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週末にかかる金曜日の夜中、右腰から下腹部にかけて強烈な痛みに襲われました。鎮痛薬が何とか効いたので、救急外来に行くのを止めて近所の内科医で見てもらったところ「尿路結石の疑いが濃厚」とのこと。どうやら石が管の中を転がっているらしく、尖った部分が管をこすると痛みが走るようです。今日も午前中激痛発作に襲われてベッドで身悶え。(おまけにこの連日の寒さでついに風邪を引いたらしく、喉鼻が絶不調…体力の衰えを身に染みて感じます。)亭主の健康問題はさておき、グスタフ・レオンハルトの訃報が流れて既に十日ほど経ちました。1928年5月30日生まれということで、享年八十三。丁度亭主の親に当たる世代ですから、大往生といったところでしょう。レオンハルトと言えば、古楽の世界では最も著名なハープシコード演奏家の一人でしたが、残念ながら亭主はそのライブ演奏に接する機会のないままでした。特に、昨年の5月末に来日すると分かった時には大分心が動いたのですが、貧乏暇なしであえなくコンサートには行かずじまい。レオンハルトと言われて亭主が思い出すものの一つに、彼がJ.S. バッハ役で登場した映画「アンナ・マグダレーナ・バッハの日記」があります。(今ではDVDで見ることができます。)まだ学生だった1985年、友人に誘われて見に行ったのですが、カツラをかぶっている若いレオンハルトがハープシコードに向かう様はとてもcool。その折に購入した映画のガイドブックは今でも亭主の本棚に飾られています。レオンハルトのレパートリは、J.S. バッハから始まって時代をどんどんさかのぼって行った感じで、その晩年にはほとんど17世紀以前の作品しか演奏しなかったように見えます。ガーディアン紙の追悼記事等を読むと、とても生真面目で禁欲的な演奏が身上だったようで、それが時としてネガティブな印象を与えることもあったとか。これは多分彼の性格から来ているのでしょう。レオンハルトがドメニコ・スカルラッティのような「陽気な気まぐれ」に満ちた音響世界にほとんど足を踏み入れなかった理由も、実はこの変にあるのではないかと推察しています。
2012年01月29日
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以前このブログでご紹介した森本恭正氏の著作「西洋音楽論」、書店で手に取ると、ピンク色のコシマキに書かれた「西洋音楽の本質はアフタービート。こんなシンプルな事実を今まで誰も教えてくれなかったのは何故?」という生物学者の福岡伸一氏による寸評が目に飛び込んできます。ここでアフタービートというのは4/4、2/4といった偶数拍子の二拍目/四拍目、あるいは3/4、3/8といった奇数拍子の後拍を指す和製英語で、正しくはアップビート(upbeat、上拍と訳されることもあり)を意味します。ロックやポピュラー系の音楽でこのupbeatにアクセントが置かれることはよく知られていますが、森本さんによると「ヨーロッパ音楽ではロック等に限らずクラッシック音楽でもupbeatにアクセントがある」とのこと。ちょっと目には「エーッ、ウッソ~?」と思いたくなる命題です。Upbeatと対になるのがdownbeat、これは「強拍」という訳語からして、こちらにアクセントがあるのが当然という感じです。もともとは指揮者が棒を振り下ろすことから来ているようですが、弦楽器のボウイングでフォルテは通常下げ弓(弓を上から下へ引く)なので、これともよく対応しています。Downbeatが強拍である以上、upbeatは当然弱拍、と思われがちなことは確か。ところが、この下げ弓とupbeatの関係について、森本氏の命題に関連して大変興味深い記述をL.モーツァルト「バイオリン奏法」(全音楽譜出版社、1974)の訳者による「まえがき」中に見つけましたので、今日はそれをご紹介しておきましょう。まえがき中の「この本を訳した理由」という見出し以下で、訳者の塚原哲夫氏は次のように語ります。数年前モーツァルトの交響曲40番を演奏したとき、借りて来たその古いパート譜についていた弓付けを見て、あの単純で美しい第1楽章の冒頭の弓付けが意外に複雑で、しかもいろいろなものがあることを知って驚いたのです。なかでも驚いたのは、アウフ・タクトである(*)を下弓で始める弓付けでした。とても嫌な気分でしたが上手な人に上手に弾かれると、そんなにおかしくもないのです。が、見ていると気持ちが悪い。そして、と聞こえてくるのです。とても天使の声には聞こえません。自然でないのです。何か指針になるものはないか、と思っている時手に入ったのが、モニュメントー不滅の著作といわれるこのレオポルドの《バイオリン奏法》でした。この後、訳者は友人のチェリストであるシュタルケルがちょうど来日した折にこの点について問い質し、アウフ・タクト(=「弱起」)の部分を上げ弓で弾くという答えを得て納得したと記しています。確かに「弓付け」という点ではそれでよいのかも知れませんが、それが強弱(あるいはアクセントの付け方)までも含めて正しいものなのか、森本氏の著作を読んだ後では自明ではない気もします。むしろ、この古いパート譜を使ったヴァイオリニストは、指揮者から最初のupbeatの音にアクセントを付けるよう要求されたが故に、それを下げ弓という形で注記したのかも知れません。ちなみに、森本さんの著作中では、upbeatにアクセントを置く実例として、有名なJ.S. バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ3番の冒頭を引き、ハイフェッツ等著名な演奏家がこの「弱起」の曲の最初の音を強めに弾いていることを指摘しています。亭主も早速ユーチューブで検索してみたところ、確かにハイフェッツは上げ弓でしたが、面白いことにミルシュテインは明白に下げ弓で演奏していました。こうして見ると、「弱起」という音楽用語自体が怪しくなってくる感じで、森本さんの主張には確かに何かがありそうです。
2012年01月22日
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「長い前打音」(C.P.E.バッハの分類で「可変的前打音)と呼ばれる装飾音について、レオポルト・モーツァルトが「バイオリン奏法」の中で「演奏者が余計な装飾音を付けないように用いるものである」という説明をしていることに驚いた亭主は、早速同時代人であるドメニコ・スカルラッティのソナタがこの点どうなっているのか気になり始めました。とはいえ、さすがの亭主も555曲すべてを調べるほどのヒマは持ち合わせないので、今日は偶然目にしたK.261の例を紹介しましょう。このソナタは、1753年に写譜されたヴェネチア手稿第IV巻に所収のソナタ第26番に相当します。まずはその前半中盤にあたる第23、および27小節目を見ると(下図)、下降音であることも含めまさに前々回ブログの例1と同じリズムのパターンです。これに対し、同じソナタの前半終わり近く、第37小節中では、下図のように十六分音符の下降音形があらわに書き出されており、しかもその第一音が前打音(矢印部分)で装飾されています。これは前々回ブログの例3そのものズバリの形をしています!残念ながら、これだけをもって「ドメニコが指示した上記23、27小節目の音形は37小節目のような装飾音を忌避するためのものである」と断定するには論理的な飛躍があります。しかしながら、上記二つの譜例は同一のソナタの中から採って来たものですから、作曲者がよほどの気まぐれを起こさない限り、ある一貫した記譜法に基づいて音符を書いていると想像できます。ちなみに、R.カークパトリックの著作でドメニコの装飾音について扱った付録IVを再読してみると、ドメニコが二種類の前打音を使い分けていたことは確かなようで、ここで紹介したK.261の第27小節目を含む部分も例17として取り上げられていますが、第37小節目との対比については触れられていません。ついでに、並みいる現代の演奏家達がこの部分(第27小節目)をどう演奏しているか確認したところ、スコット・ロスとピエール・アンタイは慣例に従い十六分音符二等分(前々回ブログ例2の形)にして演奏していたのに対し、意外にもピーター・ヤン・ベルダーは譜面通り「短い前打音」として扱っていました。ベルダーの演奏がレオポルト・モーツァルトの記述の意味をふまえてのものかどうか、興味があるところです。いずれにせよ、亭主は今後ドメニコのソナタに出てくる「長い前打音」を、ある程度確信を持って弾くことが出来るような気がしてきました。
2012年01月15日
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先週(元日)、森本恭正氏の著作「西洋音楽論」の中にある「装飾を回避するための『装飾音』」という衝撃的な記事をご紹介しましたが、その真偽をこの目で確かめるべく、早速レオポルト・モーツァルトの著作「バイオリン奏法」(塚原哲夫訳、全音楽譜出版社、1974)を取り寄せて眺めてみました注)。問題の記述は第9章「前打音とそれに属する装飾音について」、冒頭近くの§2のところに出てきます。前打音には長いものと短いものの二種類あり、前者にはさらに二種類あって、4、8,16分音符の前にある前打音は次にある音符と二等分の音価があることを譜例(下図)を示しながら説明した後、次のように書き記しています。「確かに、全ての下降前打音は普通の音符で書き、拍に当てはめることができます。しかし、前打音で書かれているということを知らなかったり、全ての音を装飾するのに慣れてしまったバイオリニストがそのようなものに出会ったら、ハーモニーやメロディーはどうなるでしょうか。そのようなバイオリニストはきっともう1つの長い前打音を加えて、次のように弾くこと請け合いです:このようなものは決して自然には聞こえず、大げさで、乱雑に聞こえるだけです。初心者がいともたやすくこのような間違いを習得するのは非常に残念なことです。」(pp.144)この直後に本文は節が改まり、記述はもう一種類の長い前打音の説明に移ってしまいますが、上記の文章が意味するところは確かに森本氏の著作にある通りに読めます。これを読みながらすぐに想像できることとして、レオポルトが活躍していた18世紀中葉(この著作が出版されたのは1756年、著者三十七歳の頃)には、既に装飾音についての伝統が廃れつつあったのではないかという状況が挙げられます。装飾音というものはもともと即興性が強く、それを正確に譜面に書き記すという思考から最も遠いものに思われます。(例外としてよく引き合いに出されるフランスの鍵盤音楽ですら、譜面上の等拍に付点があるかのように弾く「イネガル(notes in?gales)」という装飾的な「お作法」があります。)18世紀になって作曲家と演奏家の分業が進み始め、作曲家としてだけでなく演奏家としても時代の「よき趣味」を体現していた17世紀以前の「音楽家」の伝統が徐々に揺らぎ始めたことが、レオポルトに上記のような文章を書かせる動機の一つになったのではないでしょうか。さて、亭主にとり俄然気になってくるのは、「装飾を回避するための『装飾音』」とスカルラッティのソナタの関係ですが、たまたまハープシコードの譜面台の上で開いていたファディーニ版K.261の譜面を眺めているうちに、ある種の確信に至りました。が、長くなるので、これについてはまた後日。注) 塚原訳は近年絶版になったらしく、現在は同出版社から久保田慶一訳(2017)が入手可能。
2012年01月09日
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元日の昼下がり、先日本屋で行き当たった著作、「西洋音楽論」(森本恭正、光文社新書)を読み進むうちに、正月気分も吹き飛ぶような標題の記事を見つけました。モーツァルトの作品で遭遇する「装飾音」の弾き方について、多少とも先生についてピアノの「お稽古」をした方は次のように習ったことと思います。例えば、下図例1のように装飾音(前打音)の付いた八分音符+二つの十六分音符のスレーズが出て来たら、それは例2のように十六分音符四つと同じに弾くように、という風です。この「お約束」、亭主をはじめピアノの初心者は誰もが「だったら始めから例2のように書けばいいのに、何でわざわざこんなメンドーな記譜をするのかナ...」と不思議に思いつつ、「当時の習慣がそうだったから」という先生の一言で、そんなものかとギモンには封印し、言われるままに弾いていたことを思います。ところが、同書の著者が指摘するには、レオポルト・モーツァルトの「基礎的ヴァイオリン技法(邦訳:『バイオリン奏法』、全音)」という著作中には次のようなことが書かれているとのこと。曰く、「もし、ある音を装飾されたくなかったら、その音を装飾音として書き込め。装飾音にまた装飾を施す演奏家はいないから。」つまり、もし最初から例2のように書かれていたら、下図例3のように最初の十六分音符の前に装飾音を付けて演奏される可能性が出てくる、という訳です。言い換えれば、モーツァルトは「(例3のような)装飾を拒否するために装飾音を書いた」ということになります。これは単に目からウロコ、というよりは一大センセーションとも言うべきショックです。(著者の森本氏も「...ということは、モーツァルトが装飾を付けずに書いた音符は、原理的には、いくら装飾されても構わないと彼が考えていたのではないか。...私は激しく動揺した」と書いておられます。)パパ・モーツァルトと言えば文字通り18世紀を生きた同時代人の証人ですから、これこそは冒頭のギモンに対するまぎれもない正答なのでしょう。この4~5年というもの18世紀音楽にハマっている亭主は、装飾音についても素人なりに色々文献を読んでいたつもりですが、これほどの衝撃を受けたことはありません。今日以降、譜面の見方がまるっきり変わってしまいそうです。(D.スカルラッティのソナタにも、例1のような譜面は散見されますが、この場合にはどうなんでしょうか...)【送料無料】西洋音楽論
2012年01月01日
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