マイナスなことを言い始めたらきりがないと思います。
あなたは地主の家に生まれましたか?
お小遣い、ちゃんとくれるご両親のもとで生まれ育ちましたか?
親戚からのお年玉『いまは貯金しておきましょうね』みたいなことを親に言われて預けた貯金通通帳、ちゃんと貯まったままの状態を見せてもらえましたか?
もうですね、そういったことが「当然」のように、あたりまえとして享受できている人が、とにかくいるんです。世の中には、恵まれているなんて一言で片づけられないレベルの人が、実は多くいます。そうじゃない人もいます。どちらの立場でも、それなりの多さで存在しています。
借地、借家、賃貸住宅、お小遣いゼロで得都市玉は没収されて、『貯金通帳』が存在していたはずだけど勝手に使われるなんて日常茶飯事でそのことを指摘しようものなら、
「親に向かってその態度、なに!」
母親あるあるな感覚で申しますれば、優しい笑顔や優しい声なんていうのは表面的ななんとやらで、いつだって牙をむいてくるし、自ら産んだ子の命なんていつだって奪ってやるんだそれのなにが悪いんだくらいの気迫が満ち満ちていますからね、母親って。同時に「守る」という圧倒的な母性も持ち合わせているんだと思います。どう考えても論理的には矛盾に思えることが、なんの違和感もなく存在しているのが、「親」という立場の一面ではないかと考えたりもします。
もちろん、母親も父親も、同時に「おとな」であり「社会人」であり「永遠の少年」や「永遠の乙女」でもあるわけで、いわばアバターをいくつも所有して操作している感覚ではないでしょうか。複数のアカウントを所有している状態ですよね。
ふとしたときに子供心が戻ってきて、まるで水星逆行の影響みたいに感じたりもしますが、だからといってトラウマに支配されるのはイヤなものですから、前向きに。なんとなくでもいいので前向きに。そう願っています。
読みやすさ、
見やすさ、
丁寧さ、
いくらでも問題を自覚できます。
親切さ、
問題提起と解決策、
自己流の始終、
課題だっていろいろです。
少しづつ、なんとか言葉にできるようにしていこうと考えています。
今日、たとえ、購入したtotoBIGが大外れであったとしても、それはそれでいいんですよ。そう思います。
確率論とか正確性とか堅実性とかも、ある意味ではどうでもよくなるわけですが、それって結局は「自分が好き」な分野だからです。自分が好きなんですよ、totoBIGのように圧倒的なまでの「運」そのものの結果判定であるとか、ロトやナンバーズのように「采配」に従うしかない無力感の世界ながらも自己主張できる余地のある喜びとかも。
どうなんでしょうか。
いいことばかりじゃないですけれど、
いいことはたくさんあると思います。
こうやって、自分の気持ちや感情を書き出すなんてこと、子供のころには無理でしたから、大人になれて良かったなと思います。大人になるって、子供の時代を生きて生き抜いて生き残ったっていうことなんですよ。 すごいことです。
すごいこと、でも、すごいなんて普通は言わないし思いもしない、でもまあそれって、結局は前述の「地主の家にうんぬん」の延長線上みたいなものですから。
すごいなんて普通は思わない、そんな人たちが大勢の中で、すごいって思えているのって、ゃっぱりすごいことなんですよ。少なくとも私は、そう思います。
感謝と祝福を込めて、まだ完全には終わっていない「今日」の「残り時間」に対しても、
前向きに。
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