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最終日は、昨日の研究の成果をグループで、および個々人で発表。塾講師をなさっておられるTさんのおかげでおもしろおかしいグループ発表になり大感謝。私には絶対真似できません。なので個人の発表はそそくさとお茶を濁す程度で済ます。大勢の前でのフリートークは私の弱点です。まずできません。台詞が決まっているならまだしも(←つまりちゃんと発表内容を練っていなかったのですね)。今回の参加者は4~50人くらい。個人単位では、それぞれが自分の実現したいアートプランについて、その実現方法を具体的に探り発表する。途中、内職したり、また自然とor故意に意識のとんだ瞬間もあったりしたけど、いちおうアウトラインは全部耳に入れていたつもり。そうするとどうしても気になったのが「人を癒したい」という発言の多いことだった。ひとりひとりがそう思うことはべつに否定しないけどあまりに多くの人が「癒したい」なんて言うと、だんだんうんざりしてくる。ごく、個人的な意見ですが。それで休憩時間は少し息苦しくなって外に出てひとりになってぼーっとする。だって、癒されるかどうかは受け取り手の問題だから。私は、人を癒そうと思って作られたものに癒されたくない。というか、たぶん、癒されないと思う。ごく、個人的に。何かを作るときには、単純に自分の好きなものを作ったらいいと思う。その結果誰かが癒されたというなら、それならそれでいいと思う。そういうこともあるかもねえ、くらいで。くどいようですが「ごくごく個人的に」そう思って、いくらかいらいらしていた。じゃあ私は癒されなくて結構。
2007.07.30
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事前に提出していた、各人の考える自分自身のアートプランについて参考となりそうな資料を先生からいただきそれぞれに噛み砕いた上で同じような志向の人たちとのグループ研究を行う。グループ研究では、各々の目指したい方向等々を話し合う。どうしたって多かれ少なかれの本音が出てくるので限られた時間とはいえそれがそれなりにおもしろい。話をしているうちに、思いもしていなかったことに気づいてみたり、その一方でやはり思いようもないことは断固思えないことを確信したり。芸術についての談義はたいてい果てがない。全くたいしたことは言えないけど、そんな談義はいつでも楽しい。
2007.07.29
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朝から人身事故にて電車が遅れ。ちょっとやきもきしながらたどり着いたら、先生も遅れていた。同方面から来られているらしい先生なので、やはりダイヤの乱れが、と思ったら体調不良、とのことだった。授業開始時間を過ぎてからようやく、本日の講義は13時からと告げられ、驚くほどに荒れる教室。午後から始まった授業だけどマネ研とは、何をする授業なのかいまだにつかめない。相変わらずざわつきがちな教室に無理をしてでも去年受けておけばよかったかとうんざり。せっかくお休みをもらったのに。チャッピーちゃーん。
2007.07.28
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あしたから3日間学生の私。同僚のチャッピーちゃん(仮名)にそう言うと、今日の別れ際に「よいお休みを!」と。新しい仕事になってやっと3ヵ月。まだまだ全然わからないことばかり。なので、ちょっとした変則勤務の職場にて、全く同じローテーションで回っているチャッピーちゃんには、年下であるにもかかわらず、ずいぶんお世話になっている。もう毎日が、「ありがとうチャッピーちゃん」と「かたじけない、チャッピーちゃん」と「見習います、チャッピーちゃん」の繰り返し。加えて、ずいぶん気を遣ってもらって申し訳なくもある。そもそも、人に気を遣うときに「いかにも遣ってます」風に見え見えなのは好ましくないと思っている私。それなら遣わない方がましだとさえ思う。でもこのチャッピーちゃんの気遣いはけっこうさりげない。基本ベースが人の何倍も親切な人なのだけど、その親切に時々さりげない気遣いが混じっている。ある時そのさりげなさに気づいてからは、チャッピーちゃんの言動の端々に、「今のは気づかってくれたんだろうか…」とどきどきしている。挙げ句の果てに、たぶんそうでもないところにさえ気遣いの気配を捏造してしまったりして、勝手に恐縮しているのであった。と、考えすぎにて少々疲れたりすることもある(ますます勝手だ)。が、ちょっと話した大学のことさえ忘れずに流さずにいてくれるのねえ、と思うとまたしても「ありがとうチャッピーちゃん」なのであった。4日後にまた会いましょう。4日後にチャッピーちゃんに会って、あんなだったこんなだったって、話すのを楽しみに、明日からの夏休み、学生しまーす。
2007.07.27
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「朝起きて、今日も一日がんばろう、と思えますか?」と質問された。ある場所でのごく簡単な元気度チェック中であった。「今日も一日がんばろう」っていうのは小説やらテレビやらでそういう表現が用いられることがあるのは知っているしもしかしたら便利な言葉として私自身も使ったことがあったかもしれない(まずなさそうだけど)。でも実は、思ったことがない。誰かが口にしたり文字にしたりするのを見聞きしたとしても、それは「暑中お見舞い申し上げます」程度の、特に問題のないあいさつ言葉のひとつくらいにしか思っていなかった。そこで「そんなこといまだかつて思った記憶がない」と正直に言うとものすごく元気がない人のように受け取られてしまったがそう受け取る人の感性を想像するに、その判断を覆す気も義理もないように思えたのでもういいや元気じゃないんです私、ということにしておいた。そしてしばらく「今日も一日がんばる」ことの違和感について考えた。がんばる、ということは私にもなくはないので、どんな時にがんばるかについても。そしたら案外「がんばる」という言葉にきちんとあてはまるシチュエーションって少ないことに気づいた。たとえば、運動部のときに使っていたであろう「練習をがんばる」。この「がんばる」って限りなく「がまんする」に近い。しんどいけどがまんする。がまんをがんばるということか?それから「試験がんばってね」。試験を受ける段になっては、もはやがんばることはできない。もっと早く「試験勉強がんばってね」と言っておくべきである。「小説がんばって書いてね」←がんばって書いてもいいものは書けない。「がんばって仲良くしてね」←もう他人だし。「がんばって遊ぼう」←気持が遊んでないし。思うに「がんばる」っていうのがしっくりするのはかけた時間や労力といった量的な努力に比例して成果が現れる可能性のある場合、かと思われた。「なわとびを100回がんばる」「がんばってマフラーを編みあげる」「がんばって食べる」あと、具体的な行動が成果として目に見える場合、とか。「がんばって話しかけてみる」「がんばって早起きする」「がんばって大きな声を出す」そもそも「今日も一日がんばる」、って第一何をがんばるのかわからない。漠然とがんばるのはあまりにもしんどくて途方に暮れる。それができる人なら、わざわざ朝「今日もがんばるぞ」なんて自分を鼓舞する必要はない。できないときに「がんばる」なんて思うのは余計悪い。ましてやそれを元気度バロメーターに使うか?と私がほんとに元気なかったら「今日も一日がんばる」なんて訳のわからない空回りは即止めさせます。と、思ったけど「今日も一日がんばろう」っていうのはやっぱり普通は前向きで明るく健やかなさま、なんだろうか。私の思う「今日も一日がんばろう」と本気で言える人のイメージは、朝起きてすがすがしくカーテンをシャッと開いて目を細めながら朝日を浴びてついでにシャワーを浴びたりなんかしたりなんかして新しく始まった今日にあっさりきのうまでのことを流して歯磨きのミントのフレーバーにさえ、始まったばかりの今日に期待を感じてあげくに窓を開け放って健康的に深呼吸をする、みたいな。そんなステレオタイプにドラマチックな人、ほんとにいるんだろうか。絶対友達になりたくないけど。というくらい違和感があったのだった。
2007.07.23
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NHKの番組で角田光代さんがイタリアの山を登っていた。このごろ集中してこの人の本を読んでいるので一体どんな人かと思ってちらちらと見てみたらものすごくかわいい人だった。声もかわいい。字もかわいい。本を読んでの印象では、とても地に足のついてる人っぽかった。おそらく誠実そうな人で堅実に物事を進めながらも、作家ならではの腹黒い心が(すみません)、女性特有のどろどろした一面を鋭くキャッチする、ようなそんな印象で、会うと緊張する人かもしれないねえ、と思っていた。ら、そんな印象とは違った。誰にでも裏はあるとは思うけど、ねそっとしていかにも裏があるっぽい、かつそんな女っぽさを無意識に利用しているような、かつそれらが周囲にだだ漏れであることに都合よく鈍感な人、が感覚的に苦手な私(実際にはこの3点を兼ね備えた人にはほぼ会ったことないけど)。そんなタイプとまでは思わないけど、角田さんにも女っぽさを何となく感じていた。まあ、女っぽい、だけで少々苦手意識があるのですね。でもテレビの印象ではノンストレスな人に見えた。ほんとはどんな人か、誰のことも知る由もないけど、第一印象がノンストレス・ノンプレッシャーであることは実際けっこううれしい。この人とお茶を飲んだりお酒を飲んだりするのも楽しいだろうなあ、と思った。角田さん自身は、話すのは苦手、とテレビの中でおっしゃっていたのでその点類友の私と角田さんとでひと口飲んでは窓の外をぼけっと眺めたりそれぞれ考え事にふけったりそんな時窓の外は雨だったりして、いや、晴れでも曇りでもいいけどと、イメージを勝手に描いてみた。本を読むのも、俄然楽しくなってきた♪
2007.07.20
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で、こんな風に夏ばて一直線のこのごろ。うすーいオレンジジュースが気に入っている。大人になってからは、なぜかジュースといえば果汁100%のものしか飲まなくなった。でも、果汁100%のものって、濃くてしんどいことありませんか?今気に入っているのは果汁30%。たぶん果汁が薄くなった分として糖分が添加されているから、普段は敬遠してしまうけど淡くてやさしい甘さに、子どものころ飲んでいたジュースを思い出す。いわゆる「オレンジ・エード」。“果汁を薄めて甘みを加えた飲み物”のことをエードというらしい。名前も懐かしい。素っ気無いガラスのコップに注いでいただく。今日は、角田光代さんの『幸福な遊戯』を読んだ。これは◎。リアルな世界を描いているようでいて少しずれている。わかりやすいリアルさを求めることには何の意味もない、と思えるような。ひたすら内面のリアリティを描いているような。それでいて強い印象が残る。解釈しきれない居心地の悪さがある。万事決して説明臭くなく紡がれている。説明が少なくって不親切なくらい。あくまでも個人的な感想ですが、こういうのが好き。
2007.07.18
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このところ妙に眠くて体が重い。体中の水分がぬる~いゼリーになったみたいでぼんやり熱くてひたすらだるい。ので、横になると、そこがベッドだろうがフローリングの床だろうが、瞬時に眠りに落ちる。重力に対して垂直面を大きく取らせると自動的に眠ります、という感じ。仕事はともかくとして、大学に出すレポートやら何やらにも手をつけているのだけど、普段は鑑賞系のレポートを好んでいるにもかかわらず今はとにかく理系の思考がしたい。知識と知識と知識を組み合わせて結論を述べる、みたいな方が、いえ、それが理系っていうのかどうか知りませんけど、どこに心が動きましたか~?ええそうですか~、それじゃあその辺から膨らませてみましょうか~、っていう鑑賞系のめんどくささよりスッキリしていてとっつきやすい。事実を下さい、事実を。今やってるのが終わったら、手持ちの中で最も理系っぽい色彩学をやるぞう、と思っている。ところが今は眠れない。さっき床の上で1時間余り予定外に眠って、その後ある人の小説を読んだところ、いつもは割といいなあと思っているその人の作品が全然おもしろく思えなくて、3分の2を過ぎても乗れないことにちょっとイラッとしたのだった。これはさっさと読み上げて次の作品を読もう。どの作品も好き、というのはそもそもありえなし。と、書いてるうちに眠くなってきました。よしよし。ふとんに入ると眠らなきゃと思うので、また床で寝ようかと。
2007.07.17
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先日、楽しみにしていた『舞妓 Haaaan!!!』を観た。面白いか面白くないか、7:3くらいかなあと思って少しだけ不安だったけどおそろしく面白かった。ストーリーやら人物造型やらにリアリティを求める場合にはつまらない、と思う。そういうのでは、ない。ただただテンションが高くて、最初っから最後まで笑かしてくれる中にほんのちょっと、「いい話」が作られていて、見終わったあとにほろりとする。阿部サダヲ扮する主人公は、舞妓さんが大好き。ただしお茶屋遊びの経験はない。そんな主人公がある日京都に転勤になり、苦労の末、一見さんお断りのお茶屋デビューを果たす。そんな彼のライバルが堤真一扮する野球選手。お茶屋や舞妓さんを巡っての二人の争いは、一体どこまでいくねん!、と観客に突っ込みを入れさせんばかりの勢いで、途中から「はあ~?」とあきれ気味な鑑賞になる。でもそれに乗って最後まで引っぱられるのが楽しい。な~んにも考えなくてもいい、ジェットコースターに乗って最後まであっという間に連れて行ってもらえるような、安心感がある。舞妓さんのお召し物やらお化粧やらもかわいい。目の端にほんのり差す紅があんなにかわいいとは…。今度京都に行ったら舞妓さんの扮装がしたい!(いや、芸妓さんかな…)エンディングに流れた主題歌が頭をぐるぐる回っている。「お・ま・えローテンションガール」、というらしい。歌詞の中の「ドン・キ・ホーテで全力疾走~♪」というところが、特に。宮藤官九郎脚本・水田伸生監督。かつてのドラマ「ぼくの魔法使い」もこの2人だったそうだ。このドラマも好きだった。今でも脚本を読んで笑えるくらいに。。。
2007.07.09
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狂言のおさらい会。無料だけどお客様も入る。まあ、発表会と言った方がいいかもしれない。ほぼ2年間取り組んだ演目の太郎冠者役がけっこう気に入っていたので今日で最後と思ってがんばる。直前まで動作と台詞の再確認。が、共演した3人それぞれに頭が真っ白になる瞬間があり、後ろに座っている先生が、天の声として登場することになる。そのほかにも細かいミスが。演じながら「あ、間違えた」と思うけどやり直せないのでそのまま押し切る。能舞台は想像以上に声が響く。相当に緊張しつつ舞台に立つのだけど、だんだん自分の声の反響が気持ちよくなってくる。そして最後の台詞はいつもさみしくなるのだった。ミスはあったものの、先生や周りの人からは「稽古の時より良かった」と言っていただいた。本番の方が力が出るタイプ、と。そう言っていただくのは素直にうれしい。でもまあ、本番もせいぜい学芸会レベルなので、ふだんの稽古の情けなさを指摘されている感も……。いやいや深く考えまい。とにかく終わってひと安心。次の演目は何かなあ、と楽しみでもあるけれど開放感にひたりつつ、今日はさっさと寝ようっと。
2007.07.07
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久しぶりにテニスを見ている。以前習っていたころは時々見ていたけどしばらくご無沙汰。久しぶりに見てみたら、ビーナス・ウィリアムズさんがシャラポワさんといい試合をしていた。このビーナスさんは、たぶんこの人がピークだった時によく見ていたので今でも活躍してるなんてえらいなあ、と思って深夜にもかかわらずついつい見入ってしまった。久しぶりのビーナスさんは、白いテニスウェアで、かつての華やかさとは少し芸風が変わっていた。が、整ったスタイルと少しだけ気弱そうな表情は変わっていない。切れのあるパワーショットも。この人が出てきたころは、女子もパワーテニスになったなあと思い、力に頼らないヒンギスさんはどうするかなあと思っていた。でもこの人もパワーだけではなくて、長身とリーチの長い手足を生かして打ち込まれる鋭角のショットが気持いい。私もテニスをしていたころは、パワーヒッターではないけれど、相手の足元深くとか、たとえコースを読まれても絶対に届かないほど厳しいラインを選んで打ち込むのが好きだった。球に回転をかけるのはよくわからない素人だったので、とにかく速球を。ストレートに。そして今のビーナスさんは、前よりパワーに頼っていない感じなのもいい。このビーナスさんには妹もいる。セリーナさんという。時々、ビーナス・ウィリアムなのかビーナス・ウィリアムズなのかわからなくなるのはこの妹さんがいるせいだと思われる。が、ウィリアムズさんはひとりでもウィリアムズさんである。ウィリアムの複数形ではないのである。しかしなんだろう、この「ズ」は、と、どうでもいいけど観戦しながらそんなことを考えた。
2007.07.05
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文芸講座の日。日曜からの3日間でショートショートを書こう、と思ったけど、それだけに没頭できるわけもなく、昨晩12時時点でまだ頭が真っ白。今回は作品提出はだめだとあきらめた。書いていないと出席する意味がほとんどないので、できるだけ何かしら書いていこうと心がけているけど、なかなか長いものに取り組むのが難しい。そこで、「とりあえずショートショート提出作戦」を何回か実行している。先生は毎回のように、人物を設定してエピソードを繋げて、あんまり考えすぎずに、のびのびと(!)、とアドバイスを下さる。おそらく多少長いものを書いていったら、という意味も含まれているだろうけどなにせストーリーを作るのが苦手なものですから。これじゃあだめなのかなあとは思いつつも、おもしろいお話を書きたいという志向は全くない。微妙な感覚のようなものをフィクションに乗せて表現できたらという感じ。イメージは梶井基次郎の「檸檬」又は漱石の「夢十夜」かなあ。程遠いにも程があるけど。知人にショートショートのひとつを読んでもらう。と、文体に揺れがある、とのことであった。書き出しと途中の文体が少し違っている、と。確かに自分でも自覚あり。私はストーリーを繋げるのに苦心する割には、書き出しと書き終わりはイメージが湧きやすい。イメージがある時はたぶん本来の文体になってるんだろうと思う。それはどちらかというと硬めの文章だ。でも話の途中がどうしてもだら~っと緩んでしまうのだった。硬質な雰囲気を維持しようと思ったらもしかして散文詩とかの方がはまりやすいかな、書けないけど、と思ってみる。詩ですか。詩。気恥ずかしいけどやってみようかな、やっぱり、とも、思ってみる。とりあえず次回はなんとか、先生のアドバイスどおりに「のびのびと」、硬い文章を書いていこうっと。でも、その前にレポート1本と狂言の発表会をクリアすべし。う。正直なところ、時間のやりくりが苦しいよう。
2007.07.03
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前回の日記の反省からか、今日はかわいげを残ししつつ眠っておりますそして飼い主は日記の更新にテヌキをしております。
2007.07.02
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