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二週間チューニングをしていない未音亭のハープシコードを弾いているうちに、調子はずれの音が一つ耳につき始め、チューニングレンチでピンをグィとまわしたところ、プッという音とともに弦が切れてしまいました。調べてみると44番、バロックピッチでdの音です。何処で切れたのかと思いきや、まさにチューニングピンの根元。要するにピンを乱暴(?)に回したのが原因らしい。やれやれ、というわけで久しぶりに弦の交換作業です。(写真の目玉クリップは、ヒッチピンに引っ掛けた交換用の弦が逃げないように押さえるためのもの。)ところで、亭主は以前から探していた(亭主が他の巻を購入したsheetmusicplus.comのカタログには何故か抜けている)ルビオ版A. ソレールのソナタ集第6巻を最近になってようやく入手したのですが、代金・送料いずれもビックリするほど安価だったので耳ヨリ情報としてアップしておきます。くだんのショップはアマゾンに商品を出している「ブックデポジトリー(The Book Depository、英国)」。ソナタ第6巻のお値段は何と3,044円、送料もたったの250円というから驚きです。アマゾンの管理下にあるショップとはいえ外国のショップでもあり、さすがにモノが到着するまでは半信半疑だったのですが、8月7日に注文を入れてから二週間ぐらいで新品の楽譜が届いた時には思わず「ブラヴォー!」。この値段、例えば東京・本郷三丁目にあるA社の提示しているそれに比べると半値ちかいもので、送料に至っては国内郵便なみです。いったいどういうカラクリでこんなことが可能になっているのでしょう?もう一つは、以前このブログ(8月5日)で紹介したブラスコ・デ・ネブラのソナタの楽譜です。ブラスコの生前に出版された「6つのソナタ、Op.1」を探していたところ、Sheet Music Megastoreというサイトで見つけたのですが、このサイトもどうやら中小のネットショップの集合体と見え、くだんの楽譜を扱っていたのはMusic Exchangeという、こちらも英国(マンチェスター)のお店。他の通販ショップでは、カタログに並んでいても「入荷見込みなし」のところがほとんどでしたが、こちらのお店は「注文受けます」とあり、やはり半信半疑で頼んでみたところ、二三週間で無事到着。楽譜本体は20ポンド、送料は7.5ポンド(1ポンド〜126円)と、こちらも大変リーズナブルです。ちなみに、ブラスコのソナタ集としてはもう一種類、インカルナシオン修道院手稿の「6つのソナタ」がスペイン音楽学会から出版されており、どうやら学会のホームページからオンラインで購入出来るようです。http://www.sedem.es/es/catalogo/producto.asp?id=157ただし、何しろスペイン語のみのサイトで、国外からの注文に対応しているのかどうかも不明なので、今のところ試してはいません。ブラスコのOp.1のソナタ集を出しているUnion Musical Edicionesという出版社は、たとえばソレールのファンダンゴを単品で出していたりと、イベリアのマイナー音楽家の作品を色々出している奇特な出版社のようです。ついでに絶版になっているブラスコのモンセラット手稿出版譜の版権を買い取って、再販してくれませんかねぇ...
2012.08.26
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今月のクラシカ・ジャパンで表記のプログラムを見つけ、早速聴いてみました。チェチーリア・バルトリと言えば、言わずと知れた世界屈指のメゾ・ソプラノ歌手です。急速に人気が高まった1990年代には、亭主もその名前をあちらこちらで耳にするようになりましたが、もともとオペラにそれほど強い関心を持っていないこともあって、実はこのプログラムを見るまでじっくりとその声を拝聴する機会がありませんでした。演奏された曲目は、まずポルポラの歌劇「シファーチェ」から一曲、以下、アラーイアの「ベレニーチェ」、ポルポラの「ドイツのジェルマニコ」、「身分の知れたセミラーミデ」、「アデライーデ」から一曲ずつ取り上げ、再度「シファーチェ」から一曲、さらにブロスキの「アルタセルセ」からの一曲を歌い、最後はヘンデルの「セルセ」から有名なオンブラ・マイ・フでしめる、というもの。7曲のうち5曲がポルポラのアリア、というのも大変興味深いもので、伴奏を勤めるのがジョバンニ・アントニーニ指揮のイル・ジャルディーノ・アルモニコ、収録は2009年9月と比較的最近のもののようです。調べてみると、同年10月にDeccaからリリースされた同じ演奏者によるCD、「Sacrificium」(邦題:神へのささげもの〜カストラートのためのアリア集)と同じプログラム名で曲目も相当重なっており、どうやらこのCDの映像版とでもいうべきもの(それらしいDVDもありました:下記リンク右側)。ただし、映像版はなんとあの広壮なカゼルタ宮(ナポリ郊外)で収録されたもので、宮殿をあちらこちら動き回りながらのバルトリのショットを織り交ぜたゴージャスな作りです。バルトリとイル・ジャルディーノ・アルモニコの演奏はどうだったか、なんて聞くのもヤボなら書くのもヤボというもの。とにかくポルポラのアリアをこれだけまとまって聞いたのは初めてで、その超絶的な歌唱と迫力に圧倒されました。(以前訳したシットウェルによるスカルラッティについての著作中に出てくる一節、「カストラート達が歌う装飾音の持つ恐るべき性質に比べれば,鍵盤における曲芸はずっと穏当で理にかなったもので,むしろ地味とさえ言える.」という言葉に大いに納得。)ただ、バルトリの演奏を聴いていて気になるのは、どのような速いパッセージにも強めのヴィブラートがかかっているように聞こえる点で、素人耳には俗にいうイタリア・オペラのベルカント(19世紀〜現代?)的な表現を依然としてベースにしている歌唱のように思えます。恐らくこれは歌唱技術としては大変高度なもので、それでなくとも音程が不安定になりがちな速い音階のパッセージを、「音程を揺らす」ヴィブラートをつけながら破綻なく歌い切る、というのはとても人間技とは思えないものがあります。が、やはりエマ・カークビーのようなノン・ヴィブラート唱法に慣れた亭主の耳にはどうしてもしつこい感じが残るのも事実。こうなってくると、同じ曲をジャルスキー様が歌うとどう聞こえるか、何としても聴いてみたいものです。(亭主の持っているCDでは「シファーチェ」から「Tu Che D'Ardir M'Accendi」の一曲があるのみ。今のところ録音もこれぐらしかないのでしょう、多分…)
2012.08.19
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先日、ペリアネスの演奏に刺激されて、久々にピアノに向かってドビュッシーの「前奏曲集第1巻」をポロポロやっているうちに、一つ面白いことに気がつきました。第10曲、「沈める寺」の中盤にかけてのクライマックス、恐らくは海中から浮かび上がってくる大聖堂の姿をイメージした分厚い和音の連鎖は、まさにスカルラッティ的なアッチャカトゥーラそのものに聞こえませんか?ここで「スカルラッティ的」という意味をはっきりさせておくために、カークパトリックの著作から引用してみましょう。「通奏低音のアッチアッカトゥーラ(acciaccaturaのカタカナ表記としてはこちらの方が近いようなので以後こう書きます)は,明らかに一つの和音に対して隣接する音を追加,あるいは音程を一瞬だけ全音階的に埋めるというものであった.そのようなアッチアッカトゥーラの役割は,しばしばモルデントが果たす和声的な役割と類似している.既に和声の章で見たように,スカルラッティのハープシコード作品におけるアッチアッカトゥーラはこれとは異なる原理,つまり一瞬の装飾や薬味ではなく,むしろ有機的な原理であるところの内部ペダル音と和音の重ね合わせに基づいている.従って,アッチアッカトゥーラを短く演奏するというジェミニアーニの処方は一般にはスカルラッティに当てはまらない.多くの場合,衝突する音は内部ペダル音や和声の有機的な構成要素としてできるだけ長く保持されるべきである.」(「ドメニコ・スカルラッティ」、付記第4章から)通常、アッチャカトゥーラとは和音に二度音程の音を付加して同時に鳴らす「装飾」(アルペジョ化すればモルデント)と考えられているようです。が、例えばスカルラッティの有名なソナタK.119に出てくる厚い不協和音は、そういった装飾といったレベルではなく、意図された響きに不可欠な和声音になっているというわけです。「沈める寺」のクライマックスでは、ハ長調の和音のうち鳴っていないのはホとロの音だけ、残りの全ての音がフォルテでガンガン響きます。ここで背筋がゾクゾクする感じは、まさにスカルラッティのソナタにある類似のフレーズと共通するものです。お題のケルト伝説に着想したドビュッシー本人としては、むしろ三七抜きの五音音階(ペンタトニック)によるエキゾチスムを意図していたのかも知れませんが、少なくともここでは全く違った効果をもたらしていると言えるでしょう。ところで、上記カークパトリックの引用の直後には括弧書きで以下のような文章が付記されています。「スカルラッティのより荒々しいアッチアッカトゥーラがハープシコードの音色に対する効果のみを表し,現代ピアノの上ではよく響かせることができない,というロンゴの仮定は,スカルラッティのアッチアッカトゥーラが持つその有機的な性格によってのみならず,1906 年以降の遥かに現代的なピアノ音楽の特徴からも無効とされる.」「沈める寺」を聴いた後では、この指摘も至極当然のことに聞こえますが、ここで亭主は「1906年」という年号が気になり始めました。「現代的なピアノ音楽」とそれ以前との分水嶺がこの年だったとすると、カークパトリックの脳裏にあったのは一体どのようなピアノ曲だったのでしょう?亭主には、1906年に世に出た著名なピアノ曲で、このように明確に一線を画すような作品として思い当たるものがありません。(ちなみに、ドビュッシーの前奏曲集第1巻の初演は1910年頃、映像第1、2集はそれぞれ1905年、1907年の出版とされているようです。)どなたかご存知でしたら教えて下さい!
2012.08.12
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先週、マニュエル・ブラスコ・デ・ネブラの作品を入れたC. CerasiのCDが英国から届きました。このCD、亭主がよく利用するHMVオンラインショップでは「現在入手困難」とされていたので一瞬諦めかけたのですが、念のためにとアマゾンのサイトで調べてみると、そこに店を出している英国のショップが扱っていることが分かり即発注、首尾よく落手した次第です。ライナーノートを紐解くと、作曲家のことがかなり詳しく紹介されています。先日のブログで言及したホセ・デ・ネブラは彼の叔父にあたるそうで、ネブラ一族がバッハ家のように多数の音楽家を輩出した大家族であることも分かりました。マニュエルは1750年生まれですから、スカルラッティが没した年にはまだ7歳でしたが、ネブラ家出身の音楽家の中でも特に才能に恵まれ、その作品はソレールとともにスカルラッティ以来のスペイン鍵盤音楽の伝統を引き継ぐものという位置づけになっているとのこと。彼が34歳の若さで他界し、そのすぐ後に父親が亡くなっていますが、その時に売りに出された遺産の中ではマニュエルの作品が父親のそれよりも2倍以上の価格で取引されたとあり、マニュエルが生前から高い評価を受けていたことが伺われます。前述の遺産競売の目録には、ブラスコ・デ・ネブラの作品として172曲が挙っているそうですが、伝わっているのは作品1として生前にマドリードで出版された「6つのソナタ」(1780年)、モンセラット手稿の「6つのパストレラスと12のソナタ」、およびインカルナシオン修道院手稿の「6つのソナタ」の都合30曲のみだそうで、このCDにはモンセラット手稿から5曲、作品1から3曲(1、2、5番)、インカルナシオン手稿から1曲が取り上げられています。スカルラッティやソレールの単一楽章ソナタと異なり、これらの作品はいずれも二ないし三楽章から構成されていて、最初の楽章は例外なくアダージョ、次にパストレーラ、そしてアレグロやミヌエット(二楽章の場合にはパストレーラがない)となっています。この点、どちらかと言えばセイシャスの作品に似た構成になっていると言えるでしょう。Cerasiは、演奏に際してハープシコードとフォルテピアノを作品毎に使い分けているのですが、ハープシコードは何とあのフィンチコック・コレクション中のアントネスによる1785製のオリジナル楽器を使っています。かつてウーレイがセイシャスのソナタを録音する際(1988年)に用いたものと同じですが、驚いたことに音の響きが遥かによくなっています。Cerasiの録音が2003年とありますから、恐らくはこの15年の間に録音技術が進んだということなのでしょう。ちなみに、ペリアネスが弾いた作品1の5はハープシコードによる演奏で、亭主の好みとしてはピアノよりこちらの方が音響効果の上で勝っているように感じます。ピアノフォルテの方もオリジナル楽器(Lengerer、1793年)とありますが、こちらも大変すばらしい響き。(J.-P.ベルダーが用いていた楽器に近いものがあります。)ところで、このCD中で唯一の単一楽章ソナタであるインカルナシオン手稿からの一曲(VI、c-minor)は、全体としてスカルラッティのソナタを思い起こさせる雰囲気が強く感じられる佳作です。他の5曲がどのようなものだか是非とも聴いてみたいところ。(これを書きながらネットを検索したところ、YouTube上にこの手稿作品のピアノによる演奏がアップされているのを発見してビックリ。どうやら手稿譜には107番から112番という元の通し番号が付いているようで、107,108,110,111番などの演奏を聴くことが出来ます。この番号付けで行くと、Cerasiが弾いているのは112番?)(2024年現在では非公開)
2012.08.05
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