全5件 (5件中 1-5件目)
1
![]()
以前にロワイエの「スキタイ人の行進」を話題にした際(こちら)に、スキップ・センペの凄い演奏があることを紹介しました。ネットを検索していてYouTubeに落ちていた演奏のビデオを見つけたわけですが、実はこれ、以下に紹介するラモーの演奏を入れたCDにオマケとして付いているDVDの中にあります。そもそも亭主がセンペ氏の名前を知ったのは、数年前、曽根麻矢子さんが自身のCD(バッハの平均律クラヴィア曲集)の中で彼と一緒に仕事をしていることに言及しているのを目にして以来(このブログでもそのくだりをご紹介)ですが、どういう演奏家なのかはほとんど知らないままでした。このところ、ラモーの演奏を入れたCDを物色していたことは先のブログに書いた通りですが、そこでたまたまセンペ氏の「La Pantomime」という録音があるのに遭遇。しかも、カタログを見るとDVDのオマケ付きとあったので、これはと思いゲットしました。さて、早速聴いてみましたが、実に面白いCDです。まず構成が変わっていて、知られているラモーの独奏曲からまずト長調/短調の曲を三曲、次に二台のクラブサンによる「コンセール」の編曲らしきものを三曲、次に再び独奏曲で、今度はイ長調/短調の曲を五曲、続いてニ短調を二曲、そして最後に二台のクラブサンによる「コンセール」を三曲、というもの。ちなみに、二台による演奏のもう片方を受け持つのは、オリヴィエ・フォータン(Olivier Fortin)という若そうな演奏家です(DVDに登場)。そして、肝心の演奏の特徴を一言で言うなら、「緩急の対照が極まった表現」という感じです。ライナーノートの中で、センペ氏はインタヴューに答える形でラモーについて語っていますが、冒頭「ラモーのクラヴサン音楽は同時代のそれ、特にフランソワ・クープランの音楽と何が違うのでしょうか?」と聞かれ、ずばり「ラモーは未来に関心を持っていました」と喝破し、「ラモーは恥じることなく過去の習慣や伝統を無視したのに対し、クープランは伝統主義者でした。彼の音楽が『サロンの劇場』を代表しているとすれば、ラモーのそれは、より『イタリア・オペラ劇場』的なものに向かう傾向があります」と語っています。亭主の素人的な印象から見ても、フランス・クラブサン音楽といえば、基本的にはサロンの「環境音楽(ムードミュージック)」的なものが主要な位置を占めているように見えますが、ラモーのそれはもっと何かを「表現」しようとする音楽と言えるように思われます。センペの演奏は、この「表現」という側面を、彼の超絶技巧で極限にまで持って行ったらどうなるかを試してみたもの、と言えます。それにしても、センペがクラヴサンを自由自在に疾走して紡ぎ出すサウンドは神々しいまでにゴージャス(楽器も素晴らしい!)で、その昔ロージングレイヴがドメニコ(スカルラッティ)の演奏を目の前で聴きながら抱いた感想(「一千の悪魔が鍵盤を繰っている!」)もかくや、というぐらい圧倒的です。オマケのDVDも音響はちゃんとした5.1サラウンドで、ロワイエの曲をはじめ、二台の演奏(アルバムタイトルになっているLa Pantomimeがこれまた絶品!)なども収録されていて、実に充実した内容になっています。
2013年01月27日
コメント(0)
ジャン=フィリップ・ラモーのことを調べているうちに、未音亭にあるK. ギルバートの演奏を入れたCDはラモーの鍵盤作品のすべてをカバーしているわけではないことに気がつきました。そこで、まとまった録音をネットで探しているうちに、ベルダーのCDがあることが分かり早速入手。週末はベルダーの「ラモー演奏会」です。ここで聴いてみて気がついたことを二三メモしておくと、まず1724年のクラブサン曲集の中の有名な作品、「ソローニュの雛鳥」の第一変奏、右手で三連音符が続くところで、左手の二連音符はイネガル奏法のように2対1に長さを割り振り直して演奏する(ギルバートもそうしている)のが普通のようですが、ベルダーは何と律儀にも譜面通りに弾いています。スカルラッティのソナタ全曲録音でもそうでしたが、ベルダーさん、これに限らず演奏では何かしら「独自のしかけ(解釈)」を滑り込ませるので、いつもワクワクさせられます。(ところで、この曲の題名、場合によっては「ソローニュのバカ者」と訳されているようですが、これはniaisというフランス語が英語のchickenと同じような二重の意味の使われ方をすることから来ているようです。)もう一つ、これはベルダーの演奏だからというのではないのですが、「新しいクラブサン曲集」の中程にあるガヴォットと6つの変奏曲、どこかで聞いたことがあるなぁと思ってライナーノートに目を落とすと、これがヘンデルのハープシコード組曲第3番(ニ短調)の中にあるエアと5つの変奏とそっくりであることが指摘されていました。確かに、変奏のやり方までも含めてヘンデルのそれをなぞっているように聞こえますが、解説者(Clemens Romijn)によると、ラモーは(特に最後の三変奏曲で)ヘンデルを超えるヴィルトゥオージティを示そうとしたのでは、と想像しています。ところで、Romijn氏はライナーノートの冒頭で、ラモーを賞揚するドビュッシーの記事を引用していますが、どうも文脈がよく分からないので「音楽のために(ドビュッシー評論集)」(杉本秀太郎訳、白水社、1977年)を引っぱり出して探してみると、元ネタを発見。1903年6月28日付けの「ジル・ブラス」という雑誌に掲載された「1903年音楽決算」という記事(pp.188-192)で、その中のオペラ・コミック座に触れた文章の中にありました。どうやらそのシーズンの出し物に相当ご不満だったドビュッシー先生、それを発散するため(?)に当時の音楽監督アルベール・カレ氏をいじり回した挙げ句、「ラモーの作品でもやればいいのに」と、ラモーが歴史の作為によって不当に忘れられた偉大な国民的作曲家であることを、例のいささかシニカルな文体で語っています。ドビュッシーはその後、1905年に出版したピアノ曲「映像第1集」の2曲目を「ラモー讃」と題し、ラモーへの敬意を形にしていることからも、その思いが(言葉の軽妙さとは裏腹に)本物であることを示しています。その当時、フランス国民運動」的な気分が盛り上がっていたという時代背景を割り引いても、なお「天才同士の時を超えた共鳴」として興味深いものがあります。
2013年01月20日
コメント(3)
大分前に、小川洋子さんの小説「博士の愛した数式」が話題になりました。小説の筋はさておき、そこで出てくる数式 eiπ + 1 = 0は、三角関数と指数関数を結ぶ「オイラーの恒等式:eiθ=cosθ+i sinθ」からθ=πとして導かれるものです。オイラーの恒等式は、高校で数IIIを習う生徒、あるいは理工系の大学生は必ず目にするものの一つですが、亭主もこれを初めて知った時には大変不思議に思ったことをよく覚えています。なにしろ、ここに現れる指数関数と三角関数はその由来がまったく独立の関数で、その間にこのような単純で美しい関係が成り立つ「必然性」はどこにもないように見えるからです。しかも両者は「i(アイ)があるから結ばれる」というわけです。(i が「虚」数ということも含め、なんだか妙にイミシンです...)「博士の愛した数式」は、オイラーの恒等式の不思議さを、そこに現れる関数の鍵を握る「定数」、すなわち 自然対数の底:e = 2.71828…、(「ネイピア数」とも呼ぶらしい) 円周率:π = 3.14159…、そして虚数単位「 i 」の関係として表したものとも言えます。ところで、ピタゴラスと言えば音楽の世界ではピタゴラス音律で、完全五度=2:3という周波数比で基音から十二の音を導くものですが、これが「閉じない」関係であることもよく知られています。なぜなら、 (3/2)12 = 2nつまり、1.5の12乗と音階が閉じるオクターブの音(=2のn 乗)の周波数が一致するような整数解n は存在しないからです。少し調べてみると上記の等式を近似的に満たすn は7です。そこで、ピタゴラスの五度の輪環が閉じるように完全五度を再定義する「定数=μ」を調べてみました。これは、 μ12 = 27の解としてすぐに求まり、 μ=27/12=1.49830707…なんだか意味ありげな数字に見えませんか?(ミューズの定数ということでμとしてみました。^o^;;)ちなみに、このような数学的な定理や関係に現れる「不思議さ」は、それ自体である種の宗教的な神秘主義を呼び起こすようで、実はピタゴラス自身もそのような神秘主義者であったことがよく知られています。ピタゴラスの思想を一言で言えば「万物は数である」、これこそは「ピタゴラス教」のセントラル・ドグマです。そして、実際のところ亭主の本業である物理学こそは、この「ピタゴラス教」の直系の子孫にあたります。「自然の書物は数学の言葉で書かれている」と語ったニュートン以来、物理学者が今日まで追い求めているのは数学的に記述される「法則」や「方程式」ですが、自然法則がなぜ数学で「正確に」記述され得るのか、実は誰も説明出来ないのです。実際、北米ヨーロッパの物理学者のかなりの人たちは、それこそが(最初の一撃としての)「神の存在」の証拠と信じているようです。
2013年01月14日
コメント(0)

明日で松の内も終わり、本格的な仕事始めを前にブルーになっているのは亭主だけではないと想像します。そこで、まだお屠蘇気分に浸っていた三ヶ日中にクラシカ・ジャパンの放送から録画しておいた標題の番組を、この週末に眺めてみました。カラヤンといえば、我々より上の世代にとっては「楽壇の帝王」とあだ名され、ベルリン・フィルの終身常任指揮者として斯界に知らぬ者はいないという存在でした。当時、亭主のまわりのクラッシック音楽愛好家の間では、LPレコードを前にしてアンチ・カラヤン派とカラヤン・ファンとの間で音楽談義が盛り上がったものです。そのカラヤンも昭和とともにこの世を去って既に四半世紀、彼が実際に指揮する姿を久しぶりに見ましたが、その第一印象は「何とも痛々しい」というものでした。ステージに登場する際の歩き方はぎこちなく、指揮台での挨拶も身体が自由にならない様子がありありと伝わってきます。それもそのはず、このコンサートが行われたのは1987年の元日、もう少しでカラヤンも傘寿を迎えようという高齢(七十九歳)でした。そのような高齢で、なおかつ身体的な不自由を押してこのコンサートに登壇、オーケストラに向かうやシャキっとしていつものスタイルでタクトを振るう彼の姿を眺めていると、何だか感動のようなものがじわじわと湧いてくるから不思議です。調べてみると、カラヤンは80年代前半にクラリネット奏者のサビーネ・マイヤーを入団させようとしてベルリン・フィルと一悶着あったようで、その後は徐々にベルリン・フィルから気持ちが離れて、代わりにウィーン・フィルとの関係を深めていった、とあることから、そのような背景もあってこのコンサートが実現したとも想像出来ます。一方で、十二回にわたる脊椎の手術や脳梗塞により身体的には限界に近い状態だったようで、それでも現役でい続けようとする気概は(今から想うと)畏敬の念を抱かせるところでもあります。「うーん、カラヤンだって、こんなオジイサンになっても頑張っていたんだ…ワシももう少しは頑張らねば…」と少し元気をもらえたコンサートでした。音楽(クラシック) ブログランキングへ
2013年01月06日
コメント(1)
![]()
無事2013年が明けました。\^o^/新年恒例の「ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート」も、例年通り元日夕刻に現地から生中継され、フランツ・ウェルザー・メストの指揮によるワルツやポルカを楽しまれたクラッシック音楽ファンも多かったのではないでしょうか。このコンサートの「お約束」の一つに、プログラムの最後をヨハン・シュトラウスの「美しく青きドナウ」で絞める、というのがあります。今年のコンサートもこのお約束をしっかり守っていたことは言うまでもありません。ウィンナー・ワルツというと、娯楽のための実用音楽として通常の「西洋クラッシック音楽」のレパートリーに比べて一段格下に見る向きもありますが、この「美しく青きドナウ」などを聴いていると、モーツァルトにも比すべき境地に達している作品もあるのだということがよく分かります。ところで亭主は、この曲を聴くと、スタンリー・キューブリックの標題の映画を必ず思い出します。登場人物の一人がスペースシャトルに似た宇宙船に搭乗し、地球を周回している宇宙ステーションまで旅するシーンで用いられていますが、無重力状態の客室で居眠りをしている客の周りを、彼の手からこぼれ「落ちた」と思われる万年筆がフワフワと漂う様子や、それと入れ子になっているシャトルや宇宙ステーションと青い地球の様子は、ワルツのゆったりした音楽と相まって、宇宙が広々とした「自由空間」であることを効果的に印象づけます。この映画の話が出たついでに、未音亭々主からの「お年玉」ということで、映画の意味についてここでちょっとした謎解きをしておきましょう。この映画、全体として「人類の進化」をテーマにしていることは何となく察しがつくのですが、最後の方で出てくる赤ちゃん(or 胎児:DVDのカバーにもあしらわれています)のようなイメージが出て来たところで「???」となってしまうようです。この点、映画が公開されて以来45年さまざまな解釈が開陳されてきましたが、亭主から見るとどうも肝心なことを見落としているように思われるのです。というのも、この「赤ちゃん」が意味するところは、恐らく哲学者ニーチェの「超人」であろうことが明らかだからです。ニーチェは、彼のいう「超人」がどういうものかを説明するために、これを「赤ちゃん」の状態に例えたことはよく知られています。なにしろ、この映画の大変有名な冒頭のシーン(太陽・地球・月が一直線に並ぶ?)でかかっている音楽は他でもないR.シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」です。シュトラウスがこの曲を着想したニーチェの著作「ツァラトゥストラは…」は、彼の中心思想のである「神の死」、「永劫回帰」、あるいは「超人」といった概念を敷衍する意図で書かれた寓話であり、キューブリックはこれを下敷きにしていることを映画の冒頭で高らかに宣言していた、というわけです。映画の舞台、2001年から干支は丁度一回り、また巳年がやってきましたが、人類の英知は未だこの映画が想像する世界に及ばないようです。
2013年01月02日
コメント(0)
全5件 (5件中 1-5件目)
1
![]()

