全254件 (254件中 1-50件目)
このたび 「星は すばる」は8月21日他界いたしました。 インターネットを通じていろいろな方と知り合え、本人もとても喜んでいたと思います。また、いろいろ失礼な点もあったとは思いますが、本人に代わりお詫び申し上げます。昴を夜空に見たときに「星は すばる」の日記を思い出していただけると幸いです。
2010.08.23
コメント(17)
残暑お見舞いもうしあげます 暑いですね 風があれば何とか凌げますが、風がないときは 汗は流れるし頭がぼーとして 水風呂で体温を下げています。 パソコンも熱中症にかかったか 反応は遅いしエラーばかり出るし このプログラムは応答してません と ウンともスンと動かなくなるし いらいらしますねえ。 文字変換は中々出来ないし出れば奇想天外な文字が出てくるし ああもうイヤ。 扇風機を最強にして、パソコンを冷やして今入力しています。しかし、どうも重いのは、いらないものが一杯 入っているからでしょうねえ。皆様 まだまだ猛暑の続く日々 お体ご自愛ください。
2010.08.07
コメント(3)
暑中お見舞い申しあげます 連日猛暑が続きます 皆様お元気ですか 山の木にも赤い立ち枯れが少しずつ増えてきました。 野良猫が木陰から石畳に出てきて 慌てて足を振ってまた木陰にすっ飛んでいきました。石が焼けていたのでしょう。いやそのカッコウの可笑しかった事。 昔 猫踊り と言う 見世物がありました。手拭いを被り 三味線に合わせて 立ち上がって踊るのだそうです。踊りを仕込むには熱い鉄板の上に猫を置いて 三味線を弾きます。猫は足が熱いので足を交互に持ち上げて アチlチ アチチと とびはね それが踊るように見えます。 やがて 三味線の音を聞くと 条件反射で 足を振りだし踊りだすのだそうです。今では動物虐待で訴えられますね。 今日見た 熱い石畳の上の猫 は 子供の頃聞いた猫踊り の話をおもいだしました。 年をとると なんでもない 昔のことを思い出すものですね。
2010.08.04
コメント(3)
毎朝自家製ジュースを飲む。桑や柿の葉を摘み、明日葉、ヨモギやひよこ草 嫁菜など 季節の野草や野菜と果物にヨーグルト牛乳で作る。時には青クサかったり すっぱかったりと 味は予測付かないが 葉緑素だけはたっぷりで、TV通販の青汁何とかよりは、無料で素材は我が家の庭からで信用できるのが取りえである。今朝 柿の葉を摘みかけると 懐かしい羽音が聞える。横の金柑の白い可愛い花が満開で、日本ミツバチがミツを吸いに沢山むらがっていて その羽音であった。懐かしい羽音であった。午前5時半。
2010.07.20
コメント(2)
気象庁が梅雨明けを告げたのは 昨日か 一昨日か今朝 風は強いが 夏空が広がり 朝から強烈な日差しで 今までのジメジメした湿気がいっぺんに吹き飛んでしまった。 いよいよ夏本番か 我が家は空調設備をつけていない。 窓を開け放して 自然のままの 風で 時には寒いくらいであるが 無風の時は蒸し風呂のようで汗が吹き出るのである。 今朝 耳鳴りがひどくて その音に吃驚して起き出したが、洗面をしながらどうも いつもの耳鳴りと違うことに気付いた。「セミ」が鳴いているのであった。そうか 夏なのだ 夏を迎えることが出来た。と 耳鳴りにまじった セミの声を聞きながら この後何回夏を迎えることが出来るのであろうかとふと思った。
2010.07.18
コメント(6)
昨夜ここを開こうとしたら IDとパスワードの確認を求められた。IDはすぐ出たが パスワードが想い出せない。メモを見て打ち込むが違う そういえば 何度か変更した記憶がある。思いつくまま打ち込んで見たが皆ダメ。そのうち 限界点だから閉める また新しく開 いてください と 言うようなメッセージが出て・・・こりゃダメだ。折角仲良くしていただいた 方々のブログがこれから読めない.書けないとは情けないことではないか。残念だなあと寝苦しい夜を過ごした。 もう一度 と再挑戦。もしやと山の神の名前を打ち込むと 開けゴマと 開いたではないか。いやあ嬉しかったですねえ。もう会えないと思ってましたが、これからも宜しくお願いします。
2010.07.17
コメント(2)
体がおかしい。寝ても起きても、座っても関節と言う関節がギシギシ、筋肉がだるく痛くてどうしようもない。熱はないのだが 何か異常だ。血圧はと山の神が言うので 測るとE 腕をかえて測ってもE 電池を換えてもE 家内が測ると測定できる。これどういうこと? 昨日 胃カメラと腹部エコーの検診を受けた。胃カメラは正式には 上部消化管内視鏡検査と言うのだそうだが「胃カメラ」が判りやすいのでそのまま使っているという。 胃も十二指腸も異常なし 食道に胃液が逆流しているとのこと。 エコーでは 脂肪肝は治っていないそうだ 初めて我が腎臓を観る。上部にのう胞があるが年齢相応のものだそうだ。腎臓は異常がないそうだ。 10年ぶりに旧友の奥さんに会う。主人はいまMRIだといい 目をくりくりさせながら この5月 死にかけたのだという。肩で息をするし様子がおかしい元気もない。連休だし 病院は休みだけど 本人が我慢できなかったらしい、自分で車を運転して救急病院へ私も後を付いて車でいったら 「老人性肺炎」で即刻入院。右肺が真っ白 脳は酸欠状態なのによう運転してきたなと怒られたたそうだ。老人性肺炎は原因は判らないが老人がよくかかる病だという。 重症でその時 変なことをいっては家族を心配させた。病室の窓から日が入り床が光ると「ああ きれいな川が流れている 向こうに行きたいなあ 」とか カーテンに光が当ると 花がいっぱい咲いている。野原いっぱい花が咲いてる きれいだなあ」とか取り留めのないことをいっているうちはまだよかったが、品物を納めなければ この品物も一緒にと体中についている管や枕元の機械を外しだしたり、注文をとりに出かけると起き上がったり大変だった という。ようやく治り退院の時 主治医が認知症の疑いがあるので、神経内科を紹介された。 認知の兆候はここ2年ばかりあり 自動車は前後左右ぼこぼこになっている。もう息子に譲りなさいといっても聞かなくてと困っていた。MRIから彼が出てきて 以前の元気な彼で此方の名前もしっかり覚えていてくれて、やはり「まだらボケ」かなあと思っているうちに此方の診察になったので握手して別れたが、5歳年下の彼が認知とはショックであった。 それより 彼が重症のとき見たであろう 美しい川や花が咲き乱れる野原 のことが気にかかる。 医者は脳が酸欠状態での幻影で、重症の人が良くみるという。 しかし、彼は確かに死の淵までいったのであろうと思う。うーん この体のえらさは死神がついたのかなあ。
2010.06.30
コメント(2)
今日は陰暦5月15日 お月様は満月です。晴天であったら 部分月食を楽しめたのに 雨でしかも大雨で残念でした。
2010.06.26
コメント(2)
先日 他郷に出ている先輩から手紙が来た。今度日曜日13:30から 某ホテルで講演することになった。聴きにこないか 講演のあといつもの気心の知れたもので会を持とうではないかと。 残念なことに 私は 保育園で流行っている流感を孫からうつされうーんうーんと唸っている最中。 先輩に携帯をかけるが出てこない。何度も何度もかけるが出ない。まあ仕方がないと諦めて布団にもぐりかけたら電話。先輩からだ 折角のお誘いだが明日の日曜日は体調が優れないので欠席すると云いかけると、おいおい講演は7月11日の日曜だよ 日にち書いていただろう、 声が変だが大丈夫か まあしっかり養生してと・・・ 改めて書面を見ると確かに1、期 日 平成22年7月11日(日曜日)とあるではないか。明日の日曜日と何故間違えたのか、 心ここにあらざれば 見れども見えず と古人は言ったが 日曜日は目に入って 月日は飛んでしまってた。 いやんなちゃうな!ボケの始まりか?
2010.06.06
コメント(4)
昨年10月ごろ 右ひざ関節を捻挫してから、水が溜まり痛くてたまらない。歩行が不便で仕方ない特に階段の上り下りが大変だ。 その上 正月早々からネフローゼの再発で3ヶ月入院 今は自宅療養中の身。 入院中は 家内が 吹雪の日でも凍みつく日にも バスを乗り継いで毎日病院に来てくれた。 一緒に昼食を摂りしばらく居て洗濯物を持って帰るのだが、今までになく、後姿が頼りなく儚げなのが気になった。 よろよろする時があるという。耳鼻科で診て貰ったら、メヌエルではないと言われ、耳垢が沢山取れてすっきりしたと笑っていたがふらつくことは治らないと言う。 入院中の神経内科を受診したが 若い女医がCTの映像を見ながら 「誰でも年を取れば筋肉が衰えるからそのためでしょう運動しなさい」 と言ったと プンプンして帰ってきた。患者の訴えをよく聞かないで自分の考えを押し付けるようだ。小生意気なチンコロネーチャン女医は院内でも評判があまり良くない。 病院関係者の評価を参考にある神経内科医院を受診した。 50代のDrは以前この病院に勤務していて、患者にも医療関係者にも好感を持たれていたと誰もが言う。私の主治医も、彼はいいよと太鼓判を押した。 診断の結果は、 「脊髄小脳変性症」。 発病は二年ほど前だろうとの診立てであった。 原因は不明 治療法なしの難病で徐々に小脳や脳幹の神経細胞が死んでいき(変性)次第に思うように体が動かせなくなる。 麻痺するのではなく動作の細かい調整が出来なくなる為運動機能喪失する国指定の難病。 ・歩行しにくくなる。(今もよろめいたりふらつくがそれがひどくなる) ・姿勢が保ちにくくなり、倒れたり傾いたりする。 ・手足が意図通りに動かせず、行過ぎたり 届かない。 ・呂律が回らず会話ができなくなる。 ・文字がかけなくなる。ペンを正しく持てない。等々10年20年とゆっくりと症状は進みやがて車椅子生活にさらに進むと 寝たきりの状態に。 人口10万人に5~10人 Drも20人ばかり20代から70代までの患者を診ているという。 国の特定疾患で申請すれば公費対象となる。 Drの診断書を持って役所に申請に出かけた。私の2年前の所得証明を取り保健所へ提出に行かねばならない。 税務署へ向かう横断歩道で家内は左肘にしがみついた。よろめいたのだ。考えてみれば、二人が手を繋いだのは新婚旅行のときだけだ。昔は男女が手を繋いだり 腕を組んだりすることはなかった。 右ひざを痛めて足を引きずる私とひょろひょろふらふらする家内と二人三脚のように 二人で半人前の覚悟でこれからは生きていかねばならないだろう。 長い長い年月 家内に頼り切ってきた。元気で丈夫で病気などするとは思ってもみなかった。甘かったなあ。 2年前の発症にもきづかなった。悔いても悔いきれないが、これも運命であろう。 与えられた寿命を全うするように、これからは家内中心の生活に尽くそう。
2010.05.17
コメント(8)
ようやく「虐殺器官」を読了。興奮し面白かったが体力を消耗した。伊藤計劃 本名伊藤 聡 2009-03-22没 行年32歳SFが読みたい 2008年版ベスト1に選ばれたデヴュー長編作で近未来軍事SF小説とでも言うのか、内容は思弁的で論理的、時には倫理的宗教的で言語学 文学と多岐にわたる。 錆付いた灰色の脳細胞ではなかなか理解しにくいところが多かったが、重厚な読み応えのある小説であった。続編と言うか この作品を受けて「ハーモニー」が書かれている。2007年6月「虐殺器官」でデヴュー。小松左京賞最終選考に残る2009年 第40回星雲賞 第30回日本SF大賞受賞。しかし著者の死後の受賞は初めてのことと 新聞に載り それで私は知った。この作品は第1回PLAY BOYミステリー大賞第1位にも選ばれている。惜しい逸材であった。彼のブログは「伊藤計劃:第弐位相」 とても面白い。映画をよく見ていたようだ。 一読お薦めする。
2010.05.10
コメント(4)
「恋の重荷」 序 川田 順 若き日の恋は はにかみて おもて 赤らめ 壮子時の 四十歳の恋は 世の中に かれこれ心配れども 墓場に近き老いらくの 恋に怖るる何ものもなし 「老いらくの恋」 もう死語になりましたね。 今では何でもない男女の事柄が 戦後間もない時代 には一大スキャンダルとして、人々の好奇の目で見られ 「老いらくの恋」は流行語となったのです。 * 二人は純粋にその愛を貫きとおしたのです。
2010.04.25
コメント(6)
昨日の快晴が一転して今日は夜半から雨の一日でした。今年はいつまでも寒さが残り気候不順です。 チリの地震と津波に続き チベット自治州でM7.1の大地震の報道を追いかけるようにアイスランドの大噴火のため欧州のいや世界が大混乱になっています。 今年は庚寅 (かのえ とら)年 暦によると、寅年は自然災害や天災が多い年です。1830年天保元年(庚寅 八白) 京都大地震1902年明治35年(壬寅 八白) 大寒波 八甲田山雪中行軍兵士 200人以上凍死1914年大正3年(甲寅 五黄土星)桜島大噴火 1万人以上の死 者1938年昭和13年(戊寅八白) 関東地方猛台風死者多数三原山大噴火 津波 などなど今年は 気候も変動しやすい年であるような気がします。 地震 風水害 火山噴火 などは 寅年でなくてもいつでも起きていますが、庚寅 の年は政治 経済 外交 社会など大きな変動の年が多いので自然災害が強く印象付けられてるのでしょう。十干(甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸)10年周期十二支(子 丑 寅 卯 辰 巳 午 未 申 酉 戌 亥 )12年周 期 十干と十二支を組あわせると60年周期となります。暦が戻る 還暦です。平均余命の短い昔であれば 60歳まで生き残るのは数少なく、それこそ70歳は古希であったでしょう。 短い一生の内に遭遇した天変地異を語り伝え言い伝えてきた結果が「寅年は自然災害が多い年」と言われるようになったのではないかと思います。 同じようなことが 旧暦のころ 「申年はガシン(餓死)の年」今年は申年だから、 ガシンの年だ 天気は悪くて作物は不作だよ と年よりは云いました。今は農業技術も進歩しましたが、作物のお天気任せは 基本で変わらないのです。今野菜の価格が上っていますのも気象の影響でしょう。 太陽の黒点の消長が自然災害に影響していると科学者は云います。 黒点の周期と暦のそれとが同調しているのかもしれません。 庚の年は政治的経済外交と多難なことが多い様です。ある暦は、「総理の威信が問われる一年」とありましたが。 日本丸は船頭多くして山に登ることがないように祈るのみです。
2010.04.17
コメント(3)
30年ほど前は公立図書館で漫画をリクエストすれば館には漫画の蔵書はない。購入予定はないと断られたものだった。漫画は一段と低いと見られていたのであろう。 若い司書とそのことで 話あったことがあった。漫画も時代を代表する立派な文化ではないかと。 司書は 先進的図書館ではすでに収蔵してること、この地方では、図書選定委員の考えがまだ古くて漫画は下らない 悪書の範疇にはいり 選定されないことなど話してくれた。 昨年だったかな小学館から 藤子・F・不二雄大全集の出版が 予告された。ダメもと と購入希望したところ 許可されたではないか。但し 毎月 購入希望を出すこと。 お安いこと と せっせとリクエストしている。 あの若き日の司書は、館長に昇進していた。 漫画も社会的に認知されたのかな。 あの手塚治虫の漫画ですら PTAのおばさんたちに子供に害を与えると焚書の刑にあったのだから。 ドラえもん オバケのQ太郎 パーマン キテレツ大百科 エスパー魔美 などなど懐かしい作品とカラーイラスト 特別資料や 解説 など1冊1冊が読み応えのある本で 汲めども尽きぬ と言うのであろうか よくもまあ 子供の夢を 持ち続け描き続けた天才だなあとつくづく思う。 アンパンマンのやなせたかし氏にしてもそうだ。「未来のおとなへ語る わたしが正義についてかたるなら」ポプラ社刊もお薦め本の一つ。 保育園年長組に進級した 孫が目ざとく エスパー魔美を見つけ読み出した。時々くすくす笑いながらページをめくっている。ひらかなは読めるようだし 漢字にはルビが振ってあるから でも意味が判るのかなあ 名前を呼んでも夢中で耳にはいらないようだ。 読むスピードもある。続いて ドラえもん 夢中で読んでるところに お母さんが帰ってきて あら 漫画 と どうもお母さんは漫画は余り賛成でないようだ。 ところで 私の読書力は落ちてきて 約400ページの漫画を読むのに一日もかかる。 ああ我老いたり 孫のあのスピードを見てつくづくと思った。
2010.04.14
コメント(6)
天候が温かくなりサクラ便りが聞かれだした 山ノ神がひょろひょろしながら、庭の片隅を耕し 畝を作りだした。 南瓜を植えると言う。昨年は接木した苗を植えたら枯れたり虫がついたりで 結局 種の直播がよかった。 今年は最初から種の直播をして 畝の上に籾殻をまき、水をやり さあ何個取れるかと予想したのだが。 終戦後 食料もなく、庭の垣根の隙間に栗南瓜の種を植え 垣根に這わせて育てた。雄花ばかりがつき 雌花は少しでそれも途中でしおれたり 青枯れになったりと収穫は散々だったが、それでも食べ物のないときには 腹の虫をおさえた。あの雄花の黄色い花が 卵焼きか カステラのようで 美味しそうで食べたかったなあ。僅かについた実のその中の1個がぐんぐん大きくなり 普通の3倍ぐらいになった。重さも重かった。だけども 味は水っぽく 不味かったことを覚えている。 翌朝 窓から畑を見ると雀が数羽 籾殻をつついている。籾殻の中に残るシイラをつついて食べているのだろう。 とイチジクの枝にドバトが止まり と 南瓜の畝に下りると籾殻をつつきだしたではないか。雀とは違ってどうも南瓜の種を穿り出して食べているようだ。 しっ!しっ!と追い払っても コチラをきょとんと見て またつつきだす。食べさしのリンゴの欠けらを投げつけても 別に驚く様子もなく種を探しては食べている。かみさんが庭に下りて土くれを投げて追い払おうとしても平然としていて 小憎らしい。 かみさんが庭箒をもって1メートルぐらい近づいたところで、ようやく パタパタヒョイと近くの柿の枝に飛び移って此方をみている。 かみさんが家に入るとまた降りてきてつつきだした。こりゃ本気で怒らにゃならぬ。石油缶を棒切れで叩いて近づくと 慌てて飛んでいった。 思い出した。昔は 「鳴子」があった。お婆さんなどが 雀たちが降りてくると、綱を引いて カラカラと おどしていたが そうだ 鳴子を作っておどしてやろう。 かみさん ブツブツ云いながら 残った種をまた 蒔いている。鳩は電線に止まって見ている。かみさんが居なくなったら また降りてきて つつくのだろう。 ごんべえが豆まきゃ カラスがほじくる て歌あったが これが生活がかかっていたら、こんな のんびりしたことではいかないよな。 この調子なら 何本の芽が出るかな。
2010.04.07
コメント(7)
10年もならないと思う。病院が電子化されたのは。診察室 病棟のナースステーション検査室 レントゲン 各検査 薬局 事務 など ネットが張り巡らされたのは。 電子カルテと言うのか 今まで問診し 聴診し 触診してカルテに手書きで書き込んでいたのをキーボードで打ち込んで 初めの頃は Drは不慣れで イライラしながら打ち込んでいたが。 この頃は、「どんなだ スバルさん・・・」とパソコンの画面に顔を向けて、患者の私を一顧だにせず、画面の数字や グラフを診て 「うーん A1cは良くなったが 悪玉が高いなあ 運動してるの?薬いくらのこってる? 次は・・・連休だから 7日 金でいい? じゃあ 頑張ってね 」(何頑張るの?もう充分すぎるほど頑張ったよ 疲れたよ もうどうでもいいや 誰にでも死は来る どんな名医でも死をとめることできないさ 寿命だよ)などなど長い療養の果てには心がくじけるのだが それを 医療関係者は受け止める余裕が 現在の医療界にはないようだ。 Drはとうとう 最後まで私を診ず 画面を診たままで 診察が終った。よほど私が嫌いなのかと思ったら そうでなく誰にでもで 私の主治医だけでなく、そんな医者が増えたらしい。 患者を直接診るよりも、血液 尿 透視その他の検査値の方から診断する方がよいらしい。 そのためか 4月TV番組に ドクターG なる番組がにぎにぎしく登場した。 番組では 患者の訴えを良く聞きとっているけれども 現実では どうか。 診断も専門化して 自分の専門以外には眼を向けないと言うか 判らないようだ。だから 検査を毎月していても見落としがあるらしい。 コンピューターもいいけど 生きた人間を見てよ ドクター。 こっちを診てよDr
2010.04.06
コメント(2)
甘い甘い 砂糖 この頃は 砂糖は 肥満や糖尿病など 身体に悪いと 特に白砂糖はよくないと言われますけど それ 本当?
2010.04.04
コメント(2)
「暑さ寒さも彼岸まで」 と云いますが 今日昨日の陽気の温かさは 本当に昔の人はよく自然を観察していたのだと感心しました。 また「彼岸の小鳥殺し」とも云い 彼岸の頃に寒波や天候の荒れも言い伝えました。 そういえば TVで明日から 荒れがあると 予報をしてました。 彼岸の荒れが終れば 普通タイヤに交換しましょう。 今日 3時間かけて小豆を炊きました。明日の牡丹餅の用意です。わたくしの餡は甘すぎるとの評判ですが、中には まだ砂糖を振りかけて食べる人もいます。 春の彼岸は 「牡丹餅」 秋の彼岸は「おはぎ」 春は牡丹 秋は萩 の花が咲くからとか 漉し餡と粒餡の違いだとか どちらでも良いのですけど・・・ そのほかに キナコ 黒ゴマ とありますね。我が家は 小豆一辺倒です。 土筆が沢山生え出しましたし、ふきのとう が見つかりました。連翹、コブシ、土手には菜の花 河原大根 の花が咲き出しました。 これから 美しい季節が始まりますね。 でも 黄砂で大変です。黄砂がひどいと呼吸器もやられますね。咳が止みません。 西行のように ゆきゆきて 花の野辺で誰にも知られずに死にたいなあ と フト思います。 でも後が大変ですよね 生まれるのも大変だけど 死ぬのも大ごとですね。 変なこと書きました お許しください。
2010.03.20
コメント(4)
東大寺二月堂で行なわれている修二会は 12日深夜(13日1時半)若狭の井から十一面観音様に捧げる「お香水」を汲むお水取りがクライマックスを迎えました。 修二会は 平安勝宝4年(752年) 東大寺開山 良弁僧正の高弟 忠恵和尚によって始められ、1度として途絶えることなく続けられて 今年で1259回めの お水取りが 無事行なわれたのです。 関西地方では お水取り が終ると 春が来ると 言い伝えます。昨日今日の陽気は正にその通りですね。 土手に土筆が出ていました。木々も芽吹きの気配が感じられます。 今日は14日は ホワイトディ でしたが すっかり忘れていました。
2010.03.14
コメント(2)
昨日から寒波が襲い 冬にもどりました。 今朝の気象予報は1日 雪 荒れる天候のようです。 気象予報は あまり当らないことが多かったのですが、この数日はよく当ります。 人との挨拶も、「予報があたりましたねえ」 「この頃よく当りますなあ」 年寄りは、今年の旧(旧暦)は年内立春の年だから、天気もおかしいのだと云います。 2010年は2月14日が旧暦1月1日です。 立春は2月4日 旧暦12月21日 になります。正月前に立春が来ることを「年内立春」と云い、正月の後の立春を「新年立春」と言うそうです。 今年は旧暦で「年内立春」の年にあたります。年内立春はめったにない年のように思うのは、旧暦が過去のものになったからでしょうか。 古今集 冒頭の歌に ふるとしに春たちける日よめる 在原元方 年の内に春は来にけり ひととせを こぞとや言はむ 今年とや言はむ ( 旧年の内に立春が来た。正月にならないうちに春が来たが、同じ今年一年を 去年と言おうか 今年と言おか ) 大意はこんなところですか。 春を迎えた喜びの中にフト湧いた当惑 と佐伯梅友先生は解説されてます。 この歌の 為か 「年内立春」はめったにない珍しい年のように思い込んでしまいましたが、なあに 2年~3年に1回は巡ってくきます。そうすると、天候不良も当てになりませんね。 言い伝えでは「彼岸の小鳥殺し」と言って 彼岸頃に荒天になることが多いと今年の 彼岸の入りは 18日です。旧 2月3日に当ります。
2010.03.10
コメント(4)
長らく 休んでしまいました。皆様 お変わりのないご様子 なによりと お喜び申し上げます。 私 昨年九月頃から 体の調子が悪かったのですが無理を重ねているうちに、年末に 体が動かなくなり、正月四日病院が始まるのを待ちかねて診察 即 入院。十五年来の持病の再発でした。これで4度目になります。 年末年始の休みだろうが 何故早く診察に来なかった と主治医に怒られました。 全身浮腫、胸水 腹水で、安静、一日1760Caのl治療食(Dr曰く 粗食)をたべ 水分制限 1000cc 酸素吸入が2週間続いた 利尿剤 とステロイドを増量して治療しました。 お陰で 症状も軽くなり 入院時 96キロに膨らんでた体重が83キロになり、尿中のタンパクもマイナス、血液検査値も よくなっているので退院して 自宅療養が許可されました 今度は 自己管理で規則正しい生活と 制限カロリー 制限水分(1200cc)の摂取 (う~ん これが難しい )を守らなくてはなりません。 咽喉もと過ぎればなんとやらで 元気になれば また無茶をやりかねません。 無理をしないで また 皆様のブログを読ませていただきます。 まずは 退院のご挨拶まで
2010.03.05
コメント(8)
寒中お見舞い申し上げます 皆様 おそろいで新年を迎えられたこととお喜び申し上げます おそくなりましたが年頭のご挨拶を 皆様のご多幸とご発展を祈念いたします 私 新年早々 全身浮腫で緊急入院し 今日一時帰宅 すぐ又病院に帰らねばなりません まだ胸と腹に水が溜まっていて 呼吸が困難です 酸素吸入を続けています 元気になり 帰宅しましたらまたよろしく帰院の時間になりました 皆様 ごきげんよう
2010.01.17
コメント(4)
いろいろあった今年もあと僅かとなりました。 窓の外は雪が霏々と降っています。まるで民話の後隠しの雪のように。 嫌なこと、辛かったこと、悲しいこと、様々な思い出を忘れさせ新しい年を迎えるため の雪 化粧をするかのようです。 今年一年 拙い文をお読み頂き感謝いたしております。来年もまたご厚誼のほど宜しくお願いいたします。 雪は幸(ゆき)なり 幸は幸いなりと北国の人は云います。 新しい年は、あなた様に今日降る雪のように幸せが次々と降り積もりますように祈っております。
2009.12.31
コメント(2)
1、自ら活動して他を動かしむるは水なり 1、常に己の進路を求めて止まざるは水なり 1、障害にあいて、激して努力を倍加するは水なり 1、自ら深くして、他の汚濁を洗い、清濁あわせ入るは水なり 1、洋々として大洋を充たし、発しては蒸気となり、雲となり、雨となり、雪と変 じ霰と化し、擬しては玲瓏たる鏡となり、しかもその性を失わざるは水なり 黒田如水の言とか聞くが確かならず
2009.12.19
コメント(2)
人生は素晴らしい。あなたも人生と同じように素晴らしい。 「天井桟敷の人々」 マルセル・カルネ監督
2009.12.17
コメント(2)
「生き様」 死様から類推されて使われだした言葉。死様は徒然草にも出てくる昔からの言葉。「生き様」は広辞苑第5版(1998年11月)には出ている。第3版にはない。第4版(1991年11月刊)はいま手元にないから不明。文筆に携わるもの、一流の報道関係者などは使わなかった。今では評論家、学者 あのアナウンサーまで使っている。市民権を得たかも知れないが、私は嫌いだ。 「地球にやさしい・・・」 アホか 地球の寄生虫のような人間が、地球にやさしい など おこがましい。 「エコ エコ」 濁点つけてみ エゴ エゴ 今日はこれぐらい どうにかならないものか NHKTVの「????二十歳・」五月蝿くてかなわんそんなもんのために聴視料金をはらっとらん。
2009.12.16
コメント(4)
♪ 風吹けば あなたを 雨降れば あなたを いつの日も あなたを 想っている 私ひとりの 私ひとりの 昨日も 今日も そして明日も 村下 孝蔵 作詞作曲 とまりぎ から
2009.12.13
コメント(2)
昨晩 ユー チューブを彷徨っていたら 「初恋」のタイトルに眼が留まった。背広にネクタイ、実直そうな中年の男の人がギターを奏で(素人の投稿かと一瞬思ったが)歌声を耳にした途端 心臓を掴まれてしまった。 初恋はよく耳にして好きであったが 歌手 村下孝蔵の 作詞・作曲の名曲と初めて知った次第。そもそも、村下孝蔵なる歌手が居たことすら知らない。地味な歌手であったのだろう。踊り子 ゆうこ レンガ通り 少女 等等 歌詞 曲 歌声が胸に沁みる。 もう忘れていた少年の頃の憧れが、甘酸っぱい思い出が甦って次々と聞き入ってしまった。 1999年に46歳でなくなったとのこと。ギターが凄い。歌声がまた切々として胸に迫る。ああこんな素敵な歌手が居たのだともっと前から聞いていたらなあ生きている時に知りたかったなあ。 ♪ 好きだよと言えず 初恋は ふりこ細工の心・・・
2009.12.10
コメント(4)
68年前 1941年12月8日未明 真珠湾攻撃 ニイタカヤマノボレ忘れること出来ない。日本の不幸の始まりであった。 真珠湾奇襲攻撃の真実は? 9.11 の真実は?
2009.12.08
コメント(4)
昨日のことである。業務用スーパーでリンゴの品定めをしていた。自動扉が開き、客が出て行く入れ違いになにやら黒いものが、かさかさと右足のサンダるに止まった。風に吹かれた落ち葉かと、目を凝らすと、小鳥ではないか。小鳥は左のサンダルに止まりすぐパタパタと羽ばたきながら床と商品台の際を奥へ。飛び上がる元気もないようだ。 気付いた客が小鳥 小鳥と云いながら手を出すが、小鳥は必死で、牛乳やバターなどの冷蔵庫のなかや 商品ケースの隙間と逃げ回りなかなかつかまらない。ようやく捕まえたら、鶯であった。相当弱っていた。 客や店員が「これが鶯か」「へー初めて見た」と珍しそうに見るが誰も手を出さない。しかたがない捕まえた私が逃がしに持っていくことになった。セーターの中に入れ外に出てあたりを見渡すと、コンクリートの建物ばかりで緑がない。200メートルばかり先に小さな神社の社叢が見えた。そこまで行き懐から鶯を取り出し、ツバキの小枝に止まらせたがすぐ下に降り落ち葉を踏んで奥の方に姿を隠していった。またスーパーへ戻ったのだが。実は数日前に階段で右ひざをくじき、歩行が困難で痛みがぶり返した。 不思議なのはどうして鶯が弱ったとはいえスーパーに飛び込んできたのか。百舌鳥かカラスに追われコンクリートジャングルに迷いこみ風に吹かれる落ち葉の様に自動扉の開いた瞬間に飛び込み他の人でなく私の足の上に止まったのか。何か運命的なものを感じる。これがロシアなどの童話だったらどうだろう。 ・・・次いで自動扉が開き一陣の風とともに黒猫が入ってきた。小鳥は魔法をかけられた王女様で・・・ それにしても小鳥の名前を知らないこと。さすが雀はなかったがメジロ ホオジロ ヒヨドリなど、詳しい人が聞けば嘆くことであろう。しかし、それだけ自然が街中から無くなっているのかもしれない。昔は色々な小鳥が身近にいた。今頃はレンジャクが群れをなして渡ってきたがいつ頃からか見えなくなった。そのことを疑問に思わなくなった人々の感性が不気味である。 昨日は何か心が楽しかった。
2009.11.28
コメント(2)
昨日のことである。植木屋との雑談で、トンボのことが話題になった。 昨年は三回ほど見、今年は全然見ないと言うと、植木屋はどこの地区でも トンボは見ないし、見ても数は少ないと言う。種類も少ないそうだ。 女郎蜘蛛が多くなった。他の種類の蜘蛛が少ない。また イラガの幼虫が多くて、さされて困る、体中さされて病院にいったという。熱が出ましたぜ、一つや二つなら我慢しますけど よほどだったらしい。子供の時柿の木に登って刺された痛みの記憶が甦った。今刺されたらショックで心臓が止まるかもしれない。 今年はセミの鳴き声が少なかったが、お宅はセミの抜け殻が多いですぜと植木屋は言ってくれたが我が家では除草剤や殺虫剤を使わないからかな。 午後からの年寄りの会合で、同じように赤とんぼの姿を見かけない話になった。赤とんぼだけでなく、塩辛トンボ、かとりトンボ ギンヤンマ オニヤンマなど昔トンボもいないな、そうい言えば、蚊柱も見ない。蛙が少なくなった。田圃の水干しが早くなって お玉じゃくしが後足が出たまま 一杯干からびて死んでしまってる。 蛙と言えば 蛇も見かけんな、そういや 雀が少なくなった替わりに カラスが多くなったぞあいつは頭がいいからとトンビを追いかけて追い払いトンビがすくなくなった話など身の回りの異変の話になった。 トンボもかえるも蚊も水がなければ繁殖できない。豊かだった田園風景がいつの間にか変わってきたことに関係があるのかもしれない。 異変を作り出したのは 我々人間だな と 話が落ち着いたところでお開きになった。 皆さんのところでは 赤とんぼ 見ますか? 蛙いますか トノサマガエルシマヘビ見なくなってひさしいです。
2009.10.10
コメント(6)
用あって久し振りに友人を尋ねた。 かっては豊かな穀倉地帯で見渡す限り稲穂が実っていたのだが、宅地造成・大型店舗 卸団地などアチラ コチラと虫食いのようになっていた。 友人の地区は古くからの由緒ある地域であるが、そこに行く一本道の両側の田圃を見て声も出なかった。稗や雑草の中に貧弱な稲穂が見えるのだ。初めは減反の不耕作地かと思ったのだが、そうでもないようだ。 友人の話では、ここも高齢化で、田を耕作する人手がない。10キロ先の農家に頼み耕作田植えはしてもらったが、草取りは自分達でするつもりでいたがもう体が動かない、そのままの田圃だそうだ。そんな田圃沢山あるという。 中山間地の僻地の話ではない。市街地に近い平野部の話である。子供達は大學卒業後は大都会で就職 帰っても来ない。老人ばかりになって70代はまだ若い方だそうだ。米を作っても、儲からないし、先祖からの田を手放すわけに行かない。大変だといっていた。 いつ頃からだろう、若者にとって農業が、林業が、漁業が魅力のな産業になったのは。 農業高校、林業高校 水産高校 が次々と統合し授業内容を変えていく。少子化のあおりや時代の変容に伴う社会の要請にこたえているのであろうが農業の経験もない成績だけで農水省の役人になった連中が、仕事がないから組合活動をして暇つぶし、汚染米の件も不正に目を瞑り、そしてお咎めなしとしか思えん軽い処分ですまし、トップは政権交代を見越してさっさっと天下り。ロンドンパリの大臣はもっ体つけてモタモタいうけど、結局何も出来ない無能力者だという証明だけであった。 歴代大臣初め役人は、国の食を守り育てるという職責を全うしていなかったことが、この農業の荒廃を招いたのではないか。 いつか 臍を噛むことになると思うけど。 今 職がない青少年、中壮年 を組織して 農業 支援隊を作って農業をてつだっては と空想する。賃金は標準より高くして募集してはどうか。しかし肉体労働していない体には最初は辛いだろうけど、やがて労働の楽しさにめざめる。落伍するものはそれでまた別の道を考えて。戦時中 報国農業隊 中学女学校の生徒が勤労奉仕したことを思い出した。 あの草だらけの一面の田圃はどうするのだろう。弥生時代のように草の中から稲穂だけを摘み取り収穫するのかなあ。 台風の近づくニュースを聞きながらこれからの日本の食を思った。
2009.10.07
コメント(4)
目を開くと 私には景色が見える 目を閉ざすと 私にはお前の顔が見える フイリップ・シャヴ・アネックス 訳 堀口大學
2009.09.30
コメント(0)
女流作家の言葉であったと思う。「人生恋すれば愁い多し」 昔々 女友達にそれを云ったところ、彼女すかさず「恋せざるもまた愁い多し よ」と返されて 皆で大笑いしたが。あの頃は何の愁いも心配もなかった。 「別れの朝」はペドロ&カプリシャスのボーカルであった高橋真梨子が本家本元と長年信じていた。テレサテンが歌おうが、朱里えいこが歌おうが、世良公則が唸ろうが、高橋真梨子が一番だと思っていた。 最も某化粧品のCMで、鶴田一郎描く切れ長の眼の美人画と世良の歌はよくマッチしてよかった。 最近 「別れの朝」はペドロ&カプリシャスの初代ボーカル前野曜子が歌いヒットし一躍世に広まったことを知った。前野曜子と言う歌手がいたことなど知らなかった私はその頃何に熱中していたのだろう。 今でも熱烈なフアンが大勢居るのには驚いた。小学生の頃から憧れの歌手であったとか、その美しさが忘れられないとか 多くの人の心の中に彼女は今も生き続けている。「前野曜子伝説の歌姫資料館」は必見。また「前野曜子について 合理的な愚か者の好奇心」さんに寄せられたコメントも熱い思いが伝わるレコード CD、映像を探し続け発掘してる方などの努力で 最近YouTubeで前野曜子の映像や歌が視聴できるのは 有り難い。(参考にさせていただいた。謝してここに記す) 命日の7月31日には「曜子忌」が営まれ、フアンが益々増えていくのは、曜子フアンの一人として悦ばしい。 生きていれば、1948年1月25日生まれの彼女は、今年は61歳になる。1988年7月31日 肝臓病の為入院中 心不全で死去。享年40歳。墓所は不明。 高橋真梨子はが「別れの朝」を初めて歌ったのは、前野曜子が死去して相当の年月が経ってからであったという。それまでは、ペドロ&カプリシャス 初代ボーカリスト前野のオリジナルとして歌わなかったそうだ。今では高橋の代表歌の一つになっているけれど。そこに高橋としての礼節を感じる。 「別れの歌」を私なりに聞き比べてみると。 高橋真梨子の歌からは、列車が見えなくなれば クルリときびすを返して颯爽と、歩みさって行くような女性の姿が感じられる。 前野曜子のそれは、特に1983年最後映像からは、列車が見えなくなると 堪えていた嗚咽を漏らしながら崩れ折れるのではないかと思わせるハスキーな歌声が心に沁みる。最後に、こちらを見詰めるつぶらな瞳は、彼女のそれからの人生を想う時胸が痛む。ああ、生きている彼女にあいたかったなあ。うーん そうなれば 人生恋すれば・・・ 愁い多い日々を送ったかな。
2009.09.23
コメント(3)
彼岸です。 猫の額のような我が庭にも彼岸花が咲きました。本当にこの花は不思議な花ですねえ。名前の通り彼岸の頃咲き出します。しかも日本全国一斉にさくのですから。彼岸花前線など云いません。 先週だったか、山ノ神が 彼岸花 出てきたよ と言うのでみると彼岸花の花茎 がスーと伸びてその先に花穂がついていました。今日はその うちの二つばかりが開きはじめました。 彼岸花は屋敷に植えると火事になると世間では嫌がりますが、私はこの花が好きです。 庭木と一緒にまぎれて生えてきて10数年経ちます。不思議なことに、別な箇所にも白い彼岸花が生えてきて不思議だなあと言っています。そこは土も木もいじっていないのですから。 屋敷に植えないと言うのは、彼岸花は花も茎も葉も球根も全部に毒があり、子供などが誤って口にしないようにとの配慮から言い伝えとなったのかも知れませんね。 彼岸花は種を結ばず、球根で増えます。古代 朝鮮半島から 稲作とともに伝えられ全国に広まったと言われます。墓場や田圃の畦 土手などに群生しています。彼岸花の生えてるところには。その毒のためミミズが居ない。それを食べるモグラが来ない。畦や土手にモグラが穴を開けないから水が漏らない。また墓は昔は土葬 犬やオオカミ狐など墓を掘り返さないため毒草の彼岸花を植えたとも言い伝えられます。 この花は、極楽に咲くと言われるマンジュシャゲ(曼珠沙華)を初めテクサレバナ、シビトバナ、地獄花、ユウレイバナ、捨て子花 狐の尻ふき、狐のかみそり などあまり良い名前はありませんが、全国では1000あまりもの異名があると云いますから驚きです。皆さんのところでは何と呼びますか。「はしらずはなしらず」とも云いますけど、花が咲くときには葉は有りません。花が枯れると、葉が出てきます。韓国ではそれで「相思花」と言うそうです。花は葉を想い葉は花を想う というのだそうでうですが。「落花流水」と同様 趣のある名前ですね。 彼岸花は毒草で有りますが 薬にもなり、また貴重な救飢食料でもありました。戦時中球根を掘り出し供出した、毒抜きした澱粉を供出したと云います。弟が高熱を出したときは、母が墓場から 球根を掘り出し、すりつぶして、足の裏にはり熱を取ってたことを覚えています。膝の水を取るにも良く利くといってました。 明日は彼岸の中日です。 彼岸の行事は日本だけと聞きますが、お花を供えにいってきます。
2009.09.20
コメント(2)
ある日突然神様から 三つの願いを叶えてやると言われたら 貴方はなにを願いますか? 5年前に ニューヨークのハーレムでこんな事件が起きました。黒人の浮浪者の前に、いきなり神様が現れて、三つの願いを叶えてやるといわれた。と稀代の語り部、若くして惜しまれながらこの世を去った米原万里さんの最初で最後の爆笑講演の中のお話です。 彼は迷うことなく次のように叫んだそうです。「白くなりたい。」「女達の話題の種になりたい。」「いつも女の股ぐらに居たい。」すると たちまち男の姿は消え去り・・・ 男は何に変身したのでしょう。 想像してみてください。 三つでなくても 一つでいいから、願いを叶えてもらえたらなあ。苦しい時の神頼み ですか。
2009.09.18
コメント(1)
高熱で臥せっている間に世間はすっかりと変わってしまいました。宇宙人 鳩山さんの顔つきが精悍になり、眼光が厳しくなったなあと思います。霞が関の掌を返したような対応や慌てふためくキャリアの去就や、外国のわが国への視線にこれまでと違ったものを感じます。万年ポチでないことを示して欲しい。それにしても産業界の炭酸ガス25%削減に対する恫喝とも思える反対論は情けない。日本の技術力を発揮できるチャンスではないか、そのための研究で世界をリードすればと思うし出来る。それには教育かなあ。 新政権は短命だ、どうだああだと 評論家 学者がマスコミに煽られて話してるが、十六日には180度日本が変わるはずはない。敗軍の将麻生太郎氏の祖父、葉巻と白足袋の宰相 吉田茂氏は「曲学阿世の輩」と切り捨てたが正にその通りだなあと思いますよ。 PCを開いたら 「小雪の角ハイの作り方」 が眼にとまった。角ハイとは角瓶で作るハイボールのことなんですね。「小雪」と言う角瓶でなく 女優さんとは。昔は角瓶は高級ウイスキーで、アンクルトムのトリスを飲んでハワイに行こうの時代でした。トリスも呑めない時はオーシャンウイスキーを飲んでたなあ。ハイボールなんか飲まなかった。ハイボールの次が水割りで、またハイボールの復活ですか。 豚児にこれ知ってるか と聞けば ああ 注文編もあるよ、小雪は嫁さんに似てると皆に言われると 鼻の下を長くした。 そうか、何処かで見た顔だと思ったが。 バックコーラス は「ウイスキーはお好きでしょ」 何人かの歌手が歌ってるけど石川さゆりさんのが好きで、いろいろ見てると、2000年のBSで石川さゆりが古田りんずのピアノで即興のデュオが良かった。りんずさんが大きな眼で本当に大きな眼で微笑みながら ウイスキーは飲めないんです と云いながら ポロポロンと最初の旋律を弾いて デュオになったが 最後の♪あなたは忘れたでしょ 愛しあったことを ♪ 大人の情感の籠った歌声と眼差し。そしてそれに余韻を添えるピアノの音 りんずさんの眼が素敵で毎日見てました。ところが、何か違反があったとかで削除されて観れなくなりました。残念です「古田りんず」で検索しても出てきません。鍵盤楽器を演奏する人らしいが。もう1度見たいし聞きたい「ウイスキーはお好きでしょ」でした。 今朝 9月13日 古田りんず石川さゆりデュオ で見ますと 有りましたありました。前回とは違いますが映像が出てきました。うれしかったですねえ。しかし これでおまんまを食べてるプロはすごいですねえ。その場で即興で音をあわせて歌を盛り上げるのですから。古田りんずさんは他にシンセサイザーでグループを組んでいるらしい。きっと将来伸びる演奏者になると思いますよ。
2009.09.12
コメント(2)
今日は9が三つ続く日で、1000年に1度の日。「銀河鉄道999」の鉄道切符が売り出され行列ができ瞬く間に売り切れたとかヘッドに999をつけた特別蒸気機関車が静岡を走ったとかニュースに出ました。 朝 病院に行く前 「重陽の日」だから どこか高いところに登ろうか と山の神に言って陋屋を出ました。 病院では、治ったと告げられ、2ヶ月の苦しみが終りました。 帰ると丁度お昼前、お弁当を作って待ていた山の神と、思い出の近くのお城山に向かいました。 五十年前若い二人がよく登った道は荒れていました。代わりに通行禁止だった昔のお城時代の登城石段が改修されて新しい登山路になっていました。 二の丸の物見櫓跡から見ると眼下の街は50年前とすっかり様子が変わっていました。高いマンションがあちこちと建ち、穀倉地帯と言われた田畑は住宅になり変わっていました。 油蝉やミンミン蝉の鳴き声に混じってカナカナが秋の訪れを告げていました。森の木の葉は少し色づきかけていました。 ツバメが飛ぶ姿を見ながらおにぎりを食べ、元気ならお酒も呑んだのに珈琲で、乾杯しました。 帰りは石段を降りたのですが、山ノ神は、私を支えに一歩一歩おぼつかなく降り お互い寄る年波を否応なく気付かされました。 気持ちは若いのだけどあ。 古く中国では、「重陽」の行事があったといいます。 九は陽つまり陰陽の陽の数。しかも九は最高の数 最高の陽の九が重なるので「重陽の節句」 旧暦九月九日を(今年は10月26日)年中行事の一つとて親族知人一同揃って近くの山に登り、赤いグミの実を髪に挿し酒宴を開いたといいます。それが「登高」 中国の留学生達に聞いてみたけど誰も知らなかった。今では廃れてしまった年中行事なのでしょうか。 杜甫の「登高」の詩 好きです。吉川幸次郎先生の訳で 登 高 高きに登りて風急天高猿嘯哀 風は急に天は高くして猿の嘯くこと哀し渚清沙白鳥飛廻 渚は清く沙(すな)は白くして鳥の飛ぶこと廻る無邊落木蕭蕭下 無邊(むへん)の落木蕭蕭(しょうしょう)として下( お)ち不盡長江滾滾来 不 盡の長江は滾滾(こんこん)として来たる萬里悲秋常作客 萬里 秋を悲しみて常に客(たびびと)となり百年多病獨登台 百年の多病(たへい)獨り台に登る艱難苦恨繁霜鬢 艱難苦(はなは)だ恨む 繁霜(はんそう)の鬢
2009.09.09
コメント(4)
記録的豪雨山崩れでしたね。災害はまだ続くのでしょうか。その前には北海道大雪山の夏山遭難。亡くなられた方々、災害に遭われたかたがたに心からお悔やみ申し上げます。 今年は自然界に何か異様なことが多い様な気がします。 戻り梅雨の豪雨とだけはいえない雨量 確か260年ぶりとか読みました。気候温暖化も影響してるのでしょうね。 セミは今年は少ないのではないかと 思えます。ミンミンゼミの鳴き声は少ない。油蝉はこれからでしょう。ただおかしいことが有りまして、昨夕雨の止み間に、カナカナ(ヒグラシ)が鳴きました。7月ですこの地方では8月末頃から鳴き始めるのですが 1ヶ月も早く鳴くとはこんなこと初めてだねえと家内と話し合ったのです。 カナカナの声で秋の訪れを感じたものでしたが、私達にも人生の黄昏が迫ってきたことを、カナカナは一足早く教えてくれたのかも知れません。それにしても、麻生首相の25日の「高齢者は働くことしか才能がない云々」は失礼ではないか。思えば腹が煮えくり返る。8月30日の投票結果が待ち遠しい
2009.07.26
コメント(3)
昨日の日蝕 曇天で見られなかったのは残念です。 豪雨の災害にあわれた方々 心からお見舞い申しあげます。 サテ、 お薦め ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女 上下 スティグ・ラーソン著 ヘレンハルメ美穂 岩澤雅利 訳 早川書房 戸塚教授の「科学入門」 戸塚洋二著 講談社 ご挨拶 佐倉住嘉 文芸春秋社
2009.07.23
コメント(0)
一昨日 庭で家内がセミの抜け殻が一杯あるよと 教えてくれた。今朝 じーじぃーと耳鳴りに混ざってセミの鳴き声を聞いた。耳を澄ますと、確かにセミの声である。それは日が昇るにつれ 数をました。或いはセミはもっと早くから鳴いていたのかも知れぬ。耳鳴りと混じって聞き取れなかったのかも知れない。今日をセミの初鳴きの日としよう。 ルッコラの若芽の上で足長蜂が何かしている。よく見ると、青虫を捕らえ肉団 子を作っているのだ。ルッコラの新芽に虫食いの跡があるがこの青虫だったか? 蜂はこちらに気付き虫を抱えたまま飛んでいってしまった。まだ青虫はルッコラの茂みにおるのであろう。明日も足長蜂や寄生蜂がきますように。 イチジクが熟した。去年は熟すと小鳥が突き、蜂や,カナブンなどが食べ満足に口に入らなかった。 今年はイチジクのどの木もこぶし大の実をつけた。こんなに大きな実は初めてだ。味は大味だが、砂糖煮にすれば美味しいコンポートが出来るであろう。 そういえば、今年は小鳥の姿が見えない。虫も少ない。フェンネルの華が咲けばいつもカメムシの一種赤い虫が一杯集まって来るが、今年はまだ見えない。 何か自然界はおかしなことが始まっているのではないかと思う。
2009.07.14
コメント(6)
老年とは、かっては、一晩じゅうやっていたことを、一晩じゅうかかってやる、ということである。
2009.07.11
コメント(2)
うすのろのサムが初夜のベッドにはいったが、花嫁に手も触れないでいた。花嫁は痺れを切らしてサムにささやいた。「ねえ あなた、 足が寒いの。」 サムはタオルを持ってきてかけた。「ねえ あなた 肩もさむいわ。」 サムはまたタオルをもってきた。 花嫁はとうとう爆発してしまった。「男だったら知らないはずは無いでしょ。私の股の間には、穴があるのよ!」「ああ、そこから隙間風が入るのだね」
2009.07.09
コメント(1)
教会で厳かに結婚式が執り行われていました。式も半ばを過ぎ、いよいよ指輪の交換という段になった。 上がりぱなしの花婿は指輪出すのをすっかり忘れてしまっていた。 やきもきした司祭は、指で輪をつくり、反対の手の指にはめるまねををして、しきりに花婿に目配せをした。 それを見た花婿。はっとなったがやがて司祭にささやき返した。「神父さん、今夜ですよ、今夜」
2009.07.09
コメント(2)
今日は不思議なことを生まれて初めて見ました。ご存知の方は教えていただきたいのです。 日本海のイカ漁がはじまりました。今日のスーパーの鮮魚売り場には、今獲れの新鮮なイカが並んでいました。足の吸盤が吸い付きます。スルメイカ、白イカ何れもお刺身用です。普段は高い白イカが20センチほどの小さいのですが一ぱい160円です。スルメイカは30センチほどで1パイ150円。迷いましたが奮発して白イカ2はいを買いました。普段はスルメイカを買っています。白イカは高級品で高価なのですが今日は安い。 夕食の準備にかかってた山の神が、呼びますので行きますと、足を抜かれ足と一緒に内臓も出ていますが、なんと 大きなといっても15センチほどの鯵が一匹 丸ごとゴロンと出ているのです。もう一つのイカも同じような大きさの鯵を飲み込んでました。道理で丸々としていたはずです。 どうして自分の体ほどもある鯵を飲み込んだのでしょう。そこが不思議なのです。イカやタコは足の根元に口がありその口をぐるりと囲んで足があるのです。口にはカラス・トンビと言ってるくちばしがあってそれで獲物を細かく噛み砕いて食べるのだろうと思っていました。カラス・トンビはスルメイカはこげ茶で硬く シロイカは色は薄く柔らかいのですが。 今までイカが食べてる餌のこと考えてもみなかった。口は親指の頭ぐらいの大きさの中にカラストンビのくちばしがあるのですが、それで噛み砕いた様子はありません。そういえば、鱈など、魚丸呑みしてます。10本の足で魚を捕らえ頭から口にぐいぐい押し込むのでしょうか。それにしてもあの小さな口がグワアと開いて頭から獲物を呑み込むのでしょうかね。で消化し吸収した後のカスはどうして出すのでしょう。 蛇が蛙や鼠 卵を呑み込むはみた事がありますが、顎を外して呑み込んでいくのですね。丸呑みです。あれで味はわかるのでしょうか。かって鶏をほとんどの農家で飼っていた時に蛇除けに、卵の殻に穴を開け中身を出し、その後に塩を入れ穴を紙を張り置いておくと、蛇は卵と思って呑みます。殻が溶けたら大量の塩の為蛇は苦しんで卵を呑まなくなると言い伝えにありました。陶器の卵があって蛇よけと云いました。 イカがどうしてあの小さい口から大きな魚を呑みこむのでしょうか。トンビ・カラスのくちばしはどのような役目を持っているのでしょうか。どなたか 教えてください。
2009.07.06
コメント(0)
メキシコ人のゴンザレスにしつこく求婚されて困ったアメリカ娘が、母親と相談して、とうていかなえられないムリな要求を出して、このしつこい求婚者を追い払うことにした。 まず、現金で1千万ドルなければならず、熊の毛皮のような厚い胸毛持ち、その上ペニスは長さ30センチでなければならない。というのである。 ゴンザレスは、かなわぬ恋、と諦めざるをえなかった。 彼が言うのには「初めの二つは、どうということはない。問題は、最後の奴だ。たとえどんなに恋焦がれている女でも、5センチも切らなきゃダメだと言われちゃ、これはあきらめるしかないものな・・・。」
2009.07.05
コメント(0)
愛知らぬものは明日は愛せよ、愛知るものも、明日は愛せよ。 愛の女神ヴィーナスの祭りを寿ぐ歌は繰り返し歌われました。
2009.07.05
コメント(0)
今はデジタルカメラやカメラ付き携帯電話で誰でも簡単に写真を撮れますが、この「頭の体操」が書かれた40年ほど前は、フイルム写真機で、しかも白黒写真が主流でした。 被写体までの距離はカメラによっては目測。絞りとシャッタースピードはプロは露出計で測っていましたが、ほとんどは フイルムの説明書に簡単な表がありまして、快晴・晴れ・曇り・雨天 屋外・屋内の場合 時間は午前10時~午後3時 を標準に絞り8・シャッタースピード125 とか 季節が変われば絞りを一つ開けろ,絞れとか書いてありました。手っ取り早くカメラ屋に聞いたり写真の通に教えてもらったりして撮りました。そこで問題です。 第19日 問い クレタ島 (ギリシャ)大理石輝くクレタ島へは、カメラを持たずに行くと後悔する。というわけで、S氏も初めてカメラを買った。初心者の彼は、必ず雲一つ無い晴れた日の正午近くに撮るという条件で絞り、シャッターなどすべて合わせておいてもらった。ところがこの条件どおりに撮った写真の大半が、皆、夕方のように薄暗い写真になってしまった。これは何故か。無論写真屋が合わせ違えるとは考えられない。クレタ島をいつも(暮れた島)なのだ、などいうのも答えにならない。 解答 日食だった
2009.07.02
コメント(0)
調子に乗るんじゃない!とお叱りをうけるかなあ。 第11日 問 テヘラン(イラン) テヘランの城壁に囲まれた町の中に、高名な占星術師が住んでいた。ある男が、結婚のこと、仕事のこと、病気のことの三つを占ってもらうために訪ねると、入り口に「二問につき二千リアル(約一万円 昭和42年代)と書いてある。彼の所持金は二千五百リアルだった。高すぎると思い、「どんなに短くても一問とするか?」と聞くと「もちろん。」と言う。そこで、「どんなに長くても一問とするか?」ときくと「そのとおり。」と言う。そこで彼はもっとも有効な質問法をあれこれと考えたのだが、結局かれは、最初持ったきた問題の内、幾つ質問できたか?
2009.06.30
コメント(4)
本棚をゴソゴソしていたら懐かしい本がでてきました。光文社のKAPPA BOOKS 多胡 輝著 「頭の体操」第3集。昭和45年8月5日初版発行 同年9月5日54版発行第1集 第2集あわせて160万冊 当時のベストセラーですね。学校や勤め先でお互いに楽しみました。PCもゲーム機も無い時代でしたから。マッチ棒のクイズなどで喫茶店で何時間もねばりました。6本のマッチ棒で正三角形を4面作れとか,田の字から何本かマッチぼうを取り正方形を3つ作れ など(マッチ棒クイズで出ています)サテ 頭の体操第3集は80日間世界1周旅行で、この頃は世界旅行は庶民の夢。世界旅行家 兼高かおる氏の評がのっていました。値段250円はその頃は手ごろだったのかなあ。コーヒー一杯確か50円だったと思う。 さて、皆さん挑戦してみませんか。 第10日 問 バクダット 挿絵画家が直面した難問は、シンドバットが船出する海の、まっすぐな水平線をコンパスで描くことだった。もちろん、物差しなど使わず。コンパスもコンパス本来の使い方しかしないものとする。どうすればよいか。 解答 茶筒のような円筒形のものに紙を巻き、円筒の上底の中心にコンパスの針を立て円筒の側面にぐるりと円を描く。紙を外して平にすれば、直線が引けている。 出来なかった人に宿題 墨のついた筆1本で紙の上に綺麗な直線を引くにはどうすれば良いか? いかがでしたか。
2009.06.28
コメント(2)
全254件 (254件中 1-50件目)


![]()