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文化講演会
最近は文化、文芸講演会の開催の情報を得ることはなくなった。昔のベストセラー作家は売り出し中の演歌歌手の様に全国を駆け回っていたものだ。それは本を売るためばりではなく国民の意識を高める上で効果的であった。今はそれをしないのは作家がテレビに出て半端なコメンテーターをしてお茶を濁しているせいか。それでは読者の心はつかめないだろうし読者のこんなものが読みたいという要求をつかめるはずもない。時代だと言ってしまえば終わりだが新人賞や直木、芥川賞を取った作家の本が売れないと言うのも納得がいく。書き手の必然が読者の必然と相い照らす事が出来なくなっているから売れないのは当たり前という物だ。作家では飯が食えないという時代であるが作家になりたがっている作家予備軍は多い。昔の様に文芸同人誌が多くなく減っているからそこで勉強をすることは出来なくなってブログに書いたり懸賞に応募するくらいになっている。満のいい人はブログに書いた小説が良い編集者に巡り会い芥川賞を取るという希有な人もいるがそれはあくまで希もので砂の中に金を見つけるより難しく殆どそういう恵まれた人はいないのが現実だ。百万円近く出して自主出版をする人も多いのだが出版界不況の中で良い商売になっていると言うことはそれだけ書いたものを本にしたいと言う希望があるからだろう。そのような人もプロの道は険しく殆どの人はプロにはなれない。プロでも注文の来ない作家がごろごろしているのだ。その人達はゴーストライターをして飯を食べている人が多い。林真理子は作家になる前に松田聖子のゴーストライターをしていたことは有名である。また、売れなくなると必ず「創作の仕方」「文章講座」などを書いて売れれば儲けだがそれより書き手が創作の原点に返るために書くことが多いようだ。書いた人で再起した人は殆どいないのはそれが徒労であると言う査証であろうか。
若かった頃、半年に一度はくる講演会に良く話を聞きに行ったものだ。皆な正装して拝聴していたのだ。インテリーの集まりの様に上品なのだが聞く作法を知らない。笑うところを笑わず手をたたくところでたたかない。さぞやりにくかったろう。開高健、曾野綾子、大江健三郎。井上光晴、野間宏、松本清張、水上勉、五木寛之、まだ沢山の作家や文化人の話を聞いたが、大江健三郎さんは我が子の話とほんの宣伝に終始し井上光晴さんは共産党をどんな経緯でいかにして離党したかを話した。殆どの作家は自作の本の宣伝が目的であり物見遊山もかねていろう。連載を沢山抱えていても地方に公演旅行をする余裕があったのだ。それだけでも今の作家とは違うと言える。その頃はまだファクスもなく出先で書いた原稿補を電話で読み上げて編集者が記述するというものと編集記者が原稿取りに行くという方法しかなかった。
心に残っていると言えば五木寛之さんと水上勉さんがある。
五木寛之さんは大学時代からテレビ創生期のの放送作家でありシベリア鉄道で北欧への旅をした。地中海沿岸の
國にはあまり興味がなかったらしい。そこで国々を見て回り人にふれ歴史と文化を学び取った。後に「ソフィアの秋」「さらばモスクワ愚連隊」「蒼ざめた馬を見よ」「ガウディの夏」「ワルシャワの燕たち」などの作品を書く土壌を培った。直木賞を貰ったときに賞と同質の作品が五十作書きためて手元にあったという。みんな受賞をしても次作が書けないというのに五木さんは何年か分の作品を書いていたのだ。会場に集まった文学青年達からどよめきが起きた物だった。五木さんの自信に満ちた凜とした姿は忘れられない。それが「青春の門」に繋がった。還暦を迎えて大学に入り「浄土真宗」を学び新しい五木さんの活躍の場を広げている。それは計算された生き方でなくその都度何かを真剣に研究しなくては居られない五木さんの言ってみれば使命というべきものかも知れない。
水上勉さんは白い顔にかかる髪の毛をかき上げかき上げ少し激情して話をした。まだ「雁の寺」を書いて直木賞を貰う前のことだった。熊本の水俣で猫が飛び回っていると言う話を聞いた。水上さんは水俣へ飛んだ。そこには本当に飛び跳ねる沢山の猫たちがいた。何かの原因で、この有明の海で何か大変なことが起きている・・・猫にこのような症状が出ていると言うことはやがて人間にも・・・不安と怒りの中「海の牙」と言う推理小説を書き上げた。その話の間中涙を流し髪をかき上げ体を震わせて訴える様に語った。それは作家ではなく一人の人間の真実を露呈していた。
今、この二人の作家は私の心に大きな位置を確立している。沢山の公演を聞いたけれど二人の話が聞けたと言うことが何よりの果報であると思っている。
果たして今の作家にそのような怒りの軌道があるのか、人間を蹂躙する物に対して果敢と戦う姿勢はあるのか。注文が来ない、本が売れない・・・それは当たり前というものなのだ。大衆の心が分からなくて書いていて売れるはずもない。代議士と同じなのである。幸せというものに、生き甲斐という物に、夢という物になんの答えを持たずに明かりを与えない作家が書いて売れるはずもなかろう。怒りを忘れている作家にはもう一度土と戦って欲しいと思う。土が生み出す力こそ今人間が学ばなくてはならぬ物のような気がする。
今、信州は佐久平の病院医師南木佳士さんの随筆小説に親しんでいるが読むと沢山の答えを返してくれる。歳のせいか読んで薬になる物を好むようである。
生きとし生けるものことごとくみんな平等に逝くと言う安心感を根底において優しさと真実をつづる作家である。
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