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日本の四季は変化に富んでいて面白いのですが、楽器にとっては過酷な環境です。冬場の乾燥も悩みの種の一つ。未音亭のある関東平野では、既にほぼ一ヶ月も乾燥注意報が出たままです。一昨年にデジタル式の乾湿時計を購入して音楽室に置いてみたところ、冬場の相対湿度が25%以下(オーバーレンジ)にまで落ちてしまうことを発見。慌てて加湿器を購入した覚えがあります。が、その加湿器もどうやら送風ファンのモーターがへたりかかっている模様で、いつ止まるかとハラハラ。(やれやれ、このごろの家電製品はすぐ壊れる...)ところで、ハープシコードはいうなれば楽器そのものが湿度計のようなもので、部屋の湿度に応じて面白いくらいチューニングが変わってしまいます。何しろ木製の響板にダイレクトにピンを立てて弦を張ってあるので、響板が湿度によって伸縮するとたちまちチューンに影響します。今までの経験では、湿度が10%変わると高音側で10セントぐらい音が変わる感じ(チューナーで音高をチェックするので割と正確に分かります)。一方、板が同じだけ伸縮しても、弦が長い低音側はそれほど影響は受けないので、結局楽器としては調律し直さないと使い物にならない状態になります。上の写真はハープシコードをメンテするための七つ道具です。弦の調律は左下のトリマーを用います。ピンの頭が六角形なので、トリマーは六角レンチ(メス)と同じで、これを使って少しずつピンを回しては打鍵し、音高を確認します。弦の数としては上下八フィート弦二組と四フィート弦各々五十八本、計百七十四本、というと結構な手間と時間がかかりそうですが、さすがにほぼ毎週のようにやっているうちに、最近では長くても三十分ぐらいで済むようになりました。(四フィート弦はたまにしか使わないので月に一度くらいしか調律せず、その分普段は短時間で済ませています。)ついでにその他の道具を紹介しておくと、トリマーの右から並んでいる順番に毛抜き、プラスチック用ニッパー、小型プライヤー、上の段に行って左から目玉クリップ、木片(鍵盤材の一部?)、医療用メスとなります。さらにその上は消耗品(左から交換用のプレクトラム=ツメおよび弦)です。このうちもっとも頻繁に活躍するのは小型プライヤー、医療用メス+木片とプラスチック用ニッパーで、これらは折れたプレクトラムを交換する時に用います。プレクトラムは厚さ0.5~0.8mm、幅1.5mm、長さ10mm程度のプラスチック板(デルリン製)で、ジャックの中のタングと呼ばれる部分の穴に差し込まれた状態になっています。これが折れるとジャックごと楽器から取り出し、折れたものを小型プライヤーで挟んで穴から押し出し、代わりに新しいプラスチックのツメを差し込みます。問題はここからで、まずこの新しいツメを弦の位置に合わせて適当な長さに切断(プラスチック用ニッパー)、その後木片を当てて医療用メスでプレクトラムとして適切な形状に削り出す(テーパーをつけて薄くする)作業を行います。この作業、もう何十回もやりましたがなかなか難しいもので、今でも三回に一回ぐらいは削り損なってやり直しということが起きます。(大抵は、ツメが短くなり過ぎて弦を弾かなくなるパターン。)プレクトラムよりもっと厄介なのが弦の張り替えで、こちらに登場するのが目玉クリップ(とトリマー)ですが、これは出来ればやりたくない作業の一つです。(幸いにしてこのところやらずに済んでいますが...)これについてはまたの機会に。ところで、今日は久しぶりにヴェネチアセット第III巻を弾いていましたが、K. 228のソナタで立ち止まることに。この曲、例によって小節線とフレーズの単位がずれて行くところがあるのですが、亭主にはどうしてもそのずれをうまく捉えられずじまい。スルスルと逃げられるような、もどかしくも不思議な感じの曲です。また明日再挑戦かな...
2011年01月29日
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先日紹介したR. カークパトリックの追悼記事(昨日本亭でも取り上げました)の中で、彼が単に音楽だけでなく、広く視覚芸術にも興味を持っていたという記述がありましたが、イェール大学付属の美術館には彼が遺贈した収集品が所蔵されており、嬉しいことに今ではその内容をウェブ上で眺めることが出来ます。まず美術館のサイト(こちら)に行き、メニューでSearchをクリック。現れたページ上でCollection Databaseとある方をクリックすると、eCataloge中を検索する画面が出てきますので、キーワードにRalph Kirkpatrickと彼の名前をフルネームで入れて検索をかけます。検索結果を見ると、七百点近い収蔵品がヒットしますが、実はこれRalphまたはKirkpatricで検索した結果なので、カークパトリックの遺贈品はこの中の半分程度です。とはいえ、実際にこれらを眺めてみると相当なコレクションであることが分かります。彼の蒐集対象は主に版画作品だったようですが、ざっと目につくものを挙げてみると、古い方からマンテーニャ、クラナッハ、デューラー(有名なメランコリア I、「大受難」シリーズなど)、クロード・ロラン、レンブラント、と有名どころの作家が目白押し。スカルラッティの研究資料と思しき17-18世紀の版画も色々あり、ファリネッリの肖像、ルモアーヌによるスカルラッティの肖像、フェルナンド6世一家の肖像、リュリ、ラモー、フランソワ・クープランの肖像、さらに風景版画(ピラネージなど)などが収まっています。面白いのは「San Norberto, Madrid」という寺院を写した18世紀のエッチングで、どうやらドメニコが埋葬された修道院ではないかと推測されます。一方、彼の著作で挿絵になっていたジュゼッペ・ヴァージ(Giuseppe Vasi)のローマ都市風景版画(ナヴォーナ広場、およびサン・ピエトロ広場)は、何故かこれらの中には見当たりませんでした。そういえばコレッリの肖像画も...(ちなみに、上記二つのリンクはいずれもオレゴン大学の「Imago Urbis: Giuseppe Vasi’s Grand Tour of Rome」という素晴らしいサイトに置かれているVasiの作品アーカイブの中にあります。)上記以外にも目を見張るコレクションとして、例えばゴヤの「Los Caprichos」連作が八十点ほどもあります。同じ19世紀のドーミエ、ドラクロラ、セザンヌ、ドガ、ラトゥール、マネ、コローといった作家(彼らの版画作品は珍しい?)、さらに下って、ルドン、ロートレック、ミロ、デビュッフ、ブラック、ピカソ、クレー、マチスといった20世紀の作家の作品まで、一個人が集めたものとしてはなかなかのもの。(下世話な推測をすれば、資産価値という点でも大したものだったでしょうネ。)
2011年01月23日
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先日、このブログでタウジッヒ編曲のスカルラッティ・ソナタについて触れましたが、その楽譜が公開されているIMSLP/ペトルッチ楽譜ライブライーというWikiサイトには、他にもドメニコの印刷譜で面白いものがいくつか存在します。その中でもAmbose Pitmanという人物の手になる出版物、「The Beauties of Dominico Scarlatti. Selected from his Suites de Lecons,...」は、ドメニコと同時代の18世紀末に出版された楽譜として興味深い資料でしょう。(入手先はこちら)この楽譜、六つのレッスン(練習曲)からなっていますが、よく見るとそれぞれのレッスンはドメニコのソナタを適当に組み合わせた「組曲」に仕立てられていて、当時の多楽章形式への嗜好を伺わせます。どういう組み合わせになっているかというと、レッスン1:K.31 (g), K. 8 (g), K. 2 (G)レッスン2:K. 13 (G), K.14 (G)レッスン3:K. 5 (d), K. 34 (d), K. 9 (d)レッスン4:K. 29 (D), K. 32 (d), K.33 (D)レッスン5:K. 1 (d), K. 10 (d)レッスン6:K. 19 (f), K. 6 (F)と、全部で十五曲のソナタが長短を問わず同名調で組み合わされています。また、どのレッスンも最後に来るソナタはVivaceとかPrestoといった速度表示のソナタが多くなっているように見えます。この楽譜、最初にホプキンソンという人によってその存在が報告されましたが、どういうわけか当人はこの多楽章構成を見落としたらしく、最初の楽章に使われたソナタの番号だけを報告していたようです。カークパトリックの著作中でも18世紀出版譜のカタログ中にリストされていますが、彼も初めはホプキンソンの報告を鵜呑みにしていたようで、後に訂正を余儀なくされています。ホプキンソンはこの楽譜が1785年にロンドンで出版されたとしているようですが、シェヴェロフによるとその根拠は不明とか。エディターであるピットマンなる人物についても詳細不明で、彼がいつどこでこれを出版したかも明確ではないようです。が、楽譜中に触れられている事柄からどうやら1780年代前半にロンドンで、というのがシェヴェロフ先生の見立てです。こうして見ると、使われている曲がK. 1からK. 34までのソナタなので、元ネタがこれに先行するクック版の印刷譜(南紀音楽文庫にも収録)であることが容易に想像され、原典テキストとしての価値はそれほど高くないようですが、当時の人々がスカルラッティのソナタをどのように見ていたかをかいま見せてくれる、という意味ではやはり興味深い代物です。次の休日には亭主もこの「組曲」版を音にして、実際どう響くか確かめてみようと思っています。(ピットマン氏は前書きでソナタに多少手を入れたことも記していますので、その辺も見所?)ところで、IMSLPのWiki上にあるこの楽譜のPDFでは、2ページ目の斜体の文章がほとんど飛んでしまっていて判読不能ですので、シェヴェロフ先生の論文からここに再録しておきましょう。To James Martin, Esquire -One of the Representatives in Parliament,for theBorough of Tewkesbury,The Beauties of Domenico ScarlattiAre Inscribed, with the greatest Respect,by His most ObedientObliged humble ServantAmbrose Pitman.
2011年01月16日
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最近、ふとしたことからバルトークのことを調べているうちに、彼がかってD. スカルラッティのソナタを校訂出版したらしい、ということを知りました。(日本語のウィキペディアにはそのように触れらていますし、英語のサイトではドメニコを賞揚した作曲家としてショパン、ブラームス、ショスタコービッチと並んでバルトークの名前が挙っています。)そこでバルトーク&スカルラッティというキーワードで早速ネット上を探してみたところ、何とバルトークがドメニコのソナタを演奏している録音に出くわしました。(動画はありませんが、YouTubeで聴くことが出来ます。)彼が弾いているのは、K. 427、K. 212、K. 537、およびK. 70の四曲。最初の三曲は比較的有名なもので、特にK. 427などは数多くのピアニストが取り上げています。また、亭主の知る限りではK. 212をペライアが、K. 537をペライアとツァハリアスが録音しています。が、K. 70をピアノの演奏で聴くのはこれが初めてでした。これらの録音、どうやら「Bartok at the Piano」という六枚組のCDの1枚目に収録されているもののようで、録音年代も相当古いもの(多分1930年代頃?)ですが、どれも実にモダンでヴィルトージティの極みという感じの演奏です。特にK. 212とK. 537はどうしてもペライアの演奏と比べたくなってしまいますが、録音状態がよければ彼に勝るとも劣らないものになっていたでしょう。それにしてもびっくりしたのがK. 70の演奏。「こんなスピードで弾いてよく破綻しないものだ...」と思わせるような超特急です。(その昔、カークパトリックが著書の中で「現代の演奏家はスカルラッティの演奏に際してテンポを速く取り過ぎる」と苦言を呈していたことを思い出してしまいましたが...)バルトークがピアノの名手であったことは夙に有名で(ルービンシュタイン・コンクールでバックハウスと首位を争ったとか)、これらの演奏は図らずも彼の腕前がいかほどであったかを教えてくれます。一方、彼の校訂譜については残念ながら大した釣果は得られませんでした。(「Five pieces ...」という楽譜があるらしい、というところまで分かったという状態。)いずれにせよ、バルトークはドビュッシーにも多大な影響を受け、しばしば演奏で取り上げたということで、こうして眺めると彼の音楽上の趣味は未音亭亭主と似ているのかも、などとネットサーフィンしながら妄想すること暫しでした。(ちなみに、亭主はバルトークが校訂したモーツァルトのピアノソナタ全集の楽譜という珍品を持っています。)
2011年01月09日
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新しい年が始まりました。皆様方にはどのようなお年をお迎えでしょうか? 亭主にとり、今年はD. スカルラッティ研究に一時代を画したラルフ・カークパトリック生誕百年、という記念すべき年に当たります。世界最長寿を誇る昨今の日本では、生きて百歳を迎えられる方も少なくないようですが、残念なことにカークパトリックは1984年、七十二歳という比較的若い年齢で他界しました。歿後という意味でも既に四半世紀以上の歳月が流れ、彼の歴史的評価も定まって来たところではないかと想像します。 亭主の手元には、1984年11月号のEarly Music誌に掲載されたH. Schottによる追悼記事があります。折角の機会ですので、ここで少し抄訳してみましょう。「幸運にも、演奏家および教師としてその高みにあった頃のラルフ・カークパトリックの知遇を得られた人々は、彼の生涯に大いに感謝すべきであろう。半世紀にも及ぶ彼の経歴を振り返ってみると、カークパトリックは孤独な開拓者達(彼の師であったワンダ・ランドフスカやアーノルド・ドルメッチといった)の世代と1960年以降世界中に広まったハープシコードの新しい波(彼らの多くは弟子あるいは孫弟子)との橋渡し役を演じたように見える。膨大なハープシコードのレパートリーをよりシンプルに、またより真正に表現しようという探求の中で、彼は先達が完全には免れなかった19世紀末的な表現美学の影響をほとんど受けない演奏法を採用し、これによって『ヴィクトリア時代』の初期ハープシコード奏者から截然と袂を分かった。もっと重要なことは、彼が演奏に課していた高い技術的基準である:その昔、ハープシコードはピアニストになり損なった者の楽器というのが相場であった。だが、カークパトリックはけっして狭量な専門家ではなかった。公知のレパートリーを自分が最も偉大と見かつ共感できるような作品群に限定する一方で、彼の理解と賞揚は、実のところ音楽に加えて視覚芸術や文学までという広大な領域に渡っていた。ドメニコ・スカルラッティの後期作品(もちろんこれに関して彼は同世代の先頭を行く唱道者であるが)と同じようにカベソンといった16世紀の巨匠の作品、あるいはエリオット・カーターの二重協奏曲(その初演で彼はハープシコードの独奏者を務めた)にも慣れ親しんだものであった。 カークパトリックの鍵盤技巧やそのレパートリーは完璧なものだった。著名な演奏家も含め、一体何人のハープシコード奏者が真にクラヴィコードをマスターしていたと言えるだろうか?...(以後略)」 この後、彼がトスカニーニのように全てのレパートリーを暗譜していたこと、それが一部には慢性的な結膜炎(後にこれで完全に失明)のせいであったことが紹介されます。また、カークパトリックがとても大きな手の持ち主で、片手で一オクターブ離れたトリルを演奏できた(!)こと、そのような手はおそらくピアノでは有利であったろうものの、ハープシコードではむしろ逆だった(もちろん彼はそのハンディを完全に克服していた)と続きます。このように、ある人に適する指使いが他の人にはほとんど役に立たないことを知っていた彼は、教師として特定の運指を指示するようなことはめったになかったとのこと。 カークパトリックはその五十年におよぶ経歴の中で必要に応じてあらゆる種類の楽器を演奏していますが、自身ではピリオド楽器の復興を大いに奨励しました。とはいえ、その経歴の大部分ではモダン・タイプの楽器を使わざるを得なかったようです。(確かに、彼のスカルラッティの録音はノイペルト製?のモダン・チェンバロによるもので、後の文節では、これが故に若い世代が録音で彼の演奏を鑑賞する妨げとなっているとも指摘しています。フォルテピアノの録音についてはもっと残念な状況とのこと。)それでも、カークパトリックが初期に使っていた楽器は当時製作されたどの楽器よりもピリオド楽器に音色が近いもの(ドルメッチが作ったものでも最上の部類)で、それでもピリオド楽器が使えるようになると喜んでそちら乗り換えたそうです。ちなみに、彼は三台の楽器を所有していて、そのうちの一台はかつてフリッチョ・ブゾーニの所有になるものでした。これらのうち二台は現在イェール大学(そこで彼が1940年から1976年に引退するまで教壇に立った)の楽器コレクションの中に含まれています。楽器についてはもう一つ興味深いエピソードとして、彼が1950年代に才能ある技術者と組んでウィーン・アクションを模したハイブリッド「ハンマークラヴィア」を開発しようとしていたことが紹介されています。(結局モーツァルト生誕二百年の1956年に、これを諦めたことを公にしたようですが。) カークパトリックの著作活動については追悼文の最後に少しだけ触れられていますが、それによるまでもなく、彼の著作「ドメニコ・スカルラッティ」が出版後直ちに古典となり、それがこの先もそうであり続けることは間違いないでしょう。最後に、カークパトリックの関係者(娘?)がボストン大学の下で運営している彼のアーカイブサイトのURLをupしておきましょう。http://www.bu.edu/library/music/ralphkirkpatrick.html
2011年01月03日
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