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2016年03月29日

機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ ♯25話(最終話)を見て確信した、「オルフェンズは名作だ!」という思いについて



今までのガンダムとは味付けがかなり違っている今回の「 鉄血のオルフェンズ」 、独特な作品として今後も語り継がれていくであろう名作の気配を感じていましたが、この最終話でもその思いを強くすることが出来ました。


仲間の犠牲を払っても目的地に辿り着くことができないのか?と視聴者を大いにハラハラさせたことと思います。
そして最後のシーンでは三日月のバルバトスが戦いを挑むこととなり、敵の圧倒的な反応速度・機動力の前にどう戦うんだ!?とアツい展開で最終話へー。
という流れでした。

さて、昨日の最終話です。
前回までの熱い展開をしっかりと受け止め、更なる危機感を演出しながら、最後は三日月がアインを倒し、鉄華団もその目的を果たすという大団円的な話となりました。

しかし、その過程が、「さすがはオルフェンズ・・・」と唸らせるものでした。
主人公である三日月は、敵との反応速度の差を何とか埋めようと、バルバトスのリンクをさらに強化しようともがきます。 「もっとよこせ、バルバトス!!」 と叫ぶ 三日月の右目からは鮮血が溢れていました 。その結果、敵を倒すことには成功しましたが、その後のシーンでは右目の視力と右手の運動能力を失った様子が描かれました。
勝利のために大きな代償を払った、ということなのでしょう。

敵モビルスーツ(人間を捨てた完全なる阿頼耶識システム)に勝つために、自分の阿頼耶識システムによる機体とのリンクを極限まで高めた結果、その影響として、右目・右手の感覚を失った三日月。
しかし本人は「バルバトスに乗っている時は動くからちゃんと働ける」と全く気にとめる様子を見せないのも、いかにもオルフェンズ的な演出で印象的でした。

なぜ三日月に代償を払わせたのか?


物語の作り手としては、代償を払わずに「秘めた力を発揮して敵を倒す」という単純な展開で作りこむことも可能だったはずです。
あるいは、ギリギリまで体と精神を追い込んだとしても、「体に後遺症を残すまでの状態にはしない」というパターンもありです(実際にこのパターンは王道と言えるほどよく出てきます)。
しかしオルフェンズでは、これらの展開は使用しませんでした。

なぜ製作者はこれらの手法を使用せず、「代償と引き換えに敵を倒す」というエピソードを選択したのでしょうか。
また、アインを倒す際に、バルバトスの”剣”を敵モビルスーツの胸部、つまりアインそのものに突き刺して殺すという生々しい人の死を感じさせる演出をなぜ使ったのでしょうか。

この理由を考えてみると、「最近のガンダムとは違う」と私がオルフェンズの独自性を強く感じる理由が見えてきます。

戦い・戦争の描き方を通して伝えたい何かがある


オルフェンズの戦闘は、最近のガンダムとは一線を画します。
その要素となっているのは、次の2点です。

・モビルスーツが”叩き壊し合う”戦闘方法
・残酷さを隠さない演出

それぞれについて触れておきます。

1.モビルスーツが”叩き壊し合う”戦闘方法


周知のことですが、バルバトスでは「ビームライフル」「ビームサーベル」といったガンダムお馴染みのビーム兵器は出てきません。
ガンダムの戦闘といえば、

・ビームライフルが当たって爆発する。
・ビームサーベルで真っ二つに機体が切られ、爆発する。
・パイロットは爆発に巻き込まれて絶命する。または、機体の爆発のみで、パイロットの死は直接描かれない。

という描かれ方が主流でした。これに対して、今回のオルフェンズでは

・剣や棍棒、でかいペンチのような武器で敵を殴打して壊す。
・爆発はあまりない。
・パイロットはコクピットごと変形して押し潰されるか、剣などの鋭利な金属によってコクピットごと貫かれて死亡する。

という描かれ方になっています。
ひどく生々しい描かれ方です。
要はモビルスーツを大きな鈍器で ”ぶっ叩いて壊す” 訳ですが、モビルスーツだって頑丈ですからすぐには壊れません。何度も叩き、突き刺すという攻撃を繰り返さなければなりません。
人型をしたモビルスーツが何度も何度も叩かれ、壊れていく様には、思わず目を背けたくなる時すらありました。

さらに爆発して四散することもありませんから、壊れたモビルスーツや、押しつぶされたコクピットはそのまま現場に残ります。いつまでも破壊の後味が残る戦場の光景は、他のガンダムでは見ることが出来ないオルフェンズ独特の世界です。

2.残酷さを隠さない演出



「どうして戦わなければいけないんだ!」
「争いでは何も解決できないじゃないか」
「こんなことを繰り返していたら、心が壊れて人間ではなくなってしまう!」

近頃のガンダムは、 主人公が何かと綺麗事のような叫びを繰り返すシーンが目につく という印象がありました。
これは主観によるところが大ですので、一部だけを捉えた間違った見方かもしれませんが、 ユニコーン でも主人公の青臭さがどうしても鼻について作品に没頭できませんでした。
08小隊 も私には駄目でした。
更に前になりますが、キャラクターは大好きなガンダムWでも最後は「全モビルスーツを廃棄して戦争のない世界に・・・」とかいう終わり方に 悶絶 したことを覚えています。

ひとことで言うと、繰り返しになりますが、

「何か綺麗事ばかり言おうとしていないか?」

という疑念をいつしかガンダム作品に対して抱くようになっていたのです。

でもオルフェンズは違います。
主人公は綺麗事は一切言いませんし、敵側が何か理想論的な事をウダウダ言うのですが 「うるさいな」と一蹴 です。
表情一つ変えずに敵を殺します。

少年どうしが殺し合うシーンもありました。
白兵戦では非戦闘員を装った少年が騙し討ちで銃撃を行い、さらに返り討ちにあって撃ち殺されるという場面では、批判的なコメントも多数寄せられたと聞きます。
あまりにも残虐な描写ではないか?というのがその内容です。

ですが私は、これらの場面に「戦争とは残虐で残酷なものなんだ」というメッセージを受け取りました。
決して残虐さを煽っているものではありません。そのような作品(漫画・映画・ドラマ・ゲーム等いろいろあります)は、残虐さや残酷さをただただ”刺激”として取り扱い、作品を売るためのツールとして活用しています。

しかしオルフェンズは違います。
主人公は「必要だから殺している」のであり、必要がなければ戦いも殺しもしません。中立な存在として描かれています。
ですが、戦闘行為を伴う以上、平和な日常に生きる私たちからすれば「残酷」だと感じる行為は必ず起こるのです。それをただオルフェンズは「そこにあるもの」として描きます。

そうすることで、戦いの残酷さ、理不尽さ、人が殺されることは痛くて辛いことなんだという当たり前のことを、しかし世界から戦いが消えない残酷な現実を、オルフェンズはガンダムファンにもう一度問いかけているんです。

だから三日月は代償を支払わなければならなかった。
戦争がもたらす痛みや悲劇を私たちに伝えるために。

まとめ


これら以外にも、振り返れば見どころがたくさんあったと思います。
仲間との絆、義兄弟の愛情、大人の下ネタ的な台詞、などなど。
何より前期のED曲「オルフェンズの涙」は素晴らしかったです。
後期でも一度だけED曲として流れ、その時は、つい感極まって涙が溢れそうになってしまいました。

第二期は秋に開始との事で、その日を一日千秋の思いで待ちたいと思います!
posted by 霧島もとみ at 2016年03月29日 | Comment(0) | TrackBack(0) | アニメ
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他人との距離感をいつも遠く感じながら生きてきました。高校の体育祭のフィナーレでは、肩を抱き合って大はしゃぎする光景に「何でこんなに盛り上がれるんだろう・・・?」と全く共感できませんでした。共感できない自分が理解できず、いつも悩んでいます。そんな私でも面白いと思うことはこの世界に一杯あります。それが私の生きる糧でした。面白いことが増えていけば、よりたくさんの人が楽しく生きられるはず。そんな世界を夢見ています。
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