためて見とれることとなったのでした。結局いいホテルに泊まるということは、こういう景色も含め、ワンランク上の贅沢な空間と時間を買うことなんだよなー、とつくづく思いましたね。前日泊まった格安ビジネスホテルも悪くはなかったけれど、ヒルトン、良かったなぁ・・・。 とまあ、そんなわけで、大満足のヒルトンホテルを後にした我らのこの日の予定は積丹半島へのドライブです。で、まずは電車で小樽まで行き、予約していたレンタカーを受け取ることに。今回は敢えて軽自動車を予約してあったんですが、軽自動車って運転したことがないので、ちょっと楽しみ・・・。 ・・・だったのに! レンタカー店の都合でトヨタのヴィッツ(旧モデル)に変えられてしまった! なんだよ、せっかくスズキのワゴンRを運転できると思っていたのにー。アメリカでもしばしば体験しましたが、レンタカー店での車種の予約ってぜんぜん当てになりませんなー。ガクガク。 でも、ヴィッツもちょっと運転してみたかったので、ま、いっか・・・。 小樽から今日の目的地である積丹半島の突端にある神威岬までは40キロくらい。ですから、ゆっくり走ったってそれほど時間がかかるわけではありません。しかも北海道の道はちょっと郊外に出るとほとんど信号がないですから、ドライブは楽なもんです。 で、旧型ヴィッツを運転した感想ですが、うーん、やっぱりそれなりの車だなぁ・・・。外形のデザインは秀逸だし、室内は予想以上に広々で、荷室の狭さを除けばファーストカーとしても十分に使えるだけの実力はある。しかし、日本の大衆車クラスってどれもこれもハンドリングがプアーなんだよなー。あまりに軽く回り過ぎて、接地感がまるでない。と、さんざん批判されても日本車のメーカーが改めないところを見ると、こういう軽いハンドルが日本では受けるのでしょうね。 ちなみに私の愛車、プジョー306は、日本で言えばカローラやシビックに相当するような大衆車ではありますが、ハンドリングのレベルは日本車とは段違い。たとえばある程度のスピードで直進している時、プジョーのハンドルを切ろうとすると、明らかに車が嫌がるんです。つまり、「私、今、高速で直進しているので、曲がりたくないんです」と車の方からドライバーに伝えてくる。だからカーブを曲がる時には、「このくらいのスピードなら曲がってあげますよ」と車が許してくれるところまでスピードを落とさなくてはならないわけ。逆に言えば、そうやって車と対話することで、そのカーブを可能な限り速いスピードで曲がることができることになる。対するに日本車のハンドルはあまりに軽過ぎ、路面からの情報がまるで伝わって来ないので、ドライバーがハンドルを切ろうと思ったら、たとえ車がどんな状態にあろうと、何の抵抗もなく切れてしまう。ですから、高速で直進している時に誤って大きくハンドルを切ってしまい、途端に横転事故なんてことも大いにあり得る。これは危険だし、疲れます。 というわけで、これがプジョーだったらもっと楽しいドライブができるんだけどなあ、などと思いつつ、それでもやはり愛車とは異なる車の運転を楽しみながら、積丹半島を目指すこと小一時間。途中の景色はとても良かったですよ。ちょっと信州を思わせるような白樺混じりの広葉樹林がそろそろ紅葉しかけているところですから、そりゃきれいなもんですわ。 で、到着したのは神威岬のすぐ手前にある「ペニンシュラ」というお店。土産物店と食堂が合わさったような、観光地によくあるレストハウスですね。で、ここで私たちはお昼をとることにし、食券を買って待つ事しばし。出てきた「岬丼」は海苔をトッピングした丼飯の上にイクラ、ウニ、海老、イカ刺し、刺身などが乗ったもので、これに味噌汁がついて1500円なり。で、これがまた実にうまかった。やっぱりネタが新鮮なんでしょうな。腹が減っていた事もあって、二人ともむさぼり食べてしまいました。おいしかったー! さて、ここでエネルギー充填した我らは、いよいよ神威岬の突端を目指して片道20分ほどのハイキング。距離的にはもちろん大したことはないのですが、高低差がかなりあり、しかも常に強い横風が吹いているので、それなりに足に堪えます。しかし神威岬からの景色は、確かにどこをとっても峻厳な感じの絶景でした。実際、神々しい美しさに、しばし絶句ですよ。かつてアイヌの人々がここを女人禁制の聖地としたこともよく分かる。まだ午後2時過ぎだというのに、早くも夕方めいてきた秋の日差しが、海に反射して見る者の目をまぶしく射抜くのも構わず、私たちはここで神威岬の光景をしかと目に焼き付けたのでした。 とはいえ、ここであまり時間をとる事もできません。小樽の町も少し見て回りたかったもので、そろそろここを後にしなければ。それに車を返す前に、前にこのブログでも書いた「日和山灯台」にももう一度行ってみたかったのでね。帰り道は家内が運転しました。ヴィッツにはナビもついているので、初めての道でも道に迷う心配はありませんし。 で、結局、日和山灯台にも行きましたけど、さすがに前にここで受けたような感動はありませんでした。直前に神威岬を見てしまったということもありますが、やっぱり思い出というのは頭の中に宿るもんですな。ま、そうは言っても、相変わらずいい眺めではありました。 とまあそんな感じで4時前には小樽に戻ってきたのですが、ここを散策するには車がある方がかえって不便だろうということで、とりあえずヴィッツを返却してしまい、その後2時間ちょっとかけて小樽の街歩きを楽しみました。とりあえずは有名な運河を眺め、「メルヘン交差点」まで行って「ル・タオ」という洋菓子店の2階でお茶とケーキを楽しみ、今度は駅へ戻るようにしながらこれまた有名な「北一硝子」を冷やかす、といった調子です。 でも北一硝子に関しては、ちょっと俗っぽくなった感じがしますね。10年くらい前にここを訪れた時は、今のような食器類やアクセサリー中心ではなく、船で使う硝子ブイとか船で使うランタンのような、実用本位の硝子製品を多く扱っていて、そこに北の町の硝子製品店としての風情があったんだけどなー。 それにしてもこの辺りは夜が早い! 6時近くになると、もうどのお店も店じまいを始めるんです。そんな中、ふと目についた小さな硝子アクセサリーの店に入ってみると、これがなかなか趣味のいい品揃え。私はこれでアクセサリーの見立てなどは得意なので、短い時間内でこれはと思うものをピックアップ。その中に家内の気に入ったものがあったので、閉店直前にネックレスを2つ買いました。といっても、硝子製品ですからどちらもとても安いのですけどね。かくしてこの日予定していた小樽での予定はすべて終了ー。 で、この日の宿泊先はと言いますと、再び札幌なんです。といっても中心部からは少し離れたところにある「ホテル・ド・レーゼン札幌」というところ。お菓子で有名なシャトレーゼが経営しているリゾートホテルです。で、ここへ行くには無料の送迎バスが札幌駅の北口から出るのですが、8時の便が最終なので、もう札幌で食事をしている暇はありません。ということで、今日は札幌駅で駅弁でも買ってホテルの部屋で食べようということになり、駅弁売り場を探すことに。ところが売ってないんですなー、駅弁。小さな売り場があっても、もう全部売り切れ。駅で働く人たちに聞いても、「もう買えないんじゃないですか」なんてそっけない答え。ウソだろー! で、仕方なく駅近くにある大丸デパートの地下に行ってみると、おお、あるじゃないのお弁当! と思ったのも束の間、7時半という時間ではもうどの売り場も商品がない状態。あっても残りは1個だけとか。というわけで、あちこち駆けずり回ってようやくお弁当を二つ確保したのでした。やれやれ・・・。 で、そのお弁当を携えてホテルの送迎バス乗り場へ行くと、ロータリーにお目当ての送迎バスが止まっている。ところがそこまで車道をちょっと渡ろうとすると、バスの運転手さんが向こう側から「すみませーん、申し訳ないけど、ぐるっと回って横断歩道渡ってきてもらえますかぁ!」と声をかけてくる。仕方なく言われた通りぐるっと回っていったところ、運転手さんもすまなそうに、「いや、お客さんに車道歩かれるとうるさくてね」とのこと。何がうるさいのかと思いましたが、やがてその意味が分かりました。どうやら駅のロータリーを常に誰かが監視しているらしく、人が車道を渡ろうとすると途端にラウドスピーカーで注意が飛んでくるんです。実際、私たちの後からおばさん連がちょこちょこ車道を歩いてバスまでやってきたところ、すかさず「ピンポン、パンポン! ロータリー内の車道を歩くことは禁じられています!」という放送が。うーん、すごいというか、何というか・・・。 ま、それはとにかく、無事車上の人となってバスに揺られること40分。札幌郊外の丘に忽然と姿を表したのが件のシャトレーゼ宮。とても大きなリゾートホテルで、プールから温泉からトレーニングルームから結婚式場に至るまでなんでもござれ状態。しかし、何と言っても我々はヒルトンからやってきたヤング・エグゼキュティヴ(?)ですからね。真の贅沢さを体験した直後の我らに、見かけ倒しの贅沢さは通用しないのだ! って、何も興奮することはないんですが、でもヒルトンの後で見ると、さしものホテル・ド・レーゼンも、調度品とかアメニティなど、そこにあるもの一つ一つのクオリティがどことなく安っぽいような気がしてしまって(失礼!)。泊まる順番、間違えたかな・・・。でも、ここでのんびり食べたお弁当はおいしかったですよ。私が食べたのは、札幌では有名な「ザンギ弁当」、すなわち餡掛け風鶏のから揚げ弁当だったんですけどね。 そういうことも含めて私が思うに、同じ額のお金を使うのだったら、中レベルのホテルで豪華食事付きにするより、上級ホテルの部屋で弁当食べた方が贅沢を味わえますね。これは一つの教訓として覚えておこうっと。 ってなわけで、3日目も無事終了。翌4日目は名古屋に戻る日ですが、我々はまだまだ遊びますよー。その辺の報告については、また明日! お楽しみに!
October 19, 2005
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昨日から引き続き、イアン・スティーヴンソン著『前世を記憶する子どもたち』という本の心覚えをつけております。 さて、昨日も書きました通り、明らかに現象として観察される「生まれ変わり」について、これを信じる人(文化圏)と信じない人(文化圏)がある。 ではその差は一体どこから来るのか、ということなんですけれども、スティーヴンソンによりますと、生まれ変わり信仰がない文化圏というのは、基本、キリスト教徒、正統イスラム教徒、科学信奉者の多い地域でありまして、逆に言えば、それ以外はほぼどの民族にも「生まれ変わり」を信じる傾向があると。だから、どちらかというと信じない方がむしろ少数派・特殊なんですな。ショーペンハウエル曰く:「もしアジア人にヨーロッパの定義を聞かれる破目に陥ったら、私としてはこう答えざるをえまい。人間は生まれた時に始まり、無から造り出される、という途方もない妄想に完全に支配されている世界の一角である、と。」(51-2)。 もっとも、生まれ変わり信仰を持つ地域・文化圏であっても、(他のいかなる信仰と同じく)浮き沈みがあって、長期にわたって生まれ変わり信仰を持っていた民族・文化が、それを手放すこともある。例えばインドのイスラム教徒がその例だし、ケルト人はヴァイキング同様、かつては生まれ変わり信仰を持っていたものの、その後、大半がこれを手放したんですと。また南ヨーロッパに住んでいたキリスト教徒の一部は、553年の第二コンスタンティノープル会議までは生まれ変わり信仰を持っていたものの、その後、容認されなくなったらしい(61-2)。 というわけで、生まれ変わり現象のある地域/文化圏とそうでないところがあるわけですが、スティーヴンソンによると、生まれ変わり信仰がある文化の特徴というのは7つあると。 で、その特徴とは、①故人の思い出を大切にする。また生者は故人の、故人は生者の助けが必要だと考える傾向がある ②家族の絆が強い ③あることが起こった場合、それを「偶然」「幸運」「無作為性」の産物だと考えず、誰かがそれを願ったのだと解釈する傾向がある ④遠く離れた者同士でも交信が可能だと考える傾向がある ⑤言葉の上手下手を重視しないため、イメージ保持の能力が高い ⑥時間厳守に対する概念が低い ⑦四六時中、何かするべきことに追われていない・・・の7つ(257-8)。 ちなみに、この7つの条件をそれぞれ正反対にすれば(①故人の思い出を大切にしない ②家族の絆が弱い、云々)、それがまさしく西洋社会の特徴となるのであって、それで西洋社会では生まれ変わり事象が発生しにくいし、そういう文化を容認しないのかもしれない(スティーヴンソンはこれらの条件の保持/不保持の比較から、西洋人はアジア・アフリカ諸国人よりある面では進んでいるかもしれないけれど、その分、失ったものも多いのではないかと推測している)。 なお、生まれ変わり信仰というと、カルマ信仰(現世の行いが来世に影響する、という考え方)と結びつけて考えられがちですが、必ずしもそうではないそうで、生まれ変わり信仰を持つ文化圏であっても、カルマ的な考え方とは無縁のところも多いのだとか(66)。 とはいえ、最近では、西洋キリスト教社会でも、少しずつ、生まれ変わり信仰の存在を認める人の数が増える傾向があるそうで、例えば1968年のギャラップ社調査によると、西欧8カ国に住む人の18%が生まれ変わりを信じていることが判明しているし、翌年の北アメリカだけの調査では、アメリカ人の20%、カナダ人の26%が生まれ変わりを信じていたと。また1982年のアメリカの調査では、回答者の23%が信じていた(52)んですと。 では何故、西洋キリスト教社会でも次第に、生まれ変わり信仰が受け入れられ始めるようになったのか、ということなんですけど、例えば若い人の間で、東洋の状況についての知識(本を通じてであれ、実際に現地で生活した経験を通じてであれ)が増えてきたことや、新たに子どもが生まれる度に、神が新しく魂を造るという伝統的なキリスト教の教義に対して疑問を感じる合理的な考え方の持ち主が増えてきた(59)ということもあるかも知れない。 しかし、そうは言っても、やはり現在でも西洋キリスト教社会や正統イスラム教社会では、大半の人が「生まれ変わり」現象を認めていない(可能性すら考えたことがない)人が多いんですな。人生は一回きり、死んだらすべておしまい、というのがこの文化圏の考え方なので。 で、そういう文化圏で、仮に子供が前世を語り出したとしたら・・・当然、両親はそれを「たわごと」として一顧だにしないか、あるいは𠮟りつけたりするわけで、そうなれば子供もすぐに「こういうことは言ってはいけないんだ」と学習し、そのことについて言わなくなり、やがて忘れてしまう、ということが起こる。 また生まれ変わり現象を認める国であっても、それを歓迎していないところが多いんですな。例えばカースト制度のあるインドで、下位カーストの家に生まれ変わってしまった場合、親や暮らしぶりに対して不満を述べたり、ふさわしくない行動をとったりするため、子供が前世を語ることを親が嫌うことは大いにあり得るし、また貧しい家に生まれた子が金持ちだった前世の記憶を持っており、その金持ちが実在していた場合、金持ち側の家では、その貧しい家庭が自分たちに金銭をよこせなどと言って来るのではないかと警戒するケースもある。さらに、前世で店を経営していた子供が、お店屋さんごっこに熱中しすぎて学校に通い始めるのが遅れ、そのために以後、授業についていけずに能力以下の職業にしかつけず、生涯苦労する、ということも実際にある(191)。つまり、生まれ変わりによるデメリットというのは結構、現実的にあるわけ。だからインドなどでは、生まれ変わりを言い出す子どもを抑圧するために「前世の話をする子供は若死にする」という言い伝えがあったりもする。 だから、スティーヴンソンとしては、実は生まれ変わりというのは、それが起こる地域・起こらない地域があるのではなく、実際には世界中に普遍的にあるのだけれど、そういう各種デメリットを鑑みて、それを敢えて認めないということがあり、その禁忌の強さ・弱さによって、多く発生する地域・発生しない地域という風に色分けされるのではないか、と考えているんですな。 しかし、では生まれ変わり現象にはデメリットしかないのかというと、スティーヴンソンはそうは考えていない。むしろ、生まれ変わりがあると仮定すると、説明のつく現象というのはあるだろうと。 では例えばそれはどんなことかと言いますと、例えば「乳幼児期のいわれなき恐怖症」や「幼児期に見られる変わった興味と遊び」、「嗜癖」や「気質」、「早熟な性衝動」、「性的同一性の混乱」、「一卵性双生児に見られる相違点」、「親子関係」、「一見理不尽な攻撃性」、「妊娠中に見られる異常な食欲」、「左利き」、「母斑や先天的欠損」、「個々の人間の独自性」など(272-308)。今ここに挙げたことについては、従来、「遺伝説」と「環境説」があって、それぞれの立場に立つ人達が互いに相手の説を否定しながら論じあってきた(313)わけですが、それに代わる第三の観点として「生まれ変わり」を想定すると、案外、どれも簡単に説明がついてしまうのではないかと。 例えば上に挙げた「幼児期に見られる変わった興味と遊び」という点について言いますと、幼児期に、特定の遊びを非常に好む子供がいる。戦争ごっこが異様に好きな子とか。それはなぜかということを説明しようとすると、フロイトなんかだと「父親に対する怒りをそれによって解消している」というようなことになるのかもしれませんが、むしろ「前世で兵隊だったから」とした方がよほど簡単かつ上手な説明になっているわけですよ。あるいは幼児が与えられた人形に特定の名前を付けた場合、なぜその子はそういう名前を思いついたのか、という説明として、「前世でそういう名前の親友がいた」などと考えると、非常に納得しやすい。 ま、そんな風に考えながら子供の行動を見ていくと、表立って過去生を語らない子供でも、実は前世の記憶を持っているのではないか、否、人間は全員、そういう記憶を潜在意識の中に持っているのではないか、という気さえしてくる(して来ませんか?)。 また「性的同一性の混乱」という点について言いますと、これは最近のLGBTQ問題にもかかわることですけれども、女性として生まれたものの、心は男性とか、その逆とか、そういう人が実際に居る。ではなぜそうなのか、ということを考えた場合に、「遺伝のせい」とか「環境のせい」とすると、「では、その子の兄弟姉妹だってLGBTQになっていてもおかしくないのに、必ずしもそうなってないのはなぜか」という疑問が出てきてしまう。しかし、ここに「生まれ変わり説」を導入し、「その子は、たまたま生まれ変わる時に性別が逆転してしまったからだ」と考えると、非常に整合性のある説明がつく、というわけ。(ちなみに、この生まれ変わりにおける性転換についてもう一言付け加えておくと、前世で男だったものが女に生まれ変わってしまった、というケースが大半で、その逆のケースの3倍近くある(267)。そしてその場合、女に生まれ変わってしまった女児は、男の子に戻りたいと強く願い、男の子のような振る舞いをする場合が非常に多い。) あとね、これもスティーヴンソンが重視することですけれども、先天的欠損を持って生まれてくる子がいる。これを、西洋/キリスト教社会/科学万能の考え方で説明すると、「偶然そうなった」ということになる。DNAの組み合わせの偶然によって、たまたまそうなったと。だけど、その説明は、倫理的に見て非常に不公平なわけですな。そういう欠損を持って生まれた人は、「残念でしたね」ってことだから。 ちなみに、スティーヴンソンによれば、こういう偶然性重視こそが、西洋キリスト教社会の特徴であり、そういう風に偶然を重視することで、西洋人は責任回避をしているのだと言います。彼曰く、「平均的な西洋人は、自分の行いや自分が置かれている状況に対する個人の責任を、様々な方法を用いて回避しようとする。キリスト教は、神が人の運命を定めるという考え方から、キリストが十字架に架けられて死んだことにより人間の罪はすべて贖われたとする考え方に至るまで、さまざまな逃げ道を提供している。現代科学は、偶然という概念を用意しているが、この考え方は、賭博師や保険業者から始まったものであり、科学者の創始になるものではない。(中略)ひとりひとりの人間がそれぞれ特有の特徴を持っているのは、大半が、本人の両親の生殖細胞に染色体がランダムに振り分けられた結果だということになる。同じ概念について私たちは、これまで、不慮の出来事とか幸運とか宿命などという言葉を用いてきたし、今でも用いている。名称がどうであれ、その考え方のおかげで、我が身に降りかかったことに対する責任を、その一端にせよ負わずに済む。ほとんどの西洋人は、偶然という考え方に多少なりとも魅力を感ずると思うし、その分だけ、生まれ変わりという考え方に違和感を覚えるのかもしれない(355)」 この件に関し、「生まれ変わり」を前提に考えると、起こったことは偶然の出来事ではなく、ちゃんとそれぞれ理由がある、ということになるので、たとえ先天的な欠損を持って生まれてきたとしても、少なくとも不公平さは無くなります。だって、その欠損は前世での自分自身の行いの結果そうなっているのであって、ある意味で自業自得なのだから(必ずしもカルマという考え方をしなくても、そういうことになる)。しかも、現生のすべての状況を来世に持ち越すわけではないので、来世ではその欠損なしに生きられるかも知れないという希望も生まれてくる。 とまあ、そんな具合に、「生まれ変わり」を認めた場合、現実の状況を考える上で、より納得のいく説明が出来るようになるわけですよ。それって・・・要は、「より良い現実感の獲得」ということだから、自己啓発思想だよね。私はそう思うのだけど。 で、その「より良い現実感の獲得」という自己啓発思想的な側面からこの生まれ変わり現象を見ると、例えば、前世での失敗から学んで、現世をより良く生きようとする人が居る、というのですな。 で、そうなると、ことは哲学的な生まれ変わり説と一致してくるわけでありまして、例えばプラトンは『国家』の中で、生まれ変わろうとしている魂は生まれ変わる先を選択していると述べていて、過去生で何らかの技術を身につけた者は、そうでなかった者より、来世で素晴らしい人生を送ることが出来ると考えていた(68)のですが、実際に生まれ変わり現象の例で、幼少期から、前世から受け継いだ特殊能力を発揮する子どもというのが居るんですな(282)。 とまあ、そんな感じで、過去生での行動や記憶が現世での生き方の指針(あるいは現世での特殊才能)になるのだとしたら、それは素晴らしいことであるわけですよ。スティーヴンソン自身、そういうことを考えると、自分もクラリネットの練習を始めようかなと思うことがある(361)、などと言っております。 っつーことで、スティーヴンソンは、「生まれ変わり」というのは、それが存在すること自体、疑い得ないし、ひょっとすると特定の子供だけにそういう現象が起こっているのではなく、普遍的に人類というのは全員が生まれ変わっているのかも知れない。その上その考え方は、この世の様々な現象を説明するのに従来の説よりもよほど矛盾なく説明することが出来るという点で、非常に興味深い仮説だ、と考えているんですな。ただ、それは現状、手持ちのデータを眺めた上で、そう考えるのが一番矛盾がないと自分には思える、と言っているだけで、それが真実だ、などとは一言も言っておりません。後は、読者がどう思うかだと。 とまあ、本書はそんなことを述べている本なんですけど、実に面白い!! 私には非常に知的で、興味深い、啓発的な本でありました。いやあ、色々な点で勉強になったわ~。ということで、もちろん、教授のおすすめ! でございます。前世を記憶する子どもたち [ スティーヴンソン,I.(イアン) ]
September 21, 2021
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先日、ジェリー・ルービンの『Do It!』を読んだのに引き続き、その続編たる『マイ・レボリューション』(原題:Growing (up) at 37)を再読しましたので、チラッと感想を。 この本、前にも読んでいるのですが、今回、『Do It!』を読み、かつ映画『シカゴ7裁判』を観た後で再読すると、これがまた余計面白い。 『Do It!』は革命家としてイケイケの時に書いた本なので、勢いはあるけれど、重みはない。まったくない。それに比べて、この『マイ・レボリューション』は、革命家として賞味切れになった後で書いたものであって、その悲哀も含め、人間的な成長の著しさが窺えて、前著よりもはるかに重みのある本となっております。 ルービンは1967年、29歳の時に革命的政治団体イッピーをアビー・ホフマンらと設立するのですが、この後1970年のシカゴ7裁判終結あたりまではイケイケだったわけ。ところが、この年、同志として一緒に戦ってきた恋人ルーシーが別な男と出奔してルービンを絶望の淵に追いやるわけ。 で、その後も革命家として活動を続けるのだけど、1972年のある時、ニューヨークで自分のクルマに乗ろうと駐車場に向かったはいいものの、自分のクルマが完膚なきまでに粉砕されているのを発見。これはイッピーの中でも若手の連中、いわゆる「ジッピー」の仕業で、ホフマンやルービンなどが30歳を超えても引退せず、イッピーを牛耳っていることへの意趣返しだった。かつてのバークレーでのフリー・スピーチ運動の時に言われたジャック・ワインバーグの「30を越した大人を信用するな」(Don’t trust anyone over thirty.)というキャッチ・コピーが、ルービンの身に降り掛かって来たんですな。 で、これを一つの天啓として、1972年以降(実際には少し前の71年から75年まで)、ルービンは生き方を変えるんです。今までは「社会を変える」ことばかりを考え、そのための行動を起こして来たわけだけれども、これから先は「自分自身を変える」ことに専念しはじめる。これは「政治の時代」だった60年代から、「パーソナルな時代」である70年代への時代の移り変わりとちょうどシンクロした、ルービンの自己革命だったと。で、彼はニューヨークからサンフランシスコへと居を移し、生まれ変わりの旅に出る。 で、好奇心旺盛なルービンのこと、この時代にアメリカ社会に溢れていたありとあらゆる自己革命、精神革命の実験に着手する。具体的に言えば、ヨガ、エスト、ゲシュタルト療法、サイキック療法、バイオエナジェティックス、ロルフィング、マッサージ、ジョギング、健康食品、太極拳、エサレン、催眠療法、モダン・ダンス、瞑想、シルバ・マインド・コントロール、アリカ・トレーニング、鍼療法、セックス療法、ライヒアン療法、モア・ハウス、フィッシャー・ホフマン心理療法など、いわゆる「新意識運動」の諸コースを片っ端から試すわけ。特にエストとアリカ、ロルフィング、ヨガ、サイキック療法などには大きな影響を受けたらしい。 で、それらの体験談と並行して、革命家時代、新しい価値観の体現と思っていた自分自身がいかに旧世代の両親や祖父母などからの強い影響を受け、その価値観を引きずっていたか、金や権力や男性主義を是とするアメリカ的体制の打破を目指しながら、自分自身がいかにそれらに捉われていたか、といったことに目覚めていく過程を赤裸々に告白する。 確かに、70年の精神革命は、ルービンの目覚めに寄与したんですわ。そしてそれによってルービン自身、これからの革命は、社会の革命に先行して、個人の革命がなされなければならないと確信していく。革命は、革命を起こす人間の価値観を超えるものにはならない、ということを自覚するわけ。だったら、まずは個人の革命が必要であろうと。 で、37歳になって、そういう自覚を持ち、来るべき新たな革命を幻視するところで本書は終わります。 いやあ、若き日の至らなかった自分を赤裸々に告白し、反省し、ここまで成長したという軌跡を自他に示すこの本は、自伝としても素晴らしいです。そしてこの時代を生きたアメリカ人の一典型がここに示されているという意味で、歴史的にも価値のある文献になっている。 ところが、この先、80年代のルービンは、精神療法の組織者、株式アナライザー、パーティ運営者など、ビジネスマンとして成功し、いわゆる「ヤッピー」のハシリになっていくんです。つまりルービンは、ヒッピー的感性をもった革命家として「イッピー」を作り、意識変革の実験を経て、最終的に「ヤッピー」になるという。ヒッピー→イッピー→ヤッピーという三段活用。 では、意識変革からヤッピーへの道のりってのはどうなっていたのか?という疑問は、ルービンが1994年11月にロスアンゼルス、UCLAの近くで交通事故に遭い、亡くなってしまったため、永久に謎のままに残ってしまった。 だから、資本主義に対する批判者の立場から、体現者の立場への転身に、ルービン自身がどう思っていたのかは分かりませんが、ルービンは決して安易な思索者ではないので、そこにはしかるべき理由があったのでありましょう。(本書の中にも、革命には金が要るという自己矛盾についての考察はある) しかし、80年代はヤッピーの時代ですから、ルービンが60年代、70年代、80年代のそれぞれに、時代に合わせた転身をやってのけたのは確か。そこは非常に面白い。 ということで、ジェリー・ルービンという稀代の革命家の自伝として、『マイ・レボリューション』、非常に面白い読み物となっております。教授のおすすめ!です。これこれ! ↓【中古】マイ・レボリュ-ション /めるくま-る/ジェリ・ル-ビン(単行本)
August 24, 2023
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今日は、両親を連れて「中村正義の美術館」というところに行って来ました。 私は寡聞にして中村正義さんのことは今度初めて知ったのですが、1924年に愛知県の豊橋市に生まれ、若くして速水御舟の再来などと言われた画家なんだそうです。36歳の若さにして日展の審査員に推挙されたというのですから、確かに将来を嘱望された画家であったことが伺えます。しかし、その後師匠の中村岳陵と袂を分かち、所属団体であった日展も脱退、神奈川県川崎市細山というところに自宅を構えてからは、中央画壇とは少し距離を置いたところで独自の活動を続けられたようです。で、43歳の時に直腸癌が見つかり、以来病気と戦いながらの創作活動を続けられて、1977年、肺癌のために逝去されたとのこと。享年52歳ですから、まだまだこれからという時に亡くなられたんですなー。 で、中村さんが後半生を過ごされた川崎市細山のご自宅が、今では美術館となっていて、春と秋に3ヶ月ずつ、週末毎に開館して中村さんの絵を公開されているんですね。私の実家からは車でわずか20分ほどのところにあるのですが、今までこんな美術館があるなんてちっとも知りませんでした。私の両親は知っていたようですが、車がないとなかなか行きづらいところにあるので、今まで来たことがなかったとのこと。 で、実際に行ってみると、これがまた落ち着いた住宅街の少し奥まったところに建つ白亜の瀟洒な美術館です。美術館の佇まいもいいですけど、庭がまたいい。決してだだっ広いわけではないのですが、庭の中程に巨木が一本生えていたりして、何となく落ち着く空間なんですね。公の場所にやってきたというよりは、知人の家を訪問したような感覚と言いましょうか。 実際、美術館に入館する際もインターホンを押して入館するのですから、何だか友人の家に招かれたような感じです。そして入館料も大人500円と良心的。しかも私の両親はシニア割引がきくので、そうなると300円。うーん、なかなかいい感じです。しかも、受け付けしてくださった方がとても親切というのですから、もう言うことはありません。 さて、気分よく展示室に入った我々を出迎えたのは中村正義描くところの顔・顔・顔。彼は人間の顔(自画像)をテーマに一連の作品をものしているのですが、今はまさにその系統の展示がなされていて、デフォルメされた顔がずらりと並んでいる。原色を多用したその画風は、確かにどぎついと言えばどぎついけれど、色の組み合わせだけに注目すると、一種のポップアートにも見えてくる。ふーん、中村正義の画風とは、こういうものですか・・・。 なんて感心していると、なんとその中村さんの娘さんである、美術館館長の中村のりこさんが、我々のためにお茶とお菓子を運んできて下さったではありませんか! ま、確かにお客さんは我々だけだったとはいえ、こんな嬉しいサービスがあるなんて! いやー、個人美術館っていいなー! というわけで、展示室に置かれたテーブルに腰を下ろし、そこからきれいな庭を眺めながら、40年以上前、中村正義さんがこの地に移り住んでこられた頃の辺りの様子など、娘さんののりこさんから興味深いお話をお聞きすることが出来たのはほんとに幸運でした。のりこさんは、私より少し年上、40代半ば頃かと思われる方でしたけれど、精悍な感じの美丈夫だった正義さんによく似た、きれいな方でした。 さて、この美術館は1階に展示室が2つある他に、2階にも展示室があるので、のりこさんからお話を伺った後、そちらの展示室も見せていただきました。2階の展示室もよかったですよ。で、すっかり絵を堪能した後、帰りがけに記念の絵葉書を購入したのですが、その絵葉書も1枚50円という良心的な値段。そこには今回展示されているもの以外の作品の絵葉書もあって、風景画や静物画のいい作品もある。お尋ねすると、来年の春には花の絵を中心にした展示を行なうとのこと。これはその頃にまた、ここを訪れなければなりますまい。 というわけで、思いがけずこんな近くにこんな素晴らしい美術館を見つけて、すっかり嬉しくなってしまった我々ですが、実はこの美術館の楽しみはこれだけではなかったんです。美術館のすぐ脇に、中村正義さんの息子さん、つまりのりこさんの弟さんで、陶芸家の毅義(たかよし)さんの窯があるんですね。正義さんの命名により、「屯屯窯」(とんとんがま)と名付けられたその窯で焼き上げられた作品も、そこで展示即売しているとのことですから、これは興味津々。 行ってみると、そこは「展示場」というような大層なものではなく、ほんとに作業場の隣の小さな部屋で、毅義さんの陶芸作品が販売されている、という感じです。たまたま今がそうだったのかも知れませんが、装飾用の陶器ではなく、普段使い出来そうな食器が中心ですね。なかなかいい感じの作品で、ま、そうは言っても大量生産の既製品ではないですから、それなりに値段も高いんだろうなと思いつつ、湯飲みを一つ手に取って、その値段を見てびっくり。「500円」 え? これ、そんなに安いの? 驚いてあれこれ値段を見ると、大体500円とか800円とか、高くても大皿が3000円とか、そんな感じです。ひゃー、こりゃ、買わずにはおられん! ということで、父が湯飲みを300円(!)で、私が白い抹茶茶碗を600円(!)で購入しました。父の買った湯飲みは基本的には緑色なんですけど、見る角度では紫っぽくも見えるような複雑な色合いでなかなかお洒落ですし、私の買った抹茶茶碗はちょっとした惣菜、たとえば「ほうれん草のごま和え」だとか「きんぴら牛蒡」なんかを盛っても良さそうです。いやー、なかなかいい買物をしました。 かくして、今日はふと思いついて「中村正義の美術館」を訪れたおかげで、いい絵を見、いい庭を見、いい人に触れ、いい買物をして、秋の一日を十分に満喫することが出来たのでした。いやー、今日もいい日だ! もしこのブログをお読みになっている方で、小田急線の「百合ケ丘」駅とか「よみうりランド前」駅に簡単に出られる方がいらっしゃいましたら、一度「中村正義の美術館」を訪れてみてはいかがでしょうか。この美術館、「教授のおすすめ!」です。
October 28, 2005
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今、卒論指導のピークでありまして、ゼミ生から上がって来る卒論の草稿を、バッタバッタと添削しているところなんですけど、その中にフランスの哲学者、ジャン・ジャック・ルソーの『エミール』論をやっているヤツがおりまして。 で、『エミール』の原典はフランス語ですが、当然、それは読めないので、日本語訳を頼りにするのですが、たまたま私のゼミ生が使ったのが岩波文庫版だったと。 で、その岩波文庫版からゼミ生が引用するのですが、その引用したものが、日本語としてとても読めたものではないというね。 例えば、一例を挙げると、こんな訳になっているの。「人は子どもの将来をよいほうに考えがちだが、たまたまかれらの口をついて出るなにかうまいめぐりあわせによることばからひきだそうとする希望を、ほとんどいつもひっくりかえすことになる多くの失敗にたえず恨めしい思いをしている」(岩波文庫『エミール』(上)357‐358頁) これは一体、何? やたらに、ひらがなばかり使うというのも、何を意図しているのか分からないけど、とにかくこれは日本語ではありません。 ルソーなんて歴史上重要な思想家で、『エミール』はその代表作の一つ。なのに、その作品の岩波文庫版が、よりによってこんなひどい和訳を出しているのでは、岩波書店としても名折れじゃないのかしら。 岩波書店には、こんなひどい訳は絶版にして、一刻も早く新訳を出しなさいと言っておきましょう。
December 4, 2022
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クマさんこと、ゲージツ家の篠原勝之さんが亡くなったんですってね。 一時期、どういうわけかテレビに出演なさって、ゲージツ家とはいえ、一体何をなさっているのか、得体が知れないところがあったけれど、なんか身体が大きくて、穏やかそうで、いい人なんだろうなと。 そのクマさんが84歳で亡くなったのですが、亡くなる日に遺族に託した言葉が「ついにね、オサラバの時がきちゃったよ。いろいろ、みんなに親切にしてもらって、ありがとう。いっぱい感謝して、旅にいきます。アバヨ」だったそうで、それを読んで、見事な引き際だなと。辞世の句として、これ以上のって、なかなかないよ。 自分もクマさんより20歳くらい若いけど、この先のことなんかどうなるかわかりゃしない。でも、いざそうなった時に、こんな言葉を伝えて死ねたらいいよね。 別に、そんなに縁のある人じゃないけど、いい死に方の模範を見せてもらったような気がします。 ゲージツ家、クマさんのご冥福をお祈りいたします。合掌。
April 26, 2026
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今年のうちの3年生のゼミ生は、割と面白いのが多い。 で、今日、ゼミの時間、オープニング・トークで「この一週間のうちにあった印象的な出来事」を語ってもらってい時、一人のゼミ生が「今週は語るべきことが沢山あります」と。 話を聞くと、まずクルマをぶつけてしまって、タイヤがパンク、しかも車体に傷をつけてしまったとのこと。それによって、多額の修理代がかかってしまった。 ところが彼の話はここで意外な展開をするのよ。 それで、この修理代を捻出しなければならないことになり、パチンコにかけたと。 え゛ーーーー! お前はギャンブラーだったのか! そして初日に9万円を叩き出し、二日目に5万円、三日目にも5万円を稼いで、見事、修理代金を稼ぎ出した上、それ以上の収入になったと。 ひゃーーー! すごいね。才能あるね。 で、ゼミ生曰く、「劇的なV字回復でした」と。 それで、私が「もし僕が君に1万円を出資し、それで君がパチンコで稼いで、1万円は僕にバック、さらに儲けた分は山分けでどうだ?」と聞いてみたら、「全然OKです」だって。 まあ、色々な奴がゼミに入ってきますが、今年のメンツはなかなか個性豊かなのが多いようで、この先が楽しみですわ・・・。
April 28, 2026
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河原理子(みちこ)さんの『フランクル『夜と霧』への旅』という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 先日、多くの人が自己啓発本の傑作と評するヴィクトール・フランクルの『夜と霧』を読み、色々思うところがあったもので、その関連でこの本も読んでしまったと。 ちなみに河原さんという方は、私よりちょっと年上ですが、まあ、ほぼ同年代と言ってよく、私と同じ世代の人間が『夜と霧』という本にどういう風に接したか、ということが判って、その意味でも興味深いところがありました。 っていうか、そもそも河原さんはこの本の著者紹介欄にご自身の生まれ年を明記していらっしゃるところがまず偉い。そんなの当たり前じゃんと思うなかれ、女性ライターで自分の年齢を隠す人は多いんですよ~。そういうことにいつも私は腹が立つのですが、河原さんはそうじゃない。さすが、新聞記者出。事実の報道に重きを置くわけですな。 で、この本の内容について言いますと、本書の序章を読むと、なんとなく占えるところがある。 本書はまず元NHKディレクターでNPO法人「自殺対策支援センター ライフリンク」の代表をしていた清水康之氏のことから語り始めております。清水さんは受験競争時代の日本の風潮に嫌気がさし、高校を中退、アメリカに渡るのですが、アメリカでテレビ朝日の討論番組「朝まで生テレビ!」を見、そこで当時国際基督教大学準教授だった姜尚中の存在を知り、ニューヨーク州立大から国際基督教大に編入、姜尚中の指導で「日本脱出マニュアル」というタイトルの卒論を書く。それは、若者に向けて息苦しい日本なんか飛び出して、タフに生きようぜ、と煽った内容だったのですが、それに対して指導教授の姜尚中は「”それでも人生にイエスと言う” いいと思う」という感想を寄せた。これは清水の人間へのポジティヴな思いに対する、姜尚中の最大限の賛辞だったと。 で、清水康之から姜尚中を通過して、河原理子さんは「それでも人生にイエスと言う」という言葉に出会い、それがヴィクトール・フランクルの言葉であることを知ると。姜尚中氏もまた、フランクルに影響を受けた一人だったんですな。そして、そういう人と人のつながり、人と自分とのつながりの中で河原さんはフランクルに興味を持ち、かつて自分も読んだはずの『夜と霧』を再読、その思想に惹きつけられて、いわば「フランクル詣で」へと旅立った・・・。 とまあ、ここまでが序章なんですけど、結局、本書に書かれていることってのは、そういうこと。つまり、フランクルの影響を受けた人たちから刺戟を受けてフランクルのことを追究したくなり、フランクルのことを追究しているうちに、さらに彼の影響を受けた人々のことが明らかになり、その隠れたフランクル・ネットワークの大きさ、深さに驚愕しつつ、自らもそのネットワークに連なる形でますます今は亡きフランクルに近づいて行く、その冒険紀行、トラベローグがこの本であると。 となると、旅の始まりは、最初にフランクルを発掘した日本人、すなわち『夜と霧』を最初に翻訳した霜山徳爾氏のことになるのは、理の当然と言うべきか。 でまた、アルゼンチンに次いで世界で二番目に早く海外(日本)にフランクルの本を紹介したこの霜山さんという人がまた、ある意味、フランクルみたいな人なんですな。このフランクル/霜山の関係性がまたいいのよ。まさに、この人に訳されてフランクルの本は生きたというべきか。だからその後、池田香代子による新訳が出た後も、みすず書房が霜山訳を出し続けていることにもちゃんと意味がある。 で、こういうことを、河原さんは単に文献で調べるのではなく、霜山さんの御遺族や新訳を出した池田さんに直に会って話を聞く形で掘り下げていくわけ。このスタンスはその後も変らず、例えば日本を代表する診療内科医にして、やはりフランクルに強い影響を受けた永田勝太郎氏や、エッセイストの岸本葉子氏、世田谷一家殺害事件の被害者の親族であった入江杏氏、次男の自殺という悲劇に見舞われたノンフィクション作家柳田邦男氏・・・といった具合で、次々とフランクル水脈に連なる人々のことを、直接・間接にインタビューしたりしながら知っていく。 で、そういう作業の末に、今度はフランクル本人の足跡を確かめたくて、河原さんはオーストリアへ、そして、フランクルが収容された強制収容所の跡地を巡る旅を決行、各地でフランクルのつながりのある人たちにインタビューしながら、さらに深く深く、フランクルの人物に迫っていくと。 で、そういう作業を経て行くうちに、やっぱり今まで見えなかったことが見えてくることがある。 例えば、世界でこれだけ評価されているフランクルが、案外故郷では批判的に見られていること、とか。 フランクルは、その著書や講演の中で、全体的批判を避けてきた。つまり、ナチスは全員悪い、という見方を批判し、ナチスの中にもいい人は居たと主張するわけ。人間にはいい人と悪い人の二種類がいるけど、ナチス全員が悪い人であるわけではないので、そこを無視してはいかんと。で、それは強制収容所にいたフランクルが直接知っていた命がけの事実であるのに、そのことをもって「ナチス擁護」と捉える人が沢山居て、フランクルの家の戸に鍵十字のいたずら書きが何度もなされたりしたというのです。 だから、戦後、名士となった後ですら、フランクルに哀しみは尽きなかったわけですな。 だけど、それでもフランクルは人生にイエスと言った。強制収容所から解放され、そこでの体験と思索を『医師による魂の癒し』『一心理学者の強制収容所体験』(→『夜と霧』のこと)の二著を著して、他に生きる目的も無くなってしまった時に、エリーさんという女性に出会い、彼女と再婚し、もう一度生きる力を得るんですな。そして以後、エリーさんによれば「誠実な医師」として淡々と人を癒す仕事に従事した。 そしてそんなフランクルの信念は、どんな状況も、その人が生きてきた歴史・幸福を奪うことは出来ないし、だからこそ、その人生にはすべて生きるに足る価値があると。だけどその価値(=答え)というのは、自分から見い出そうとして見つかるものではなく、逆にその時々の状況が、その人に答を求めているのだと。だから、一瞬一瞬、人生が問いかける問に対して、人間は答えを出していかなくてはならないんだと。 まあ、こういうフランクルの思想を考えていると、私としては、当然のことながら恩師・須山静夫先生の人生のことを連想せざるを得ません。須山先生は、病気で奥様を亡くされ、事故で息子さんを亡くされ、その絶望の中で生きる意味を探し続けたわけですから。須山先生もまた、人生が問いかける問に、答えようともがいたのですから。S先生のこと [ 尾崎俊介 ] そしてフランクルに影響を受けた人たちに話を聞き、フランクル自身の足跡を辿った河原さんは、最後に自分自身のフランクル体験を振り返るわけ。そして、フランクルの思想が、この本の取材を通して知った無数の人々にとってと同様、河原さんの人生のあちこちで、救いとして機能してきたことを改めて感じるわけ。それこそ「すとん」と腑に落ちるような形で。 というわけで、この本、フランクルをテーマにした個人的ドキュメンタリーとして、読ませるものとなっております。良質のドキュメンタリーというのは、常に、個人的なものですからね。いい本ですよ。教授のおすすめです。フランクル『夜と霧』への旅 (文庫) [ 河原理子 ] ところで、フランクルが唱導した「ロゴセラピー」という概念を端的に示す言葉として本書に記されているある言葉が、何だか私にも非常にピンと来たので、ご紹介しましょう。それは・・・ あたかも今が二度目の人生であるかのように、生きなさい。一度目は、今しようとしていることに、まちがって行動してしまったかのように! というもの。 これ、ちょっと良くない?! 私も人並みに、「あの時、ああすれば良かった、こうすれば良かった」と後悔ばかりする人生を送っておりますが、これを過去詠嘆に使うのではなく、未来に使えと。「この状況、前は失敗したけど、今度こそうまくやるぞ」というつもりで、今を、未来を生きろと。 うーん、深い! フランクル、やっぱりあんたは大したもんだぜ!
August 1, 2017
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マラベル・モーガンという人の書いた『トータル・ウーマン』という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 この本、1973年に弱小出版社から出版されるや、すぐに50万部が売れ、1974年にアメリカで一番売れたノンフィクション本となったベストセラーでございます。 で、1973年とか74年なんつったら、ウーマン・リブ運動の真っ只中と言ってもいい時期。それで『トータル・ウーマン』と来たら、こりゃすごいフェミニズム本だと思うでしょ? ところが、さにあらず。フェミニズムとかウーマン・リブとか、その類いの運動の180度対極にある本よ。 で、この本の内容ですが、冒頭、マラベルさんご自身がご主人となるチャーリーさんからプロポーズされた時の思い出から語り始められます。当然、甘ーい話ですわなあ。 ところが甘かったのも束の間、世の大抵のご夫婦同然(?)、その甘さはあっという間に消え去り、さらに7年後に生まれた娘が4歳になる頃にはマラベルさんとチャーリーさんの仲は冷えきっていたと。 しかし、このままじゃ後10年もしないうちに,夫婦互いに憎み合うようになるぞと思ったマラベルさん、夫婦関係の改善に乗り出します。まず結婚関係について専門家の書いた本を何冊も貪り読み、セミナーにも出、さらに信仰深いマラベルさんとしては聖書も研究し、戦略を練ったと。 で、その戦略を実際にチャーリーさんに適用してみたら、あーら不思議、チャーリーさんのマラベルさんを見る目が劇的に変わり、二人の関係は新婚当初のようにラブラブなものに! かくしてマラベルさんはご自身の成功を元に、単なる主婦ではなく、いつまでも夫から愛され、子ども達から信頼される家の光、すなわち「トータル・ウーマン」になるためのセミナーを起ち上げ、さらにはこの本も書いて、悩めるアメリカ中の主婦たちに自分の後に続けと獅子吼しているのでありまーす。 つまり、冷えきった夫婦関係を元に戻し、最高の家庭の幸福を作り上げるのは一家の主婦たるあなた! そうあなたの仕事なんです! っていう本なの。「トータル・ウーマン」とは「完璧な主婦」の謂いであり、世の女性達よ、完璧な主婦となって、女の幸せを突き詰めろ! っていう本。この前このブログで扱ったベティ・フリーダンの『女らしさの神話』が、女たちよ、主婦なんてつまらない身分はかなぐり捨てて、社会に出て自己実現するのよ! と獅子吼していたのとはまったく逆の本なのね。この対照、ある意味、すごくない? っていうか、ひょっとしてこの本はベティ・フリーダンの『女らしさの神話』に対する、主婦の側の反論なのかもね。「主婦の何が悪いっていうの!? 聖書にだって女の役目は夫を助けることだって書いてあるじゃない。あんたら、偉そうなこと言ったって、しょせん女の幸せの何たるかも知らない哀れな連中でしょ。そんなに男に伍して働きたかったら働くけばいい。その代わり、夫に愛想つかされて離縁されるのがおち。フリーダンとやらも離婚したんでしょ。フェミニストなんぞ、みんな一人寂しく惨めに死になさい! 完璧な主婦たる私たちは、夫の愛に包まれ、子ども達の笑顔に囲まれた最高の幸せの中で充実した人生を歩むのよ!」っていうね。 とはいえ、単なる主婦からトータル・ウーマンになるには、それなりの修行が要ります。 では、マラベル流・完璧な主婦になるにはどうすればいいのか? という話になってくるわけですけれども、結構すごいこと書いてあるよ! 少なくとも私はちょっとビックリ。 マラベル曰く、まずね、とにもかくにも「家の主は夫である」ということを認めろ、と。あなたが今住んでいる家は夫の城であって、その城の王様はあなたの夫なのだから、すべての舵取りは夫の仕事、妻たるものは、差し出がましい口は挟まず、ひたすら夫の言うなりになれと。 ひょえ〜〜〜!! すげー! 1973年という時代にそんなこと言っちゃうマラベルすげー!! でもね、マラベルさんの観察によれば、世の失敗した結婚の例(っていうか、大抵の結婚はそうなんだけど)を見ると、大抵、この点で女は間違うと。つまり、自分が家を切り盛りしている気になって、夫を自分のいいなりにしようとする妻が多過ぎる。だけど、それをやって結婚生活が成功しているのを見たことがないとマラベルさんは言うわけ。 逆に、結婚生活が成功しているのは、夫唱婦随を徹底しているカップルの場合だと。だから、結婚生活をうまく回して行きたいなら、夫唱婦随になればいい。マラベルさんの主張はそういうことですな。たとえ、夫がへまばっかりしているように思えても、そこはぐっと我慢して、「あなた、最高よ! あなたの考えに賛成! 私はいつもあなたの味方! あなたの行く方向に私もついて行くわ!」と言うだけで、万事うまく行く。 と、ここまで話を聞くと、何と言う時代錯誤! 封建社会じゃあるまいし、なんで女が男の後に従わなきゃいけないのよ! と思うでしょ? だけど、マラベルさんのこの先の説明を聞くと、なるほどと思うところもあります。 つまりね、男と女は違う、とマラベルさんは言うんですな。女が欲しいのは愛。だけど男が欲しいのは愛じゃない。賞賛だと。 で、世の(この場合、アメリカ中の)殿方は、賞賛という面では空っぽのグラスみたいなものだと、マラベルさんは言います。空なの。で、空のグラスを傾けても何も出て来ないように、賞賛を受けていない男性をどう動かしたって、そこから女の欲しい愛なんて出て来ない。 だから、女性の皆さん、もし夫の愛が欲しくば、先ずは夫の空っぽのグラスを満たしなさいとマラベルさんは指摘するわけ。 えーーー。だって、私の夫に賞賛すべきところなんて一つもないもん。そう思ったあなた。だけど、あなたの隣に居る男性は、かつてあなたが恋し、結婚したいと思った人なわけでしょ? 夫だって、あなたを愛し、あなたと結婚したいと思ったから結婚したのであって。だから、もし今の夫に賞賛すべきところがないように見えても、そこは恋愛時代・新婚時代のことを思い出して、とにかく夫を褒めなさいと。あなたのこういう所,好きよ。あなた、まだまだカッコいいわ。あなたならきっと今回の仕事、うまくやり遂げられるわ、だってあなたいつも立派に仕事をこなしてきたじゃない。私、いつもすごいなあって、感心していたんですもの・・・。こんな言葉を一言掛けてあげれば、あなたの夫は、俄然、あなたのことを見つめ直し、あなたへのプレゼントを手に、いそいそと家に帰ってくるようになりますよ、と。 マラベルさんのアドバイスをまとめると、もし今の冷えきった夫婦関係を改善したいなら、夫を変えようとしないで、まず自分が変わりなさいと。そしてとにかく先に与える。夫は妻からの賞賛を欲しがっているのだから、その欲しがっているものを与える。そうしたら、夫はあなたにその何倍もの愛を返してくれて、白馬の王子様に変わりますよ、と、まあそういうことですな。 つまり、マラベルさんのアドバイスの中には、「世界を変えたいなら、まず自分が変われ」「受け取りたいと思ったら、まず与えよ」という、自己啓発思想の二大テーゼがちゃーんと入っているんですな。だから,この本は自己啓発本、それも女性向け自己啓発本と言えるんです。 だからね、妻は夫に従うべし、という点だけ見ると、なんだか時代錯誤に見えますけど、その内容をしっかり見れば、主導権を握っているのは女だ、ということでもあるんです。こうやれば、自分の思う通りの夫に仕立てられますよ、夫を自分の手のひらの上で転がせますよと言っているようなもんですからね。男は馬鹿なんだから、それを認めて、頭のいい女がうまく操縦すればいいじゃんと。 私見ですが、マラベルさんの言っていることは、かなり当たっているんじゃないかな。特に、女が欲しいのは愛、男が欲しいのは賞賛、っていうところは卓見のような気がします。 で、このあと、トータル・ウーマンはセックス面でも活発! 誘惑されるばかりじゃなく、夫を誘惑しちゃえ! 的なノウハウが書いてあったり、あと、子育ての面で、いい親になるにはどうすればいいか、的なノウハウが書いてあったりもして、その部分もなかなか読ませます。 で、最後の方になって、マラベルさんの宗教観が語られるセクションが来る。ま、それ以前に書いてあることからして、マラベルさんが保守派であることは分かり切っていますが、結構、マジな感じで神とつながった実感を得た時の事なんかを語ったりしております。本書全般、聖書からの引用も多いですしね。 とまあ、本書の内容はこんな感じ。 ちなみに、マラベルさんは「トータル・ウーマン」のセミナーを各地で実施してきたのですが、アメフトの「マイアミ・ドルフィンズ」の本拠地近くで実施した際、ドルフィンズのメンバーの奥さんが結構沢山、セミナーに参加したそうで。それでマラベルさんのセミナー受けて、その奥さんたちがトータル・ウーマン、すなわち完璧な良妻に変身したせいか、次のシーズンでドルフィンズは全勝、スーパー・ボウルでも勝って全米ナンバー1になったとか。いやあ、マラベルさんの影響は、そんなところまで及んでいたのね・・・。 まあ、なかなか面白い本ではありました。っていうか、家内にも是非読ませたい! これこれ! ↓【中古】 トータル・ウーマン / 板橋 好枝 / 講談社 [文庫]【メール便送料無料】【あす楽対応】 ところでこの本、最初のうち訳がぎこちなくて、なんだか読みにくいんですわ。読み進めて行くと,段々気にならなくなるのですが。 で、読み始めた当初、「誰だよ、この下手っぴーな訳をしているのは・・・」とか思って訳者の名前を確認してビックリ。津田塾大の板橋好枝先生じゃあーりませんか。ひゃー、お見それしました〜。 しかし、板橋先生って・・・フェミニスト、なのかと思っていましたが、違ったんでしたっけ? フェミニストがこの本訳すってのも変な話ですが。 しかもこの本(私が読んだのは講談社文庫版)、巻末に曾野綾子氏と渡部昇一氏による推薦文が付いているんですけど、まずその人選がすごいよね。曾野綾子と渡部昇一。 特に渡部昇一氏の推薦文はすごいよ。「ウーマン・リブの風潮に断乎として目もくれず、『主婦こそ完全なる女性』と宣言したのがこの本である。女の幸せとは,夫があって子供があり、しかも夫を幸福にし、子どもを幸福にしている女性に見出されるという『古き良き時代』のテーゼをかざしてこの著者は揺ぐことがない。そういう女性が『トータル・ウーマン』というわけである。/結婚している女性も、これからしようとしている女性も、必ず一度は読むべき本である! そしてこの著者と意見を異にする時は『自分は結婚する資格があるのかどうか』と一度考えてみるとよい」なーんて書いてある。 板橋先生〜! これで良かったのでしょうか? 先生の女性観って「女たるもの、主婦になって幸せになれい!」でしたっけ? 意外〜!
August 18, 2018
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バリューブックスが運営している YouTube 動画「積読チャンネル」さんが、拙著を取り上げてくれました~!これこれ! ↓積読チャンネル ありがたいのう。宣伝になるもんね。 ところが、これだけではなかったのよ。鳥取大学医学部の先生も、やはりYouTube の番組「カニジルラジオ」の冒頭で、拙著についてトークしてくれております。これこれ! ↓カニジルラジオ なぜに鳥取大学医学部の先生が私の本を?と思いますが、とにかく、ありがたい! というわけで、なぜか急に YouTube の方で拙著が注目されるという妙な現象が起こっております。 この調子で、まだまだ拙著の勢いが続くといいな! 頑張れ! 私の本!アメリカは自己啓発本でできている ベストセラーからひもとく [ 尾崎 俊介 ]
August 19, 2024
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稲垣えみ子さんの書かれた『魂の退社』という本を読了しましたので、読後感を少々。 稲垣えみ子さんって、あのアフロヘア―で有名な人ね。そう言えば、私もかつて、TVか何かでお見掛けしたことがあるような、ないような。 で、たまたまこの人のことを知り、少し興味が出て、とりあえず一冊読んでみたのですが、とても面白かった。 稲垣さんは、確か一橋かな、そんなような名門を出て朝日新聞に入社して記者をしていたと。で、早々に土佐周りを終え、大阪本社で大活躍。それなりに出世も遂げられるんですな。 ところがそうやって大新聞社での会社員生活をエンジョイしているうちに、やがて転機が訪れる。 会社の中堅まで出世して、このまま最後まで大阪本社勤務と信じていたところ、意外や意外、香川県支社に飛ばされると。 会社って、怖いところなのよ! どういう社内の勢力争いの結果なのか知らないけど、誰かが出世競争を勝ち抜くと、誰かがこういう目に合う。稲垣さんはそうやって、身をもって会社の恐ろしさを知るわけ。 しかし、地方に飛ばされて、そこで色々やっているうちに、稲垣さんはそこで新たな気づきを得る。バブル時代のような、多額のサラリーをもらって、派手に使って、というような生活ではなく、逆にお金を使わない生活の面白さ、みたいなものに覚醒していくのね。 で、そうやって、会社べったりの人間だった稲垣さんは、会社とある程度、距離を置いたスタンスを身につけていく。 で、そういう心境の変化もあり、稲垣さんは50歳の時に、朝日新聞を自ら退社する決意をする。そこから、無職になるわけ。 しかし、大会社の社員から無職になると、現実的にはそれはやっぱり大変なこともあるわけで。そしてその大変なことの中から、稲垣さんは、日本人がいかに会社所属民族であるか、という悟りを得る。 昭和の時代の、経済右肩上がりの時代は、しかし、会社所属民族でも良かったのよ。会社も上昇、自分も上昇、という感じで、会社と個人がシンクロしていて、何の矛盾もない時代だったから。 だけど、今は違う、会社は右肩上がりどころか停滞の一途をたどっている。なのに、まだ日本人は、かつての栄光を忘れられず、いまだに会社にしがみつき、会社も昔の栄光を追っている。 日本が今陥っているこの停滞状況は、結局、その無理な状況がもたらす歪だったんですな。そのことを、稲垣さんは、無職になったからこそ、気づくことができた。 ・・・とまあ、この本は、稲垣さんがいかにして会社を辞めたか、という話から、そういう現代日本が陥っている閉塞状況まで語り尽くしている、面白い本だったのよ。 というわけで、これは一読の価値のある本でしたね。教授のおすすめ!です。これこれ! ↓魂の退社 会社を辞めるということ。 (幻冬舎文庫) [ 稲垣えみ子 ] それにしても、この本を読んで知ったのは、朝日新聞社のサラリーがものすごくいいらしい、ということ。そうだったんだ。朝日新聞って、かなり左がかっているような気がするけど、社員はブルジョアなのね。
April 29, 2026
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歌人の岡野弘彦さんが亡くなりました。享年101。大往生と言っていいでしょう。 和歌などというものに縁のない私が岡野さんのことを知っているのは、岡野さんが師匠にあたる折口信夫のことを書いた『折口信夫の晩年』という本を読んだから。これこれ! ↓【中古】 折口信夫の晩年 / 岡野 弘彦 / 中央公論新社 [文庫]【メール便送料無料】【最短翌日配達対応】 この本、私、一体何度読んだか数え切れないほど。日本人が書いた日本人の伝記として、これ以上のものって、そうはないだろうなと。 というのは、岡野さんは折口信夫と同居し、全人格をもって師弟関係を結んだ人だから。そういう師弟関係があったからこそ、この本が書かれたと言って間違いない。同じような例として、ボズウェルが書いた『サミュエル・ヂョンスン伝』があるけれども、あの伝記界の大傑作に匹敵するようなものが、岡野さんの『折口信夫の晩年』にはある。 というわけで、私は歌人としての岡野弘彦さんの業績を評価する立場にはないけれども、『折口信夫の晩年』を書いて、折口信夫という人の何たるかを我々に伝え残してくれたというだけで、私にとって岡野さんはかけがえのない人。 その意味で、岡野弘彦さんの大往生の前に、頭を垂れたいと思うのであります。岡野さんのご冥福を祈り、合掌。
May 1, 2026
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めちゃくちゃ後味の悪い本、読んじゃいました・・・。ジャクリーン・スーザンという作家の『人形の谷間』(Valley of the Dolls, 1966)という大ベストセラーなんですが。 この小説、端的に言えば「芸能界に関わる3人の美女をめぐる物語」ということになりますかね。 まずはアニー。堅苦しい道徳に縛られた田舎町ローレンスヴィルでの暮らしを忌避してNYに出てきたアニーは、とある芸能プロダクションに職を得、そこで社長の片腕であり、第2次大戦から復員してきたばかりのライオン・バークと出会います。アニーはたちまち彼に惹かれるものの、何せ田舎から出てきたばかりで、まだ憧れのNYの何たるかも知らぬうちに自分の将来を決めることもためらわれ、彼女は大いに迷うことに。しかし、そうこうしているうちにアニーの美貌と上品さに惹かれた大富豪の息子アレンから強引に結婚を申し込まれた彼女は、逆に自分が本当に愛せるのはライオンだけだと確信し、アレンとの婚約を破棄してライオンを選ぶことを決意する。 ところが当のライオンは芸能プロダクションの仕事に復帰することが果たして自分のすべき仕事なのか大いに悩むところがあり、結局アニーと仕事を放棄してイギリスへ移住、そこで作家への道を目指すことに。かくして失意のアニーは、いつの日かライオンが自分のもとに戻ってくれることを夢見つつ、意に沿わぬながらも化粧品会社のモデル業を始め、有名になって行きます。 この小説に登場する二人目の女性はジェニファー・ノース。彼女はアニーとは対照的に貧しい家庭の出身。辛うじてヨーロッパへの留学を果たすも、途中で学資が尽きて、アメリカへ帰らなければならなくなるんですが、そこで同級生の富豪の娘と親しくなり、彼女の同性愛のパートナーとなることで、留学を続けることが可能となる。ま、その時点からしてジェニファーは己の美貌を切り売りすることで険しい人生を乗り切っていく術を手に入れてしまうわけ。その後、金目当てでヨーロッパ貴族と結婚するも、その貴族が既に没落していて、財産などゼロに等しいことを知り、あっさり離婚します。 その後彼女は芸能界入りするものの、演技や歌の才能はなく、ただ美貌と身体の美しさだけを売り物にする2流止まりの芸能人という立場にある。しかし、ジェニファーとしては芸能人としての名声など眼中になく、ただ結婚して母となり、安定した生活がしたいだけなんですな。で、彼女はその美貌とスタイルにものを言わせ、当時人気絶頂だった歌手トニーを捕まえて彼と結婚することに成功、ついに彼女の子供の頃からの夢を実現したかに見えた・・・。 ・・・わけなんですが、トニーのマネージャーを勤めていた実姉の巧妙なマネージメントによってごまかされていたものの、実はトニーというのは歌う才能しかない白痴だったんです。ジェニファーは絶望し、またトニーの秘密を守ろうと必死の義姉との攻防にも疲れて、二人の間にできた子供を中絶し、離婚に同意する。この頃から彼女は睡眠薬(この小説の中では「人形」と形容される)に頼るようになってしまう。 さて、三人目の女性ニーリー・オハラは、アニーやジェニファーとは異なり、抜群の歌唱センスに恵まれた天性のスター。彼女に必要だったのはほんの少しのきっかけだったのですが、たまたまNYに出てきたばかりのアニーと安アパートの隣部屋だったことが幸いし、芸能プロダクション勤務のアニーのつてでNYのミュージカルのちょっとした役をもらうことに成功、それをきっかけにスターへの道を駆け上がっていくことになります。 しかし、スターの座は彼女にとって諸刃の刃となる。スターとしてちやほやされるに従って彼女のプライドは途方もないものに膨れ上がり、世界はすべて自分のためにあると思い込んでしまうわけ。とりわけブロードウェイからハリウッドに進出し、映画スターとなったニーリーは、まだ売れない頃に結婚した献身的な夫に三行半を突きつけ、大物プロデューサー、テッドと再婚してからは、彼女の傲慢さは留まることを知らなくなる。 そして、あまりに横柄となった彼女は、ちょっと気が乗らないと撮影現場にも現れなくなるようになり、映画制作会社に損害を与えるようになってしまう。やがて映画会社は彼女の首を切り、そして夫であるプロデューサーも若いスターの卵と浮気を始める始末。ニーリーの生活はバラバラになり、ジェニファー同様、大量の人形(=睡眠薬)に頼らなければ眠れないようになってしまう。かくして、結局結婚生活は破綻、唯一の友であるアニーの下に逃げ帰ってくるのですが、そこでも生活の破綻は収まらず、ついにアニーが費用を支払う形で精神病院に長期入院することになる。 その頃アニーは、ライオンを半ば諦め、自らが看板となっている化粧品会社の社長、初老のケビン・ギリアンの愛人としての生活を始めています。自分にはついに燃えるような恋愛の果ての結婚、なんてものはないのだろうという諦めの境地に入っていたんですな。ところがそこへ、ジェニファーが嬉しい知らせをもって飛び込んでくる。アニー同様失意のジェニファーだったのですが、ついに素晴らしい恋人を捕まえたんです。しかもそのお相手は大統領の座も狙えるほどの有力上院議員というのだから素晴らしい。 が、運命はジェニファーのために更なる試練を用意していた。もうすぐ二人の結婚の予定を公表しようという時になって、ジェニファーが乳ガンであることが発覚、自慢の乳房の全摘出以外に命を救う方法がないことが判明するんです。上院議員が自分に惹かれた一番大きな理由が、自分の乳房の美しさであることを知っていたジェニファーは、このことに絶望し、人形(=睡眠薬)によって自らの命を絶ってしまう。 一方友人を失ったアニーの生活にも変化が生じます。雑誌の取材でアメリカを訪れることになったライオンが彼女の前に姿を現すんですな。アニーはこの突然のライオンの再登場に動転しますが、すぐにやはりライオンしか自分は愛せないことを確信する。そして、ケビンとの激しいやりとりが続いた後、彼を捨ててライオンをとることを選択する。 ところがライオンというのがまたどうしようもない男で、束縛されるのが何よりも嫌いなんですな。彼は「愛というのは、与えるもので、乞うものではない」などと言いつつ、結婚して安定した生活をする、というアニーの単純な願いに応えようとはしない。 そこでアニーは一計を案ずるわけ。アニーの芸能プロダクション時代の上司であるヘンリー・ベラミーが、会社を売って引退するのを利用し、ベラミーの部下であったジョージとライオンが共同でこの会社を買い取ることにしては、と提案するんですな。で、ライオンはこのアニーのアイディアに乗り、芸能プロダクションの仕事に戻ります。もちろんそれだけの資産はないので、会社を買い取る金はベラミーに借りることにして・・・。そしてこれを期にイギリスを引き払い、アメリカに定住することになったライオンはアニーと結婚して一女をもうけます。 ところが、実はベラミーがライオンに貸した金というのが、本当はアニーの金だったということが後になってバレてしまうんですな。それを知ったライオンは、アニーの策略で、結婚という罠にはめられたと思い込み、二人の結婚生活に暗雲が垂れ込めます。しかも、再出発を切ったばかりの芸能プロダクションの最初の売り物として、精神病院を退院したばかりのニーリーを使ったのですが、そのニーリーが、親友アニーの夫であるライオンに横恋慕し始め、ライオンも半ば自分からニーリーとの浮気を始めてしまう。天国から地獄へ突き落とされたアニーは、ついにこの時、例の「人形」に手を出すことになる。 その後、あまりに横柄になり、要求の多くなったニーリーを持て余すようになったライオンは、ニーリーを捨て、形の上ではアニーと元の鞘に収まることになります。しかし、もはや二人の仲は以前のようなものではなくなってしまった。ライオンは再び自分の芸能プロダクションの若手スターと浮名を流すようになるのですが、アニーの方もライオンへの愛情が減ったために、そうした夫の行動を大目に見ることができるようになっていった・・・。 おしまい。 なんじゃ、そりゃ! って感じでしょ? でも、この小説、ペーパーバック版だけで1千万部超の大ベストセラーなんですよ~。 ま、芸能界の裏側が活写されていること、テレビというものが進出したことによる芸能界再編事情の描写、薬漬け・浮気だらけの芸能人のあり方や高級精神病院の実態の描出など、素人読者には興味津々の話題が扱われていることや、1966年という時代にしては赤裸々な性描写などの話題性も手伝ったことだろうと推察されますが、それにしても、ね・・・。 ま、一番、うう~っとくるのは、ライオンという男の役どころ。アメリカの小説って、どうしてこういう「才能あって、美形で、だけど結婚したがらず、ヒロインを泣かせてばっかりの男」というのばっかりなんだろう? 前に読んだ1955年の大ベストセラー『マージョリー・モーニングスター』のヒーロー、ノエル・エアマンというのも、ちょうどこんな感じの男でしたなあ。女一人幸せにできない男なんてサイテーだと私は思うんですけど、小説のヒーローとしては、そういうのが人気あるんでしょうか・・・。 ま、とにかく先日来、暇な時間にちょこちょこと読んできた長編小説をようやく読み終わって、すっきりしたような、すっきりしないような、ヘンな感じを味わっている今日のワタクシなのでした。わけ分からん!
April 29, 2007
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「アメリカ大衆小説を読む」キャンペーンを自分勝手に継続中ですが、昨夜、ジョン・オハラ(John O'Hara)の『サマラで会おう』(Appointment in Samarra)を読了しましたー。 これ、アメリカ東部の田舎町Gibbsville というところに住む住民たちの物語なんです。時代設定は1930年のクリスマス。書かれたのが1934年ですから、ほぼ同時代の話。 で、最初のうちはこの町の住人がわらわらと登場し、それぞれ勝手なことをやったり言ったりしているので、ははーん、と思うわけ。アメリカにはこんな感じの「町小説」が多いんです。町の住民のそれぞれの生活を描き、またそういう住民同士の関わり合いを描くことで、その時代の一つの町の生活とその因習を描いていく、みたいな小説が、ね。前に読んだ『ペイトン・プレイス』もそんな感じでしたし。『サマラで会おう』も、そういう小説なんだろうなと。 でも、そのうちに一人の男に焦点が当たってくるんです。ジュリアン・イングリッシュという30歳くらいの男。彼の親父さんは医者で、そのためにジュリアンもこの町のハイソな人々の仲間ではあるんですが、彼自身は家業を継がず、キャデラックのディーラーを経営している。結婚して4年になる妻キャロラインがいますが、子供はなし。 で、物語が動くのは、クリスマス前夜、ジュリアンが町の上流階級の連中で開いているクラブで過ごしていた時に起こるある事件がきっかけとなります。やや深酒をする質のジュリアンが、羽振りのいいビジネスマンであるアイルランド系の男、ハリー・ライリーのおしゃべりにたまりかね、彼にコップに入った酒をいきなりぶっかけてしまうんです。でまたコップに入っていた氷の固まりがハリーの目に当たって、ハリーは目のあたりを黒く腫らしてしまうことに。 ジュリアンがハリーに酒をぶっかけたのは、酔った上での突発的な狼藉ではあるんですが、しかし小説が進むに連れ、それだけではない、ということも分かってくるんですね。というのも、ジュリアンとハリーは、かつてキャロラインをめぐってライバル関係にあったことがあり、結局ジュリアンが彼女を娶ったものの、ジュリアンの心中のどこかに、ハリーとキャロラインの関係を疑うような妄想があるんですな。それが一つ。また前の夏、ディーラーの経営が苦しかったことから、ジュリアンはハリーから相当な額の金を借りているんですが、そういうことも内心面白くなく思っているところがある。ですから、ジュリアンの突発的に見える狼藉も、決して理由がないわけではないんです。 しかし、この「酒ぶっかけ事件」は高いものにつくんですな。何せ小さな町ですから、ジュリアンとハリーの喧嘩はあっという間に町中に知れ渡ってしまいますし、クラブの人たちの中には、酒をぶっかけられたハリーの肩をもって、ジュリアン苛めを始める連中も出てきます。クラブは、もはやジュリアンにとって居心地のいい場所ではなくなってしまうんですね。 また相手も悪かった。ハリーは、一度怒り出したら、そう簡単に人を許す質の人間ではないし、彼が復讐をしようと思えば、いくらでも手段はある。しかもハリーがアイルランド人でカトリックの信仰を持っていることが、事情をより複雑なものにしてしまったんですな。ギブズビルでは、プロテスタントとカトリックの勢力が拮抗しているのですが、カトリックの団結というのは強く、ジュリアンのハリーに対する狼藉を、カトリック世界への挑戦と受け取る人々も多いんです。で、その影響からか、たとえばジュリアンのところからキャデラックを買う予定になっていたとあるカトリック教徒の人が、急にその約束を反故にして、他のディーラーからフォードを買ってしまう、なんてことも起きてくる。 それだけじゃありません。この事件がきっかけで、ジュリアンとキャロラインの夫婦の間にも亀裂が生じてきます。ま、夫が町の住民から「村八分」みたいな状態に置かれるわけですから、キャロラインとしてもつらい立場なわけですよ。 と言って、じゃあこの夫婦の愛が冷めているのか、というと、そういうわけじゃないんです。もちろんジュリアンはキャロラインを、キャロラインはジュリアンを、十分に愛している。しかし、こういう事件が起こって、不愉快な状況が続く中で、そういう互いの愛情が行き違いになるんです。そりゃ、どんなに仲の良い夫婦だって、4年も夫婦をやっていれば不満なところも出てくるわけで、そういう積もり積もったものが、この事件をきっかけに噴出してしまうんですな。 で、そういう不安定な状況の中で、ジュリアンはまた別なパーティーに出席し、そこでも粗相をしてしまうわけ。ヘベレケに酔ったジュリアンは、キャロラインや友人たちの制止も無視し、別なテーブルにいた場末の歌姫に声をかけ、彼女と踊ったり、連れ立って外へ出たりしてしまうんです。ところがこの歌姫というのが、実はギブズビルのギャングの親玉で、この町で酒類の闇販売を一手に引き受けているエド・チャーニーの情婦だったというんですから、事態は非常にまずいことに。自分の女に手を出したということで、エドが激怒しているという噂も伝わってきます。 しかし、そんなことよりももっと悪いのは、妻の目の前で玄人の女といちゃいちゃしたことでしょう。この一事で、彼は妻の友人たちからも総スカンを喰うことになるばかりでなく、キャロラインは実家に戻ってしまいます。 ま、ジュリアンというのは、結局、どこか本質的に自虐的なところがあるのでしょうな。自分が愛しやまない妻や、自分が好きだった友人たちから背を向けられるようなことを、やらずにはいられないようなところがある。そういう自暴自棄なところがあるんですね。事実、その八方塞がりの状況の中で、まだ見知らぬ若い女性をかどわかそうとしてみたりするんです。しかし、そういう状況にも限度があるわけで、酒の力で憂いを晴らそうとしたジュリアンは、泥酔した状態でガレージの車を動かそうとし、一酸化炭素中毒で悲惨な最後を遂げてしまう。 小説の主なストーリーを話せば、以上のようなことになるわけですが、もちろんこの小説には脇筋というのが沢山あって、それもまた面白い。たとえばどんどん悲惨な状況に陥っていくジュリアンを語りながら、彼の子供時代の話とか、キャロラインとの馴れ初めなんかも描かれていますし、またキャロラインの過去というのも描かれます。またジュリアンの親父さん話というのも面白くて、彼は親父さんが銀行の金を横領して自殺してしまうというつらい過去を持っているんです。で、そういう親をもった子供として、後ろ指さされながら苦学して医学の道を修め、奮闘努力して再び町の住民たちの尊敬を勝ち得ることができたんですな。しかし、彼の息子のジュリアンは自分の跡を継ぐこともなく、しかも下らないことで頓死(町ではジュリアンの死を自殺扱いする)してしまうわけで、一体自分の苦労は何だったのか、という思いに耐えなくてはならない。そういうドラマもあるわけですよ。 またこの小説の中で、ジュリアンとキャロライン夫妻の他にもう一組、ルーサーとイルマという夫婦が描かれるんですが、これもなかなか面白い。こちらの夫婦はジュリアンたちとは違って、決して豊かな一家ではないんです。ルーサーに至っては、年齢はジュリアンより10歳も年上なのに、仕事上ではジュリアンの下で、キャデラックのセールスマンをやっている。しかし、彼らはとても堅実で、自分たちの分を弁えながら、波風立てずに暮らしている。で、この夫婦が、いわばジュリアン&キャロライン夫妻と対照をなしているわけ。心の持ちようではこういう生き方だってできたのに、ということなんでしょうな。そして、最後の最後では、なんとなくこのルーサーが出世するような書き方がなされていて、ちょうどシェイクスピアの『ハムレット』みたいに、腐敗したものが去り、健康的なものがあとを継ぐ、という形になっています。典型的な悲劇の終わり方と言いましょうか。 ま、『サマラで会おう』というのは、ざっとこんな感じの小説です。英語ですが、使われている単語は易しいのですが、文体上の特徴というのか、時々構文が取りにくい部分があり、決して読み易いものではありません。ざっと読もうとすると、時々、意味がとれなかったりする。ですが、アレ?と思って2度読みすると、今度は非常によく分かる。不思議な文章ですね。 でも、面白いことは面白いです。さすが、先頃ランダム・ハウスが選んだ「英語で書かれた小説ベスト100」の中で、22位になっただけのことはあります。直前に読んだ『ダヴィンチ・コード』みたいな小説は、一度読んだらもうおしまいですが、『サマラで会おう』は、再読に十分耐えると思います。 残念ながら、ジョン・オハラの作品というのは、現在、ほとんど邦訳がありません。ちょっと前に講談社文庫で、『親友ジョーイ』という作品が「ジョン・オハ」の作品として出ていたようですが、これも既に絶版。もっとも、アメリカにおいてすら、50年、60年前のベストセラーなんて、絶版になっているものが多いですから、仕方がないとは思いますが、これだけの作家の作品が手軽に読めないというのは、残念なことではありますね。ということで、英語に自信のある方が対象になってしまいますが、ジョン・オハラの『サマラで会おう』、教授のおすすめ!です。 あ、一つ言い忘れましたが、この小説のタイトルである『サマラで会おう』というのが何を意味するのか、私には分かりませんでした。サマラなんて地名は出て来ないし、ましてやサマラで会う約束なんて、ぜーんぜん出てきません。これ、何か別に意味があるのでしょうか。ご存じの方、いらっしゃいましたら、ご教示下さい。
August 25, 2006
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なんか最近、仕事で疲れているせいか、妙に酸っぱいモノが食べたいんですよね。 夕食の時など、副食品が十分に揃っているにも係わらず、敢えて「梅干し食べよっかな」とか、「もずく、ある?」なんて家内に注文を出してしまったり。もちろん、蜜柑はあればあるだけ食べてしまいます。 まさか・・・妊娠? アホなことはさておき、そんな酸っぱいモノブームの只中にある私が、最近気に入っているものは何かと申しますと、実は、私自ら考案したカクテルなんです。で、そのカクテルとは・・・ ズバリ、「黒酢&ウイスキー」でーす! ちょっと沈静化した感のある「黒酢ブーム」ですが、我が家も御多分にもれず、DHCに注文して一瓶買ってあったんです。しかし、あれも実際飲もうとすると結構強烈に酸っぱいわけで、一時の興味が引いてしまった後、なかなか減らないまま冷蔵庫の中に鎮座ましましていたわけ。 で、最近の酸っぱいモノブームで、「よし、あの黒酢を一つ飲んでやろう」と思いついたわけですが、やはり直接飲むとなると少し勇気が要る。そこで何かで割ったらいいのではないかと思いつつ、辺りを見渡した時にふと目に入ってきたのがウイスキーの瓶。実はこれもまた少し前に「シングルモルト・ウイスキー」なるものに憧れた時期があって、試しに一瓶買ってみたはいいけれど、結局蒸留酒は私向きではないということが判明して、なかなか減らないまま置いてあったんですね。 つまり、黒酢もウイスキーも、一時の興味で買ったまま、放っておかれたもの同士だったわけ。そしてその「除け者」二つが、まさに私の視線の中で幸福な出会いをしてしまったわけですよ。 で、インスピレーションに導かれるまま、何となく黒酢とウイスキーを3対1くらいの割合でブレンドしたものをショットグラスに注ぎ、ぐっと一息に飲んでみたと思ってみなせえ。すると・・・ う、まーーい!! 何とこれが旨かったんです。黒酢のつんとくる部分はウイスキーの甘みで中和され、一方、ウイスキーのむっとくるアルコール感は黒酢のシャープな酸味で中和され、両者がうまいこと互いの短所を消し合ってしまったとでも言いましょうか。いやー、偶然とは言え、釈迦楽教授特製カクテルの完成です。これ、名前を決めなきゃいかんなぁ。 というわけで、今日も朝から3コマ講義して疲労困憊ですから、家に帰ったら特製カクテルで景気をつけようと思っているんです。 黒酢&ウイスキー、おいしいですよ。皆さんも是非一度、お試しあれ!
December 15, 2005
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昨夜、「給料日ディナー」と称して外食してしまいました。 と言ってもね、今回の給料日ディナーは理由あって節約バージョン。なんと我らが向かった先は・・・「大戸屋」だったのでーす。 なぜ大戸屋かと言いますと、一つにはこの有名な定食屋さんに行ったことがなかったから。それともう一つ、先日、『孤独のグルメ』の再放送を見ていて、井之頭五郎さんが「アジフライ」を食べているのを見て、どうしようもなくアジフライが食べたくなったから。 というわけで、大戸屋に入った我らは迷うことなく「アジフライ定食」をオーダー! 出てきたそれは、アジの身も部厚く、なかなか美味しいものでございました。 だ・け・ど。 うーん、大戸屋。もちろん不味くはないのだけど、普通だな。っていうか、ある意味、豪華過ぎるといいましょうか。定食屋にしては、という意味ですが。 なんか、こう、定食屋って、もう少しショボイものであってほしいわけ。そのショボさも味わいたいのだから。そういう点では、むしろ一品ずつおかずをとっていくタイプの定食屋、ほれ、カフェテリア方式でトレーにメインのおかずと副菜とご飯とみそ汁なんかを乗っけていき、会計してもらってから、お茶とかふりかけとかももらって席に着くみたいな奴、ああいう方がそれらしくていいかなと。大戸屋だと、普通のレストランと変わらないよね。 さて、大戸屋でアジフライを堪能した我らが次に向かったのは、一社駅の近くにあるシャレオツなカフェ、「プレスト・コーヒー」。ここで美味しいカプチーノやら、チーズケーキなどをいただき、備え付けのシャレオツな雑誌などを熟読し、さらにイケメンで感じのいい店長さんとロンドン談義、器談義などを楽しんだ次第。やっぱり大戸屋だけで終ったら、給料日ディナーというには寂し過ぎますからね。 ってなわけで、節約バージョンながら、週末を控えたこの日を楽しく終えたのでございます。 さてさて、「昭和の男」シリーズ、今日はまた1982年頃の雰囲気漂うお話を。 1980年代前半の気分を表す言葉を一つ選ぶとすると、私なら「おいしい生活」という言葉を選びます。これ、西武百貨店の名キャッチコピーで、作ったのは天才コピーライターの糸井重里さん。 このキャッチコピーのすごいところは、「おいしい生活」って何なのか、よく分からないってところだよね! 何だよ「おいしい生活」って。 だけど、分からないことは分らないとはいえ、この言葉をよーく噛みしめているうちに、その云わんとするところは何となく分かってくる。 世に「うまい話」という言葉がありますが、この場合の「うまい」というのは、漢字で書けば「旨い」であって、要するに投下した労働以上の、あるいは投資した以上の大きな見返りがある、というような時に使うわけですな。で、「おいしい生活」の「おいしい」という部分には、今述べた意味での「旨い」というニュアンスが込められていることは確かでしょう。 だけど、それだけだと「得をする生活」ということになってしまって、損得の話になってしまう。ところが、「おいしい生活」と言った場合、そういう損得の話だけではない何かがあるような気もするわけですよ。 つまり、おいしい食べ物を楽しむように、生活そのものを楽しもうよ、というメッセージ。仕事一途なモーレツ社員の生活なんて、ちょっとおいしくないんじゃないの? もっと生活を彩るような何かを始めようよ、っていうようなメッセージ。そういったものが込められているのではないかと。 で、それはメッセージであって、モノではないわけですよね。そこが重要。つまり、西武百貨店は、このキャッチコピーを通じて、百貨店が扱う商品としてのモノではなく、ライフスタイルの向上というメッセージを売ったわけ。それが、糸井重里の天才であり、また西武百貨店のすごさがあった。 実際、この時期の西武百貨店、否、「セゾングループ」は、モノを売る百貨店である以上に、文化を作り出すクリエーターでもあったんですよね。 例えば書店の概念を変えた大型書店「リブロ」、そして洋書や美術書に強い「アール・ヴィヴァン」とかね。「パルコ出版」で本も出版して。音楽方面で言えば「WAVE」、演劇方面で言えば「銀座セゾン劇場」に「渋谷パルコ劇場」。美術方面で言えば「セゾン美術館」。これらすべて、商売の為というよりも文化興隆の為に作ったものであり、企業が文化そのものに投資する、いわゆる「メセナ事業」の走りですな。西武は、まさにこのメセナで名を上げた。 で、これに東急グループが追随したのか、1984年には「Bunkamura」構想をぶち上げると。「オーチャード・ホール」とか、「ル・シネマ」とか、「シアター・コクーン」とか、『ザ・ミュージアム」とか、「ドゥ・マゴ」とか、そういう奴。これで池袋を拠点とする西武、渋谷を拠点とする東急が、互いに切磋琢磨してメセナに打ち込むと、そういう時代に入って行くわけですな。 それに加えて、この時期にもう一つメセナの中心となったのがサントリーじゃないかな。1979年創設の「サントリー学芸賞」とか。1986年開館の『サントリー・ホール」とか。ま、もっともサントリーは寿屋時代の1956年から『洋酒天国』なんて洒落たPR誌を出していた経緯もありますが。 とにかく、こんな感じで企業が競って文化に金を出すようになったことで、ますます東京の街が面白くなっていくと。それゆえに、ますます『ぴあ』のようなガイドが必要になっていくと。1980年代って、そんな感じよ。景気が良かったから、こういうウソみたいにラッキーなことが、文化方面に起っていたわけですな。 だからやっぱり、文化サイドから言えば、企業がじゃんじゃんヒモ付きでないお金をくれるのだから、「旨い話」だったのかもね。 で、そんな時代に気の利いた一言で斬り込んでいき、がっつり儲けるという、まさに「おいしいところ」を卓越したセンス一発で軽やかに泳いでいたのが、糸井重里さんを始めとする「コピーライター」だったわけで、コピーライターなる職業があれほど華やかな脚光を浴びたのも1980年代だったとすれば、1980年代は「コピーライターの時代」、でもあったのかも知れません。
April 15, 2016
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ブルース・リプトンという人の書いた『思考のすごい力』という本を読了したので、心覚えをつけておきましょう。 ブルース・リプトンというのは、歴とした科学者でお医者さん。1944 年生れですな。 で、これがまた意外に面白い本だったというか、ところどころ、「おおっ!」と思わせるような面白エピソードが書かれておりまして、私としては結構楽しめたかなと。 例えば、私が爆笑したエピソードがこちら。 コッホって、いますでしょ。日本の北里柴三郎のお師匠はん。コレラ菌の発見者で、要するにコレラという病気はコレラ菌という細菌が引き起こすんだ、ということを主張した人。 ところが、今ではそんな幼稚園生だって知っていそうなことも、19世紀の医学界では疑問視されていて、「細菌なんて、ナンセンス!」と、コッホに批判的な学者も多かった。その批判的な学者の一人がペッテンコーファーという人。 で、ペッテンがあんまりコッホの学説をバカにするもんだから、コッホが怒って「じゃあよ、お前よ、このコレラ菌がたっぷり入った水、飲んでみ。飲んだら絶対コレラになるかんな」とか言って凄んだら、ペッテンが「おー上等だ、飲んでやるよ、こんなもーん!」とか言って、そのコレラ水を一気飲みしたと。 どうなったと思います? ペッテンはコレラなんかにはならず、「ほーれ見ろ。コレラ菌でコレラになるなんてウソ、ウソ」と勝ち誇ったという。(上の両者のやり取りには、多少、私による脚色があります。) つまりね、ペッテンみたいに、「コレラ菌」とか、「コレラ菌がコレラを引き起こす」とかいうことを全く信じていない人がコレラ水飲んでも、コレラにはならないってことなのね。まさに病は気からと。 ちなみに、ペッテンこそ、かの森鷗外の指導教授でございまーす。こういう奴が指導教授だったから、森鷗外も「ビタミン不足が脚気を引き起こす」という事実を無視して、帝国陸軍の兵士たちをたーくさん脚気で死なせちゃったんでしょうな。「玄米食わせれば、絶対脚気にはならない」っていう医専出の医者からのアドバイスがあったのにね。 あとね、もう一つ面白かったのは、「プラシーボ手術」のエピソード。 「プラシーボ」って、御存知と思いますが、医学的にはなんの意味もない乳糖を、「よく効く薬だよ」とか言って飲ませると、言い聞かせた薬効が生じてしまう、という現象。 で、これと同じことが手術にも当てはまるんですってね。 例えば膝の軟骨の異常によって引き起こされるある病気がありまして、その手術というのは割と簡単で、年間、何十万件も行われている。要するに、膝を切って、軟骨削って、縫合すればそれで治るっていう、簡単な病気なわけ。 で、この病気に罹った人を二班に分けましてね、一方では本物の手術をする。で、もう一方のグループでは、一応、膝を切って、いかにも手術をしているような音を聴かせた後、縫合しただけで、実際には何の治療もしない、と言う風にしておくんですって。 ところが、術後、どちらのグループの患者も、同じ位の割合で症状が完治する。 つまりね、この病気に関して、手術をしても治るけど、手術をしたフリをしても治るのであって、つまり、実際の治療が奏功したのではないのだ、ということが明らかになったと。 もう一つ面白かったのは、イボの治療の話。 イギリスでは1950年代まで、イボの治療にはしばしば催眠術が使われていて、すごく効果が上がっていたため、イボ治療の一番ポピュラーな治療法だったんですって。イボのある患者に催眠術かけて、「はーい、あなたのイボはもう取れましたよ~」とか言いきかせると、本当にそうなると。 で、ある時、ある田舎医者のところにヒドい皮膚病に罹った少年患者が大病院から紹介されてきた。ただ、その少年の場合は、イボどころじゃなくて、全身の皮膚がガッサガサになっているような状態なんですな。 だけどその田舎医者は、「これもどうせイボだろう」とか思って、その少年に催眠術をかけ、とりあえず左腕だけに集中し、いつものように「ほーれ、君の左腕はすっかり治って、つるつるのお肌だよーーん」とかって暗示をかけたと。 そしたら、1週間くらいして、左腕の皮膚病が治ってしまった。そうやって、結局、その田舎医者は、短期間のうちにその少年を催眠術で治しちゃったわけ。 で、びっくりしたのは、少年よりも、少年を田舎医者に紹介した大病院側。というのも、その皮膚病はイボどころじゃなく、象皮病的な遺伝性の不治の病だったから。 治療不能として大病院が放り出した患者を、田舎医師が簡単に治しちゃったものだから、もう大騒ぎよ。イギリス中の、同じ病に悩む患者がその田舎医師のもとを訪れたのは言うまでもありません。 しかし。 その田舎医師は、その後、二度とその病気を治すことは出来ませんでした。 つまり、自分が治したのは、遺伝性の不治の病だということを知ってしまったので、「基本、治らない病気なんだ」という知識がその医師に取りついて、「こんなの簡単に治せる」というつもりで気楽にやっていたのと同じ催眠術が掛けられなくなったわけよ。 この3つのエピソード全部に共通するのは、病気とか、病気の治療っていうのは、物理的な現象だけでは説明がつかない、ってことですな。 だけど、西洋医学は、この種のプラシーボ系の出来事を、単なる偶然、例外としてまったく考慮しない。あくまでも還元主義で、ということはつまり、人体の仕組みをばらばらにし、そのどこかに病巣があるならば、その部分だけ治すなり取り除くなりすりゃーいいんだろ、という考え方で行こうとする。それはまた、心(思考)と身体は別物であって、身体の障害は身体だけ面倒みてりゃーいいんだ、という考え方でもある。無論、こういう考え方からは「対処療法」しか出てきません。 何? 体のどこかに炎症が起こってヒスタミンが出ている? ならば抗ヒスタミン剤を飲ませりゃいい。抗ヒスタミン剤の副作用? それは仕方ないんじゃない? ――そういう考え方ですな。だけど、それによって、アメリカでは年間30万人の人が薬害で亡くなっていて、それはアメリカ人の死亡原因の第三位なんだとか。リプトンさんによれば、こんなアホなことはないと。 で、リプトン先生曰く、こういう例も含め、生物学の最先端の研究をしてきた自分に言えるのは、西洋医学の伝統が、あまりにも遅れているんじゃないかと。 物理学の世界では、ニュートン力学はとうに乗り越えられ、アインシュタインの量子力学のレベルでモノを考えるようになっているのに、生物学・医学の世界では、今だにニュートン力学で対処しようとするばかりだと。 ちなみに、生物学・医学上のニュートン力学というのは、「DNAボス説」です。人間のすべては、遺伝によって偶然与えられたDNAの指令によって決まって行くという考え方。その人の頭の良さ、性格、病歴、寿命、そういうものは、生れた時から決まっているんだ、というね。 だけど、リプトン先生は、自身の研究により、このDNAボス説に異を唱えます。確かに設計図としてはDNAはよくできているし、コンピュータとしてもよく出来ている。だけど、実際にはすべてがその設計図通りに行くわけではないし、コンピュータのプログラムは変えられないまでも、それを使うのは当の人間自身なのだから、その人間が自分の好きなように設計図を変え、コンピュータの使い方を変えればいいんだと。 病気について言えば、プラシーボ効果というのが実際に認められ、またストレスが現代人の病気の大半を生み出していることを考えれば、病気というのは、DNA内部ではなく、人間の置かれた環境によって生じたり、治ったりするものなのかも知れない。そのことをもっと深く、考えなきゃダメだと。 つまり、先天的なものよりも、むしろ後天的な環境によって、あらゆるものが変わっていく、というのがリプトン先生の考え方なわけ。 と、このあたりからリプトンさんの学術的な見解は、自己啓発本のそれと一致していきます。人間は、思考というエネルギーによって、自分の人生を自ら変えていけるのではないか、というね。 ただ、これも自己啓発本と同じく、リプトンさんもまた、人間には意識と潜在意識と、二つあって、人間の行動の95%は潜在意識のプログラムによるものだから、そこを書き換えずして、ただ意志だけで自分の人生を変えようったって、とても変えられるものではないと主張しております。ただ、潜在意識は割と簡単に書き換えられるので、そこを書き換え、意識と潜在意識を協働させるようにしないとダメだと。 で、この辺りまでは、いわゆる「引き寄せ系」自己啓発本と軌を一にした発言をするのですが、その先、リプトンさんはさらに進んで、今の自分は魂の不滅を信じている、というところまで行ってしまって、最終的にはスピリチュアル系に入って行くという。 と、まあ、スピリチュアルまで行ってしまうリプトンさんに付き合うかどうかってのはアレですけれども、その前段階あたりまではなかなか説得力のある本でございます。自己啓発本っていうのは、基本、自分たちの主張は科学的なんだ、と言うものなんですけど、この本は、「科学的であると信じて欲しい」自己啓発本の世界からすると、渡りに船的な本なのではないかと。 ということで、全体としてなかなか面白い本ではありましたね。 それにしても、ペッテン先生によるコレラ水がぶ飲みって・・・。何度読んでも笑えるなあ。【新品】【本】「思考」のすごい力 心はいかにして細胞をコントロールするか ブルース・リプトン/著 西尾香苗/訳価格:1944円(税込、送料別)
July 9, 2016
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それにしてもアブラゼミの死にざまってのは今一つパッとしませんなあ。道端でもベランダでも、どこでもところかまわずドデーンとひっくり返っていて。で、死んでるのかな? と思って足の爪先でツン、なんて突っついてみたりすると、突如復活! 「ギャ、ギャ、ギャッ!」などと叫んで暴走(暴飛?)し、こちらのキモを冷やしてくれるし・・・。 もっとも死にざまの悪いのはアブラゼミだけで、他のセミが道端で無様にひっくり返っているのなんて見たことありません。その差は一体どこから来るのでしょうか。・・・育ち? さて、それはともかく、先日来読んでいたジェフリー・ディーヴァーの『The Coffin Dancer』を読み終わりました。車椅子の探偵ジェフリー・ディーヴァーものの中でも傑作の誉れの高い作品ですが、さすがに読ませますねえ。 簡単に粗筋を紹介しますと(ネタバレ注意!)、ある所にフィリップ・ハンセンって悪の親玉がおりまして、近々法廷に出ることになっているんですが、こ奴、自分の罪を立証するようなやばい証拠物件を飛行機の上から海に投げ捨てたらしいんですな。で、たまたまハンセンが密かに証拠隠滅の飛行に出た時、それを目撃してしまった運の悪い人間がいた。小さな商業航空会社を経営する経営者兼パイロットの夫妻、エド・カーニーとパーシー・クレイ、それに共同経営者のブリット・ヘイルの3人です。で、この3人はハンセンを裁く法廷に出廷し、ハンセンに不利な証言をすることになったのですが、それを防ぐため、ハンセンは腕利きの殺し屋「コフィン・ダンサー」を雇い、3人の証人の抹殺にかかるわけ。そして小説の冒頭、ダンサーはエドの操縦する飛行機に爆弾を仕掛けて飛行機ごと爆破。最初のターゲットをモノにしてしまいます。 かくして残った2人の証人の命を守り、かつコフィン・ダンサーを逮捕することが、車椅子探偵リンカーン・ライムの任務となるんですな。実は数年前、ライムの部下2人がダンサーに殺されており、その意味でこの仕事はライムにとって報復戦でもある。しかし、同時にダンサーの殺しのテクニックの凄さを熟知しているライムとしては、今回の仕事は非常に困難なものになるだろうという予想をせざるを得ない。 実際、ライム対ダンサーの攻防はめまぐるしく展開します。ライムが罠を仕掛ければ、ダンサーはそれに感づいてまんまと罠をくぐり抜け、逆にダンサーの襲撃は、先を読んだライムによって未遂に終わる。そんな息詰まる展開に読者は翻弄されっぱなし。 しかし、ついにダンサーは2人目の証人ブリット・ヘイルの殺害に成功、残るは女性パイロットのパーシーだけになってしまう。ライムは何としてもパーシーの命を守ることを誓うのですが、パーシーにはパーシーの事情があり、夫やブリットと立ち上げた小さな航空会社を破産の危機から救うため、どうしても法廷に立つ前に一度、飛行機を操縦してある荷物を運ばなければならないんですな。ダンサーからしてみれば、こんな恰好の襲撃チャンスはありません。さて、パーシーは無事、飛行を終えて法廷に立つことができるのか、それともダンサーがライムの裏をかいてまんまと証人抹殺に成功するのか?! というような話です。 サスペンスの粗筋をこんなに明かしてしまっていいのか? と思われた方、ご安心下さい。ジェフリー・ディーヴァーのサスペンスがこんな簡単な展開で済むわけがありません。実は、ここから事態は二転三転、いや四転くらいするんですよ。最後のページを読むまでどうなるか分からない。そこがディーヴァー作品の面白いところでして。とにかくハラハラ、ドキドキ、手に汗握る読書体験ですから、まだ読んだことのない方はぜひ。教授のおすすめ!です。ライムの右腕、美貌のアメリア・サックス捜査官や証拠物件分析担当官メル・クーパー、さらに証人警護のプロたるローランド・ベルなど、「リンカーン・ライム・サスペンス」でおなじみのメンバー総出演ですぞ!これこれ! ↓The Coffin Dancerコフィン・ダンサー(上)コフィン・ダンサー(下) ただ一か所だけ、この作品に関して私には理解できない部分がありまして。パーシーの飛行にトラブルが生じた際、ライムははっきりと「対処法を思いついた!」と言うのですが、その対処法が何だったのか、作品に書かれていないのではないかと・・・。その辺、もし「いやあ、あれはこういうことなんだよ」と説明して下さる方がいらっしゃいましたら、ご教示下さい。よろしくお願いいたします。
August 18, 2008
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とある本を読んでいて、フェミニストで『女らしさの神話』で名高いベティ・フリーダンと、元プレイメイトにして同じくフェミニストのグロリア・スタイネムが仲が悪かった・・・というか、フリーダンがスタイネムを嫌い、握手することすら拒んだというエピソード(そして、このエピソードはすごく有名らしい)のことを知り、ふーん、と思いまして。 「女性の敵は女性」ということが言われ、私自身もそうなんじゃないかなと思うことは多々ありますが、本来、多少の方針の差はあっても同じフェミニストなのであれば、喧嘩するより共闘した方がメリットがあるんじゃないかと思うようなフリーダンとスタイネムの間にもそういうことがあったんですなぁ・・・。 で、そんなことに思いを馳せている時、どういうわけか突然、映画『エイリアン2』のことが頭に思い浮びまして。 あの映画の中で、主人公のリプリーはある事情から再度エイリアン退治に一役買うことになるのですが、その際、戦闘チームに居た紅一点の兵士、ヴァスケスと対立する。エイリアンがいかに怖ろしい存在であるかを繰り返し述べるリプリーを「腰抜け」と見たヴァスケスが、彼女を馬鹿にしたことから二人の間の溝が生まれるわけ。 しかし、実際にエイリアンと対峙してみると、リプリーの言った通りであることが判明し、またリプリーが腰抜けどころか、他の男連中以上にガッツのある人物だと判明するにつれ、二人は和解し、共闘の道を辿ることになる。 つまり、「(男ばっかりの)職場における男勝り」という点でリプリーとヴァスケスの二人は共闘するベースが持てたわけですな。 で、じゃあ、その後、リプリーとヴァスケスが最終的に命を掛けて闘うことになる相手、つまり「ラスボス」は誰かというと、エイリアンの女王、すなわち「産む女」だったと。 つまり『エイリアン2』ってのは、奇しくも「(男社会に立ち混ざって)働く女」対「(男たちにチヤホヤされながら)産む女」の対決、いわば女同士の闘いだったんじゃないかと。 ま、ひょっとすると、そんなことはとっくの昔に指摘されていることなのかも知れないですけど、ふとそんなことが思い浮かんだので、記して置く次第。 『エイリアン2』では、結局、リプリーが勝つ――ということは、働く女が勝つわけですけれども、その後の『エイリアン3』では、リプリーは丸坊主にされた挙句、男ばかりの凶悪囚人の中に放り込まれることになる。まるで、「そんなに男になりたいんなら、一番男臭いところに行けばいい」と言わんばかりに。つまり、勝ったように見えても、「(男勝りな)働く女」への反撃はなかなかに手厳しいわけですな。 かくのごとく、女の闘い・女同士の闘いには果てしがないということなんでしょうかね。
June 23, 2018
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筑波大教授の利沢行夫さんが1月12日に亡くなっていたことを今日知りまして。まあ、私は直接的にはまったく存じ上げない先生ではあるのですが、この人、『サリンジャー 成熟への憧憬』というサリンジャー関連の研究書を1978年に上梓されていて、そのことをちょっと拙文の中で触れる予定だったものですから、ちょっとビックリ。私も学生時代、サリンジャーに夢中になっていた時には、この本も読みました。袖触れ合うも他生の縁ですからね。御冥福をお祈りいたします。 さて、10日ほど前に「そうだ、論文を書こう」とか言って、書き始めたんですけど・・・もう書いちゃった! 原稿用紙で40枚くらい。実質、4日くらいで書いたという。なんかもう、筆力充実しちゃって、何でも書けるよ。 もっとも、書いたというのは第1稿を書いたという意味で、ここから地獄の推敲が始まるんですけどね。私の場合、30回くらい書き直すので、結局、最終仕上げまであと1カ月くらいは掛かるかな。でも、ベースが既に完成しているというのはすごく心強くて、セーフティー・ゾーンには入っているという感じ。これも私の次の本の一章になる予定なのですが、段々、章が増えていくのが楽しい! 1冊分の原稿が溜まるまで、あと・・・2年? 多分、そのくらい。頑張ろうっと。
January 28, 2019
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家内の愛車、マツダ・デミオの1年点検の時期だったので、マツダのディーラーに整備をしてもらいに行ってきました。 で、デミオちゃんを無事入庫してからふと見ると、そこに噂の「マツダ3」が鎮座しているじゃあーりませんか。 で、「これ、ひょっとして試乗出来たりします?」と尋ねると、「いいですよ~」と色よいお返事。やった~! ということで、話題のマツダ3に乗っちゃったよ。 私が試乗したのは、1.5リッターのガソリンエンジン。この上に1.8リッターのディーゼルと、2リッターのガソリンがラインアップされていて、さらにこの秋にはこれまた革新的な圧縮着火ガソリンエンジンの「スカイアクティヴX」が加わる予定。なので、今日乗ったのは一番ベーシックなモデルということになります。 なんだけど、これがね、なかなか良かったのよ。 魅力的なエクステリア・デザインに加え、内装のデザインも素晴らしい。後ろの座席も大人二人が十分に座れるし。ただ前席も含めてヘッドクリアランスは割とギリギリで、頭のすぐ上は天井って感じ。多少、圧迫感はあります。それを圧迫感と捉えるか、それとも囲まれ感として肯定的に捉えるかは人によるかな。 で、走り始めてすぐに感じるのは静粛性。そして走りの滑らかさ。柔らかい滑らかさではなく、硬質な滑らかさね。だから、1.5リッタークラスの大衆車に乗っているという感じは全然ありません。クラスレスな、上質なクルマって感じ。 ただ、私の好みからすると、やっぱりもうちょっとパワーが欲しいなと。1.5リッターのクルマとしては必要十分だけれども、できればもう少し余裕が欲しい。っていうか、いざとなったら、マッハで飛べるくらいの動力性能が欲しいかな。 となると、本命はこの秋に発売されるという、圧縮着火方式の新エンジン、スカイアクティヴXを待つしかないかな。 ま、しかし、とにかくいいクルマだなあ、って感じは強く受けましたね。これはひょっとして、次の愛車候補の一つになってもおかしくないクルマかも。 というわけで、今日はマツダ3にトキメイてしまったワタクシだったのであります。今日も、いい日だ!これこれ! ↓これが「マツダ3」だ!
June 29, 2019
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先日、鈴木晶さんの『図解雑学 フロイトの精神分析』を読んで面白かったという話を書きましたが、雑な感想だけ書いてそのままにしちゃったので、それもいかんだろうと思いなおし、今日は軽くまとめておいて、自分の向後の参考にしようかなと。例によって箇条書きで行きます。〇行動主義心理学は、動物の行動を人間に当てはめる(例えばパブロフの犬のような条件反射が人間にもあるだろうと考える)が、フロイトの精神分析は人間と動物を峻別し、人間についてのみの学問であるとしている。〇フロイトが動物と人間を峻別するのは、動物にある本能が、人間にはない(=壊れている)と考えるから。本能の壊れた人間は、環境に適応するために本能以外の何かを発達させなければならないとし、その本能以外の何かが、「こころ」であると。〇しかし、「こころ」には、本能にあるような根拠がないので、非常に不安定。ゆえに人間だけが心の病に悩まされるようになった。〇こころの病は、神経症・精神病・境界例に大別される。神経症はヒステリーや恐怖症、あるいは、ある考えや行動を繰り返してしまう強迫神経症に分かれる。精神病は躁うつ病と統合失調症に分かれる。境界例はそれ以外。神経症は対人コミュニケーションが可能だが、精神病は不可。〇精神分析は、こころの病の治療法であると同時に、そのための学問。〇精神分析は、「無意識」というモノが存在するということを前提とする。初期のフロイトは、人間の意識には意識・前意識・無意識の三分割されると考えていた。〇かつて精神病は、キリスト教世界の中では悪魔に憑りつかれたとか、そうした外部からの要因と考えられ、これを治すのはエクソシストの役割とされた。18世紀には病気とみなされ、病院その他の施設の中に拘禁された。〇18世紀の終わりに催眠術が考案されると、催眠中に別人格が現れるなどしたため、精神病の原因は外部ではなく心の中にあるのではないかと考えられるように。〇ちなみに、デカルトによって「自分の存在は疑えない」とされ、それが一般に信じられてきたが、20世紀半ばになると、人間は構造の網目の中にあって、その構造の影響を強く受けているのであって、自分一人が屹立しているわけではないという構造主義が主流に。そしてその意味では、フロイトは、「人間は無意識に操られている」ことを喝破したわけだから、構造主義のハシリだったとも言える。フロイトは人間はかなりの部分、無意識に振り回されていることを発見したのであって、「無意識を発見した」と言われるのはこのゆえ。〇表に表れない無意識の存在がなぜ分かるのかというと、①日常生活における間違い・失敗 ②夢 ③神経症(心の病)を引き起こす原因となるから。〇言い違い・読み違い、度忘れ・し忘れ、置忘れ・紛失などの「錯誤行為」は、無論、単なる偶然であったり、疲労などによるものもあり得るが、例えば主催する会議をやりたくない(or 早く終わらせたい)という願望があると、開会宣言をするときに「これから〇〇会議を閉会します」などと言い間違えてしまう。こういうのは、無意識の影響と考えられる。〇夢もまた無意識のある種の発露であるわけだが、夢はそれを見ている本人にしか分からないので、通常の医療行為では分析できない。また本人が夢の内容を告げたとしても、(特に大人の夢の場合)それは二次加工された後のストーリーなので、それを本人のライフ・ヒストリーを踏まえて分析しなければならない。〇夢とは願望の充足である。〇夢の素材を「潜在思想」といい、それが夢に現れたものを「顕在内容」というが、顕在内容は「夢の作業」という過程を経て歪曲されているので、不可解なものとなる。そしてその夢の作業をしている主体が「自我」、すなわち無意識的な自分ということになる。〇「潜在思想」は無意識の中に抑圧されていて、それが意識の中に浮上しようとするのだが、それに対して「検閲」が行われる。浮上しようとする力と検閲の力が争った結果、夢の作業が行われ、歪曲された形で意識の中に「顕在内容」が現れる。〇よって「夢解釈」は、顕在内容から逆にたどって、潜在思想にたどり着く工程であると言える。〇夢の作業は、潜在思想が検閲を通り抜けるための働くプロセスであって、その方法は「凝縮」「移動」「視覚化」「二次加工」である。夢の中で登場人物が入れ替わったり、二人(あるいはもっと多くの)人の性格・特徴を併せ持った人間が登場してきた場合、凝縮が行われたと考えられる。試験で悪い成績を取ってしまったことが、植物を枯らせた夢となった場合、移動が行われたと考えられる。また手も足も出ない状況下に居る人が、誰かに閉じ込められた夢を見た場合は視覚化が、複数の断片的要素が一つの夢のストーリーになった場合は、二次加工が行われたことになる。〇これらの多様な夢の作業を受けた夢(顕在内容)から元の潜在思想にたどり着くのは容易ではないが、一例として、あるユダヤ人が、土曜日なのに叔父がタバコを吸っている夢と、母親のような女性に撫でられている夢を見た場合、これはこの人の母親への思慕願望が潜在思想であったことになる。つまり、「もし土曜日に叔父がタバコを吸うことが許されるのなら」→「私が母に愛されても構わないではないか」という意味なのであって、「もし」という言葉を補うことで二つの夢のつながりと、夢を見た人物の潜在思想(=願望)が明らかになる。〇夢を解釈する場合、すべての夢がそれを見た個々人のオリジナルなものであった場合、その解釈は非常に難しくなるが、フロイトによれば、「一定の要素は一定の意味を表す」という。これを「夢の象徴」というのだが、例えば尖ったものは男性性器の象徴、といったようなことがある。夢に現れる象徴の大半は性的象徴である。なお、それが象徴であることの根拠は、こうした象徴が夢の中に出てくるだけでなく、神話・昔ばなし・ジョーク・民間伝承・慣用句などに出てくるから、とのこと。これを応用すると、例えば2001年のテロにおけるNYの貿易センタービル倒壊は、去勢恐怖に通じると言えるかもしれない。〇フロイトの精神分析は、神経症(ヒステリー)の女性の治療から始まった。有名なアンナ・Oのケースでは、アンナがコップから水を飲むことができないという症状の原因を探ったところ、昔、嫌っていた家庭教師が犬にコップで水を飲ませているところを見かけ、嫌悪したことに由来することが判明。アンナはそのことをすっかり忘れていたが、催眠術でそれを思い出した途端、コップから水が飲めるようになったという。〇つまり人は嫌な出来事に遭遇した場合、それを忘れようとするのだが、その思い出が消えることはなく、無意識の中に抑圧されてそこに留まり続ける。そしてその抑圧されたものが、別な形で浮上してきたものが神経症の症状ということになる。〇フロイトは、患者から潜在思想を取り出す際、最初は催眠術を使っていたが、かからない人もいるので、前額法(額に手を当てることで思い出すことを促す)に変えた。しかしその後さらに「自由連想法」(楽に横たわった患者の頭の方、患者から直接見えないところに座って聴取する)に変えた。そしてこの自由連想法が今でも精神分析の基本スタイルとなっている。〇ということは、精神分析治療の基本は、とにかく言葉によって患者に語ってもらうことに尽きる。一般の医療行為と精神分析が異なるのはここ。物理的な施術も、薬物使用もなく、ひたすら言葉によるやり取りをするということ。それはまた、施術者と患者の間に信頼関係・心の交流がないと何の益ももたらさないということにもなる。〇両者の間に「抵抗」(患者が真相を語ることを拒むこと)があったり、「転移」(女性患者が自分の父親への思いを治療者に向ける)や「逆転移」(治療者が患者に対して何らかの感情を抱いてしまう)などがあると治療はうまく進まない。〇ところでフロイトが神経症の女性患者を自由連想法などで治療していた時、しばしば患者が、幼児期に大人に性的いたずらをされた、ということを告白することに気づく。そこでフロイトは、ヒステリーの原因を、幼児期に成人から受けた性的悪戯によるものと考えた。これを「誘惑理論」もしくは「性的外傷説」という。〇しかしフロイトは、やがて性的外傷説を放棄する。というのは、あまりにも多くの女性患者が同じことを告白するから。そこでフロイトはこれらの告白は真実ではなく、本当は彼女たちが父親に対して性的欲望を抱き、それを投影によって、逆に「父親が私に性的欲望を持った」と変形させて抑圧したのではないかと考えた。これが「幼児性欲説」。〇幼児に性欲がある、という考え方は当時として受け入れられなかったが、フロイトはこの説に固執した。それは幼児性欲は大人の性欲(性器性欲)とは異なるということがこの説のベースとしてあったからで、ならば「性欲」という言葉を変えればいいではないかという批判もあったが、それを変えると元々のニュアンスが分からなくなってしまうとして、フロイトは幼児性欲という言葉を使い続けた。〇幼児性欲説から発展したのが、例の「オイディプス・コンプレックス」。男児の場合は、母親への性欲を抱くが、女性にペニスがないことを発見して去勢恐怖を抱き、母親をあきらめることになる。女児の場合は、最初、母親に性欲を抱くが、母親にペニスがないことを発見し、自分にもないことから、不完全な人間に産んだ母親を恨み、愛情を父親に振り向ける。そして女児の場合、このオイディプス・コンプレックスを解消できないまま成長してしまうと、それが抑圧によって神経症の発露につながると。〇幼児性欲説によると、幼児の性欲はいくつかの段階を経て発達する。0歳から1歳半くらいまでが「口唇期」、2歳から4歳くらいまでが「肛門期」、3歳から6歳くらいまでが「男根期」。この男根期にオイディプス・コンプレックスが形成される。そしてその後、6歳から12,3歳までの「潜伏期」にはいり、性欲の発達は休止し、その後思春期に至って「性器期」となる。なお、すべての人が順調にこれらの経過をたどるとは限らず、どこかの段階で止まったりした場合は、フェティシズムなどの性的逸脱に陥る(フェティシズムに陥るのは男性のみ)。また大人になってからも、固着や退行によって、通り過ぎたはずの「期」に留まったり、戻ったりすることもある。そしてそれが満たされないと、心の病になることがある。例えば肛門期に固着している場合は強迫神経症に、男根期に固着している場合はヒステリー症状を起こすなど。〇フロイトが「幼児性欲」という言葉に固執したのは、幼児性欲と大人の性欲(=性器性欲)は異なるとはいえ、どちらも性的なものであることには変わりないから。これを「性の欲動」という。〇フロイトは欲動には二種類あって、一つは「性の欲動」、もう一つは「自己保存欲動(=自我欲動)」である。また人間の欲動は「快感原則」と「現実原則」という二つの規則に従っているとフロイトは考えた。もちろん、自己保存欲動は、現実原則に従い易いが、生の欲動はひたすら満足を求める快感原則に従いがちである。その意味で、「性の欲動」と「自己保存欲動」は対立的なものと考えた。これを「欲動二元論」という。〇ところで、人は乳児のころは自分と母親の区別もつかず、リビドー(性のエネルギー)は自分にしか向けられない(=一次的ナルシシズム)が、成長して自と他の区別がつくようになると、リビドーは自分以外のものに向けられるようになる。 しかし、時に成長した後も、リビドーを自分に向ける人がいる(=二次的ナルシシズム)。この場合、自分に向けられたリビドーは、自己保存欲動と同じものとなるので、先に述べた「性の欲動」と「自己保存欲動」の対立はなくなってしまう。〇つまり、自己愛を抱く人の存在に気付いたフロイトは、先の欲動二元論を修正し、「対象リビドー(性の欲動)」と「自己リビドー(自己保存欲動)」の二つに分類し直した。この分類によると「すべての欲動は性の欲動」ということになるので、これを欲動一元論という。〇しかしその後、第一次世界大戦後のPTSD(戦争中に体験した恐怖を何度も繰り返し夢に見るなど)の問題や、反復脅迫(酒乱の父親に育てられた娘が、酒乱の男と結婚してしまうなど)の現象を知り、これらは快感原則にも現実原則にも従っていないことから、人間にはもっと深いところで悪魔的な傾向があるのではないかと考え、それを「死の欲動」と捉えた。〇フロイトは、人間には何もない無の状態へ戻ろうとする衝動、すなわち「死の欲動」があると考え、それに対立する「生の欲動」と合わせて、最終的な二元論を構築する。そして人間を、生きたいと願う欲動と、無に帰したいという欲動の二つに引き裂かれた存在であると考えるようになった。〇またフロイトは「意識」「前意識」「無意識」の3つからなる心的構造論にも修正を加え、「自我(ドイツ語のIch、すなわち英語のI、ego)」「超自我」「エス(ドイツ語のEs、英語の It、Id)」からなる新しい構造論を構築する。〇自我とは動物にはなく、人間だけにあるもので、私が「これが私だ」と思っているものであり、心の主体。成長と共に変わるが、成長によっても「これが自分」というのは変わらない。 乳児に自我はなく、生まれつき備わっているものではない。乳児の自我は全能感に浸っているが、やがて自分が全能ではないことに気づき、快感原則にのみ従っていた状態から、母親を見習いながら現実原則に従うことを学んで行く。〇これに対して「超自我」とは、自我にとっての理想であり、また禁止するもの。つまり心の中の良心の声ともいうべきもの。自我は絶えず「こうなりたい」という願望を持っているが、これに「こうあるべき」という理想を提供するのも、「こうしてはいけない」と禁止するのも超自我の役割。また社会生活を通じて学んだ社会的な掟も、心の中に内在化されて超自我となる。盗みを働いて罪悪感を覚えるのは超自我があるから。現実原則を代表するものであり、人間に超自我がなかったら、社会は成立しない。 また超自我の大半は意識的。自我との関連でいえば、対立するものというより、超自我は自我の一部というべき。〇一方、エスは無意識の中にあって、あらゆる欲動のエネルギー源となる。心を動かすエネルギーはすべてエスから湧き出しており、自我もまたエスからのそのエネルギーを供給されている。また当然予想されるようにエスは快感現実にのみ従う。したがって自我としては、エスを野放しにすることはできず、これをコントロールする必要がある。つまり、エスを暴れ馬に例えると、騎手が自我に当たる。しかし、エスの力は強いので、自我は常にこれをコントロールできるとは限らない。とはいえ、自我とエスは真向から対立するものでもなく、自我はエスの一部、ということもできる。〇自我は「外界」「超自我」「エス」という三君に仕える従僕のようなもの。よって自我は常にこの3つに脅かされているともいえる。世界は何でも自分の思い通りにはならないから、外界と折り合いをつけなければならないし、「こういう人間になれ、こういう人間になってはいかん」という超自我の命令にも従わなくてはならず、さらに快感原則に従ってひたすら欲動を満たそうとするエスの力を必死でコントロールしないと反社会的な人間になってしまう。〇そこで自我は自分の身を守るために、様々な防衛機制(防衛メカニズム)を発達させた。〇それはどういうものかというと、「抑圧」(自分で認めたくないものを無意識(エス)の中に押し込めてしまう)、「否認」(現実は認めるが、それが意味することを認めない)、「分離」(自分自身の辛い体験を、他人事のように話す)、「反動形成」(特定の人に対する怒りを、反対のやさしさで表現する)、「投影」(相手に対して自分が抱いている感情を、相手が自分に対して持っている感情と解釈する)、「同一視」(相手の行動や態度を真似しようとする)、「合理化」(何らかの理屈をつけて正当化する)、「昇華」(現実では満たされない願いを、別な方面での活動に打ち込むことで解消しようとする)という8種類がある。〇フロイトの影響を受けた人々の一人がユング。非常に親しかった両者が決裂するきっかけとなったのが、性欲をめぐる考え方の違い。フロイトは心を動かす本能的なエネルギーをリビドーと呼び、これを本質的に性的なものと考えた。一方ユングは、心のエネルギーは必ずしも性的なものではないとした。例えば乳児が母親の乳を吸うのも、それは生存欲求からのことで、性的なものはないと考えた。〇フロイトは「自我・超自我・エス」を導入したときですら、心には意識と無意識があると考えていた。これに対し、ユングはフロイトの意識・無意識を「個人的意識・個人的無意識」とみなし、その下にさらに「集合的無意識」があると主張した。この集合的無意識の中には「自己」「影」「太母(グレートマザー)」「老賢者」「少年」「アニマ(男性の中の女性像)」「アニムス(女性の中の男性像)といった「元型」があり、これは人間が遺伝的に生まれつき持っているものと考えた。例えばなんとなくいけすかない人がいるとすると、それは自分の中の影(シャドウ)をその相手に投影している、と解釈できる。また男も女も、自分の中にあるアニマ/アニムスに近い人を配偶者に選ぶという。自己(セルフ)は自我ではなく、自分の理想像のこと。ユングはこの完全なる自己を目ざして人間は成長していくべき、と考えた。〇フロイトは生まれてから成人に達するまでの発達過程がその人の人生を左右すると考え、もし何か問題を抱えていたとしたら、その原因は幼児期にあると考えた。つまり時間を遡って考えるので、因果論的なアプローチと言われる。一方ユングは、現在の状態はどのような目的を持っていて、どこへ向かっているのかと考える。未来の目的を探るため、目的論的なアプローチと言える。ユングは前半生と後半生を分けて考えていて、前半は外へ向かう力、後半は内面へ向かう力が強いと考えた。〇ユングは治療に「言語連想法」を用いるなど、イメージを重視した。ユング派のカルフが箱庭療法を考案したのも、イメージ重視の結果と言える。一方、フロイトは言葉(特に音声面)を重視した。〇アドラーもフロイトと同時代人であり、初期からフロイト理論を支持した一人だが、彼も最終的にはフロイトと決裂した。 アドラーの心理学は「個人心理学」。この「個人」は「individual」で、文字通り「分割できない」ということ。このことからも明らかなように、フロイトが人間のこころを「自我・超自我・エス」などと分割することには共感していなかった。またアドラーもまたユング同様、フロイトの論が「原因論」であることに不満を持ち、目的論的に考えるべきだと考えた。 アドラーの理論の根幹にあるのは「劣等感」。〇アドラーによれば、人間は幼児期に持つ劣等感からスタートし、この劣等感を埋め合わすことが人生の目的となると考えた。またアドラーは性欲よりも征服欲・支配欲に着目していて、男性のリビドーが女性を求めるのも、女性を支配し、優位に立ちたいという欲望に基づいた行動であるとみる。 また心の問題を持っている人には希望を持たせることが重要と考えるのがアドラーで、その楽観的観点から、アメリカの自己啓発本はアドラーの考え方に近いところにあるともいえる。〇フロイトの説は、娘のアンナ・フロイトに継承され、またハインツ・ハルトマンによって発展させられ、自我心理学として確立し、1930年代以降のアメリカで発展した。フロイトは自我は外界・超自我・エスに振り回される存在と考えたが、自我心理学では、自我はそうした受け身的なものではなく、もっと自立した存在で、人格を統合したり、環境に適応したり、人格の連続性を維持したりするのに積極的な役割を果たすものとした。また自我は生まれつき人間に備わったものであると同時に外界との接触を通して成長するものであって、健康な人は自我が強く、心を病んでいる人は自我が弱い。そこで自我心理学では、患者の自我を強めることを治療目的としている。〇自我心理学の系統には、アイデンティティとかモラトリアムという概念を提唱したエリク・エリクソンがいる。彼によれば、自我は超自我が示す模範的側面を自我理想として、これを手本にして発達し、青年期にアイデンティティを確立するという。そしてこのアイデンティティの確立を先送りしようとする時、猶予期間が生じるわけだが、それをエリクソンはモラトリアムと名付けた。また人生の挫折によって自分何者であるか分からなくなることを、アイデンティティ・クライシスと呼んだ。〇自我心理学の流れの一つに、ハインツ・コフートの提唱した「自己心理学」がある。〇自我心理学が主流のアメリカに対し、イギリスでは「対象関係論」が発展。M・クライン(女性)が唱道者。要するに個々の人間の成長は、他人との関係性の中で発展するのだから、他者(対象)との関係を考えることが重要だとした。クライン学派はイギリスで1930年代から主流となる。〇アドラーの影響を受け、人間関係の中の権力闘争が人間の心に与える影響を重視するのが、新フロイト学派。エーリッヒ・フロムやカレン・ホーナイが中心。また社会が人間の性欲を抑圧することがすべての心の病の原因としたウィルヘルム・ライヒもここに分類される。ライヒはこうした考えから、精神分析とマルクス主義を合体させ、性欲を抑圧しない理想社会の建設を夢見た。〇自我心理学に真向対立するのがフランスのジャック・ラカン。本能が壊れた人間は、生存するために文明を作り上げた。これは環境に秩序をもたらしたことになるが、ラカンはこの秩序を「象徴的秩序」と名付ける。 生まれたばかりの人間はこうした秩序を構築できないが、生後6か月から18か月の間に赤ん坊は鏡に映った自分の姿に興味を持ち、それが自分であることを発見する。つまり幼児は鏡の助けを得て自我をてにいれるのだが、しかしそれはしょせん鏡像であり、イメージに過ぎない。しかも鏡に映った自我は自分の外にある。幼児が生きているこの世界を、ラカンは「想像界」と呼ぶ。その想像界には母親もいるので、当初赤ん坊は母親べったりである。〇しかし、次第にそこに父親が登場し、彼が言語と法をもたらす。そして想像界に象徴的秩序がもたらされるわけだが、これによって新たに「象徴界」が成立する。幼児は想像界から象徴界に移り住むことになり、そこから秩序に支えられた主体として生きていくことになる。 だが、この世のすべてが秩序化されるわけではない。その象徴化されなかった滓が現実界、すなわちモノそのものの世界であって、それは主体との間に関係性が成立しない世界である。〇ラカンは自分の説こそフロイトの正統な継承者であるとして、自我心理学を批判している。・・・とまあ、こんな感じかな?ま、大雑把ですけど、これでフロイトの説の何たるかは大体分かるよね。これだけ分かっていたら、フロイト本人の著作を読んでも、サクサクと頭に入るのではないかと。 というわけで、これだけ明確に教えていただいたのだから、著者の鈴木晶さんには感謝、感謝でございます。あたらめて『図像雑学 フロイトの精神分析』、教授のおすすめ!と言っておきましょうかね。
July 3, 2020
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先日、東名・海老名SAを使った時、たまたま「白い恋人」が出店していたので、即ゲット。北海道土産の定番、「白い恋人」って好きなんですよね~。 が! 食べてビックリ。ものすごく不味い・・・。 えーーー、ウソだろ? 何でこんなに不味いんだ?! ラングドシャの食感がジャリジャリで、食べた後まで口の中に砂が残るようじゃないか! 「白い恋人」って、こんなだっけ? 私なんぞ、北海道出張があった時にわざわざ「白い恋人パーク」まで行って、大勢の中国人観光客に交じって工場見学までしたのに。 で、そんなはずはあるまい、とググったところ、ネット上でも「『白い恋人』の食感がジャリジャリで、不味くなった」という口コミが溢れておりました。 やっぱりね、そう感じたのは私だけではなかったんだ。 どうした「白い恋人」? 何があった? 一刻も早く元のレシピに戻してくれ! さもないと、もう「白い恋人」を見限って、長野県土産の「白い針葉樹」に鞍替えしちゃうぞ!これこれ! ↓白い針葉樹 12枚入 ラングドシャ ラング ホワイトチョコ モンドセレクション さて、「自己啓発とスポーツ」の6回目。 アメリカ60~70年代にかけ、様々な「競わないスポーツ」が登場してきた話を書いておりますが、さらにここにもう一種、別ジャンルの「競わないスポーツ」が登場してきます。それは何かといいますと・・・ ヨガと合気道でーす! ・・・ということは、そう、両方とも東洋の神秘。この時代のアメリカは、東洋文化の魅力に持って行かれた時代だったのでありまーす。 例えばビートルズを見ても、ジョージ・ハリスンやジョン・レノンが東洋思想にはまり、アメリカに進出した超越思想家マハリシ・マヘシ・ヨギに傾倒したり、インド楽器のシタールを弾き出したりってことがあったわけですけれども、ことほど左様にこの時代、西洋人の目は東洋に向いていたわけですな。 もちろん、そうは言っても西洋人が東洋的な思想に馴染むのは、そう簡単にできるこっちゃないわけですけれども、例えば東洋思想を体現するような何らかのモノ、とりわけ行動を伴うようなモノであれば、とりあえずその行動をマネすることはできる。そしてそういう行動の模倣から入って、何となくその行動の背後にある思想を垣間見ることくらいは、まあ、出来るわけですよ。 で、じゃあ、東洋思想を体現するような身体的行動って何か、となった時に、ヨガと日本武道が登場するわけね。 ま、ヨガに関してはね、これはもう大昔からあるもので、それが最初にアメリカに入ってきたのはいつ頃か?、なんてことはよく分かりません。例えば19世紀から20世紀にかけて活躍したアメリカの自己啓発家ウィリアム・ウォーカー・アトキンソンなんてのは、ヨガをアメリカに紹介したことでも知られておりまして、少なくとも20世紀初頭には、それなりにヨガの存在は知られていたかも。 しかし、60年代から70年代にかけてアメリカで広がったのは、アーサナ系のヨガで、「〇〇のポーズ」とか言って、とんでもない格好をするヤーツーですよ。これをアメリカ人たちは「ハタ・ヨガ」だと思っているようですが、伝統的なハタ・ヨガと、現代的なアーサナ系ヨガとは別物です。でも、とにかく、こういうのが「これぞ東洋の神秘!」ってな感じで評判になった。つまり、それが本物のヨガかどうか、なんてことはどうでもいい。とにかくいかにも東洋っぽい運動を通じて、その奥にある東洋思想に触れよう、というのがキモなので、いわばスピリチュアルの一形態として、当時のアメリカではヨガが流行したのでありました。 そしてもう一つ、スピリチュアルがらみで流行したのが、日本の合気道ですよ。 柔道とか空手とか剣道と違って、同じ日本の武道でも合気道には勝ち負けがない。勝ち負けを競うものではないので、当然、試合もない。ただ相手の気と自分の気を合せて、敵味方の別を無くして一つの円運動の中に納めてしまうっていう。武道でありながら、勝負がない・・・おお、これぞ東洋の神秘っていうね。 もっとも合気道の「敵味方なし、合気あるのみ」っていう方向性は、言って見れば「正」と「反」を対峙させずに「合」の中に巻き込んでしまうという意味で、身体を使った運動による一種の「弁証法」なわけですよ。ロゴス中心で弁証法に長けた西洋人からすれば、合気道の精神は神秘的なようでいて実はよく分かるっていう。だからこれがアメリカで超受けるのも、ある意味、不思議はないわけね。ということで、合気道は60年代・70年代のアメリカで大ブーム、開祖・植芝盛平大先生のお噂は、日本における以上にアメリカで轟いていたんですな。 ちなみに、日本の武道が西洋人に受けるっていうのは、60年代70年代の専売特許というわけではありません。もっと前から、例はある。 例えば、ドイツ新カント派の哲学者で、ハイデガーのライバルだったオイゲン・ヘリゲルっていう人がおりまして、この人、明治時代にお抱え外国人教師として東北大学にやってくるんですけど、元々日本の「禅」に興味があったヘリゲルは、この機を捉えて禅を学ぼうとするのですが、日本人ですら習得が難しいのに西洋人にはとても無理、とか言われて、でも日本の武道なら習うことができるし、武道ってのは究極的に突き詰めると禅に通じるのだからやってみればよろし、ということになって弓道を習うことになる。 で、ヘリゲルはもともとピストル射撃を母国で習っていたので、弓くらい簡単だろうと思ったらこれがさにあらず。しかも手取り足取り教えてくれる西洋風の教授法とは異なり、門人は師匠の立ち居振る舞いをひたすら真似することによってのみ武芸の上達を図る日本風の教授法に慣れず、苦労するわけね。ヘリゲル自身は「どうすれば上達するのか」と、あれこれ方策を考えたり、試行錯誤をするのだけど、師匠からは「考えるな、感じろ」とか言われるだけで、ほとんど指導らしい指導をしてくれないんだから。だけど、次第にそのやり方にも慣れていって、最終的に弓道の何たるかを悟り、そうした一連の「弓道を通じた東洋との出会い」を『弓と禅』なる本に綴ったところ、この本がドイツのみならず各国語に翻訳されて大ヒット、もちろんアメリカでも評判を呼んだという。 で、こういう本の影響から、日本の武道は、アメリカでは「禅」との関わりで理解され、また憧れられていくんですな。 ちなみにアメリカにおける禅と言うと、50年代には鈴木大拙が、60年代には鈴木俊隆が、アメリカに禅を伝えるのですが、特にサンフランシスコに禅寺を構えた鈴木俊隆の影響は大きく、彼の影響で少なくとも西海岸のハイブラウな連中の間では、禅もまた一種のブームになっていた。だから、その禅の一つの形として、スポーツを「道」と捉える日本の武道の在り方に注目が集まり、中でも合気道が、そうした「禅」に興味を持つようなハイブラウなアメリカ人たちを惹きつけたと。 私が思うに、70年代にアメリカで、ブルース・リーのカンフー映画が人気だったのも、その背景にはこういう武道ブーム、禅ブームがあったからこそではないかなと。ブルース・リーの「Don't think. Feeeeel!」っていうのは、要するに「禅」だからね。 っつーわけで、この時代、アメリカでは「禅」としての武道が流行し、身体的運動がなんとなんと精神の修養に直接通じるという、従来の西洋的考え方にはなかった新しいコンセプトが発見されたのでした。換言すれば、「スピリチュアルとしてのスポーツ」っていうものが発見されたわけですよ。 デカルト発祥の(っていうか、キリスト発祥の、っていうべきかもしれないけど)西洋的伝統からすると、心と身体は別物っていう考え方が当たり前だったんですけど、ここに東洋思想ってのが入り込んできて、身体を通じて心を修養することができる、否、心と身体はひとーーつ! っていう東洋的な考え方がにわかに出てきて、それがあまりにも斬新だったので、アメリカ人を魅了してしまったっていう。そういう現象が起こったのが、60年代、70年代だったんですな。 そして、この新しい発見が、方向を変えて、西洋的なスポーツの在り方にも影響を及ぼし始めるんですけど、そのことについては、また後日、ということにいたしましょう。
December 8, 2020
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なんか、コロナ感染がトンデモナイことになってない? 東京は2500人近く、愛知県も400人越えだとか。 東京は非常事態ですけど、愛知県は優柔不断な知事が様子見とか言っているし。このまま後手後手でますます大変なことになるのは目に見えていると。 そんな渦中で、共通テストやるの~? やめなーい? うちの大学、会場として3000人の受験生を引き受けているんだけど、絶対、いるじゃんね、保菌者が。少なからず。無症状だとしても。 で、そういうのと2日間、朝から晩まで密に接するわけだよね? 当然、うつるわけだよね? 受験生は抵抗力の強い若者でも、監督者の方はそこそこ高齢者なんだよね? 高齢者がコロナ罹ると、死ぬんだよね? 死ぬの、イヤなんだよね? じゃ、共通テストはやめた方がいいんだよね? って、普通は考えるんだよね? 文科省にもそういう風に普通に考えてほしいんだよね。 共通テストの頃って、年末・年始から二週間ちょい。ちょうど爆発的に出てくる頃じゃん! やめてほしいわ~。
January 7, 2021
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今日、アニキことK教授がニヤニヤしながら「釈迦楽さん、『うっせえわ』って知ってる?」というので、知らないと答えると、インパクトあるよ、聴いてみ、と言われたので、聴いてみた。 ふうむ、そうか、今はこういうのが流行るのか・・・。 いやあ、しかし、昨年秋から流行っているというのですが、それを今日この日までまったく気づかなかったという・・・。情報通のワタクシとしたことが、これはまた一体どうしたことでありましょう? 結構世間にアンテナ張ってるはずのワタクシにして、この盲点。ちょっと反省だねえ。 とはいえ、正直、つまらん歌が流行るもんですな! なんか可愛げがないねえ。ユーモアもひねりもなくて。曲調はなんだか椎名林檎の真似のようで。本家椎名林檎は独創的だから許すけど、その亜流じゃあどうしようもない。ワタクシが聴くに値せず。もうちょいお勉強してから出直しておいでって感じかな。
March 5, 2021
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