どんなことでも続けることで力になる。
逆の見方で言えば、どんなに素晴らしいことでも継続できないものは何の意味もなさない、という大変厳しい言葉ですが、私は「続けることが力になる」という意味だと信じたいと考えています。
信じたいと「考えている」・・・?
それは違う!と今、突然に自分にツッコミを入れました。
ちょっと脱線しますが、信じることは考えることではない。
と、サッカー日本代表の 本田圭佑選手 がNHKのプロフェッショナルという番組で話していました。
つまり、一もニもなく信じるということ。時には不安に揺れ動く弱い心に「信じる」という一本の芯を通し、それを貫くという意思の技術なんだということ。
そして「信じる」という行為が自分に力を与えてくれると本田選手は話していました。
この記憶が今突然よみがえり、自分を突き動かすのを感じました。
ということでもう一度宣言します。
続けることが力になるのだと。
では何を続けているのかというと、このブログです。前置きが大変長くなりましたが、今日はふと感じた、記事を書き続けていくなかで、
・やたらと記事がすんなり書ける日
・どれだけ捻り出そうとしても何も浮かび上がらない日
という波があるという感想です。
生物である以上波があることは当然だと思いますが、この波の理由についてひらめき的なものがあったので、書いておくことにします。
まず、それぞれの状態の時の自分を思い出してみます。
書ける時の状態
・短時間で一気に書ける。
・内容を見返してみてもそれなりに書けている。
・面白いと感じることが多い。
・パソコンに向かう前に「今日はこれを書こう」とイメージが湧いている気がする。
書けない時の状態
・とにかく時間がかかる。
・指が全然進まない。
・書いては消し、書いては消しの繰り返しになることが多い。
・読んでみても何だかイマイチ。
・「今日はとりあえず書いておかないと駄目だ」という半ば義務的な感情で記事を書き始めている。
大体こんな感じですね。はっきりと状態に違いがあることが分かります。
書いているのは同じ人間なのにどうしてこの差が出るんでしょうか?
これを考察してみたいと思います。
両極端な2つの状態、違ってしまう理由は何だろう?と考えてみる
自分で書いていて、それぞれの状態の最終項目が気になりました。
書ける時・・・”パソコンに向かう前に「今日はこれを書こう」とイメージが湧いている気がする。”
書けない時・・・”「今日はとりあえず書いておかないと駄目だ」という半ば義務的な感情で記事を書き始めている。”
つまりパソコンに向かって記事を書き始める前の時点で、自分の中で記事を書く準備が整っているかどうか、つまるところこれが原因だということが考えられます。
記事のイメージが具体化している時は前者となり、何のイメージも持っていない時は後者となる、とても分かりやすい話ですね。ということは、ブログを継続して書くためには、記事のイメージを常に具体化しておくことが必要だということです。
と 言うのは簡単ですが、これは実際にはとても難しいこと です。
簡単に出来るのなら、私のブログは最低1日1回の記事が書き込まれ、かつ、そのどれもクオリティが高いものになるということになるのですから。
正直、毎日これをするなんてことは当然ながら出来ていません。
考えると、次のような事が挙げられました。
・材料となる情報をしっかりとインプット
・刺激を見逃さないため、何事にも興味を持って物事を見る
・それによりインスピレーションを得る
・インスピーレーションと、材料になる情報とを結びつけたうえで、アレンジして表現する技術を身につける→整理力・表現力
ということは、つまり、これらの事を「普段から意識して持っておくこと」が、実はブログを継続していくうえのコツなんだな、という考えに至りました。
いざ記事を書こうとパソコンに向かってから、あれこれ考えるのでは遅い!とうことで、こんな場合は面白い記事にはならないってことです。
仮説的な今日の結論
【問い】
・ブログを書き続けていくためには?
・書く行為のムラを解消するためにはどうすればいい?
【答え】
・とにかく書き続けること。
・面白い記事を書くためには、PCの前でじゃなく、普段の生活のなかで「面白いこと」を探す意識を持ち、無意識化で編集作業を行うこと。
・面白いことにセンサーを働かせるためのインプットを欠かさないこと。
ということで、引き続き頑張っていこうと考えを新たにしました!
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