最速ルートで来たもんで、まだまだ戦うには弱すぎて、しばらくは胸突き八丁(むなつきはっちょう)のレベル上げ作業ばかりや、
「胸突き八丁」ってどういう意味すか、
富士登山最後の8丁(約872m)は空気も薄く急坂なので、胸をド突かれたように息も苦しくなることから、最後のがんばり所というような、
しかし、ファミコン版のドラクエ2、ここまで攻略サイトをつぶさに見ながらやって来ましたが、よく当時の人たちはこんな難しいゲームを投げ出すことなく最後まで戦い抜いたもんすね、
自分もふくめた前世紀のゲーマー戦士達の情熱には、ホンマ頭が下がるなあ・・・正確に書きとめる呪文の長さだけでもウっとなるし、さらにこれを一文字ずつ打ちこまんとゲームじたい始まらへんし、
当時は、ドラクエに夢中になりすぎて、連日の寝不足で仕事が手に付かなかったり、家族内や夫婦間でトラブルが巻き起こったり、学校でファミコン禁止令が出たり、社会的にもいろいろ影響があったとか、
聞くところによると、かつてイギリスでゴルフというスポーツが生まれた時も、人々が仕事そっちのけで一日中ゴルフばっかりするもんで、とうとう政府から禁止令が出たとか、
しかし、ここまでのめり込めば、ある意味すばらしいというか、
生活のリズムが狂うほどのめり込んだ遊びって、人生の1ページを飾るほど深くて幸せな経験になるもんな、
ところで、話は2010年にさかのぼりますが、2年後に京都から地元に帰ることを会社に伝えてからは、引き継ぎ役として10才以上も年下の社員に、マンツーマン(1対1)で仕事を覚えてもらいましたが、
さいわいゲーム関係で話が通じて、ドラクエで使った呪文と、ファイナルファンタジーで使った呪文の対応関係とか話し合ったり、彼は彼で任天堂DSで『プロ野球チームを作ろう!』というゲームを何年もやりこんでいて、1度ゲーム機本体を見せてもらったけど、ビックリするほど使い込まれていて、ああ、充実したゲームライフやなあと、
仕事のノルマが一段落すると、『ファイナルファンタジー2』の勝利のテーマを口ずさんでみたり、
お手数ですが『見るYouTube』をクリックして、17分46秒から再生してみてください
エニックスからドラクエが出た、そのすぐあとを追いかけるように、スクエアからはファイナルファンタジーが登場したりと、1990年代はホンマにゲーム業界が熱かったなあ、
年齢もずいぶん離れてるのに、ドラクエやファイナルファンタジーが共通の体験になってたんすね、
その前の職場でも、10才以上年下の仕事仲間から、ドラクエの攻略法とか教わってたし、仕事終わりにはファミスタで盛り上がったり、
ちなみに、当時はラブホテルにもファミコンが置かれてることも多かったとか、
そう、エッチよりもゲームで盛り上がったり、
自宅を改装して、家族ぐるみでファミコンショップをオープンしたり、
あったなあ、自分が知るだけでも、太秦(うずまさ)映画村商店街に一軒、ブラマヨ小杉さんの実家も近い上桂(かみかつら)の西京区役所あたりの住宅街に一軒、これらと少し種類は違うけど、西大路四条から東南に入った住宅密集地にも一軒、
西大路の店は、例のボタン屋さんすね、
オジサンが1人で店番やってる、服のボタンだけを専門にあつかう店やけど、店主のゲーム熱がエスカレートして、店の半分を中古ゲームコーナーにした、ボタンとゲームを半々で売る奇妙な店で、家庭用ゲームの他にも、当時はめちゃくちゃ高価でマニアックなパソコン用のゲームまで置いてあったり、
熱しやすく冷(さ)めやすい日本人とよく言われますが、あれだけ熱かったファミコンブームも、2000年をむかえるころはすっかり落ち着いて、家族経営の店もいつしか姿を消し、
彼らは今どうしてるんかなあ、
とりわけボタン屋さんのオジサン、気になりますね、
物静かな店主やったけど、今も任天堂スイッチなど各種ゲーム機をそろえて、充実のゲームライフを送っててほしいな、
しかし、ボタン屋さんだけで食えてるというのも、さすが京都の町というか・・・ちなみに、高級な着物の『しみ抜き』だけで生計を立てる職人さんの店もチラホラあったり、
先ほどグーグルマップのストリートビューで確認したら、ボタン屋さんは跡形(あとかた)も無く、ちょっと寂しい、
ちなみに京都といえば任天堂、
我々60代から上の世代にとって、任天堂といえば花札(はなふだ)やトランプのイメージやけど、まさか子供のオモチャみたいなファミコンがきっかけとなって、世界的大企業にまで成長するとはなあ、
そういえば、商業の神様をまつる日本三大稲荷のひとつ、伏見稲荷(ふしみいなり)は任天堂本社ビルのすぐそばなんで、これも何気に好影響を与えているのでは、
マリオの生みの親 宮本茂氏の故郷、京都府南丹市園部町(そのべちょう)も、JRで輪行して自転車でよう走り回ったなあ、
ゲームとは関係ありませんが、男前豆腐の本社工場もその近くにありますし、
最寄(もよ)りのJR嵯峨嵐山駅から園部駅まで輪行して、そこから自転車で嵐山のアパートにもどったり、黒豆の名産地、丹波篠山(たんばささやま)まで足を伸ばしたり、
丹波篠山からさらに西へ向かうと、世界的な自転車タイヤメーカー『パナレーサー』の本社工場がある兵庫県丹波市ですね、
今はやりのグラベルバイクで山がちな丹波エリアを駆け抜けています
マリオに豆腐に自転車タイヤ・・・どれをとっても、人の暮らしを幸せにしてくれるもんばかりや、
勝手知ったる(=手に取るように知りつくした)京都や丹波の雰囲気豊かな道ばかりを選んで、またいつか自転車でのんびり走りたいもんすね、