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パソコンを立ち上げると必ず「Windows 10」のCMが表示されます。興味があるのですが会社とシステム会社からまだ時期早々のお知らせが来ました。そちらの会社がまだ対応出来てい無いようでアップデートをすると不都合な事があるようなのです。今のままでもなんら差しさわりが無いのでこのままでもいいと思うのですが、新しいもの好きな人たちは早く新しいシステムを楽しみたいでしょうね。取りあえずはこのままで。でも、この「Windows 10」のCMはちょっと煩いです。何かをすれば消えるそうなのですがそれも面倒臭かったりしてイラっとしながらも出てくる画面を×で消しています。これを使った人たちのご意見を聞いてからアップデートしても遅くはないかなって。呑気な私です。
2015年08月28日
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母が残してくれたノートにはその事は全く書かれていなかった。ただ、早くこの家から出ないと災いが降るかかるからとにかく早く誰にも知られずに出るようにと。家の敷地内にある地蔵は災いから守って貰おうとした先祖がたてたものだが、地域の人たちが私たちに内緒で首を跳ね飛ばしてしまい首なし地蔵となってしまった。そして私を養子として迎え入れる時の母の苦しみが綴られていた。そして私がどうして養子としてこの家に来たのか、なぜ両親があれ程まで私を大事に育てたのか私はなんとなく分かってきた。私は祖母が生前話してくれた事をおぼろげに思い出した。「この家はね、子供が育たないんだよ。生まれても生まれても死んでしまう。だから、ご先祖様がお地蔵様をたてて拝んだ。ところがそのお地蔵様の首がもげてどこかへ行ってしまって無くなってね。その後も子供は生まれても育たない、だから元気そうな男女を養子にもらって家だけは続けてね。その二人の間に生まれた子供も・・・。この家の家族はご先祖様たちと血は誰一人繋がっていないのさ。でもこの家のお役目のために家は続けなきゃね」母のノートの最後は糊付けしてあり今まで余り気にも留めなかったけどそれをそっと剥がして最後のページを読んだ。この家の子供の生血を厄払いに使わせたくない。いくらこの地域の厄払いがこの家のお役目だとしても我が子やそれから続く子供に背負わせたくない。私で最後にして欲しいとそう書かれていた。この家にいる限りそのお役目は必ず行われるから母はここを出ていくように書き綴ったんだ。私に新しい家族が出来ることを知って母は自分が受けてきた苦しみや悲しみを私に味あわせたくないそう考えたんだろう。最後にこれを教えると自分の命と引き換えになることも。母の愛情の深さに感謝しながら私はあの嫌な夢と戦いながら一生を終えるんだろうか。それで家族が無事なら我慢するしかないのだろうか。ある日を境に突然あの忌まわしい夢を見なくなった。晴れ晴れとした顔で親戚がやって来た。「いやぁ 良かったよ。あの家に住みたいっていう家族がいてね。もう君の役目は終わった。新しい家の役目をする家族が出来たからね」私はもう二度と行くことが無いはずのあの家の前に立っていた。そこには結婚のために私たちから独立した子供夫婦と子供の名前の書かれた新しい表札がかかっていた。
2015年08月21日
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私は会社に出かける時に出来るだけ分からないように荷物を少しずつ持ち出し、お寺の離檀と墓仕舞いは引っ越してから専門の業者に頼むことにした。引っ越しを決行するその日はこの地域全体で集会があり一日かけての行事が執り行われる大事な日。今では珍しいけれど家族総出で集会場に集まり全員で一日を楽しむのだ。子供の頃は楽しくて待ち遠しい日だった。しかし、今は違う。この日だけが誰からも見つからずに引っ越しをすることが出来る、胸が痛む日だ。私は祈るような気持ちで当日を待った。地域の人たちが集会場に集まる時間が来た。当然私にも来るように誘いがあったのだけれど私は後から参加するからと誰とも一緒には出掛けなかった。会が盛り上がる時間に私と引っ越し業者はそっとこの家から新しい家に引っ越しをした。その後のことは私はよく分からなかった。もう その家には二度と帰らないと決めていたから知ろうともしなかった。全て母に渡されたノートに書かれている事をやり終えて私は新しい場所で新しい家族と新しい生活が始まった。ある日突然私の職場に親戚がやって来た。「どうして 離れたんだ。お蔭で・・・・・」苦渋に満ちた顔でその親戚は続けた「お前の家には役目があったのにどうして。お前が居なくなってその代わりを誰かがやらなくちゃならなくなった。お願いだから戻って来てくれ」「子供が生まれたんだって、良かった。さあ 早く戻って来てくれ」私は頭を左右に振った。「大丈夫だ。今まで通りお前の家族の生活はみんなが守ってくれる。だから」私は頑固に元の家に帰る事を拒んだ。親戚はうなだれながら何かぶつぶつ言いながら帰って行った。「お前の家のお役目は他の家で背負うしかないのか・・・そんな事は今まで無かった、これはお前の家の役目だったのに」親戚が会社に来てから地域の人の訃報がなぜかしら届くようになった。それも元の家の周囲の家族ばかり。その訃報が届く前の晩に見る夢があのうなされる夢だ。親戚の人が言った「お前の家の役目」あの夢の中の大きな影も同じことを言っていた。私の家の役目っていったい何なんだ。
2015年08月20日
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そんなある日、母が思い詰めたような顔をして私の前に一冊のノートを差し出した。その内容は母が息を引き取る前に母の目の前で声を出して読んで欲しいからそれまではノートは開かずに誰にも見つからないように隠し持っていてほしいと。私は母の重い気配に気おくれしながらそのノートを受け取った。それから数日後突然母が原因不明の事故で亡くなった。葬儀も何もかも親戚の人たちが取り仕切り私はただ茫然と事の成り行きを見守るだけでこれからの事を考える余裕も無かった。親戚の人たちが帰ってしまった家はがらんと広くて静かで今まであれ程賑やかだったのが嘘のようだった。「いやぁ まあ またこれで一つ厄が落ちましたね」「ああ しかしこの後あの子ひとりでは困ったもんだ」「早く結婚させて子供を産ませなきゃ」参列者の中からそんな会話がちらっと耳に入ったけれど何のことか分からず、母との約束の息を引き取る前に読み上げるはずだったノートを抱きしめたまま声も無く部屋の片隅で一人泣いた。生活に落ち着きを取り戻し始めた頃、私はあのノートを開いて読み始めた。母の懐かしい字が母がもう居ないんだと私をより寂しい気持ちにさせた。しかし、その内容を読み進めているうちに背筋が寒くなってきた。私は早くここを出ていかなければいけない。それも誰にも気づかれないように秘密に支度してそっと跡形も無くだ。私は慌てた。取りあえず新しい引っ越し先と引っ越す時にばれて追いかけられないように他県の引っ越し業者を決めた。静かに引っ越すことが分からないように引っ越すのだからかなり大変なことになりそうだ。その手配をしている時に誰かにいつも見張られているような気がして嫌な気配との戦いだった。地域の人たちは誰もが私の事を心配してくれている様子で「何か困ったことはないかね」「寂しいだろうから誰か早く結婚相手を見つけなきゃ」などと結婚を急がせている。しかし、決して知り合いの女性を紹介しようとはしない。いや 何か違う。親切顔で温かい言葉を掛けるふりをして私の行動を見張っているのだ。その事に気が付いた途端全身におぞましい戦慄が走った。今までもそうだったんだ。私の家族はいつも誰かに見張られていた。その事にどうして気が付かなかったんだろう。母は余り口数が多い方では無くどちらかと言えば引っ込み思案で地域の人たちと思い切り笑って話している姿を見たことが無かった。父も同じだった。何となくよそよそしい付き合いで根っからの地元民という感じでは無かった。
2015年08月18日
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ここに引っ越してから同じような夢を見るようになった。最初は何か得体の知れない大きな影がゆっくりと私のほうに向かって来るだけだったが、次第にその影が何やら言葉を言っているのが分かるように「帰ってこい。早く帰ってこい。お前の家の役目が待っている。早く帰ってこい」胸を抑えつけらるような苦しさで目が覚めると汗が枕を濡らすほど流れていた。そんな夢は毎日見るわけではなくある事が起こる前の晩に必ずと言っていいほどである。私の家族は私が幼いころ兄弟を亡くし父親は高校生の時に突然他界した。母と二人きりの生活だったが地域の人たちがとても親切な人ばかりで「ほら スイカが沢山採れたから」「お菓子を作ったから」そんな言葉と一緒に色々な物をくれた。「この間の風で雨漏りはしないかね」「何か不都合なことがあれば相談に乗るから何時でも言ってよ」など 私たち親子の事をとても大切にして気を使ってくれていた。それは私の先祖がきっといい人で大勢の人たちから昔から慕われていると私は幼心にそう感じていた。そのお蔭で何不自由なく日々の生活を送ることが出来た。私が二十歳を過ぎるころから親戚や地域の人たちから盛んに結婚を勧められるようになり「もうそろそろどうだい」「近くにいい娘はいないのかね」「婚活っていうものに参加したことはあるのかい」私の顔を見るとそう訊ねてくるようになった。その度に私はまだまだって言葉を濁していたのだけれど実は母に言われて内緒にしていた。「いいかい 誰が何と言っても決して結婚話はするんじゃないよ。もしそれが分かったらとんでもないことになるから」いつもは穏やかな母だがその話になると人が変わったように厳しく私を制した。なぜ結婚の話を自分からしてはいけないのか母に聞きたくてもそれを許さない冷たさが母の全身から伝わってきて、毎回言葉を飲み込んだ。結婚を約束した相手がいたけどそのそぶりは誰にも感づかれないように気を配る日々だった。
2015年08月17日
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連日連夜の暑さに全国的にばて気味の人たちが大勢いるようです。こまめに水分補給といってもなかなか出来にくいものです。この「こまめ」って一体どんな単位なんでしょう。人によって様々でしょうけど「こまめ」ねぇ外出時にはペットボトルの水を持参して信号待ちの時に飲むようにしています。でも室内にいるときはなかなか冷蔵庫まで足を運んでさあ 飲もうって気持ちにならないものです。暑さにも慣れってあるもので慣れてきたような気がするって知人に言ったらそれって老化による感覚麻痺だよ!!と思いっきり叫ばれてしまいました。おおおおおお ぉぉぉぉ気が付かなかった!!!!!!!!寝る前に水分補給をしなくっちゃとコップ一杯の水を飲んでいましたが今日は朝目が覚めたらなんだか感覚がおかしい。クーラーが苦手な私は寝室にはクーラーを設置してありません。ばば様とななふしの部屋は一晩中クーラーの音がしていますが私は窓全開と扇風機で凌いでいます。そのためか暑さのために1時間半ほどのタイミングで目が覚めてしまいぐっすりと休むことが出来ません。まあ 夏が終わるまでの辛抱と我慢していましたがいつもだったら汗だくで目が覚めるのですが今日はなんだか変な感じです。汗もかいていなし喉も乾いていないでもなんだか頭が痛くて吐き気がする。身体が思うように動かなくてぼぅっとしながら起きだしました。とにかく水を飲もうと思ってもその水が喉を通りません。水を飲むことすら嫌気がさしてしまいコップの水を捨てたりしました。ばば様の話しかけられても上手く答えられなくて「おい あんた どうしたずら?」ばば様が大きな声で叫んでくれてはっと気が付きました。これって熱中症かもしれない!!慌てて水分補給しなければと思っても吐き気が先にきてなかなか水が喉を通りません。無理にでもと思って冷たいお茶やアイスを飲んだり食べたりそうだ こんな時はスポーツドリンクを飲んだ方がいいかもしれないとヴァームウォターをがぶ飲み。この暑いさなか吐き気と頭痛とだるさとの戦いの中の仕事と家事はきついものがあります。ううううう 主婦や嫁じゃなかったらとっくに放棄しているのに!!もう滅茶苦茶で構わないから喉を通るものを口に入れて体力を維持しなければ。熱中症になると意識がもうろうとするってなんとなく分かったような気がしました。メタボも中性脂肪ももうそんなことは吹っ飛んで食べられる食事を作りました。もちろん水分補給にお茶と水とヴァームウォター外出時の前やお風呂に入る前、寝る前にもヴァームウォターその甲斐あってかなんとか熱中症から脱出することが出来ました。水だけじゃダメなんだとつくづく分かりました。これからもまだまだ暑い日が続きます。他人様に迷惑をかけないように気を付けましょう
2015年08月07日
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今日から20日の決勝戦まで熱い戦いが甲子園で始まりました。毎年思うのですが開会式のあの長い挨拶は必要なんでしょうか。挨拶台の上に立って胸をはって挨拶される方は嬉しいかもしれませんがいったいどれだけの人たちがそれを聞いているのでしょうか?結婚式のスピーチもそうですが申し訳ないのですがその殆どのはなしをまともに聞いて心に留めている人はいないんじゃないかと。ばば様の付き添いの病院の待合室で開会式の様子をテレビで見ていました。熱中症が多く発生している状況であの長いスピーチはいらないでしょ。あの後の第一試合の学校はさぞかし大変だろうな思いました。鍛えてあるから大丈夫なんてお気楽な人たちは考えるかもしれませんが試合を応援する人たちも含めて体調を崩してしまわないかなんて老婆心。始球式の王貞治さんの見事な投球にお隣の人と拍手をしたり、試合の攻防に手に汗握りながら「あの選手の親ならドキドキしちゃうね」そんな話を。自分の県の代表が勝ち進むのを願いながら他の高校球児たちの熱い熱戦に目が離せない毎日が開幕しました。
2015年08月06日
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