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▼中野富士見中学いじめ自殺事件3鹿川君へのいじめに対し、家族は手をこまねいて傍観していたわけではない。息子がいじめられていることを知った厳格な父親は、息子のだらしなさをしかる一方、いじめた子供の家に何度か抗議に行ったという。しかし、そのことがかえって、鹿川君へのいじめを陰湿にしていった。「チクった」ことに対する仕返しである。三学期の始業式の日に暴行を受けた後、鹿川君は前にも増して学校を欠席するようになった。こうした事態に、担任教師の認識は甘かった。この担任は数年後に定年を控えたおとなしい教師で、鹿川君の欠席も「ズル休み」程度にしか思わず、いじめの事実を知っていても生徒たちにも強く指導することはなかったという。鹿川君が最後に登校したのは1月30日であった。5時間目が始まる午後一時過ぎに顔を出したが、授業には出なかった。見咎めた別の教師が教育相談室に鹿川君を連れて行き、悩みを聞いた。その後担任と鹿川君の母親を交えて話し合ったが、担任はその席上、転校を勧めたという。この話し合いが開かれている際、姿が見えなくなった鹿川君を探していたツッパリグループの三人は鹿川君のスニーカーを便器に捨てていた。「もう嫌だ」――。その日は結論を出さずに帰宅した鹿川君の苦しみの胸中はいかばかりだったのだろうか。来る日も来る日もいじめられる毎日。翌31日、鹿川君は家を出たまま行方がわからなくなった。夜になっても帰って来ない鹿川君を、家族は必死に探した。父親は池袋や新宿のゲームセンターなどを隈なく探し回ったが見つからない。鹿川君が見つかったのは、2月1日夜のことであった。場所は遠く、父親の実家がある岩手県。午後10時すぎ、盛岡市の国鉄(現JR)盛岡駅前のターミナルデパート「フェザン」の地下飲食街の公衆トイレの中で、鹿川君が死んでいるのを見回りの警備員が見つけたのだ。鹿川君はトイレ内の洋服掛けフックにビニール紐をかけ、首を吊っていた。同デパートは午後九時には閉店していたが、トイレのドアが閉まったままなので不審に思った警備員が覗き込んで発見。制服のポケットにあった生徒手帳から身元が判明した。13歳の少年の無残な姿。床には鉛筆で書かれた、次のような遺書が残されていた。「家の人、そして友達へ突然姿を消して申し訳ありません。くわしいことについては●●とか●●とかに聞けばわかると思う俺だってまだ死にたくない。だけどこのままじゃ「生きジゴク」になっちゃうよ。ただ俺が死んだからって他のヤツが犠牲になっちゃたんじゃいみがないじゃないか。だから、君達もバカな事をするのはやめてくれ。最後のお願いだ。昭和六一年二月一日鹿川裕史」(注:●●にはいじめた同級生の実名が書かれていた)鹿川君の死を賭けた訴えは、いったいどこまで届いたのであろうか。
2006.09.30
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▼中野富士見中学いじめ自殺事件2およそいじめる側は、いじめられる側がどのようにつらい思いでいるか想像することができない。戦場で敵兵を殺す兵隊も同様である。自分が落とす爆弾の下にどのような生活があるか想像しない。想像は殺され、人間性は消失する。人間は想像しなくなるとき、人間ではなくなるのだ。「追悼の色紙」に名前を連ねた教師たちもまた、想像力が欠落していたとしか言いようがない。「葬式ごっこ」をされた鹿川君がどんなに惨めな気持ちになるか、なぜ考え付かなかったのか。生徒に「ドッキリだから」と頼まれ、軽い気持ちで署名に応じたらしい。遅刻して教室に入ってきた鹿川君の目に飛び込んできたのは、自分の葬式が行われている光景であった。鹿川君は「何だ、これ~」と言って、最初は笑みを浮かべていた。だが、やがて寂しそうな顔になり、黙り込んでしまった。その日、鹿川君は「追悼の色紙」を持って帰宅。家族に「これを見てどう思う? ここに先生も書いているんだよ」と漏らしたという。「葬式ごっこ」で負った大きな傷は、鹿川君の心を押しつぶした。それまで数々の嫌がらせやいじめに対して平静を装っていた鹿川君にも、忍耐の限界があった。いじめに耐えられなくなった鹿川君は、学校を無断欠席するようになった。欠席の日は、朝、家を出てから、病院の待合室などで時間をつぶした。登校した日も職員用トイレに隠れたり、保健室で休んだりすることが多かったという。このころ、鹿川君は比較的親しい友人にこうつぶやいたという。「僕はあの日(葬式ごっこがあった日)に死んだんだ」(続く)
2006.09.29
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▼もう一つの自殺(中野富士見中学いじめ自殺事件1)1月8日の始業式の朝、埼玉県の女子中学生がガス自殺をしたとき、それほど離れていない場所で、別の悲惨な事件が進行中であった。後に自殺した東京都中野区立富士見中学2年の鹿川裕史君がこの日、クラスメートを含む10人ほどのツッパリグループに膝蹴りやパンチなどの暴行を受けていたのだ。自殺した女子中学生と同じ13歳であった。鹿川君に対する陰湿ないじめは、なにもこの日に始まったことではなかった。鹿川君が2年生になった前年の5月ごろ、クラス内にできたツッパリグループに目を付けられ、「使い走り」をさせられるようになる。従順でおとなしい鹿川君に対する「ふざけ」は、次第に「いじめ」へとエスカレートしていく。二学期になると鹿川君は、「プロレスごっこ」の「投げられ役」になったり、フェルトペンで顔にヒゲを描かれ廊下で踊らされたり、モデルガンの標的になったり、野球拳を強要され服を脱がされたりした。いじめグループにとって、鹿川君は「何をしてもいい存在」になっていった。そして起きたのが、「葬式ごっこ」であった。11月14日と15日、鹿川君の2Aのクラスでは、鹿川君を死んだことにして「追悼の色紙」を書き、教室で線香をあげる「葬式」を執り行ったのである。黒板の前に置かれた鹿川君の机の上には、飴玉や夏みかんが並べられ、鹿川君の写真と、牛乳瓶に差した花も添えられていた。色紙には、「鹿川君へ さようなら 2Aと その他一同より 昭和60年11月14日」と書かれており、クラスの生徒の署名や寄せ書きがあった。寄せ書きには「バーカ」「いなくなってよかった」「ざまあみろ」などと書かれていた。そして驚いたことにそこには、「やすらかに」といった担任を含む四人の教師の署名とメッセージも記されていたのであった。(続く)
2006.09.28
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▼もう一つの悲劇川口のタクシー運転手強殺事件で私が支局で記事に併用する現場写真の焼付けをしているとき、他のサツ担当記者は別の事件の取材に追われていた。その日の朝、もう一つの悲しい事件が起きたのだ。1月8日午前4時ごろ、埼玉県朝霞市にある自営業者宅の風呂場で次女の中学二年生(13)がガス自殺しているのを父親が見つけ、朝霞署に届け出た。同署が調べたところ、次女は風呂場に座布団を敷き詰めて横になり、風呂ガマのプロパンガスの栓を開けた上でホースをはさみで切り、ガスを吸い込んで死んでいた。遺書はなかったが、次女は家族に対し「学校に行くのが嫌だ」ともらしていた。次女はなぜ、学校に行くのが嫌になったのか。学校関係者は心当たりがないという。ただ次女は、前年の秋ごろから、腹痛を訴え家に閉じこもりがちになっていたらしい。校内暴力やいじめがあったのか。同僚記者が調べたが、結局分からずじまいだった。正月休みを終えた子供たちが各地で一斉に登校する三学期の始業式の朝、一つの尊い命が消えた。
2006.09.27
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昨日アップするのを忘れた、玉川上水の土手に咲いた彼岸花の写真を紹介します。このように土手のあちこちに咲いています。太陽の光の帯が写っていますね。ところで、一昨日のブログで建築家の渡辺豊和先生が挑戦しているという「初の小説」について触れましたが、かなり面白い内容のSFになりそうです。長編SF物語で、既に二巻分書いたとおっしゃっていました。拙著『不思議な世界の歩き方』にはヒントになるような話を書いた覚えがないのですが、何とある都市がそのまま別の次元(過去?)へ移動してしまうんだそうです。そう聞いて最初に思い出すのが、楳図かずおの『漂流教室』です。ある日突然、学校全体が人類滅亡後の未来に移動してしまうという話でしたね。荒唐無稽な話といえばそれまでですが、ひょっとしたらありうるのかなとも思っています。不思議な世界でも紹介した北川恵子さんも以前、ムー大陸は別の次元に移動したため現在の地球上にその痕跡がないのだというような主旨の話をしていました。そのとき私は、ずい分大胆な仮説だな程度にしか思っていなかったのですが、どうもそれは凡人の考えだったのかもしれません。北川さんが宇宙存在アリオンから受け取ったメッセージに「スパスシフィカは浮上の準備を完了した」「その場所とはインドネシアのスラウェシである」という文章があります。確かブログでも既に紹介したと思うのですが、スラウェシとは渡辺先生が直感によりアトランティスと同質のものを見た場所でもあります。おそらく直感の鋭い、あるいは霊感の優れた人たちは、こうした異次元からのメッセージを感じ取ることができるのかもしれません。およそ人間が想像することは、既に宇宙には存在しているーー。真っ赤な彼岸花に当たった太陽の光をまどろむように見つめるうちに、ふとそんなことを思いました。
2006.09.26
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昨日はさわやかな秋晴れの中、玉川上水や善福寺川へサイクリングに行ってきました。玉川上水の土手には、昨日紹介した彼岸花が咲き誇っていましたよ。その彼岸花とともに、秋の訪れを告げる花が金木犀ですね。オレンジ色の小さな花々からは芳ばしい香が漂ってきます。善福寺川緑地公園や和田堀公園にかけての川沿いは、金木犀の香で包まれていました。そしてふと、西の方を見ると、夕日が沈んでいくところでした。夕陽が段々と沈んでいきます。まさに日が没するところです。とうとう隠れてしまいました。一瞬の輝き。やがて、静寂が支配する夜がやってきます。静かな一日でした。
2006.09.25
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今日も東京地方はさわやかな天気です。すっかり秋ですね。彼岸花も咲いています。別名、曼珠沙華――天上に咲く花。燃えるように赤いですね。さて昨日は、イワクラ(磐座)学会関東ブロック創立大会に出席しました。東京海洋大学名誉教授の茂在寅男先生や、あの『縄文夢通信』の渡辺豊和・京都造形芸術大学教授も参加されるとあっては、出ないわけにはいきません。茂在先生とは二年半ぶりの再会。現在は92歳になられたそうですが、ますますお元気でした。茂在先生はつくば市筑波町北条のご出身で、近くの城山と呼ばれる山には「神秘の洞窟」があるなど筑波にまつわる話をされ、大変面白かったです。茂在先生は拙著『「竹内文書」の謎を解く』をとても気に入っていただき、時々お手紙をいただきます。渡辺先生はイワクラ学会の会長を務めておられます。うれしいことに、拙著『不思議な世界の歩き方』に触発され、初の小説に挑戦しているところだとおっしゃっていただきました。関東ブロック代表世話人になられた歴史作家の鈴木旭さんには、初めてお会いしました。琉球大学の木村教授と連絡を取りながら、与那国の新たな海底遺跡の探究に力を入れられているそうです。そちらの成果も楽しみですね。それから、私が巨石や遺跡を探索する際に参考にさせていただいている超歴史研究会の方々とも初対面でした。私は二次会は失礼しましたが、きっと古代巨石文明談義に花を咲かせたのではないかと思います。
2006.09.24
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▼タクシー運転手強殺事件2不吉な電話は真夜中か早朝と決まっている。事件が発覚したのは、正月気分がまだ抜け切らない1986年1月8日午前7時半であった。埼玉県川口市弥平の路上に止まっていた個人タクシーの中で運転手が血を流して死んでいるのを通行人が見つけ、110番した。川口署は刃物で刺された跡があり、車内が物色されていることから強盗殺人事件と断定、捜査を始めた。殺されていたのは東京都江戸川区の個人タクシー運転手(66)だった。川口といえば、私の家も川口にある。警察からの幹事連絡を受けた泊まり明け勤務者は、躊躇せずに自宅で寝ていた私を呼び起こす。現場の写真を撮らせるためだ。現場に行くには、一分一秒でも早い方がいい写真が撮れる。到着が遅れると、非常捜査線が広げられ、現場にも近づけなくなる可能性が強くなるのだ。信じられないかもしれないが、新聞記者というものは、寝巻き姿で電話に出てから、速いときには5分後にはカメラを持ってタクシーに飛び乗っているのである。遅くても10分後には家を出ている。この日も10分以内にはタクシーを拾い、現場へ急いだ。契約しているタクシー会社を電話で呼ぶ手もあったが、タクシーが来るまでに30分近くかかることもあり、交通量の多い場所でタクシーを拾った。現場を探し出し、タクシーとその回りを調べる捜査員の生々しい様子を写真に収めると、撮影した写真を現像するため浦和支局に駆けつけた。支局にはたたみ一畳半ほどの小さい暗室がある。暗室に入って、まず自分でフィルムを現像する。その点、富山支局時代は楽であった。富山支局には暗室が無い代わりに、加盟社協力により北日本新聞社の広い暗室を借りることができたのだ。しかも、同新聞社には自動フィルム現像機があった。その現像機にフィルムをセッティングすると、5分後ぐらいにはフィルムが現像されて出てくる。至れり尽くせりだ。しかし、浦和支局ではそうはいかない。狭い暗室の中で現像液や定着液にまみれながら、ようやく現像を終わると、ドライヤーでネガを乾かす。次は焼付けである。自分でフレーミングをして、これはと思う写真を焼き付けていく。画像を印画紙に定着させ、後は乾かせば出来上がり。出来上がった写真は、写真説明を付けて、支局にある画像電送機のドラムに巻きつける。そして、本社写真部を専用線で呼び出して、電送順番を待つ。本社からの合図とともに、ドラムを回転させ、電送を始める。今はおそらくデジタルカメラになっているだろうから、このような苦労とは無縁であろう。タクシー運転手強殺事件は、密室で目撃者が少ないことをいいことに犯行に及ぶ極めて卑怯で卑劣な犯罪である。この川口のタクシー運転手強殺事件では、奪われたとみられる金額は1万円前後だった。おおよそタクシー運転手強殺事件の場合、多くても2,3万円、少なくて数千円が奪われる。それだけのカネのために、どうして尊い命が奪われなければならないのか。おそらくタクシー運転手ができる防犯対策は、不審者を乗せないことであろう。しかし、乗車拒否と受け止められかねないというジレンマがある。怪しげな人間に見えなくても、途中で豹変する客もいるだろう。卑怯者たちの犯行は連鎖する。二日後の1月10日にも、大阪市西成区で個人タクシー運転手が殺された。つい最近(9月16日)も、大阪府高槻市の個人タクシー運転手が出勤したまま行方不明となる事件が発生した。タクシー運転手を狙った犯罪は、今も続いている。
2006.09.23
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しばらく続いていた「昔の写真シリーズ」も今日が最後です(また再開しますが)。多分明日から「新聞記者の日常と憂鬱シリーズ」を再開します。今日の写真は、そのつなぎとなる貴重な写真です。何と共同通信浦和支局時代の写真なんですね。このときまだ20代ーー。若かりし日の勇姿!? 浦和市役所対記者クラブの軟式野球親善試合のスナップです。この打席の結果は? 残念ながらまったく覚えていません。ホームランを打った記憶も三振した記憶もありませんので、多分、凡打かシングルヒットだったのではないでしょうか。試合は急造の記者クラブが完敗しました。写真左にはサンケイ新聞のS記者、さらにその奧に、朝日新聞のI記者が写っています。I記者はその後、朝日新聞東京本社社会部勤務となり、金丸信自民党副総裁に絡む一連のスキャンダル報道で1993年度の新聞協会賞を取った取材班の一員として活躍したそうです。1997年には、ハーバード大学ケネディ行政大学院でジム・クーニーの国際関係論の授業を受講した仲でもあります。世の中は狭いので、いつどこで、かつての仲間と再会するかわかりませんね。『留学のための英語論文・ペーパー作成術(仮題)』では、ジム・クーニーの授業で私が書いたペーパーも紹介していますよ。←これは宣伝です。
2006.09.22
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まずはこの写真を見てください。カラフルな珊瑚や海綿が写っていますね。しかし、この写真に得体の知れない生物が写っているんですよ。そう、右の岩礁に、ほとんど保護色状態になっている生物がいるのがわかるでしょうか。ちょっと寄ってみましょう。実に綺麗な模様をしています。回りの景色に溶け込んでいますね。実際この写真は、海の中の風景を写したはずのフィルムのコマを現像してみて初めて、この”魚”がいるのに気付きました。早速、本で調べたところ、一番似ているのがベラ科のテンスであることがわかりました。しかし模様がちょっと違うし、尻尾が変ですね。何か足のようなものが生えているようにも見えます。タコの擬態かとも思いましたが、ムナビレがあれほどはっきり付いているので、やはり魚のような気がします。結局、何の魚かわからないまま、今日に至っています。どなたか、この魚の正体をご存知ないでしょうか。2001年にモルジブのバアア環礁で撮影しました。
2006.09.21
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紅葉の季節です。色付いた葉が川に映って綺麗ですね。こちらもすっかり秋の風景です。東京地方は秋・・・。そんなはずはありませんね。これも過去の写真を接写したものです。最初の写真はワシントンDC市内を流れる小川、ロッククリークです。タヌキさんや鹿さんが住んでおり、小川の周辺は国立公園になっています。だけど、ときどき他殺体が見つかりニュースになります。暗くなったら、とても歩けない場所です。その次の写真は地名は忘れましたが、ヴァージニア州にある南北戦争の古戦場です。広大な古戦場を散策しながら歴史に思いを馳せる人が大勢訪れます。ところで東京はまだ、残暑が続いています。紅葉はまだ、一ヶ月は先の話でしょう。
2006.09.20
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▼ガラパゴス諸島の日常実にありふれた光景です。アシカが砂浜で寝そべっており、そのそばをジョッギングする男性が通り過ぎて行きます。もちろん、滅多にお目にかかれる光景ではありませんね。しかし、ここガラパゴス諸島エスパニョーラ島のガードナー湾では、日常的に見られる光景です。アシカも慣れたもので、そばを人間が通ってもほとんど気にしません。とくにメスは、おとなしい上に好奇心が強いので、人間が泳いでいても怖がらずに近寄ってきます。ただし、オスには気をつけてください。強烈な縄張り意識をもっていますから、縄張りを侵されたと思ったら、攻撃をしかけてくることもあるそうです。オス(メスよりも体が大きいのですぐにわかります)が近づいてきたときは、ちょっかいを出さずに遠ざかるように言われました。写真では、寝そべっているのがメスで、体をもたげているのがオスだと思います。オスは自分の”ハーレム”を侵す不届きオスがいないか、しょっちゅう見張りをしなくてはなりません。その間、ろくに食べることができないので、やがて心身ともに疲れてしまう。すると別の強いオスがやってきて、追い払われてしまうようです。うかうかしていられませんね。こうしたボスの交代は、短くて2,3日、長くても3か月だとされています。次も何の変哲もない岩の島。ボールを蹴る足のようにも見えることから、キッカーズ・ロックと呼ばれています。ガラパゴス諸島のクルーズをすれば、必ずそばを通る島ですね。サン・クリストバル島の北西に浮かんでいます。スペイン語ではレオン・ドルミード (眠れる獅子)と呼ばれているそうです。この写真では見づらいですが、実は岩の上空を無数のカツオドリが舞っています。ガラパゴスの日常的な風景でした。
2006.09.19
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▼ナスカの地上絵突然ですが、これが宇宙人です。随分かわいい宇宙人ですね。マンガみたいです。右手を上げて、空に向かってあいさつしていますよ。「地球へようこそ!」とでも言っているのでしょうか。そうです。ここはペルーのナスカ平原。地上絵の一つにこの宇宙人君がいます。もっとも地元では宇宙飛行士と呼ばれています。天の浮船、すなわち気球からこの地上絵を鑑賞したのではないかとの説がありますね。有名なハチドリです。1999年1月にペルーを訪れたときの写真です。マチュピチュにも行きました。いずれその写真も公開できるのではないかと思います。
2006.09.18
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▼カリブ海の魚たち「ギョ、ギョ、ギョ」―ー。この女性ダイバーさんは突然目の前に現われた魚さんに驚いているようですね。カリブ海には、主にカリブ海にしか生息しない魚がたくさんいます。このお魚さんはグルーパー(ハタ科)の仲間で、ナッソーグルーパーといいます。ナッソーとは、バハマの首都ナッソーに由来しています。名前からもカリブ海の固有種であることがわかりますね。次もグルーパーの一種です。形と色はハタ科のクエに似ています。ただちょっと模様が違うような気がします。マダラハタでしょうか。ナッソーとも模様が異なりますね。幼魚と成魚では模様が違うこともあるので、私には判定できません。グルーパーは人なつこいので、ダイバーの人気者です。二枚とも場所は、タークス・アンド・カイコーズ。これもカリブ海の固有種、フレンチ・エンジェルフィッシュです。この魚の仲間にはグレー・エンジェルフィッシュ、クイーン・エンジェルフィッシュ、ブルー・エンジェルフィッシュがいます。特にクイーン・エンジェルフィッシュは綺麗ですよ。写真を撮った記憶がありますので、いつか公開できると思います。キンチャクダイ科でサザナミヤッコなどと同種です。下の写真で群れているのもカリブ海固有種ですね。向こうではグラントと呼ばれる魚の種類で、ブルーストライプト・グラントです。群れ方や形がヨスジフエダイなどと似ていますね。でもこのグラントはヨスジではなく、一〇何本も縦スジがついています。この仲間には、フレンチグラント、スパニッシュグラントなどもいます。群れの上方で泳いでいる単体の魚は、イスズミだと思います。二枚とも場所はコスメル。最後の写真は、言わずと知れたロブスター。伊勢海老ですね。伊勢海老君が隠れていたのは海綿の中でした。変わった形の海綿ですね。壺のようになっています。このダイバー(確かドイツから来たエリックだと思いますが)、ちょっかいを出していますが、もちろん取ってはいけません。そっとしておいてあげましょうね。場所はコロンブス島。今日はカリブ海の固有種を中心に紹介しました。
2006.09.17
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▼モーレアの海今日の東京地方の天気はそれほどよくないはずだったのですが、朝からよく晴れています。絶好の洗濯日和ですね。昨日、モーレアのウツボさんを紹介したので、今日も引き続きモーレアのお魚さんと、その海を紹介しましょう。モーレアでダイバーの間で知られているのは、以前にも紹介したレモンちゃん。レモンシャークです。かなり大きなサメで、体長四メートルを超える大物です。一緒に写っているダイバーと比べると大きさがわかりますね。このレモンシャークは3・5メートルぐらいでしょうか。このポイントはティキと呼ばれ、時々すごく流れがきつくなります。ボートはアンカリングしていましたのでドリフトダイブ(流れに乗って潜ること)はできません。こういうときの基本は、まず流れに逆らって泳ぐこと。最初に流れに乗って泳いでしまうと船に戻れなくなってしまう可能性が強くなるからです。この日もいつになく激しい流れとなり、皆ホフク前進してようやく少し前に進める状態でした。20分かけて4,50メートル進んだころ、この大物が現われました。私にとって、初めてのレモンシャークとの遭遇でした。最初の印象はとにかく大きい。タヒチの海にはサメが多いですが、1・5~2メートルのリーフシャークやグレイシャークが小魚に見えるほどでした。恐る恐る近寄って撮ったのが、上の写真です。次はクマノミちゃま。でも、ただのクマノミではありません。モーレアのクマノミです・・・。なんて言っても、やはりクマノミはどこへ行ってもクマノミですね。モーレアではクラブメッドに滞在しました(9・11テロ後、客足が減り、閉鎖されたようです)。夕陽の見える、いいところでしたよ。特にダイバーにとっては、たった1万2000円ほどで12本潜れましたからダイバー天国のクラブメッドでした。その夕陽です。次も夕方の景色。見づらいかもしれませんが、右側の暗がりに水上を歩く仙人が写っています。本当はすごく浅いので歩いているだけです。アネモネちゃんたちがたくさんいる浅瀬でした。1999年4月のアルバムから(接写しているのでところどころ光っていますが、ご了承ください)。
2006.09.16
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▼うつぼと私これは珍しい水中写真です。ヒト科ダイバー属の「私」が写っています。念のために、手前のウツボは私ではありませんよ。奧の方でこちらを向いているダイバーが私です。左手にニコノスVを持っています。恥ずかしがり屋のため、滅多に写真に撮られることはありません(私が撮るばっかりで誰も撮ってくれません)。1999年4月、仏領ポリネシア(タヒチ)・モーレア島での1コマです。さて、この岩から顔を出しているウツボは、ドクウツボと呼ばれています。だからと言って、ウミヘビのようにかまれると毒が体中に回るようなことはありません。肉にシガテラ毒があり、食べると中毒になってしまうことからドクウツボと名づけられました。それでも、琉球諸島や台湾では調理して食べているようです。この間もTBS系列の「世界うるるん滞在記」で、台湾でドクウツボとみられるウツボを食べるシーンがあったように思います。ゴジラのような顔をしていますね(話は脱線しますが、ゴジラ松井は今日、復帰後初のホームランを打ったそうです)。ドクウツボはウツボの仲間では最も大きく二メートルぐらいになります。私は子供のころは怖がっていましたが、今ではウツボを見ると近づいては写真を撮っています。ただし、ウツボは目が悪いので傷ついた指から少量でも血が出ていたりするとエサだと思って指を噛み切ることもありますから注意してください。親指を中に入れて手でグーを作れば、まず大丈夫でしょう。ところで既にトップページでは紹介していますが、『カストロが愛した女スパイ』のカバーと帯が昨日完成しましたので、改めてご紹介させていただきます。
2006.09.15
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▼”殺人エイ”「助けて~」といいながら逃げる女性ダイバー。その後を追うのは、あの殺人エイ!?もちろん、そうではありませんね。このアカエイさんは、エサがほしくて人間の後をついてきているだけです。もう10日前の話になりますが、「クロコダイル・ハンター」として、ワニの捕獲、調教で知られるオーストラリアのスティーブ・アーウィンさんがダイビングの撮影中に、アカエイに胸を刺され死亡しましたね。だけどアカエイはおとなしい生き物です。人間を刺すなどということは滅多にありません。よほど怖い思いをしたので刺してしまったのでしょう。たとえば、上から覆い被ってヒレをつかもうとしたり、砂に隠れているアカエイを踏んづけてしまったり。アカエイは上から襲われたと思えば、身を守るために尻尾の付けにある棘を出します。普段アカエイの棘は尻尾にくっつくようにたたまれていますから、何もしなければ刺されることはありません。多分アーウィンさんは、アカエイに対していつものようにちょっかいを出してしまったんですね。撮影のための演出があったのでしょうか。残念なことです。次の写真を見てください。人間とアカエイが仲良くお見合いをしていますね。これは、アカエイの餌付けをやっているところです。場所はマネーロンダリングやタックスへイブン(租税回避地)として知られるケイマン諸島。ポイントは世界中のダイバーが知っているスティングレイ・シティー(アカエイ都市)です。ダイバーはイカや魚の切り身などを手に持って、アカエイがやってくるのを水底で待ちます。するとアカエイが上の写真のように擦り寄ってきて、エサをねだります。そのときアカエイのお腹側に手のひらを上に向けて切り身を差し出せば、掃除機のように吸い取っていきます。アカエイのお腹側はすべすべで、まるでシルクのようですよ。機会があれば是非お試しください。アカエイは決して、「殺人エイ」などではありません。いつも言っていますが、本当に怖い動物は人間のほうです。そういえばお魚世界では、人間は「殺魚人」と呼ばれていました。ところで『カストロが愛した女スパイ』をご希望の方、まだ私の公式ホームページの分と合わせて三名ほど余裕があります。プレゼントをご希望される方は、メール等で名前とあて先をお知らせください。
2006.09.14
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▼最終打ち合わせ昨日は『カストロが愛した女スパイ』を出版してくれる成甲書房(東京・神保町)に最終校閲・校正稿を手渡しに行き、最後の打ち合わせ。カバーの帯は JFK暗殺からカストロ毒殺指令まで 歴史を闇から動かした女刺客 性と犯罪の衝撃記録の線で出版社が最終判断することになりました。かなりスキャンダラスな帯ですね。二年前まで「ニューズウィーク日本版」編集部に勤めていましたが、電車の中吊り広告用に、よくこのようなキャッチーな文章を作っていました。10月5日書店に配本される予定ですので、実際に店頭に並ぶのは6日ごろになりそうです。価格はちょっと高めですが1900円です。400ページもある本ですから、致し方ないそうです。東京では紀伊国屋などの大型書店、京王線沿線では啓文堂で手に入ると思います。地方の書店についてはよくわかりませんので、お近くの書店にお問い合わせください(事前に注文しておけば確実です)。打ち合わせが終わった後は、近くにある語学出版社「語研」へ。語研は『留学のための英語論文・ペーパー作成術(仮題)』を出版してくれることになっている出版社です。語研の社長は高校時代のクラスメートで同じ野球部でした。ただこちらの方は、6月に脱稿して以来、全然進んでいません。理由は英語能力試験であるTOEFLやTOEICが大幅変更になるので、その対応に追われて私の原稿を見る時間がないからだそうです。変更に伴う作業はまだ数ヶ月続くとみられ、私の原稿が日の目を見るのはさらに先になりそうです。この『留学のための英語論文・ペーパー作成術』は、ただの語学関連のノウハウ本ではありません。私がハーバード学生時代に経験したエピソードなども盛り込まれており、読み物としても面白く仕上がっています(かなり過激な政治的表現も盛り込まれています!)。私が学生時代に実際に書いた論文やペーパー(一応A-以上のもの)も紹介して、解説しています。出版は少し遅れると思いますが、ご期待ください。今日のブログはほとんど本の宣伝になってしまいました。ところで朗報です!『カストロが愛した女スパイ』をご希望される方、先着二名様+αの方にプレゼントいたします。「+α」とは何かというと、よくコメントを書いてくれる方にはお礼の意味で差し上げるという意味です。もちろんご希望されればの話です。無理やり送ったりしませんのでご安心ください。そもそも『カストロが愛した女スパイ』は、『不思議な世界の歩き方』同様、このブログをテコに完成させた作品です。協力してくれた方には(ささやかながら)お礼をしなければなりませんね。お気軽にお申し出下さい。トップページの「メッセージを送る」をクリックして私書箱にあて先を書いてメッセージを残してください。先着二名の方もお名前とあて先をお忘れなく。
2006.09.13
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今日は『カストロが愛した女スパイ』の最終校閲日。今朝やっと最後(三回目)の校正・校閲が終わりました。午後、出版社と打ち合わせです。筆者がこういうのも変ですが、何度読み返しても面白く、夢中になってしまいました(ただし米外交史に興味がないと駄目ですよ)。帯(本の表紙に付いている帯です)の文言はケネディ暗殺からカストロ毒殺作戦まで米外交史の闇を知る女刺客マリタ・ロレンツ「衝撃の告白」でしょうか。三行目をマリタ「性と犯罪の驚愕証言」とかマリタ・ロレンツ「性と犯罪の激白」とすると、よりセンセーショナルになりますね。「衝撃の告白」の代わりに「衝撃の記録」とする手もあります。もちろんほかにいい案があれば、そちらが採用されます。完成版と比較してみてください。まだ正式ではありませんが、今月中に出版されるはずです。決まりましたら、ブログで紹介します。
2006.09.12
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▼石垣島マンタスクランブル今日紹介するのは、マンタの「ミギカケ」です。上の写真をよく見ると、何か変なことに気が付きますね。そうです、向かって右側の体の一部が欠けているんです。まず、向かって右側(マンタから見て左)の頭ビレが欠けています。さらに尻尾の付け根部分のヒレも欠けているのがわかります。お分かりですね。サメにやられたんです。サメの歯型(口型)がくっきりと残っていますね。サメはマンタの天敵です。ボラボラ島のマンタには、このような歯型が残ったような傷を持つマンタはいませんでした。ボラボラのマンタは、タイガーシャークなど凶暴なサメが入って来れないようなラグーンの中にいるため安全なんですね。ボラボラのマンタの敵は、人間と人間による環境破壊だけです。一方、石垣島のマンタは、外洋を泳ぎまわります。当然、タイガーシャークのようなサメにも遭遇してしまいます。ボーッとしているとサメに食べられてしまうんですね。人間以外にも危険がたくさんあるわけです。ところでこの「ミギカケ」と呼ばれているマンタは、25年前からこうだったそうです。25年以上前にサメに襲われ怪我をしたが、何とか生き延びてきたんですね。年齢はわかりませんが、30歳ぐらいではないかとマンタ博士の伊藤さんは話していました。ミギカケを至近距離で見つめるダイバー。さて、マンタが現われるまでひたすら待つのですが、その間何をしているかというと、このポイントにはクマノミちゃんとかもいて、結構面白いんですね。ディズニー映画のせいで世界中で乱獲されたクマノミです。イソギンチャクとクマノミ。奧の方には、クロスズメダイがたむろしています。マンタが現われるまでは、こうした小さなお魚さんと戯れます。これはメガネコンベ。よく見ると、メガネをかけたような模様が目の周りにありますね。チョウチョウウオの一種でチョウハン。アイゴ科のヒフキアイゴです。そうこうしているうちに、またマンタがやってきました。いつ見てもかわいいですね。クロースエンカウンター。ここまで来ると、「第三種接近遭遇」ですね。このポイントではスノーケリングでもマンタを見ることができます。右上に写っているのが、スノーケラー。ただしスノーケラーは浮いているだけで、潜行することは禁じられています。さあ、マンタともお別れをするときが来ました。去っていくマンタ。さようなら。また来年、会いに来るからね。
2006.09.11
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▼石垣島のマンタボラボラ島のマンタポイントにマンタが出なくなってしまったため、昨年からは石垣島のマンタにはまっています。今回は三日間6ダイブとも、石垣島の石崎マンタスクランブルを潜りました。数は多くはなかったですが、6本ともはずしませんでした。潜るとすぐにマンタが現われます。マンタのアップ。何とコバンザメを五匹引き連れています。多分上の子はサンゴですね。サンゴと言っても、珊瑚ではありません。お腹の模様が前の方から黒い点が三個と後ろの方に五個あるので三五だそうです。ここのポイントでは、マンタが現われるのを珊瑚の根の下でひたすら待ちます。するとマンタの方からやってきます。ドンドン近づいてきます。頭上を通り過ぎます。このポイントには、マンタは主に小魚さんに体の掃除(クリーニング)してもらいたくて来ます。小魚は珊瑚の根の上に方にいますので、小魚がいる上をマンタがゆっくりホバーリングするわけです。その「掃除人(魚)」の中でもプロ中のプロと言われるのが、このホンソメワケベラです。マンタの体についた寄生虫などを食べます。クリーニングステーションでゆっくりと泳ぐマンタと小魚たち。マンタの下を小魚がたくさん泳いでいますね。マンタの口の両側にはひれがあります。頭ビレと呼ばれ、胸ビレが変化したものです。マンタはこのヒレを使ってプランクトンを食べるときの効率を高めたり、泳いでいるときの舵取りをしたりします。速く泳ぐときは下の写真のようにヒレをくるくる丸めます。ゆっくり泳ぐときは、下の写真のようにヒレを緩めていますね。マンタの下を泳いでいるのは、スズメダイ。おそらくシコクスズメダイです。明日はサメに食べられた跡が痛々しいミギカケを紹介します。(続く)
2006.09.10
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マンタに出会えることで有名な石垣島の石崎マンタスクランブルのそばには、変わった山があります。昨年10月のブログでも紹介しましたが、前方後円墳に見える二つの山です。南や西から見ると、上のように後円に当たる山は尖って、もう一つの前方に当たる部分はなだらかな山となっています。ところが、この二つの山をマンタスクランブルの方角、つまり北の方から見ると、均整の取れた双子山に見えます。見事な双子山。この双子山のふもとの海岸にできたのが、クラブメッド(地中海クラブ)「石垣島カビラ」です。上記ホームページにもこの双子山が写っています。北東の方向から撮られていますね。クラブメッドでは「おっぱい山」と呼んでいるそうです。上の写真では、双子山の左に見える建物がクラブメッド。左の船が停泊しているダイビングポイントが石崎マンタスクランブルです。次は、マンタポイントを離れて、小浜島に帰る途中で写した双子山。西の方角から撮影したことになります。見るからに前方後円墳に似ています。人工的に造られた山の可能性もありますね。「竹内文書」に出てくるような「古代琉球王朝」の古墳もしくは神殿の跡ではないかとにらんでいますが、どうでしょうか。一万年前に造られたとみられる与那国の海底遺跡など沖縄には多くの謎が埋もれているような気がします。最後は、石垣島の御神崎灯台。岩が波に削られてゴツゴツしていますね。明日はマンタの海を紹介します。
2006.09.09
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▼はいむるぶしの動物小浜島はいむるぶしには、水牛のほかにも動物がたくさん飼われています。水牛池のほとりに住むアヒルさんです。次はガチョウさん。アヒルとガチョウは見分けがつきづらいことがありますが、上の写真のガチョウさんは額がコブ状に出っ張っているシナガチョウであるため、見分けがつきます。基本的にガチョウのほうが大きく、アヒルはくちばしが平べったい。それに、ガチョウのほうが首が長いような気がします。アヒルはマガモ、ガチョウは雁(ガン)が家禽化したものです。アヒルは「足が広い」から、ガチョウは「ガーガー」なくから、それぞれ名前がつけられたとの説があります。ガチョウとアヒルのツーショット。多分、アヒルでしょう。これはニワトリですね。ウサギさんも飼われています。黒ウサギ。これは・・・ヤギさんですね。こんにちは。モグモグと食事中です。お馬さんも。ダチョウさんもペアで飼われています。ダチョウさんの顔のアップ。次はメスのダチョウさん。後ろの木と同じように、まっすぐ首が伸びていますね。最後は動物ではありませんが、主に屋根の上に鎮座する、おなじみのシーサー。伝説の獣ですね。舌を出しているのは威嚇のため。ニュージーランド・マオリ族のハカを連想させます。魔よけの役割をしています。
2006.09.08
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今日、紹介するのは、小浜島の水牛です。水牛の乳は脂肪分が多く、モッツァレラチーズになります。沖縄地方では、竹富島の観光用水牛車が有名です。非常におとなしい動物ですが、力が強いので、角に当たって顔を陥没骨折したケースもあるようです。もぐもぐ草を食べて食事中ですね。この水牛は太郎君と言って、11歳のオスです。小浜島のリゾート「はいむるぶし」で飼われている人気者。後ろに見えるのが、はいむるぶしのセンター棟です。右には水牛池が広がっています。太郎君が水牛池に”出勤”するのは、朝8時。夕方4時になると勤務が終了して、ブーゲンビリア棟の裏庭につながれます。上の写真で飼育員が立っている辺りに杭があり、そこにつながれます。次の写真は太郎君が水牛池へと出勤するときの写真です。ブーゲンビリア棟の部屋の前を通っていきます。あっちへ行ったりこっちへ行ったり、気ままな散歩です。勤務地の水牛池に到着。最後の写真は太郎君のアップ。なんとも言えない目をしていますね。昨年、相棒の花子が亡くなったそうです。今は一人ぼっち。水牛は人間のために水田の耕作などを手伝いますが、用がなくなると、食べられてしまいます。そういう水牛の運命に対する悲しみを、つい感じてしまいますね。私が肉を食べない理由は、こうした水牛の目の悲しみを知っているからです。人間に必要なのは想像力です。
2006.09.07
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▼火星には生物がいた!?昨日に続き、赤い惑星の写真です。おや、赤い大地に道のような跡が・・・。火星探査機ローバーの跡でしょうか。次の写真は凄いですよ。中央下やや右よりに、植物が写っています。何と、火星には生物がいたんですね!近づいてみましょう。やはり、どう見ても緑色の植物です。この緑の植物はあちこちに生えています。ちょっと高山植物に似ていますね。次は、火星に生物がいることの決定的な写真です。中央やや下。保護色でわかりづらいかもしれませんが、火星の石の間を鳥のような生物が歩き回っています。最後は、岩場を歩く火星人。もう、おわかりですね。ここは、ハワイ諸島マウイ島のハレアカラ火山です。世界最大級の休火山で、ハレアカラはハワイ語で太陽の家という意味です。スタンリー・キュービック監督の『2001年宇宙の旅』の一部もここで撮影されたそうです。私は一時期、マウイ島のカパルアで暮らしていたことがあります。冬場、私が住んでいた家の寝室からは、ベッドに寝ながら海をクジラが泳いでいくのを見ることができました。マウイ島の海は以前、ダイビングの話で紹介しましたね。マウイ島の写真はたくさん撮りましたが、ネガがどこにいったかわからないので、そのとき撮影したハレアカラの写真を接写しました。上の写真はフレームが写ってしまった失敗作。ところで現実の夏休みは、マンタに会うために石垣島(小浜島)へ行っておりました。そのときの写真は明日のブログで。
2006.09.06
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▼火星の写真!?夏休みが終わり、昨日地球に無事帰還しました。今回、私が探査に選んだ惑星は、火星です。太陽系の惑星は最近、8つに減らされてしまいましたが、ご存知の太陽系第四惑星ですね。火星には運河があり、タコ型の宇宙人がいるとされていた時期もありましたが、本当はどうなんでしょう。赤い星と言われるだけあって、大地は赤茶けています。ところどころ、岩も飛び出しています。清田益章氏がテレポートして、いたずら書きしたという岩もどこかに転がっているかもしれませんね。草木もまったく茂らない不毛の大地のようにも見えます。上の写真を少しズームアウトします。しばし、火星の奇妙な風景をお楽しみください。(続く)
2006.09.05
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