なんとか年賀状の印刷を終わらせた。
年賀状の印刷をするたびに受傷した前日を思い出す。あの日はゴルフを終えて戻ったのが早かったので年賀状を印刷。黒のインクが出なくなってあて名書きを手書きでしていたのだ。
半分を終わらせて居酒屋Yに行った。居酒屋Yではそんなに呑んでいないはずだ。
帰って残り半分を終わらせて満足感とともに寝たのだった。
そして翌朝。立ち上がって電気を点けたまでしか覚えていない。
先月の長野での転んでケガした時もそうだ。転んだ瞬間を全く覚えていない。
確かに酒がかなり入っていた。が、その直前の記憶は確実にある。
誰かが言った…事故などの恐怖の体験はそれ自体が記憶に残らないようになっていると。怖い体験を覚えているとそのたびに恐怖にかられる。目の前に地面が迫り、顔がキズつく感触なんて覚えていたくもない。忘れるように脳が働いているらしい。
受傷した時に四肢は全く動かなかった。あの不思議な感覚だけは覚えている。
病院のベッドに横たわった時も、右手はナースコールを押す力もなかった。かろうじて右脚を少し動かすことができたから足元にナースコールを付けてもらった。
年末までの記憶はけっこうある。というかテレビをずっと見ていた。ダマされた大賞、ダーツの旅スペシャル、ダウンタウンの笑ってはいけないなどを受傷する前と同じ感覚で見ていた。
深刻な事態を深刻に考えないように脳が働いていたのだろうか。
元々は深刻に考えるタイプなのだ。
それが年齢とともに少しづつ変わったのかもしれないが、いくらなんでも呑気すぎだったような気がする。やはり特別な事だと脳が判断して気分が緩和するよう働いたのか。
過去の事をどう思っても仕方がない。今と未来しかないのだ。そういう気持ちは受傷前から年齢を重ねると同時に強くなってきていたのは間違いないが。
最近気を付けないといけない。調子に乗りすぎだ。長野での転倒もそう。
昨日も地下鉄の階段を降りながら思った。コロナ禍になってからなのだ、左脚の違和感少なく階段を降りられるのは。階段を降りながらほとんどの時にそれを思う。
それを思わない時もある。健常な時にタイムスリップしたかのように何も考えずに。いつ左足が十分に上がらずに着地するか判らないのだ。上げたつもりで上がっていないことはある、これが神経の障害だ。
昨日書いたように調子は悪くないのだ。
手も痺れている、足も痺れている、でも生きて人と接し笑って泣いて腹を立てている。
何処へだって歩いて行けるのだ、これ以上の幸せはない。