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4年前に紹介した、演劇女優のバーバラさんが、昨晩、当市の小劇場で「ピカソの女たち」という劇を上演しました。演出も彼女で、出演は彼女ともう一人の女優さん。今回の「パート1」ではこの二人が、ピカソが愛したり、愛されたり、結婚したり、密会したりした8人の女性たち(本当はもっといるかも、この劇で紹介されるのは8人)の内、4人を演じました。一週間後のパート2で残り4人の女性をまた演じます。場合によっては、8人の女優さんがずらりと出て演じることもあるのだとか。劇では、ピカソの妻だったり、愛人だったりして女性が、観客を報道陣に見立てて、自分とピカソとの間柄や苦しみや喜びを語ります。こういう語りを聞いているうちに、ピカソがどう女性を扱っていたか(彼は「女性は神々か、足フキマットかのどっちかでしかない」と言ったとか)、それでも女性たちがピカソを愛せずにはいられなかったことが、想像できてきます。語りの後は、彼女たち(役の上でのピカソの女性たち)に観客が「報道陣として」質問することができます。演じるバーバラさんたちはピカソに関するあらゆる本を読んで勉強したそうで、どんな質問にも、まるで彼女たちが本当にピカソの女性たちであったかのように答えるのが面白かった。ある観客が「ピカソはそれぞれの女性と関係を結んでいた間はその女性に対して貞淑だったのですか?」と聞きました。バーバラさんは「とんでもない。ピカソはこれだけ奥さんや女性をとっかえひっかえしている間も、娼婦の元にも通っていたのです」と答えました。よく俳優などが「女性は芸の肥やし」とのたまうでしょう。ピカソはそういうこともほのめかしていたようです。BFは「そんなマッチョなヤツで、しかもハンサムでもないし、背が高くもないピカソになんでこんなにたくさんの女性が惚れたり、つくしたりするんだろう」とブツブツ言ってましたけどね。あんた、女性心をわかってないねえ。去年秋にコートダジュールのアンティープのピカソ美術館に行って、あらためてピカソの色づかいの美しさに感嘆したところ。あんまり女性像については考えたことがなかったわ。上演後にはバーバラさんや共演の女性、演劇関係の人たちとカフェに行って、ふだんは触れることのない世界の人たちと話ができて、おもしろい時をすごすことができました。
2015/02/24
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山の上のホテルのカフェにて。「わたしの隣の席、空いてますよ。よかったら、おすわりください。わたしはね、シュタウフェンに住んでます。もう寡夫です。最初の妻とはずっと昔に別れました。二度目の妻は15年前に高速道路の交通事故で亡くしました。『それでも生き続けなければならない』を実感しましたよ。退職前はコンピュータのセールスを担当してましたよ。リタイア後の今は演劇をしてるんです。ある時、カフェに座っていたら、劇団をやっている人が声をかけてきて、役者になる気はないかって聞くんです。その人はわたしが発散しているオーラに気がついたんでしょうねえ。わたしの魅力にね。背が高くてすらっとしているし。ちょっとXXという俳優に似てるでしょう、わたし?それにわたしの声も響きが良くて、魅力的だし。生まれつきの役者なのかなあ、僕って、はっはっはっ。この声を生かして、就学前の子どもたちに読み聞かせをしています。ボランティアでね。子どもたちがキラキラ光る目で、熱心に耳を傾けてくれるので、うれしくなります。『ファウスト』の舞台になったシュタウフェンとゲーテとの関係について聞きたい?よくぞ聞いてくれました。わたしこそが適任です。よく『無料』でシュタウフェンの観光案内をしてるんです。なんたって、わたしは歴史のことはよく知ってますからなあ。そう、ゲーテはシュタウフェンに住んだことはないけれど、ファウストという人物は実際にいたんですよ。、、、(中略)あなた、「緑の党』の支持者ですって?あれは嘘つき集団ですよ。地球温暖化なんて、嘘ばっかり。氷河が毎年消えてるって?北極の氷が解けてるって?あれはね、毒ガスのせいなんですよ。ほら、空を見上げると、よく飛行機雲みたいなのが見えるでしょ?あれはね、どこかの組織が特殊な化学物質をふりまいているんです。あの物質が世界中の氷河や永久凍土を解かしてるの。人間のエネルギー消費のせいじゃないんですよ。省エネライトなんて、水銀が混じってるじゃないですか。白熱灯をやめて省エネライトを使えなんて、とんでもない。え?人類の歴史上、二酸化炭素の濃度がこれほど高いことはかつてなかったって?だから、これがどういう影響を及ぼすかはわからないって?海はプラスチックの微粒子であふれているって?魚は過剰捕獲でたいへんだって?そりゃそうかもしれないけれど、、、、。えーっと。メタンガスの排気も大問題だって?そう、たしかにね、家畜から大量に出るからな、、、。あれも温室効果ガスか。。。。あ、わたし、トイレに行ってきます。あ、もうお帰りになるんですか?残念だなあ、これから話が面白くなりそうなのに。今度、シュタウフェンにいらして、わたしを見かけたら、ポンと肩をたたいてください。それでも反応がなかったら、腕をつねってください。シュタウフェンの町を『無料で』ご案内しますから。」
2015/02/19
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絹のスカートから袖無しブラウスにリメイク posted by (C)solar08(その下のタートルネックはHIROKO BIS)もう新しい洋服はいらない年齢だというのに、ついいりもしない服を買ってしまっては後悔します。だいたいね、着ていく機会もないのよ。10年ぐらい前までは、人前(日本で)で話をする仕事や視察団体(日本からの)のご案内をする仕事がかなりあって、そのためにスーツなどを(日本で)買っていました。そうしたスーツは一度か二度着ただけで、タンスの奥に消えていき、たまるばかりでした。スカートもそう、人前で話すにはジーンズでは失礼かもしれない、かといってかっこわるい脚をさらすのも気がひけて、いつしかスーツの代わりにロングスカートを着用するようになり、これもたまってしまいましたが、今は何だかおばさんぽくて(ってわたしはおばさんどころか、おばあさんなんだけど、自覚意識がないので)、着る気になりません。今はもう小映画を観に行くにも、食事に行くにもボトムはジーンズ。自分が何を身につけるかは、周囲の人に強く影響されるものなのだと、あらためて気がつきます。フライブルクの市民はあんまりおしゃれをしないのよ。というか、目立たないおしゃれかも。ティーンエージャーは別として。だから、たまに日本に出かけるときには、困ってしまいます。トレンドがわからないから(って、いまさらおしゃれに気をつかってもしょうがないけど)。でも、たまった服を捨てる気にはなれません。服ができあがるまでの資源(原料づくりから布まで)や手間・労働を考えると、もったいなくて申し訳なくて。母のお古のブレザーやコートまでとってあります。とはいっても編み物同様、縫い物もものすごく下手なので、リメイクの道もかぎられています。タンスをほじくっていたら、ロングでバイアス断ちで、すそが軽くフレアーになっているシルクのスカートを二枚見つけました。バイアス断ちは伸縮がきくので、これならダーツを入れたり、脇線にカーブをつける必要もないかもしれない。それなら、スカートの脇の縫い目もほどかずそのまま脇線にし、すそもこのままブラウスの裾に利用してして、袖ぐりとえりぐりだけ開ければいいんじゃないか。だめでもともと。袖無しブラウスの型紙の袖ぐりの部分をスカートにあてて、印をつけ、襟ぐりも同様にしてカット。ミシンに糸を通すのも面倒なので、手縫いで袖開きの部分に見返しをつけて始末をし、襟開きはポートネック(見返しがいらない)の端を始末しただけで、出来上がり。ダーツも、脇縫いも、縫い代の始末も裾の始末もまったくいらないので、とても楽です。絹のスカートから袖無しブラウスにリメイク posted by (C)solar08同じ袖ぐりと襟ぐりの形で、最初の写真と上の写真の二枚、ブラウスができました。二枚目のはスカートの裾に手で刺繍がほどこされていたので、これもそのままブラウスの飾りになりました。両方とも、着て見ると、バイアス断ちのおかげでブラウスが体の線にまとわりついてくれて、ダーツをいれたみたいな感じです。二枚目のスカートは、裏地の材料もシルク100%と書かれていました。さすが日本製。腐ってもシルク。捨てるのはもったいないので、同じ手法で、やや短め(裏地なので、本体のスカートよりも短かったのは当然)のブラウス。絹のスカート裏地からリメイクしたトップ posted by (C)solar08これでもおへその下までの長さになります。夏に涼しそう。困ったのはプリーツギャザースカートから袖無しブラウス posted by (C)solar08未完成30年近く前に、優雅で優美なマダムMさんから頂いたスカート。素材はアセテートなどの合成だけれど、なにしろ模様がきれい。知らない人からもよくほめられたスカート。でもね、ウエストが入らないし、形がやっぱりおとなしすぎて(?)、着用する機会はもうなさそうなのです。昔はほんとによく着ましたが。この写真みたら、Mさんのけぞって驚くだろうなあ(まさかこのブログ読んでないでしょうね)このスカートはバイアス断ちでもないし、ひだが入っているしで、リメイクがむずかしそう。しかも、ベルトの部分のピンタックがとても凝っているので、ぜひこのベルトをそのまま襟として使ったので、ますますリメイクの仕方が思いつけません。とりあえず、袖ぐりだけ開けて始末しただけ。着てみると、ギャザーのせいでお腹の部分がぶあんと広がってます。まさしくスカートをかぶったという感じそのままです。ヒエー胸の下にシャーリングでも入れればいいのかなしら。シャーリングって、やり直しが効かない(一度やって懲りた。ほどくのが大変)ので、勇気が出ません。プリーツギャザースカートのベルト部分をそのまま襟にしたブラウス posted by (C)solar08未完成涙ぐましい、貧乏っちい話でしょう?でもね、新しい服を買ってすぐに飽きるよりは、自分の良心にかなっているの。
2015/02/14
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わたしが五歳ぐらいの頃、当時住んでいた古い家の床が持ち上げられた。当時の実家は、大正時代の大震災にも耐え、二次大戦の爆撃も免れた、古い代物だった。父方の曾祖父と曾祖母が小田原からでてきて本郷のに買った家で、明治時代に建てられたという小さな家が一つの敷地内に二つならんでいた。これら二つの家は床の位置が低くて、シロアリなどの被害を受けやすかったようで、ついに土台を持ち上げるという大改築が決定されたようだ。上に建っている家はそのままにして、土台を持ち上げるのだ。わたしが覚えているのは、ちょっと怖い顔をした、筋肉もりもりの男性たちが、ねじり鉢巻きをして家の四隅に陣取り、「エーンやコーラ」とかけ声をあげながら、ジャッキだかなんだかを動かしていた風景だけだ。威勢よく肉体労働に集中する男性たちの背中から肩、腕にかけての筋肉は、ふだん見慣れている父親の、白い肌の女性のような柔らかいそれとはまったく異質で、わたしは恐怖と畏敬と混じった気持ちで、いつまでも眺めていた。土台上げ後は、村山さんという大工の棟梁がしょっちゅういらして、あちらこちらを直していた。村山さんは80才ぐらいという長老で、眼鏡の奥の目が無限にやさしく、子どものわたしたちにも「かんなや刃物のそばには近寄ってはいけないよ」という厳しい言葉のほかは、とてもやさしく声をかけて下さった。彼のいましめはまさに妥当で、いましめを守らずに手を出した女の子(幼稚園の同じクラスの女の子で、どういうわけかある日わたしについて来た)はわたしが知らない間にかんなに触れて、指から血を出していた。村山さんは紺色の袖無しシャツを着ていた。見た目は華奢で小柄な男性なのに、そのシャツの胸元からは筋肉が盛り上がっていて、まるで胸をつきだしているかのように見えた。「男の人なのに、胸が出てる」と一瞬、思ったくらいだ。村山さんのやさしい目元を見るのも好きだったし、彼が墨をつけた糸で、角材い印をつけていく精密な作業を観察するのも大好きだった。結婚して数年後に、富士山を遠くに臨み、目の前に三つ峠がそびえる地に家を建てた。建築は東京の知り合いの棟梁にお願いした。この棟梁はなにかというと、「結局、結局」という言葉を口にした。必要もなく「結局」をはさむ彼の口調にわたしは内心、「なにが結局なのよ」とイライラした。「結局」と言うとインテリっぽく聞こえると思っているのかしらと、不当な疑いすらもった。棟上げの日が来た。この棟梁も、洋服を着ている姿は小柄できゃしゃだったが、「一肌脱ぐと」肩や腕、胸に筋肉が盛り上がった姿をあらわした。棟上げの作業で、その汗ばんだ筋肉が無駄なく動く。これこそが「労働」なんだ、こうしてあらゆる筋肉を動かす作業こそが、仕事と呼べるものなのだと思った。いまでも、ゴミ収集や道路改修といった肉体労働を見るたびに、仕事をしている方への畏敬の念をおぼえる。スマートな服を着て、口先だけは巧みな銀行員や政治家などに対しては決して感じることのない念だ。洋服を着て「結局」をくりかえす棟梁はいけ好かない男性ではあったが、シャツだけになって筋肉を全力投球しているその肉体には男を感じ、その姿がいつまでも目に焼き付いた。わたしの気まぐれと見栄から、この家は二、三年後には改築・増築されることになった(元夫よ、ごめんなさい)。今回は、地元の大工さんにお願いした。そして今回も棟梁は小柄の年配のおじさんだった。頭領は、あまり役に立ちそうにも見えない、やる気のなさそうなのっぽの若増をつれてやって来た。棟梁の息子だそうで、二十歳をわずかに過ぎただけで独身だというのに、どこぞに子どもがいるという。のっぺりした顔は表情がまったく変わらず、笑い顔も怒り顔もあらわれない。休憩時もほとんど話すことはない。そういえば、声だけは低く響いて良かったな。ある時、この若僧が作業をしているのを、目の前で見る機会に出くわした。わたしの手がすぐ届きそうに間近なところで、彼のむき出しの腕が窓枠の板を打ちつけている。そのなめらかな腕に目が惹き付けられた。ふと手を出して、その腕をなでてみたい、という衝動にかられ、それをこらえるのに息苦しくなりながら、ただ腕を見つめていた。その後のいく日かは、わたしが赤ん坊のおむつを庭で干そうとすると、彼が物干棒を動かしてくれたりなど、小さな接触がちらほらとあり、その度にわたしは理由もなく、ちいさく歓喜した。一方では、この10才も年下ののっぺり男の存在のせいで、感情が動かされるのがくやしかった。やがて工事が終わって、支払いをすることになり、この若僧といっしょに町中の銀行に行くことになった。彼はスポーツタイプのシックな新車でやってきた。助手席にすわったわたしに、彼はふだんの無口には似合わず、滔々と車の話をしはじめた。車の車種などにはまったく興味のないわたしには、言われるまではこれがVW(フォルクスワーゲン)だということにも気がつかなかったし、そうだと知っても、なんら感慨はおぼえなかった。それよりも、彼の隣にすわっているということで、体が無意識に反応していた。体中がほてり、体中が息苦しくなって、とけてしまいそうに心もとなかった。「六本木のディスコに行くと、トヨタやホンダに乗ってくるような男には女の子は見向きもしないんだ。BMWやVWみたいな外車じゃないと女の子は寄ってこない」などという、彼の無駄口には軽蔑感をおぼえながらも、肉体は別の反応をしていた。この若僧は彼の子どもを産んだ女性と一度はそれでも結婚をしたそうだが、別れてしまったという(そりゃそうだろう)。「でも、金だけは払ってる」と偉そうにのたまう彼の話も、耳を通り抜けていった。やがて支払いが終わり、「無事に」家まで送りとどけてもらい、呪縛は解けた。しばらくたった頃、とつぜん夫が脈絡もなくさらりと言ったことがある。「君がどっかのいい加減な男性に惚れたなんてことを耳にしたら、やっぱりいい気持ちはしないな」と。わたしは「そうお?」とだけ答えた。「結婚しても、何かを約束するなんてことは出来ない。お互いに自由でいるべきだ」と言ったのは、どこのどいつだ?注:ドイツではフォルクスワーゲンは、名前通り国民車であって、高級車とかかっこいいとかみなされるのはやはりBMWとかアウディとかメルセデスとかポルシェ。ちなみにBFは安く中古で買ったトヨタ(今では売られていない車種)にもう8年ぐらい乗っていて、「すばらしい車だ、ぜんぜん壊れない」といまだに満足しています。車は機能さえはたしてくれれば十分なようです。
2015/02/11
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今年のドイツは冬らしい天候がほとんどくることもなく、やっと2月になって日中でも零度以下の日や雪の日がちらほら(山の上は別ですが)。冬物のバーゲンセールも終わりに近づいています。セールで元の値段の半額になったダウンコートを見ると、つい手が出てしまいます。でもね、わたしが長いダウンコート(半コートでなくてヒザまであるコート)を試着して鏡を見ると、着膨れした雪ダルマが目の前にいるようで、買う気がそがれます。体重は20代のときと同じなのに、脂肪の配分が昔とは違って、体の真ん中の部分に集中しているから、、、。店の人に「雪ダルマみたいでがっかりする」と言ったら、「雪ダルマとはね、なるほど、良い表現の仕方を教えてもらったわ。私もこの表現つかわせてもらおっと」と喜んでました。喜ばないでよね。でも、せっかく半額だから買わないのはもったいない(買わない方が本当はもっと節約になるのに)、今期は二着も買ってしまって、どちらもベルリンの娘に送ってしまいました。彼女なら雪だるまには見えない。こうやって、ブティックで服を見ると、娘に送るのが習慣になってしまいました。ちなみに、娘の職業、一応は衣服のデザイナーです。これと同じことを、東京に住んでいた母もほんのちょっと前まで、といっても17年前に他界するまで、ずっと長い間、わたしの結婚以来ずっと、わたしのためにしてくれていました。シルクのタンクトップがほしい」「カシミアのセーターがほしい」とねだると、母はいそいそとデパートに出かけては、いろいろ探して送ってくれたものです。わたしは今でもそれらを着ています。シルクのタンクトップはすり切れるまで(最後は下着として)。母が自分のために買った衣服も、ちょっと着ただけで、すぐにわたしに送ってくれました。そういう「お古」をわたしもちょっと着たあと、さらに娘に送ることがありました。娘はそれらのいくつかを、いまだに着ています。母、わたし、娘は背の高さや肩幅、靴の大きさはほぼ同じなので、お古のまわしができるのです。違うのはウエスト周りだけ。そういえば、母の死後に実家の電話のそばで見つかったメモ用紙には、「来週の月曜日にチー(わたしのこと)のためにxxを買うこと、区役所で証明書をもらうこと」などと書かれていました。日付を見ると、倒れる1日前のメモでした。そのあと意識不明になって、そのまま逝ってしまった母。最後まで、遠くに住むわたしのために、あれこれしてくれたと思うと、申し訳なくなります。でも、自分が娘のために服を買っては送る(贈る)ときの気持ちを考えてみると、贈りたくて贈っている部分が大きいことに気がつきます。別に娘に頼まれたり、乞われてしているのではなく、どこかで娘を応援したいという気持ち。こういうの、親心なのかしらね。まあ、あんまり親という意識はないんだけれど、それでも少しはあるのかな。母の遺品の中から、母の母、つまり母方の祖母が母宛に書いた手紙が出て来て、弟がこれをスキャンして送ってくれました。文面からは、わたしか弟がまだ赤ん坊だった頃のことがうかがえます。「オシメ二組、古いきれですから洗っている内にやぶれるでしせうが、まあしかたがない、ちゃんちゃんこ1枚と入れてあります」祖母もまた、母親になりたての母のために、いろいろ気遣っては、送っていたようです。戦後、数年たった頃の話で、「牛乳の配給券」とか「銘仙の布は闇で買うと2千円以上するけれど、配給切符をもっていけば千円以下で買える」とか、わたしにも想像できない生活の実態がわかって、とても面白い資料です。手紙には祖父(母の父)についても書かれていて、「お父さんは夜の九時、十時でないとかへりませんので困ります。、、、30日の日曜日にそちらから返って(原文のママ)そのばん、十時半ごろにkさんとかへって来まして(祖父が)、ああお腹がすいたと云って酒一升とウイスキー四合でとうとう午前三時まで吞んでいました」この祖父は、孫のわたしの目には、とてもおだやかなやさしい男性でしたが、昔はお酒飲みだったようです。だから、母は酒飲みがきらいで、アルコールがほとんど飲めない父と結婚した理由の一つもこれだったらしいです。とはいえ、母自体は父親ゆずりでアルコールにとても強くて、飲めないわたしはうらやましい思いをしました。祖母が母に「配給券をもらってきなさい」と手紙でやりとりしていた時代(電話は自宅にあったはずなのに)から、母がわたしの子どもたちのために、赤ん坊のおむつをさらしで100枚も縫ってくれた時代、わたしが帰省する娘の赤ん坊のためにドラッグストアでパンパースを買う今の時代まで、あっと云う間に過ぎてしまいましたが、その間に世界はなんと大きく変わったこと!それでも、人間の基本的な生活、「食べ、寝る、排泄する」は変わらないですね。Iなんたらやインターネットがどんなに普及しても、おむつは必要、人生の最初と最後に。あー。
2015/02/09
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ホップ種のバゲット posted by (C)solar08前回のドイツ的パンはまあこれ以上望むこともないけれど、バゲットはいまだに手探りです。クープはね、オーヴンのスチームがバンバン出れば、どうやっても開くということがわかりました。ふだん使っているのは、スチーム調理やスチームを時々わずかに入れながら焼くことができる、いわゆるコンビオーヴンで、蒸気が数分置きにバカバカ出ます。だから、私は予熱の間だけ蒸気コンビのプログラムにして、生地を入れたあとはすぐにコンベクションに切り替えます。それでも庫内に蒸気がたっぷり残っているし、オーヴンの底面の丸い水入れに熱い湯が残っているので、庫内には最後まで蒸気があります。そのおかげで、クープだけはどんなことがあってもぱっくり開いて、帯切れもしばしばです、というかいつも帯切れです。一方では、気泡はいまだに大きく開きません。ドイツのスチームコンビオーヴンは蒸気は満点だけれど、どの機種も(たとえ50万円のでも)最高温度が230なところが難点です。だから、気泡が小さく、クラムが詰まるようなのは、最高温度が低いからかと、オーヴンのせいにしていました。それに、これまで「節電」のために、バゲット二本を同時に焼いていました。これじゃあ、生地を入れたときに、庫内の温度が下がってしまうのは承知でしたけど、なんかもったいなくてね。で、先日、「思い切って」(おおげさ)一本ずつ焼いてみました。コンベクションのオーブンなので、230度でセットして、表示が230度に達しても、生地を入れずにガンガン炊き続けると、実質温度(温度計を別に入れておいています)は、240度近くにはなります。そうなってから、生地を入れます。一本焼きだから、気泡は二本焼きの場合よりも、大きくなるはずと期待したのですが、結果は、クラムが詰まって普通のパンのようになってしまいました。写真は当然なしです。がっかりして、次のときは再び、二本で焼きました。だから、生地を入れたとたんに、オーヴン内の温度は少し下がります。でもね、今回はホップ種のバゲット posted by (C)solar08あいかわらず詰まっている部分が多いけれど、わたしとしてはかなり気泡が開いた方。別の箇所はもっとボコボコでした(全部をお見せできないのは、バゲット一本を四個に切り分けて3個を冷凍し、4日にわたって毎日1区分ずつ食べる(一日一回分長さ4センチ)ので、焼けた直後にすべてを縦割りするわけにはいかないから)。こういうことが、これまでにも何回かありました。くじに当たったみたいに。ということは、気泡の大きさは必ずしもオーヴンの最高温度に左右されるわけではない、ということですよね。発酵や水分の状態によっても、気泡の大きさは大きく変わるみたいで、ますますわからなくなりました。最高温度が300度以上出せる、セミプロ用のオーヴン(中が三面シャモットレンガ張り)で焼いても、それほどの気泡は開きませんでした。気泡のためだけに、大枚はたいて買ったのに。おまけに、このオーヴンは蒸気が出ないので、大型スプレー(園芸で農薬をまくための)で水を噴射したけれど、タイミングが悪いのか、量が足りないのか、クープはスチームコンビオーヴンのようには開きません。すばらしいオーヴンであるのは確かだけれど、なにしろ予熱に1時間半以上かかるので、たった20分のバゲットのために使う気になれません。パンを焼いたあとの余熱(スイッチを切ったあとも、庫内は5時間ぐらい100度以上が続く)でケーキを焼き、肉をとろりと煮たりできるのはすばらしいのですが、前から準備をしておかなければならないので、思い立って焼くということができないのです。===さて、昨年のクリスマス前には、ドイツのレシピで、とてもぱさっとしたシュトレンを焼いてしまいました。それがくやしくて、今回は志賀さんのレシピをちょっとお借りして、ドライフルーツがぎっしり詰まった「日本式シュトレン?」を焼いてみました。ただし、カロリーがあんまりなので、外側のバターと砂糖のコーティングはなし。日本のレシピで焼いたシュトレンもどき posted by (C)solar08洋酒に漬けたレーズン、プルーン、イチジク、クランベリーとクルミがフィリングです。たしかにね、こちらの方がしっとりとして、味がリッチでおいしいわ。でもねえ、これはドイツではシュトレンとしては通じないでしょうね。周囲にプレゼントしたら、みんな「おー、フルーツケーキ」と言ってましたから。いつものパサパサっぽいシュトレンの方がドイツでは好まれるみたいです。所変われば、、、ですね。
2015/02/06
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