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撮影地:大分県中津市 『競秀峰、青の洞門』↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2025.05.31
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深耶馬渓と共に耶馬渓を代表する景勝地と、禅海和尚が造った手掘りの洞門。青の洞門は県の史跡に指定されており、本耶馬渓の一部として耶馬日田英彦山国定公園の域内に含まれる。山国川沿いに一の峰、二の峰、三の峰、恵比寿岩、鬼面岩、大黒岩、妙見岩、殿岩、釣鐘岩、陣の岩、八王子岩などの巨峰・奇岩が約1kmにも渡って連なる、耶馬渓を代表する名勝。本耶馬渓とも呼ばれる。競秀峰の名前は1763年(宝暦13年)に浅草寺の金龍和尚が命名した。山国川を挟んで対岸から全景が見れるようになっている。4月上旬から5月上旬にかけて対岸の敷地にネモフィラが咲き、多くの人で賑わう。競秀峰の登山ルートもあるが、険しい山道を登っていく必要がある為、健脚向け。また、断崖絶壁を鎖で伝っていく道もある為、軽装での登山は禁止されている。青の洞門は禅海和尚が競秀峰の下部に造った、手掘りの洞門(トンネル)。かつてこの山国川沿いの道は交通の難所で、断崖絶壁を鎖で伝って渡り、踏み外せば人や馬が次々と転落する危険な場所であったという。耶馬渓を訪れた禅海和尚がその様子を見て心を痛め、自ら岩壁を掘って30年もの年月をかけて造ったもので、1763年(宝暦13年)に完成した。かつては禅海和尚が交通料を取っていたとのことで、日本初の有料道路とも言われている。1906年(明治39年)から翌年にかけて行われた大改修によって、完成当初の原型はほとんど失われたが、現在でも手掘りの洞門の一部が残されており自由に見学できるようになっている。山国川を挟んで対岸から見た競秀峰。川沿いに岩山が連なっている風景は中国の水墨画を彷彿させる。対岸から見て最も左側に見える岩山が一の峰で、そこから二の峰、三の峰…と続き、最終地点に八王子岩がある。下部に見える大穴が、明治時代に造られた青の洞門。競秀峰のパノラマ写真。青の禅海橋を渡った先で見た競秀峰。甘味処禅海茶屋。青の禅海橋を渡ってすぐの場所にある。耶馬渓産のそば粉を使った手打ちそばやだご汁、団子や抹茶がいただける食事処・甘味処と土産店がある。ネモフィラが見頃を迎えると、ご当地ソフトクリームである青いチョコソフトが販売されている。競秀峰探勝道入り口(公共駐車場登山口)。競秀峰の登山口。この他に観光案内所そばの登山口と弘法寺登山口の計3つの登山口がある。登山の所要時間は1時間~1時間半。滑りやすい場所や狭い道、鎖を伝っていく急な坂や断崖絶壁の道もあるので、軽装での登山は禁止となっている。日本新三景碑。「青の洞門」禅海和尚が造った手掘りの洞門。全長約342m、うちトンネル部分は約144m。交通の難所であったこの地に、1735年(享保20年)頃から禅海和尚がノミと槌を使って手掘りで洞門を掘り始め、後に村人や領主からも援助を受け1764年(明和元年)に完成させた。青の洞門の青という呼び名はこの地の地名に由来する。かつては「樋田の刳抜」と呼ばれていた。青の名前をアピールするため、対岸にはネモフィラの花が植えられており、春になると青色の花が綺麗に咲く。禅海和尚頌徳碑。1906年(明治39年)の大改修によって造られた洞門。車が通れるように拡張され舗装もされており、現在は一方通行の公道となっている。禅海和尚手掘りの洞門。洞門入り口のすぐ左側にある。床は綺麗に整備されているが、ノミと槌で掘られた岩壁や明かり窓は禅海和尚らが造ったもの。人が横列を作って歩けるほどの幅を持ち、天井も高く余裕がある。これだけのスケールの洞門を手掘りで造ったと考えると、禅海和尚らの相当な苦労がうかがえる。洞門の岩壁。ノミで掘った跡が随所に見られる。洞門に設けられた明かり窓。この明かり窓が最初に空けられたもの。明かり窓から顔を出して見た山国川。禅海和尚が堀違えた跡。何故かそこに、禅海和尚の像が設置されている。洞門に安置されている地蔵菩薩像。もう1ヵ所の手掘りの洞門。菊池寛肖像。菊池寛は大正から昭和にかけて活動した小説家で、「父帰る」「藤十郎の恋」「真珠夫人」などの代表作で知られる。1919年(大正8年)に発表された小説「恩讐の彼方に」では禅海和尚と青の洞門のエピソードを基にした描写がされており、これがきっかけで青の洞門が世に広く知られることとなった。禅海和尚の像。禅海和尚がノミと槌で洞門を掘っていく姿を形にしている。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2025.05.30
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読みは「じんせんじ」。正式名称は「金龍山 深泉寺」。室町時代初期に開山した、曹洞宗の寺院。本尊は薬師如来。延命地蔵尊や聖観世音菩薩も祀る。1395年(応永2年)の開山と伝えられる。室町時代から長い歴史を持つ古刹として親しまれ、境内には聖観世音菩薩像や地蔵尊の他に、宝篋印塔、無縫塔、供養塔が建立されている。桜の名所としても知られる。境内にはしだれ桜を中心に多くの桜が見られ、3月下旬から4月上旬にかけて見頃を迎える。寺院の入り口の道は桜のトンネルになっており、菜の花も咲いていた。寺院の右手の丘に見えるしだれ桜。薄いピンクの花びらでなく、白色の花びらを細い枝に沢山付けている。十三重塔。2012年(平成24年)に建立されたもの。聖観世音菩薩。智慧と慈悲を兼ね備えた仏様。観音様、観音菩薩とも呼ぶ。宝冠の中に阿弥陀如来の小像があり、左手を上に上げて蓮華を持つ。深泉寺の境内では最も大きな仏像となっている。聖観世音菩薩を囲むようにして咲くしだれ桜。濃いピンクの花びらが枝いっぱいに咲いていた。山門。石造の金剛力士像が両脇に立つ。金剛力士像は2008年(平成20年)に建立されたもの。本堂前のしだれ桜。樹高6m(推定)、幹回2.5m、樹齢250年。かつては深泉寺を象徴するしだれ桜の巨樹だったが、半分ほど切られてしまっている。幹の中に空洞ができていたのが見えたのでそのためだろうか?幹は鉄棒で支えられかろうじて姿勢を保っている状態だが、枝には沢山のピンクの花びらを付けていた。本堂の右手の方にあるしだれ桜。本堂。南無大慈悲観世音菩薩。2005年(平成17年)に建立されたもの。梵鐘。地蔵堂。延命地蔵。かつては大山祇神社の北西の崖上に安置されていた地蔵尊で、1868年(明治元年)にこの地に遷された。現在の尊像は1985年(昭和60年)に建立されたもの。酒をかけて祈願成就したという伝えから酒かけ地蔵とも呼ばれている。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2025.05.28
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河内貯水池の近くにある、藤のトンネルで知られる広大な藤園。敷地面積は3000坪。4月下旬から5月上旬にかけて敷地内に22種の藤の花が咲き、園内には藤のトンネルや藤のドーム、1000坪にも及ぶ大藤棚などの見どころがある。藤のスポットとしては九州最大規模で、全国的にも有名な藤のスポットとして知られている。また、秋は紅葉の名所としても有名で、11月下旬にモミジが見頃を迎える。アメリカのCNNで「日本の最も美しい場所31選」に選出されたことや海外のインターネット上で度々紹介されたことをきっかけに知名度が広がり、全国のみならず世界各地からも沢山の観光客が訪れている。近年では皿倉山や門司港レトロなどと共に北九州市を代表するスポットの一つとして注目されている。藤園は創設者の樋口正男氏が造園したもので、1968年(昭和43年)に開墾を始め、それから9年の歳月をかけて作られた。藤園の始まりの木として最初に植えられた藤の木は、河内ダム建設に伴い河内村に沈むこととなった1本の藤を移植したもので、それを大切に育て現在では樹齢150年越えの巨樹に成長しているという。入園料は大人1500円。大人一名につき高校生以下2名まで無料。現在は予約チケット制となっており、事前にコンビニで2時間ごとの入園時間指定のチケットを購入する必要がある。入場口。ゴールデンウィークの期間中、国内外から沢山の観光客が訪れており入場口も並んでいた。藤のトンネル。入場口のすぐ右手、河内藤園を象徴する景観。トンネルの長さは110m。訪れた時はちょうど見頃を迎えた時期で、紫、薄紫、白、ピンクの花のグラデーションがとても美しかった。やってきた人々は皆足を止め、何度も写真撮影をしていた。藤のドーム。大小2つのドームがあり、どちらも藤の種類が違う。藤の他に見られる藤園の花たち。ツツジ、オオデマリ、タニウツギなど。大藤棚。1000坪にも及ぶ広大な敷地一面に野田長藤が咲き誇る、日本最大級の大藤棚。長く伸びた藤の花はまさしく花のカーテンそのもの。散策道が設けられていて、休憩所もいくつかある。モミジのトンネル。秋になるとモミジが鮮やかに染まり、見事な紅葉景色になるそう。新緑の青もみじもこれまた綺麗。展望台から見た藤園。広大な大藤棚が眼下に見え、改めてその広さを実感できる。大藤棚から入場口までの坂道にも藤棚が設けられている。もう一つの藤のトンネル。長さは80m。藤のトンネルは2つ平行して並んでいて、こちらはやや短く地面がコンクリートになっている。藤のグラデーションの美しさはどちらも引けを取らないが。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2025.05.23
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北九州高速道路篠崎北ICすぐ近くの宮尾山に鎮座する、1400年以上の歴史を持つ神社。御祭神は仲哀天皇、應神天皇、神功皇后。安産、子安成長、福徳長寿、厄除け、商売繁昌、交通安全の御利益がある。境内には恋に落ちた大蛇の伝説が残る蛇の枕石があり、縁結び、恋愛成就の御利益があるとして信仰を集めている。神功皇后が筑前国宇美(現宇美町)にて皇子である應神天皇を御生みになり、翌年に穴戸(長門)の豊浦宮へ向かう途中、鷹尾山山頂より関門方向を眺め「穴戸近し」と仰せになったという。584年(敏達天皇12年)に勅命によってこの史実に基づき、鷹尾山の麓に祠を建て應神天皇と神功皇后を祀ったのが始まりと言われている。730年(天平2年)に宇佐八幡宮より御分霊を奉祀。850年(嘉祥3年)に現在の宮尾山へ遷座した。平安時代に藤原純友の乱によって兵火に遭い社殿を焼失。その後再興し、以降は室町幕府からも尊崇を受けていたが、天正年間に大友宗麟の兵火によって再び衰退。江戸時代以降は細川氏や小笠原氏に手厚く保護され、小倉藩の大社として栄えた。1873年(明治6年)に村社に列し、1927年(昭和2年)に県社に昇格。現在は「北九州の八幡様」として多くの市民に崇敬されている。1月を除き毎月1日に月次祭が行われている。1月に元旦祭とどんど焼き祭り、2月に節分祭、4月29日に春季例祭、7月に夏季会社安全祈願祭、7月31日~8月1日に夏越祭、10月第四金・土・日曜日に秋季例大祭、11月に七五三祭、12月31日に除夜祭が行われている。東赤鳥居。1974年(昭和49年)竣工。正面鳥居の左手に見える朱塗りの大鳥居。猿田彦。御祭神は猿田彦大神(サルタヒコノオオカミ)。猿田彦大神は天孫降臨の際に神へ道案内をした神。東赤鳥居のすぐ左手に鎮座し、参拝者の往来安全を見守っている。東石鳥居。正面鳥居の石鳥居。1802年(享和2年)に奉納されたもの。石段。石段沿いには朱連灯篭が連なっており、夜になると石段を明るく照らす。訪れた時はツツジが見事に咲いていた。鳥居門。隋神門と共に竣工。高雄神社。御祭神は保食大神(ウケモチノオオカミ)、大山祇大神(オオヤマツミノオオカミ)。創建は篠崎八幡神社と同じで神功皇后と應神天皇がこの地に訪れたことに由来し、保食大神を御祭神とし鷹尾山の山頂に祀られる。篠崎八幡神社が宮尾山へ遷座すると鷹尾山は福智山と呼ばれるようになり、高雄神社も福智神社と呼ばれるようになった。江戸時代中期に大山祇大神を合祀。昭和時代に小倉へ遷座し、2014年(平成26年)に祭事の円滑化や地元住民らの要望によって宮尾山に遷座。長い時を経て再び篠崎八幡神社と同じ山に祀られることとなった。社号碑。神社本庁統理であった徳川宗敬の揮毫。随神門。1979年(昭和54年)竣工。門の大額に書かれた「玄監」の文字は小倉藩5代目藩主の小笠原忠苗の筆によるものと言われている。夜間はライトアップがされている。手水舎。コロナ禍の影響もあってか手をかざすと自動で水が出る仕組みになっている。訪れた時はツツジの花手水が作られていた。御神殿。1971年(昭和46年)竣工。現在の御神殿は7回目の造営。本殿は三間社流造。拝殿は正面に千鳥破風があり、唐破風の向拝屋根が延びている。屋根は木造の銅板葺。御神殿をはじめ神楽殿、隋神門、廻廊、鳥居門、手水舎、社務所、東西鳥居の全てが朱塗りで統一されており、宮尾山の緑とのコントラストが美しい。神楽殿。1971年(昭和46年)に御神殿と共に竣工。社務所。御祈願の受付に加え、授与所もある。絵馬掛け。後述の蛇の枕石の伝説を基にした、蛇のイラストが描かれた可愛らしい絵馬が掛けられている。力石。神功皇后が三韓征伐から帰還し皇子(應神天皇)を御生みになり、穴戸(長門)の豊浦宮へ向かう途中に鷹尾山山頂にあった大石に皇子をお立てになり、関門方向を眺め「穴戸近し」と仰せになったという。この史実が当社の起源となったと伝えられ、後に篠崎八幡神社と共にこの力石もこの地に遷座した。安産、子安成長、立身出世の御利益がある霊石とされている。八雲社(祇園社)。御祭神は須佐之男命(スサノオノミコト)、櫛名田比賣(クシナダヒメ)。厄除け、縁結びの御利益がある。かつてこの地に大蛇が棲んでおり、多くの住民の暮らしを脅かしていたという。篠崎八幡神社の初代宮司である葛城小藤丸が御神託によって須佐之男命を勧請して祠を建てて祀り、住民の安全を祈願した。すると大蛇はおとなしくなり、住民の安全は守られたという。蛇の枕石。先述の大蛇が美しい女蛇と出会って恋に落ちたが、ある日その女蛇は貴船神の使いのため大蛇の元を去っていったという。大蛇は恋しさに紫川左岸の蛇淵の大石に毎晩現れて、その石を枕にして「女蛇恋し」と泣いたという。これを見た八雲社の御祭神が大蛇を竜神に導き、大蛇は天へと昇り女蛇と再会し結ばれたという。この伝説からやがて大石は蛇の枕石、夜泣き石と呼ばれるようになり、安穏祈願、恋愛成就、子供の夜泣き封じの霊石として崇敬されている。また、この伝説を基に描かれた泣く蛇のイラストは絵馬や授与品、ホームページにも用いられている。山津見神社。御祭神は大山祇大神(オオヤマヅミオオカミ)。五穀豊穣、お産の神として信仰されている。小高い丘の上に鎮座しており、直接参拝はできないため遥拝所が設けられている。幸神社。御祭神は猿田毘古神(サルタヒコノカミ)。御神殿の北東に位置し、鬼門除けの守護神となっている。幸の字が使われていることから安産守護、子孫繁栄、幸福守護、縁結びの御利益がある。雲龍殿賀茂宮。御祭神は賀茂別雷命(カモワケイカヅチノミコト)、市寸嶋比賣命(イチキシマヒメノミコト)、品田和気命(ホムタワケノミコト)。当社の摂末社の中でも特に豪華絢爛な造りとなっていて、朱塗りの社殿に金色の装飾、雲龍の立派な彫刻が施されている。恋愛、子育、学業、仕事などの活力向上や運気隆昌の社として信仰されている。雲龍殿賀茂宮の前で寝ていた神様。貫神社、稲荷神社、疫神社。宮地嶽神社。息長帯比賣命(神功皇后)、保食神(ウケモチノカミ)、胸形三柱大神、事勝國勝長沙神(コトカツクニカツナガサノカミ)、國勝長勝面勝神、闇弥都波神(クラツハノカミ)、闇游加美神(クラオカミノカミ)、譽田和気尊(ホムタワケノミコト)、住吉三神、菅原神、大蔵春實朝臣、新田義基朝臣、他三十四柱の神を祀る。宮地嶽神社という社名だが、猿田彦社、金毘羅神社など複数の社が合併しており多数の神が祀られている。洗練殿・水神社。御祭神は天之水分神(アメノミクマリ)、国之水分神(クニノミクマリ)、瀬折津姫神(セオリツヒメノカミ)、水波能女神(ミズハノメノカミ)。驚いたことに、当社にはトイレにも神社が祀られており、きちんと祭事まで行われている。付近にTOTO本社、TOTOミュージアムがあるのも関係しているのか、便器や洗面台もTOTO製のハイテクなものが設置してある。参集殿。参拝者控室、応接室、会議室、大広間などがある。南石鳥居。1751年(寛延4年)に奉納されたもの。西赤鳥居。1971年(昭和46年)竣工。東赤鳥居ともう一つの朱塗りの大鳥居。御神殿と同じ年に造られたもの。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2025.05.20
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当ブログ『金田政宗の旅の記録』のトータルアクセス数が、250000を突破しました。多くの方々に自分の旅の記録を、また日本各地の大きな魅力から小さな魅力まで伝えることが出来て嬉しく思います。これからも『金田政宗の旅の記録』をよろしくお願いします。なかなか更新が進んでいないが、この土日で何件か書き上げた。随時公開していくつもり。兵庫県、愛知県の旅の記録も書いていく。そちらも完成すれば全国47都道府県の半分以上の旅の記録が出来上がることに。旅の記録のページはこれから先もどんどん増えていく。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2025.05.18
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深耶馬渓のさらに奥深く、小柿山集落にある寺院の境内にあるしだれ桜の巨樹。市指定天然記念物に指定されている。樹高約10m、幹周り約3m、推定樹齢は350年以上。小高い場所にある境内から門前の道路四方10mにわたって枝が大きく垂れさがっており、4月上旬になると桜が見頃を迎える。境内のしだれ桜の他に、2本のしだれ桜が付近に見られる。桜が見頃の時季になると光円寺で桜祭りが行われ、お茶がいただける他、桜や寺院の歴史の紹介、希望があれば境内のライトアップもされる。光円寺。浄土真宗本願寺派の寺院。1533年(天文2年)に開基である教林によって建立された。当初は玖珠町にあったが、深耶馬渓に移転された後に現在地に再建されたと言われている。現在の建物は江戸時代後期に再建されたもの。門前の石垣は打込み接ぎと呼ばれる方法で築かれており、上の方が反っているのが特徴。光円寺のしだれ桜。四方に向けて大きく枝を伸ばしており、伸びた枝の大半は門前の道路の方へと伸びている。桜は見頃を迎えており訪れた時は桜祭りが行われていて、晴天の穏やかな雰囲気の中、お茶をいただきながら花見を楽しめた。幹。道路の方へと傾いている。道路の方から見たしだれ桜。長く伸びた枝は鉄の棒に支えられている。しだれ桜の全体像。下から見上げて見たしだれ桜。境内のしだれ桜とは別に2本のしだれ桜が付近に見られる。1つは地面スレスレまで枝が伸びていて、もう1つの方はまだ開花していなかった。綺麗に咲いた淡い色の花びら。下向きに垂れた無数の細い枝には沢山の花びらがついていた。その様子はまるで桜のカーテン、あるいは珠暖簾のよう。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2025.05.06
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GW後半。3日間の仕事を挟んで4連休に突入。この3日間まるで1週間働いていたかのような、それくらい時間の流れが遅く感じた。後半は2泊3日で兵庫県を旅する。兵庫県は毎回電車旅で通るものの、いつも素通りしてばかりで降り立ったことはない。初めての旅路となる。これまで見たことのない景色や文化に多く触れられるのは楽しみ。初日の今日は姫路城、好古園、播磨国総社射楯兵主神社へ行った。駅近くのスポットをじっくりと観光。姫路城は天守が混む前に早々と見ていくつもりだったが、それでも瞬く間に人でいっぱいになり、見て回るのに結構な時間を要した。天守だけで1時間以上いたと思う。白壁の天守は大変立派で、どこから撮っても画になった。その後は好古園へ。それぞれで違った特色を持つ庭園が9つもある広大な庭園だった。余った時間で播磨国射楯兵主神社へ。春の終わりがけ、どこも新緑が綺麗だった。紅葉の時季もさぞ美しいんだろうな…日が暮れた頃にホテルにチェックインし、しばし休憩した後地下街の居酒屋で姫路おでんとひねぽんを食べた。気付けば今日は一日中歩きっぱなし。いろいろ見れて楽しかったがくたびれた。ホテルの予約は結構後になったが、明日のホテルは22,000円程度で2食付き、大浴場付きの豪華ホテルが取れた。駅近のホテルでさえ既に24,000円超えがあった中、まさに旅運が味方してくれたといったところ。残り物に福あり。2日目は赤穂市へ一旦下ってきらきら坂や伊和都比売神社へ行き、その後神戸まで行く。3日目は有馬温泉に行き、時間が余れば神戸市を軽く観光、土産も買って帰途に着く。いつも通り旅先の写真はXに投稿します。X(旧Twitter)→金田政宗X↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2025.05.03
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