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先月。開催されて早々にこの展覧会を見に行った。東京国立博物館。会場は2つに分かれており、第1会場ではこの度の目玉である絵画『受胎告知』を、第2会場では主にダ・ヴィンチの“手稿”と呼ばれるものをもととした模型や映像を、わかりやすさを試みた解説とともに紹介している。度々テレビや新聞で取りあげられているのを目にし、また知人の中にも何人か注目しているらしき人がいるこの展覧会だけど実は絵画作品は『受胎告知』しかない。それを言うとみな驚くのだけど、第2会場ではひたすらレオナルドさんが興味を持たれて熱心に取り組まれた建築学やら地理学やら物理学やらの考察が、模型や再現映像として展示されているのだった。レオナルドさんとはどうやら、自分を取り巻く世界の成り立ちを当時徐々に発展しつつあった科学的な視点に基づいて徹底的に解明したいという嗜好の持ち主であったらしくあらゆる学問分野についておそろしくマメな考察をされている。たとえば寺院の建築設計をするレオナルドさんは、形状の対象性に非常に興味があるらしく、もうええやん、と思うくらいに熱心な計算の上に建物を構成していく。また、たとえば自然界に存在する事象の形状に興味を持ったレオナルドさんは川の流れと木々の枝振りと人体の血管の配置に共通性を見出したりする。その他その他あり。全分野に及ぶあまりにマルチな才能に絶句する。居合わせた大学生らしき女の子が、「ちょっともうわからない」とつぶやく。観覧する人々の顔は若干苦渋に満ちている。一緒に見に行った母御は、鑑賞後上野公園を歩きながら、「なんか、むつかしい人やなあ」とつぶやいた。でもまあ、面白かったです。ルネサンスの頃って、今から思えばいろんなことが謎だっただろうから全てを把握したいという嗜好の持ち主には、いくら生きても生きたりないような気がしただろうなあと思う。でも現在でもあらゆることが解明されているわけではない。解明されたと思っていることでも、べつに疑ったって構わない。ほんとはいろんな常識や知識を無心に信用しなくたっていい。そんなこんなに自分なりの推論をできればもっと楽しいのかも知れない。私としては『受胎告知』を見られただけで満足でもあった。聖母マリアに神の子が宿ったと告げにくる大天使ガブリエル。キリスト教においてドラマチックな一場面であるこのテーマを扱った絵画は数多ある。でも、レオナルドさんの作風は、とても静かだ。他の人の作品ではその衝撃度合いが、非常に縦長な構図やマリアさんの表情に如実に表れていたりするのだけどこの作品ではマリアもガブリエルも冷静な表情で、時間が止まったかのようにしん、としている。本当に衝撃的なことが起きた時は、時間の流れが止まる。そんな気分を思い起こさせる。何より、描かれた二人の顔が涼しげで好みなのであった。
2007.04.28
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今年は人事異動にあたったのでこのところせっせと引越ししている。同じ建物の上のフロアに移るだけなので環境としてはたいして変わらない、と言えば言えなくもない、が、仕事内容は全く変わるのであった。どんな感じで働くことになるのか全然想像がつかない。こんなに予測がつかないのは新人のとき以来では?と思う。新しいところではまだまだ見習い以下なので事務室でみんなで机についていても「この中にひとり、仕事をしてないやつがおる! ……、おまえや!」という感じ。ちょびっとずつ教えてもらっているが独特のお作法がたくさんあって、もうだめですこれ以上聞いても覚えられません、と言いたくなるのをがまんしてみたものの結局、今度また聞こう、、、と思う。夕方、もとの職場に戻って片付ける。まだまだこちらの方が落ち着く感じ。あしたから新しい人がくるので、いよいよ、毎日使っていたパソコンからハードディスクを抜いた。わりと長居した部署で、その間大変なこともそれなりにあったけどディスクを抜いた瞬間はなんだかすこし涙が出た。ほんの少し、こっそり。もう戻れない。う。ほんとに心細い…。
2007.04.25
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ハムスターのマリーちゃんの晩ご飯。ケージのふたを開けると、いつもはすぐに出てきておねだりするのに今日は眠りこけている。わざとがさがさと音を立ててハムフードの袋を開ける、が寝ている。ハムフードを陶器の器に入れる音をさせても、まだ寝ている。ハムフードをさわった手を寝床の周りではためかせたら、ぴく、と足が動いた。でも寝ている。ハムフードを出入り口付近でぶんぶんと振って匂いを立てたら、さらに大きくぴくっ、と足が動いた。でも起きてこない。あきらめてごはん入れをケージの中に入れてふたをして、ちょっと目を離して一瞬後にもう一回見たら今度はもうごはん入れに取り付いて物色していた。素早し。さっきのぞいた時は、寝床(実はトイレ)から顔だけ出して寝ていた。見つめても起きない。今日のマリーちゃんはおそろしく眠いみたいだ。再びふたを開けたら出てきたので久しぶりに撮影会をしてみたが、すぐに戻ってさも迷惑そうに丸くなられた。写真は少し迷惑そうなマリーちゃん。このあとすぐ眠り始めた。寝る前に時々どこか一点をじっと見つめて微動だにしないことがあるのが、このマリーちゃんの特徴だ。何見てるんだろう、、、目つきがこわい時がある。
2007.04.21
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通信の大学の、今年度の履修登録。人事異動がわかるまではと思い、のばしのばしにしていた。といっても人事がどうであれ、登録するものに変わりはないし登録したからと言って速やかに単位修得するわけではないので全く待つ必要はなかったのだけど。今年の追加登録は「色彩学」と「美術論」。造形系の科目が今年から取れるようになったので、喜んで選んだ。既登録科目に、レポート“未”提出マークのひつじがくさんいるけどこの先気が向かなかったら捨てるつもりである。たとえば文芸概論とか、たぶん捨てだな、と思っている。大量の捨てひつじたち。卒業制作も履修できるのだけどやめた。卒業制作までには、まだまだかかるからである。まあ、今年度から半年ごとに登録できるのでけっこう気楽だ。半年後にまた気が向いたら何か追加しよっと、と2科目だけ書いて封筒に入れた。今年の仕事は新しいことをすることになった。やったことがなく、しかももしかしたら苦手かも、と思うものである。ここ数年は、好き嫌いは別として、ホームゲームといえる内容の仕事をしてきたけど今回はアウェーである。少なくとも慣れるまでは。しばらく苦労するかも、なのであった。なので、スクーリングの予定はぎりぎりまで立てられない。。。マネージメント研究2を一緒に受ける予定のキョチさん、ごめんなさい。
2007.04.19
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たいして重症ではないけど、ここ何か月も、朝起きた時の疲労感がすごくて寝ても寝ても疲労しているので、ずっと気になっていた睡眠改善薬というか睡眠中に疲労を取る手助けをしてくれる市販薬を試してみた。おとといの私の就寝時刻は午前3時半。3時間半くらいしか寝られないので、これは、と思いその薬を飲んでみる。口当たりは濃厚ビタミン剤な感じ。寝つきは常によいので、飲むなりばたんと寝る。朝起きてみると、ものすごく体が軽い。睡眠不足なのに朝からテンションが高い。睡眠不足の日はたいてい午前中は使い物にならないのに。こわ。と思う。そのままだだーっと一日を過ごして晩まで、いつにないくらいに元気だったがよく考えるとあんまり寝てないんだ、と思い早めに布団に入る。まあ、まだ元気だから本でも読んでから寝よう、と思っていたのに布団に入ったら、それはそれですぐ寝てしまった。電気もつけっぱなしで。思うに薬で無理やりテンションを上げられていたのではないかと。飲んで目覚めた時の爽快感はすばらしいけどなんかこう、やらされ感があって、違和感がある。よほどしんどい時以外は飲むまい、いいじゃん、しんどくっても、死ぬわけじゃなし、と思ったのであった。たぶん、しんどい時はしんどいなりに過ごすべし、なのであった。
2007.04.18
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週末、注文した液晶テレビが届いた。小さい家なので、予定したスペース(幅50センチ)にぎりぎり入る20インチ。あんまり、物に対するこだわりはないのだけどたまたま居合わせた知り合いに付き合ってもらって電器店に下見に行った結果一番映りのきれいそうなものを、その電器店より格安な楽天で買った。Audio&Visual家電の配線は、今のところ苦手ではない。ので、配送のみをお願いして自分で配線をする。とはいえ不安なので、それまでつながっていたテレビの配線をメモっておいて。うちは、実際あんまり見ないのだけど、ケーブルテレビのチューナーがある。そのためによくわからない点が多くありつつもメモをもとに何となく接続したところ地上波を全く映せなかった。むむう。打つ手を思いつくこともできない。人にものを聞くのは嫌いだけどやむなし。ケーブルテレビのサポートセンターに電話する。世間でいう休日にもかかわらず電話に出たお兄さんは親切で手際よく接続の状況を確認していく。うちの場合はどうやら繋げたアンテナ区分が間違っていたらしくそれってけっこう初歩的な誤りで申し訳なかったのだけど「アンテナのところが間違っていたのですね?」と尋ねれば「そうですね。そちらをお間違えになりました」と歯切れよく、アンテナを繋ぎ替えた後、チャンネル設定をやり直したのだけどそれが終わった後も「設定はすべて終了いたしました。ひととおり映りを確認してください」といちいちの段階の確認がはっきりしていてわかりやすかった。たぶん人によっては電話した客の落ち度を指摘するのを躊躇する場合もあるのではと思うけど私の場合ははっきりしてもらう方が好みだ。お兄さん、お世話様でした。おかげで快適なテレビ生活が再開できた。でも、ここ数日のFM802生活もなんだかよい感じだったのでテレビが不要な時はもっぱらFMを流してみよう。と思う。
2007.04.16
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テレビが壊れているため朝晩ラジオをつけている。特に理由はないけどたいていFM802を。この局では月単位のヘビーローテーションとして同じ楽曲を頻繁にかけてくれるのだがそこでかかる洋楽が頭から離れなくなった。802を聴いてなくても頭の中をぐるぐる。sandi thom さんの「サンディの輝き ~I wish I was a punk rocker(with flowers in my hair)~」という歌なんだけど声質も曲も頭に残りやすい。歌詞の中に「セブンティセブンティシクスティナイン」と聞こえるところがあってほんとは「In 77 and 69」らしいけど語学力がないもので、そこばっかり回っている。局所的にまさにヘビーローテーションになっているのであった。もうわかりました、802さん、と言いたい。でも!おかげで最近の歌でお気に入りも見つけた。YUIさんのCHE.R.RYであった。かわいい。声もかわいいし歌詞もかわいい。こちらはまだ私の中であんまり回ってないのでまだまだ聴きたい感じ
2007.04.13
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阪神御影からバスに乗って渦森台へ。急な坂道の住宅地をどんどん上がって行く。終点の2,3個手前で降りて、家々の間に作られた急な階段を下る。東灘区住吉山手。前の大学の学生寮がある。神戸にて初めての1年間を暮らした場所だ。当時を懐かしんで付近を散策する。女子寮は以前より塀が高くなり、玄関にも厳重なキーが取り付けられていた。駐輪場のある裏口から建物を眺める。立ち入り禁止と書いてあるけどちょっと入らせてもらう。十分に不審者。古い窓枠とその外側につけられた小さな小さなベランダを見ながら内部を思い起こすとスリッパで床を走った時の感触とか、廊下の匂いとか、集会室に置いてあったふとんの埃っぽさまで甦ってきてため息をついた。原付で通学していた道を、阪急御影までバスに乗る。所々に見慣れないマンションができているけど大体あんまり変わってない。古いマンションや大きな家を下から包むように、コンクリートの壁がそびえている。バスはその壁の足元を走る。あまりに勾配が急なので、歩いている人はほとんどいない。バスは左右に振られながらゆっくりと坂道を下る。急な下り坂の終わるところに「ビバリーヒル」という看板が。青く色あせた文字は、当時と全く変わっていない。はじめて見た時に「ビバリーヒル、て」と心の中でつっこんだことを思い出しながらまた「ビバリーヒル、って」と思う。実際ビバリーヒルって何なんだろう。。。阪急御影付近は隣接する駅の周辺と比較すると何もないイメージだ。でもそのぽつんとした雰囲気が、今住んでいるところより断然好きだったりする。さらに御影の山手。それも、ぜんぜん、誰も歩いて上がろうなんて思わないような徹底的な山の手が、暮らしにくそうだけどいいなあ、と思う。
2007.04.12
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職場にてM課長から昨日ナントカカントカというドラマを見たんですが、と話しかけられああ、それ、宣伝見たことありますよ、と答える。とはいえ、タイトルも出演者も、うろ覚えで定かではなくM課長もあんまりよく覚えてないみたいなのだけど(ドラマ見たのに…?)脚本が木皿泉さんなんですよ、というところで俄然興味が一致した。神戸在住らしいこの脚本家さんは、男女二人組みなんだそうだ。「やっぱり猫が好き」が有名なんだと思うけど、私がいいなあと思ったのは「すいか」だ。ドラマを見て再放送を見て、脚本まで読んだ。なるほどそれじゃあ来週はぜひ見ましょう、と言ったものの今朝、うちのテレビは突然壊れた。寝ぼけ状態で、リモコンで電源を入れようとしたら「ブシッ」って嫌な音がして、うんともすんとも言わなくなった。テレビのない生活は、なんだか引越し直前の夜みたいですべてのプラグが外されて現実が遠く誰にも邪魔されない感じがいい。でも習慣的に朝の時間をテレビ番組で計っているためやはりテレビがないと違和感がある。早速買おうと、楽天を物色したり、している。冬ごろよく働いたので、「え?それくらいなら買おっかなあ、アハハ、アハハ」ってこのところ財布の紐は緩みがちだった。しかしこないだパソコンを買ったばかりなのでさすがにお財布が痛い。。。
2007.04.11
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雨模様の吉野。桜好きだけど、名所であるそこに、まだ行ったことがなかった。吉野の山は、下千本、中千本、上千本、奥千本、と区分けされている。千本、というのはもちろん、桜の木の多さを表している。それぞれのエリアを散策しつつ別エリアの桜を遠く眺める。見上げる桜もあり、見下ろす桜もあり。遠く見上げる桜も、遠く見下ろす桜もある。午後から晴れるといわれていたのに結局一日中冷たい雨だった。でも散策道には傘を手にした多くの人が。見る気満々の人々に対するのは予想以上にたくさん植えられた桜の木。いくら多いといっても、山の斜面の所々に桜の木がある程度かと思っていたが実に山全体が桜、という感じなのだった。絵に描いたような桜の山。そして肝心の花は、と言えばエエ、咲きましょう、断然咲きましょう、と咲く気に満ち溢れていた。つまり見ごろにはまだ少し早かったのである。今年は天候が複雑で桜もややこしいらしく、すでに散った木もあるけど、大部分はこれから満開を迎える。見ごろは来週あたりと思われます。それでも山全体がピンクに染まりつつある雰囲気は十分。桜って、気高くもはかないイメージだったけどこんもり集った吉野山の桜はなんだかかわいい。
2007.04.07
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職場にて知人に紹介されたこの本は“壮年期や初老期に多く見られ、周囲に対する罪悪感や自責の念が強く、仕事も仕事以外のことも何もかもできなくなる”という従来のうつ病の症状とは異なる、新たなタイプのうつ症状が近年多く見られることを紹介し、それを「30代うつ」と名付け、医学的な見解をごくごく簡単にまとめたものである。私の周囲にも、程度の差こそあれ、うつ症状を抱える人が絶えないが、物理的な距離が近ければ近いほど、いろんなことを考えさせられることとなる。たとえば、自分の持っている許容量ややさしさの程度について、それが実際の個々のシチュエーションにおいて足りているのかいないのか、掛ける言葉のひとつひとつの奥に偽善性や自己満足が潜んでいるのではないか、そしてそんな風に余裕を持って冷静に分析してしまうことへの若干の嫌悪感。何年か前に、毎日毎日繰り返し繰り返しそんなことを考えてしまうようなことがあってそのことを思い起こさせるシチュエーションが、事後になって全く耐えられなくなった。今でもそれを想起させる処に身を置くと、動悸が激しくなり体温が上がるという身体症状を自覚している。まあその程度のことなので、実際どうってことはないのだけど。でもこの本を読んだら症例について淡々と解説がしてありそれを受け止める周囲についても、その内面的葛藤について当然のごとく述べられておりすべてをたまたま読んだ本によって解釈することは危険だし嫌いだけどでも、なんだ、よくあることなんだ、と思ってあ、そう、と気持ちが整理された気がした。読んだ後、数日は無気力になってどんより沈んだけどそのあとは少し元気になった。それは多分、もやもやとした気持をずっと自分の内心の言葉でしか捉えていなかったものが外からの言葉によって定義された結果具体的な形になったがためにその重さが辛くなったということと外からの言葉で客観的に捉えた結果自分とは距離を置いて見るコツを得ることができたということかなとなんとなく腑に落ちたのであった。
2007.04.04
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午前2時半。ようやく書きつづけていた小説が仕上がった。えんえんと取り組んでいたわりには、原稿用紙30枚、、、という短編小説になるかならないか、程度なのであった。でも。原稿用紙10枚以上の創作を書くのは、実に初めてで、初めての人らしき戸惑いをずうっと抱えて苦労していたのであった。書きたいことをストーリー性とともに思いつけたらいいのに、と思う。書きたいなあと思うのはいつも漠然とした、点のようなイメージだ。そうしてなんとなく書き始めるため、ストーリー展開に苦しみその結果、狙ったイメージが出せているのか常に不安で苦しかった。実際に書いているときは、その内容の濃やかさと粗さの程度が適切か常に悩み筆が走ろうとするのを慎重にこらえこらえすぎた結果全然筆が走らなくってどんよりしたり小説書きって案外ほんとに難しい。書こうとしたのは、記憶と夢と、現実の経験と、それらの重さに個人的な感覚の中での差異があるのかどうかという、言葉にして難しくいえばそんなことで等身大のありふれた日常を書くのがいかにも照れくさかったがためにそういう内容を選択したのだったけど仕上がったものを見ると単に「失恋から立ち直ろうとするちょっと不思議系女子」の話になっていて超ガッカリ、だった。小説を書くのってたとえば人にハダカを見せるより恥ずかしい。でもあえて今度は、「等身大のありふれた日常的作品」を書いてみよ、と思ってみる。そういうのがはやっていると思うので。けど、やっぱりそういうのはいやだなあ…等身大のものを等身大風に見せるという、芸風のひとつなんだろうとは思うけどなんか、嫌なんですよね。読むのは好きだけど自分で書くのは。
2007.04.03
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先日、モバイルのノートパソコンを大人買い(即断即決キャッシュ一括払い)したので今日は出かける途中にあるスターバックスにて執筆活動を試みた。全くもって、形から入っております。で、一応何となく気分は盛り上がったものの相変わらず量は進まずで、うんうんうなりながら姿勢を変えようとしたときにコーヒーのカップを倒してしまった。普段はあんまりものを落としたり倒したりしないのだけど慣れないことをするとこういうことになる。幸いパソコンは大丈夫だったけど、お店の人を呼んで席の周りを掃除してもらうことになった。お店のお兄さんはとても感じのよい人で迷惑な顔一つせず、それどころか感じのよい笑顔さえ浮かべて片付けてくれた。飲みかけだったものも新しく入れ直してくれた。この前、友達も言っていたがスターバックスの店員さんで感じの悪い人を見たことがない。みなさん偉いのである。親切にしてもらって居心地もよくってコーヒー一杯で書き物にも集中できて・・・・・・。しばらくそこここのスタバに通うかも。
2007.04.02
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夕方から近所の“日本茶カフェ”にて過ごす。ごくごく近所なのに行ったことがなかったのだけど職場の同期から頼まれものがあったことと近所でまったりと書き物をできる場所を探していたので、下見がてらにと赴いた。今日は休日だったせいか17、8席の店内は予想以上に賑わっていた。北向きの窓に面して最近できたケーキ屋さんの喫茶コーナーの窓。南側にカウンター席。真ん中にオーナーさんたちと向き合うカウンター。小さなテーブルのソファ席がひとつ。南側のカウンター席の端っこに座って、雨模様の空を眺めつつ、くつろぐ。小さな黒い急須に入れられて、3煎目までおかわりのできる日本茶を、いつになくのんびり味わう。背後からオーナーさんと話すお客さんの声が聞こえる。熊本からきている二人連れの女性と、広島から何度も訪れているという男性。みなさんで、いかにここK市が魅力的か、話しておられた。こんな住宅街の小さなカフェにまで観光の人が来られるなんてほんとにこの街は人気なんだなあ、と思う。私もここに暮らしてほぼ10年(たぶん)。この市に暮らして、、、ええと、、、20年目!?数えてみて今ほんとにびっくりした。これまで暮らしたどの街より長くここにいる。全国的にも人気があるここだけど個人的には「好き」とは思わない。おそらく一定程度はよいのだろうと思うけど、どこか決め手がない気がするのだった。まあ、それはたぶん、どんな場所に対しても愛着を持たないようにしているせいかもしれない。そしてそれはたぶん、いつでもどんな場所でも、離れることを前提にして過ごしてきた、という生い立ちからくるものかもしれない、と、気恥ずかしい自己分析などしてみたのだった。写真はしばらく前に山の手から撮ったうちの界隈。早春の空の下、ごくごく小さく、うちのマンションも写っております。・・・確かに、悪くない。。。
2007.04.01
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