ドネー(左)とフィデル(右)
Radio Habana Cuba、2023年11月24日、Prensa Latina
ANAICのマルコ・パパッチ会長は、近日中にこれを実行するグループの構成メンバーを率いるとし、これは自身の遺骨をキューバで休ませたいというドネーの最後の意志によるものである、と語った。
12月2日、グランマ号上陸67周年を祝う日に、このイタリア人乗組員の遺骨は、ハバナのコロン墓地にあるキューバ革命戦士の墓に埋葬されるよう準備されている、とパパッチ会長は説明した。
イタリアからの訪問団には、ANAICのイルマ・ジオリ前会長や、マルコ・ファンテチやアルマ・マセーら同組織の幹部たち、またジノ・ドネーのひ孫であるイバン・カダムーロも含まれている。
訪問団にはさらに、五つ星運動所属で現在イタリア-BRICS研究所会長のヴィトー・ペトロチェッリ元上院議員や、共産党所属で新国際秩序協会代表のエマヌエーレ・デッシ、オルタナティブ党所属で憲法連合協会を率いるマッティア・クルチョーリも含まれている。
ドネーは、1924年5月18日にモナスティエルに生まれ、2008年3月22日にベネチア州のサン・ドナー・ディ・ピアベ地区で亡くなったが、第二次世界大戦中はナチのファシズムに対してパルチザンとして戦い、1950年代にキューバに移住し、革命闘争に加わった。
住んでいたキューバのトリニダー市から、1956年に遠征隊に加わるために7月26日運動の特使としてメキシコに渡り、そのとき運んだお金の一部は、グランマ号を購入するために役立った。
その年の11月25日、このイタリア人闘士は、ラウル・カストロの指揮のもと、第三小隊の中佐として、メキシコのトゥスパン港からキューバに向けて出発した82人の集団の一人となり、キューバには12月2日に上陸した。
12月5日に起きたアレグリア・デ・ピオの戦いのあと、サンタクララ市に向けて移動し、さまざまな革命行動を実行し、1957年1月には別の任務を遂行するために海外への渡航命令を受けた。
イタリアにもどると、同国におけるキューバ革命の確固とした擁護者として傑出した活動をし、ベネチア市でANAICの集まりを構成した。
何度もキューバに渡航し、2005年にはモンカダ兵営およびカルロス・マヌエル・デ・セスペデス兵営襲撃52周年の7月26日式典の際に、フィデル・カストロ最高司令官との対面を果たした。翌年の12月、グランマ号上陸50周年記念のために渡航したのが最後のキューバ渡航になった。
グランマ号
ジノ・ドネー・パーロ グランマ号のイタリア人
Llegarán a Cuba próximamente las cenizas de expedicionario italiano del Granma (+Foto)
https://www.radiohc.cu/noticias/nacionales/340369-llegaran-a-cuba-proximamente-las-cenizas-de-expedicionario-italiano-del-granma-foto