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2020年04月21日
2016年8月 定期検診日
初孫まで交えて 家族7人(一応夫も)
楽しい盆休み期間中だった
私と長男は 途中 何日か仕事を挟んだが・・・
長男は その都度 都内にとんぼ返りしていた(笑)
17日は 長男の誕生日 そして私の定期検診日
朝から土砂降りで 晴れ女の私にしては珍しいな、と
一人病院へ
診察室に呼ばれると O先生が忙しそうにしていた
今日は外来患者が多い上に 紹介状の手配とかが
大変だというようなことを言ってこちらに向き直った
「ニャンままさん
採血結果が 実はあまり良くないのです」
この暑さの中でも 特にだるさが酷いわけでもなく
これといって自覚症状もない私は少し戸惑った
「実はCEAの値が上昇しています
前回の値は 9.1でした。
今回も多分上昇していると思います」
結論としては 転移していることはほぼ確実だということ
今日の採血結果を早いうちに再度連絡入れるので
その時に対応を決めましょう、と
以前の病院とは違い
このS病院では 腫瘍マーカーは即日にはわからない
(2018年頃から 即日にわかるような体制になった)
なので 今日の結果が正確にわかるまで
まだ " まな板の上の鯉 " の状態だ
転移かぁ・・・
孫も見れたし こんなに楽しい夏休みを過ごせているのは
ひょっとして最後のご褒美なのかな???などと
およそ自分らしくない思いを抱いて 病院を後にした
多分 土砂降りの雨のせいだよな・・・と
自分の考えを打ち消しながら 買い物へ
長男の誕生会を想像しながら 自分を奮い立たせた
せっかくみんなが集まってくれているのに
こんな事ではいけないな!と
帰宅して 仕事の夫と娘以外のメンバーで
再び帰省する今夜の主役の長男のお迎えに
定時で帰宅した娘と嫁子ちゃんと パーティーの準備
みんな楽しく騒いでいるところへ 夫が帰宅
「今日は何? 随分賑やかだね」
呆れた!!!
私の通院日を忘れるなんていうのは毎度のことだけれど
28年前に
1850グラムという小さな体で一生懸命生まれきてくれた
あなたの長男の誕生日ですよ!!!
もちろん 夫のそんな言葉はみんなで無視!
夫と彼女の 昼休みからのくだらないやり取りを
知っているから
さて 社会的に抹殺したいほどの適当な夫はさておいて
楽しい楽しい パーティーにしましょう!
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2020年04月20日
2016年 8月 2
この年の旧盆は
息子たちそれぞれの日程で帰省予定とのことで
その日を待ち焦がれながら
暑い暑い毎日を どうにかやり過ごしていた
母の術後の経過は順調だったので
仕事のシフトは変えずに勤務できていた
それでも
日帰りを含め 実家と行ったり来たりは少々きつかったが
盆の入り13日に 長男と次男一家が
そろって実家方面に来てくれることに
3ヶ月の乳児を連れての帰省はそれでなくとも大変なのに
新幹線沿線ではないので 在来線特急で時間もかかり
ほんと 申し訳ないくらい
幼い頃から おばあちゃんが大好きだった次男は
とにかく顔を見たいから 気にしないで、と
当日 夫の運転で 私と娘も実家へ!
まずは 父をピックアップして
帰省した息子たちを出迎え 皆で食事会を!
認知症がある父も 赤ちゃんを抱くと
久しぶりの穏やかな笑顔を見せてくれた
嫁子ちゃんも その笑顔を見て喜んでくれているし
息子たちと娘が 皆そろって来てくれているので
私から父への親孝行感 半端なく(笑)
楽しい楽しい 昼食会だった
とにかく 赤ちゃんの力は偉大だ!!!
病院の面会時間に合わせて 市立病院へ
母は リハビリをプログラム通りにこなしてはいたが
そこここの痛みが なかなか取れずにいた
面会は エレベーターホールの一角にあるコーナーで
病室から車椅子で出てくる母を見て
父が少し動揺していた
自分の中では
もう元気になった母しか想像していなかったのだろう
けれど ひ孫の顔を見た母は それはもう大喜び!!!
その喜びようを見た父がまた大喜び、と笑顔の連鎖
短い時間ではあったが 本当に穏やかで楽しい時間だった
その日はそれから 私たち一家はまっすぐ自宅へ
文字通り「運転手」の夫は 蚊帳の外で
車内では皆で 賑やかに楽しく過ごして行った
自宅は それはもう綺麗に掃除してある
猫飼いで 初孫の赤ちゃんを迎えるし
私が 実家の往復でクタクタなのを見て
" 夫が " 夏休みをとって掃除しておいてくれた
女性関係以外は
本当にマメに動いてくれる夫なので助かる
あ 外の女性にはマメだった(爆)
もちろん掃除の事も 彼女には猛アピールしていた
夏休みをとったせいで会えないとか
二人揃って お花畑である事には変わらず
お互い 自宅での出来事を逐一報告しあっている
そんな気持ちの悪い人たちは放っておいて
みんなで楽しもうよ!と 子供達がラインしてくれた
では 楽しい夏休みにしましょうか!!!
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2020年04月18日
2016年 8月 1
5日に入院して
8日に 麻酔科と口腔外科の説明を受ける母
とにかく ナーバスになっていて
説明時間15分前に到着した私と姪にも
「遅い! いつまでも何やってたの?」と大騒ぎ
気持ちはわかるけれど 病室で大声なんて
今までの母では考えられなかったので驚いた
術式は カテーテルでのものなので前回と同じだと言ったのに
全身麻酔で時間が長い 本当に大丈夫なのか?と
今更ながらに不安がっていた
実際 前夜はよく寝付けず 眠剤を処方していただいたようだ
プロである先生にお任せするよりないのに・・・
大騒ぎしていた母のTAVIは
予定時間を2時間近く上回る程長かったが
結果 何事なく無事に終わり
術後の経過は せん妄も無く とても順調だった
ただ 一時帰宅を挟んだとは言え
3ヶ月近くの入院生活で すっかり脚力が
弱り切ってしまっていた
リハビリも 初めの頃は痛みが強く
なかなか歩けないでいたほど
旧盆近くには 息子たちが帰省してくるので
自分も自宅に戻らなくてはならない
せめて母の愚痴を聞いてあげられたら
少しでもストレス解消になるとは思うのだが
初曽孫に会えるのを楽しみにしていてね、と
自宅に戻るしかなかった
夫たちは それはもう相変わらずのラブラブ状態!!
ランナーでもある彼女は
4月頃からあちこちの市民マラソンへ参加して
その度に 事細かくたくさんのことを報告
大会の概要から その地域のホテルの情報
食べ物屋さんがどうたらこうたら
今度一緒に走れる時には
こんなタイム設定ならこの大会はOKとか(何が?)
次回は絶対一緒に参加しようね、とか・・・
ちょっとお尋ねしますが
あなた ご主人と一緒に行ってらっしゃるんですよね?
どうして不倫に走る人は こうも図々しいんだろう?
まぁ 図々しいから平気でそんなことをするんだろうけど!
子供達には 毎日の送受信を連載小説として送っているので
帰省してくる息子たちの反応が楽しみでもある
毎日の相当の暑さの中でも
息子たちの帰省 母の退院、と先の予定がビッチリで
自身の体調にも気をつけながら 仕事をしていた
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2020年04月16日
母の人工弁 " TAVI "
2016年
8月になった途端 それはもう暑い日が続いた
一時帰宅していた母の手術が9日に決まった
カテーテルで少しばかり心機能が回復してきたとはいえ
長年の蓄積で 弁膜症の症状は完全に戻ったとはいえず
人工弁を取り付けることになったのだ
「大動脈弁狭窄症」との診断で
" TAVI " という カテーテルで人工弁を入れる手術
「経カテーテル大動脈弁留置術」という名称らしい
父の冠状動脈バイパス手術の時とは違って
開胸手術ではないということが救いだ
それでなくとも 体力・機能の衰えが著しい母なので
少しでも負担が少ない方がより安心だ
カテーテルで 所定の場所まで人工弁を持っていって
詰まりやすくなった大動脈弁の代わりになるように
文字通り 人工弁をそこに " そっと " 置いてくるのだ
(そっと、は私のイメージ 笑)
前回のカテーテル施術で 血管自体に問題はなく
高齢者だということを考慮して
先生方がハートチームを組んでの TAVIを選択してくれたのだ
術後は リハビリも含め
1週間から10日で退院できると聞き
今更ながら 医療の進歩に驚いた
父の場合 術後の入院が長引き
せん妄がひどくなり 認知症の進行が早まったので
入院期間が短いのは とても安心できる
先生からは とても新しい術式だと聞いていて
実家地元の市立病院で その手術が受けられることに
とても驚き そして感謝した
高齢で すでに重症化していた母が
遠方に出向くことなく手術を受けられるのは
実際その境遇になってみると とてつもなく有難いことだった
5日の入院に向け 仕事のシフトを集中的に入れて
当日朝に実家に向かった
今年の8月は また忙しくなりそうだな・・・と
高速を 飛ばして地元へ
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2020年04月15日
2016年 7月 2
7月中旬を過ぎるあたりから
夏の暑さがやってきた!
この年は 梅雨時の雨はあまり降らず
通勤も面倒な思いをすることなく頑張れた
仕事は相変わらずの忙しさだったが
それがかえって気晴らしとなり
夫たちのことはなるべく考えないようにしていた
とにかく 何かとせわしく
絶えず何かに追い立てられてるような時期だった
研修は種類を変えて何回かあったし
イベントも 一日ほぼ立ち通しで疲れた
今もそうだが 仕事をしていて本当に良かった
" 自分 " というものを失わずにいられるのは
職場で第3者の視線を感じながら
いつも 自分を俯瞰して見ることができるからだ
別居して裁判を起こした頃
初めのうちは辛い感情ばかりだったが
仕事をしていると 負の感情に浸っている暇はなく
毎日を それまで通りのルーティンで過ごすことができた
自分にとっては
仕事ができている、ということが最上の治療薬だ
けれど O先生から腎機能の衰えを指摘され
生活全般をしっかり見直さなくてはならなくなった
両親のこともあるので 実家への往復はやめられない
食生活と毎日の生活リズムか・・・・
圧倒的に水分補給が足りないとの指摘を受けていた
抗がん剤の点滴をしていた頃は
それこそ浴びるように飲んでいた水
この頃は 喉が渇いた時にしか飲まなくなっていた
腎臓を取ったので 水分摂取を怠らないよう言われていたのだが
自分の体は自分で守らないと!!!
母はといえば
カテーテルの後 大腸カメラを入れた
大腸にはなんの問題もなく
下血のはっきりとした原因は特定できないままだったが
体調も随分戻ってきて 少し足が弱ったくらいで
以前の元気を取り戻していた
それで 一時退院して 自宅待機となった
父の喜びようといったら 見ていてこちらが照れるほど
こんな老夫婦になりたかったんだけどなぁ
母が帰宅したことで
父の認知症も ある程度落ち着いてきた
日中の話し相手がいるだけで こんなに違うんだというほど
自分の老後を考えるにつけ なんだか複雑な心境になった
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2020年04月14日
2016年 7月 1
この年の7月上旬は
蒸し暑い日が続いていたものの
梅雨時の降り続く雨もなく
時間ものんびりすぎていく様だった
夫と彼女は 例の差出人不明の手紙が来てから
しばらくは 差出人探しで大騒ぎしていた
送られて来た写真を元に わざわざ休日出勤して
" 筆跡照合 " までしている始末
慌てまくって
職場のメンバーに対して疑心暗鬼になっていく様子が
心理的サスペンスドラマだなぁーーと思って傍観していたが
そんな様子も1週間と持たず(笑)
お花畑の花はなかなか枯れないらしく
それこそ 障害物あっての " 大恋愛 " の様相を呈してきた
けれど 母のことばかりではなく
仕事も忙しくなってきていた頃でもあったので
正直 夫たちのことはどうでもよかった
10日も過ぎた頃
O先生のところでの定期検診があった
この時は 採血検査だけだったので気楽に病院へ
例のごとく 散々待たされた
診察室の呼ばれると
O先生が 少し困った様な表情で迎えてくれた
あれ?
今までは 悪いところがあっても笑顔で迎えてくれたのに・・・
「ニャンままさん だんだん暑さも厳しくなる頃ですが
最近 お疲れではないですか?」
疲れているか?と言われれば それはしっかり疲れている(笑)
母のことを報告して 片道2時間を時には日帰りで往復していること
最近仕事も忙しく 県内の別の拠点のイベント手伝い等までしていること
なにやら毎日バタバタしている事を先生に話した
すると先生が 困った顔を崩さないままで言った
「今回の血液検査の結果が あまり芳しくありませんでした
いえ 腫瘍マーカーが上がったとかではないのですが
腎機能系の数値が 軒並み悪くなっているんです
この数値がこれ以上下がってくる様であれば
腎不全から慢性腎不全 そして透析という事になります」
はぁ・・・・
右腎臓を摘出してからも 腎機能は頑張っている数値だった
けれど今回は そうのんびり構えていられる数字ではなくなったらしい
忙しさはもちろんのこと
夫たちの動向が文字通り
ボディブロウの様に効いてきているのかもしれない
なんだか無性に虚しくなり どっと疲れが襲ってきた
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2020年04月10日
不思議なこと
2016年 6月には
実は 大きな展開が一つあった
夫と彼女の
悦に浸っている気持ちの悪いやり取りは
相変わらず途切れることなく 毎日続いていた
6月上旬の土曜日
彼女の自宅に 何やら手紙が届いたのだ
(多分 偽名で)
もちろん その手紙も写真で送られてきていた
" ご主人のいるあなたが 職場の上司と親密になるのは・・・云々"
わずか 2〜3行の短い文章の手紙
え??? これって 職場の誰かにバレてるってこと?
夫とのやりとりを見ていると
差出人が 上司の名前をもじったものだけど
彼女自身には全く心当たりがないので怖い!と
いやいや 申し訳ないけど笑っちゃうんですが!!!
あなた達のやりとりを見ている限り
職場内外でずいぶんとイチャついていると思われるんですが?
あれだけ ベタベタしているのであれば
その雰囲気も職場内で醸し出しているだろうし
まして 終業後は落ち合って 二人だけでいるのだから
誰かしらに見られていても不思議はないのでは?
とにかく この事は 私にとってはとてもありがたい事だった
これが 少しは抑止力になるのでは?と思ったので
神妙で 怖がっている彼女の文面!!
しまいに
「奥さんに訴えられたら それ相応の対応はします」とのこと
え? 私が投函した事になってる?
住んでいる所は大体わかるけど
住所全体や部屋番号とか 詳しい事はわかってないんだけど?
いや むしろ知ってたら私が行動起こすわ!!!
夫から それまでの女性遍歴や
私が裁判を起こしたことを聞いている彼女は
真っ先に私を犯人だと思ったらしい
で ここで
" 認められない恋愛をしている自分は可哀想 "
" こんなに相思相愛なのに 二人だけで外出もできない "
" どうして 私だけがこんな怖い思いをするの? "
" 明日から もう私に関わらないでください "
と 悲劇のヒロイン色満開にして 夫に愚痴る
(あなたの旦那様の立場は???)
こちらから見ていると 気持ちの悪いことこの上ない
まさに「恋は盲目」を 地で行っている・・・
いや 誰かが言っていたのだが 「恋は錯覚」らしい
脳内で 自分に都合のいいように
全て変換されて自覚することだから!(なんか納得)
何れにしても 誰かしらの意識の中に
この二人のイチャつきが気持ちの悪い事だと認識されている
そして その誰かは二人の近いところにいる!という事実
これがわかっただけで 自分の気持ちは嘘のように落ち着いた
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2020年04月08日
緊急事態宣言
6日に言及されたものの 宣言は7日
実際に効力が発したのは8日の午前0時という・・・
不思議な「緊急」だ
日本の法制度上 罰則等の強制力がないのも仕方がないし
文字通り「緊急」に発せられたら
それこそ 国中 大変な騒ぎになっていただろうし
各方面を慮って こういう形になったのだろうけれど
諸外国の対応を見ていて
どうにも歯がゆい思いは拭いきれない
私が居住している県も 感染者が日を追って増えてきている
無症状の人が すぐそばにいるような錯覚さえ感じる
地域差別につながるかもしれないが
やはり 東京などからの長距離移動や帰省は控えていただきたい
都心の人口を少しでも減らして 感染母体の数を薄めるような
そんな持論を展開されている " 専門家 " の話をネットで見た
勘弁してくれぇ〜〜〜というのが 正直な感想だ
バカ言わないでよ!!!と叫びたい
帰省時に 電車なりバスなり 公共交通機関を使えば
もしかしたら感染者と同乗しているリスクがあるし
感染後無症状の人が 文字通り ウィルスの運搬者になる場合も
実際 初期の頃の感染者の中には
バスの乗客や運転手そしてツァーガイドが居たではないか?
地方の医療体制を少し冷静になって考えていただければ
今回のような特殊な病態に対応している場所がそもそも少ない上
軽症でも感染者が増えれば 既往症で通院している患者さん達が
適切な診察治療を受けることができなくなってしまうかもしれない
自分は 今すぐ命に関わることはないが
実際問題 日々の定期診療が受けられなければ大変な方も大勢いる
とにかく 年齢問わず 冷静になって
不要不急の長距離移動は 厳格に控えていただきたい!
(どこから目線? 笑)
せっかくなので この機会に身の回りを整理整頓したり
散歩がてら 外気浴を楽しんだり
のんびり過ごしていきたいと・・・
自分の場合 いつものんびりか! 笑
さぁ これから 母の通院付き添いだ!
綺麗な空気を深呼吸して 細心の注意を払って外出しよう!
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2020年04月07日
2016年 6月 2
母のカテーテル検査と大動脈弁の拡張術が終わり
とにかく ホッと一息
翌日は 朝早くから実家の家事全般
(あ、親世帯の方だけです 笑)
朝食後
近所の床屋さんへ父の散髪をお願いしてる間に
掃除洗濯 両親の部屋の片付けもの細々・・・
父をピックアップして食料品等の買い出し
少し歩かせたかったが 床屋さんに座っているだけで疲れた、と
一人で車内で待っているときかない
本人が頑ななので仕方がない 少しでも運動してほしいのに
昼食を一緒に摂りながら 留守番の子供に言い聞かせるように
一人の時間の時のことを色々と話した
弟家族が順に帰宅するまでは キッチンに出入りしないこと
お風呂に勝手に湯はりしないこと
留守電設定にしてあるので かかって来た電話には出ないこと
トイレのスリッパのままで仏間に入らないこと・・・etc.
母が入院してから 多少やらかしていたのでその注意だ
特に キッチンでガスコンロを使われてしまうのが一番の不安
念のため ガスの元栓は閉めて出かけたが
いつもその点が一番の心配で 運転中も気が気ではなかった
Mクリニックは いつものように混み合っていた
その日は 外来受付と検査室の連携が全く取れていなくて
地下の放射線科へ降りるまでが とても時間がかかった
処置室で点滴のルートを確保して待つこと1時間近く!!
とにかく 全てが連絡不行き届きで待たされ通しだった
検査前に疲れてしまうほど・・・
まあそのおかげで あのうるさいMRIの最中でも
ウトウト眠ってしまうのでは?というほどのリラックス(笑)
終わってからのK先生の診察までは またまた長いこと待った
K先生は 画像を指差しながら
「前回の様子とほとんど変化はありませんね!
大きさに変化が見られないということは
やはり以前の照射跡と考えられます
この調子でいければ ほぼ脳転移の心配はないでしょう
O先生のところでの 採血検査に異常がない限り
次は 半年後のMRIで大丈夫だと思いますよ」
思いっきり良い笑顔でそう言ってもらった
「本当に 半年後でいいんですか?」
私の問いにも 笑顔を崩さす先生が言った
「大丈夫ですよ!
まだまだ 普段通りの生活を続けていけますよ
ぜひ毎日笑顔で 楽しいことたくさん見つけて生活してくださいね
そして 私の担当した肺がんの患者さんの生存記録を
これから先も どんどん延ばしていって下さいね!」
スキップしたいほどの うれしいお言葉!!!
あんなに待たされた検査だったが そんなこともすっかり忘れて
会計を待つ間も 一人ニヤニヤとそのうれしさを噛み締めていた
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2020年04月05日
母のカテーテル
いよいよ母のカテーテルの日
自宅を出たのは家事を終えて8時半近く
何かあったら、と高速で向かったのに
覆面パトがいて先導される感じの渋滞が(笑)
予定より30分ほど遅れたのでまっすぐ病院へ
母は なかなか到着しない私に えらく気を揉んでいた
けれど 半ば予定通りの展開で
11時からの説明が 遅れて12時半過ぎに始まった
カテーテルの時間だけは 予定通り14時からというので
実家へ戻り 父を病院へ連れて来た
母が検査に呼ばれる前に
二人の顔を合わせてあげたいと思ったからだ
けれど 実際にはなかなか呼ばれることなく
しまいには 父の方が疲れてベッドに横になる始末(笑)
この年までに 2度の脳梗塞を起こしているし
さらには 冠動脈バイパス手術も同じ病院で受けている
いつもは 自宅の座椅子でのんびりしているのだから
パイプ椅子で落ち着けるはずもない
母も自分のことよりも 父の世話をやく方が
気持ちに張りが出るようで 甲斐甲斐しかった
父とベッドを入れ替わると同時に
迎えに来た看護師さんに付き添われて 母が出て行った
CTUから呼ばれたのは 午後4時近く
無事に終わった、ということでホッとした
弁膜症の症状が とても進んでいて
左心室の大動脈弁の根元が 石灰化していたと!!!
根元が硬くなっているせいで
弁の開く間隔がとても疎らな上 その角度も狭く
酸素の多い動脈血が きちんと全身に送られていなかったようだ
そこで カテーテルを入れて
その先につけたメス状?のもので
石灰化して硬くなった弁の根元を切った!という
先生曰く
「切るというより 骨折させるイメージです
これで 以前より少しは弁の開きが良くなると思います
血圧等が安定してくれば 下血も減っているので
改めて 全身の検査と
その先の治療あるいは手術をすることができるでしょう
理想は 今までの血液循環の状態から
30%以上数値が良好になり 貧血状態が改善され
体力がついて来た頃がタイミングですね」
大動脈弁の根元が " 石灰化 " する?
" 弁 " って 薄ーい舌のようなイメージだったので
そこが石灰化って どうなの?と驚いたが
とにかく 処置は無事に終わったのだから良しとしないと!
あとは 母の体力と
文字通り 循環器の機能回復に期待するしかない
母の第1段階が無事に終わったことで
自分は 翌日のMRI検査に気持ちを切り替えた
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