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はるかへとうちゃんよりアルジェリアではラマダンが終わるとその後二日間は祝日になる。29日で終わって今日と明日が休みじゃないかなあと言う人が多かったので、「明日は休み」と思いながら月曜日の夜を過ごしてた。すると、会社の人から電話があって、「明日は休みじゃないと発表があった」と言われた。「明日は休み」と思っていたとうちゃんはすごく損をした気分。一度そういう気分になってしまった後で、取り消されるとショック大きいねえ。勝手に自分が思い込んでしまっていただけやのにねえ。ラマダンは始まりもお月さんを見て決まるけど、終わりもお月さんを見て決まる。どうも昨日の夜の月はまだラマダンの終わりを告げていなかったらしいわ。
2008年09月30日
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はるかへとうちゃんより2005年9月20日(火)に書いた「実際に会うとさらに信頼は増す:遥へ(443)」って覚えてる?覚えてないよねえ。 3年も前の話やからねえ。リンクをたどって読んでみたら思い出すかもしれないけれど。この時、誰に実際に会ったかって言うと、中尾英司さんってう人。「あなたの子どもを加害者にしないために―思いやりと共感力を育てる17の法則」っていう本を書いた人。97年に神戸で起こったひどい殺人事件の犯人(少年)の親子関係を題材にして人と人との関係について書いてある本。「あなたの子どもをーーー」って言うと、遥なんかは自分はまだ子供だから関係ないわ、って思うかもしれないけれどそうじゃないで。親と子っていうけど、人と人との関係やもんね。まだ中1の遥にはちょっと早いかもしれないけれど、そのうち読んでみたらいい。うちの本棚に置いてあるから。なんで今日そんな話を書いたかって言うと。。。。それは、3ヶ月ほど前に番外編として書いたことが実現して、しかも街の本屋さんでも売られることが決まったと知ったから。<番外> 復刊させたい! 「あなたの子どもを加害者にしないために」最初の出版社が倒産して絶版となっていたんやけど、読みたいって言う人がみんなで協力して復刊ドットコムというところを利用して復刊が決定。ネットのおかげやね。うちにあるのは最初の出版の時のものなので、けっこう貴重なもんかもよ。
2008年09月29日
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はるかへとうちゃんよりリバネスの実験教室のことは覚えてるよね。リバネスじゃないけど、同じように実験教室をやっている人がブログでこんなことを書いてはった。普段その人は中学受験用の塾でも実験をやってはる。塾での実験教室の時と、塾以外での実験教室での参加している小学生の反応に差があるんやって。それは、 勉強するという習慣がついていない子どもは実験をしても吸収が少ないっていうこと。塾に通っている子どもたちは先生の話の聞き方や、ノートの取り方をすでに学習しているし、学ぶということに対して高い意識を持っている。先生の話すことを集中して聞くかどうか。きちんとノートを取るかどうか。好奇心を持って聞いているか、見ているか。何かを学ぼうと思っているかどうか。この差はすごく大きな差として出てくるに違いないよねえ。遥はどっち?遥のクラスメートはどっちかなあ?
2008年09月28日
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はるかへとうちゃんよりいつも同じ電車に乗って、同じ道を歩いて学校に行ってない?それが普通やと思う。でも、たまにいつもと違う時刻の電車、違う道を通って学校に行くと、気分が変わって楽しいで。見えるもの、聞こえる音が違ってくる。
2008年09月27日
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はるかへとうちゃんよりほんとのことを言うのは大変だ。(だから)勇気を出してほんとうのことを話した君は偉い。おとといはそんな話やった。でも、ほんとうのことを言うことはいつもええことなんやろうか?そんなことはないよねえ。「うそもも方便」という言葉もある。うそをつかないまでも、ほんとのことを言わないことがいい時もあるよねえ。ちっちゃい時のけがや病気が原因で走れない人、うまく歩けない人に「あれ? 普通に歩けないの?」という場合。ほんとうのことに違いないけど、そんなひどい話はないよね。同じことを説明するにしても、表現の仕方や口調でぜんぜん違ってくるよね。もし、ほんとうのことを言うのが常に偉いんなら表現の仕方や口調なんて気にしなくてもいいはずやよね。ほんとのことを言うのは大変だし、その大変なことをすることは偉いことだけど、それが常に当てはまるとは限らない。じゃあ、どんな時に当てはまってどんな時に当てはまらないのか。白と黒のようにはっきりとしていないところが難しいところでおもしろいところでもあるんやなあ。いろいろな場面でちょっと失敗そうそう。あのドラマの脚本を書いたのは山田太一さんという。すごくいいドラマを書く人。文庫でもいくつも出てると思うので、そのうち読んでみたらええで。「山田太一」さん。 名前も覚えておこう。で、そのドラマ「本当と嘘とテキーラ」でも 本当のことを言うことがいつもいいことだとは言ってない。
2008年09月26日
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はるかへとうちゃんより近道を使うと目的地に早く着く。これは正しいやろうか?「正しいやろうか?」って聞かれる時って、だいたいが、正しくない時やよねえ。まあ、今回もその通りで、常に正しいとは限らないよねえ。近道なんやけど、車が渋滞してて少しも進めない。一方で、ちょっと遠回りやけど車が全然通っていなくてすぐに着いてしまう。こんなこともあるよねえ。ちょっと遠回りの道が空いているのが見えているのにいつもの近道(こっちは渋滞)を何も考えずに通ってしまう運転手さんを見ていて、そんなことを考えた。遠回りの道が空いてるかどうかがわからないならまだしも、ちょっと注意して周りを見回してみたら、遠回りの道の状態も見えるのに、そこまで気が回らないで十年一日のごとくに同じことをやってしまう。ありがちやねえ。
2008年09月25日
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はるかへとうちゃんより本当のことを言うのは大変だ。勇気を出して本当のことを話した君はえらい。とあるドラマの1シーンでの言葉。(細かな点は違っているかもしれないけど、こんな意味の言葉だった。)遥のことを思い出した。むっちゃかっこよかったに違いない:遥へ(901)とうちゃんは、あの時の遥を誇りに思う。
2008年09月24日
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はるかへとうちゃんより「計る」大切で、有効な手段なんやと思うんやけど、どうやろう?数字で表されると、「よし、次はそれよりも速くやってやろう」とか「次はもっと長くまだがんばるぞ」って言う風に自然に思ってしまうんとちゃう?数字の魔力。受験勉強の時に、キッチンタイマー使って計ってみたら?っていうことを書いた記憶がある。別に受験勉強じゃなくてもいろんな場面で使えるような気がするなあ。別にキッチンタイマーだけじゃなくて、時間以外でもどんどん数字にしていくと思わぬ効果があるかもね。どんなことを数字にできるやろうねえ。そうして数字にしたことを、「よし、前回よりもちょっと多くしてやろう」とか「少なくしてやろう」「どうやったら少なく(多く)できるやろう?」と考えていくと楽しいかもね。
2008年09月23日
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はるかへとうちゃんより昨日書くのを忘れたことがある。「初めての演奏会」は一生に1回やけど、「100回目の演奏会」も「1万回目の演奏会」も一生に1回しかないで。
2008年09月22日
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はるかへとうちゃんより昨日は晴れてよかったねえ。今日も雨が降らないといいねえ。ところで、昨日は楽しく吹けた?聞きに来てくれはった人たちは楽しそうやって?何回も書いてるけど、昨日の感想、演奏前の気持ち、演奏してる時の気持ち・・・ 書いておいた方がええで。なんちゅうても「初めての演奏会」っていうのは一生に1回しかないからねえ。さあ、今日も楽しく演奏してこよう。
2008年09月21日
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はるかへとうちゃんよりいよいよ今日やねえ。雨がひどくないといいけど。一生懸命練習してきたものを全部だしきって聞いている人も遥たちも楽しくなったらええね。自分たちの出し物だけじゃなくて、ほかの人たちが一生懸命つくったもの、やっているものも見たり、聞いたりしにいこう。遥たちが一生懸命練習したのと同じようにほかの人たちも一生懸命練習しはったんやろうから。自分が時間をかけて準備した経験があれば他の人の準備についても簡単に想像できるよね。そうして準備してきた人たちにとって一番うれしいのは沢山の人がみにきてくれてよかったよ、とか楽しかったよって言うてもらえることやよね。
2008年09月20日
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はるかへとうちゃんより「10月はピカソだ!」って書いてからもう4ヶ月近く経った。10月4日から12月14日までやっているので運動会やテストがあっても行けるよね。でも、まだまだ最終日まで余裕があるわ、なんて思っているとあっという間に最終日がやってくるで。前回も書いたけど、中学生まではタダやで、 タダ!朝日新聞のピカソ展のページ国立新美術館のピカソ展のページサントリー美術館のピカソ展のページ
2008年09月19日
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はるかへとうちゃんより「当たり前」のレベルを上げていこうっていう話は何度かしたよねえ。遥の中学校の英語の「当たり前」のレベルはちょっと高い。英語で英語を勉強するということは、英語で考える癖がつくと言うことでもあるから。長い英語の文章を読むのも苦にならなくなってくると思うで。こんな「当たり前」もある。中2で中3までの勉強を終える。高2で高3までの勉強を終えて高3になったら大学受験用の問題やさらにもっと高度な勉強をしたりする。そういうのが「当たり前」の学校もたくさんある。とうちゃんが通っていた学校もそうやった。翔太郎くんが通っている学校もそう。このことは知っておいていいことだと思う。中学受験前に通っていた塾でもそうやったよね。小学校の範囲を6年生の最後でやっと終えたわけじゃないよね。それが「当たり前」やったはず。大学受験になるとそういうのが「当たり前」だと考えて、実行している人たちと同じ土俵で競争するんやなあ。
2008年09月18日
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はるかへとうちゃんより昔、あるところで農業作物があまり取れなくて食糧不足になった。お母さんが栄養不足で赤ちゃんにあげる母乳も出ない。栄養不足で赤ちゃんが死んでいく。そこで、母乳が出ないなら粉ミルクを送ってあげようといろんな国の人が考えた。お母さんは喜んで粉ミルクを水に溶かして赤ちゃんにあげた。そしたら、たくさんの赤ちゃんが病気にかかってしまった。なんでやと思う?そう。粉ミルクを溶かすお水がきれいじゃなかったり、哺乳瓶がきれいじゃなかったから。さて、遥はこの話から何を学ぶ?コア、エッセンスはなんやろう?
2008年09月17日
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はるかへとうちゃんより「100のうちの99まで譲ったなら何が残る」中島みゆきさんの「背広の下のロックンロール」っていう歌の一節。100のうち99を譲ったら、一番大切なものが残るやんって多分歌詞全体からの意味とは違うことをこの歌を聴くたびにとうちゃんは思う。100のうち譲れないものってそんなにないように思うんやなあ。「ここは譲れない」ってものはきっと誰にでもあると思う。人それぞれそれは違うはず。でも、肩肘張って、なんでも自分の考えや自分の主張が通らないと気が済まないって思うほどのものばかりかって言うと全然そんなことはないと とうちゃんは思ってる。ま、いろんな考えの人がいてるので、「なにをあほなことを言うてる?」と思う人もいてはるやろうけど。それはそれでええやん。
2008年09月16日
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はるかへとうちゃんより日本人は文法を気にして英語を話せない。(人が多い)とよく言われる。あれは大間違いやと思う。どうしても話さないといけない場面で、いちいち文法を気にするか?きにしないやろうなあ。たとえば、殺されそうになったとき。文法なんか気にしてないはず。(まあ、この時なら、英語じゃなくて日本語で叫んだ方が早いと思うけど。)文法を気にしてられるのはそれだけ余裕のある場面にしか遭遇してないから。どうしても話さないといけない場面とか、この人とどうしても話したい、意思疎通したいと思ったら、文法がどうとか通じてるかとか、そんなことを考えるよりも先にともかく単語を並べるだけでもいいから口からでまかせでも音を出さないとしかたがない。語順、文法めちゃくちゃでも単語さえ並べられれば、なんとかサバイバルはできるし、お互いが話をしたいと思っていたらなんとかなるもんやで。だから、単語や熟語はできるだけ早ううちにできるだけたくさん覚えた方がええで。(大切なことは、忘れることを気にせずにどんどん覚えていくこと。)もちろん、きちんとした日本語を話す人と、チョーなんとか やカタカナ言葉しか使えない人とでは周りの人の感じ方が違うように英語でも同じなので、目指すはきちんとした英語なんやけどね。
2008年09月15日
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はるかへとうちゃんより基本的な850語で何でも表現しようという考え方がある。ベーシックイングリッシュというものでオグデンさんという人が考案したらしい。とうちゃんは予備校に通っている時に知って、勉強した。これはええで。制限があることでかえって英語的な考え方や基本単語の意味の広がりがわかる。(まあ、とうちゃんも英語がすごくできるわけじゃあないし母国語でもないので「わかった気がした」くらいのもんやけどね。)でも、使える単語の数が少ないから、説明的な表現になってしまうことが多い。説明的に表現するよりもその単語を知っていた方がずっと便利、ということもある。たとえば、「机」。「机」という単語を知らないと、「その机の上にある本を取ってください」なんていうのを日本語で文章にするとしても難しいよね。一つの目的・目標に達するために、いくつも道があって、そのどちらもやっているとより効果的ってことやね。覚えて覚えて覚えまくる って言うのと、ゆっくりと深くやっていく って言うのと。今度本屋さんで「ベーシックイングリッシュ」関連の本を手にとって見てみることをすすめる。日本ベーシック・イングリッシュ協会のページ。
2008年09月14日
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はるかへとうちゃんより英語(英語以外の言葉も)は慣れやでえっていうことはだいぶ前に書いたと思う。まあ、とうちゃんの思いこみみたいなもんなんやけどね。高校生くらいの頃やったかなあ。 ある日 ふと思った。アメリカ人の子供は幼稚園児でも英語をしゃべってる。日本人の子供も幼稚園児でも日本語をしゃべってる。 文法なんて習わなくてもしゃべってる。その言葉にものすごい時間接したら、慣れで話せるしわかるようになるやん。それに、文字ができる前に言葉ってあったはずやん。口に出しにくい言い方はきっと何百年何千年の間に消えていくやん。でも、しょせん中学校や高校で授業で接する時間なんてしれてるので、それをどうやって補うかっていうと、沢山の文章、表現を覚えてしまうのも一つの手段。覚えてないとさっと出てけえへんねんなあ。そして、何回も何回も口に出しておかないといざというときに口が動かない。忘れることは気にすることはない。忘れても忘れても何回も覚えたらええだけやから。でも、どうせ忘れるからと覚えようとしないのと、忘れてもいいと思いながらも覚えるのはぜんぜん違うで。
2008年09月13日
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はるかへとうちゃんより目的が違ってくると表面的には同じように見えるものでもやり方もが変わってくるのは当たり前の話。(偶然、同じやり方になることもあるけど。)授業のノートの目的と、試験勉強の時のノートの目的はちょっと違うと思う。すると、授業のノートの取り方・作り方と試験勉強のノートの取り方・作り方とはきっと違ってくるよね。どう違ってくるのか、どう違えるのがいいのかは自分で考えてみよう。
2008年09月12日
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はるかへとうちゃんよりなんでも、本当の目的を考えるとその手段となる物やことについてはどうあるべきかということや、どういうことはあまり気にしなくてもいいということがわかるというようなことをだいぶ前に書いた気がする。すると、授業中にノートは何のために取るんやろう?ってことを考えたら、別に授業中のノートはきれいに書く必要はないってことがわかるんじゃないかと思う。もちろん、きれいに書いたらあかんってことじゃない。きれいに書こうということに一生懸命になる必要はないっていうこと。なんでかわかる?授業中のノートは、あとで自分が読み返して自分がわかるようにまとめながら書くんやよね。別に他の人が見てよくわかる必要はない。(他の人が見てもよくわかった方が自分にもわかりやすいかも知れない。 でも、それは「自分が借りやすいノート」がたまたま「ほかの人にもわかりやすいノート」やったというだけの話。)自分がわかりやすければいいんだから、ノートに引いてある罫線なんて無視してもかまわない。空白がいっぱいでノートの無駄使いに見える書き方でも、それが自分にとってわかりやすいのならそれでかまわないよね。「こんな空白がいっぱいでもったいない」って言う人には言わせておけばいい。 (それが、「自分にとってわかりやすい」ということが大前提やけど。)隣に座っている人のノートがすごくきれいに書いてあったことに気づいた時にこんなことを思った。(そう、とうちゃんのノートはお世辞にもきれいとはいえない。)
2008年09月11日
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はるかへとうちゃんよりエレベーターのドアを閉めるボタン。日本のエレベーターにはほとんどの場合ついてるよね。ところが、とうちゃんがちょこちょこ行くことのある外国では「開く」のボタンはあっても「閉まる」のボタンはないことが多い。というか、「閉まる」のボタンはめったにないと言った方がいいかもしれない。考えてみたら、「閉まる」のボタンなんてなくてもええんやよねえ。数秒をあせってドアを閉めなくてもどうってことはない。でも、人が挟まれそうになったり、こちらに向かっている人がいる場合には「開く」ボタンを教えてあげる必要があるよね。「閉まる」ボタンのないのが当たり前の国の人が、すぐに「閉まる」ボタンを押す人たちを見たらきっとびっくりするんやろうなあ。
2008年09月10日
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はるかへとうちゃんよりいい質問をするって難しいねえ。そして、いい質問をするとそれを起点としていい回答がでてきたり、新しい発見ができるんやなあ。出張してきはった人がお客さんと話していたのを横で聞いていてこのことを再認識した。そんな聞き方をしたら、こっちの欲しい話が聞かれへんやん、と思うときがあったり、さすがにこの分野は専門なのでいいところに目をつけて質問をしはるなあ、と思ったり。テレビのインタビューや対談番組を見ていてもよくわかるよね。同じ人から話を聞く場合でもAさんが聞く時とBさんが聞くときとでは結果が全然ちがってくるもんね。ええ質問ができるようになりたいねえ。そのためにはどうしたらええんやろう?ちょっと考えてみよう。
2008年09月09日
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はるかへとうちゃんよりフィギアスケートについて書いたのはもう2年前のことか。。。って思い出せたのは、ここに書いたことがmailでとうちゃんの控えとして送られてくるから。そして、そのmailを全部取ってあるので簡単にmailソフトで検索をできるから。便利やねえ。検索できる一番の理由はなんやと思う?パソコンの技術が進んできたからかなあ? とか思った?ちゃうで。 もちろんそうしたこともないとできないけど、一番大切なことは、「書いている」ということやで。ところで、ちょっと前まではこう簡単には検索できなかった。それが変わってきたのは1)沢山のデータを保存するにはものすごくコストがかかったんやけど、 そういう費用はどんどん低くなってきた。 2)検索技術の発達。という背景がある。簡単に検索ができるのでなんでも保存しておけばいいやって思っていると保存していたところ(パソコンなど)が壊れてしまうと大変なことになる。そういうことも気をつけておかないとなあ。
2008年09月08日
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はるかへとうちゃんより「フィギュアスケート再発見:遥へ(862)」って書いたのはもう2年も前のことなんやなあ。今 テレビで「チアリ-ディング選手権」の番組がやってる。うちの近所の公園でも週末に練習をしている人たちもいるよね。トップレベルのチームはすごいなあ。ピラミッドをやっていてもぶれないし、一つ一つの演技がピシッと決まるねんなあ。「チアリーディング」って書いたバッグを持った人たちも地下鉄でちょこちょこ見かけるけど実際にはどんなことをやってるのか知らなかったのが、これでわかった。日本にいたならテレビ中継があってもみなかっただろうけど、こっちは一つしかチャンネルがないからねえ。でも、そのおかげでチアリーディングという競技を見ることができた。ラッキー!
2008年09月07日
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はるかへとうちゃんよりこんなことってない?ある機会にAさんからBさんについてのコメントを聞く。「そうか、Bさんってそんな人なんだ」と言うイメージを持つ。そのうちに、Bさんと会う機会ができる。そしたら、どうもAさんから聞いていたのとはちょっと違う風に感じる。BさんからAさんについてのコメントを聞く。Bさんのコメントの方が正しい気もしてくる。一方からの話だけを聞いてると、どんどん「Bさんってこんな人なんだ」というイメージができあがっていく。Bさんと実際に会う機会があれば、修正できるチャンスもあるけど、会えない場合は修正するチャンスはなかなかないよね。一方からしか聞くチャンスがない時は、Aさんを疑ってかかるのはよくないけど、「一方だけの情報では正しいことがわからないことも多い」くらいには考えといた方がいいんやろうなあ。
2008年09月06日
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はるかへとうちゃんよりラマダンの話をもうちょっと。イランに以前駐在していて、今もちょこちょこイランに出張に行く人がアルジェリアのラマダンの様子を見てちょっとびっくりしてた。「まじめにやってる人が多いんやなあ」って。イランでは、外では他の人の視線があるので飲食はしないけど、会社の中なんかではお茶を飲んだりパンを食べたりする人も多いらしい。イラン革命(1979年)の前、パーレビ国王の頃はアメリカとも仲がよくてイスラム教国とは思えないようなオープンな国だったということは聞いていたけれど、革命後の今ではラマダンもちゃんとやってるのかと思ってたら違ったみたい。同じイスラム教国でもラマダンだけを取ってみても濃淡いろいろあるもんなんやねえ。
2008年09月05日
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はるかへとうちゃんより遥にも夏休みの宿題で読書感想文があったよねえ。どう? 大変やった?小学生の感想文をコピペでやってしまおうということを薦めている人がいるらしい。「夏休みを有意義に使ってほしい。感想文で悩んで何日も費やすくらいならほかのことに時間を使ってほしい」ということをテレビの取材に答えて言うてはった。それで、小学生から「ありがとう」ってmailをもらって「ありがとうって言ってもらえるとうれしいです」とも。遥はどう思う?自分で考えるという経験をしないとどんどんあほうになるで。以前にも何度か書いたと思うけど、ネットが発達してきた現代は逆説的かもしれないけれど、昔よりも一層文章を書く能力が必要になってくるしなあ。日本は天然資源がないということも書いたよね。天然資源がないから頭を使っていかないといけないのにねえ。遥たちが大人になる頃。 遥がおばあさんになる頃にはいったいどうなってるんやろうなあ。
2008年09月04日
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はるかへとうちゃんより昨日のラマダンの話の続き。昼間は飲まず食わずで夜に食べるとどんなことが起こると思う?・昼間、やっぱりお腹がすくよねえ。・そして、夜は夜中まで食べたり騒いだりする人が多いらしい。すると、昼間の勉強や仕事の能率は落ちるよねえ。夜更かしする分、昼間は眠いだろうし。日本でイスラムの国年ごとをしている人たちもラマダンの時期は仕事はあまり進まないと覚悟してる。いつものように夕方まで仕事をやっていてもはかどらないこともあってか、いつもより少し仕事の時間を早めるところも多い。早く始めて早く終わる。こんなことを聞くと、なんてイスラム教っておかしなことを決めてるんだろう?っておもうやろ。でも、イスラム教って実はけっこう理に適ったことがいろいろ決められてるらしいで。イスラム教が始まったのは確か7世紀初めやったと思うけど、その当時の世界で「理に適ったこと」とその後1400年くらいあとの現代での「理に適ったこと」が違うこともあるやろうけど。妻は4人までOKということも、当時は戦争で男の人の数が女の人の数に比べて少なかったのでそんな風に決めたというようなことをどこかで読んだ記憶がある。(記憶違いかもしれないけど。)今の常識で判断すると判断を誤ることも多いってこっちゃね。「今の常識」っていうのをチョット変えれば「日本の常識」にもなるし、「遥の常識」にもなってくる。高校生くらいになったら一度「コーラン」を読んでみるのもいいかもねえ。確か岩波文庫で日本語訳がでてたはず。(とうちゃんは例によって読んでないけど。)
2008年09月03日
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はるかへとうちゃんより9月1日からラマダンが始まった。イスラム教の大事なイベント。イスラムの暦で9番目の月の一ヶ月間日の出から日の入りまでは飲まず食わずで通すというもの。 日の入りからは食事ができるので毎日の日の出と日の入りが書いてある一覧表をみんな持ってるみたい。イスラムの暦は太陰暦なので毎年少しずつずれていくんやって。新月から次の新月までなので、月を見ながら「はい、今日から」って決める人がいてるらしい。だから、今年も「多分9月1日。もしかしたら2日からかも。」って言われてた。昼間は食べないし、水も飲まないんだけど、その代わりに夜になると沢山食べるのでラマダンの時の方が食べ物がよく売れたり、逆に太ったりする人も多いらしいで。おもしろいやろ。(なんて言うたらイスラム教の人に怒られるけど。)いろんな習慣があるもんやねえ。
2008年09月02日
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はるかへとうちゃんより百人一首のテストがあるんやってなあ。どんなテストか知らないけど、多分百人一首をおぼてるかどうかを確認するテストやよね。すると、そのテストで何がわかるのか?一つのことだけやよね。やったかやってないか。夏休みの約40日間で覚える努力をしたかどうか。昨日言われて明日のテストやないねんからなあ。
2008年09月01日
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