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▼夏の夜の夢神代植物園の温室から熱帯の植物を紹介しましょう。色彩が豊かで、綺麗すね。これは有名な食虫植物ウツボカズラ。袋の入り口付近から蜜を分泌して昆虫を誘います。蜜の香りに誘われて袋の中に迷い込んだ昆虫は、たんぱく質を分解する酸性液で溶かされウツボカズラの養分となります。私はなぜか、安倍公房の『砂の女』を思い出してしまいました。果実もなっています。パパイヤですね。先日訪れた石垣島でも、そこら中にパパイヤの木が育っていました。次はバナナ。私の実家の庭にもバナナの木が植わっていましたが、一度も果実はなりませんでした。東京では寒すぎましたね。さて冒頭の写真ですが、ベコニアの花を水に浮かべた鉢でした。ベコニアのコーナーには、以前にも紹介した鉢でできた人形も置かれていました。
2006.07.31
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昨日は無農薬の夏みかんを買いに、渋谷区恵比寿にあるミカン屋さんに行ってきました。そこで店番をしていたのが、この猫ちゃんです。名前はミミ。椅子に座ってちゃんと店番をしていますね。また来るからね。最後はこの写真。家路を急ぐミケちゃん。7月25日夕、いつものように水泳の帰りに撮影しました。
2006.07.30
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梅雨もほぼ明けたようなので、今日が「梅雨の花シリーズ」の最終回です。キキョウです。ペチュニア。ニチニチソウ(日々草)。次はヒャクニチソウ(百日草)。ダリア。ひまわり。最後は冒頭にも掲載した山百合です。撮影場所は、ひまわりとヒャクニチソウが中野区立中央図書館に隣接する公園で、そのほかは神代植物公園です。
2006.07.29
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▼孤高の花2今日は蓮(ハス)です。スーッと天に向かって伸びていますね。「日本古代蓮」と書かれています。ハスの原産地はインド。日本でも古くからお釈迦様と結び付けられて親しまれてきました。芥川龍之介の『くもの糸』にも登場します。根はレンコンとして食べますね。大きな葉です。ところでハスと睡蓮(スイレン)の違いはご存知でしょうか。ハスの花は水面より高いところに咲きますが、スイレンは水面近くで咲きます。それに、次の写真を見てください。花の中央に蜂の巣のような果托(かたく)が見えます。これがあるのがハス、ないのがスイレンです。そのほか、ハスの葉には水を弾く撥水性(はっすいせい)がありますが、スイレンには撥水性はありません。ハスは、いろいろな言葉も生み出していますね。お釈迦様は生まれてすぐ、ハスの花の上に立ち、「天上天下唯我独尊」と叫んだとされています。唯我独尊などというと、思いあがった言葉のように響きますが、「世の中でみなそれぞれにかけがえのない尊い存在である」という解釈もあるそうです。永井荷風にもハスが関係します。ハスは中国語で花を「蓮花(芙蓉)」、果実を「蓮」、葉を「荷」と使い分けているそうですが、初恋の人「お蓮さん」の蓮を荷に代えて、ハスの花の上を渡る風という意味で荷風としたとのことです。本当は蓮風さんということですね。一蓮托生という言葉もあります。俗に「死なばもろとも」というような意味で使われているようですが、本来の意味は、今風に言えば、ソウルメートということでしょうか。
2006.07.28
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▼孤高の花梅雨空に向かって力強く咲く花たち。バラですね。下から撮ると孤高という感じがします。普通にバラを撮るとこうなります。人物を撮るときも下から撮ると迫力がでますので、試してみてください。新聞記者になったばかりのころ、人物の写真を撮るときは目線を下げろとよく言われました。下げすぎてもよくないですが。最後はバラと紫陽花のツーショット。梅雨明けにはまだあとニ、三日かかりそうです。
2006.07.27
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▼豹柄今日は東京地方でも久しぶりに青空が広がっています。洗濯日和ですね。さて、今回は猫でも花でもなく、蝶々です。綺麗な柄のチョウですね。タテハチョウ科のヒョウモンチョウです。ヒョウモンチョウにもいろいろな種類がいるようですが、私にはそれ以上はわかりません。ヒョウのような模様があることからヒョウモンと呼ばれています。このチョウが蜜を吸っている花はフレンチ・マリーゴールド。キク科の花ですね。自然界には豹柄が多いです。海の中にはヒョウモンダコという豹柄のタコもいます。派手な柄ですが、海の中でカラフルなものには毒があることがあります。このヒョウモンダコも猛毒をもっていて、かまれると人間でも死ぬことがあるそうです。綺麗なものには棘がありますので、ご注意を!
2006.07.26
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▼ウバユリの咲く森今日は猫ちゃんではなく、花の写真です。ウバユリの群生です。花盛りのころには根元の葉(歯)が枯れてなくなることから,「歯のない姥(うば)」という駄洒落からウバユリと名づけられたそうです。確かに葉がないように見えますね。ただし、異説もあります。歯がない年齢にもかかわらず、なお女の色気を保っている姥にたとえたという説や、植物として花が開く頃葉が無くなる、つまり育てた娘が花盛りとなる頃、葉(歯)が無くなる乳母のような百合だとの説もあるそうです。乳母なのか姥なのか、お好きなほうを選んでください。ところで都会では、このような森は植物園ぐらいにしか残っていません。都立神代植物園で撮影しました。
2006.07.25
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▼オートバイの上の猫オートバイの上に乗るのが、猫界では流行しているみたいです。高いところは座り心地がいいですね。首輪を付けた飼い猫ちゃんです。渋谷区笹塚駅そばの路上のひとコマでした。
2006.07.24
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▼公園のクロと塀の上の猫昨日は中野区立中央図書館に行った帰り、近くの公園にいる黒猫ちゃん兄妹の様子を見に行きました。いつもクロのお兄さんばかり撮っていましたので、今日は妹のクロちゃんを紹介しましょう。美人の猫ちゃんですね。毛並みも綺麗です。お兄さんは6歳以上、妹(本当の妹かどうか不明)は4歳ぐらいだと言われています。幸運でしたね。近所に優しい人が多くて。でも捨てた人間は許せませんね。猫殺しの重罪人と同じです。毛づくろい。身だしなみは大事ですね。明日は雨が降りそうです。最後は公園の近くの民家の塀の上にいた猫ちゃん。カメラに向かってポーズをしてくれました。
2006.07.23
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▼パニックその日は潜る前から不安がよぎった。鉛色の空。海上は3~4メートルほどの波がうねっていた。しかもダイビング地点の近くには目標物がない。陸地から離れた大海の真ん中という雰囲気である。ボートの船長は遠くの島を目印に、この辺ではないかという。しかし海を覗いても、ほとんど黒に近い、底なしの深い青が広がっているだけである。インストラクターが最初に、一人でこの荒れた海に飛び込んだ。ダイビングポイントを探すためである。モルジブではよくあるポイントで、水深10~15メートルほどのところにある珊瑚礁の小山を目標に潜るのだ。晴れて波が穏やかであれば、船の上からでもポイントを確認できただろう。ところがその日は、海は濁っており船の上からでは確認できない。そこでインストラクターが先に潜ることになったのだ。5分ぐらいして、インストラクターが30~40メートルほど離れた海面に浮上してきた。波がうねっているので、ときどき波の底で姿が見えなくなる。インストラクターがポイントを見つけ、その場所に浮上したのだ。船の方から近づいて、インストラクターをピックアップした。場所がわったのだから、今度は私たち全員が潜行する番である。海面が荒れているので、飛び込む前にBCDのエアを抜いてすぐに潜行、一目散にポイントを目指すことになった。皆、次々とボートから海に飛び込んでいく。私も彼らに続いたが、私はカメラを船上の人に預けて(注:カメラを持って飛び込むとカメラが壊れてしまうため、通常は飛び込むときにカメラを預ける)飛び込んだので、飛び込んだ後、浮上してボートに近寄りカメラを受け取らなければならなかった。カメラを受け取って、振り向くとすでに皆は潜行して海面には誰もいない。「これはまずい。すぐに潜行して後を追わなければ」と焦ったのがいけなかった。慌てて潜ったので海水を飲んでしまったのだ。規則正しくできるはずの呼吸が、気管に入った水を吐き出そうとする咳で乱される。苦しい。飛び込んだときにずれたマスクからは水も入ってきてしまった。どうすべきか。再び海面に上がって呼吸を整えていたのでは、完全にはぐれてしまう。インストラクターを含む皆は、かなり前方を一目散に紺色に包まれた海の底に向かって潜行している。ポイントがどこにあるか一人ではわかりそうにない。「これ以上、離されるわけにはいかない」と、私も必死でついていくことにした。そのときだ。自分の呼吸が反乱を起こしはじめた。水を飲んだことによる呼吸の乱れと、海の中で迷子になるのではないかという言い知れぬ不安、うねりのある海上と濁った海中――。これらが心理的な圧迫感をもたらして強度のストレスとなり、過呼吸状態になってしまったのだ。何ということか。海の中でパニックだ。このとき選択肢は二つあった。自分だけ海面に戻って船にピックアップしてもらうというのが一つ。もう一つは、そのままついていって何とかパニックを克服するというもの。そのときの私の判断は、後者であった。とにかく、あの荒れたうねりのある海面に一人で戻るのは、避けたかった。シグナルフロートを持っているとはいえ、あまりにも早い浮上にボートの人が気づかず、荒海の中で一人漂流することになるかもしれない。私にとっては、皆といる海の中のほうがまだ安心であった。しかし、この過呼吸をなんとかしなければならない。私の理性とは別に、私の無意識はとにかくレギュレーターから供給されるエアを吸おうとする。その間にも皆、全速力で潜行しているので、私も遅れまいとフィンを目一杯キックしなければならない。この困難な状況で、私の意識は自分に何度も言い聞かせた。「落ち着け。そんなに呼吸をする必要はない。エアは十分に足りている」。そして私は静かに目を閉じた。頭脳は冷静に分析を始める。まずマスクの中に入った水を、マスククリアと呼ばれる技術によって外に出した。視界は確保した。次に再び目を閉じて、できる限りゆっくりと大きく息を吐いてみた。不思議なことに、次第に呼吸はゆっくりとなってくる。とくに目を閉じたのが良かったのかもしれない。目から入ってくる、不安につながる情報を遮断できたからだ。過呼吸の状態からは脱することができた。幸いなことに、珊瑚礁の小山も視界に入ってきた。方向も方角もわからない暗い海の中からは脱出できたわけだ。少なくとも自分の位置を知ることのできる目標物を手に入れた。私は小山の岩礁に手を触れた。確固たる土台ができた気分である。ここまで潜れば、波の影響もほとんどない。かなりエアを消費してしまったようだが、それでもほぼ規則的な呼吸がよみがえってきた。いつものダイビングにようやく戻ることができた。周りをキョロキョロすると、頭上にはトビエイが二匹、スイスイ泳いでいくのが見えた。まるでパニックがウソだったかのように、私は手首にくくりつけられたカメラに手を伸ばしていた。
2006.07.22
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ミケは本日(昨日)も元気でした。千駄ヶ谷のプールで1850メートル泳いだ帰り道、いつもの場所にミケちゃんが。笑っているようです。ただし、いつもの玉座ではないですね。形は似ていますが。シートをしたオートバイの上でした。ミケの新たな玉座ですね。この後、ミケは何か私に話しかけてくるのですが、何と言っているのかわかりません。お腹がすいていたのかな。ちゃんと面倒をみてもらっているよね? 猫語がわかる人がうらやましい。ソロモンの指輪、どこかにないでしょうか。
2006.07.21
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▼モルジブとシグナルフロートダイビングショップによるかもしれないが、欧州からのダイバーの多いモルジブでは、ダイバーはかなり自己管理を求められる場合が多い。初めての場所でも、インストラクターが丁寧に海中を案内することもなく、船上で簡単な説明を受けた後、バディ(水の中で一緒に潜る相棒)と自己責任で潜る場合もある。島の壁に沿って潜る場合は、常に目標物があるのでそれほど不安はないが、問題は近くに島がなく、水深10~15メートルにある海中の小山に向かって泳ぐ場合だ。海上には目標物がないので不安になる。インストラクターは小山のある場所までは案内するが、その後は各々勝手に潜る。そして自分のエアがなくなってくると、一人一人勝手に(エアの消費量が同じ場合はバディと)浮上して、船にピックアップしてもらうのだ。ボートに気付いてもらうために、シグナルフロートにエアを入れ海面に打ち上げる。その際、水深5メートルの地点で3分間安全停止するのだが、海中でたった一人漂うこともある。その間、ひたすらボートが来るのを待つ。やがてボートが近くに来てくれたときは、本当にほっとする。ただし、いつもすぐにボートが来てくれるわけではなく。海面に浮上してからしばらく待たなければならない場合もある。ボートがほかのダイバーをピックアップしているときなどには到着が遅れる。波が静かで天気のいい日はまだいいが、海が荒れていて曇りや雨の日などは最悪だ。すっかり大海に一人取り残された感じになる。私が海中で初めてパニックに陥ったときも、そのような海の荒れた、暗い日であった。その話はまた今度。
2006.07.20
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来る日も来る日も雨ばかりですね。小浜島で撮った南国の花の写真です。ハイビスカス。次はランタナだと思います。黄色から赤紫まで花の色が変化するので七変化とも呼ばれているそうです。いずれも曇っている上、台風の影響による風で揺れるため、うまく撮影ができませんでした。嵐が来る前日の小浜島です。これは那覇空港で撮った胡蝶蘭(ファレプシス)。これも洋ランのバンダです。次の「惑星探査」は九月を予定しています。
2006.07.19
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17日朝、鹿児島沖の宇治群島付近でダイビングしていた四人がボートとはぐれて漂流。13時間後の午後7時40分ごろ無事発見され、救助された。幸運だったなと思う。漂流でダイバーが死亡するケースは多いからだ。思い出すのは1994年2月5日。パラオ諸島でダイビングをしていた日本人ダイバー6人が同じようにボートとはぐれ漂流。今回の鹿児島沖のケースと異なり、彼らは4日後から相次いで遺体となって発見された。原因はボートのモータが故障してダイバーとはぐれたということらしいが、詳細はよくわかっていない。わかっているのは、ダイバーたちは少なくとも漂流してから48時間以上生存していたということだ。死亡した女性の一人が水中ボード(水の中でも文字が書けるボード)に、漂流中五回も捜索している飛行機や船を目撃、カメラのストロボを光らせたりして合図したが気付いてもらえなかったことを書き記していた。全員、疲労と脱水から死亡したとみられている。パラオでは、ドリフトダイビング中にボートで留守番している現地スタッフがダイバーの気泡を追わずに魚釣りに興じていることもあるという。その場合、ボートとダイバーがはぐれてしまう可能性が高くなる。ダイビングショップを選び間違えると、大変なことになるわけだ。1997年12月には、インドネシアのスラウェシ島で、日本人ダイバー5人が同様に漂流死しているという。かく言う私も漂流したことがある。場所はタヒチのランギロア。ポイントは、流れの速いパス付近だ。そのときはパスの中をドリフトせずに、パスのそばの棚の上で45分ほどダイビングをして浮上した。ところが、そこにあるはずのボートがいつまで経ってもやって来ない。見ると遠くでこちらに向かって何かジェスチャーをしている。何とエンジントラブルでボートが動かなくなったのだ!つまりボートも遭難、私たちも遭難したことになる。ボートと私たちの距離はドンドン離れていく。幸いだったのは、潮の流れがそれほど強くなかったことだ。陸地も見える。フランス人インストラクターと話し合い、ボートまで行くのは諦めて岸に向かって泳ぐことにした。潮は陸地から離れる方向に流れていたが、潮の流れには反流もある。インストラクターはなるべくパスに近づかないように回り込みながらパスの岸を目指した。ただやはり流れがあるため、通常のバタ足ではその場にとどまっているのがやっとの状態。かなり強くフィンを蹴らないと前に進まない。いくらBCD(浮力調整装置)で浮力を確保しているとはいえ、これはかなり体力を消耗する。そのポイントは、人食いザメのタイガーシャークも頻繁に目撃されるサメの海でもある。ときどき海中を覗きながら、一向に近づかない陸地に向かって懸命にキックを続けた。必死だったので、いったいどのぐらいの時間が経過したかもわからないが、私たちは沖に流されることもなく、岸のそばまで泳ぎ着いた。しかし、これで危険が全部去ったわけではなかった。この辺りは岩場でゴツゴツしており、波で岩に打ち付けられないよう注意しなければならない。引き潮との間合いを取りながら、岩を避けてやっとの思いで、足が立つ場所にたどり着いた。確かに疲労で死ぬケースもあるわけだ。そのときまでには、私たちもかなり疲れていた。機材を脱ぎ捨て、後は救助を待つだけである。結局、私たちのボートは近くのボートに救助され、岸に泳ぎ着いた私たちには水上タクシーが差し向けられた。使ったショップはトップダイブ。同じタヒチのボラボラ島ではピカイチのショップだが、後発となったランギロアでは一流とはお世辞にもいえなかった。インストラクターも実質一人だけ。かといって、日本人インストラクターのいるブルードルフィンは営利第一主義のようで好きではない。この後、レマンタクラブを試してみたが、非常にしっかりしたショップであった。先日石垣島のマンタポイントを案内してくれた小浜島の伊藤さんとランギロアの話をしたところ、伊藤さんもブルードルフィンは使わず、いろいろと他のショップを試してみたのだという。伊藤さんの意見では、ランギロアではシックス・パッセンジャーズが一番ではないかと言う。今度ランギロアに行くときは、試してみようと思う。
2006.07.18
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神社やお寺に行くと、必ずと言っていいほど猫ちゃんに出会いますから、楽しくなりますね。これは雑司が谷の鬼子母神堂。本殿は1664年に建立されたそうです。この境内にいたのが、子猫のチョロ。チョロチョロしていたので、私が勝手に名づけました(ネズミみたい、なんて言わないでね)。境内にある武芳稲荷の鳥居の中を歩くチョロ。樹齢700年近いという大イチョウもそびえ立っています。高さ30メートル、幹の周囲は約10メートルもあるそうです。その巨樹とチョロの図。チョロがますます小さく見えます。次も境内にいた猫ちゃん。足だけが白くなっています。ソックスをはいているようですね。草を食べていますね。消化促進剤代わりでしょうか。鬼子母神堂のそばには、都立雑司が谷霊園があります。ここは、著名な人の墓があることでも知られています。小泉八雲。夏目漱石。竹久夢二。残念ながら猫ちゃんには逢えませんでした。それから、キリストとモーゼの墓を探しても、ここにはありませんよ。それぞれ青森県と石川県にありますね。一度訪ねてみてください。管理事務所に行くと、地図をもらえますので有名な人物のお墓めぐりをすることもできます。ただし、蚊が多いのでご注意を。
2006.07.17
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昨日は7月の雷雨を集めた神田川が大暴れでした。その神田川流域には多くの猫ちゃんたちが暮らしています。神田川沿いの遊歩道にたたずんでいた猫ちゃん。さらに近づくと・・・ヨガのポーズ?次は、神田川そばの民家の軒先にいた猫ちゃん。毛づくろいに夢中です。カメラを向けると、興味をもってこちらにやって来ました。結構、貫禄のある顔をしていますね。「にゃめんにゃよ!」次も、神田川そばの道路で寝そべっていた猫ちゃんです。この猫も、カメラを向けると近寄ってきました。ただし、そのまま私の脇を通り抜けて、軒下の日影に隠れてしまいました。「にゃんか、用かい?」神田川沿いの自転車道路を走っていて、危うく見過ごしそうだった猫ちゃん。自転車を止めて、撮影。首輪をしていますね。この子も近寄ってきて、私の自転車の陰に隠れます。ちょっとした隠れん坊ですね。やがてそれに飽きたのか、トコトコと歩いて一休み。暑いからちょっとグロッキー気味ですね。前からも撮ってみました。私の自転車も写っています。最後は水溜りに羽根を休めるクロアゲハ。昨日はほかにも猫ちゃん二匹と遭遇しましたが、それはまた明日。
2006.07.16
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暑い日が続きますね。なんとなく、空を泳ぐカメのように見える雲でした。さて無事に帰還しましたが、台風のせいで一日しかダイビングができませんでした。それでもマンタは5匹出てきてくれました。場所は石垣島のマンタスクランブル。それぞれのマンタには名前がついています。これは多分ホワイティ。お腹の部分が結構白いからだと思います。1本目は、ほかにハリガネ、サソリ2が登場。ハリガネの名前の由来は、昔ハリガネが体に絡み付いていたのを、マンタの伊藤さんらがカッターを使って取り除いてあげたからだそうです。今でもひれに傷跡が残っていますが、元気に泳いでいます。サソリの由来はお腹の斑点がさそり座のような配置になっているから。こうした名前の付いたマンタは全部で250匹ほどいるそうです。泊まった場所は「ちゅらさん」で話題になった小浜島。満月が綺麗でした。ただしこの満月の夜は、嵐の前の静けさでした。翌日天候は一変し、台風の影響で荒れ狂う海原をフェリーでかろうじて脱出しました。
2006.07.15
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東京地方はまだまだ梅雨が続きそうです。写真は玉川上水沿いの民家(杉並区)。自家製野菜の販売もやっているようです。さて、恒例の惑星探査の季節がやって参りました。台風3号が通過したと思ったら、今度は4号が発生しましたね。打ち上げは大丈夫でしょうか(テポドンではないですよ)。無事帰還できれば、一週間後に復活します。
2006.07.09
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▼泊まり勤務と幹事連絡午前3時。人々が寝静まっているころ、枕もとの電話がけたたましく鳴り響く。せっかくの眠りが破られる。警察からの幹事連絡だ。「午前2時ごろ、埼玉県のドコドコで死亡事故が発生しました」夜間、事件・事故が発生すると、埼玉県の場合、警察が新聞・テレビ各社に電話をかけることになっている。なぜ埼玉県の場合と但し書きをつけたかというと、富山県のようにごく稀に、幹事連絡がない県(注:現在は整備されているかもしれない。私がいたときは、連絡網を整備するよう交渉していた)もあるからだ。埼玉県に幹事連絡があると言っても、警察が全社に電話をかけるのではなく、幹事社二社に発生を知らせる。知らせを受けた幹事社は決められた連絡網に従って、責任を持って全社に連絡する。その後の取材は各社自由だ。警察の一報だけでは情報が不十分なので、所轄の警察署には各社の問い合わせが殺到する。幹事社は各社持ち回り制で、合計10数社を5グループ2、3社ずつに分け、交替で二ヶ月間幹事をやることになっていた。つまり各社、10ヶ月間のうち2ヶ月間幹事をやる計算だ。幹事社は幹事連絡に責任を負うだけでなく、会見を仕切らなければならない。幹事社の組み合わせは新聞とテレビを組み合わせる。たいてい系列の場合が多い。朝日新聞とテレビ朝日、読売新聞と日本テレビ、毎日新聞とTBSだ。共同通信は加盟社の東京新聞との組み合わせであった。NHKは確か埼玉新聞と組んでいた。幹事連絡に値する事件・事故の基準は、別に明文化されているわけではないが、死亡事故、ボヤではない火事、殺人など凶悪事件が対象となっていた。価値判断に困る事件・事故も、幹事社に連絡することを奨励した。警察が発生を知らせなくなることのほうが、メディア各社にとって不利益であるからだ。そのため、些細な事件・事故でも幹事連絡してくることがよくあった。共同通信浦和支局の勤務では午前1時から午前6時まで仮眠していいことになっていた。すると冒頭のように午前3時とか午前4時ごろ、枕もとの電話がけたたましくなるわけである。「何時何分ドコドコで交通事故が発生しました」「死傷者は何人出ていますか」「二人重軽傷です」交通事故の場合、死亡事故でなければまず原稿にすることはない。しかし、有名人が絡んだ事故や特異なケースは別である。そこでとりあえず、当事者の氏名や事故の状況をわかっている範囲で聞き、それを一報として幹事連絡網に乗せる。記事にするかしないかは各社の判断。連絡を終えると、失われた睡眠を取り戻すべく、再び眠りにつくのである。(続く)
2006.07.09
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▼泊まり勤務2仮眠室は、たたみ二畳の狭い物置のような部屋であった。布団を入れておく押入れ兼用であったため、寝るときは押入れの下の空間に足を突っ込むようにして横になる。枕元には目覚まし時計付ラジオと電話が置かれ、ほかに読書灯があるぐらいである。いちばん閉口したのは、タバコの煙である。埼玉新聞編集局はいつもタバコの煙で充満していた。浦和支局は埼玉新聞編集局とは仕切られて別室になっていたとはいえ、上部は“筒抜け状態”でタバコの煙は自由に往来できる。共同通信浦和支局にも喫煙者がいたので、相乗効果でアヘン窟のような状態。このため泊まり勤務で最初に私がやる仕事は、窓をすべて開け放して換気をすることだった。次に困ったのは、ゴキブリが多いことだ。埼玉新聞編集局で食べ散らかされた夜食を狙ってゴキブリは集まってくる。夜、寝ていると枕元までゴキブリがやってきて気持ち悪い。一度ゴキブリホイホイを仕掛けたところ、大小20匹ぐらいが押しかけ、すぐに超満員の通勤電車状態になってしまった。もちろん、泊まり勤務はタバコとゴキブリと戦うことが目的ではない。夜間、人々が寝ている間に発生する事件をカバーするために泊まるのだ。警戒電話をかけたり、幹事連絡を受けたりする仕事が待っているのである。(続く)
2006.07.08
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▼泊まり勤務共同通信浦和支局の取材体制も万全なものとはいえなかった。同支局の記者の数は6人、デスクが1人、ほかには支局長がいるだけである。埼玉県の人口を記者の数で割ると、一人当たり100万人を担当することになる。これを富山支局と比べると、富山県の人口100万人に対し記者は三人であったから、ほぼ三倍の大変さとなる計算である。そのうえ、浦和支局には泊まり勤務がある(注:今は、なくなったと聞いている)。デスクは一ヶ月に三回ほどしか泊まりをやらないので、記者は月に五回支局に泊り込む勤務がある。これは結構、体力的、精神的にきつい勤務だった。泊まりのある日は、突発的な事件で呼び出されることさえなければ午後5時に支局に出社する。支局は浦和地方裁判所の裏手にある埼玉新聞社の中にある。埼玉新聞は共同通信の加盟社である。富山の北日本新聞に比べると部数も少なく、とくに東京志向の強い埼玉県南部の人たちにとっては、地元紙という意識も低い。ただ、熊谷市など埼玉県北部に住む人たちにとっては、郷土の新聞としてソコソコ認知されている新聞である。埼玉新聞の記者には泊まりがない。埼玉新聞内に泊まるのは共同通信の記者と守衛さんだけである。埼玉新聞の締め切りは通常の新聞社よりも一時間ほど早いため、午後11時半を過ぎると皆、さっさと帰宅してしまう。ガランとした埼玉新聞社編集局の片隅にある共同通信浦和支局の中にある小さな仮眠室で、一人寂しく泊まるわけである。(続く)
2006.07.07
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▼殺人事件同じ日本でも、富山と埼玉では凶悪犯罪の発生率がまったく違う。富山では捜査本部を設置するような殺人事件(つまり犯人不明の殺人事件)は一年に一回あるかないかである。ところが埼玉では、捜査本部を設置しなければならないような殺人事件が毎月のように起こるのである。私が浦和支局に赴任したのは、1985年4月1日。実はその日に殺人事件が発生、埼玉県警は捜査本部を設置している。赴任早々、浦和支局のサツ担当としての洗礼を受けたわけだ。事件は埼玉県坂戸市で起きた。坂戸市は、埼玉県のほぼ中央に位置する人口9万人ほどの都市である。関東平野の中にあり、遠くに秩父連山を望むことができる。近くには関越自動車道の鶴ヶ島インターチェンジや東武東上線の駅があることから、都心からのアクセスも比較的いい。午後8時10分ごろ、会社員栗原さん(当時30)の自宅六畳間で、妻(当時26)が首に電気コードを巻かれて死んでいるのを、帰宅した栗原さんが見つけ110番した。衣服には乱れがあり、胸には鋭利な刃物で刺された跡があった。そばのコタツの中には、生後八ヶ月の長女がいたが無事であった。埼玉県警捜査一課と西入間署は殺人事件と断定、捜査本部を設置した。しかし私が赴任していた三年間で、この事件が解決されることはなかった。その後も私が知る範囲では解決したという話を聞かないので、おそらく迷宮入りしたのであろう。実は埼玉県では、このような未解決の凶悪事件が非常に多い。急増する犯罪件数に比べ、警察官の数が足りないのである。当時はバブル経済がまさに始まろうとしていたころで、都心の地価は高騰を始め、通勤圏は埼玉や千葉など東京郊外へと急速に広がっていった。このため埼玉県の人口も急激に膨れ上がり、1972年に500万人だった人口は、1980年代半ばには600万人を超えるほどになったのである(現在は700万人)。人口が増えれば当然のように犯罪も増える。だが、人口の増加率に比べて警察官の伸び率は圧倒的に低い。毎月のように発生する殺人など凶悪事件に埼玉県警は、ほとんどお手上げ状態であった。(続く)
2006.07.06
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千駄ヶ谷のプールに泳ぎに行く途中、やはりいつもの場所に「我輩」がいます。こんにちは。今日は1750メートル泳いで、二時間半後に戻ってみると、やはりまだ寝転がっていました。本当に特等席なんですね。近所の人に取材したら、名前は「ミケ」。少なくとも13年はこの周辺で暮らしている大御所だそうです。どうりで風格がありました。野良ちゃんで13年以上も生きているなんて、お世話をしている方がよく面倒をみているからでしょうね。雨の日も、雪の日も。頭が下がります。嫌がらせもあったでしょう。これからも元気でね。
2006.07.04
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今日もまた、いつもの場所にいつものネコちゃんがいます。6月21日に紹介した「我輩」です。ここは我輩の特等席ですね。実は遊歩道の入り口にある石の上が、我輩のお気に入りの玉座なんですね。まるで王の風格です。毛づくろいをしています。ずい分リラックスしていますね。やはり、ただものではありませんでした。
2006.07.03
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昨日も梅雨に咲く花を探しに行きました。これは中野区立中央図書館に隣接する公園に咲いていたキバナコスモス。コスモスと言っても秋に咲くコスモスとは別のもの。6月から9月ごろまで咲いているようです。中野の民家に咲いていた花。ヒルガオ科の花だと思いますが、残念ながらよくわかりません。これもきれいなオレンジ色です。次も花・・・?ではありませんね。公園の花形、クロちゃんの近影です。おやおや、お仲間が増えたようです。野良ちゃんでも安心して暮らせるような世の中が来るといいのですが。
2006.07.02
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梅雨の晴れ間が続く東京地方(昨夜は雨が降りましたが)。この時期に咲く花を探しに行きました。これはユリ科のノカンゾウ。玉川上水沿いにたくさん咲いています。紫陽花が咲く小道。野川公園の花壇には、ハルシャギク(春車菊、別名蛇の目草)が咲いていました。奧に見える紫の花は、矢車菊でしょうか。綺麗に咲いていますね。いずれも昨日撮った「梅雨に咲く花々」の写真でした。
2006.07.01
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