2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
全10件 (10件中 1-10件目)
1
帰りしになんとなくさみしかったので友達を待って一緒に帰る。TSUTAYAに寄ると言うその人にくっていて用事もないのにTSUTAYAに行ってこないだからほしいと言いながらまだ買っていなかったものをいっしょに買いに行ってさらに駅まで余計な遠回りをして歩いてそれでもまだ、よう帰らない気分だったので申し訳ないと思いつつもお茶を飲んで帰る。おしゃべりなどしながら、もしかしてものすごく気を遣わせているかも、と思うけど、相手の飲むスピードもすごく気になるけど、席を立てない。ひとしきり過ごして、それでもまださみしい。でもさすがにいかんいかん、と思って別れた。くうん、と思いながら電車に乗って帰って改札を出るとさっきまでじめじめしていた空気が冷たくなって風が強くなっていた。昨日より月が高い感じがする。なにやら人恋しいのは、秋か?秋だからか? きっと秋だからか。
2007.09.28
コメント(0)
このところ日本史が旬である。時代としては近代。明治維新直前。仕事であれこれ調べ物をしているためである。けれども、元来日本史は嫌いだ。特に近現代史。細かすぎてもはやどうでもいい、と思うために高校でも迷わず世界史を選択していたものだったが、改めてあれこれ読んでみると、日本史って現在につながってるんだなあと、今さらながら妙に親近感が湧いてきたのだった。それはたぶん、今たまたま住んでいるところが、幕末の歴史と非常に関わりが深いからだと思われる。ということも、この度仕事の必要に迫られてはじめて身にそってわかったのだけど。比較的身近なところに歴史を彷彿とさせるものがあると親近感が全然違う。ある小都市で中学高校と過ごした私は教科書に書かれる日本の歴史なんて全然興味の外だった。けれどそこは、日本の、中央の歴史と全く無関係ではなかった。そこに住む人たちの、郷土に対する誇りのようなものがこれまで全く受けつけられなくって、無意識のうちにも見て見ぬふりをしてきたけど案外もったいなかったかも、と思うこのごろ。私が中高を過ごしたのは山口県であった。長州征伐やら、薩長同盟やらが妙に身近に感じられるこのごろ。幕末の長州には偉いお人がたくさんいる。といいつつ現在の興味の中心は徳川慶喜にある。世に言うこんなお偉い方が今私の住まう地域の郷土史に深い関わりがあるだなんてうわ、びっくりした、という感じ。柄にもなく江戸末期の日本史の本をめくったりしている。徳川慶喜が、とても他人とは思えないくらいに興味津々の今。
2007.09.26
コメント(14)
もう10年くらい、江國さんの本が好きだ。文章がほんとにきれいでさらさらと読める、のでついついだまされてしまいそうだけどきっと気難しい人なんだろうなと思っている。書いてある内容は限りなく感覚的で「わかるわかる」と迂闊に思ってしまうその瞬間に、そんな風に共感されることなんて、この人にはどうでもいいことなんだろうなと勝手に想像してまた好きになる。この人の書いていることはたぶんいつも同じ。人との距離感について。どうしたって物理的に距離を取り払いきれない他人同士が親密さを感じつづけることについて。それらが、シチュエーションを変えて、繰り返し繰り返し語られる。この人特有のその距離感がとても心地よいので何回も何回も、何回でも読みたくなるのだった。この人の書くことはとても繊細だ。たぶん、針の上を歩けといったら歩ける人だと思う。しかも、もちろん針の右側だけを歩いている、と言って何気なく針の真上を歩く人と明白な一線を引く人だと思う。あるいはそもそも、針の上を歩くなんて意味がわからないと言ってそこから逃げ出すか。この人の話に出てくる女の人はだいたいいつも同じで 人の群れから浮きはしないけど、けっして人に馴染まない。人を寄せ付けない。たぶん、ご本人もそんな感じなんだろうなと、また勝手に想像する。そして登場人物の多くが、結婚相手または付き合っている相手以外に好きな人がいる。この人特有の距離感でもって、恋人や夫婦が描かれるとこういう感覚になる。・恋人に、自分以外の恋人がいても自分には全く関係ない、そもそも関係のありようがないでもそれでいて、・本当に好きな相手といるためには独立した個人でなくてはならない そのために他の人と付き合ったりすることもあると言う。好きな人に他に恋人がいても関係ない、ということは、わかる。全くその通りでしかありえない、と思う。でも、結局本当に大切な人は一人だけで、その人と過ごすためにそれ以外の人がいるということなんですねと最も純粋な関係とはそういうことかと思ってはひどくさみしくなるのだった。もうほんとにずいぶん読んだ。もうわかったからいいやん、と思いながらもまた読んだらまた心が揺れる。ごく当たり前で簡単で、でも案外多くの人が持っていないことを忘れずに持っていこう、きっと軽々と持って行けると、心が澄む感じ。Yesterday, I finished reading "Garakuta" by Kaori Ekuni.
2007.09.21
コメント(2)
そういえばこのごろ「約束」をしていない。人と待ち合わせたり、誰かとどこかへ行くことはあるけどどこか日常の延長でたびたび顔を合わせる人とたまたま別のところへ出かける、とかある用件のために出かけた先でたまたま人とも会う、とか。どこかへ行かなくてもどっちみちその人とは会うし出かけた先で誰かと会わなくても用件は完結するので支障はない。どっちも、あんまり特別な感じがしない。「約束」って、そんな流れの上にあるものではなくて、誰かと何かの約束をするって、ほんとはもっとうきうきするものだった気がする。行動が、行き当たりばったりすぎるのかもしれない。それはとても自由だけど。または、何かのついでに何かを済ませておこう、というさもしい心が働きすぎているのかもしれない。それは理に適っているともいえるけど。まあ、一番の原因は、去る者日々に疎し、をそのまま実践しているような性格にあるんだろうとは思うけど。特別に、その日をその人と過ごすためだけに何日も前からとっておくようなそんな「約束」をしたくなっている今。当たり前にあるものなんてないことを、忘れているのかもしれない。--と、いうことをある本を読んでいて思った。
2007.09.19
コメント(8)
おばあちゃんといっしょに、ブルーベリーたっぷりのタルトを食べに行こうと思い母ともども出かける。まず、中華街にて昼ごはん。店を出たところで通り雨に遭う。雨の後、少しは涼しくなるかと思ったら、逆にものすごく蒸し暑く…。おなかがすくまでうろうろするのは無理、と思い目当てのタルトは買って帰って食べた。何年か前、京都の○プトンで出合って以来ブルーベリーのたくさん乗ったタルトがおばあちゃんのお気に入りになった。のに、その後ほどなくして○プトンからそのタルトが消えてしまいいたく残念がっていたのだった。でも、三宮のあるケーキ屋さんでは年中食べられる定番中の定番でずーっとずーっと、食べさせてあげたいと思っていたのがやっとかなった。でも、あら、少しおばあちゃんの気持の旬を逃したような…。夕食は、近所のお寿司屋さんでおばあちゃんにごちそうになった。その上帰り際、近くの花屋さんの店先で秋明菊がかわいいなあ、と見ていたら「買うたげよか」、と。白とピンクと、色を決めあぐねていたら、「両方買うたげよか」、と。いえいえ、あらゆる植物を枯らす私ですので…。迷いに迷って白いのだけ買ってもらうことにする。さらに別れ際、「ほかに欲しいもんはないか?」と、、、なんだか子どものころを思い出してしまった。敬老の日のお出かけだったのに。。。えへ。おばあちゃんありがとう。そして中華をごちそうになったおかーさんありがとう。と、私はケーキしか払わなかったんですねえ~。子どもですねえ~。
2007.09.15
コメント(6)
時々行く洋服屋さんに久しぶりに行くといつもいるお兄さんがいなくなっていた。このお店は客の好みを覚えてくれていて、それが良くも悪くもあるのだけどこのお兄さんからもあれこれ勧められるままにいろいろ買ったものだった。なぜならとても感じのよい人だったので。お店に行くとほぼ必ず店員さんが1人ついて、何かと相談に乗ってくれるのだがこのお兄さんといっしょに買うのが一番快適だったのに。服屋の店員さんから時々感じるプレッシャーを感じずにいられる人だったのになあ。辞めれらたんですって。とても残念。お兄さんといえば、近所のコンビニにいる若きお兄さんがかっこよくて姿を見るのをちょっと楽しみにしている。すら~と背が高くて色が白くて、黒髪に黒い瞳のあっさりしたお顔立ち。そして指が長い。そういえば、かっこよさの基準に指の形が入っているかも知れないなあ、と思い至る。ところがこのお兄さんは夜遅くのシフトに入っていることが多いみたいで早く帰る日は見られないのだった。そして遅く帰る日は私の姿がよれよれなので、こんなアタクシはお目にかけられない(ま、見てないだろうけど)と思い、立ち寄れないのだった。もともとあまりコンビニに寄るほうではない。けど、いなかったらがっかりで、ますます寄る気がしない。いたらいたで、よれよれ具合が気になって、やはり寄る気になれない。お兄さん、局所的に営業の妨げ。いたら寄りやすいお兄さんといたら寄りにくいお兄さん。どっちも好感度は高いのだけど。
2007.09.14
コメント(10)
狂言のお稽古。先々月に発表会があったので、また新しい演目を習う。このたびの演目は「清水」。私は太郎冠者だ。茶の湯用に水を汲みに行くよう主人から命じられた太郎冠者。めんどくさいので鬼に追われたふりをして帰ってくる。ところが主人の大切にしている手桶を置いて帰ってきてしまう。それを取りに行くという主人を、鬼のふりをして驚かす太郎。脅かしながらちゃっかり日頃の不満を訴えて、それを解消することを主人に約束させる。が、その鬼の物言いがあまりに太郎にそっくりなのと、話の内容があまりに太郎びいきなので、いぶかしんだ主人が結局鬼の正体をつきとめ、太郎は「ゆるさせられい、ゆるさせられい」と逃げていく。お稽古の最初は台本を見るより先に、先生のおっしゃる台詞を繰り返して声に出すことから始まる。先生の言葉を聞いて初めて話の内容がわかる。今回の「清水」も、アウトラインだけは知識として仕入れていたけど具体的な話の運びや、ましてどこが可笑しいところかまでは全然わかっていなかった。先生の言葉として聞いたとたんに笑いがこみ上げる。その台詞を繰り返して言いながらまた可笑しくってたまらなくなる。いやいや、演じ手が笑っていてはいけないのですけど。でも自分で聞いて最初に可笑しくなったところがきっと“笑わせどころ”だ。それを忘れず稽古しようと思う。ほんで、できるだけ観客を笑かしたい!、と思うのだった。素人芸だけど。前回の「萩大名」に比べたら、はじけ気味の太郎冠者だ。ひとりの太郎冠者を演じるのだけど太郎冠者本人、鬼になって主人を脅かす太郎冠者、鬼の様子を再現する太郎冠者、の3種類くらいを演じ分けるのが楽しい(ほんの、ちょっとずつですけどね)。また、楽しくお稽古ができそうで安心したのだった。
2007.09.11
コメント(4)
超辛口ですのでご注意を。伯母の遺産である古い一軒家を譲り受けた36歳の蝶子。31歳の遠望子、26歳の綾音、21歳の真咲を間借り人として住まわせていた。その10年後の話。久しぶりに4人揃って集まることになった彼女たちの日常が、疎遠になっていた10年間の来し方を交えつつ描かれる。ある雑誌で、けっこう好きな女優さんがおすすめの本としてあげていたので読んでみた。その雑誌には、各年代の女性たちの直面する問題がリアルに描かれている、とか30代以降の、微妙に揺れ動く心理が描かれている、とか確か、そんな風なことが書いてあったと思う。が、特に何も伝わってこなかった。登場人物は、離婚した女性だったり、未婚のまま子どもを生んだ女性だったり、婚約者とは別に恋人を作ってしまう女性だったり、恋愛自体にだんだん興味が薄れてつつある女性だったり微妙な心理は描かれていたけど、その心理に特に興味はもてなかった。もちろん共感もなし。個々のシチュエーションに私自身がまるで無関係なわけではないしまた、読み手との状況の類似が共感を生むとは思わないけど。女性の日常生活モノによく見られる、いかにもスタイルのよさげな雰囲気(たとえば『かもめ食堂』みたいな)を表現したいというわけでもなさそう。電車に長時間乗っていたので、その行き帰りに読んだ。すぐに読めた。が、読まなくてもよかった。女性作家で好きな人は何人かいるけどその人たちを発見するまでは長らく女性作家が苦手だった。なぜかわからないけどつまんなくて。そのことを久しぶりに思い出した。でも、人気のある本です。
2007.09.10
コメント(0)
朝、出勤まで3分ほど時間があったのでそこらへんの片付けをしておこうと思い、流しの下の荒ごみを整理しかける。と、目の前に何かちらちらと。びくっとして後ずさって、おそるおそる見ると、かのモノが。そのモノとは黒くて少し平べったくてちょっとつやがあって、動きが素早いけど姑息でとことん追いつめられたらおもむろに飛ぶという荒技をやってのけるヤツである。私はこれが尋常でなく苦手なのでほとんどギャーといわんばかりの悲鳴をあげた。普段からヤツを殺してしまっても、死骸の処理ができない。そのため、職場で見かけても限りなく見なかったフリ。何年か前に指の爪ほどの大きさのヤツに家で遭遇した時はやむなく殺したものの、その後始末(家のごみ箱に捨てることはできないので数メートル運んで玄関先の共用部分に放り出すという大人気ない行動)に2時間くらいかかった私なので出かけるまでに始末しきることは無理。死んだヤツを放置して出かけるのも気味が悪い。できれば、見なかったことにしたい、とその辺に殺虫剤を申し訳程度に撒いて出た。仕事中、しょっちゅう家の中でのヤツらの狼藉を想像して青くなり帰ってもまだヤツがいたらどうしようと憂鬱になる。置いておくタイプの駆除剤を買おうとドラッグストアへ。ヤツらの絵さえおぞましいので、なるたけ箱にヤツの姿がかかれていないのを選んで手にとる。が、帰ったら幸いもういなかった(←当たり前)。二度と出てきてはならん、とご飯のあとその辺をかたづけて、ついでにちょちょっと掃除をしていたらまた今朝のヤツが出た!色といい形といい、今朝のと同一虫物だ。また、ギャーと悲鳴をあげながら今度は覚悟を決めて殺しにかかる。なんとか殺虫剤で追いつめたのだが、瀕死の重傷を負ったまま冷蔵庫の下に逃げてしまった。幸か不幸か。今はまだこわくて冷蔵庫に近づけない。ヤツの這った床あたりも踏めない。そして何より、この先冷蔵庫を買いかえる自信がない…。台所の暗がりさえ禍々しい感じがする今夜。電気つけて寝ようかな。
2007.09.05
コメント(8)
マリーどす。今年の夏はほんまにあつおしたなあ。日記に登場せなあかんあかん、思うてましたんやけどあまりの暑さにハゲができてしまいまして一時はもう、おなか全面がハゲかけ、いう乙女にあるまじき姿になってしまいましてというのもうちの普段の生活習慣が悪い、いうかほら、前もちょっと言うたことありましたけどうち、お風呂とおトイレが共用なんどす。(ちがうわ、あんたが勝手にいっしょくたに使うてるだけやわbyともぞう)ある日うちのともぞうはんが帰ってきやはらへんかった晩にお風呂で砂浴び、その砂でトイレ、ほんでまた砂浴び、を繰り返してましたら一晩終わるころには自慢の白い毛並みがぐっしょり濡れてしまいまして翌日の晩に帰ってきてうちの様子を見たともぞうはんが言わはるにはまるで「汗だくのおっさん」のようやったらしいんどす。もうその時のともぞうはんの慌てよういうたら…。うちもさすがにあかん、思いまして毛づくろいに精を出しましたら翌日からすっかりハゲてしまいまして、おなかと耳の後ろがほぼあかむけ状態で…。ま、それ以来ともぞうはんが、留守中もエアコンを長いことかけてくれはるようになってケージの横に置いてる保冷材も2倍の量に増やしてくれはってなんとか回復しましてん。ハゲならハゲで、案外すうすうして、特に問題もおへんかったんやけど時々ひっくり返しておなかチェックをされるのには辟易しましたわ。でも明日はまた真夏日らしいんどす。ともぞうはんともども、ちょっともう、ぐったり。
2007.09.04
コメント(6)
全10件 (10件中 1-10件目)
1


