全5件 (5件中 1-5件目)
1
![]()
週末の土曜日、仕事で東京を往復する車上で表題の本を読み始めたところ、面白くて「書置く能わず」状態となり、一気に通読しました。副題に「政治・外交・音楽ビジネス」、また腰巻きに「《メサイア》は本当に宗教曲なのか--? オペラやオラトリオに隠された裏の意味を探る」とあるように、本書はヘンデルや父バッハが活躍していた18世紀前半のヨーロッパにおける政治・社会情勢を追いながら、同時代のオペラやオラトリオといった声楽作品が、純粋な芸術作品というよりは「時事問題エンターテイメント」として受容・消費された—だからこそ様々な立場・階級の人々の喝采を博し、その後は急速に忘れられた—ことを明らかにしたもので、亭主にとっても長年積もり積もったモヤモヤを一気に解消してくれるような内容でした。亭主がバロック以前の音楽に興味を持ち始めて以来、いつも疑問に思っていたことの一つは、ヘンデルをはじめ当時の多数のオペラ作曲家、および彼らによる無数のオペラ作品が、19世紀以降200年近くもの長い間、全く忘れ去られていた点です。例えば、音楽ジャーナリストの元祖ともいうべきチャールズ・バーニーによる18世紀の音楽旅行記を読むと、当時のナポリがオペラを中心とした「音楽の都」としていかに活況を呈していたかが活写されていますが、そこで活躍していた父スカルラッティを始めほぼ全ての音楽家は、20世紀の古楽復興運動以前には完全に忘却の彼方にありました。ヘンデルにしても然りで、いわゆるクラシック音楽の世界では、依然として「水上の音楽」、「王宮の花火の音楽」といった管弦楽作品、あるいは年末恒例のオラトリオ「メサイア」の作者として知られている程度。その原因として亭主は、フランス革命を経た19世紀以降に音楽のパトロンが王侯貴族、あるいは教会組織から商人へと移り、音楽の趣味が大きく変わったこと、あるいは産業革命を経た時代の意識が「古い音楽」を単に捨て去るべき対象とみなす進歩主義に取り憑かれたこと、などを漠然と考えていました。表題の著作では、これらとは全く別の視点、すなわち18世紀の音楽が「芸術音楽」ではなく、その時々の政治・社会的文脈の中で消費される「機会音楽」だったことを見せてくれます。その証拠としてあげられるのが、18世紀前半のヨーロッパの政治・社会情勢と作品中の物語の対応です。というのも、ヘンデルの声楽作品に出てくる古代の歴史や聖書物語は、多かれ少なかれ原形からデフォルメされており、当時の時事ネタの風刺になっている、というわけです。ちなみに、18世紀前半において音楽家のみならず多くの人々の人生に大きな影響を及ぼした事件として、まず思い浮かぶのはスペイン継承戦争(1701-1714年)です。これについては、ナポリ・ローマを中心に活躍していたスカルラッティ父子のことを調べ回っていた亭主にとってある程度馴染みのある話でした。一方、ヘンデルが活躍した英国では、ハノーヴァー朝の開始(1714年)とそれに続くジャコバイト運動(1715年と1745年の2度にわたり反乱軍が蜂起)、さらには独・仏・墺・伊に教皇庁を巻き込んだオーストリア継承戦争(1740-1748年)といった動乱が起き、王侯、貴族、聖職者、市民がそれぞれの立場で翻弄されることになります。本書では、ヘンデルのオペラやオラトリオが、これらの動乱の中で特に王侯・貴族の意を汲んだメッセージを登場人物に埋め込み、風刺も交えたエンターテイメントとして広く公衆にウケた様子が描かれています。そうとわかってみると、このような時事ネタやその風刺を主眼とした機会作品としてのオペラやオラトリオが、対象となっていた政治・社会の変化とともに綺麗さっぱり忘れられることも当然というもの。かくして、ヘンデルは音楽史上の名前だけになってしまった、というわけです。(他の「ナポリ派」の音楽家もおそらく同様の事情で忘れ去られたのでしょう。)本書を読了後、亭主はその昔「TVタックル」という番組で、折々の日本の政治情勢を江戸時代に移して風刺した「時代劇」が流れていたのを大いに楽しんだことを思い出しました。音楽に限らず、今日の芸術活動はいわゆる「作品中心主義」一辺倒ですが、18世紀のこのような柔軟な発想には学ぶべき点もあるのではないか(「芸術」も俄然面白くなる?)と愚考する次第。
2019.01.27
コメント(0)
![]()
このところなぜかアンドレアス・シュタイアーに縁がある亭主、つい最近も彼がハープシコード・ソロを務める表題の新譜に目が止まり、思わずネットでポチリ。ポルトガルの伝統的な装飾タイル「アズレージョ」(中でもカーペットダイルと呼ばれるものか?)から採られたと思しきジャケットデザインが目に鮮やかです。タワーレコードの紹介記事が充実しているので、以下少し引用です:シュタイアーが誘う18世紀イベリア半島への旅シュタイアーと行く、18世紀スペイン・ポルトガルの世界。À Portuguesa~ポルトガル風の~イベリアの協奏曲とソナタ集と題した、18世紀のイベリア半島にまつわる音楽集の登場です。ヴィルトゥオーゾ的要素もあるセイシャスの充実の協奏曲や、ボッケリーニがマドリードの喧騒を描いた作品から、イベリア半島の音楽の需要が高かった英国で生まれた、イベリア半島に由来する音楽までを網羅した非常に凝ったプログラム。(以下略)この紹介記事、よく読むとどうやらライナーノートに付けられたフェルナンド・ミゲル・ジャロートさんの解説記事を抄訳したものらしく、それなりに正確に内容を伝えています。(ちなみにジャロートさんは当楽団のコンティニュオ奏者)収録されている作品は、演奏の順に・W. コルベット: 協奏曲「ポルトガル風に」op.VIII-7「Le Bizzarie Universali」より)・セイシャス: ハープシコード協奏曲 ト短調(3楽章)・D. スカルラッティ:ソナタ K. 8、K. 13、K. 173・セイシャス: ハープシコード協奏曲 イ長調(3楽章)・C. エイヴィソン: 合奏協奏曲第5番 ニ短調・ ボッケリーニ/シュタイアー編: 弦楽五重奏曲「マドリードの通りの夜の音楽」op.30-6となっています。どうやらシュタイアーは、あるテーマに基づく演奏会プログラムのようなCDレコーディングが好きなようで、例えば昨年暮れに亭主が手にした「憂うつを晴らすために~ドイツ、フランス・バロック鍵盤作品集」というCDも17世紀ハープシコード音楽を御題にしたものです。また、同じイベリア趣味という点では、20年前に出た「ファンダンゴ~スペインのチェンバロ音楽」の続編ということができるかも。(終曲にボッケリーニの五重奏曲を置いている点も似た作りです。)当時シュタイアーは、このアルバムであえてD. スカルラッティを取り上げなかったこともあり、今回スペインではなく「ポルトガル」という文脈で彼のソナタを取り上げたところが面白いところです。収録された3曲のスカルラッティ・ソナタのうち、K. 8とK. 13は言わずと知れた「練習曲集(Essercizi)」からで、これはおそらくこの曲集がポルトガル国王ジョアン5世(マリア・バルバラの父)に献呈されるなど、その成立がポルトガルと深く関わっていることから来ていると想像されます。(ついでに言えば、エイヴィソンの作品も「練習曲集」のソナタを基にしたもの。)問題はK. 173で、これはヴェネチア/パルマ手稿で言うと第I巻に、第26曲として収まっている作品ですが、この選曲についてはライナーノートにも何も記載がなく、亭主にとってはナゾかけをされたような感じです。(ちょっと調べた限りでは、この作品そのものについての言及もほとんど見つけることができませんでした。)とはいえ、このプログラムの中心は、むしろセイシャスによる2曲のハープシコード協奏曲ではないかと思われます。特に素晴らしいのがト短調のそれで、聴いていると随所に彼のソナタを思い起こさせる雰囲気を感じることができます。(イ長調の作品もとてもいい感じなのですが、全楽章の演奏時間が5分少々と大変短く、作品に浸る間もなく終わってしまうのが惜しいところ。)もう一度タワーレコードの解説から引用すると 協奏曲は、コインブラ大学の図書館で現在保管されているト長調(1742年頃)のものと、リスボンの図書館に保管されているイ長調(手稿譜、1730年頃?)のふたつがセイシャスのものと確認されています。どちらも3楽章形式で、終楽章が活き活きとした舞曲になっているのが特徴で、ト短調のものの終楽章はイベリアの舞曲、イ長調の終楽章はイタリア風のジーグの舞曲となっています。疾風怒涛様式をも感じさせる、充実した作品で、ヴィルトゥオーゾ性の強いもの。シュタイアーの切れ味抜群のソロも圧巻です。とあります。ちなみに、CDには残念ながら使用した楽器の情報が見当たりませんでしたが、亭主の耳にはフレンチでもジャーマンでもないハープシコードの音色で、この点でも面白い録音でした。
2019.01.20
コメント(3)

すでに昨年(2018年)暮のことになってしまいましたが、朝日新聞の芸術欄で「バッハを飾らず 正面から」というタイトルが付いたハープシコード奏者、小林道夫氏の近況を伝える記事に目が止まりました。少し長くなりますが以下にその全文を引用してみましょう。85歳のチェンバロ奏者、小林道夫がバッハの演奏を深化させている。5年ぶりの録音で「インヴェンションとシンフォニア」を出し、今月は、恒例のゴルドベルク変奏曲のリサイタルも開く。 「インヴェンションとシンフォニア」は、鍵盤楽器の教材となる曲集。模範になる演奏はどれかと若手に問われ、既存の録音を聴き比べたところ装飾がうるさく感じ、「飾らなくても飽きのこない演奏はできる」と思った。「オーソドックスに真正面から、音符にアプローチしていく方法」をとったという。 東京芸大楽理科で学んだのが1950年代。60年代に、バッハの演奏解釈が一転した。資料や楽器の研究に基づいて、譜面に書かれていない要素を加味し、作曲当時の演奏に近づける古楽演奏の考え方が広まったのだ。「完璧にきちんと音符が並ぶべきだとされていたのに、オランダのブリュッヘンやレオンハルトが、強拍を大事に弱拍を短く、不均衡に弾くのが正しいと、旗を振った」。その結果、演奏はより生き生きと聞こえるようになった。 そうした動きを評価しつつも、楽譜に書き残された曲自体の骨組みや論理を、壊してはいけないと考える。 「生き生きさせる面白さに引っ張られすぎると、バッハが隣のおっさんみたいになってしまう。バッハはやはり巨大な存在。我々の日常感覚で引き下ろしてはいけない」(以下12月のリサイタルの案内文) この記事、執筆者である安倍美佳子さんが小林道夫氏の言葉を再構成したものなので、同氏本人の考えがどこまで正確に反映されているのかは定かではありません。とはいえ、1960年代以降の古楽復興運動に立ち会ったこの世代の一部の古楽奏者の本心のようなものを垣間見るようで、亭主は大変興味深く読みました。 オランダのブリュッヘンやレオンハルト一派による古楽復興運動については、これをこの記事同様に必ずしも快く思わない(前後の文脈に照らして、ここでの「評価しつつも」という言葉の裏には、頭ではわかっても心情としては受け入れ難い、という気持ちがにじみ出ています)同時代の演奏家として、例えば先年亡くなったズザナ・ルージッチコヴァーさん(1927-2017)が思い浮かびます。彼女もどこかのインタビュー記事の中で、レオンハルトが「あまりにイデオロギー的になった」ので魅力を失ったと語っていました。記事中にもある「旗を振った」という表現は、まさに古楽復興が(運動)ムーブメントとなり、それを受け入れられない演奏家が「守旧派扱いされている」と感じたことを暗示しています。 一方で、記事の冒頭あたりにある「模範になる演奏」という言葉が、亭主にはもう一つの中心的な考え方を要約しているように読めます。他でもないクラシシズム、いわゆるお手本主義です。質問を発したという「若手」もやや安直ですが(後述)、これに対する記事中の小林氏の反応を眺めると、古楽復興運動のアンチテーゼとしてクラシシズム的な思考・感性が依然として抜き難く存在しているらしいことが分かり、大変興味深いものがあります。 ここで言うクラシシズムとは、18世紀末以降に、音楽において作曲と演奏の分業が明確になり、演奏専門の音楽家が現れることに対応して出てくる考え方です。そこでは、作曲家は(自分以外の演奏者にもわかるよう)音楽的意図を「完璧にきちんと音符を並べて」おり、演奏専門家もそれを大前提に演奏に臨みます。そこでのゲームのルールは、「音符を手掛かりに、如何に作曲家の真の意図に近づくか」で、最も近づいた演奏を「お手本」とする発想もここから容易に導かれます。 とはいえ、今では楽譜として残された18世紀以前の音楽の大部分が「演奏の速記録」のような機会的なもので、作曲家も兼ねる演奏家が、当時の演奏習慣に従って演奏毎にある程度即興的な要素を取り入れていたらしいことは確実と思われています。そして、この「譜面に書かれていない要素」も含め、装飾音や変奏を音楽の本質とみるのが古楽復興運動の唱導者達であるとすれば、これを付随的な要素として一段低く捉えるのがクラシシズム的な思考ということになるでしょう。引用記事中の「装飾がうるさく感じ、『飾らなくても飽きのこない演奏はできる』と思った」とある部分、まさにそのような思考回路を感じさせます。 それにしても、もしもこのような言葉が古楽界の偉大な先達の口から発せられたとすれば、亭主にとっては実に衝撃的です。例えばラモーの譜面にある装飾音は、それを一部でも取り去ってしまえば全く別物に聞こえるほど、音楽そのものの一部となっているように感じられます。同時代のバッハの音楽についても、「書かれていたかもしれない」装飾音を探ることは音楽の本質に迫る作業ではないでしょうか。(お題であるインヴェンションにしても、第1番にある異稿BWV 772aはまさにその正当性を裏付けるように見えます。)装飾音を単に演奏に飽きが来ないための方便と見なしているのは一体誰なのか、確かめたくなるほどです。(亭主は予々、この「装飾音」という用語自体に問題があると感じています。どうしても「単なるお飾り」という価値判断が忍び込む余地があるからです。) なお、関連する重要な問題として、このようなクラシシズム的な考え方が、音楽教育の現場にとっては大変便利なものでもあり、音楽学校で権威に基づいて垂範されることで「お手本主義」そのものも再生産されていくことが挙げられます。以前にこのブログでジャン・ロンドーの新譜を取り上げた際に、そこに引用されていたジル・ドゥルーズの箴言「教師の役割:それは生徒に自分の孤独との折り合いをつけさせることだ」を紹介しましたが、お手本主義はこれと真逆の考え方でもあります。 ちなみに、亭主はあのブログを書いた後で、CDのジャケットにあるローラースケートをはいたロンドー少年の写真の意味がおぼろげながら分かった気がしました。彼はスケート靴を履いたもののどうやって滑ってよいやら分からず、一人悪戦苦闘していたのでしょう。ドゥルーズの箴言はそんな彼に「お手本などない、独りでやり方を考えるしかないんだよ」と言っているようです。 なお、同じ世代の橋本英二先生(1931~)は、このような孤独な探求者のために「バロックから初期古典派までの音楽の奏法」という素晴らしい本を書いておられます。この本、亭主にとってはバイブルのような書物で、当時の演奏習慣のエッセンスを膨大な文献・楽譜の研究から抽出し、わざわざ日本人のために日本語でまとめられています。そこには「お手本主義」の香りは微塵もなく、ひたすら事実を追う古楽の探求者としての真摯なお姿が透けて見えます。「模範になる演奏」を所望した「若手」がなすべきことは、例えばこの書物に分け入り、自らの答え探すことではないか、などと自らの分際もわきまえず妄想した次第でした。
2019.01.13
コメント(0)
![]()
ボーッと暮らしているうちにいつの間にか年が明けてしまい、はや松の内もあと1日。年末年始は特に何をするともなく怠惰に過ごしていましたが、そんな亭主の耳に止まったのが、ラジオから流れてきたフランソワ・クープランの「牧歌(ロンド)」です。「あれ?なんだか聴き覚えがあるような。確かプーランクにこんな感じの曲があったよなぁ…」調べてみると、亭主の頭に浮かんだ曲はフランシス・プーランクのピアノ作品の中の1曲、「3つのノヴェレッテ」第1番でした。クープランの「牧歌」はクラヴサン曲集第2巻、第6組曲に含まれる作品で、あの有名な「神秘の障壁」の直後に置かれています。実は昨年12月に足を運んだシュタイアーの演奏会でも取り上げられていたのですが、その時には亭主の耳は無反応。おそらくテンポの取り方やアーティキュレーションによっても印象が変わるからでしょう。(残念ながらラジオから流れていたのが誰の演奏なのかは分からずじまいでしたが。)同じフランスの音楽家である上に、名前も紛らわしい(?)というどうでもよい話はさておき、プーランクがクープランも含め18世紀以前の音楽をどの程度意識していたかは興味があるところ。亭主が愛聴しているポール・クロスリーによるピアノ作品全集につけられたライナーノートによると、「プーランクの好みは幼い頃からはっきりしていた。彼は母親がピアノで弾いてくれる音楽が好きだった。モーツァルト、ショパン、シューベルト、シューマン、スカルラッティにグリーグも少々。…」とあり、亭主にとってはスカルラッティの名が目を引きますが、クープランは出てこないようです。一方で、プーランクはワンダ・ランドフスカと親交があり、彼女に委嘱されてクラヴサンを主役にした合奏曲「田園のコンセール」を二十歳代後半に作曲しています。この作品、通常は「チェンバロ協奏曲」と呼ばれているようですが、原題にあるコンセールという言葉は18世紀の器楽合奏を意識したもので、まさにクープランのそれを思い起こさせます。作曲されたのが1927年と、前述の「3つのノヴェレッテ」のうちの初めの2曲が作曲された1928年と近いところも示唆的です。想像するに、ランドフスカとの交流の中で、プーランクは彼女の演奏を通じてフランス・クラヴサン音楽、特にフランソワ・クープランの音楽に相当程度親しんでいたはずです。中でも印象的な作品が並ぶ第6組曲の作品は、彼にとっても馴染みの曲だったと思われます。そして、その印象がノヴェレッテ第1番に忍び込んでいたとしても不思議ではない…というのが今年初の亭主の妄想でした。なお、1954年のインタヴュー記事によると、プーランクは「音楽でモーツァルトに勝るものはない」と断言しているようですが、彼は素直な性格なのか、作品にもその影響がモロに現れています(例えば亭主が好きなフルートソナタや2台ピアノのための協奏曲など)。同じ伝でクープランの影響が垣間見えることもありではないでしょうか。彼の好みの他の音楽家たちの影響をその作品の中に探してみるのも一興というもの。もちろん、彼の名誉のために誤解のないよう付け加えるならば、その作品はどれも一聴するなり「あ、プーランクだ」と分かる、真にオリジナルなものであることは言を俟たないところです。
2019.01.06
コメント(0)

新年あけましておめでとうございます。 今年も古楽でワクワクする一年になりますように! 2019年元旦 亭主敬白
2019.01.01
コメント(0)
全5件 (5件中 1-5件目)
1


![]()