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祭壇に飾られた父の写真は 今にも笑い声が聞こえて来そうな顔で お焼香をした方々の胸に生前の父が蘇ってくれたらと願い 父の生涯を偲んでたくさんの方々に 弔問に来て頂けたことに深く感謝します。
2007年01月31日
本当なら大好きな父の側で一晩中、 父の事を語り合いたかった私の代わりに 兄達や旦那が交代で酒をのみ交わしています 夕べの私は不安感で浅い眠りのままだったけど お通夜の読経を聞いた後の今夜は 安心感に包まれて旦那に父をお任せして眠れそうです
2007年01月30日
生前の父の一番の生きがいであり 楽しみだった時の笑顔の写真を祭壇に飾り 父を偲ぶ方々がお焼香にみえてくださいました みなさんのお焼香の煙で最後尾は見えなくなりました 私の中高生時代の友達もお通夜に参列してくれて 若かしり頃の私を見守る生前の父の事を 思い出して涙してくれている姿に感謝の思いで胸がいっぱいでした
2007年01月30日
実家には父の兄妹や母の妹弟が集まってくれて 最後に駆けつけた私を まるで父が待っていたかのようでした… あの世へ旅立つ父の姿は 私が大好きな背広姿と帽子 それから入院中の父の側に一緒にいた ぬいぐるみ達と吾妻山へ登るときのウエストポーチを入れ あの世でお金に困らないように 父の体の下には見えないように小銭を入れて 旅立ちの支度をしてあげました。 父は嬉しそうに笑ってるみたいで 私は「お父さんの背広姿が、大好きだよ!格好良いね! 」 と父へ声を掛けました 父はみんなの気持ちを全て受け止めてくれたと思います。
2007年01月30日
お父さん、間に合わなくて ごめんね 一人で行っちゃったんだね でも これからは いつも一緒にいられるよ 私の心の中に…
2007年01月28日
リウマチに甘えて生きている私のコトをもう知ってる常連さんもいるけども始めて来た人にも知って欲しいと思って書いてみた別に大した事を考えて生きてきた訳でもないし出来れば一人でコソコソと生きて行こうと思ってるどんなに分かり合おうと努力したってうまく噛み合わない人間関係なら相手との僅かな接点さえも無くしてしまえばいいのかほんの少しでも残された接点が垣間見えたら少しずつ歩み寄っていけばいいのか相手を受け入れたくないと本能的に感じたのなら黙って立ち去ればいい追いかけようとは思わない優しい言葉の中に「関わり合いたくない」というニュアンスを残して去る人もいるし言葉なんてどうとでも受け取れるどんな状況であっても勝手に感謝できるほど私は修行を積んで生きていない
2007年01月25日
人それぞれの生活リズムがあって毎朝5時起床の人も居れば、10時起床の人も居る寝る時間も10時には夢の中だったり午前3時だったりする寝る時間が遅くても早起きの人も居るのだから人によって生活リズムが違うことは別に間違いじゃない隣近所の元気なお年寄りと比べたらなんと不健康な生活をしてる私・・・それでも私の生活リズムは丁度よくて(一緒に生活してる人達には迷惑な話だが)私のできる事=やる気が出ることを優先的にやるそれが洗濯やら掃除やら裁縫やら・・・・その日の体調と気まぐれで違ったりもする小さい頃からリウマチだった私は朝の目覚めは悪かった小学校に入学した時から毎日の痛みは苦痛でしかなくどんなに薬を飲んでも痛みが治まってるという日は無かったその薬はステロイドだと思う当然の如く副作用は顔が丸くなり体重は平均体重のずっと下の方しかない体力も運動神経も精神も痛みに負けていく集団生活に付いていけない歩く距離も少しで疲れ、とっさの危険も逃げられないスキップなんて走るなんて鉄棒を握っても自分の体重は関節に支えきれない最初の動作から次の動作に移るとき一度しゃがんだら立ち上がるまで容易ではない手首が腫れ足首が腫れ膝が腫れ肘が腫れ・・・・指の関節も腫れた後には曲がってしまう何度も同じように腫れた後で関節が曲がったままになる私が生きてる喜びは、家族に囲まれ泣いたり笑ったりしてる時間だった学校という現実社会の恐ろしさを子供ながらに毎日身にしみて経験していた人と同じじゃない行動や見た目の差が有る事からのイジメは私以外の人にも向けられていたが苛められる側にも理由があると苛める側の言い分が正しいと通った時代に苛められてる側の気持ちを我が身と思い手を差し伸べて救ってくれる人は私の近くには居なかった小さい頃は早く大人になりたかった大人になったら苛められないと思ってた中学生になって私にも信頼し合える親友が出来た高校生の頃は学校以外の場所で自分の発言を他人が受け止めて理解してくれるようになり少し自分に自信も付いてきたでも社会人になったら、上司からの偏見と差別が待っていた一部の偏見を持つ人との関わりを減らし仕事で認められるように人並みになりたくて努力したその努力と引き換えに関節の変形が増えて体調を崩し仕事が出来なくなった頃に結婚した新婚当時住んでいた場所で若い人の多い隣近所にも差別の目があった今の私は年を重ね偏見と差別の多い世間の目などようやく諦め耐えられるようになった他人を思いやれない人とは関わらない事にした私が犯罪を起こしたわけでもないのに見た目の違いや行動が共に出来ない人に対して偏見の眼差しを向ける世間の仕組みは我が子への愛情を注いで正しい事を発言し貫けば認められると疑わない大人たちが家庭の中から心の狭い人間を作り上げてることに気が付いてないのだきっと、それは私の親もそう思って私を育てて来たのかもしれない父の人生を見てて自分の気持ちを重ね現実逃避の生活を目標にいや、もうそうなってるか・・・・
2007年01月24日
父は(自宅では心臓発作だけ)入院した時の心停止から、その直後に脳梗塞を起こしたので、その障害が大きく…今ほんの少し回復したと喜んでも、心臓の働きが健康時より不安定だから今後ベットから起き上がれるようになるかも判らない。年老いた父が70歳過ぎて白内障が進んだ不安を訴え眼科に掛かったのに(10年前)それが脳梗塞の前触れの症状だと知ったのは、入院した後に見たテレビだった。思い起こせば数々の思い当たる節があっても本人の自覚症状を意識した危険性を排除しようとする意識がなければ無駄になるただ父は交通事故で他人を傷つけずに済んだ事だけが、良かったと思うしかない。 父には何度も危険性を話して運転免許証を自ら返還する事を言い続けたけど本人がそのチャンスを逃し傲慢な態度を取ってきた。高齢者の運転はそういう判断力も衰えてしまうのに…。 家族の判断に従えない傲慢な心から自分勝手な判断や習慣でひとつ交通事故が増えたら、恥知らずと罵られるだけだと気が付かないのだろうかそれは他に障害があって交通事故を起こしてもきっと同じ事を言われるんだ…
2007年01月23日
ご飯の次に 大切な ひと時
2007年01月22日
父の意志とは関係なく体が動き 手足の力もかなり強くて その動きには手加減と言うものがない それは、自分の手足がベットの両側の低い柵に 強く当たってしまっても父が痛いのかどうかも判らない。 だから手足はあちこちにアザを作ってしまう 布団を掛けても、じっとしていられない ベットの縁に体をかければ布団ごと、 下に落ちてしまいそうな危険な状態だった。 だから、布団を掛けずに暖房をいれてるのだが… その父の姿を見た母には 看護婦さんが父の介護を放ってるように見えてしまい激怒してた 母にその理由を説明して理解しても切なくて悲しんでいる… 母の姿を見るのもキツイ。
2007年01月21日
毎日PCを起動させなくなったので父の入院日記は携帯からの投稿になってるPCで書くのと違って行間隔も時々乱れてるけど、なんとか読めてるので安心した携帯でもPC閲覧ができる機種だけど契約代が加算されるので止めて携帯で閲覧可能な部分だけでも日記の更新ができるのだからそれ以上は望まない事にした最近は父が入院してからのコトを書き始めた日記が続いてるから面白そうなブログをリンクしておこうでもリンクされた相手にとっては迷惑だったかもしれないなぁ・・・
2007年01月19日
パソコンから管理画面を見たら以前より使いやすい気がする管理画面内に無料だからって見たいとも思わない(広告)モノを載せるサイトは多いけど・・ヒンシュクを買うばかりで効率が良いとは思えないのに(無料サイト側のエゴかなぁ)また、こんな事を書いてる相変わらず、へそ曲がりの私のブログへ無言の楽天メンバー以外の足跡を残してくださる方にも感謝するべきなのでしょうね何か、たまには言葉を残してくださいませんか?※楽天のメールは「受信OK」にしてます返事はいつになるか解りませんけど。。
2007年01月19日
その割には陽射しが弱くて 私の体は暖まるまで時間が掛かった 今夜は病院へ出掛けるのも止めた 少し、お疲れかなぁ
2007年01月18日
父の様子は割と安定してる 鼻からチューブでの流動食より 胃へ穴を開ける方法に切り替えた方が菌に感染しにくい と言われたが出来ることなら 「口から食べられる様になったら良いね」 って父に話しかけてみても 何の事か判らない顔をしてる
2007年01月17日
今の症状は鼻汁が頻繁に出るので外出時にはマスクが必須 風邪薬はいつも○ファリンを常用してるが 今のリウマチの薬が朝晩飲んで丁度良いから 体内に薬の濃度をあまり増やしたくない とはいえ、父(や他の人)に移したら大変な事だから 鼻をかんだ後も、うがい手洗いは必須!! でも熱や咳が出ないと風邪を引いても 体力を消耗しないから楽だけど 重くならないように気を付けよう。
2007年01月16日
昼間は兄と母が来てラジオで父の好きな相撲を聞かせてる少しは思い出してるかな?テレビの画面の方がいいかな?でも、見えないか・・・。 私たちは夜の7時頃に行くと、父は食後で落ち着いてた 痰も二日前ほどゴロゴロ言わなくて食後も痰を取って貰えたしベットを平らにしたら眠そうにぼんやりした顔をしてる病室はドアを閉めて暖房が入ってるので見舞いに行ったこっちの方が眠くなる(^_^;
2007年01月15日
母は今まで通りの生活で食事や洗濯、掃除をし 持病の腰痛治療に通院しながら 父の病室に行くと午後三時から四時辺りになる それでも、毎日父の様子を見ないと落ち着かないらしい 以前(20年前)同じ病院に父が入院した時も 自転車で行って日に二度行って父に「忘れ物か?」と 言われて二度行った事に気が付いた… なんて話を20年間、何度も聞かされた。 夫婦って普段は愛想が悪いだとか お互いの欠点ばかりが目に付き易いけど 病気や何かで離れてると相手の様子が 気になって仕方ないものなんだと、 その気持ちは私にもよく判る
2007年01月14日
今日の父は痰が絡んで苦しそうだが 昼間のナースは、別部屋の担当だから 父の担当ではなくて様子が解らないと言う 痰を取るの時の父は苦しくて 体をよじるために取りにくいだろうが 確かに、上手い下手があるのは仕方が無いこと と思いたいが…患者の苦しみを取り除くという ナースとしての責務と誠意が その言葉からは感じられなくて悲しくなった 夜勤のナースは何度も痰を取りに来てくれて 食前にも取りますからと言って安心させてくれたし 食後は二人掛かりで父の痰を取り除いてくれたため その後はやっと父も楽に息をして安心して眠れたみたい。 父は痰を自分で咳払いをして吐き出す力がないのと 鼻からチューブ(栄養流動食)を入れてるので 食道からの菌が気道に入りやすくなるために 痰が出やすくなるという悪循環なのだと 医師に説明されてる
2007年01月13日
昨日も今日も病院に行ってないから 明日は父の様子を見て 鉛筆を持てるようにさせてあげたい 「明日は昼間、行こうね」と旦那に言うと 「もう○○○(私の名前)の事は忘れちゃったんじゃない?」 (゜◇゜|||)ガーン! なんて酷い事を言う旦那なんだ! からかわれただけと解っちゃいるけど 泣きそうな気分だった
2007年01月12日
家族からの情報によると父は昨日の検査の結果、首の辺りの血管も詰まっている可能性があるということでそれが脳溢血の後に血栓が出来たのかどうかはまだ、はっきり解らない一進一退とは こういう事なんだよねこのひと月は父の様子が気になって家に居ても寛げないし旦那もアルコールを控えていつ連絡が来ても運転していける様にしていてくれて感謝しても足りないほど良くしてくれてます。だけど旦那の体のコトも心配が無い訳ではないし本当に健康管理って難しいものです。今日は朝から晴れていたけど私には寒くて起きられません何でこんなに寒いの??と、言いたくなるほど(言った)気温(10度未満)しか上がりませんでした。今日は久々にパソコンをONにして書いてますでも手が、かじかんで使えるようになったのは午後になってからでした。携帯があるのでPCを使えなくても寂しくは無いけど携帯では見られる範囲が少ないのと目が痛くなってp(;_; )q コマッタヨォ・・・・
2007年01月12日
いつもなら、12月の第二日曜日辺りに 実家へ御歳暮を持って行きながら 両親の顔を見るのに 去年は早々と11月には持って行ってた その日も何となく父の体調が不安に思えた いつも父にハグして帰る私だけど(笑) 父に話しかけても無表情で…反応が悪い 「寒いから気を付けて」と言うくらいしか 言葉の掛けようがない そんな事があって、こんな事になった 悔やんでる訳じゃないと自分に言い聞かせてる
2007年01月11日
父に鉛筆を握らせたら指先に力を入れた その指先で感触を思い出してくれるかな… 「書いてみる?」と聞いたら頷くので 父が書けるように鉛筆を持たせ ノートを当たるようにしたけど、 鉛筆が細くて持ちにくそうで うまく力が入らない だけど確かに鉛筆を持つ時の 指先の力の入れ方だったのだ 「今日は持てるようになって良かったね」 と顔を見ながら言うと嬉しそうに頷いてくれた これでも、ただのタイミングが合っただけかもしれないって言うの? 父の生きようとする力をどうして、みんなは信じられないの? 父はきっと、出来るようになるよ!!
2007年01月10日
父は大きく目を開けて 誰から話しかけられてるか よーく、確認している様子が表情から判る 話し掛けた内容を理解してるみたいに タイミング良くちゃんと頷く事がある 一生懸命、自分の意思表示をしてるんだ きっと、そうに違いない!
2007年01月10日
家族は看病疲れも溜まってるけど 風邪も引かないように注意してるし 私は父のお陰で駐車場から病室まで(少しの距離だけど) 歩いても息切れしないようになってきた。 だけど昼間は昼寝ばかりしてるから 自分のリウマチの体調は割と良い感じ ノロウイルスで亡くなった人のニュースをみると 体力のない病人はひとたまりもない。 父の痰から抗生物質の効かない菌が検出されてから 病室に入る時は使い捨てマスクをして 除菌ジェルで手指の消毒をしてる 帰るときは水道水で菌を洗い流す様に言われた 看護士たちも気を付けてるが 家族や見舞いの人も気を付けないと 抵抗力のない父には大打撃になる
2007年01月09日
今年になって毎日、旦那と父の病室へ行く 父の様子は意識がハッキリしてる時と ぼんやりしてる時と一進一退に変わりはないが ハッキリしてる時には体の動きも多く 話しかけると口元を動かし 何か話してる様な感じがして 表情も笑ってるようで家族は喜んでしまうのに そんな事は本人の意志ではなく 思い込みか錯覚のような眼差しで見てる人もいて 肉親に対しても感情の違いがあるのか 無駄な期待をすると後でガッカリするとでも言いたいのだろうか 病室の中で父が眠っていても 父の聞きたくない話はしたくない 朦朧とした意識の中でも 聞こえるんじゃないかと思えてならない
2007年01月08日
家族で話し合い最期まで父の生きる力だけに任せようと覚悟を決め 父の人工呼吸器を再度挿管しない事を担当医に伝えたのは昨日の事だった その後の治療として無呼吸と過呼吸の混存時には 心臓の動きや酸素濃度などで的確な判断をし 対応をしてくれる事になった 担当医(副院長)以外にも医師や看護士が何度も病室にきて 父に話しかけたり家族には父の状態を説明してくれるので心強い 父は家族が覚悟を決めた翌日から驚く事に 熱も下がり手足の動きも以前のようになってきた 血液採取による検査では酸素濃度を100に保ちながら 一日三回の酸素吸入は通常の数値まで下げられるようになったと 担当医(副院長)も父の回復の兆しを良好だと話してくれた (かと言って楽観は出来る程ではない) 私は嬉しくて父の手を握り 「お父さん!凄いね!良くなってきたって先生が話してくれたよ!」 と声を掛けたら、父も先生の話を聞いていたみたいで 手を強く何度も握り返してくれた 「少しずつ良くなって起き上がってお父さんの大好きな吾妻山を見ようね」 と父を励ましながら私は父の指先をマッサージしていた 今年になって白内障が進み、入院してからは 家族の顔も、恐らくもう見えないのだろう 目も見えず声が出せないのなら、 せめてこの指先で、もう一度ペンを持てるようにしてやりたい 父の気持ちを少しでも伝えられる手段をなんとしても増したい
2007年01月05日
父の入院当初は僅かな命だと言われた 家族は仕事や時間の都合を付け合い付き添って そして一週間、二週間、三週間が経過し 高齢による脳の萎縮以外で 心停止後の損傷は、MRI検査で診ると かなり大きく壊死してる事もわかった 脳からの指令は無意識の中でも自然に出来るはずの 呼吸さえ止めてしまいそうな重大な損傷だった 病院で24時間の看護が出来るわけもなく (心臓の状態は監視できるが呼吸の状態までは無理らしい) たまたま家族が見てる時に50秒程、無呼吸の事もあり いつ止まってもおかしくないほど 弱々しい状態になってしまった もう一度、父に人工呼吸器(生命維持装置)を挿管した場合 それは、父の意志で生きてるのとは違う状態になってしまうのだ。 最後まで父を苦しめるような 人工呼吸器は付けたくないと医師に伝えた。
2007年01月04日
最近の父は笑わなくなり 肩で息をして呼吸を整えて いつも血圧は低かったのに 母の為に父が無理をしてるのが解っても 一緒に住んでない私達の止める言葉も届かない 何も日常の細かい状態は見てないが 本人に聞くと家族の心配も迷惑そうに 「変わりはない」としか答えない 昭和一桁生まれは頑固者ばかり 自分の弱みは見せたがらない 何のための強がりをするのだ 苦しむのは本人ばかりじゃないか!
2007年01月03日
父と一緒に新年を迎えられました!! だけど、一昨日からの熱により また体力が低下し 父が最後の力を振り絞って 一日でも長く 私達、家族の為に 生きようとしてくれてると 今日の父の状態を見て感じました 過呼吸のあとの呼吸が 一分近くも止まって このままでは、 もう一度だけ 人工呼吸器を付けて貰う事を頼んだ事すら、 今の父には過酷な事を 強いてるに違いないのに… 生きることの意味や幸せとは… ただの自己満足なのだろうか
2007年01月01日
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