本日は午後1時過ぎから銀輪散歩に出発。
さて何処へ行こう。ということで、何となく南へ。走っているうちに飛鳥川沿いを走ってみようという気になる。飛鳥川と言っても大和の飛鳥川ではなく、河内の飛鳥川である。
<参考> 飛鳥川(大阪府)・Wikipedia
上の写真は飛鳥川の河口、石川に流れ込んでいる場所です。橋からコチラが石川の河川敷です。橋の右側土手に見えている茶色っぽいものは、ギシギシが枯れたもの。近寄って見ると下の写真の通りです。
飛鳥川の左岸を河口から上流へと向かう。右岸は舗装されたアスファルトの道で走りよいのだが、敢えて左岸を行く。左岸は河口から数百メートルが未舗装の砂利道。野の花などはコチラの道の方が豊富。
先ず目についたのがアザミでした。智麻呂氏の薊の絵のことなどが思い浮かぶ。
アカメガシワ(万葉名は「ひさぎ・久木」)の花も咲いていました。この木は当ブログに何度もその写真を掲載しているが、花の写真を掲載するのは初めてだと思う。このような花であることは今まで知らなかったのだから・・。
うち日さす 夏野を来れば
久木
咲く 飛鳥河原の 風のさやけさ(偐家持)
(本歌)ぬばたまの 夜のふけぬれば 久木
おふる
清き河原に 千鳥しば鳴く(山部赤人 万葉集巻 6-925
)
左岸の道もやがて舗装道路となり、「であいのみち」という緑地が川沿いに設けられている。万葉の門や万葉歌を記載した金属板を貼り付けた木杭が建てられていたりとなかなか楽しい散歩道なのであるが、これはページを改めて別に紹介することとします。
「であいのみち」を出た処に「竹内街道・緑の一里塚」なるモニュメントがあり、その先が逢坂橋。
逢坂橋については、以前のブログで日本書紀の履中天皇即位前紀の挿話が思い出されると記しましたが、重複するので省略します。「であいのみち」も「逢坂橋」もこの日本書紀のエピソードに因む命名であろう。逢坂橋から右に下ると近鉄南大阪線駒ヶ谷駅である。竹内街道は駒ヶ谷駅前から逢坂橋を渡って右岸から斜め左に入って飛鳥川と離れて行くが、上流で再び飛鳥川と出合いこれを渡ることとなる。ということで、そのまま左岸を上流へと進む。
<参考>「
安福寺から錦織公園まで
」 2009.11.1.
やがて、竹内街道と再び出合う。竹内街道を行く。目指すは上ノ太子駅前の万葉歌碑である。
駅前の歌碑はこれ。歌碑と言っても「歴史の道・竹内街道」のモニュメントの裏面に万葉歌が刻まれているというもの。
明日香
河
黄葉
流る
葛木
の 山の
木
の葉は 今し散るらし
(万葉集巻 10-2210
)
次に目指すのは太子町役場にある犬養万葉歌碑。
こちらの歌碑は犬養孝先生揮毫によるもの。歌は上ノ太子駅前のそれと同じであるが、こちらは万葉仮名表記。
明日香河 黄葉流 葛木 山之木葉者 今之落疑
太子町役場から更に坂を上って道の駅までやって来ましたが、字数制限です。続きは明日に。( つづく )
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