今日も簡単な野菜だけのお弁当を持って行きました。プチトマト、ブロッコリー、キャベツの塩昆布和え、パプリカの酢漬け、茹でほうれん草をタッパーに詰めただけですが野菜不足解消には役立ちます。
子どもの頃、幼稚園も小学校も中学校も給食でした。幼稚園選択のポイントは給食だったと母が話しているのを覚えています。子どもは変なことを覚えています。ですから子どもの頃のお弁当の記憶というのは、遠足とか運動会のようなハレの日のことです。
遠足のバスの中でバスガイドさんに「おにぎりいくつ持ってきましたか?」と質問されるのが子どもの私はイヤでした。1個の人はまずいなくて、「2個の人」と聞くとクラスの半分くらいの子どもが「ハーイ、ハーイ」と競って手を挙げます。「3個の人」の時も残り半分くらいがまた「ハーイ、ハーイ」と手を挙げます。4個となると2人か3人に激減し、周りの子ども達に「わ〜、〇〇君、大喰らい〜」などと囃し立てられます。そのやりとりを見ながら「さすがに5個の人はいませんね」というと笑いが起こって次の話題に移っていきました。
私は一度も手を挙げたことがありません。なぜなら母が持たせてくれたおにぎりの数は6個だったからです。私のお弁当箱には、友人達の半分くらいの小さなおにぎりが、海苔や胡麻やたらこや鰹節などで色とりどりの可愛いらしい姿で並んでいました。おかずも手の込んだものがたくさん詰められていました。ウズラの卵には黒胡麻と食紅で顔が描かれていました。
そして、さらに私はもうひとつの包みも持っていました。それにはサンドイッチがぎっしり詰められていました。玉子やハムやチーズや野菜などの、こちらも色とりどりの美しいものでした。
お弁当の時間、私は必死でした。とにかく時間内に全部平らげないといけなかったからです。母が朝3時から起きて懸命に作ったお弁当を残すことなんてできませんでした。
長じてからのある日、食事が喉につかえたことがあって、慌ててお茶で流し込みながら不思議と懐かしい想いにとらわれて、その理由を手繰り寄せるようにして探っていったら、子どもの頃毎年味わっていた「遠足の味」でした。
母はどうして小学生の子どもに、小さいとは言えおにぎりを6個と、半斤も食パンを使ったサンドイッチを持たせたのでしょうか。食べ切れると思っていたのでしょうか。今日、ひと言で言ってしまえば「過剰」でした。それでも子どもの私は母の気持ちを忖度して、期待に応えるのが精一杯でした。子どもの頃を思い出すと「一生懸命な母を評価してあげなくては」というおかしな保護者意識のようなものが常にあったように思います。
私は遠足がイヤでした。遠足の前日にはいつも「バスが谷底に落ちますように」と神様にお願いしていました。
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2017年11月08日
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