2006年03月21日
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久世 光彦著  『一九三四年冬―乱歩』  1997  (株)新潮社  p.42

こういう場所は一軒家が建ち並ぶ田舎の町ではなかなか見つけ出すことができない。
やはり、限られた土地に人口の集中する都市部でないと生まれない状況だろう。

「いまいる<張ホテル>もそうだが、ホテルとかアパートとか、人間が一つの屋根の下、壁一枚隔てて共同生活を営むような場所が乱歩は大好きで、実際この十年、しょっ中家を明けてそんなところばかり泊まり歩いたのも、きっと他人の秘密を覗き見できる幸運の確率が高いと考えたからもかもしれない。」

ここから察するに、おなじアパートでも近代的な鉄筋コンクリート造のだとこういう感覚は味わえないと思う。
やはり、鉄骨か理想的には木造の、しかも真壁造が好ましい。
そうすれば、隣の部屋の音が壁に耳をつけなくとも結構聞こえてくる。
「めぞん一刻」という高橋留美子原作の漫画をご存知だろうか。
その漫画に出てくる一刻館のようなアパートが理想的なんだと思う。


2階建て、全部で8部屋、玄関は共同で一つだけ、そこで靴を脱いで各部屋に暗い中廊下を渡っていく。
トイレも共同だし、一刻館にとてもよく似ている。
違うのは廊下が中廊下で暗いということと、ぼくの住んでいたアパートはキッチンだけは部屋に装備されている点、そして全員が男性だったという点だ。
そんな部屋に住んでいたから当然、隣の部屋の音は良く聞こえた。
テレビなんて普通に聞こえていたし、ときどき女の子の声も聞こえてきたりした。
そんな時、いくら受動的だったとはいえ、「他人の秘密を覗き見できる」ことを「幸運」と感じていたことを否定できない。
べつにエッチの声とか聞こえたわけではないけど、社会的な関係を除いた部分、ほぼ100%プライベートな部分というのを見ることは原則的に不可能であるからだろうか、そういう部分を垣間見ていると思うと不思議に高揚する。

ぼくの知らないところで、いや、誰も知らないところで生きている。
一人でいるという状況はすなわちそういうことだ。
そういう人の人生というとおおげさだけど、生きているさま、存在を気配として感じるチャンスが大きくなる。
そういう状況、気配でつながる空間というものは、ぼくは都会での生活にとって非常に重要な要素の一つであるように思える。

そんな時、このような気配でつながる関係というのは案外気持ちいいものなのではなかろうか。
ぼくもそのアパートに住んでいたときにはそう感じた。
隣から音が聞こえることで、ぼくのほかに生きている人がいると実感し、そこに女の子の声が聞こえたりすると、自分の知らない人生劇がそこで行われているということに興奮する。
そこは知らない人同士、いろんな人生が交錯する空間。
そんなどきどきが味わえるのは都会に住む大きな魅力になっているとぼくは思う。





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最終更新日  2012年04月17日 23時08分15秒
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