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先々週のブログに頂いたコメントが気になり、亭主もついに標題の映画が収まっているDVDをゲット。この週末、約30年前に映画館(アテネ・フランセ)で初めて見た時の仄かな記憶とともに見入っておりました。当時の亭主は、もちろん今のような古楽愛好者でもなく、映画に登場するレオンハルトについてもほとんど馴染みがない(…現在でも大差ないといえばそうですが…)状態だったので、大まかな感想としては「多少風変わりな」J.S.バッハの伝記映画という受け止めだったと記憶します。また、この映画鑑賞に誘ってくれた友人のような「映画狂」でもなかったので、どうやらこれが1960年代に芸術表現の世界で一世を風靡した「ミニマリズム」という美学的方法論(?)を実践した映画であるらしい、ということを、上映会場で買った小冊子を眺めて初めて知った、というわけでした。あれから幾星霜、亭主はいつの間にか古楽をこよなく愛する日曜ハープシコード奏者となり、映画に登場する音楽家や楽器について書かれた渡邊先生の解説とくびっ引きで映画のデティールを(時にはプレイバックしながら)120%楽しむことが出来るようになりました。しかしながら、一方でその当時に映画を見ながら感じた妙な「違和感」もありありと思い出され、改めて映画を見てもやはり消えることはありません。この相反する感覚はどこから来ているのだろう、としばらく考えるに、やはりこの映画が単なる「バッハの伝記映画」ではない、というところあるのではないかと思い至りました。実際、この映画の受容における二律背反はDVDに付いている解説の構成にも見事に現れていて、磯山雅、渡邊順生両先生がもっぱら「バッハの伝記映画」、あるいは「1960年代末のヨーロッパにおける最先端の古楽演奏の記録」としての内容を紹介・注記しているのに対し、細川晋氏は映画の作者の一人であるジャン=マリー・ストローブが雑誌に書いた「バッハ映画」の意図についての記事を訳出し、さらに当時の映画界(特にヌーベルバーグとその周辺)について解説を加えていますが、両者が互いに交わることはほとんどなく、この2つの受容態度の間には超え難い深淵が横たわっているように見えます。(実は30年前の小冊子でも、記事の内容は同じ構図になっています。)亭主が感じる「違和感」の起源も、結局は自分の中にあるこの2つの受け止め方の相克にあるようです。ところで、今回邦訳されて収まっているストローブの記事は30年前の小冊子にはなく、単に言及されるだけのものだったので、映画としてのこの作品を理解する上で大変貴重な資料ですが、彼や相棒のダニエル・ユイレがこの映画で何を意図していたのか、どうも判然としないところがあります。そこで「ミニマリズム」でネットをググってみると、篠原有司男さんという方のウェブサイトで簡潔にして要を得た定義がありました。曰く、それは抽象表現様式への不満から生まれた「『本当』の空間と『本物』の素材にもとづくアート」とあります。例えばミニマリズムの影響を受けたとされるポップアートにおいて、その代表として知られるアンディ・ウォーホルの作品では「キャンベルスープの缶」がアブストラクトではなく「『本物』の素材」というわけです。ストローブ-ユイレの「バッハ映画」における「『本物』の素材」とは、まさしくバッハ関連の資料(自筆譜、銅板印刷譜、手紙、等々)、およびレオンハルトをはじめとする現代の古楽奏者達、古楽器、そして何よりも彼ら(それら)によって演奏される音楽ではないでしょうか?このように考えると、レオンハルトが(伝承されている)バッハの肖像に「似ていなくてもよい」理由も何となく理解出来ます。おそらくミニマリストにとって、表現の意図は「ミニマルな素材」から観客にものごとを「想起させる」ことにあり、それらしく見せようという余計な脚色は見るものの想像力を邪魔するだけだ、という美学に基づいたものなのでしょう。(その意味で、たとえば同じ音楽家の伝記的映画である「アマデウス」は、この映画とは対極にあるとも言えます。)ミニマリストが「素材」の提示にこだわったが故に、この映画は図らずも磯山先生に「信頼性の高い伝記映画」と評される作品になっていますが、これはあくまで結果としてそうなったというだけで、映画作者の意図は多分そんなところにはなかったのでした…とはいえ、この映画のDVDが今日でもAmazonで入手可能な理由は、ひとえに「バッハの伝記映画」としての価値が失われていないからだということも容易に想像出来ます。何しろ、亭主がこのDVDに手を出した理由も二十歳のアスペレン先生の映像見たさだったのですから。残念ながら、今日では映像表現の手法としてのミニマリズムについて語られることはほとんどないようです。
2014.01.26
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以前ご紹介したボブ・ファン・アスペレンの演奏によるフローベルガーの作品集、全4巻のうち初めの3巻までは手に入れたものの、最後の第4巻はいくらネット上で探してもCDとしての商品が見つかりません。一応アマゾンのカタログ上にはあるものの、現在取り扱い停止中。(トラックごとにMP3音源としてバラ売りしてはいますが、亭主としては「全巻揃いで」というコレクター意識も邪魔をしてとても手を出す気になれず。)そこで、先に第2巻を購入したときと同じく、最後の手段ということで発売元のレーベルAEOLUSから直接ゲットすべくホームページを覗くと、何とそこでも取り扱い停止中(!)とあります。はて、何か事情があるのかと思い、奥の手としてLorscheiderさんにメールで問い合わせてみたところ、すぐに返信がありました。それによると、AEOLUSでは過去にリリースされたCDを順次スーパーオーディオ(SACD)化しようとしており、フローベルガー・エディションについてもちょうど件のvol.4がその最中で、今から半年後をめどにSACDとして再発する予定とのこと。確かに先行する3巻はすべてSACD規格になっており、第4巻だけを旧来のCDとして店頭に並べるわけには行かない、というわけでしょう。ここまで読んで、やっぱり待つしかないのかと諦めかけたところ、Lorscheiderさんは「もし急いでいるのならCD-onlyバージョンを提供してもよい」と続け、SACDでないことを除きライナーノートも体裁も全て同じものである(ただし、値段も同じ)と提案してくれました。気が短い亭主としては即座にCD-onlyバージョンでOK!とメールで返信。(我が家の年季が入ったオーディオシステムはどのみちSACDを再生出来ないので同じだ、とも書き送りました。)というわけで、待つこと1週間余りで無事第4巻を落手しました。(\^o^/)前にも書きましたが、このシリーズはアスペレン先生によるライナーノートが大変充実しています。また、早速到着したCDをかけてみて驚いたのは、新たな手稿に基づいて収録された標題付きの舞曲を含む組曲27番、30番について、作曲の経緯を綴ったフローベルガーの手になる記事をアスペレン自身の肉声で紹介するトラックがついていることです。(残念ながらドイツ語らしく、亭主にはほとんど猫に小判状態ですが…)ちなみに、新たな手稿とはKortkamp手稿と呼ばれるもので、有名なベルリン・ジンクアカデミーの楽譜コレクション中に含まれていたもの。ウィキペディアの記事にもあるように、このコレクションは第2次世界大戦終戦の際にソ連軍によって略奪を受け、ウクライナのキエフ音楽院で秘匿されていたものが1999年に明るみになったということのようです。その際に関係者を驚かせたことには、目録中に当時研究者の間でも知られていなかったフローベルガー関係の資料が多数含まれていることが判明。これらの資料は再発見の翌年にドイツに返還されて現在ベルリンの図書館に所蔵されているとのこと。アスペレン先生は2002年にこれをつぶさに分析する機会を得て、なかでも四つ折り版76ページからなるフローベルガー作品の筆写譜に注目。使われている紙の透かしや筆跡などの分析から、それがJohann Kortkamp (1643-1721)という北ドイツ・オルガン楽派に属する音楽家の手になる筆写であることが明らかになり、手稿は彼の名前で呼ばれることに。この新資料によって、例えばフェルディナンド3世の死に際してのラメント(哀歌)では、それまでの資料ではっきりしなかったリズムや旋律に加え、曲についての作曲家自身により付された記事の詳細も明らかになったとか。また、それまで謎だった「船によるライン川の危険な渡しに際して…」と標題のあるアルマンドがどの組曲に入っていたかについても、この手稿によって第27番だったことがはっきりしたとのこと。その他にも、例の「自分の将来の死についての瞑想(Mement Mori Froberger)」が1660年にパリで書かれたことが分かり、二度目のパリ滞在が証拠づけられるなど、必ずしもよく分かっていない彼の後半生の動向についても新たな光が投げかけられているようです。ちなみに、亭主はこの「Mement Mori Froberger」(組曲第20番)も気に入っていて、この週末はプリントアウトした楽譜と首っ引き状態。(...譜面を読むのがけっこうホネで、最後はレオンハルトやアスペレンの演奏を耳で覚えることになりそうですが。)それにしても、自分の死を想像しての作品とは、フローベルガーさん、なかなかのユーモアを感じさせます。
2014.01.19
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亭主はフローベルガーによる作品を弾いてみたいと思い、このところ楽譜について調べています。ルイ・クープランのときと同じで、初めは何が何だかよく分からなかったのですが、ようやくぼんやり見えて来たことを忘備録的に少々。現在、商業ベースで入手可能なのは(大昔の出版譜の復刻版を除けば)ベーレンライター社から出ているNew Edition of the Complete Keyboard and Organ Worksという全集で、作曲者の生前に出版されて今日まで伝わっている「Libro Secondo」を第1巻として全6巻、9分冊まで出版されているようです。が、その目次を眺めてもどうやらレオハルトやアスペレンのCDに出てくる組曲のような構成の作品は見当たらず、パルティータ、トッカータ、リチェルカーレ…と作品タイトル別に収まっている様子。(ちなみに、フローベルガー作品番号(FbWV)の順になっているかというと、必ずしもそうでもありません。)そこで、まずは今弾いてみたい作品ということで、標題のトンボーを調べたところ、当該全集の第6巻第1分冊の最後(Affligée et Tombeou Sur la mort de Monsieur Blanchroncher c-Moll FbWV 632a)に収まっていることが判明。この巻にはその他の標題付きの作品も含まれていて、とっつきやすそうです。ここまで来たところで第6巻(2分冊)のタイトルをよーく見ると、New Sources, New Readings, New Worksという副題が付いており、2001年に見つかったベルリン手稿を基にしたeditionである旨が注記されていることに気がつきました。また、末筆でThe New Edition of the Complete Works will comprise a total of eleven volumesとあり、実は現時点で我々が目にしているのは全11巻の全集の一部分でしかないことも分かります。どちらかというと気が短い亭主は、こんなものが全巻そろうまで待とうなどという気はさらさらありません。困った時のIMSLP頼み、とIMSLPホームページで検索してみたところ、1959年にオーストリアで刊行された作品全集がupされているのを見つけました。(こちら)これはDenkmaeler der Tonkunst in Oestereich(「オーストリアの音楽の不朽の業績」)というシリーズに含まれるものらしく、フローベルガーのオルガン・鍵盤作品が3巻に分かれて収録されています。これの第2巻を見ると、まさに「組曲」がずらりと並んでしました(\^o^/)。ちなみに第2巻には28の組曲、第3巻の末尾に追加の2組曲、合計30の組曲が収められています。残念ながら序文はドイツ語のみで、これらの組曲の由来はよくわかりませんが、(ベーレンライター版との比較から)この版の校訂者が調性ごとに適当に舞曲を組み合わせて作ったものだろうと勝手に想像することにしました。いずれにせよ、当座はこのIMSLPにある楽譜が日曜ハープしコーディストの慰めの基になりそう。早速ブランクロシュ氏のトンボーを印刷して弾いてみることに。アスペレンのCD付録のライナーノートによると、この作品のベルリン手稿にはラテン語の付け文があり(ベーレンライター版のタイトルにAffligéeとあるのが多分それを指す)、その英訳が出ていたのでここでその訳を紹介しておきます。まずタイトルは、“ブランクロシュ氏の死に際してパリで作曲されたトンボー、緩やかにかつ慎重に、しかしいかなる拍子に囚われることなく奏されるべし”とあり、「傑出したパリのリュート奏者で、フローベルガー氏の親友でもあるブランクロシュ氏は、サン・トマ夫人の夕食に招かれ、王宮の庭園を通る自宅への長い帰り道をフローベルガー氏と歩いて戻った。ようやく自宅にたどり着いたところで、ブランクロシュ氏は何かのために階段を登ろうとして転落、大怪我をして妻子や友人の手でベッドに運ばれた。フローベルガー氏は怪我が重篤なことを察知して急いで医者を探しに出た。 しばらくして外科医が到着し、溜まった血を取り除こうと怪我をした足を切開した。その場にはデ・トゥルム侯爵までもが立ち会っていたので、ブランクロシュ氏は子供達の後を侯爵に託すことが出来たが、間もなく最後の息をし、その魂を外へと放った。」とあります。フローベルガーの作品は、どうやらこの話に基づいた「音の絵」になっているようで、例えば下降する音階はブランクロシュさんが階段を転げ落ちるシーン(?)を暗に示す、といった感じのようです。同じタイトルによるルイ・クープランの作品が「事後」のお葬式の様子を描いた(教会の鐘の音等が聞こえてくる)のと好対照で、とても面白い対比になっています。(ちなみに模範演奏としてはレオンハルト、アスペレン、センペといずれ劣らずですが、亭主の腕で真似出来そうなのはアスペレン先生のテンポ。)ところでこの作品、ハ短調とされていて、実際にもそのように聞こえますが、譜面をよく見るとホ音とロ音のみにフラットがあり、調性音楽ならト短調とすべき調号になっています。以前このブログでも紹介したルイ・クープランによる「ハ短調」のサラバンドと全く同じ構図で、この現代と異なる調性感も興味深い点です。
2014.01.12
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新春三日目、受験生の参考書選びにつきあって久しぶりに書店に出かけ、そぞろ歩きをしていた亭主の目に留まったのが標題の新書。(著者は浦久俊彦さんという亭主とほぼ同世代の方。)今風に長めのタイトルで、つかみはまずまず。立ち読みモードに入り何が書いてあるのかと「まえがき」をめくってみると、「(リストがクラッシック音楽界におけるビッグネームであるにもかかわらず)…その生涯は一般にほとんど知られていない。そもそも、リストに関する書物が、いま日本で何冊刊行されているか、ご存知だろうか。本書初版刊行時、すでに絶版となっている書を除けば、たった一冊である。かつて日本で刊行された全てをあわせても、わずか十数冊に過ぎない。」とあります。(ちなみに、奥付きを見ると本書は昨年12月20日発行とあり、ピカピカの新刊です。)以前から(リストに比べてずっとマイナーな)スカルラッティに関する日本語で読める書物が皆無である現状を嘆いている亭主から見ると、「えっ、そうなの?」と思うと同時に、19世紀以降の「大作曲家」達ですら単なる名前、ブランドと化してしまっているという、日本における西洋古典音楽の受容の実態について再認識させられる感じです。実際、そういわれれば亭主もリストという音楽家について知っていることはほんのわずか。ショパンと同世代でよきライバルだった(らしい)ことと、数えるほどの「有名な」作品を聴いたり弾いたりしたことがある、といった程度です。さらにページをめくると、村上春樹のベストセラー小説『色彩を持たない多崎つくると…』に出てくる《巡礼の年(第1年:スイス)》の中の1曲、〈ル・マル・デュ・ペイ〉についての話が出てきます。亭主にとって《巡礼の年》は馴染みの作品群で、ホルヘ・ボレットのCDを幾度となく聴いていたハズなのですが、この曲のことはどうしても思い出せません。(そもそもこのタイトル、どういう意味なんだろう注)…とうろたえることしばし。)「まえがき」の末尾近く、著者はこの本を「…情報を提供するのではなく、知としての西洋音楽を覗くきっかけになるような本にしたかった」と書きます。この殺し句が亭主の好奇心へのトドメのひと押しとなり、本書はめでたく一冊お買い上げ。新年最初の読書となりました。さて、一読した亭主がこの本に副題を付けるとすれば、やや月並みですが「マルチ人間フランツ・リストとその背景」とでもなるでしょうか。要するに、リストが生きた当時の政治・社会情勢や、その中で音楽、特にピアノ音楽がどのような役割や意味を担っていたかについて、ピアニストとしてだけでなく様々な肩書きで活躍したリストのエピソードを軸に、ほぼ時系列的に紹介する内容となっています。19世紀のピアノ音楽と社会の関わりについては、例えば以前にこのブログでも紹介した「ピアノ大陸ヨーロッパ -- 19世紀・市民音楽とクラシックの誕生 (西原 稔著、2010)」や、「ピアニストになりたい!--19世紀もうひとつの音楽史(岡田暁生、2008)」という名著・快著がありますが、こんな大冊を読む暇がないという読者には格好の入門書にもなるでしょう。ただし、リストの看板の一つであるピアノ演奏における「ヴィルトゥオージティ」についての捉え方はやや通り一遍で、「聴衆を熱狂させるだけの見せ物」的な理解に終始しているところが物足りない感じです。この点、やはりスキップ・センペの「憑依」という視点からの洞察の深さが際立っていると感じました。 それにしても本書を読んで改めて思うのは、リストが長命だったということです。彼が生まれた1811年はベートーベンがまだ現役(この年にピアノソナタ第26番を出版)だった時代で、没年1886年の前年には、ローマ賞を受けてローマに滞在していた19歳のドビュッシーと街角ですれ違っていたかもしれません。変化する社会の中で、自分の役割をうまく変えながら活躍の場を持ち続けるという点で、リストの生き様は今日の長寿社会ニッポンを生きる亭主どもにとってもヒントになるかも?注)フランス語で直訳すると「故郷の病い」、どうやら「ホームシック」を指すようですが、その意味するところは本書を読んでのお楽しみ。
2014.01.05
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2014.01.01
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