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御浜町に、お参りすると伊勢神宮に参ったともされる知っている人はある意味怖い母方の祖父の田んぼがあった近くに一万堂さんが祭られています熊野の金山町では庚申さん、お地蔵さん信仰 ※当家お地蔵さんは山伏さんが書いてくれた(忘れ) なにかが埋められていると親父が言っていたのですがね 旅立っていたしまた伊勢講、金毘羅講もさかんでした講で積み立てたお金を借りる人も居られたような気がします金山町でも馬ヶ山(うまやま)地区の少数の人達で受け継がれています金毘羅講の宿の当番に家にまわってきた時狭い家に大勢の人が来るので嫌でしたね講の式次第は忘れましたが太鼓も叩いていたと思うし大昔は金毘羅さんに向け志原の七里御浜から樽を流したとか、記憶違いかも? それましたが氏子とは何かで昔、ある会議の雑談中に話にあがった黙って聞いていたが100%正解はなく80%正解氏子とは1.金山に住む 金山の地に家をかまえる2.金山の大気を汚す くどに火をくべて金山の水と米を羽釜にいれ飯を炊く、 くどの煙突から煙のぼらせる3.金山で命の食をさせていただく 大気を汚してまでして炊いたご飯を頂く 現在は炊飯器この三点が氏子の基本 他にもあるが略仏教で育った娘達なのに長女 ハワイで二人だけの式を教会であげる次女 私に黙って婚前旅行でヨーロッパ巡り、途中フランスであげるのかと思いきや 帰国後に四日市の式場での教会で日本人の宗教観て重要ではないのですね私は、仲人を立てて結納して婚礼家具受けの儀式して 神様の前でで三三九度しかし、亡くなった時は神式でなく仏式になります ええ加減な者です数年前に多くの遺言を私に託して60歳で亡くなった親友で公務員らしくない公務員だったN君は結婚式も旅立ちも神道であった これが本当の信仰でしょうね神社で必要とするワラ何十年間も親父が提供していましたもち米の長い藁は綯いやすいので、わざわざ稲を刈ってからなる(竹です)に掛け、その後脱穀機で稲をこいて藁は家にもってきて、また乾して12月の秋の大祭やしめ掛けにと昨今、罰あたるような、乾してもない生の藁で灰色がかった今年の藁なのか疑問におもうような藁をもってきてそれも「すぐる」ことなく、しめ縄を綯い始める人も見てしまった今は藁がないのですね皆さん、コンバインで刈りとり藁は裁断され田にまき散らすのですでもね、少し手間ですが藁を裁断せずに後ろに飛ばす事も可能なコンバインも神社で藁が必要だからおいておこうと言う気持ち、大事だと思うのですがね世界遺産の花の巌神社のお縄かけ用の藁を亡くなりましたが、親戚の有馬町のK氏、大量に毎年保管していました、素晴らしい藁ばかりでしたなんというか、藁を確保しておかないとという気持ちが素晴らしい金山でも藁の確保が問題化されそこで神社総代の方から藁を支給してくれる話になっていたのですが既製品のしめ縄なんて、神社側は事前に聞いていたのだろうか?聞いていなく藁を準備していたのだろうか?もしそうだとしても今月半ばの「火伏の神事」でも使うしね参考令和元年の秋の大祭(霜月の当)の祷家が私でした皆さんあてに作成した事項書です11月11日付けで、 17日に金山集会所で準備の打ち合わせ 参加要請の案内分配布 17日の打ち合わせ事項書を私が作成 令和元年秋の大祭・霜月の当の打合わせ事項書1.祭りの概要(案です) 9時 〇準備物搬入 甘酒 清酒 酒の肴、しめ縄 湯呑と盃あらい 他 〇社務所での直会準備 〇社務所は神社総代の婦人の方達で参拝者さんへのくじ引きをあり場所注意 10時 〇神事 〇神事途中でお祓いを受けたしめ縄張り、 〇参拝者に自家製ノンアルコール酒をふるまう 11時 〇直会、私の挨拶、神社総代長挨拶、宮司さん挨拶 12時 〇餅ほり 神社総代による、金山区評議員はほり手の応援?2.当日までの準備 〇縄ない しめ掛け縄結界用90ひろ(約100M) しめ縄 拝殿用 5mと3mの2本の ※藁は私が確保済み、しめ掛け縄は私が事前に30mは綯っておきます 〇祷人 部落民の中から2名決める 〇神垂 しでは、神社で100枚作ってくれます、 〇甘酒 私には無理 発酵してしまうので 米屋さんに発注します 〇お供え清酒 私が準備します 〇藁草履 足が悪く作れませんので呉服店で購入します(葬儀屋ではまずい) ○白足袋 2足、決まった祷人にサイズを聞いて購入に私が行きます ○酒用杓 2本、前年度のを譲渡していただき私が預かっています ○酒の肴 50人分 女性の方達で作って頂きたい にしめ、なます、ヒジキ・町特産のじまめがあると尚良 ○食材他 女性の方達で買い出しをお願いします 料理入れパック 紙コップ アルミパック 里芋、大根、ニンジン・・・・・マグロ お金は事前に渡皆さんの協力で成しえたそのなかでもN君の私の心を察してくれる気遣いに感謝お弓引き神事の準備の時もそうであったが 神事は1月2日(弓人2名)また今度詳しく書きますが12月の弓矢の作成の時、情けなく、歯がゆく、惨めな境地に皆が帰り、私はひとり社務所倉庫の整理して施錠して道路側に歩いていくとなんと、N君が一人帰らずに残っていてくれて私の辛さを理解しいて心配して帰らずに残っていてくれていたのだとすぐにわかった転入者のN君、かなり年下ですがいい人が金山に来てくれた 「グーグルマップ」より 地図貼り付け
2025年12月04日
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金山町の金山神社、中枢の三祭事である作祭り、秋の例大祭、お弓ひきの役頭をさせていただきましたまた神社主催ではなく氏子主催の、しめ掛けの神事の宿元もしましたしかし今年は喪中の身、年が明ける来年の節分の日までは手伝いはできません 6年前。私が祷家の役を担った時、若者たちが様々なお店を出店して下さった 秋の例大祭、今年は11月30日、 本当の祭りの日は昔は12月1日だった今年は鳥居をくぐる事、祭事のお手伝いもできません、お参りも当然だめですねさて祭り、昔は学校も休み、平日も早く終わり だんじり引きの練習にぎわった昔、だんじりは約56年前から姿を消しました56年前の部落対抗の仮装大会が特に記憶に残っています文化財保護でNHKが撮影に、だんじり引きの出発時に私の顔がアップに復活するなら猶予はありません最後に中心だった氏子さん達は皆90歳代ですから人づてで気になる事が耳に入ってきました私自身が見ていないので確証がありませが今年の例大祭でのしめ縄(神社結界)は、氏子が藁を綯わずに既成品のどんな縄か分かりませんが購入して掛けたそうですまたノンアルコールどぶろくの振る舞いがなかったとも聞きました今年の担当部落は超過疎その部落での神社最大の秋の例大祭の運営は困難というより無理でしょう町全体をみても無関心転入住民が増え、他の部落でも状況的には同じ昔なら村八分になるのですがね金山町(区)(人格なき法人組織で税金も納めている各部連合自治会)では区長、そして約10名の評議員(選挙で)での区運営の中で1名の評議員が、たまたま任期中にまわってきた神社やお寺の役を丸ごと抱え込まないといけない ※私は3年間で過去に30年間ででほとんど例がないすべての役頭を担う羽目に)昔のように各部落のでの指導者的な古老もいなく新住民と評議員1名では、評議員の荷が重すぎる町(約400世帯)中で私の住む部落は約60世帯が住んでいますが行事を知っている世帯は3世帯位でしょうでもね私の住む部落民の人達は多くの世帯が参加してきださりなんとか秋の例大祭を乗り切ったのが6年前です ※7年に一度回ってくる役、来年がその7年目になります 部落の現評議員のH君が早速に私の家に来られ 来年の秋の例大祭の大役の引継の儀を受けてきたので 〇〇さん頼みますと 筋を通してお願いされた なので手のしびれがひどくなかったら しめ掛けのしめ縄は30m位は綯うわ 細かなことは、喪があける節分過ぎてからやの、と返答しておいた 私は評議員時代に私の部落は世帯数多いけれど わかる世帯は3世帯位行事運営は困難と評議委員会で雑談交じりに話しをすると当時の町トップのT区長(頭の切れ,まとめる能力すごい人)さんが各部落選出の評議員さん達に話され、皆んで今後は手伝う事となりまた新住民のみなさんいも参加していただけるようにしていこうと決まった 神社関係者、区役員、町内有識者、写っていない祷人と祷家の私による直会 私は評議員時代、全て頭や宿元をしたが、現役で会社勤務をしていたことコロナ時期もあり中止したのもあったがお寺の施餓鬼や盆行事は困ったそこで評議委員会での決まり通り他の部落選出の評議員さん達に応援を依頼、役割も決めさせてもらったみんなの応援で、成し遂げることができたのです ※見下げてくる人間も役員の中にはいたが 仕事中に施餓鬼柱が強風で県道に倒れていると職場に電話が 30分早く仕事を終わりお寺に急行、すると他の部落の評議員さんや お寺の檀家役員の方達が、ほとんど元通りにしていてくれて助かった 皆さんに自腹で飲み物を提供させて頂いた 電話くれたU評議員さんに感謝何を言いたいか今年の担当は、超過疎部落であったまたレイヤーが別のようになっていた新規新興部落(約30世帯)を各種町行事担当部落に参加していただく事になり超過疎部落と同じ組に組み込まれた部落有志と新部落の何も知らない町民だけでは 秋の例大祭は困難しかし、そこに評議員が加わったらどうにかならなかったのかと思う 既製品では綯わないの伝承もできないではないか形だけの社会が町にも浸透してきたのか私の時に別行事でしきたりを変えたときがあった大勢の高齢者に怒られたが、基本方針は変えなかったしかしその行いも今は廃止、私はいかがなものかと思う私は、綯わない日の当日だけでは、素人さんも居るし無理だから事前に30m位を綯っていた 親父にもっと藁によりをかけて綯わんか下手くそ、〇〇家の恥やと怒られたけれど 今の60歳以上の方なら親父の厳しさは皆知っていると思う親父は、さん俵やしめ縄の町の指導者だったどぶろくも、昔は各部落に上手に作る人がいた完全発酵させてしまうと税務署の許可がいる酒になってしまうので祭りに合わせ、布団に入れその温もりで作ったノンアルコール私の時は、そんな余裕なく米つき屋さんにどぶろくは頼んだそして、どぶろくをふるまう担当者を決めて、お願いして参拝者さん達にふるまっていただいた余った分は、ペットボトルに詰めて、夜の歌謡祭の来客に配った ※妻は朝6時から50人分の食事のこしらえ 夕方はどぶろく詰め、部落女性の方達も頑張ってくれたそのどぶろくさえ、ふるまわなかったと聞く神社総代側の人達はどう思ったのだろう、主催者ですからね私は時代に合った変更をして長老の人達に怒られたがするべき基本的な伝承は行った 参拝者さん達、1名の区長経験者さんが写っているけれど今は天国
2025年12月03日
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