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通信の大学の来年度卒業を目指すにあたりずっとずっしり重かったアートプランニングのレポート(第1課題)が返ってきた。いろんな人から「とりあえず落ちる」と聞いていたのでまずは落ちてみてから対策を考えるべしと、相当覚悟をしていたけど実は内心で「落としますか?このアタクシを。アキラ以来ですねアナタ」などと不遜にも思っていたのだった(ちなみにアキラというのはシナリオの先生で「創作論」でアタクシ一度落ちました)。まあ、「このアタクシ」って言ったって「どの」アタクシなんだか全く根拠はありませんが。でも!おそるおそる開けてみたら通ってました!そしてAでした~。これは素直にうれしい^^。先生のコメントがついていて「多くの資料をうまくさばいて、知っていることをなんでも書くのではなく、抑えたからこそよいレポートになりました」という風に書いてくださったけどすみません…。ネタを特に書き控えた覚えはないような。。。そして先生のまとめて下さった私のレポートの趣旨が、私の書こうと思っていたものより立派で…。申し訳ないことです。でも先生は今年度でいなくなるかもしれないので採点が甘くなっているのかも。これはチャンス? いえ、第2課題は今度こそほんとのほんとに落ちるかもなので気を引き締めて書きます。。。内容は1より重そうだけど年内にはなんとか。
2007.10.31
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職場の近くに白い猫がいた。とても人なつっこくて、「にゃあ」と呼びかけると「にゃあ」と返してくれた。立ちどまって待っていると寄ってきて、足元にじゃれつく。この猫をかまうのを長い間楽しみにしていたのにこの夏くらいから姿が見えなくなっていた。あとに大きな縞々のいかにも人相の悪い猫が、わが物顔に振る舞うようにもなっていた。白い猫。もう何年もずうっといたのでさすがに死んでしまったかとあきらめていたのだけど今朝久しぶりに見た。生きてた?と思ってじっくり見ようとしたらすぐに隠れてしまった。帰り際、職場を出ると「にゃあ」という声が。見ると前の階段にその猫がいる。「にゃあ」と返してなで回す。前の通りの猫だ。私は猫アレルギーらしく、猫を触ったり猫のいる家に行ったりするとくしゃみが出て目がかゆくなる。今日もあんまり触るとあとが大変かと思ったけどそんなことにはかまわずなで回す。なでてなでてなでて、足もとに擦り寄ってくるのをさらになでる。でも途中、猫の体が濡れているような気がしてよく見ると首もとに深そうな傷があった。濡れているのはもしかして血?と思ったがそれは幸いそうではなくて大きなかさぶたがくっついていた。もしかしてまだ痛いんだろうか、と心配していたらちょうど同僚の人が出てきたので「猫が、猫が」と連れて行って見てもらう。まあ、元気そうなので大丈夫なのでは、ということになり座り込んで毛づくろいをはじめた猫をそのままに帰る。あしたもあさっても遊べますように。そして今もまだ目がかゆい。。。かゆくて腫れぼったい。
2007.10.30
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通信の大学の戯曲関連科目のレポートのためにローレンス・オリヴィエの映画「ハムレット」を鑑賞する。課題は、シェイクスピアまたはテネシー・ウィリアムズの作品のうち映画化されたものと原作の戯曲とを比較考察せよ、というもの。ハムレットは全然好きじゃなくて、思い切って言えばつまらなさにウンザリするくらいだけど、手に入りやすいという理由だけでこれを取りあげることにしたのだった。そんな風に何気なく選んだにも拘わらず150分を超える長さに見る前から不安が募る。で、見てみたらハムレットがあまりにオッサン(スミマセン)でびっくりした。思わず家でひとりで「え?まじで?」ってつぶやいた。ハムレットってもっと少年なイメージが……。そしてものすごく脇役ながら興味をそそられていたフォーティンブラスが全然出てこないことに「うわ、フォーティンブラス全く無視やし」って2回くらい心でつぶやいた。でも原作の(というか名前の)イメージよりホレイショーがかっこよかったので鑑賞は主にホレイショーさんをメインに行う(レポートには全然生かせなかったけど)。レポートは、とりあえず書き上げたものの戯曲の考察というよりは映画の考察になってしまったためこれは直さずには提出できまい、とまだ手元にある。でも~ハムレットのみならず全体的に好みでないシェイクスピアさんとはとにかく早くさよならしたいと思っているのだった。しかしこの科目では、他の課題でもう1回シェイクスピア殿とつきあわねばならない。……やむなし。そちらは比較的好きだと思える「マクベス」にしようかなと思っている。この大学は、文章表現の科目の中で戯曲の量が多いような気がする。戯曲、決して悪くはないし、実際に書いてみると独特のお作法がどこにあるか多少なりともわかったので無駄ではなかったけど個人的には詩とか小説の比重がもっと高い方が良かったのになあと振り返ってみて少し物足りない気がするのだった。
2007.10.26
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何気なくテレビをつけていたら金八先生のドラマで、個性的に生きたいと願うというよくあるキャラ設定らしき女子が「みんなと同じような服を着て、同じようなレッテルを貼られたくない」というような台詞を口にしていた。話の流れは全然わからないのだけど、この言葉だけ耳について、「レッテル」、ってこの言い回しの時にしか使わないですよね、そう言えば、と思う。その、使い古された言い回しを使っている時点であなた、人と同じでは?とくだらないことが気になる今日の私は機嫌が悪い。悪いというか沈んでいる。なんかもう~だめですねえ~、と夕方職場でつぶやいたところそういう時はおいしいものでも食べないと、と周囲が流さず返してくれて、おいしいものってなんだ? 近ごろ私たちの間ではやっている肉か?それとも常に人気者のギョーザか?、と話しているうちにギョーザに付き合うくらいならいつでもできますよ、と言ってくれる人がいたので帰りにギョーザを食べに行く。沈んだ時はいつものことだけど私は浮上しません。浮上したところで沈んだ原因は消えないからである。沈んでる時に浮上しようとするのは不健康だと思うのでとりあえずずっと、沈んでおきます。長年そうしていると、沈む原因もたまってきて原因を手ばなさない限りどんどん沈むのだけど手ばなす努力もしません。だって、別に手ばなしたくないし、手ばなす努力は不健康だと思うので。なのでこういう日は寝るしかないのだった。寝ても原因は消えないので起きたらまた沈みます。万事いつもの通り。ただ、ギョーザをうれしくおいしくいただきました。
2007.10.25
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またしても遅ればせながらドラマのマイブームがきていて先週のお気に入りは『ハケンの品格』だった。だいたい、篠原涼子さんが好きでしかも、大泉洋さんががんばっているのでううむ、やはり放映時に見ておけばよかった、と思いながらDVDで見た。なんで放映時に見なかったかというと、たまたま見た回で、大泉が篠原さんにチューをしていたことにすっかり気を悪くしたから、という下らない理由だったことを思い出す。今見ても大泉許せん!『どうでしょう』は好きだけども許さん!主演の篠原さんの演じるのは非常に仕事のできる派遣社員。その口ぐせに、仕事相手に対して言い放つ、「それが何か?」というのがある。なんて魅力的な台詞。好きなキャラが憑依しがちな私は、その台詞を、言いたくて言いたくて言いたくて言いたくてたまらなかった。でもきのうついに言った!職場の係長が、「あなたの名前ってけっこうどこにでもあるよね」などとアタクシに向かって若干失礼とも言えることを宴会の途中で言い出されたので、しばし返答を思案したけれど、もしかしてこれはチャーンス?と思ってついに言った。「……それが何か?」隣に座っていたアルバイトさんにはウケたけど…スミマセン、係長。宴会の席なので許して、と勝手に無礼講にする私。そして今日は、民営化して間もない日本郵便さんから荷物の集荷の確認電話がかかってきたのだがその確認内容があまりにもくどかったために、電話を切ってすぐにつぶやいた。「何か問題でも?」だめだ。このドラマを見つづけていたら接客業でもある私の仕事に差し支えが生じることが予想されます。もう何回でも見たいのだけどさっさと手ばなそう、と決心する。
2007.10.19
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話題の有閑倶楽部。どうキャスティングしてもだめだろうと思っていたが女の子はそうでもなかった。原作より悠理がかわいらしくって、それはそれでいいか、と。ほんとかわいかったですよ。原作では清四郎さんと野梨子さん贔屓の私。野梨子さんはともかくとして、清四郎さんなのに知性がないのが不満だった。それでもまだ彼はマシだった。グランマニエ君に比べたら!グランマニエ君? グ、グランマニエ君?? グランマニエくぅ~~~~~~ん!!??と、彼が画面に出るたびにウケた。KAT-TUNのあの人はかっこいいと思うけど絶対にあれはグランマニエ君ではない。はばかられて美童という名を出せない。もはやグランマニエ君、長期留学するしかなし。思い出しても笑いが…… ^^ ^^ ^^ ^^ ^^
2007.10.16
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と、カフェなどにて書きものを試みているこのごろ。たくさんのお客のいるカフェの中で他のお客は私にとってただの背景で他のお客にとっての私もただの背景になるようにごくひっそり座ってみると集中しやすいとわかった。一定以上の人の話し声はただのざわめきになるので耳に入っても内容を判別できない。それはある意味、音がしていないのとほぼ同じ。ただ、そんな中に不当に大きな音が混じる時に気が散るので、誰の隣に座るかは選びたいし私の座った近くに後からそういうお客が来たらすぐに帰るけど。そういえば以前は、家でひとりでレポートなどを書いていても使っているパソコンの音が気になって集中できなかったことを思い出す。最初は気になった隣の人の存在や、出入りする人の姿も案外書き始めるとほとんど目に入らない。彼らはただの、私の背景に過ぎないので。ざわざわと音がしているのが、水の中に沈んでいる時のような感じで、これは、なんて言うんでしょうねえ、かえって何ものも入り込む隙がない感じがするのがいいのかも。雑踏の意味のないざわめきを録音して家で流せば家でも書けたりして。ひとりを好むことと、不特定の大勢の中に紛れ込むことはなるほど等しいかも知れないと気が付いた。
2007.10.13
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去年に続いて、谷川俊太郎さんの特別講義へ。ゆりぞおさん、情報をいただきありがとう。去年と同じく、壇上でのフリートーク形式の講義。相変わらず「ものすごくいい人」そうではない雰囲気の谷川さんは素敵な方だ。冷たい感じではないけど、不用意に言葉を発せられないぴりっとした緊張感があってそういう人ってとても魅力的だと思う。谷川さんは講義の最後にできたてほやほやの詩を朗読された。一緒に行ったキョチさんが言うには「めっちゃうれしそう」に読まれたそうだ。私は目をつむって聞いたので、表情まで見ていなかった。でも、その詩はよかった。谷川さんの詩は世の多くの人と同じく私もけっこう好きだ。全部いいという訳はないけど、時々ぴりぴりっと響いてくる。中でもものすごく響いたのがあって、それをネタに以前言語芸術論のレポートを書いた。久しぶりにレポートを取り出して読んでみたら、あまりに熱いレポートでびっくり。え、えらいぞ私……。詩のタイトルは「これが私の優しさです」だった。よろしければぜひお読みください。久しぶりにまた谷川さんの詩を読みたくなった。ついでに中也さんのも読もうっと。
2007.10.12
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久しぶりに布引の滝へ。新神戸駅のすぐ裏にあるそこは、記憶していたよりずっと近くてあっけなくたどり着く。その上、水量がとても少なくて雌滝も雄滝もチョロチョロという程度。全然物足りず、もうしばらく足を伸ばして山道を分け入る。少し疲れてだんだん山歩きっぽくなってきたころに布引の貯水池が現れる。緑の中に突然人工の建造物が出てくるとなぜか浪漫な気分になる。単に違和感があるとか、造る時の苦労が偲ばれるとかじゃなくて。それが石造りならなおさら。。。しかも、その後ろに巨大な水を支えているなんて。壁の向こうの貯水池の周りをめぐりながら昔の町が沈んでいやしないか、と空想する(沈んでません)。人柱が埋められたのではないか?と、疑惑の目で見てみる(埋められてません。たぶん)。村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』に出てくる池を思い出して、どこかに流れ出る秘密の口はないか見回す(そういうのはありません)。と、書いてみて、もしかしたら、場に似つかわしくない水の多さが引っかかるのかもしれない、と思う。帰りもしばしこの壁を見てぼけっとする。このままぼけっと、小一時間くらいは過ごせそう。重たい石の古びた感じもたまらない。少し装飾が施してあるようなところもまた、良い。ちらちら見ながら山道を下りる。足元に気をとられるので、ずうっとは見ていられないのだった。少し歩いて振り返るともう木々に阻まれている。なんだか探検隊の気分でもある。
2007.10.08
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琵琶湖畔の温泉へ。部屋のベランダに露天風呂のある旅館に泊まる。部屋に温泉がついている、ましてやそれが露天、なんていうのはとても都合がいい。いつでも気の向いたときにどぼんと入れるし朝、大浴場に向かう時に感じる起き抜け風情の恥ずかしさもない。何より、誰もいないところでひとり勝手に温泉に浸れるのがいい。誰よりも早く目が覚めたので朝一番のお風呂をいただく。湖の向こうから、ちょうど朝日が上がってくるのを撮ってみる。だあれもいなくって(ベランダの下には犬と散歩してる人がいたけど)お湯の落ちる音だけがしている。やるべきことも、行かなきゃいけないところも何にもない。家にも帰らなくっていい。そんなお休みの日の朝。知らない場所でひとり、お湯に浸かっていると、「私って誰だっけ?」という気さえしてくる。ふ~。
2007.10.06
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元町駅前のサン○ルクにて1時間余り“まったり”。今週の文芸講座に備えて原稿書きを試みてみたのだった。うちの近所のカフェーさんは混んでいることが多くってなかなか落ち着いてまったりできない。店内がけっこう明るいのもその一因と思われる。けど、この元町のカフェーさんは平日昼間ということもあってかあんまり混んでいなかった。ブラックコーヒーをいれてもらって席を探すと奥まったところのソファ席が空いていた。外とのコントラストのせいか、沈んだ色合いの店内でその一角はさらに静まり返って見えた。ので吸い寄せられるようにそこへ。ソファでない普通のテーブル席と区切った、細長いスペースにしつらえられたそこの一番奥に壁を背にして座る。一番奥なので付近を誰も歩かない。区切られている上にソファ席で目線が低いため、他の客と目線が交叉しない。まっすぐ目を上げると、カウンター席の向こうに、日差しの強い表通りが白く見える。そこを歩く人たちを、全くのひとごととして遠く眺める。なんて居心地のいい。そういえば子どものころ、おばけを想像して怖くなったときはいつも壁を背にして座っていた。後ろに何もなくて全体を見渡せる。←とても重要見渡してもまず誰とも視線が合わない。合っても無視できるくらい遠い。←さらに重要カフェーさんで快適な席って案外ない。たいてい人が近すぎると思う。珍しく発見したこの席、また行こうっと。でもきっとなかなか空いてないんだろうなあ。
2007.10.01
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